森を往く

 

狩野雅之

 
 

この道を往く。やがて行き止まりになる小径を行く。新緑に覆われた仄暗い砂利の道を往く。復りは同じ道を戻れないことを知っているが、歩を進めないわけにはいかないのだ。しかしきっと、そこにも空はある、蒼い空と白い雲がある。

 


森を往く 01

 


森を往く 02

 


森を往く 03

 


森を往く 04

 


森を往く 05

 


森を往く 06

 


森を往く 07

 


森を往く 08

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 37

 

朝になった
雨はあがった

ゴンチチのロミオとジュリエットを聴いてた

ロミオは毒を飲んだ
ジュリエットは短剣を刺した

35年の生を売る
労働を売る

友人たちに

お元気でといった

よい一日をと
いった

貨幣に外部はあるのか
自己利益に外部はあるか

 

 

 

ひかり、のぞみ、こだま

 

道ケージ

 
 

どうしたのだろう
新緑のひかる木の梢
若葉の準備に浮き立つ辺り
白い布?が干されている

どうしてだろう
その下をあたふたと
灰色の制服の男たちが
駆けずり回っている

どうするのだろう
手に手に黒いビニール袋をもち
すばやく屈み
また走る

のぞみの鼻先に
キリンのような
鮮血が

垂れた布?からは
ぬらぬらした
何かが垂れてきている
落ちてきたのは
…眼球だった
下の茂みをもう見られないね

ぼくらはこちら側で
ディズニーからの帰りなのだ
止まった列車を乗り換える
こだまに

今、男が白い腕を
ビニールに入れたところだ
子供のけたましい叫び声のこだま
先ほどの絶叫と変わりはしない
ホームを変える人たちは
いらだち

高架の奥の青空は
どうということもなく光り
小さな振動を伝える
ひかりが入ってくる

奥のビルの窓に
肉塊が張り付いているのを
発見した係員が
手を振って合図している

瞬間の決意
瞬間の痛み
瞬間の後悔

のぞみの切っ先に
赤い霧がひかり
こだます

架空地線に
こびりついたものは
いつも取り除けない

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第13回

第5章 魚たちの饗宴~綾部大橋

 

佐々木 眞

 
 

 

―――そして、あれから3年。
いまふたたびケンちゃんは、寺山の山頂に立って、由良川を眺めています。
寺山に向かって、南をめざして真っすぐ流れてきた由良川は、寺山の麓で90度向きを変え、西に向かってゆるやかに曲がっていきます。

右折して1キロほど下流へ行ったところに綾部大橋がかかり、その橋げたのたもとには、いつも大きなコイやフナがゆったりと泳いでいます。
ケンちゃんがウナギを生け捕りにした井堰はその大橋から50メートル下流で、幅70メートルの大河がせき止められて苦悶する地響きのような唸り声は、もちろんここ寺山の頂上までは伝わってきません。
井堰からそう遠くない場所にあるてらこの屋根も、小さく左手に小さく見えています。
ほら、露台の上に登ったおばあちゃんが、鉢植えのサボテンに水をやっているのが見えるでしょう。

このいつも変らぬ懐かしい風景を眺めているうちに、、ウナギのQちゃんの訴えが錐のように鋭く突き刺さりました。

――そうだ、一刻も早く悪い奴らを退治しなくちゃ。

ケンちゃんはせっかく登ったばかりの寺山をいっきに駆け下り、てらこまでフルスピードで戻ってくると、お店の入り口のところに置いてある自転車に飛び乗って綾部大橋まで全速力でペダルを踏み続けたのでした。

由良川を眼下に一望する大橋に立ったケンちゃんは広い水面いっぱいに太陽を受け、ギラギラと輝く大河をじっとにらみつけました。

――この川のどこかに奴らがいるんだ。でもどうやって奴らを発見したらいいんだろう。
それより、いったい奴らって何者なんだ?ま、いいや。とりあえず水に入って敵情視察といこう。

ケンちゃんは、あっという間にパンツいっちょうになると、スニーカーをはいたまま、綾部大橋の欄干のてっぺんまでするすると猿のように登りつめ、エイヤっと気合もろとも10メートル下の清流めがけて飛び込みました。

ドッボーーン!

体のまわりに次々にラムネのようにおいしそうな泡が、一斉に舞い上がります。
冷たい水の底からゆっくりと浮上してきたケンちゃんは、抜き手を切ってすいすい泳いでゆきます。
川の中ほどまで進むと、ケンちゃんは大きく胸いっぱいに空気をすいこみ、ついでに由良川の水もがぶりと飲み込んでから、潜水に移りました。

緑色のキンゴモが茂っているところを、おお気色悪いなあ、とゴボゴボ言いながら通り過ぎ、さらに深く深く5メートルほど潜っていくと急に水温が下がり、どんどん光量が減っていきます。
深みから水面の方向を見上げれば、お日様が何かに腹を立てているのか、それとも何者かに怯えているのか、ぶるぶる震えながら大きくなり、小さくなったりしながら、点滅しているのが見えました。
ケンちゃんは、さらに深く潜ります。潜りながら上流へ上流へと泳いでゆきます。
川ははじめのうちは冷たかったけれど、だんだん暖かくなってきました。まわりの様子がくっきりと見えます。

川底の岩や小さな石の傍らにへばりついてエサをあさっている小心者のヨシノボリが、上眼づかいに未知の侵入者を心配そうに見守っています。
下くちびるをとがらせたムギックが、不機嫌そうにチエッと舌うちをしています。
赤紫色のギギが、その近所では20センチくらいの黒紫色のナマズがひげをピクピク動かしながら、お互いに寄り添うようにして泳いでいます。
ギギの背びれや胸びれに触るとひどいめにあいますから、注意しましょうね。

気がつくと、いつの間にかケンちゃんの右隣りをすました顔して泳いでいるのは、35センチくらいのコイでした。
ケンちゃんを感情のまるでない左目でちらと眺め、スイと先に行ってから、ちょっと後ろを振り返り、尾ひれをひらひら動かしたのは「ついて来い」という合図でしょうか。

ケンちゃんは、コイのあとをつけて、ゆっくり平泳ぎでおよいでいきました。
すると不意に、いままでついそこを泳いでいたコイの姿が、見えなくなってしまいました。
ケンちゃんは、息をとめてデングリガエリをしたりながら、キョロキョロとコイの行方を探し求めました。

あ、いたいた。

コイは、本流をかなりはずれて川岸の方へ向っています。
いつの間にか川底にゴロゴロ横たわっていた巨岩が少なくなり、いろんな形をした小石に変わっているようです。
砂の色も濃茶から次第にうすい黄土色に近づいてきました。
もうちょっとで由良川の左岸にすれすれのところ、水深2メートルくらいのところまでやってきたときでした。
突然ケンちゃんは、コイが高飛び込みをやるような姿勢で深いほら穴の中へ消えてゆくのを目撃しました。

ためらわずケンちゃんも、あとに続いてその穴に潜り込みました。
およそ千畳間くらいの広さだったでしょうか。その大きなほら穴は……
不思議なことに天井のどこからまばゆいカクテル光線が縞模様になってふりそそぐその穴の底には、見渡す限り由良川の魚という魚たちが、熱海のハトヤの大宴会場のように長方形に整然と座りこみ、プランクトン醸造酒でグビグビと1杯やったり、「ポスト・ポスト構造主義以降の哲学上の諸問題」を青筋立てて論じ合ったり、飲みかつ食い、食いかつ論ずる思い思いの円卓の大饗宴をやっている最中でした。

フナ、コイ、ウナギ、ハヤ、アユ、ナマズ、ギギ、ドジョウ、ヨシノボリ、ドンコ、カワヤツメ……その数は何千か何万かめのこ算で勘定することすらできそうにありません。
だってみんな三々五々忙しく動き回っているんですもの。
こんなにたくさんの淡水魚を一堂に集めた水族館なんて世界中探してもどこにもないでしょう。
よく見るとQちゃんくらいの大きさのウナギもいましたが、Qちゃんの姿は見当たりません。いまごろは津軽海峡のあたりを通過しているのでしょうか?

千畳敷のアクロポリスのような大広間を、大声をあげて叫びながら、さしつさされつ、立ち座りつ、思い思いに遊泳していた魚たちの間から、黒い大きな影が浮かび上がりました。見るとサチュロスのように立派でちょっとユーモラスな風采をした一匹の巨大なタウナギが、ゆらゆら立ち泳ぎしながら全員に静粛を求めています。

「レディーズ アンド ジェントルメン。ビー・クワイエット、プリーズ!」

それでも知らん顔して大騒ぎしているみんなの方を振り向いて、

「シー、シー、静かにするんだあ、静かにせんかあ」

と、ナマズおやじが怒鳴りました。

 

 

 

午後に雨になる

 

朝には
モコのおなかが鳴るので

腹巻させて
ソファーで添寝した

モコのおなかには毛が無いからか

晴れた空の
燕たちを見上げた

モコを置いて浜辺にでかけた

波は繰り返し打ち寄せ
雨になる

夕方
変哲先生の句を読む

あかぎれの娘ブロマイド一枚買いにけり *

 
 

* 小沢昭一「変哲 半生記」岩波書店より引用しました

 

 

 

朝になる

 

朝になった
朝には

西の山の頂が

朝霧に
隠れてる

雀の声も
ハクセキレイの声も

まだ
聴こえない

朝には
モコと散歩する

朝には
燕たちの飛ぶのをみている

川面の上を飛んでた
曲線を曳いてた

佇ちどまって
見上げた

朝になる

ひとびとも朝になる

 

 

 

夢は第2の人生である 第51回

西暦2017年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

世にも恐ろしい化け物に襲われて命からがら逃げかえったのだが、地方局の報道を使ってそいつを退治する志願者を募ったら、Aさんが早速協力すると申し出てくれたので、来週一緒に出かけることにした。2/1

少数精鋭の突出主義によって権力を掌握したオグロ選手は、「このホテルにいる貴人を捕虜にすれば、なお80日間クーデターを延長できるはずだ」と力説したが、私だけは断固反対して戦列を離れた。2/2

不倶戴天の敵将と対決しようと盛り上がっていたら、そこへ大勢の難民たちが逃げ込んできたので、戦闘どころではなくなってしまったのだが、そこへ現われたカトウテンメエ氏が「有難う、お蔭で助かったよ」と礼を言う。なんのことやらさっぱり分からない。2/4

試合の冒頭でいきなり私がゴールしたので、安心しすぎたのか、わがチームは終盤に同点、逆転打を決められて、もろくも初戦で敗退してしまった。2/5

地下球場で練習試合をして、疲れ果ててゴロゴロ雑魚寝していたら、「あらイチローがいるじゃない。サインしてもらおう」と人々が押しかけたのでジロウ、サブロウ、シロウたちが拗ねた。2/6

茶の間で飯を食っていると、突然長男が発作を起こしたので、飛んで行って抱き起していると、やはり彼を助けようと身を伸ばした妻も、パニック障害を起こして倒れてしまったので、私が右ひざで隣の父親をつつくと、私に向けたその顔は、私そっくりだった。2/7

「能登の猛将」と称された私だったが、このたびの戦を前にして、なぜかまったく意気消沈し、押し寄せる敵に立ち向かう気力が、どこからも湧きでてこないのだった。2/10

新型爆弾を抱えたドローンを、上空から猛スピードで次々に墜落させると、さしもの難攻不落の地下要塞も、一夜にして陥落してしまった。2/11

上司があるページのレイアウトについて、写真と文章の比率がどうじゃこうじゃ、と難癖をつけるので、それがどうしたこうした、と押し返しているうちに、戦争が始まって廃刊になってしまった。2/12

核戦争で廃墟と化した新宿の元高層ビル付近を、加藤嬢と歩いていると、3名のチンピラに襲われたので、私はベルトから3本のナイフを取り出して投げつけると、狙いは過たず、彼奴等の心臓にズンと突き刺さった。2/13

ある日、殿が敵に襲われそうになったので、私は殿の刀の刃の中に潜り込んで、敵が斬りつけるたびに、刃の中でハッシハッシと受け止めたので、殿は危うく一命を取り留め、私は殿より褒賞を賜った。2/13

真っ暗な野原を歩いていると、うしろから野良犬が猛烈なスピードで走って来て、私を追い抜いて、深い川に飛び込んで水を飲むと、今度は私に飛びかかって来た。2/14

どういう風の吹きまわしか、私はチンポコをおっ立てたまま、4枚のパネルを別宅まで運んだという「鉄の男」として、みんなから尊敬されるようになった。2/15

とうとう万人が万人の敵となるホッブスの夜がやって来たので、私たちは数十人づつに別れて、夜の闇の底を足音を立てずに歩いた。

ランチをとろうと、放送出版の若者と一緒に急な階段を下りていく途中で、私は足を踏み外して宙ブラリンになってしまったので、若者たちに助けられた。彼らの後を追ったが、行方が分からなので、どこかでランチを取って事務所に戻ると、彼らも戻っていた。2/16

放送出版の若者たちは、新譜の宣伝を担当しているのだが、試聴盤が少ないので、自分でCDやDVDに焼いて、それを局や識者や評論家たちのところに届けるのだ、といって、私にもオランピアのテスト盤を呉れた。2/16

歴代3代にわたるわが社の宣伝担当が、久しぶりに一堂に会し、激論を交わしながら、丸1日がかりで最新のCM企画案を作り上げたのだが、考えてみれば、そこには現在の担当者など誰もいないのだ。2/17

私は昔とった杵柄で、クリスマスの幻想的な空間を見事に演出してのけたので、周囲の絶賛を博して、いい気になってしまった。2/18

私は革命的フィルムの開発に没頭して、家庭をてんで顧みなかったのであるが、半年ぶりに帰宅したら、妻君が夢中でぺんてるでお絵描きをしていたので驚いた。2/19

私は、「今日のイベントの内容を、このビデオにすぐに取り込め」と、部下のムラタに指示したが、ふくれっ面のムラタは、返事しなかった。2/19

2017年2月某日午前1時、リンチョン氏は、開口一番こう喚いた。「べらぼうめ。てやんでえ!」2/21

村人たちは、思い思いに自分の大切な人を車に乗せて、いずこへか逃れ去って行きました。2/23

ヤフオクに出品したら、早速落札者が出たのだが、送料が分からないから発送できず、いらいら焦っているわたし。2/24

クォーターバックに新人の平岡を起用してからというもの、わがチームは連戦連勝で、あろうことか、とうとうリーグ優勝まで果たしてしまった。こういう男こそ、真のラッキイボーイというべきなのだろう。2/25

逗子芸術文化会館の竣工式の日に、桜尾源兵衛の葬式があったが、彼の棺は、大勢の若者たちによって、まるで神輿のように担がれて、自宅から会館まで運ばれていった。2/26

ようやくバスがやって来たので、乗ろうとしたが、あまりにもぎゅうぎゅう詰めの超満員だったので、私だけが乗りきれず、バス停に取り残された。2/27

隣の家の男の子と女の子が、トルコのメヴレヴィ教団のセマーのように、ぐるぐる回りながら踊っているので、私も仲間に入ろうとしたのだが、輪の中に入れなかったので、はじめて歳を感じた。2/27

「そういえば、吉藤さんチのお庭の左奥には、池があって、鯉や金魚がたくさん泳いでいましたね」と尋ねたら、吉藤さんから「そうでしたっけねえ」という素気ない返事が返ってきたので、私は、自分の記憶に急に自信がなくなった。2/28

 

 

 

梅雨の晴れ間に

 

みわ はるか

 
 

四角い専用のフライパンで卵焼きを作る。
醤油、みりん、砂糖、塩、だし汁で作るオーソドックスなもの。
いつも茶色く焦げてしまうので今日は弱火にしてみる。
きれいな黄色でくるんと巻けたのを確認すると思わずにんまりと笑みがこぼれる。
フライパン返しで上手にまな板に移す。
研いだばかりの包丁で食べやすい大きさに切っていく。
以前はめんどくさいと箸で雑に切っていたけれどもうそれはやめた。
ストン、ストンと切り終わった卵焼きはとても美しかった。

去年の夏までベランダに吊るしてあった風鈴が悲鳴をあげていた。
雨風にさ らされてボロボロになっていた。
銅製でとでも重厚な音色を聴かせてくれていたけれどもう寿命をとうにこえてしまっていたようだ。
仕方なく処分した。
次は今までのと全然違うものにしようとネットで色々調べて購入した。
なんと、明るいピンク色のフラミンゴの下に細長いステンレスでできた円柱の棒がぶらさがっているタイプのものだ。
4つもぶらさがっているのでお互いがぶつかって「テロテロ~、テロテロ~」とかわった音色がする。
その上にどっしりと乗っているフラミンゴが重そうだけれど。
それだけでは少し物足りなかったので、普通のよく見るタイプの風鈴も買った。
陶器でできたもので、白く塗られた上に朝顔の絵が少し遠慮した ようにちょこんと描かれている。
こちらは少しの風で「チリン、チリン」と慌ただしく鳴り響いている。
2つとも前回同様ベランダに吊るした。
お互いが邪魔をせず、喧嘩することなく上手に共存しているかのようにみえる。
人間の世界もこんな風であればな~と思う。
夜中みんなが寝静まったころ、道行く車がなくなったころ、わたしは一人座椅子に座りながらそんなことを考える。
「テロテロ~、チリンチリン」という音を聴きながら。
うんざりするような日がある。
誰の顔も見たくないと感じる日がある。
一人丸くなって押し入れの隅でじっとしていたいと思う時がある。
だけれども、ものすごくあの人の笑顔が見たいとか、話を 共有したいとか、同じ景色を見たいとか望む自分もいる。
やっぱり社会とはつながっていたいと願う。
贅沢なのだろうか。
どうなのだろうか。
今のわたしには残念ながらよくわからない。

先日、ひょんなことから、生まれて初めて弟と2人で外食をした。
弟の好きなお寿司を食べることにした。
水槽の中で少し窮屈そうに魚が泳いでいた。
出されたお茶は舌がやけどするかと思うくらい熱かった。
慣れないカウンターで思わずキョロキョロしてしまった。
ファミレスで十分なのだけれど、せっかくなので、こんなことも次いつあるかわからなかったので。
弟はわりときれいに食事することを知った。
器用に箸を 使ってわさびの量を調節する。
ネタに醤油をつける。
布巾で口をふく。
赤だし、天婦羅、最後のごまプリンまできちんと丁寧に完食した。
世の男性というのはこんなにもよく食べる生き物なのかと感心した。
弟の話は面白かった。
男のくせによくしゃべる。
弟には夢があるようだ。
わたしはもちろん応援している。
縁あって姉弟になったのだからいつまでも仲良くしていきたいと思う。
仮に色んなことがうまくいかなかったとしてもまた話してほしいなと思う。
その時はまたお寿司を食べに行こうと心の中で姉のわたしは小さく誓った。

 

 

 

西暦2017年2月17日の午前中に、神奈川県の大和市で言うべくして、とうとう言えへんかったことども

 

佐々木 眞

 
 

 

まだ春には遠いある朝、神奈川県大和市保健福祉センターで開催された県央福祉会の第6回人権委員会に出席したら、理事長はんが、開口一番、『津久井やまゆり事件は「施設から地域」運動の千載一遇の大チャンスです』なぞと、のたまうやんか。

おいおい、ちょと待ってくれ。それは問題のすり替えとちゃうか。
あれは19人も人を殺したっちゅう、戦後最大の大量殺人事件やで。
そのうえ、その19人ちゅうのんは、みんな最重度の障がい者ばっかりや。
かてて加えて、その大犯罪を犯したんは、つい最近まであんたたちの同僚として働いていた福祉介護士やないか。

いちばん障がい者を理解し、障がい者の味方であるべきはずの介護者が、無抵抗の障がい者を次々に血祭りにあげる。いわば自分の身内から、とんでもない裏切り者が出たようなもんやないか。だからこそ、みんなあ大きな衝撃を受けてるんとちゃいますか。

それやのに『津久井やまゆり事件は「施設から地域」運動の千載一遇の大チャンスです』とはなに?
もちろん最重度の障がい者ちゅうても、施設に幽閉して世間の風に当てへんのは、本人のためにもならへんし、出来るだけ門の外に出したほうがええに決まっとる。

障がい者を施設内に固定せず、地域で暮らせるようにすんのは、大変結構なこっちゃ。
しゃあけんど、それにも限度がある。
一人では身動きできない重度の障がい者のための介護施設は、今までも必要やったし、これからも必要やろう。

事件後の親たちが、現在と同じ機能を持った施設の再建を求めてんのは当然。そのうえで神奈川県や国に対しては、障がい者福祉へのさらなる注力と施設やホームの増設を要求するべきとちゃいまっか。

それよりも理事長はんが、いますぐにやらんといかんこと。
おこがましいけど、それは身内の職員の動揺を速やかに押さえ、再び障がい者に対するサービスを自信を持って行う元気を回復し、返す刀で今回殺人犯が唱えて実行した「障がい者抹殺論」に対する反撃を行うこととちがいまっか。

昔から強者もおれば、弱者もいるのが、世の中というもんや。
弱者の中には、努力して強者の列に伍せる人もおるけど、様々な事情でそれが不可能な人も大勢おる。
しかし経済力や生産性が、人間的価値のすべてではないやんか。
今は地上最強を自負するひとも、様々な事情で、一夜にして最弱の存在に転じてしまうことも、よーあるわなあ。

要するに強者といい弱者というのんも、この世の仮の姿であって、「人間みな人類」、一皮めくれば同じ穴のムジナであるってことを知らんといかんのちゃいますやろか。
そやからこそ障がいを持つ人も、持たへん人も、共に仲良く幸せに暮らせる社会を作らんといかんのやないかなあ。

誰もが知っとるように、この世では、障がいを持つ人も、持たん人も、おんなじように大切な存在や。
人間は、経済的な有用性や生産性とは無関係に、1個の生物として平等やし、1人の人間として、平等の社会的文化的価値を有しとる。

そやさかい、この世では、強者が弱者を差別したり、抑圧したり、まして殺傷したらあかん。ぜったいにあかんねん。
前者の多くは肉体的・精神的・経済的・社会的な弱者やさかい、後者を庇護し、心身両面にわたって協力・支援する義務があるねんねん。

そうや。思い出した。かつて「この子らを世の光に」と喝破した人がおったなあ。
ふつうの社会運動家やったら、「この子らに世の光を!」というところやろうが、近江学園の創立者、糸賀一男はんにとっては、知的障がい児こそが、この世の宝石やったんや。

しゃあけんど、この子らには知的障がいがあり、わいらあ健常者の目から見たら、世のため、人のために、たいした貢献をしているとは思えへん。
いったいどこが世の光なんやろか?

彼らは、社会的にはまるで“でくのぼう”のように無知で無能や。
彼らは、経済的には生産力が皆無に等しいねん。
彼らは、例えば現在のわが国の某首相やアメリカの暴大統領のように、金力と人材と公権力を駆使して油断なく狡知を働かしたり、世のため人のためにならへん悪事や謀略を行うすべを、生まれながらにして持っとらへんのや。

万人が万人の敵となるホッブスの夜。
ひたすら他者の善意を信じ、弱さを丸出しにして無邪気に生きる最弱者の彼らの瞳の中に、聖なる愚者の光を認めるひとも、さだめしおるに違いない。

そんな障がい児者の介護にあたる人々の中にも、劣悪で恵まれない労働環境の中で疲弊して、あの植松聖選手と同様の思考回路をたどって、障がい者無用論やヒトラーの優生思想にひかれ、またしても障がい者抹殺の愚行に走ろうとする人がおるかもしれんなあ。
いや、おるに決まっとる。

しゃあけんど、そんな人たちにもう一度思い出してほしいこと。
それはなあ、あんたが亡きものにしたいと思うとる大多数の障がい児者の人たちとは、
「人を殺そうと夢見ることはおろか、それを実行することも出来へん。まことに人類の宝物のような人々や」
いうこっちゃ。

そんなあれやこれやの、せめて100分の1でも、あの日あのとき、あの会場で、理事長はんに食らいつきたかったんやけど、わいらあ、なあんも言えへんかったなあ。
手をあげて立ち上がることさえ、せえへんかった。できへんかったなあ。

あれから何日も何カ月も経ってしもうて、こんなとこでグチャグチャ言うとるなんて、あかんなあ。あかん、あかん、ほんま、わいらあ、あかんやっちゃなあ。