家族の肖像~「親子の対話」その15

 

佐々木 眞

 
 

 

「どんど晴れ」のねーちゃん、比嘉愛未でしょ。
そうだったね。

お母さん、すまなかったってどういうこと?
ごめんなさい、のことよ。
すまなかった。すまなかった。

お父さん、ハクションは風邪でしょ。
そうだよ。

ねえお母さん、蓮佛さんと中井貴一、両方好きですよ。
そうなの。

耕君、インフルエンザなんだから、食器を片付けないでね。
分かりました。分かりました。
耕君のインフルエンザがお母さんにうつったら、どうなるの?
分かりませんよ。
お母さんも同じ病気になるのよ。
分かりました。分かりました。

小田急に湘南急行あったお。
へえ、どこからどこまで?
新宿から藤沢までだお。
へえ、いまでもあるの?
ないお。

守ってください。
はい、守ってあげますよ。

イナズミさんに「そんなときは話しちゃだめ」っていわれたの。
そうなんだ。

ぼは、ほにてんてん、ポはほに○でしょう?
そうだね。

つけっぱなしは、つけたままのことでしょ?
そうだよ。

黒木メイサ、柳沢さんとかでしょ?
なんだ、ドラマの話か。

お母さん、ぼく二酸化炭素好きなの。
へええ、驚いた。

おたっしゃで、ってなに?
元気でね、のことでしょう。
おたっしゃで、おたっしゃで。

きらめくってなに?
キラキラすることよ。

はいポーズ、ってなに?
いい格好することよ。

薬が効けば、直るでしょ?
はい、早く効きますよ。

お母さん、ぼく「国鉄最終章」好きだよ。
そう、良かったね。

お母さん、アルプスってなに?
高い山のことよ。
ぼく、「アルプス1万尺」好きだお。
(2人で歌う)♪小槍の上でアルペン踊りを踊りましょラララララ

 

 

 

幻の名機「KEF104ab」を探して

音楽の慰め 第13回

 

佐々木 眞

 
 

 

しばし呆然とその場に佇んでいた私が気を取り直して「ね、清水君、で、このスピーカーいくらするの?」と尋ねると、「中古とはいってもまだ比較的新しいですから、ま新品の半額の五万円ですね」という返事が返ってきました。

今だってそうですが、70年代のはじめの五万円は相当な物入りです。
私は3日間悩みに悩んだすえに、この欲しくて欲しくてたまらなかったスピーカーを涙を呑んで諦めたのでした。

あの運命の夜から幾星霜、2017年の1月に入ったある寒い夜、何気なくヤフオクをチエックした私は、なんとあの曰くつきの名器KEF104abが競売に付されているのを見つけたのです。

横浜のリサイクルショップが出品していたそのスピーカーは、もちろん年代物の中古品です。70年代にクラシックファンから好評を博したKEF104abは、しばらくすると製造中止になり、今ではこういう形でしか入手できなくなったのです。

今や棺桶に片足をっ込んでいる後期老齢者の私に、突然あのスピーカーから迸り出る朗々たるチャイコスキーの弦の奔流、そして管弦楽に抗して連打されるティンパニーの猛虎のごとき咆哮が生々しく甦りました。
「よおし、この千載一遇の機会を逃してなるのものか」
私は万難を配して、この幻の逸品をものにするぞ、と決意しました。

しかし気になるのは財布の中身です。
リーマンを止め、フリーライターを止め、大学の教師を辞め、年金生活に入った私が自由にできる金額は、ほんのわずかなものです。
1000円から始まった競合入札が、どこまで高みにせり上がるのか。
私は毎晩ネットでその金額が上がるのを、はらはらどきどきしながら見詰めていました。

ラッキーなことにこの物件は、横浜保土ヶ谷区にあるその会社での「現物手渡し」が条件になっていました。
通例では全国から殺到する競合者と張り合わなければなりませんが、これだと恐らく横浜市内か神奈川県下に在住している人に限られてくるでしょう。

私は車を運転できないので、その会社まで電車で行き、横浜市のタクシー会社に予約して決められた日時に現地で待ち合わせ、トランクの中に2台のスピーカーを入れて自宅のある鎌倉に向かえば、八千円ほどの費用で賄えることが分かりました。
交通費込みで3万円ならなんとかいけるな、と私は踏みました。

そして、いよいよその決戦の夜がやってきました。
ライバルは6人くらいに絞られ、締め切り寸前の値段は、1万7000円と思いのほか低い。これなら楽勝と思い、私はあと締め切りまであと1分の段階で2万2000円を張り込み、「見事落札おめでとう!」の知らせを心待ちにしていたのです。

ところが、ところがです。なんと、なんと落札終了時間が過ぎた後で2万2500円をつけ、最後に笑った奴がいたのです。
2人のライバルがデッドヒートを繰り広げているのを知った出品者が、終了時間を延長して落札価格の引き上げを図ったに違いありません。

ああ、なんということだ!
ヤフオクで煮え湯を飲まされたことは、これまでも何度かありましたが、今月今夜の敗北はじつに手痛い。
かくて幻の銘器KEF104abで、ムラビンスキー&とレニングラードフィルハーモニー管弦楽団の交響曲第5番を半世紀ぶりに耳にして涙にむせぶ奇跡は、うたかたの夢まぼろしと消え去ったのでした。

 

 

 

町の定食屋さん

 

みわ はるか

 

 

ご無沙汰しております。すっかり本格的な冬を迎えて、こちらはどかっとした雪が何度か降りました。
ちらちらと降る雪はなんだか可愛らしいですが、山のように降る雪には少し嫌気がさしてしまいます。

わたしの住む町は以前にも何度かお伝えしたかもしれませんがとても田舎で、一面に山や田んぼ、お茶畑が広がっています。そんな中にもいくつかご飯屋さんがあって、わたしの大好きな場所があります。今日は少しだけ紹介したいと思います。

メイン道路から外れたところにあるそのお店は深い緑を基調とした外観で、注意して見ていないと通り越してしまうほど背景に馴染んでいます。決して派手ではなくひっそりとたたずんでます。そこに初めて入ったきっかけは通勤の途中の道にあったからというなんともない理由でした。よく見るとそこの駐車場はお客さんの車でいっぱいでした。恐る恐る扉を開けてみると、天井は高く窓も適度にあり日の光がいい感じでさしこんでいます。木材で作られた4人掛のテーブルと椅子、カウンター、座敷にテーブルがそれぞれいくつかありゆったりと時間を過ごせるつくり。お店の至るところにその季節の植物の写真、地元で採れる野菜やお菓子の陳列、手作りの飾り物。たくさん飾ってあるのに各々の自己主張が強くないせいかほどよいかんじでそこに在るのです。なんとも言えない幸福な気分になれます。

メニューは豊富で定食や飲み物の種類は20を越えています。魚や揚げ物お野菜と好き嫌いが多い人でも必ず欲しいものを食べられます。モーニングもあり1日中楽しめます。始めに何を頼んだかはすっかり忘れてしまいましたがその味に感動したことは今でもはっきりと覚えています。味噌汁はよく出汁がとってあり、小皿の煮物を優しい味で、もちろんメインも素晴らしく美味しい。店内がお客さんでたくさんなのもうなずけます。店員さんは皆黒のエプロンをつけていて若い人から年配の人まで生き生きと働いてみえます。土日だけ顔を見る若い男の子が少し恥ずかしそうにお膳を運ぶ姿は微笑ましい。家族経営なのかな、親族かなと勝手に想像を巡らせています。

すっかり虜になったわたしはここ数年、月に数回仕事帰りに寄るようになりました。メニューはほぼ制覇したのではないかなと思っています。つい先日はお会計の際に「いつもありがとうございます。」と優しい笑顔で声をかけていただき温かい気持ちになりました。こちらこそいつもいい時間を過ごさせてもらって感謝したいくらいなのに。馴染みのお客さんにもそれ以上根掘り葉掘り聞いてこない姿勢にも配慮が感じられます。

社会に出るということ、生きていくということ、いろんな世代の人と関わっていくこと。いいことばかりではなく、不快な気持ちになったり腹立たしく相手を憎んでしまうこともあります。自分が情けなくて情けなくて涙を流す日もあります。そんなどんなときもいつも同じ場所にひっそりとたたずむそのお店に癒されたくてまた足を運びます。そんな場所がみんなにあればいいなと思うのです。

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 22

 

昨日も
長い電車に乗って帰ってきた

暗い
多摩川を渡った

新丸子の
夜道を帰ってきた

ペルトを聴いてた
佇ちどまる

佇ちどまっていた

いつだったのか
日野の駅で

雪の降るのを見ていた

朝まで
見ていた

雪はゆらゆらと降りてきた
いくつも

 

 

 

貨幣について、桑原正彦へ 21

 

今日も

新丸子の
夜道を帰ってきた

老いた姉妹のいるウィンドウのまえで
佇ちどまる

貨幣は
この老女たちを買うことができるのか?

特別な者たちを
貨幣は低い場所に引き摺り落とす

無い言葉を抱け
亡き者たちを抱け

貨幣は亡き者を買うことができない

 

 

 

そらを呪わない

 

長田典子

 
 

捨てられました
ごみでした
わたしはごみでした

くびちょんぱ
くびちょんぱ

めじろが
かわづざくらの
はなくびに
黒いくちばしを突き刺し
蜜をすっていきます

かわづざくらは
ちるまえに
はなくびごと
落ちていきます
捨てられます

くびちょんぱ
くびちょんぱ

しぬしぬしぬしぬ
しぬしぬしぬしぬ

わたしは
捨てられました
わたしはごみでした

はなくびは
かれくさのうえで
濃いピンク色のくちを
大きく
あけて

ああああああああ
しぬしぬしぬしぬ

ああああああああ
いいいいいいいい
ししししししししてしてしてして
るるるるるるるる

かわづざくらは
あおそらを見上げます

きょうは
とても
はるめいて
おひさまきらきら

ああああああああ
しぬしぬしぬしぬ

くびちょんぱ

ごみはしぬの

ああああああ
いいいいいい
ししししししてててててててて
るるるるるる

あのひとを
あいしている

きょうは
とても
はるめいて
おひさまきらきら

かれくさの
うえ

くびちょんぱ

捨てられました
ごみでした
わたしはごみでした

くびちょんぱ

ごみはしぬの

めじろは
翡翠色の羽根をふくらませて
さぁっと
つぎの木に飛んでいきました

しろい眼の淵を
もっと もっと
しろくしろくし

きょうは
とても
はるめいて

おひさまきらきら

あいしている にくたらしい
にくたらしい あいしている

しぬしぬしぬしぬ
しぬしぬしぬしぬ
しぬしねしぬしね

そらを 呪う
そらを 呪わない

ああああああああ
がががががががが
DADADADADADADADA
GAGAGAGAGAGAGAGA

おひさまきらきらきら

“Rejoice and love yourself today” (今のあなたを受け入れて愛してあげて)

“I was born to survive”(生き抜くために生まれてきたのよ)

ががががががががだだだだだだだだ
GAGAGAGAGAGAGAGA

“Be a queen”(女王でいてよ)
“Whether you’re broke or evergreen”(破産してようが富があろうが)
“You’re black, white, beige, chola descent”
(黒人だろうが白人だろうがベージュだろうがメキシコ系の混血だろうが)

わたしごみだろうがおひさまきらきらはなびらきらきら

“You’re Lebanese, you’re Orient”(レバノン人だろうが東洋人だろうが)

“Whether life’s disabilities”(障害があって)
“Left you outcast, bullied or teased”(のけものにされ、いじめられ、からかわれても)

“I was born to survive”(生き抜くために生まれてきたのよ)

ああああああああ
おうおうおうおう
そそそそそそそそ
らららららららら

“No matter gay, straight, or bi”
(ゲイだろうがストレートだろうがバイだろうが関係ない)
“Lesbian, transgendered life”(レズだろうがトランスジェンダーだろうが)

わたしごみだろうがおひさまきらきらはなびらきらきらきら

“I’m on the right track baby”(それが正しい道だよベイビー)

“I was born to survive”(生き抜くために生まれてきたのよ)

DADADADADADADADA
GAGAGAGAGAGAGAGA
はなびらきらきらはなびらきらきら

ああああああああ
おうおうおうおう
そそそそそそそそ
らららららららら

あのひとを
あいしている

そらを

呪わない

 
 

空白空白空白空白※英文はすべてLady GAGA “Born This Way”より引用

 

 

 

夢は第2の人生である 第47回

西暦2016年神無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

隣にいた家族がなかなか戻って来ないので、ああやっぱりなあ、と諦めていたのだが、しばらくすると、あの皆殺し殺人ゲームで殺されなかったとみえて、無事に戻ってきたので、驚いた。10/1

「あんたがたは、今何を作っているんだ?」と尋ねられたので、右手を出して「こんな指輪だよ」というと、興奮して「すぐ欲しい」と騒ぎだしたので「横高で売ってるよ」と教えてやった。10/1

村人たちは、慰安旅行に行こうと朝早く公民館に集まったが、いつまで待っても矢沢夫婦だけが来ないので、見に行くと、2人は激しく性交を続けていた。10/1

弟子を連れてスケッチに出かけたのだが、彼は誤ってお城の堀に転落してしまった。すぐに助け出そうと思ったのだが、私はその時、脳裏に浮かんだ幻影を定着しようとアトリエに引き返したために、彼は溺れ死んでしまった。10/2

もう秋か。久しぶりに大学へ行った私は、今年もまた試験はおろか授業さえ出ていないことを思い出し、これでは何年かかても卒業できないのではないか、と冷汗を流した。10/4

人生の調子を整えるべく、神様は時々私に任意の昔をもう一度生き直すように強いることがあった。万年筆にスポイトでインクを注ぎ込むようにして。10/5

一夜にして山と成った一夜山めざして、私は一晩中走った。10/6

私は持っていたCDを、雨水が溜まったところに落としてしまった。すると一緒に歩いていた長男は、自分のせいだと思いこんでいきなりその水たまりに飛び込み、ずぶぬれになりながら探そうとするので、私はその余りにもストイックな態度に深くうたれた。10/7

権謀術策を凝らして、私は、とうとうその小さな島の王になった。10/8

今年入社した私たちは、新規も中途もまじえて全員が寮に閉じ込められ、訳のわからぬ研修を受けたのだが、私は同室の若くて超美人のねいちゃんを毎晩可愛がっていたから、ちっとも文句はいわなかった。10/9

マイケル・J・フォックスの娘という人を遠くから眺めていると、日産の広報嬢が「あの人どうですか?」というので「いいですねえ」と答えると、「彼女、なかなか評判がいいんですよ」と宣うた。10/10

会社が物置に使っている部屋が、なかなかに趣があるので、私たちは、時々この部屋で寝泊まりしていた。ある日そこで端坐していたら、いきなりブルトーザーがつっ込んできて、私は大けがをした。10/11&12

私たちは、その詩人が生まれた町を訪ねて、研究発表の材料にしようと思っていたのだが、同行した女性たちの観光気分に妨げられて、何の成果も得られず引き揚げようとしたとき、上空に人力飛行機が現われた。10/13

かつて私が下宿していた家を訪ねたら、猛烈なゴミの集積の中に、乞食のようなおばはんがいて、ニヤリと不気味な笑みを浮かべたが、それはあたかも私の来訪を知っていたような表情だった。10/15

平行棒のように伸びた木の枝をつたって、上へ上へとましらのように登ってゆく2人の男を見よう見まねで真似て、木の頂上にたどり着くと、村の女たちに歓声と共に迎え入れられたが、あの2人の男は見当たらない。いったいどこへいったのか? 10/16

大好きなポネルの演出で、モザールの「フィガロ」をビデオで視聴したのだが、いつもと違って全然面白くない。途中で再生をやめてクレジットをよく見たら、ポネルではなくパネルと書いてあった。10/18

海底の穴の中で、大きな魚と隣り合わせた小さな貝の私は、懸命にいろいろお世辞をいうてその場を取り繕うとしたのだが、とうとうぱくりと喰われてしまった。10/19

逆風が吹き始めたので、「朝まだきひんがしの空を見上げれば」という歌を詠んだのだが、どうしても下の句が出てこなかった。10/20

買ってきた外付けHDDが、「早く早く私をレコーダーに取り付けてください」と枕元で囁き続けるので、結局朝まで一睡もできなかった。10/22

バスに乗っているのは荷物ばかりだったが、駅に着くと、男たちが一斉に乗り込んできて、荷物の中の朝顔に水をやるのだった。10/23

深い谷底を流れる急流に転がり落ちた私だったが、そのままどんどんどこどこ流されて、とうとう海にそそぐ緩やかな大河に至った。10/24

おばはんは、私が大事にしている英国製の高級スピーカー、ロジャースを小脇に抱えると、いきなりナタを振るってメリメリと壊し始めたので、「なんてことするんだ、このおオタンコナす!」と怒鳴りつけると、「おら、薪にしようと思っただけずら」と平然としている。10/25

そこいらに自転車や自動車を停めておくと、すぐに警察がどこかへ持って行ってしまうので、油断も隙もならない。10/26

明日はこの鎌倉石の掘削現場を離れて、江戸城の再建工事に加わると決まっているのに、私は弟子たちの衝撃と離反を懼れて、まだなにも喋ってはいなかった。10/27

前夜私は、どこかで会社の貴重な資料が入ったカバンを無くしてしまい、終電に遅れて義父の家に泊めてもらった。夜が明けると私は、義父の車に乗せてもらって会社に向かった。10/28

ヤフオクで見事に落札したのに、いつまで経っても出品者から連絡がないので焦っていると、私が落札したはずの商品が、いつのまにか再び出品されているので、いったいこれはいかなる仕儀かと、私はまたまた焦った。10/30

会社のPR誌で短歌を募集したが、誰も応募しなかったので、金メッキした安時計が段ボール一杯ぶん残ってしまったので、社員全員に配ったが、まだまだ大量に残っている。さてどうしたものか。10/31

仲間たちと登山中に遭難したオラッチは、誰かの助けを求めたが、たまたま風邪を引いていたので、ついでに風邪薬も持ってきてくれと頼んだ。やがて捜索隊が到着して、仲間は全員救助されたが、風邪薬の入荷は5日後になるというので、私だけは5日後に救助された。10/31

 

 

 

俺っちの「プアプア詩」が学術論文に引用されちまったよ

 

鈴木志郎康

 
 

おどろいた、
おどろいた。
へえ、そんなことあるのって、
おどろいた。
成城大学教授の高名康文さんの
フランス文学の
学術論文に、
俺っちが昔書いた
プアプア詩が引用されているちゃっ。
驚きだっちゃ。

教授の高名康文さんから、
論文が掲載された
東京大学仏語仏文学研究会の
「仏語仏文学研究」第49号の抜刷が、
俺っちのところ送られて来たっちゃ。
フランス中世の旅芸人詩人の
「リュトブフの仮構された『私』によるパリ」。
ぱらぱらっと開いて、
青い付箋のページを見ると、
俺っちの昔の詩「続私小説的プアプア」が引用されていたっちゃ。
おどろいたね。
おどろいたっちゃ。
フランス文学の学術論文ですよ。
ハハハ、
学術論文ですよ。

フランスの中世の詩と
日本の現代の俺っちの詩を
高名康文さんが結んでくれたってわけさ。
嬉しいね。
ウッフフ、
それがさ、
結ばれたってところってのが、
ちょっとややこしい。
詩作の上で、
「私」って存在が、
増殖し、交換可能になるって、
そこを、
高名さんは読み取ってくれたってわけさ。

リュトブフっていう詩人は
「シャンパーニュ地方から」
「評価と名誉を追い求め」
パリに学びにきた学生だったが、
「不幸に関する詩」では、
「おのれを結婚や賭博でしくじった
愚か者として、
その失敗を面白おかしく」
語ってるってこっちゃ。
そのおのれを語るってところで、
リュトブフは
「私」っていう存在を、
仮構してるって、
高名教授は考察してるっちゃ。
それで、
その「私」が
増殖し、
交換可能になるってっこっちゃ、
こっちや、こっちや。
どういうことなんじゃ。

彼の「冬の骰子賭博」って詩には、
「賭け金を作るために、
服を質に出してしまって、
裸同然で過ごしている」
憐れな自分のことを書いてるってっこっちゃ。

「神は私にはほどよく季節を恵んで下さる。
夏には黒い蝿が私を刺し、
冬には白い蝿が〔=雪〕が私を刺す。」

先ず、ここには
自虐的に語られた
「私」がいる、
ところが、その後、
「骰子の誘惑に耳を貸す者は
愚か者であるという一般論が、
主語を三人称にして
展開されている。」ってことで、
つまり、
「私」が
三人称に置き換えられたってわけじゃ。
そして更に、
「二人称の相手に対して、
〈毛織物屋でツケが効かないのなら、
両替商に行って素寒貧だと言ってみろ、
信用貸ししてもらえたらいいね。〉と、
『おまえ』の
愚かさをからかっている。
ここでの『私』は『彼』、『おまえ』と
交換可能な存在になっているということである。」
というこっちゃ。
こっちや、こっちや。

ここでの、
その「私」の
「あり方は、
1960年代の日本の
現代詩、たとえば、
鈴木志郎康の
『プアプア詩』を
連想させる。」
となって、
「続私小説的プアプア」
の引用になるってわけさ。

「走れプアプアよ
純粋もも色の足の裏をひるがえせ
今夜十一時森川商店の前を歩いていると
妻と私とプアプアの関係が夜のテーマになった
妻は私ではなく私は妻であるプアプアでありプアプアは妻であり妻はプアプアではない
妻は靴を買いプアプアは靴をぬぎ妻は大陰唇小陰唇に錠を下ろしてキョトキョトキョトキョトキョトと大気盗んで駆け込むのにプアプアは開かれたノートブックの白いパラパラ」

わあ、懐かしい。
プアプア詩にお目にかかるのは、
いや、まったく、
久しぶりざんすねえ。
確かに、
「私」が妻になったりプアプアになったりで、
「私」が増殖しているっちゃ。
この「私」ってのが詩法を求めて身悶える厄介な奴なのさ。
その「私」が詩にすがりついて、
エロスと生命力を求めて、
妻やプアプアになり変わろうとして、
失敗したってわけじゃ。

失敗、
失敗、
失敗。
人生の失敗を語ったリュトブフと
詩作の失敗を書き連ねる俺っちが、
バッサリと重なっちゃったってわけっちゃ。
失敗を切り抜けようと、
つぎつきと詩を書き、
「私」を語って、
「私」を増殖させてるってこっちゃ。
俺っちは、
ウッ、ウッ、マア。
そんで生き延びて来たってわけさ。
ワッ、ハッ、ハッ、
ハハハ、
ハハハ、
ハハハ。

 

注 括弧「」内引用は高名論文による。


リュトブフ

 

 

 

や、やよ、ゆけゆけ2度目の処女!~長田典子詩集「清潔な獣」を読んで

 

佐々木 眞

 
 

 

これは著者が2010年に出したおそらく現時点では最新の詩集で、イントロ的な「蛇行」以下、全部で10篇のかなり長めの作品が収められています。

そして詩の進行具合は、「初めは処女のごとく、終りは脱兎の如し」、あるいは「一点突破全面展開」という疾風怒濤の展開となり、全編を通じて作者が自作自演する、なにか気宇壮大な物語、詩小説が眼前で物語られているような、横隔膜がうんと広がったような、なんだか愉快な気持ちになるのです。

私はこの一カ月を除いて、詩集なんかほとんど読んだことがなかったから、よく分からないけど、ふつう詩集では、「わたし」という主体が、世界の中心にデンとましましていて、その「わたし」の行動や思いの数々が、縷々るるると述べられていくわけです。

でもこの詩集では、「わたし」が作者本人を思わせる妙齢の女子であったり、うら若い乙女であったり、清潔な獣であったり、老いたる要介護の母親であったり、イケメンの男子であったり、まるで怪人20面相のように自由自在、神出鬼没に変容するのです。

「自分ファースト」ではないけれど、自分の内部に、他者が蛇のように自由に出たり入ったりする詩のメタモルフォセス自律運動に、詩の奔放さ、弾力とリベラルさというものを、つよく感じました。

シェークスピアに、All the world’s a stage,and all the men and women merely players.という有名な言葉があるそうですが、作者にとってはAll the word’s a stage,and all the men and women merely players.なのではないでしょうか。

この詩集全体が、まさにその格好の舞台になっていて、どことなく物哀しいヒロインは、自分と他人と全世界をば、なんとか光彩陸離たるものに塗り替えてやろうと、一世一代の独りカタリ芝居を見せてくれるようなおもむき。

私がいたく気に入ったのは「いったいii 」というタイトルの、マルキュウ(東急109)の洋服が大好きな貧乳ギャルの場外乱闘です。

そのめくるめくノンストップしゃべくり捲り大騒動&はちゃめちゃ行状記、この言葉と肉体の超高速ラップに、いったい誰が追従できるというのでしょうか。

私は思わず、
「や、やよ、ゆけゆけ2度目の処女!」
と、大向こうから声をかけたくなりました。

そしてその後から押し寄せる「カゲロウ」、「世界の果てでは雨が降っている」、「湖」における、大蛇がうねるような勁い構想力と、その細部を織りなす挿話の繊細さに感嘆しない読者はいないでしょう。

 

 

 

冬の夜の植物園

 

サトミ セキ

 
 

肺が凍るので深く呼吸してはだめだよ
咳をしながら
χ(カイ)はわたしの頬に触れて言った
長く青白い指が乾いている
バタン と震える大きな音がして
真後ろであたたかい部屋の鉄扉が閉まった
扉の音がしばらく反響している
暗く広いアパートの階段室
ぱちん
天井灯のスイッチを入れた
掃除をされない灯は ろうそくの炎の色
階段の壁の高いところに
両手をあげた人の形をした大きな染みがある
ゆらゆら動く わたし自身の影のように
一階へと下りてゆく
中庭に出ると
寒気が空からわたしをめがけて突き刺してくる
土が固い
だれかの足跡の形のまま 凍っていた

街灯が点き始める
午後四時
今晩は植物園に行く

一年でいちばん暗い街を歩く
植物園へ
行く時はいつもひとりだった
いつも冬至の夜に許され わたしは植物園に行く
冬至の夜にだけ開く通用口をくぐると
目の前に輝いている 光のパビリオン
わたしの為にだけ開かれている
ガラスの大温室

ここでは冬至にもミツバチが交尾をしている
メガネが曇る あたたかな緑の息を吹き掛けられたように
人間はいないのに 生き物の気配がみっしり満ちて
ブーゲンビリアが巨木に絡まる
熱帯雨林の匂いを深く呼吸する
植物の粒子が毛穴から侵入する
乾いていたのだ わたし
流れ始める水
額を汗がゆっくり伝い落ちる

掌に落ちた雫を見て
ふいに思い出した
この巨大な温室に住んでいる気象学者のことを
人には見えないらしい ちいさな彼
セラスナニの花が垂れ下がる
古木材のベンチに座って
いつも彼は ラテン語で書かれた植物図鑑を開いていた
ガラスの大温室のお天気は 彼が支配しているのだ
空0(大温室の中は地球を模しているから
空0ここは南アメリカ大陸)
高い声、くちごもるmの響きを思い出す
M、Me、Mexico
彼の声を真似てつぶやくと
突然
メキシコ産フェロカクタスの太い棘が
わたしの頬を突き刺した

したたる
血かと思えば
ああ 雨だ
雨が 温室中に降っている
食虫植物の袋が 濡れている
見上げると
ふんわりした雲が ひとつ
遠いガラス天井の下に 浮かんでいる
小さな水雫 小さな氷粒 その集合体が雲
雲の粒同士がくっついて大きくなり
浮いてられずに落ちてくる それが雨
小さな雨粒だとゆっくり
空0ダイヤモンドのような大粒は 素早く
ミツバチは雲を舐める
仙人掌も雨からできている
空0(雲はふたたび水になり
空0まわりまわって君をかたちづくるのだ
空0体の九割はH2Oだからね)

内側をぬらすもの
外側にしたたるもの

午前零時に温室の灯は一斉に消えた
今年はちいさな彼に会えなかった
通用口の目立たない扉をあけて 真夜中の街へ出る
吐く息が六角形の結晶になって
溶けない灰色の雪の上に降り積もる
きらきら きらきら
わたしの全身は 翠色の凍れる雲になって
ゆっくり
一歩ずつ
春を待つχの部屋にもどっていく