michio sato について

つり人です。 休みの日にはひとりで海にボートで浮かんでいます。 魚はたまに釣れますが、 糸を垂らしているのはもっとわけのわからないものを探しているのです。 ほぼ毎日、さとう三千魚の詩と毎月15日にゲストの作品を掲載します。

明るい色

 

神坏弥生もとい祷瀬チカ

 
 

明るい色に憧れて、息づいて
身を焦がし、生きている
夢を見ている時間は足りない
時に羽虫が己が身を焦がして、
陶酔の中、死んでゆく
幸せとは敵のようだ
私たちは、七つの明るい色を見ている、
あなたが、こう言う
「不思議だね、七つの色しか見えないんだ。」
誰か、これ以上の色を見た人はいるだろうか
陶然と、見とれるうちに、
時間がやってくる
終わりに近づけば近づくほど
赤々といよいよ燃え上がり
赤い蝋燭が溶けてしまう頃
ジッという音ともにまた暗闇に戻る
明るい色に憧れる夢は、
常に私たちに、終わりを教えている
僕らが居る時間は、本当に少ない
鮮やかな色が、言いようのない色に
褪せてゆくまで
ベッドに寄り添いながら
あなたは居る
鮮やかにあなたを明るい色が照らす
最後の炎が鮮やかに輝く瞬間まで

 

 

 

顔、顔、顔が嫌い

音楽の慰め 第28回

 

佐々木 眞

 
 

夜8時。
私がくたくたになって横浜桜木町の神奈川新聞社の厚生文化事業団から、明星ビル4階のオフィスに戻って来ると、もう誰もいなかった。

その頃の私は、昼間は自閉症を啓蒙する連続講演会の開催と準備と広報に血道をあげていたので、リーマンのお仕事なんかは、夕方から夜中にやるしかなかったのである。

今夜は神宮外苑花火大会なので、駅前は浴衣の男女が入り乱れ、何千発の花火が、そのたびにズシン、ズシンと地響き立てて打ち上げられている。

事務所の入口の掲示板には、「車はガソリンで動くのです」という、まるで奥村晃作氏18番の「ただごと歌」の短歌のような広告文案を書いた、電通のコピーライターの訃報が、画鋲で張り付けられていた。

そのとき、ギ、ギ、ギーという機械音がした。
まだ残業しているやつがいるのだ。
ダーバンというメンズブランドを担当している、ヨシダに違いない。

ドアを開けて室内に入ると、部屋の真ん中に置いてあるゼロックスが、グギグギと音を立てて作動しており、なにやら薄汚い風体の大男が、コピー機のガラスに頭全体を突っ込んでいる。

瞬時も置かず、二尺玉、三尺玉、そして巨大な四尺玉が轟音と共に打ち上げられ、真夏の夜に開け放たれた窓からは、赤青白黄紫群青に輝く爛れた光線が、部屋の隅々にまで深々と差し込んでいた。

ゼロックスは、箱の中の竿を2、3回左右に走らせながら、マシンの左横口からズ、ズ、ズ、ズーと音を立てて印画紙を吐き出し、そのたんびに箱の底から、青白い逆光が男の頭、そして頭越しに部屋全体に迸り出た。

男はそのままロダンの「考える人」の姿勢を崩さず、その間にゼッロクスは数限りなくゼロックスを繰り返すので、見れば部屋の中にはゼッロクスがゼロックスした大きな印画紙が、渦高く堆積し、ひくひくと痙攣していた。

ヨシダと思われる大男は、身動きひとつしない。
仕方なく私がコピー紙を手に取ると、そこには主イエス・キリストの憂愁に満ち満ちた顔が、黒の濃淡も美しく、くっきりと刻印されていた。

そのときおらっちは、

顔、顔、顔が好き。
顔、顔、顔が好き。
主イエス・キリストの、顔が好き。
生に倦み悩み、死にあこがれる顔が好き。

と、歌った。

と思いねえ、皆の衆。

そういえば、おらっちは、むかしイタリアのパゾリーニ監督の「奇跡の丘」という映画をみたことがある。

イエスの顔、マリアの顔、ヨセフの顔、
ヨハネの顔、ユダの顔、祭司長の顔、
サロメの顔、ヘロデの顔、ヘロディアの顔、
次から次に、素人役者の、モノクロの強烈な顔が出てくるのだ。

黒白の鋭い陰影を突き抜けて迫って来る、顔、顔、顔。
それは「奇跡」の物語ではなく、「顔」の物語であったあ。
聖書に描かれたとおりの、イエスの誕生から刑死、そして奇跡の復活までを忠実になぞる映画のようにみえて、実は人間の「顔」をじっくりと見せつけられる、奇妙な体験映画なのであったあ。

そのときおらっちは、

顔、顔、顔が好き。
顔、顔、顔が好き。
イエスを産んでもいないのに
母となった、マリアの顔が好き。

顔、顔、顔が好き。
顔、顔、顔が好き。
マリアと番ってもいないのに
父となった、ヨセフの顔が好き。

顔、顔、顔が好き。
顔、顔、顔が好き。
誰も望んでいないのに
ヨハネの首を所望する、サロメの顔が好き。

と、歌った。

と思いねえ、皆の衆。

なんでまた突如この「顔、顔、顔が好き」というフレーズが、
飛び出してきたのかと考えてみると、
どうやら戸川純ちゃんの「好き好き好き大好き」のせいらしい。*

「好き」の反対は、「嫌い」だが、「嫌い」で思い出すのは、ヤマハのポプコンが生んだ最高の名曲「顔」である。

顔がキライ 顔がキライ
アンタの顔が きらいなだけ
ごめんね 君はとてもいいひと
だけど 顔がきらいなの**

という、一度聞いたら死ぬまで忘れられない、このリフレイン!
そしてそれは、今ではおらっちの脳内で、朝から晩まで、
こんな風に鳴り響いているのさ。

顔、顔、顔が嫌い。
トランプはんの、顔が嫌い。
右手ピクピク不気味だけれど、
恐らくほんとは、とってもいい人。
自分勝手のバカだけど
ほんとは、とってもいい人なのよね。

顔、顔、顔が嫌い。
プーチンはんの、顔が嫌い。
007に似ているけれど
恐らくほんとは、とってもいい人。
政敵なんかをこっそり始末するけど
ほんとは、とってもいい人なのよね。

顔、顔、顔が嫌い。
安倍蚤糞はんの、顔が嫌い。
猪八戒に似ているけれど
恐らくほんとは、とってもいい人。
一強、一凶、一狂といわれているけど
ほんとは、とってもいい人なのよね。

顔、顔、顔が嫌い。
フランシスコ麻生はんの、顔が嫌い。
マフィアに憧れているようだけど
恐らくほんとは、とってもいい人。
祖父も驚くゴーマン野郎だけど
ほんとは、とってもいい人なのよね。

顔、顔、顔が嫌い。
顔、顔、顔が嫌い。
その顔だけが、嫌いなの。
あなたの顔が、嫌いなの。
なにがなんでも、嫌いなの。

と思いねえ、皆の衆。

 

 

注*戸川純「好き好き大好き」

注**コンセント・ピックスの「顔」の歌詞より引用

「コンセント・ピックス」は、ガールズバンドの草分け。彼らの応募曲「顔」は、1984年度の第27回ヤマハ・ポピュラー・コンテストでグランプリに輝いた。

 

 

 

新・冒険論 07

 

一昨日だったのかな

テトラポットに
しろい波が砕けるのをみていた

昨日も
河口まで歩き

海をみてた

河口には
サーファーもノラもいなかった

磯ヒヨドリはいた

テレビでは金髪の花札男とロケットマンが握手していた

そこに
自己利益はあるのか

着想はなかった
生に着想はない

 

 

 

はじまり 小田原氏への返歌

 

道 ケージ

 
 

あの遺影は誰?学生服姿の屈託ない笑いと今どきでない髪型に駆け寄り教室に入るも皆ブルホをやめずそんなことはよせと亀甲を結ぶとその一点は完全なる凝集朝の光吸い込まれ泥をぬぐう深い沈降であるがまた不帰の道行く途中金色の鹿たちは群れなして移住するその瞳に吸い込まれるしかない銀の階段は降りづらくさらに奥へと折り畳まれ発熱の余地なくそれが彼女なのかたくさんの襞折り畳まれ折り畳まれ降りては祈り祈っては折れるこれがカラビ‐ヤウ空間だよ膜は何重にも織り込まれゆっくりと高熱回転しているそんな弦の粛清の後月に向かう南部先生チトフ来なさい予備なのだから動かずに待つしかない赤い飛行体を見上げ白線が空に消えオイと呼ばれる衝突寸前まで綱の上のバッタ水滴に溺れるクジラ一瞬の海溝薄く祥瑞片手に誰待つ割れる十一次元紗綾形格子突如凍結静止から労働歌革命「ツキに見放されたら遠くを見る女の瞳」まあ待てバティ・ガイのソロ無限割る無限は一なんて爆裂弾で完全数を蒸発させる熱はカムランからアヴェロンへ逃走絶対やっちゃるって誰をよベルベル人の装身具なんだよお前はさあホトケノザでアンフォラ飲み干せエウフロニオスご苦労さまはい

 

 

 

ひとばな

 

萩原健次郎

 
 

 

私が 逸した
私の 逸した
私を 逸した

人がたの 生存の おと きこえたら
まっくらの 洞から声はって
返事 ください

逆さまの えだはの 蔭で
泣き通して 水 涸れました

ごめんなさいという たま じんこん

私が 逸した

野に放つ 川に流す ちいさなむくろ かざってね

紅花 ひろってこ
黄花 あげよかねえ

はやくはやく ほろんでくださいね
みんな死ね って言うやろ
生きてやる ってかえしてね

死んでも 死なないで
ほろんでね
綺麗でね。

あなたはあなたひとりの
綺麗な
人花