不明

 

萩原健次郎

 
 

 

いつからいなくなったのだろうか
千年前
泥沼に脚まで埋まって
池の貌に浮かばれない

わたしは、あなたを知らない
はじめから不明
かなしんでいる所作は、知っている
千年前
獣とあそんでいた
はしゃいでいた
老人であるのに、無邪気に獣とじゃれていた

わたしが、眼病みだから不明なのではない
わたしが、摩耗しているから不明なのではない

この絵に生きていない、首と脳と心臓と
水に浮かぶ、わたしの魂胆が不明なのだ

ほそい石橋は、二百年前に架けられたのか
わたしは、時折は、恋しくおもう
不明に、情を飲み干すから
平穏な水が、怒ってふるえていたりする

わたしは、わたしの平らを
水に流して、生きてきたふりをしている

歌を捨てにきた人が、群れている

 

 

連作「不明の里」のつづき

 

 

 

ひとばな

 

萩原健次郎

 
 

 

私が 逸した
私の 逸した
私を 逸した

人がたの 生存の おと きこえたら
まっくらの 洞から声はって
返事 ください

逆さまの えだはの 蔭で
泣き通して 水 涸れました

ごめんなさいという たま じんこん

私が 逸した

野に放つ 川に流す ちいさなむくろ かざってね

紅花 ひろってこ
黄花 あげよかねえ

はやくはやく ほろんでくださいね
みんな死ね って言うやろ
生きてやる ってかえしてね

死んでも 死なないで
ほろんでね
綺麗でね。

あなたはあなたひとりの
綺麗な
人花

 

 

 

それなのに

 

萩原健次郎

 
 

 

すいへい たいらかな
みずいろの したから
噴き上がってくるもの
うつっているのは 皮
濃い なにか かたち
のない身からぬかれる
非時という 鐘がなる
毛のものが まじわる
はるならば 咽喉から
はなは、さくところを
えらばず かれるのも
しらず いちめんの野
しかれた微温がやまず
ずっととおくからみず
からだの芯に きよく
窒息しながら はいる
ほろんだ ひとたちは
ほろんだときにすんで
しろい絹 じゅんすい
雑音となって鳴り去り
激痛もおんがくとなり
それが せかいだよと
わらいながら 笛ふく
やまびとが みずひと
真似をしながら消える
あたたかなみずをのむ
詐欺の世のきよい虫々
みずのたいらかな走り
燃やしたいとつぶやく
ほろんだひとが見える
それなのに ずっと
蒲団のなかに 生きていた

 

 

連作 「不明の里」のつづき

 

 

 

梅世

 

萩原健次郎

 
 

 

眼に
芯があり
芯を
電子的に
焼く
焼いて見ることを
恢復する
あらためさせられる
苦悩など
水底ふかく
捨てているから
もう平らかな
私性に
溺れることもない
わたしの
遭難趣味は
きれいなあと
景色の奴隷になってもなあ
改宗したり
水に眼浮く
顆粒
玉の尖
虫はしらないうちに
這い
墜落する
算術の
生と滅と
アセテートの朝
軸は
身体の管を
通過して
無類の
丼(陶製)の
表面を歩いていた
影殴りの
光抱きの
埋め

 

 

連作「不明の里」つづき

 

 

 

恋沼

 

萩原健次郎

 
 

 

地に沁む
はじめ項垂れる
詫びる
詫び通す
嗚呼と応える
世はないと思えば
鳥は鳴き
朝日は射てくる
内臓が透ける
臓腑がいちどからまって
無痛の味わいがすぎてゆけば
梢へ投げる
消えたとき
嗚呼
あなたの涎を舐める
地に垂れた清水を
掬う
あなたに臓腑がないことの
どれほどの安堵
あなたに悩みがないことの
救い
草と空と
生血の獄が
混ざる
しあわせよ
嗚呼
水の放浪者として
池に投げ捨てよ
やさしく
首をしめて
水底へ

 
 

連作 「不明の里」より

 

 

 

息 布 根 棘

 

萩原健次郎

 
 

 
 

 
虫の息かどうか確かめる。
手を近づけて、虫、かどうか。
うわっ、人の息。後ずさり、

虫は、虫の代で死に
人は人の代で死ぬ。

息には、
意味の混ざった言葉が、
滲み出す。

 

 
薄片の、
水をふくませて、鼻と口へ被せる。
白よりも白く、
言うことを拒み、
欝する赤に遠くから、情を投げ込む。

 

 
根は、土中で息している。無臭。
何も伝わらない。わたしひとりが
赤子でね。

 

 
棘が救ってくれる。

 
 

連作「不明の里」より

 

 

 

蜜柑の器

 

萩原健次郎

 
 

 

空0楊柳の布に、水玉の模様。蜜柑に着せられた、ドレ
スのままに不明になった。そのまえに、やわらかな人
型は、強く手でこねられて球になった。不思議に思う。
蜜柑型があり、微妙な、赤か黄か判然としない器に人
がとじこめられたこと。球形の、完全な球には、針で
刺して空けられた穴があって、そこから甘い弦を擦る
音が漏れて、石垣の上に置かれて、鳴っている。あの
声は、糸の細さで球の外を望んでいるのがわかる。知
っている人の声のようで、ただ近隣で不明になった幼
児のようでもある。穴から、覗いてみる。一人ではな
いようで、穴ごとに無数のつぶやきが蠢いている。生
の木片か、それとも堅い化学的に組まれた樹脂で球は
こしらえたのだろうか。ちいさな虫のような、幼女の
無数が漏れている。

空0喩えであっても、蜜柑は蜜柑であって人ではない。
名づけられた器で、中に収容されている無数のことは
関わりがない。石垣のあたりを私はただ黙って通り過
ぎていく。私は、弦楽にはこだわるが、いびつな穴に
恋するが、楊柳のドット柄は大好きだが、無数の不明
の、極小の無数の人間などには興味がない。

「葬式百回やらないと」と言う。「四十九日の法要は
千回」だとも言う。私は、まったく関心がない。蜜柑
の器の前を私という樹脂の、眼が過ぎた。傷ついてい
るのは、蜜柑ではない。器に穴があいている。

 

「不明の里」連作より

 

 

 

<反論> カラスの、

 

萩原健次郎

 
 

 

あっ、右を向いた。
勝手でしょ。
南無阿弥陀。南無阿弥陀ああ。あっ、餌。
わたしの食糧。生きようと思えば生きられるけれど、もう往って還ってくるのに疲れたから、虫、食糧、いらねえ。

わたし、あきらめた。虫、喰ってもねえ。
見てる?写真撮ろうってか。はいはい。あなたの眼中にわたしがいて、わたしの眼中にあなたがいて、四角く削ごうなんて、卑怯だねえ。あんた。

わたしもねえ、世界、採集してんだよ。

虫、おおむね虫、食糧図鑑をつくろうかと考えていたこともあるね。
若い時分にね。虫、まんまると削いで、脳のアルバムにぺたぺた貼り付ける。
わたしにも脳はあらあな。南無阿弥陀ああと言うぐらいなんだから。
あんたの脳にはさあ、どんなもの貼ってるんかなあ。
食糧?虫じゃないわなあ。人かなあ、恋人?米?
そうかあ、草みたいなもんだ。肉?鳥も食べるんだ。

カラスは食べないのか。そうか。ヒツジもイノシシも食べるのか。
変なものは、食べるんだ。タニシもクリも、カキもか。
それは、わたしも好物だなあ。

飽きないのかねえ、わたしをそこからじっと見ていて。

わたしもう気はないよ。気は捨てたよ。
足あるよ。ぴょんぴょんぴょこぴょこ。もう往かねえ、どこにも。
恋もしない。虫、いらねえ。唄、好きだよ。

かあかあ、かあかあ、かっかっかっ。

時雨心地って知ってるか。
わたしだって、いつも喜んで唄っているわけじゃない。
おんなじ、かあかあでも、
「とってもさみしねくてねえ」、「女々しくて女々しくて」、
地に沁みこみたいときだってあるさ。

それも、ちょっとした抵抗で、「沁みたい沁みたい」って泣いている。

消えるやろ。
沁みたら、消滅。
あなたの眼中から、わたしは、ただの気配の陣地になって、かすかな記憶からも消えていく。スイッチ押してそれで、すぅーっと無くなる。

勝手でしょ。
あなたは、
わたしは、
この世は、
徒行。

 

 

 

突っ立つ花

 

萩原健次郎

 
 

 

失われている向日葵に手を合わす。
左右の手に、わたしの血がめぐってその人の消息を知りたいと思う。
目前の小道の真ん中に棒のように立っている花茎の静かさは、花畑を世話していた人の不在を語っている。
枯れた人が植えたであろう一茎は、その人が長く生きてきた敷地の空気と交信している。

生にはぐれている茎の立ち姿は、哀れに強く、諦観のその先で無言を貫いている。

言葉ではなく言葉などは枯れて、枯れてと記して
この近隣のすべての路傍の、切り取られた点景のいたるところに湿潤が途切れ、生血の抜き取られた角の線域に、無数のやぶ蚊がハミングしている。
景ごと蛇に呑まれ、わずかな湿潤も蚊に吸われ、

――この向日葵ももう、忘れられるわなあ

床のあるところで寝ていた時に、背が板にぴったり添って、わたしを直立させて、
ああ、向日葵の茎と直角になあ

ある時、その人に会釈した。こんばんわだったか、花の手入れもたいへんですねだったか。
交信が頼りで、背の離宮の山が、
わたしたちを拝んでいる。

――生きてやるわい

わたしとその人は、山の信仰になり、枯れた血が木像に流れる。他愛のない声が郷の主となり山を見下す。蹴る。息を吐き、唾をかける。蚊に吸われ、

どこからか、三味線、太鼓、囃子、笛、犬、猫、鳥、ちり紙交換のマイク音、サイレン、
それからヴィオラも、ハープも、啜る音も瀬音も、
滝に吸われる。

――ああ、もう不足している

生きていることの、だれかとの挨拶が。

 

 

 

徒行

 

萩原健次郎

 
 


 

外貌。異邦。除外されたものという眼があって、それを大切にしている。
だから、なぜ京都の天皇の別荘である離宮のそばに住んでいるのか、
その事実に弾かれている。

弾かれている心地とは、自由度が試されているひとつの位置だと感じている。
どのように寂しがっていても、カラスが一匹なんだか、手持無沙汰にまどろんでいても、
それに付き添うこともまったく勝手なのだ。

紅花の裏側を覗く。裏側は表側と同じ明かな誇りの言葉を発している。
光りや色を求めているようで、そうした発想とは無縁で、そこで風に晒している。
ただ、形を。

西からの斜光が、優しいと感ずる晩夏の微風の、
台風が迷妄してやってくるそんな予兆の、吹かれている誰彼の一人として
この橋の上から次の橋と前の橋を懐かしむ人でもある。

ぽつぽつと雑草が咲いている。花をつけずに咲いている。
陽が刺している。それを草は、喜んでいる。風が強く吹いて、茎が折れそうになって陽が刺している。斜光に。

誰かが住んでいる。おそらく誰かと住んでいる。そういう在り処がずっと連なっている。何十年、何百人、何千人。
そこに毎日毎日、西日の斜光が降っている。さいわいにも。

見えているのに、その向こうへはまっすぐ歩いていけない。
歩いていこうとすると、水にはまり、石に躓き、ただ、身体じゅうが砕けていく。
夢の中では、いくらでもまっすぐ歩けるのに。

外貌を撫でているにすぎないが、それでいい。眼で撫でるのはそんなに簡単ではない。
弾かれて、除外されているが故の、自由なおこない。批難されながらも撫でる、

徒行。