赤山

 

萩原健次郎

 
 

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青い山を歩いている。
青い山は、翻って、逆さに屹立している。
青い山に、影がさしている。
黒々とした影に、光がさしている。

私の線路に、黒鋼の列車が走っていく。
私の線路の脇に、いい香りのするヨモギがそよいでいる。
私の線路に、誰か、首筋をのせて眠っている。
それが、影の中の光で、四角い隅が歪んでいる。

やわらかく無くなっていく。
やわらかな毛の生えた小さな動物が
やわらかく鳴いていた。
幼いころに、飼っていたごろごろする、誰か。

赤い山を歩いている。
手が焼けている。燃えている。灰になる。
足が、やわらかく萎えていく。ナマコ、軟体。
私は、拝む人になることもある。

拝む人は、私とは別の世で群れとなって
私の周囲を取り囲む。
別の世の、神も仏も信じられず
私は、カエルの真似をする。

カエルの膚の色が、わからない。見えない。
私は、拝む人たちに囲まれても、私の姿が見えない。
山の中で、コケの斜面で生きたことや、死んだことを
私は、私の帳面に記した。

拝む人たちの祭りであったと気づいて
私は、真水を飲んだ。
濁った水を吐いた。
それが澄んでいることを願ったのに。

黒い山を歩いている。
山が千切れていく。
隙間からさしてくるのは
別の光だった。

 

 

 

暗譜の谷

 

萩原健次郎

 
 

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わたしに、実を産む力はない。
鳥も草花も、実を産む。

水が涸れる。

すこしは、水位はある。
もう、石粒が敷き詰められた平坦な川底に
見えて
納めているように
ゆがんで (かがんで
見ている。

鳥も草花も、
ぺらぺらと饒舌に、ひそかな声を並べて
均された石粒も、並び

景の棺
親しく

みおさめ、見納め
み、身の収容も、
み、

中空の、中の音 (ね、
ミ、ミ、ミ、
ミ、ミ、ミ、
ミ、
ミー。

わたしはいつかわたしとすれちがう
生滅の、身代わりを
そっくりわたしに譲る。

手渡されるのも
焦げた、み、で。

たがいに
ひとりは、坂の下へ
ひとりは、坂の上へ
駆けて行った。

川、ちょろちょろ
鳥と草、ざわざわ

実の詰まった棺、ころんころん

馬鹿にした、音楽だ。

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白(連作のうち)

 

 

 

ディヌのショパン

 

萩原健次郎

 
 

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ディヌ、眠ってないで、覚めて怒ってもいいのに
きょうの演奏も、やさしく逃げないで
あなたはまた、あなたの土の温もりの中でじっとしていた。

水の丘は、隠されている。
山の下から眺めた時に、そこに
散るように配置された池塘があるなんて
想像もできない。
水の丘の、腹の部分に横たわった物は、
生きた物であり、夜になると鼾のような
大きな吐息をひびかせている。

池塘のひとつひとつは、せせらぎで結ばれて
そこには、ワルツの粒が溶けている。
ワルツの粒は、水で溶解されれば
気体状に、空に散乱する。

あれっ、涎。
ショパンを弾きながら
ディヌがまた、呆けている。

おんなに叱られる。
と、言ったことがあったね。
おんなとは、母、姉、それとも恋人ですか。
ディヌ。
涎は、いいよ。
わるくない。
ワルツの詩(譜)が
蜻蛉に、空中で喰われている。

山の腹の、飛ぶ虫の腹の、ショパンの腹。
みんなの腹が踊っているよ。
涎まみれで
延々と、
おんなに叱られながらね。

ね、ディヌ。

 

 

空白空白空白空白空白空白空白空白注 ディヌは、ディヌ・リパッティ

 

空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白空白(連作「暗譜の谷」のうち)

 

 

 

水のひまわり

 

萩原健次郎

 
 

民家の向日葵

 

水尾根、水脈が見える。この川の流域に広がる田畑に
流れている、ほんとうにひんやりとした水の流れや行
方を見つめてみる。叡山の、たくさんの行者である修
行僧が、あるときは、急登、急降の…………

…………
むらさきの さきの なすの
たねの わたされた 白紙の たたまれた ことばの

空0脈搏
静脈
空0脈管
山脈
空0命脈
乱脈

この民家の前を通るとき、なんだかそちら側に遙かが
見えるようで不思議だなあと思っていた。
季節ごとの小さな花が、絶妙なバランスで植え揃えて
あった。規則正しくではない。だからバランスと言っ
ても均整がとれているという意味ではない。

――わたしの住んでいる家の前の景色をこしらえまし
たという意味で、ある種の創意で、庭がしつらえられ
ていた。
夏になったから、目前にぱっと暴かれたかのように、
ひまわりが立っている。
そんな趣向を、その人は持ち合わせていなかった。

おばちゃん、死んだんやろか。
水の峰に、かすんだんかなあ。

そういうことをしらせにくるんだよ
空0
空0
打ち返してくる、静かなドラミング。

奥深いところでは、きんきんに凍えている。
地上に出て
きつい日差しに溶けて
なんだか、かすかな…………

ふるるるる、かちりん、しなに
しなに、しなん。ぴ、ぴ。ぴっぴん、

夏に、立っている。
黄色くなった人。

 

 

 

暗譜の谷

ワルター・ギーゼキングとともに

 

萩原健次郎

 
 

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鹿の頭が浮いてるよ。
鹿の頭しいが浮いてるよ。

しかのあたましいがういてるよ

あたましい鹿だなあ
頭が浮いてるよ。

東山連峰の修験道で
夜道を歩いていて、光る眼にぶつかった。
闇の中、ただただ棒で獣の頭を叩いた。
子どもだったのかもしれない。
繊い声を発して、消えていった。

わたしにも日常があり、
修行があり
呪文をとなえることもある。
オン、ソワカ
あ、魂。

グラナダの夜の のとうの、妹と
雨の庭の のにわの、兄と
塔(パゴダ)
のよるの、姉と

板の上で、クロード・ドビュッシーを奏する
板の上で、水面。
あたましい、水の平面が
ずっと左右に続いている。

鹿の子どもの頭は
均等に
同じ姿で
並んでいる。

みな元々は、悪の人だ。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空(連作「暗譜の谷」のうち)

 

 

 

暗譜の谷

 

萩原健次郎

 
 

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そんなに笑うと、笑いが声からはみ出して
叫声みたいになってしまう。
姉が、妹をたしなめて
坂道を降りてくる。

姉妹は、旋律の好みなどは関係なしに
光の胎の中に飲み込まれていく。

霧の中で、
小道で、
街頭で、
橋上で、
チェコの人は、黙ってしまって
美しい、なにもかもを吸引しようとしている。

それをピアノに塗ってくれと、
子どものような眼をしてねがった。

ヤナーチェクとスデックが
室内の、机と椅子になった。

ほらほら、舞い降りてきたじゃないか。
ふたりの少女。

木製の記憶が、織物となって床に縫われる。

狂れるまえにね、
この小屋のような家の庭に出て
一音のハーモニーを重ねようと
姉妹はねがった。

写真師もピアノ弾きも。

ふたりは合わさって
それだからまた、
すぐ近くに落ちていた
光の胎の中へ消えていった。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空(連作「暗譜の谷」のうち)

 

 

 

暗譜の谷

 

萩原健次郎

 
 

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あなたの不明に比べたら、わたしの不明など
たいしたことはない。
鳥の鳴く方向、あるいは蛙の鳴く方向を聴きさだめて
わたしの、もぞもぞした声をさがせばいい。
わたしなど、粒で、点で、穴の、
さらにはその底なのだから
はじめから不明を欲して、
急な傾斜を下へ下へと降りて行ったの、

鳥も蛙も、綺麗な気を吐いている。
草木を見つめてみれば、清浄さがくっきりと見える。
青空と、水流の地の間に
どれだけ呆けた透明さをたもつことができるか。
透けていればいいというわけではない。

暴かれ続けろと、言われるままにそうすれば
あなたは術の人になる。
暴かれ、叩かれ、地にめりこんで、土粒だらけの
濁りの身こそ、旋律に奉仕すればそれはそれで
加点もされる。

川の左右の岸には、花火の火が散ったように
不明者の点が、色をつけて等しく並んでいる。
青空側から見れば、群れだが、
笑う花弁のように、みなじっとしている。

生きたいなら
――生きてるよ、と言えばいい。
生きたいなら
――めりこんで枯れて澱んでいるよ、と。
人のごとくに。

――もう、描かれているよ。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空(連作「暗譜の谷」のうち)

 

 

 

暗譜の谷

 

萩原健次郎

 

 

1604浜風 写真

 

溺れる感覚を覚えようと、寒冷の水泳をする。
そうすれば、空気も水も切れる音が聴こえてくる。

寂しいとか、哀れだとか、
水中の震える波となるだけで波動が眼を撫でる。
耳と鼻を洗う。

それでも、意識が明滅し
ているわけではなく、

こころなしに、
わたしの皮という皮の、
おもてをひらいている。

こころなさ*の演奏を
はてもなく溺れるまでに、
胸位のあたりにまで満たして

それからむしろ恐怖するのは、
往ったら還ってこられること。

くるいたいのに、
散りたいのに
咲いてしまう。

皮が裂けてしまう。
あるいは、わたしが皮を裂いてしまう。

ショパンの皮面はやわらかく
その感触は、反吐。

胸に満ちたものを地にもどしてしまう。

溺れていると、こころなしに唄っている。
ぶるぶると震えるままに
往きも還りもしない。

晴天の川面には、
ただ緑であるだけの、草花の根が
無数に流れている。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空(連作のうち)

*ル・クレジオの『物質的恍惚』より豊崎光一の訳語を引用。

 

 

 

暗譜の谷

 

萩原健次郎

 

 

DSC02139

 

カタカタ、カタカタと木と木がこすれ合う音。その木でなにか
叩く音。鈍いほど、辛くなるなあ。
人の身と木が誰かの力でぶつかれば、鈍くなる。それがカタカ
タならば、カンカンならばいいけれど、

人が棒を持ち、誰かに向かって棒を振り上げているような、姿
態が、その次の光景を想像させる、幻聴が起こる。
頭の中を、その音が散って吹きっ晒しかというと、それが隈な
く詰まっている。

木の鍵の隙間に、身を付けて。指はもう呆けて、知らぬ間に音
楽を鳴らしていても、指は、少しは天国に入り地獄に入り、た
だ夢遊しているだけだ。

ブラームスの三つ目のピアノソナタ、
踏み迷うこともないだろうが、時折、カタカタという音に混じ
り身を打つ音がする。
指が肥大して、鍵と鍵の間に挟まって抜けなくなりそうな恐怖
感もたまに感じている。
わたしの身には、シューマンやベートーベンの身(生気)も混じ
っていることを、指が説いている。急きつつ説いている。

三十六の峰、黒い台地、
五十二の峰、白い台地、
狭隘な谷に降りていく。
清き水、降る。
清き水、歯をくいしばって降る、
飛沫舞う、谷へ下降していく。

生気の音は、指や手の鍛錬で出るものではない。美しいといっ
た感じも、速射のように川に捨てていく。
死、迷うために、それが、今の生の音だから、

誰かが、ひとたび、ハミングしたとたんに、
椅子に座っている、
私の身のすべてと、細工された楽器が
巨大なハンマーで、
ズドンと叩き潰される。
さらっとした水の匂いがしてくる。

 

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空(連作のうち)

 

 

 

暗譜の谷

 

萩原健次郎

 

 

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「滑るね」
「生きてるからね」

空空生きてるんだ。体皮が、裂けて液が流れ出している。ゴム底の
靴に液がからまって、ずるっとなる。急登の坂道に、夥しい数の
何かの幼虫が、もぞもぞしている。もう、そのもぞもぞまでしな
くなっているのもいる。腰を深く屈めてその姿を眺めると、黒い
点が、点が蠢いている。黒い点は、終始動いている。細い脚も敏
感に動いている。黒蟻。生きているんだ。
空空あざやかな緑色と水色の間のような、透明な体皮が噛まれてい
る。噛んだあとは、ぬるぬるを飲むのかなあ。

「滑るね」
「生きてるからね」

空空打鍵を逸する。指が滑って、誤った鍵を打ちそうになってふい
に指の力が緩んだ。美しい旋律のそれは要となる音であるのに、
打たなかった。身体の中心の軸の、さらにその芯のどこか。松果
体、それとも頭葉といったか。身体の、脳の中に生きている植物
みたいなものが繁っている。繁る、生きものが、温かな液を踏み
つけて、足許を逸したときを思い出させた。

「関係は、生きものだらけのことだなあ」

空空か細い、フォルテピアノを演奏していたとき。それは、おんな
の身体を撫でるような、弱音(よわね)の連なりなんだが、一瞬、
ある人の背中の触感を像として結んだ。背中であったか、背中の
窪みであったか、その谷から尻にいたる線のような地勢に、滑っ
た。

空空しかたがないから、谷を眺望し、まず右足を滑らせて、それか
ら左足も滑らせて、尻を濡れた地にべったりと付けて、川面まで
一気に下降していった。

生は、右。死は、左。

その区別もつかないまま、
幼生期の虫の胎を、明きらめた。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空(連作のうち)