あれれっちゃ

 

鈴木志郎康

 
 

シロウヤスさんが、
パジャマを後ろ前に着て、
こりゃ、いいわい、
って、
ひょろひょろっと、
にわかに
立ち上がって、
部屋の中を、
杖も持たずに、
両手を翼みたく
バタバタさせて、
歩き回ってるっちゃ。
アッ、危ない、
すっ転んじまったっちゃ。
テーブルの角に、
頭をぶつけて、
床に仰向けに
すっ転んじまったっちゃ。
あら、動かないっちゃ。
動かない。
あれれっちゃ。
へへへ。
そんな、
俺っちの空想っちゃ。
歳取るって、
ねええ。

 

 

 

俺っち、三年続けで詩集を出すっすっす。

 

鈴木志郎康

 
 

俺っち、
ここに三年続けて、
詩集を出すっちゃ。
八十を過ぎても、
いっぱい
詩が書けたっちゃ。
俺っち
嬉しいっちゃ。
ウォッ、ホッホ、
ホッ、ホッ。

詩集って、
詩が印刷された
紙の束だっちゃ。
書物だっちゃ、
物だっちゃ。
物体だっちゃ。
欲望を掻き立てるっちゃ。
自分が書いた詩が
物になるっちゃ。
空気の振動が立ち昇ってくる
物体になるってっこっちゃ。
手に取ると、
グッとくる。
ヤッタアとくる。
ああ、その達成感が、
堪らないっちゃ。
ウォッ、ホッホ、
ホッ、ホッ。

この詩集ちう物体は、
人の手に渡るっちゃ。
肝心要のこっちゃ。
詩を書いたご当人が
詩人と呼ばれる、
世の中の
主人公になるってこっちゃ。
ところがどっこい、
世の中の人は、
ヒーローとは認めてくれないっちゃ。
せいぜい、
認めてくれるのは
知人か友人か家族だけっちゃ。
それでも、
いいっちゃ。
この世に、
言葉が立ち昇る、
詩集ちう物体を、
残せるっちゃ。
この世には、
物体だけが、
残るっちゃ。
ウォッ、ホッホ、
ホッホ、ホッホ。

 

 

 

俺っちの家族が皆んな笑ってたっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

焼け跡で遊んで、
腹へったあ、って、
家に帰ったら、
皆んなが、
大きな口を開けて、
笑ってたっちゃ。
ワッハッハッ、
アッハッハッ、
ハッハッハッ、
ヒョッヒョッヒョッ。
おふくろも、
親父も、
爺さんも婆さんも
兄も、
大口を開けて
笑ってるっちゃ。
おふくろは
身体を二つに折って、
笑ってるっちゃ。
何だか分からないけど、
俺っちも、
笑っちまったっちゃ。
敗戦後の、
一年経った頃のこっちゃ。
笑ってからは、
玄米を入れた一升瓶に棒を突っ込み、
棒を押し込み、
サックザックサックってね、
精米したっちゃ。
夕ご飯は、
かぼちゃ入りのすいとん、
毎日かぼちゃ、
かぼちゃ、
うんちが
黄色くなっちまったっちゃ。
アッハッハッ、
アッハッハッ。

 

 

 

俺っち、国電乗り回し遊びしたっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

戦後の、
国電がものすごく混んでて、
乗客がはみ出して、
電車の連結器の上の、
鉄板に乗っていた頃に、
俺っちら小学生の間で、
国電乗り回し遊びが、
流行っていたっちゃ。
亀戸から隣の錦糸町までのキップで、
総武線の下り千葉終点まで行って戻るって、
その間に駅名を覚えるっちゃ。
上りは中野終点まで行くっちゃ。
中野駅ホームは夕焼けだったっちゃよ。
途中の秋葉原で山手線に乗り換えて、
山手線を一周するってこともあったっちゃ。
混んでる車内で、
窓ガラスに顔を、
ぎゅっと押しつけられて、
飽かず車窓から眺めてたっちゃ。
錦糸町から歩いて帰る途中に、
覚えた駅名を暗唱するっちゃ。

俺っち、
大人がやってる、
連結器の上の鉄板に、
乗ったことがあったっちゃ。
風にあおられ、
電車が揺れるのが恐怖だっちゃ。
電車が平井を過ぎて、
荒川鉄橋に差し掛かると、
レールの下の、
ずっとずっとずっと下の、
川面のさざ波が
頭に焼きついたっちゃ。
次の新小岩に着くと、
ホームに跳び降りて、
ガクガク震える
両脚を、
抱きしめたっちゃ。

 

 

 

俺っち、ガラスの鉱脈を見つけたっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

「鉱脈があったぞお」って、
小学四年か五年の
俺っちが
叫んだかどうかは、
忘れちまったが、
敗戦後の焼け跡の
瓦礫の下には、
ガラスの鉱脈があったっちゃ。
掘れば、
ザクザクと
壊れたガラスの破片が
出てくる場所があったっちゃ。
大きなガラス戸が、
戦災の時に焼夷弾で、
焼けて倒れたところっちゃ。
俺っちら子どもは、
そのガラスの破片を掘り出して、
三丁目の小さなガラス工場に売って、
小遣い稼ぎをしてたっちゃ。
ビール瓶や酒瓶の破片は安く、
透明なガラスは高く、
クリーム瓶や花瓶の破片は
一番高く売れたっちゃ。

掘り出したガラスの破片を、
箱に選り分けて、
工場の焼け跡から見つけて来た台車に乗せて、
ガラガラって引っ張って行ったっちゃ。
三円か五円か稼いで、
駄菓子屋に行って、
空腹を満たすってこっちゃ。
駄菓子屋には、
当たりのある籤が売っていて、
「当たれっ」って、
叫んで、
ボール紙に貼りついた菓子を剥がすと、
外れで、
がっかり、
外ればかりだっちゃ。
絶対に当ててやるって
俺っち、
ガラス屑を売ったゼニをはたいて、
その当たり籤をボール紙ごと、
買っちまったのさ。
そうして、
一人で、
外れも、
当たりも、
ひとつひとつ、
剥がして行ったっちゃ。
当たりが出ても、
景品を貰っても、
嬉しくもなく、
ちーっとも、
面白くなかったっちゃ。

 

 

 

俺っち、おっさんの後ろ姿が忘れませんっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

敗戦直後のころだっちゃ。
小学生の俺っち、
でっかい工場の脇の、
学校の帰り道で、
目の前に落ちてた札束を
拾ったっちゃ。
と、
前を見ると、自転車に乗った
おっさんいたっちゃ。
「おじさん、落し物だよ」って、
そのおっさんに
札束を渡しちゃったのさ。
札束を持って、
おっさんはさっと行っちまったっちゃ。
家に帰って、
兄に話したら、
そのおっさんの札束か
分かんねえじゃねえか
って言われて、
俺っち、がっくりしたっちゃ。
それが七十年余り経っても忘れられませんっちゃ。
亀戸八丁目の国鉄の踏切を越えて、
行っちまったおっさんの
後ろ姿が忘れませんっちゃ。
ふと、思い出すっちゃ。

 

 

 

改稿 俺っち日本人だっちゃ。

 

鈴木志郎康

 

 

俺っち
国賊になれっちか。
そりゃ、無理だ。
ワーッテンドロン、
ワーッテンドロン。

俺っちは。
日頃、
日本語で生活してるんで、
母の言葉を覚えた時から、
話すのも読むのも、
頭の中は、
日本語。
英語もフランス語も
学校で習ったけど使えない。
もっぱら、
日本語。
日本語って意識もせずに、
日本語っちゃ。
俺っちは
日本人という自覚はあるっちゃ。
でもね。
俺っちの、
日本国民って自覚となると、
どうも、踏ん張れないっちゃ。
オリンピックで日本の選手が金メダル取ると、
ちょと嬉しい気になっちまうってとこ、
関係ないとも言えないし、
そこがあやしいっちゃ。
日本国が戦争したら、
敵に向かって、
一致団結なんて御免だっちゃ。
嫌だっちゃ。
俺っちの人生には、
日本国民って自覚するシーンが、
なかったのよ。
子どもの頃に、
小国民とされたことはあったけど、
そこにわだかまってるんかな。
外国に行ったこともないから、
国籍を問われるなかったっちゃ。
まったく無自覚に、
日本の国土に住み、
税金を納め、選挙で投票して、
生きて来てしまったっちゃ。

ですね。
俺っちは、
日本国民。
税金を納め、
年金で生活してる。

ところが、
2016年8月午後3時
今の天皇の
「ビデオメッセージ」が
NHKのテレビで
公表されたっちゃ。
高校野球の甲子園中継を見てた
俺っちは、
それを見てしまったっちゃ。
天皇は、
国民、国民って言ってるっちゃ。
天皇の象徴の務めが
果たせなくなりそうだから、
「生前退位」をしたいということらしいっちゃ。

「天皇としての大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。」
被災地で膝ついて人びとと話す姿を思いだすっちゃ。
「既に八十歳を超え、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」
「これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを、切に願っています。」(注)
これ、
天皇が語った言葉だっちゃ。
日本語で語られた言葉だっちゃ。
普段は忘れてる、
直接目にしたことない、
天皇がテレビから、
こちらを見てたっちゃ。

日本国憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。

ってことのね、
生活の中で実感が
俺っちには、
ピンとこないっちゃ。
統合されちゃっているって、
俺っちの意志を超えて、
一つにされちまってるってことっちゃ。
ああ、
それが日本国民ってこっちゃ。
憲法にある「象徴」の意味が、
俺っちには、
よくわからなかったが、
「ビデメッセージ」によれば、
「象徴の務め」って、
「国民を思い」
「国民のために祈る」
「国民と共に」
「国民の理解を得る」
一人の人間が、
年老いるまで
これをやって来たってことだっちゃ。
俺っち、
そんなこと、
思ったことも、
考えてみたことも、
なかったっちゃ。

天皇って、
ずぅっと、
居るんだっちゃ。
俺っちらの見えない所で
剣と璽と八咫鏡の
三種の神器を継承した
生きてる人なんだっちゃ。
国体が維持されるっちゃ。
内閣を承認し、
国会を開会し、
文化勲章を授与し、
なんて、
国家的権力と
国家的権威の
ピラミッドを
がっちりと
支えてるってこっちゃ。
この国で、
八十年余りも、
俺っち、
生きて来たっちゃ。
ワーッテンドロンっちゃ。
ワーッテンドロンっちゃ。

 

(注)朝日新聞2016年8月9日朝刊。

 

 

 

関東大震災後のモノクロームがじわーっと来たね。

 

鈴木志郎康

 

 

俺っち、戸田桂太の
『東京モノクローム 戸田達雄・マヴォの頃』を、
詩に書き換えつつ、
じっくりと、
読み返してしまったっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。
読み終わって、
詩に書いて、
じわーっと来たね。
長い詩になっちまったっちゃ。
東京モノクローム、
モノクローム、
関東大震災の後に、
マヴォイストたちなどの、
多く人と交わって、
自分の表現と生活を獲得して行く、
若い男タツオの姿が見えてくるっちゃ。
東京モノクローム、
モノクローム、

わたしの親友の
戸田桂太さんよ、
おめでとうです。
息子が書いたこの一冊で甦えった
今は亡き父親の戸田達雄さん
おめでとうです。

一九二三年九月一日
午前十一時五十九分から
三回の激震があったっちゃ。
関東大震災だっちゃ。
十九歳だった
戸田達雄さんは、
丸の内ビルヂングの
ライオン歯磨ショールームの地下の仕事場で、
切り出しナイフを砥石で研いでいたっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラ。
あわてて地下から一階へ外へ逃げたというこっちゃ。
その若者を「タツオ」と名付けて、
桂太は青年時代の父親を
一冊の本に蘇らせたっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。

激震の直後に、
タツオは上司の指示で、
同僚の女の子を、
向島の先の自宅まで送り届けることになるのだっちゃ。
地震直後の、
炎を上げて燃え上がる街中を、
タツオと女の子は、
何処をどう歩いて行ったのか。
ギイグワギーッ、
グワグワ。
そこで、ドキュメンタリストの
戸田桂太が力を発揮するんざんすね。
東京市役所編『東京震災録 別輯』なんてのによって、
時間を追って燃え盛る街の中を
逃げ行く二人の足取りを蘇させたっちゃ。
タツオが生きた身体で活字の中に現れたっちゃ。
俺っち、タツオと親しくなってしまったよ。
ガラガラポッチャ。

東京の街中を、
走り抜けるタツオ。
勤め先の若い女性を
丸ノ内から向島の
彼女の家族のもとに送り届けるために、
燃え広がる
東京の街を、
若い女性とともに、
走り抜けるタツオ。
ギイグワギーッ、
グワグワ。
膨大な震災記録を
縫い合わせて、
崩れた街の
日本橋から浅草橋へ、
更に、火の手を避け、
ギリギリのタイミングで、
吾妻橋で墨田川を渡って、
言問団子の先の堤で、
拡がってくる火におわれ、
猛火と熱風に煽られながら、
墨田川河畔を通り抜けて、
ギイグワギーッ、
グワグワ。
女の子を、
向島の奥の両親の元に届けたのだっちゃ。
ガラガラポッチャ。
タツオの足跡を
蘇らせた息子の桂太。
その夜は線路の上で、
尻取り歌を歌う老婆と過ごしたってこっちゃ。
ガラガラポッチャ、
超現実的な不思議な夜っちゃ。
直後の燻る焼け野を駆け抜ける身体で得た体験が、
父親の創造力の原点になってるってこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
死者行方不明者が十万五千人超の関東大震災、
ガラガラポッチャ。
大震災を経験した
タツオがその後どう生きたかが
問題なんだ。
ガラガラポッチャ。
父親の人生を縦軸に、
東京の時代を語る
『東京モノクローム』が始まるんですね。
モノクローム、
モノクローム、
東京モノクローム。

大震災の年は、
前衛美術運動が沸騰した年でもあったってことだっちゃ。
タツオは五月の村山知義の展覧会で、
木切れ、布切れ、つぶれたブリキ缶などなどが縦横に組み込まれた作品を見て、
〈胸の奥底を揺すぶられるほど〉に、
仰天したってこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
その村山知義、尾形亀之助らによって、
先端的な芸術運動の
「マヴォ」が六月二十日に結成されてたってこっちゃ。
そして、七月の「マヴォ第一回展」を見て、
村山知義の
〈「鬼気迫る」ような感じの盛られた作品に魅せられた〉
タツオの心はときめいたに違いないっちゃ。
そして知り合った尾形亀之助の魅力の虜になってしまうのだっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。
マヴォ同人たちは
二科展に落選した沢山の作品を数台の車に積んで移動展覧会をやろうとしたが、
警官に阻止されてしまったってこっちゃ、
各新聞に掲載されて「マヴォ」の名は一躍世間に知られたってこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
これが八月二十八日で、四日後の
九月一日に関東大震災が起こったのだっちゃ。
先端的芸術家たちの運動はどうなっちまうんだってこっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。

面白いねえ、
戸田桂太さん。
大震災と芸術運動と重なったところに注目してるんだねえ。
「マヴォ」同人たちの心の変化、
そして我が主人公タツオの心の変化。
震災後、タツオは、
ライオン歯磨を辞めさせられることになった
同僚の故郷の北海道に一ヶ月の休暇を取って旅行する。
上司から三十円の餞別をもらったっちゃ。
東京モノクロームの焼け野原を頭に抱えて、
そこで絵を描いたってこっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。
十二月に東京に戻り、
〈丸ビルのウガイ室の壁〉で、
北海道で描いた小品の展覧会をしたのだったっちゃ。
翌年、タツオはライオン歯磨を辞めちまう。
画家として、表現者として自立したというこっちゃ。
食うや食わずの貧乏になるってこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
タツオ、二十歳、
「マヴォ」に加盟して一番若いメンバーとなったのだっちゃ。
そして二、三ヶ月後の一九二四年の四月に、
タツオの郷里の前橋で「マヴォ展」が開かれて、
そこに萩原朔太郎が見に来たっちゃ。
ガラガラポッチャ。
展覧会終了後に「合作モニュメント作品」を進呈して、
朔太郎に喜ばれたというこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
タツオが勤めていた
「ライオン歯磨宣伝部」の
敬愛する先輩の大手拓次から
萩原朔太郎の『月に吠える』の初版本を借りて、
その初版本を読んだっちゃ。
『月に吠える』の初版本、
ガラガラポッチャ。
『月に吠える』の初版本を
タツオは手にしたってこっちゃ。
〈首ったけに魅了されてしまい〉
何年も返さなかったというこっちゃ。
タツオは朔太郎に会えて嬉しかったに違いないっちゃ。
それはそうと、
子供向け絵雑誌の画料で暮らす
タツオの貧乏は壮絶なものだったってことだっちゃ。
ところがマヴォイストたちは、
自分たちの作品で収入を得ようと、
「マヴォ建築部」を作って、
バラックや店を黒山の見物人の前で、
歌を歌いながらペンキで塗って行ったというこっちゃ。
タツオは風呂屋の富士山のペンキ絵も描いたってこっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。

「マヴォ」とは縁が切れた
尾形亀之助を、
タツオは「亀さん」と呼んで
この不思議な魅力がある人物のとりこになっていたってこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
〈美青年でお金持で、たいそうおしゃれで、
ネクタイをたくさん持っていて、
飯を食わせてくれて、絵の具を使わせてくれる、
そして、高価なものを行き当たりバッタリで買ってしまう〉
尾形亀之助は、
銀座でばったり会ったタツオを誘って、
二等車で上諏訪まで行ったっちゃ。
そこでただピンポンする、酒を飲むだけだったといこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
無為を楽しむ亀之助さんか。
「オレもう東京に帰りたくなっちゃった」と
二十一歳のタツオは一人で汽車賃をもらって帰ったというこっちゃ。
タツオは亀之助とは違う人生を生きるってこっちゃ。
ガラガラポッチャ。

そして、タツオは、
東京では「マヴォ展」などに作品を発表して、
表現者として活躍を始めたのだっちゃ。
その時に、
タツオが玄関を間借りして寝起きしてた
同郷の親しい萩原恭次郎が、
震災の体験を踏まえた、
東京のダイナミズムに立ち向った、
図版や写真を使った構成物としての
衝撃的な詩集『死刑宣告』が出版されたっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。
そこにタツオたちマヴォイストの、
リノカット版画が挿絵に使われてるってこっちゃ。
タツオはもはや尖鋭的な表現者になったのだっちゃ。
ガラガラポッチャ。
版画は震災体験に触発された白黒のモノクローム、
それが「東京モノクローム」、
モノクローム。
尾形亀之助は尾形亀之助で、
詩や絵画などの芸術表現を作家の収入に結びつけようと、
雑誌『月曜』を編集発行したってこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
島崎藤村や室生犀星などの大家が寄稿し、
宮沢賢治が「オッぺルと象」を発表し、
タツオも寄稿したりしたが、
資金回収もできずに失敗に終わってしまったってこっちゃよ。
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。

その後、タツオは
薬局のショーウィンドウの飾り付けの仕事に精を出して、
仲間とともに、
広告図案社「オリオン社」つくることになったってこっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。
宣伝美術の仕事は時代の最先端を行く仕事だったっていうこっちゃ。
美術家集団の「マヴォ」は、
風刺漫画を描いたりする社会的思想的行動派と、
ショーウィンドウを飾る商業主義に直結した街頭進出傾向との、
二つの流れを作ったってこっちゃ。
ガラガラポッチャ。
大震災から二年余りで設立した「オリオン社」は、
時代の流れに乗って、どんどん成長して行き、
東京のど真ん中、銀座に事務所を構えて、
十年後には、株式会社となっちゃって、
タツオは戸田達雄専務取締役になるのだっちゃ。
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。
尾形亀之助とはどうなったか。
少し羽振り良くなったタツオが、
趣味の銃猟で撃つたツグミなどの小鳥を持って、
久しぶりにそれで一杯やろうって、
亀之助を訪ねると、
雨戸を閉めた真っ暗な部屋で、
〈亀さんは一升壜の酒を手で差し上げ、雨戸の節穴から差し込む細い太陽光線をその壜に受けて「ホタルだ、ホタルだ」と歓声をあげてはラッパ飲みをし、次々とラッパ飲みをさせているところだった。〉
タツオは、
〈これはいけない、別世界へ迷い込んでしまったと思って、すぐに外へ出た。そして逃げるようにその家を後にして歩き出した。〉
ガラガラ、
ガラガラポッチャ。
それ以来、タツオは尾形亀之助に会っていない。
東京モノクローム、
モノクローム。
関東大震災から八十八年後に東日本大震災が起こったっちゃ。
戸田桂太は、
〈そこに生きた個人の気分にふれたいという思いを懐いただけ〉というこっちゃ。
ガラガラ
ガラガラポッチャ

タツオは、
震災後の若い芸術家たちの中で、
生きるための道を探り歩いて行ったんですね。
息子の戸田桂太は
その青年の父親を、
見事に蘇らせた。
親友のわたしは嬉しいです。
ラン、ララン。

ところで、
俺っちの親父さんは
若い頃、何してたんだろ。
戦災で辺りが燃えて来たとき、
親父から、
「何も持つな、
身一つでも逃げろ」って、
言われたっちゃ。
ああ、あれが、
親父の大震災の体験だっちゃ。
ガラガラポッチャ。
聞いた話って言えば、
若い頃、下町の亀戸で
鉢植えの花を育てて、
大八車に乗せて、
東京の山の手に
売りに行って、
下りの坂道で、
車が止まらなくなってしまって、
困った困ったって、
話していましたね。
大八車に押されて、
すっ飛ぶように走ってる
若い親父さん。
いいねえ。
ラン、ララン。

 

(注)本文中には、戸田桂太著『東京モノクローム 戸田達雄.・マヴォの頃』2016年文生書院刊からの多数の引用があります。〈〉内は本文そのままの引用。

 

 

 

昨年六月の詩「雑草詩って、俺っちの感想」を書き換える。

 

鈴木志郎康

 
 

俺っち、
自分が去年の六月に書いた詩を、
書き換えたっちゃ。
書いた詩を書き換えるっちゃ、
初めてのこっちゃ。
雑草詩って比喩の
使い方が
気に入らないっちゃ。
印刷された縦書き詩行を、
こりゃ、
雑草だっちゃってね、
決めつけて、
ひとりで盛り上がったのが、
去年のことだっちゃ。
それが失敗だっちゃ。

去年出した新詩集の
「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は」の
校正刷りがどさっと届いたっちゃ。
紙の束を開いて、
横に書かいた詩が、
ぜーんぶ、
縦に印刷されてるじゃん。
当たり前っちゃ。

Webの「浜風文庫」に発表した時には、
横書きっちゃ。
詩集にすると、
縦書きっちゃ。
紙の上に、
縦に印刷されてきた
校正刷りを、
二回読んだ感想なん、
日頃のことが書かれた
詩の行が縦に並んでるじゃん、
雑草が、
ひょろひょろ、
ひょろひょろ、
って、生えてる。
こりゃ、
雑草が生えてるん、
ページをめくると、
また、雑草、
また、雑草、
抜いても抜いても生えてくる
雑草じゃん。
俺っちが書く詩は、
雑草詩じゃん。
と、まあ、
俺っちは
盛り上がってしまったっちゃ。
これがまず失敗だっちゃ。
雑草の比喩に、
引っかかっちまったってこっちゃ。

俺っちは、
雑草って呼ばれる草の
ひとつひとつの名前を
ろくに知らないっちゃ。
いい気なもんだっちゃ。
今年になって、
木村迪夫さんの詩を読んだら、
その名前が
ちゃんと書いてあったっちゃ。
蓬、茅萱、薊、芝草、藺草、蒲公英、
びっき草、へびすかな、どんでんがら、ぎしぎしー
見たことない草もあるけど、
俺っちも、子ども頃に、
蓬を摘んで、
草餅食ったこともあったっちゃ。
詩の一行一行も、
書かれた言葉は、
それぞれ違った姿で立ってるんじゃ。
一緒くたにするな、
馬鹿野郎、
俺っちって馬鹿だね。
無名の、
雑草って一絡げしちまってさ。
道端に繁茂する
雑草のイメージに酔っちまってさ。

雑草を、
無用な草、
価値のない草、
その比喩に、
俺っち自身の詩の言葉を乗せちまって、
でも、
生命力が強い存在って、
ことで、
自身の詩を持ちあげちまってね。
この思いつきは、
俺っちにして、すすっ素晴らしいぜ。
なんてね、
盛り上がっちゃったってのが、
またまた、
失敗だっちゃ。
踏まれても、
引き抜かれても、
生えてくる
雑草。
貶されても、
無視されても、
どんどん、
どんどん、
書かれる
雑草詩。
いいじゃん、
じゃん、じゃん
ぽん。
って、
いい気なものでしたってこっちゃ。

雑草って比喩は、
有用な栽培植物に向きあってるってこっちゃ。
有用が片方にあるってこっちゃ。
有用な詩ってなんじゃい。、
評価される詩か、
ケッ、
評価の土俵ってか、
アクチュアルのグランドってか、
まあ、そこから、
なかなか身を引けないねえ。
そんで、もって、
雑草詩って盛り上がっちゃったってわけさ。
俺っち、
雑草詩を書き続けるっちゃ。
無用の詩を書き続けるっちゃ。
格好悪い詩を書き続けるっちゃ。
格好悪いが格好いいっちゃ。
俺っちの
ひとりよがりのヒロイズムじゃん、
いいじゃん、
じゃん、
ぽん。
じやん、
ぽん。

そこでちょっと、
詩を書くって、
ひとりで書くってこっちゃ。
ひとりよがりになりがちだっちゃ。
でもね、
誰かが読んでくれると、
嬉しいじゃん。
共感が欲しいじゃん。
読んだら、
話そうじゃん、
話そうじゃん。
じゃん、
じゃん、
ぽん。

 

昨年の6月に書いて発表した「雑草詩って、俺っちの感想なん」

 

 

 

続続とがりんぼう、ウフフっちゃ。

 

鈴木志郎康

 
 

とがりんぼう、
逃げちまった
とがりんぼう、
って、唱えて、
朝食のトーストを食べて、
朝日新聞を読んでたら、
八十八歳の数学者の
佐藤幹夫さんが弟子たちに言い伝えた言葉が出ていたっちゃ。
「朝起きた時にきょうも一日数学をやるぞと思っているようでは、ものにならない。数学を考えながらいつの間にか眠り、目覚めた時にはすでに数学の世界に入っていないといけない」(注)
ってね。
すげえ没頭に集中だっちゃ。
きっと、弟子だちは、
ご飯食べてる最中にももちろん数学、
うんこしてる最中にももちろん数学。
これだ、これだとばかり、
早速、俺っち、
この言葉をもらったっちゃ。
「朝起きた時にきょうも一日とがりんぼうをひっ捕まえて詩を書くぞと思っているようでは、ものにならない。とがりんぼうを尖らせ詩を考えながらいつの間にか眠り、目覚めた時にはすでに詩の世界に入っていないといけない」
ってね。
これぞ、
とがりんぼうを
確実に尖らせるやり方だっちゃ。
さあ、摑まえるぞ。
さあ、尖らせるぞ。
さあ、詩を書くぞ。
とがりんぼう、
とがりんぼう、
ウフフ、
ウフフっちゃ。

ものにならない、
ものになる、
ものにならない、
ものになる。

ものになる
数学って、
なんじゃい。
人類の数学史に残る公理の発見っちゃ。
とがりんぼうを
掴まえて、
尖らせ、
ものになる
詩って、
なんじゃ。
人類の詩の歴史に傑作を残すってことかいなあああ。
ケッ、アホ臭。
俺っちが、
とがりんぼうの
尖った先で、
言葉を書くと、
その瞬間、
火花散って、
パッと燃え尽き、
灰になっちゃうってこっちゃ。
そこに、
新しい時間が開くっちゃ。
嬉しいって、
素晴らしいって、
ウフフ、
ウフフっちゃ。

まあ、
仮に、此処に、
八十二になる老人が居てねっちゃ、
とがりんぼうを、
尖らせろ、尖らせろ、
つるつるつるーんを、
引っぱがせ、引っぱがせ、
ってね、四六時中、
食事しながら、
うんこしながら、
とがりんぼうを
追いかけてるっちゃ。
でもね、飴舐め舐めテレビ見ちゃう。
つい、飴舐めちゃう。
口が甘あくて幸せだっちゃ。
そこでね、
とがりんぼうに逃げられちゃうってわけさ。
それでも、
とがりんぼうを、
追い回してて、
詩が、
ものになるかどうか。
遠いところで頭を掠め、
やがて、此処に、
不在がやって来るっちゃ。
本当、世の合理は酷しいってこっちゃ。
つるつるつるーん、
ツルリンボー。

 
 

(注)朝日新聞2017年4月9日朝刊。
佐藤幹夫(88)・ノーベル賞と並ぶとされるウルフ賞受賞、京都大学名誉教授、京都大学数理解析研究所元所長が弟子に伝え、語り継がれる言葉とある。