じっとする力

 

辻 和人

 
 

じっとじっと
じっとしている
頭を伏せた姿のレドだ
大怪我で排尿障害になり病院で尿を取ってもらっていたレド
なんと
母から電話があって
数日前から自宅でカテーテルでの排尿ができるようになったという
今まで何度も失敗していたが
「拡大鏡のメガネをかけてみたら、すごいのよ、するっと入るようになったのよ」
すごい、すごいよ
ぼくもやってみたい
土曜日に実家にすっ飛んで
でもって今からやる
おかあさん、ご指導お願いします
テーブルの上を片付けてレドを座らせる
おとなしくうずくまるレド
目を半分くらい細くしてじっと真正面を見つめている
自分が何をされるか
悟りきった表情だ
排尿は2人がかり
まず念入りに両手を消毒
父が左手で首を押さえ右手でペニスの位置を探す
小さな小さな包皮をゆっくり剥いていくと
ちゅいっ
小さな小さなペニスが飛び出る
うわぁー、うまいなぁ
熟練工みたいだよ
87歳にして覚えた手技
「はい、それじゃ拡大鏡かけて、穴見えるでしょ?」
ほんとだ
きれいなピンク色だ
潤滑ゼリーを塗ったカテーテルを近づける
「怖がらないでそのまま落ち着いてきゅっと入れちゃって」
きゅっ
入った
一発で入ったよ
すごい、すごいよ
動物病院で何度やってもうまくいかなかったのに
レドはびくっと体をひねるような仕草をしたけどすぐに前を向き直る
じっと
じっとしている
「はい、入った。今度はゆっくりカテーテル押し込むの。
尿道はまっすぐじゃないから入らなくなったら一旦止めて、
少し引いてまた押し込んでいけば大丈夫。あせらないあせらない」
って言われてもねえ
2センチくらい押し込むとすぐ止まっちゃう
あせるよ
あせる、あせる
「少し引いてゼリー足して。まあ、だいたい15分くらいはかかるから気長にね」
お母さん
その気長ってのが難しいんだけど
レドが白い足を軽くバタバタ
すかさず父が白地に黒い斑の入った頭撫で撫で
レド
じっとなった
じっと
すごい、すごいよ
すごい力だ
じっとする力
レドはわかってる
何をされてるかわかってる
自分に必要なことだってわかってる
動きたくなるのにその動きを自ら止める
じっとじっと
動きに対する
更に大きい「反・動き」だ
レドが「反・動き」の力を必死で出してくれてるから
のろのろとではあるが作業が進む
じっとじっと
あ、入ったぞ
するするする
3.5センチくらい一気に入った
「はい、線のところまで入ったからもう大丈夫。
今度はゆっくり尿を抜いていくよ。結構力いるからね、ゆっくりね」
カテーテルに注射器を取り付けてゆっくりピストンを引いていく
黄色い液体がカテーテルをつたって流れ始めた
レドはもう微動だにしない
ピストンを引いてから尿が流れるまで少し時間がかかる
それまで引いたままの状態を維持しなければならない
ほんとだ、力がいる
じっとする力だ
レドもぼくも
じっとする力で頑張る
注射器がいっぱいになったら盥の中に流してもう1回
じっとする
じっとじっと、じっとじっと
腕が痺れてきた頃
あ、最後の一滴か
もうピストンを引いても尿は流れない
「はい、お疲れ様。39CC。
ちょっと少ないけど朝は45CC取れたから今日1日としては十分ね。
こういうの、朝晩毎日やってるのよ。
大変だけど少し慣れてきたかな」
ありがとう、ありがとう
お母さんの助言がなかったらお手上げだったところですよ
お父さんのペニスを飛び出させる手際も見事だった
高齢の父母がここまでやれるとは
ほんと、頭が下がります
でも
一番頑張ったのはやっぱりレド
じっとじっと
じっとして
「反・動き」を全開させてくれた
すごい、すごいよ
父から撫で撫でされた後
解放されたレドは自力でひょいとテーブルから降りて
ピョタッ、ピョコタ
ソファーに這い上がると何事もなかったかのように悠々毛づくろい
尿を取ってもらってスッキリしたろう
ファミも冷蔵庫の上から降りてきて
「大丈夫か」とでも言うかのようにレドに近づいて耳の匂いを嗅ぐ
じっとじっと
じっとする力
まじまじ見せてもらったよ
すごい、すごい力だよ

 

 

 

キッチンのオバケ

 

辻 和人

 
 

出た、出た
微かに首を垂れて垂直にすっと
薄暗い中
丸い小さな3つの光源にぼおっと照らされて
出た
早朝
トイレに行こうと階段を降りると
キッチンに佇む影
ミヤミヤに似た背丈
目玉焼きの乗った丸い皿を左手で支え
右手にトースト
傍にミルクの入ったカップ
口をもぐもぐ動かしながら
細い首がゆっくり回る
髪がばさっと揺れた
目玉焼きの目玉に捕まるぞ
「あら、起きちゃったの? あたし、今日いつもより早く出勤するから。
時間ないんで食器の片づけと戸締りよろしくね」
おおっ、ぼくがいない時は立って済ませるんだ
ぼくがいるからテーブルを明るくして食べながら話したり笑ったりするんだ
いつものミヤミヤなんだ
でもっていない時は
3つの光源にぼおっと照らされた
キッチンのオバケになるんだ
垂直にすっと
出た、出た

 

 

 

ケモノの道理

 

辻 和人

 
 

憎悪の顔だ
憎悪の声だ

シャーッ

吹っ飛ぶ
吹っ飛ぶ
熱いぞ

シャーッ

レドが3日間の検査入院から帰ってくるのでお迎えに行く
キャリーからそろーりそろーり這い出たレド
ピョタッ、ピョコタ、歩き出す
冷蔵庫の上で半身を起こしたファミ
するするっと降りてきた
再会の挨拶でもするかと思ったら
シャーッ
おおっ、何て怖い顔だ
憎悪
憎悪
おっきく開いた口から牙剥き出し
逆八の字の目は刺さってくる程鋭い

吹っ飛ぶ
吹っ飛ぶ
熱いぞ

あーあー
たった3日離れてただけなのに

目をシパシパさせたレド
そろーりそろーり後ずさりしながら方向転換
日陰の椅子の上にちょこん
頭を伏せ丸まった
かっと睨みつけたファミ
しかしそれ以上追いかけることはしない
タタタッと冷蔵庫の上に昇る
お昼寝の続きだ
ふぅー
ひとまず平和は戻ったよ

実はさ
レドが初めてこの家に来た時もファミは威嚇したんだよ
こんなもんじゃなかった
ファミは執拗にレドを追いかけ回した
どこまでもどこまでも
それ、壺の後ろ
シャーッ
それ、掛け軸の裏
シャーッ
それ、ピアノの上
ヒゲが針金みたいに伸びきって
真っ白な牙と真っ赤な舌が開ききって
鋭い爪が尖りきって
シャーッ
憎悪の顔
憎悪の顔
怯え切ったレド
さささっ
さささっ
背中をつぼめ、だけど手足をしならせて
次の逃げ場所
またその次の逃げ場所
それでもファミは決して許さない
とうとう玄関の床の狭ぁーい隙間に籠城してしまったよ
対面大失敗
仲良くさせるのをあきらめて
ファミを居間に移し
夜中になってようやく出てきたレドを2階の小部屋に住まわせて
2カ月かけて馴れさせたんだ
ふぅー

元々ファミとレドは兄弟
祐天寺のアパートでかまってた頃は毎日一緒に遊んでた
でもレドがこの家にやって来たのはファミの半年後
この家はすっかりファミのものになってて
毎日隅から隅までパトロール
でもって
レドのことはすっかり忘れ果てて
見知らぬ白い奴が縄張りに侵入してきたって
思ったんだろうね
2カ月の間にレドはファミの耳の後ろを舐め舐めして
ご機嫌を取ることを覚えた
まあ、居させてやってもいいか
但し私の方が上
先に来たんだから
時々、擦れ違いざまに鼻づらを猫パンチされても
レドは悲しそうに縮こまるだけで抵抗しない
かくして
ファミとレドは並んで日向ぼっこするほどにもなった
なのに、たった3日

憎悪の顔だ
憎悪の声だ

シャーッ

吹っ飛ぶ
吹っ飛ぶ
熱いぞ

シャーッ

ああ、ファミ
お前はやっぱりケモノなんだね
チクショウなんだね
怪我した仲間が帰ってきたっていうのに
自分の方が上、自分の方が先に来た、この家は自分のもの
侵入してきた奴は
シャーッ
憎悪の顔だ
憎悪の声だ
服従させなきゃ気が済まない
同情なんてどうでもいい
心配なんてどうでもいい
熱く、熱く
吹っ飛ばしてやる

それでも今日のレドは
怖そうな表情こそするけれど
かつてのように隙間に籠ったりはしない
椅子の上で次第にリラックス
毛づくろいしてノビをして
後足に頭を乗っけてうつらうつら
やっぱり家はいいねえ
病院とは違うねえ
知ってる椅子っていいねえ
飼い主さんがいるっていいねえ
ファミちゃんだって、気が立ってるけど
まあ、いいねえ、いいねえ
ファミも昔みたいに追い回すってことまではしない
自分の方がエラいんだっわかってくれたみたいだし
許してやるか
冷蔵庫の上で、時々細目を開けては
椅子の上のレドを見やって
また目をつむる

たった3日間
されど3日間

2匹の権力関係を確認するのに役立った
ファミは許した
レドは受け入れた
憎悪の顔、憎悪の声は
だんだん遠くなっていく
さあて、もうお昼だしそろそろご飯の準備でもするか
猫缶は2匹平等に盛ってやろう
まだ仲良くってところまでいかないかもしれないけど
とりあえず並んで食欲を満たそうよ
とりあえず互いの匂いを嗅ぎ合おうよ
ケモノって、チクショウって
難しいねえ

 

 

 

さとう三千魚詩集『貨幣について』を読んで

 

辻 和人

 
 

さとう三千魚さんの新詩集のタイトルは『貨幣について』である。前の詩集が『浜辺にて』という淡々としたものだったので、論文かと誤解させるような観念的なタイトルにはぎょっとさせられてしまう。

このタイトルの秘密は「あとがき」で明かされる。「この詩集の詩は、私の友人で画家の桑原正彦から提示された桑原正彦のエスキースに触発され、二〇一六年一〇月一五日に書き始めて私が運営するWEBサイト『浜風文庫』に連載し、二〇一七年七月八日に完結したものを詩集としてまとまたものです」「桑原正彦から提示されたエスキースの主題は『貨幣』なのでした」「貨幣は私たち人間が生み出した強力な物語なのだと思います」「貨幣は私たち人間が生み出したものであるのに私たちを支配しているように思われます」。

本詩集の外見は白い紙にタイトルと著者名だけを入れたシンプルなものだが、中を開くと、本文の前に数ページにわたって桑原正彦の絵が挿入されている。実はとても贅沢な造りの本なのである。前詩集『浜辺にて』は、移動の最中の何気ない光景を描くことに主眼が置かれていた。スナップショットのように切り取られたそれら「何気なさ」の集積は、人がただ生きている時間があったという事実を端的に伝えるが故に、読者に生きている時間の「かけがえのなさ」を意識させるものだった。今回の詩集は、思い切ったテーマ設定により、生活の中から、「何気なく、かけがえのないもの」に対立する概念を抽出する狙いがあるようだ。

詩集は見開きで完結する40編から成っている。「01」を全編引用してみよう。

 

空白空どこから
空白空はじめるべきか

空白空知らない

空白空どこで終わるべきか
空白空知らない

空白空何処にいるの

空白空きみは
空白空どの部屋にいるの

空白空すべてのものが売れるようになり
空白空すべてのものが買えるようになる

空白空きみの

 

何が始まったり終わったりするのか、「きみ」とは誰か、すべてのものが売れたり買えたりする事態とはどういうことか。肝心なところが省略されており、読者は謎めいた、思わせぶりな問いかけを受け取ることになる。文意を曖昧にするこうした省略や飛躍は詩集のところどころに出てくる。正体はわからないけれど、何かしら薄黒い不気味なものが暮らしの中を横切っているな、と感じさせる。普段は意識されないが、生活の隅々まで支配している貨幣という存在に対する不安感を語っているようでもある。

「03」は、「フラワードリーム」とか「ヘヴンリーピーチ」といった、カタカナの名詞が並んだ後、唐突に、

 

空白空きみは、

空白空すぐにさびついてしまう金属のかけらであったり
空白空いまにも破れそうな紙切れだったり

 

という詩句で締めくくられる。最後の2行は岩井克人著『貨幣論』からの引用であるそうだ。カタカナの名詞は商業空間を象徴するものだ。購買意欲をそそる夢のようなモノたちが、物体としては夢の欠片もないような金属(=硬貨)や紙切れ(=紙幣)と交換されることのギャップを描いているのだろう。

金銭取引について象徴的に描くのでなく、具体的なモノの値段を記した詩も幾つかある。

 

空白空かめやで
空白空冷やし天玉蕎麦を食べた

空白空四百二十円だった
空白空白空白空白空白(「05」より)

空白空それから浅草水口で荒井真一くんと飲んだ
空白空二人で五六〇〇円
空白空白空白空白空白(「09」より)

空白空枝のこだ割唐辛子 一五〇円
空白空うす皮付落花生 一九八円
空白空亀甲宮焼酎金宮 六一八円
空白空白空白空白空白(「12」より)

 

短い一編一編の中で、具体的な数字が記されるとインパクトがある。飲食に関わるものが多いが、生命を維持したり大切な人との交流を深めるといった行為と、支払いという行為は、本質からすれば別々のことであるが、商業空間の中では「対価」という名前で、等しいものとして強引に結びつけられてしまう。おいしい食べ物を前に親しい人と談笑することがどうして「すぐにさびついてしまう金属のかけら」や「いまにも破れそうな紙切れ」と同じなのか。改めて考えると、不思議というか不気味な感じさえしてくるではないか。

お金が関わらないケースを描いた詩もある。「14」は、東京駅のホームで、後ろに並んでいた「猫を籠に入れた婦人」とのひとときを描いた詩。

 

空白空覗き込むと
空白空猫がひとりいた

 

まず、一匹でなく「ひとり」と書くところに、単純に数値に置き換えないぞ、と生き物の命の重さに対する配慮が見られる。そして次のような最終行。

 

空白空婦人は七糯子という煎餅をくれた

 

無償で菓子が手渡される。この一行だけを見ると何ということはないが、値段の数字の羅列の後に目にすると、無償で手渡すという行為が、いかに人間の情愛の本質に根差したものであるかがわかる。

「17」では更に踏み込んだ見解が示される。日曜日に海辺を歩いた

 

空白空磯ヒヨドリは弾丸のように飛ぶ
空白空カモメは群れて遊ぶように飛んでいる

空白空彼らは貨幣を持たない
空白空彼らは貨幣を持たない

 

言語を持たない動物には、貨幣を介したつきあいという考えがない。作者は鳥たちの行動の直截性に打たれる。「彼らは貨幣を持たない」のリフレインは、作者が貨幣に縛られない彼らの自由な飛翔を歌のように感じていることを示している。

「貨幣も/焦げるんだろう」で始まる「19」は、新幹線に乗りながら、ふと貨幣を燃やすことを思いつくという詩。

 

空白空駅のホームで
空白空過ぎていく貨物列車を見ていた

空白空貨幣は
空白空通過するだろう

空白空貨幣は通過する幻影だろう

 

貨幣は具体的なモノやサービスのメタレベルにある、交換の媒介をするだけの存在であり、貨幣経済を信じている者が多いからこそ、つまり幻影だからこそ力を発揮する。そうしたことは論理としてはわかっているが、列車やホームが通過する移ろうような光景を目の当たりにしていると、力はあっても結局それは幻影なのだ、という感慨が深く湧いてくるのだろう。

詩集の後半になると、買えないものについて言及した詩が幾つか登場する。

 

空白空貨幣は亡き者たちを買うことができない
空白空白空白空白空白(「21」より)

空白空萎れた花をヒトは買わない
空白空白空白空白空白(「24」より)

 

この辺りには、現実の人や事物の本質を無視してひたすら利益獲得に精を出す、貨幣の働きに対する作者の苛立ちを感じる。その苛立ちは「29」での

 

空白空貨幣に
空白空外はあるのか

空白空世界は自己利益で回っている。

 

の箇所で極まる。そして「33」の

 

空白空閃光は

空白空言葉の外部にあった
空白空貨幣の外部にあった

空白空閃光は

空白空理性ではないもの
空白空ばかげているもの

 

のような、抽象的で神秘主義的とも取れる、箴言のような表現に行きつく。考えが巡回した末に、一気に突き抜けたところに出たくなったのかもしれない。理性を否定してしまえば、確かに貨幣という概念は消失するが、それは貨幣経済という約束事で動く生活世界を否定することにもつながる。「35」は引っ越しして部屋を引き払うシーンを描いている。

 

空白空絵が架かっていた壁に四角い影が残っていた

空白空影はわたしの債務のようだ
空白空債務はわたしの欲望の裏側にある影絵だ

 

絵があった場所に跡がついただけなのだが、意識が過敏になった作者はそこに「債務」を読み取る。欲しい絵をお金と交換したという欲望の結果が影として残っているというわけだ。意識は更に尖鋭化する。ギターデュオ、ゴンチチが奏でる「ロミオとジュリエット」のテーマを聞きながら、賃労働者として働いてきた「三十五年」を「生を売る」という言葉で総括した作者は、「36」から最後の「40」までの詩で、

 

空白空ロミオは毒を飲んだ
空白空ジュリエットは短剣を刺した

 

と繰り返す。その間に、熱海駅で倒れて病院に運ばれたことも書かれている。ロミオとジュリエットは、自分の死を相手の死と交換したと言える。言わば究極の物々交換だ。そこに貨幣は介在しない。倒れた原因は脳の疾患によるものだ。知性を持つ限り、人間は貨幣という概念から逃れられない。貨幣から逃れるためには、生を終わらせるか(=心中)、思考を停止させるか(=脳疾患)させるしかないのか。最後の作品「40」にはそれに対する返答のような詩句がある。

 

空白空エバは林檎を齧り
空白空柔らかい赤ちゃんを産み育てた

 

林檎を齧ること(=知性、貨幣概念の獲得)と子どもを産み育てること(=知性によらない動物的な生きる力)。人間とは、相容れないように見えるこの2つを共存させ、両立させている、矛盾に満ちた存在ではないか、と作者は問いかけてるように思える。

さとうさんは「あとがき」で「詩は貨幣の対極にあるものなのです」と断言している。貨幣は利益を追求するために生み出された、モノの上にあるメタレベルのモノである。モノとモノとの関係を数値化し、力の関係に置き換える貨幣は、権力という概念と分かち難く結びつき、人間を間接的に支配するものであろう。さとうさんが考える、「貨幣の対極」にある詩は、人とモノ・人と人との直接的な触れ合いを志向するものなのだろう。それは利益という見返りを求めない、その場その時の体験を大事にするものだ。さとうさんが詩作において多用する省略や飛躍、空行の挿入は、詩の言葉をいわゆる「文意」に還元させないようにする効果がある。書かれた言葉を言葉自体として受け止めることを促すことによって、他の何物にも還元できない絶対的な体験・出会いの大切さを噛みしめて欲しいという願いが込められているように思える。その結果、一編一編は謎を孕みながら、全体としては強いメッセージ性を備えた、太い流れを作ることに成功したと言えるだろう。

但し、2つの点で若干不満も覚えた。1つは、お金の使い方として、現金での支払いの例しか描かれていないこと。お金には投資という面があり、それは貨幣のまさに貨幣たる所以を鮮烈に表している。株価や為替の上がり下がりも描いたら面白い詩ができたのではないかと思う。更に仮想通貨や電子マネーをテーマとして取り上げた詩があれば、現代の貨幣の状況がよりリアルに浮かび上がったことだろう。もう1つは、貨幣を「悪者」として決めつけているかのように見えること。確かに、貨幣には支配というベクトルが強く働くが、それによって社会が円滑に回るという面は否定できないだろう。私たちがこれほど豊かな生活を営むことができるのは貨幣のおかげである。寄付金や見舞金で助かる人もいるだろう。本詩集にも定価がついていることだし、お金を使ってこんな素敵な体験ができた、ということを素直に喜ぶシーンがあったら、お金の世界の多様性というか一筋縄でいかない感じを、より幅をもって表現できたのではないかと思った。

さきほど本になった詩集には定価がついている、と書いたが、ここに収められた詩はさとうさんご自身が運営するブログ「浜風文庫」に発表されたものであり、現在もそこで読むことができる。詩集は有料だが詩は無料なのである。発表された作品はツイッターやフェイスブックで紹介され、読者からの感想が寄せられることがある。詩人と読者との関係は、直接的で、対等だ。詩を挟んだ作者と読者の触れ合いは、さとうさんの生きる活力につながっていることだろう。それは「貨幣の対極」にあると言える。この純粋な関係を維持するために、関係を阻害する余計なものを客体視しておく必要があり、詩集『貨幣について』はそのために編まれたのではないかと、私は思うのである。

 

 

 

ポロポロ

 

辻 和人

 

出ないより
出た方がいいよね
ずっといいよね
出るぞ
出る
出る

ポロ

ポロポロ

しっぽの付け根の骨が折れて
脊髄やられて
自力でおしっこができなくなったレド
毎朝病院で膀胱に溜まったおしっこを取ってもらってるところだけど
それだけじゃあない
うんちも思うようにはいかない
おしっこと逆
出ないじゃなくて
出ちゃうんだ
お尻の神経の感覚なくなっちゃってるから

週末、実家に飛んで帰る
相変わらずよたよた歩きのレドちゃん
ぼくを見てぴたっと静止
たまにしか帰らないからちょっと警戒心ありのレドちゃんだ
そんな時の秘策
床に膝をついたカッコで
人差し指を揺らすのさ
ほうら、ほら
レドの目も左右に揺れ始める
ヒョコッ、ヒョコタッ
匂いを嗅ぎに近づいてきた
揺れが鉤になって
レドの心を引っかける
揺れ揺れ作戦、成功だ
ようやくぼくを見分けたみたい
甘えた鼻が近づいてくるぞ
丁度その時

ポロ

ポロポロ

床の上にまあるい黒い塊
うんちだよ
いつもは必ず猫砂の上でするのに
ああ、やっぱり排泄する感覚がなくなってるんだ
おしっこが自分でできなくなって
うんちもままならない
何てかわいそうなんだろう

ところがレドの考えは違うようだ
かわいそう、なんておかまいなし
揺れる指先に夢中になって鼻面を擦りつけてくる

抱きかかえて
裏返して
仰向けの状態になったレドをこちょこちょ揺らす
とろりとした半目
鋭い歯が覗くうっとり半開きの口
湾曲したお尻からは
したばかりの匂いが
ぷーん
レドもぼくも匂いも
揺れに揺れてる

おしっこは出ないけど
うんちは出るじゃん
おしっこは出ないけど
うんちは出るじゃん

おしっこは人の手で取らなきゃいけないけど
うんちは勝手に出してくれるんだ
出るべきものがちゃんと出る
それでいいって
レドの揺れる全身が言ってる
ぼくのこちょこちょも
それでいいって
揺らす指全体で
言ってる言ってる

出ないより
出た方がいいよね
ずっといいよね
出るぞ
出る
出る

ポロ

ポロポロ

出ろ
出ろ

 

 

 

目の前の律動

 

辻 和人

 
 

ピョタッ
白い体が
空気を抉って
ピョコタッ
もう1回
抉って
やっと
進んでいる
レドだ
白くて丸々
白くて丸々
レドと言えばそんな猫だ
それがどうだ
丸々してたものの
白い影みたいじゃないか

「レドちゃん、大変なことになっちゃって。
外から帰ってきたら右の後足びっこ引いてて、
おしっこもしないのよ。
びっくりして獣医さんのところに連れてったら、
しっぽの付け根の骨が折れてて、
脊髄が傷ついてるんだって。
それでおしっこできなくなってるんだって。」

母からの電話で実家に急行
何でも
父が庭に出た隙を突いて外に飛び出してしまった猫たち
ファミは1時間くらいで戻ってきたけど
レドはずっと戻らず
翌朝ベランダに佇んでいたレドは
ピョタッ
ピョコタッ
左後足を引きずる姿になってたって
しっぽも垂れたままだって
事故に遭ったらしいんだけど
自動車なんて滅多に通らないところだし
誰かに乱暴された可能性もあるって

早朝獣医さんの近くのバス停で父と待ち合わせ
キャリーの中のレドは
目ばかり大きい
ヒュオーン
聞いたことのない高くひん曲がった声だ
名前を呼ばれ診察室に入る
台に乗せられたレドは観念したようにおとなしい
かつて丸々していたものの
白い影
ピョコタッ
固まった

優しそうな女医さんがカテーテルでの排尿の仕方を教えてくれる
1人が体を押さえてペニスから尿道を飛び出させ
もう1人がカテーテルを通す
猫のペニスは
小さい小さい
尿道は
細い細い
え、こんなトコに通せるの?
何度やってもカテーテルの先が尿道とすれ違う
ヒュオーン
見かねた女医さんが代わってくれた
あっという間に黄色い液体が管を流れる
注射器で3回と半分
昨日の昼からだから溜まってたんだって
最初は難しいけど慣れるとできるようになるって
それまで大変だけどここまで通ってきてって
優しそうな女医さん
レドの頭を撫でながら
おしっこを自力で出すのはもう無理だって

帰ってキャリーから出す
ピョタッ
周りの空気を
抉って、抉って
ピョコタッ
やっと
進んでく
柱に白い影みたいな体をスリスリ
キャリーから出られて良かったって
家に戻れて良かったって
そら、我慢したご褒美にお姫様だっこだぞ
お腹撫で撫ですると
首筋うぃーんと伸ばして目を細く
おおっ、いつものレドだ
喉元いっぱいマッサージ
首を軽く左右に振って振って
もっともっと
おおっ、いつもの甘えん坊のレドちゃんだぞ

床に下ろすと
きりっと目を上げて
お気に入りの冷蔵庫の上に飛び上がろうと
ガキッ
あらら
足台にしようとした棚から転げ落ちちゃった
痛そー、ややっ
ピョタッ
すばやく起き上って
ピョコタッ
後足引きずり引きずり
今度は押し入れの前へ
2番目にお気に入りの場所だ
ここもちょっと高い位置にある
戸を開けてやろう
動く方の後足を
踏ん張って踏ん張って
頭を微妙に上げ下げ上げ下げ
ピョタッ
飛び乗った
ピョコタッ
前足に力を入れて下半身を引き上げた
成功だ
ピョタッ
ピョコタッ
奥に進むと
ふにゅっとまあるくなって
爪を舐め舐め
すると
何?、何?って感じでファミがやってきて
ヒョコッ
押し入れに身軽に飛び乗り
レドの隣に座った
並んで一緒に舐め舐めだ

無抵抗の猫を棒で殴りつける奴
そんな奴が近くにいるのかもしれないんだって
自分より弱い奴が苦しむのを
楽しむ奴がいるかもしれないんだって
ゾッとする
けどけど、実は
レドは家では甘えん坊だけど外に出れば乱暴者の猫でさ
庭に迷い込んだよその猫を追い回して
ケガをさせたことがあるってさ
あんまり力を入れて相手を噛んだものだから
前歯が1本折れちゃったくらいでさ
今回も他の猫と大喧嘩して
そいつはやられてる方の猫に加勢しようとしてレドを叩いたかもしれないさ

そんなことより
そんなことより

目の前だよ
ピョタッ
ピョコタッ
ピョタッ
ピョコタッ
ひと眠りを終えて押し入れから這い出てきた
影じゃない
白い体が
空気を抉ってる
エサ用のお皿をチラ見して
空っぽなのを知って
フゥーン
短く鳴いた
自力でおしっこはできないが
食欲はあるんだって
抱っこされれば
首筋伸ばすんだって
冷蔵庫に上るのをしくじったら
押し入れに上るんだって
ピョタッ
ピョコタッ
拍子にちょっと間が空いているのがいい
空気を抉って
抉って
やっと
進んでる
よし、猫缶取ってきてやろう
腰を上げると
気配を察してついてきたレドが
目の前で生み出す律動
ピョタッ
ピョコタッ
目の前だ

 

 

 

覗かれる気分

 

辻 和人

 
 

また君かぁ
こんにちはー
直下から
覗かれる

魚の目
右の足の裏の真ん中からちょっと上辺り
定期的にできる
左にはできない
重心が右足前方に傾く歩き方の癖の
分身なんだね

椅子に座って調べてみよう
よいしょ、靴下脱いで足裏を膝の上に乗せる
ふむふむ
小さな細長い楕円
指で突いてみると
そこだけ皮が厚く硬くなってる
ツルツルした感触だ
ちょっと面白い
ズッ
ズッ
大きくなるのを日々感じてはいたんだけど
ズキッ
今日、遂に開いちゃった

魚の目
ズキッ
ズキッ

うぉー、こんにちはー
君かぁ
さあ、立ってみましょう
それから、足踏みしてみましょう
イチニ、イチニ
直下から
ズキッ、ズキッ
視線が登ってくる
「今週仕事きつかったな、明日は寝坊するか。」
ズキッ
覗かれちゃった
あーあ、いつも通りに起きるか
「そろそろ暑中見舞い出さなきゃいけないなあ。」
ズキッ
覗かれちゃった
はいはい、今夜お風呂に入る前に書きますよ
直下から
ぼくの内部を覗きにくるんだよ
だからどうだってことはないんだけどさ

魚の目

ズキッ
視線の強さに
きょろっ、思わず辺りを見回す
しーん
椅子とパソコンとカーテンしかない
でもでも、いる
直下に、いる
一言も喋らないけど
ズキッ、ズキッ
存在を主張しているぞ
ちょっと面白い
ちょっとかわいい
さっきしげしげ眺めた
小さな細長い楕円
特に魚に似ているわけでもない

魚の目
「いつものようにナイフで削り取ってしまおうか。」
ズキッ
覗かれちゃった
わかった、わかった、わかりました
しばらく直下から覗かれるままにしておこう

魚の目、と
ズキッ
ズキッ
2人きりの時間を楽しむんだ

 

 

 

知ってる/知らない

 

辻 和人

 
 

耳をぴくんとさせるや否や
背中をくるっとほどいて
軽く波打ちながら降りてきて
たん、と床に立つ
真ん丸黒目をまっすぐこちらに向けてくるけど
ぴたっと同じ位置に静止して
それ以上近づいてこない
さっきまで
冷蔵庫の上で寝そべっていたファミとレドだ
アパートでかまっていたノラ猫を実家に預けて
もう8年
預けた当初は毎週様子を見に行っていたけど
最近は半年に一度くらいしか顔を見せてない
この人、ミルクくれた…っけ
抱っこしてくれた…っけ
ススキで猫じゃらし作って遊んでくれた…っけ
ぴたっと動かない真ん丸黒目の中で
ぼくの像、ゆらゆら揺れてるぞ
知ってる…っけ
知らない…っけ
知ってる…っけ
知らない…っけ
しっぽの先がぴらぴら震えてる
おいで
膝を折って床に座り左右の人差し指を差し出す
ちょっ、ちょっ、ちょっ
2匹は並んで近づいてきて人差し指の臭いを嗅ぐ
知ってる…っけ
震えを止めたしっぽをぴーんと立てて
背をうねらせ近づいてくる
だから
ぽん、ぽん
しっぽの付け根を力を入れて撫でてやるんだ

 
 

*この作品は、杉中昌樹編集発行の詩誌「つまり猫が好きなんです 第1号」に掲載されたものの再掲になります。

 

 

 

体と体

 

辻 和人

 
 

ぼくの体を包んだ
車の体
高齢の父がもう運転しないからって譲ってくれた
スーパーの駐車場にのろのろ侵入
ラッキー、空いてる
失敗しても隣の車を傷つける心配がない
かれこれ30年以上運転していないぼく
慌ててペーパードライバー講習受けて
時には助手席のミヤミヤから怒られながら週1回は運転を続け
すこーしは上達したかな
近所であれば何とか走れるくらいにはなったんだけど
トホホなのが駐車
今日は駐車の練習にここに来てるってわけ
よし、このスペースがターゲットだ
一旦止まって周りの様子をうかがって
まず右にハンドル切る
車の体はのろのろと
ぼくの体を包んだまま
右斜めに移動
ちらっと左のミラーに見えてきた白線の先端
それ、今だ
ギヤをバックにして今度は左にいっぱい
ピィー、ピィー、ピィー
のろのろ左後ろに旋回
車の体に包まれた
ぼくの体
運ばれてく
ただただ運ばれてくぞ
ストップ、この辺かなあ
窓開けてきょろきょろ、タイヤまっすぐにして
ピィー、ピィー、ピィー
ゆっくりゆっくり後退
ちっ、こんちくしょう
ぼくの体を包んだ
車の体
右に寄りすぎ
しかも30度も斜めに傾いてるぞ
しょうーがない
前進してハンドルを右、右、あ、ちょっと左
やっと白線と並行になった
窓開けて、タイヤまっすぐにしますよ
ピィー、ピィー、ピィー
車の体に包まれた
ぼくの体
運ばれてく、ただただ運ばれてくだけ
くっ
後輪が微かに留め具に当たる感触だ
やっと所定の位置に止まりましたよ
バタンと
降りて
外の空気を吸ってみる
ふぅー、ふぅー、ふぅー
大きな買い物袋抱えたおかあさんを小走りで追っかける
風船片手の男の子の姿があるなあ
安心・安全そのもののだだっぴろいスーパーの駐車場に
薄黒い緊張に縛られたままの2つの体が
5月の風に吹かれて立ち尽くす
ぼくの体を包んだ
車の体
お疲れさま
車の体に包まれた
ぼくの体
お疲れさま
いつか2つを合体させられるように頑張るから
どうか今しばらく練習にお付き合いくださいね

 

 

 

海のウニに寄せて

 

辻 和人

 
 

『岩田宏詩集成』をようやく通読
面白かったなあ
労働者の悲哀を描いた「神田神保町」とか
ポーランドの歴史をテーマにした「ショパン」とか
印象に残る詩がいろいろあるんだけど
岩田宏さんと言ってすっと出てくるのは
やっぱり「いやな唄」
「いやな」というミもフタもないそっけない言い方が面白い
「あさ八時/ゆうべの夢が」とか
五七調のリズムが歯切れ良くて心地よい
でもって
「無理なむすめ むだな麦/こすい心と凍えた恋/四角なしきたり 海のウニ」
各連の末尾に置かれたフレーズが不思議感いっぱいで楽しい

さて
ここでちょっとひっかかる
「海のウニ」
どうしてここだけ手抜きなんだ?
「無理なむすめ むだな麦」 ちょっと思いつかない意外な組み合わせ
「こすい心と凍えた恋」 皮肉っぽい感じがマル
「四角なしきたり」 風習の堅苦しさが面白く表現されてる
しかるに
「海のウニ」
ウニが海辺に生息しているなんて当たり前でしょ?
他の言葉はひねりがあるってのにさ
更に更に
最終行を見よ
何とこの「海のウニ」だけが「!」つきでリフレイン
特別扱いされてるじゃないか

この詩はウニから見た人間の暮らしの戯画化なのか?
いいや、そんなことどこにも仄めかされてない
じゃなぜだろう
謎は深まるばかり
ページを見つめていると
鋭い針が刺さってくるようで
ブスッ
ブスッ
いやな気分になるな
おっと
「ご飯できたよー。」
ミヤミヤが呼んでる
本閉じて下におりなきゃ、だ

海のウニさん
海のウニさん
空のウニでも地のウニでもない
海のウニさん
この詩の中で君は
唯一、岩田さんから直に呼びかけられている存在なんだね
きっと岩田さんはここで君を救い出すことによって
いやな気分にいったんケリをつけたんだよ
「かずとーん、早く下りてきてーっ、ご飯できたって言ってるでしょーっ。」
はぁい
ぼくも呼びかけられてる
呼びかけられるって嬉しいね
特別扱いされるって嬉しいね
でもってこれ以上待たせたら
いやな気分が
ブスッブスッしちゃうね
海のウニさん
ぼくの頭の中に隠れておいで
一緒に一階に下りて夕食をとろうよ

 

 

*この作品は杉中昌樹氏主宰「詩の練習」の岩田宏特集号に掲載された詩を加筆修正したものです。