ヤーヤァー、ヤーヤァー

 

辻 和人

 
 

や、や、や
やや
太い
やや太い
指輪をはめたミヤミヤの薬指の
節のところ
指はほっそりしているのに節だけが
やや太い
図面を押さえるミヤミヤの左手を見て改めて
やや驚いた
頭上を浮遊する光線君も
「ヤーヤァー、ヤーヤァー、ヤーヤァー。」
お目々クリックリッだ

今日は建築設計事務所での2回目の打ち合わせ
建築士さんが作ってきた叩き台の図面に
鉛筆でチェックを入れてきたミヤミヤ
「玄関の位置は西ではなくて東でお願いします。」
え?
「トイレは奥でなくて玄関入ってすぐのところにして、
その近くに収納棚をつけていただけますか?」
は?
「キッチンの奥行きはもう少し取ってください。
ここに冷蔵庫と食器棚を置きますけど、
外から見えないように仕切り戸を作ってください。」
りゃりゃ?
いつのまにそんな細かいところまで考えてたんだ
聞かされてないこともいっぱい出てくる
ぼく、一言も口を挟めないじゃないか
「かずとん、アワレー、アワレナリィー。」
光線君が嬉しそうに叫ぶ
うっるさいな、何でついてきたんだよ

「それでは、この洗面所のミラーはどのタイプにしますか?」
建築士さんが聞く
「これは主人の意見を聞いてみます。どれがいいですか?」
あ、今、「主人」って言ったな
ホントは絶対そんな風には思ってないだろ?
「シュジーン、シュジーン、かずとん、シュジーン。」
目玉を消して口だけをおっきく広げた光線君が天井から床へと駆け抜ける
涼しい顔でお茶をくいっと飲み干すミヤミヤ
どれがいいって言われても似たような奴の三択じゃないか
「えーと、それじゃCタイプを。」
「Cタイプですね。かしこまりました。蛇口のタイプはいかがなされますか?」
「これも主人に決めてもらいましょう。どれがいい?」
「うーん、じゃ、Bかな。」
なーるほどね
こういうどうでもいいのはぼくに決めさせて
「主人の意志」も大事にしてますよー、とサラリとアピール
「男を立てる」のがうまいねえ
「本音と建て前」を使い分けるのがうまいねえ
その後もミヤミヤと建築士さんの間で
やりとりは続くよどこまでも
建築士さんは最早ぼくの方には目をやりもしないで
忙しくメモを取るばかり
「主人」は完全に蚊帳の外だ
おお、窓の位置が決まっていくぜ
おお、2階のフリースペースの間取りが決まっていくぜ
イカ状に変形した光線君
建築士さんの頭を体の先っちょでちょんちょん突きながら
「カヤー、ノ、ソトー、ソトー、カヤァー、ソトー。」
いやあ、早く終わんないかなあ

「あ、大事なこと言い忘れてました。
主人の書斎の位置ですが、
向かいの収納スペースと逆にしてくれませんか?
このままだと西陽が差して主人の読書の邪魔になってしまいますから。」
へ?
そんなところに気がついてくれたのか
こりゃ、ちょっと嬉しいね

「ありがとうございました。お世話様でした。」って打ち合わせはニコニコ終了
図面を畳むミヤミヤの指は
節のところだけ
やや
太い
図太い
都合によって
ぼく、かずとん、を
やや
「主人」
に仕立てては
本音の中に畳み込む
でも、その
やや太い指の導きによって
ぼく、かずとん
きつい西陽に悩ませられずに
本が読めるってわけだね
ありがたや、ありがたや
光線君もそう思うだろ?
「ニーシービィー、キーツーイ-、キーラーイー、
かずとん、ラッキー、アリガーターヤーヤァー。」
干したTシャツみたいなカッコで宙に浮かぶ光線君
クリックリッの2つの目玉をせわしなく上下させながら
ほう、もともと「朝の陽光」である光線君は
「夕の陽光」とはライバル関係にあるようだな
「さ、早く帰りましょ。」
ぼくの先を歩き始めたミヤミヤの踝は
その上に伸びる足に比べて
やや
太い
ミヤミヤ
節のところはみんなガッチリできてる
や、や、や
やや
太い
やや太い
「ヤーヤァー、ヤーヤァー、ヤーヤァー。」
かずとんも
やや
「主人」のフリして
ミヤミヤの後を追いかけますぞ

 

 

 

たたたたたっ

 

辻 和人

 
 

秋が深まってきたたたたたっ
ミヤミヤと玉川上水沿いをお散歩だだだだだっ
いつもの散歩道
お気に入りの散歩道
「こんな素敵な散策の場所があるなんて、
ここに家を建ててほんとに良かった。」
紅葉はまだだけど紅葉寸前の秋ってのもいいいいいっ
葉っぱの青に黄色が混じってるるるるるっ
つめたーくなってきた水のちょろちょろろろろろっ
歩道に浮き出た木の根っこに足を取られそうううううっ
津田塾大を過ぎて鷹の台駅
「ここでひと休みしましょ。」
昭和っぽい造りのケーキ屋兼喫茶店
おかっぱの昭和顔の娘さんに席を案内してもらい
コーヒーと一緒に本日オススメのスイーツを注文
運ばれてきたのは・・・・・・
皿に盛られたシュークリームの小山、その天辺で
クッキーのオバケさんが手を振ってるぞぞぞぞぞっ
オバケさん
ウィンクククククッ
そうかあ
ハロウィンの季節
TRICK OR TREATなんてやらない
祝祭の意味なんて知らない
日本人のハロウィンの味わい方
ぼくもそんな平均的な日本人の一員に
なりきってやろうじゃないのののののっ
ぬぬ、シュークリームの中はカボチャあじじじじじっ
「あら、かわいいお菓子。秋はカボチャおいしいよね。」
八百万のオバケさん、ウィンクククククッ
平均的な日本人、ウィンクククククッ
玉川上水、ウィンクククククッ
鷹の台駅、ウィンクククククッ
秋が深まってきたたたたたっ

 

空白空*今回は番外編です。

 

 

 

ムックムックは上下する

 

辻 和人

 

 

ムックムック
ムクムク
クククッ
骨の奥から目覚めて
ゆっくり、けれど力強く
湧き上がってくるものがあったんでしょう
いや、ぼくじゃないですよ
ミヤミヤですよ
ムック、ムック、ククク・・・・・・

ベッドに入って手握って
「おやすみなさい」を言おうとしたその瞬間さ
「ねえ、かずとん。
そろそろ家を買おうと思うんだけどどう?
結婚前にも話したでしょ?
いつか自分の家が欲しいって。」
そう言やぁ
江ノ島デートの時にだいぶ熱を入れて喋ってたな
「うーん、まだちょっと早いんじゃないの。
ヘンなのつかまされちゃいやだし。
じっくり情報収集してからにしようよ。」
ミヤミヤ、ガバッと半身起こす
「かずとん、約束違うじゃない。
結婚するなら家は欲しいって言ったでしょ? 
もおぅー、来週は不動産屋さんに行くからね!」
買う気ないとは言ってないのに
言ってないのに
ミヤミヤ、怒りで鋭い三角形に変形
ムクムク
ムックムック
ムキキッ!
はい、わかりました
来週ね

はい、来週の土曜日になりました
不動産屋さんの車に乗ってます
「マンションっていうのはピンキリなんですよ。
今日お見せするところは中古ですが作りはしっかりしていますよ。」
経験豊富そうなその人は通りがかったマンションをあれこれ批評
これはまあ、ピン
残念、これはキリ
ミヤミヤ、ムックムックと頷く
はい、着きました
緑豊かな庭つきのおしゃれなマンション
にこやかに迎えられて早速拝見
3LDKの清潔なお部屋
白い囲いがあってこれは今お散歩中のワンちゃんのお部屋だとか
予算的にも丁度いいし、駅からも近いよな
おや?
ミヤミヤ
ゥムークゥ、ゥムークゥ
風船が空気抜けるみたいにしぼみ中

「良いマンションだったけど私が欲しいのこれじゃないってわかっちゃった。
次は中古住宅見に行きましょう。」

だそうで
はい、翌々週になりました
一橋学園のお宅へ
敷地は狭いけれど明るい陽射しが差し込む
2人の小さなお子さんがいるらしく
カーテンの柄といい置物といいかわいいインテリア
連れてきてくれた元気印の女性の不動産屋さんは
「造りがしっかりしている割に格安な物件ですよ。
建ててから急に転勤が決まられたということでまだ新築同然です。」
床に、天井に、階段に、目をキョロキョロさせるミヤミヤ
悪くはない
悪くはないんだが
振り返ると
ミヤミヤ、突然ムシューッ、細くなる
カチン、固まってしまったぞ
「ありがとうございました。検討させていただきます。」

「やっぱり他人が建てた家っていうのは
趣味がいいものでも私のものじゃないって気がする。
私が良く利用するお店に住宅部門があって
今度見学会やるので足を運んでみましょう。」

はい、その翌々週になりました。
荻窪駅から歩いて15分、あ、あの白い家?
1階がアトリエと寝室、2階がリビングとキッチン
すすすーっと伸びるスケルトン階段には
きれいな絵が何枚も飾ってあって
いかにもイラストレーターさんのお家らしい
仕切りが少なくて柱もなくて
部屋の奥までパーッと見渡せる
面積以上に
ひろびろーっ
そして
床、がっしり
壁、がっしり
何でも高度な構造計算による工法を採用していて
耐震性に優れているそうだ
断熱性も高くてエアコンに頼らなくても快適に過ごせるそうだ
さて、ミヤミヤのご様子は?
部屋を子細に見渡す視線は厳しい、けどけど
ムックムック
ムックムック
目の奥が踊っているじゃあありませんか
おや、足にすりっとした感触
まあまあ
ピンクの首輪をつけた茶色の猫ちゃんだ
随分とかわいがられてるんだな
よしよし
がっしりしたお家に守られていると
安心しきって人懐こくなっちゃうのかな
あ、そろそろ見学会終了

はい、帰りの中央線です
結構混んでます
ミヤミヤの様子、ちらりと見ると
電車が揺れても
窓の外を眺める横顔は微動だにしません
そうかあ
ミヤミヤは気に入った
ミヤミヤは決めた
この顔になったらもう覆らない
一見クールだけど中は
ムック、ムック、ムック

わぁー、このままじゃ
一軒家建っちゃうよ
冗談じゃないよ
このぼくが家建てるって?
祐天寺のアパートの光景が浮かんでくる
本の山の間に敷いたセンベイ布団の上で
目をカーッと開けたまま
独りで死ぬんじゃなかったのかよ

でも
ミヤミヤがあんなに
ムックムック
なんて、何だか
楽しいな
横でぽーっと突っ立って
ムックムックを一歩下がって見守るって、何だか
楽しいな
一歩下がるには
下がるという動作をするための意志と力が必要なんだよ
ぼく、かずとんは
ムックムックと
一歩下がってついていく
ムックムックしたい人に道を譲ると
一歩遅れてちゃーんとムックムックがやってくる
そのことを
ぼく、かずとん
知らず知らずのうちにちゃーんと学んでたってわけさ
ムックムックは
ミヤミヤとかずとんの間の回りもの
生身と生身の間の回りもの
さて、かずとん
改めてあなたに問います
家、建っちゃってもいいですか?
うん・・・・・・いいよ
決まりですね!

はい、その翌々週
若い男性の不動産屋さんに連れられて小平市に土地を見に来ました
草ボウボウの33坪
バス亭とスーパーマーケットが歩いて3分
おしゃれな店なんか何にもないけど静かで緑は豊か
ぼくが育った神奈川県伊勢原市の雰囲気に似ているな
土地の前の道路の一部がまだ私道で
そのため若干割安になっているという
悪くない
っていうか、いいんじゃない?
不動産屋さんにお礼を言いマンションまで送ってもらう

はい、それでさ
マンションに辿り着いた途端だよ
「私、さっきの土地もう一回見に行くから。
駅からの時間も計っておくね。
かずとんは掃除機かけててくれないかな。じゃね。」
すたすた自転車置き場に歩いて
よいっしょ
ムッック、ムッック
腰を浮かせて自転車を漕ぎ出し始めた
ムキィーク、ムキィーク、ムキィーク
7月の午後
うっすら汗を浮かべて
自転車を漕ぐミヤミヤの後姿が
ムックムック
ムックムック
上下する
力強くて美しい
上下する背中が
ムックムック
一歩遅れて
見送るぼく、かずとんの視線も
ムックムック
美しい
美しい

 

 

 

ファミちゃんが1番

 

辻 和人

 

ファミちゃん、ファミちゃん
レドちゃん、レドちゃん
ファミちゃん、ファミちゃん
レドちゃん、レドちゃん

「かずとん、かずと-ん。
んもぉ、またぶつぶつ言ってる。
自分で気がついてるの? 会社とかでも口に出してるんじゃないでしょうね?」

ついついつい
掃除機かけながら
ついついつい
いやあ、困った、困った
困ったちゃん
ファミちゃん
レドちゃん

一人暮らしが長かったせいで
すっかり独り言が多くなっちゃった
「どれ、コーヒーでも飲むか。」
「さて、風呂にでも入るか。」
聞かれてもいないのに
相手もいないのに
言葉が出てきちゃう
壁や机やカーテンに向かって
いくらでも話しかけちゃう
どう思う?
「ヘンダァー、オカシィヨォー、アリエナィー。」
薄っぺらい体を電球にクルクル巻きつけたり解いたりしながら光線君が答える
だよなー、だよなー
困ったちゃん
「また何か独り言。もおぅー。」

外では大丈夫なんだが
一人になると
ついついつい
口を突いて出てくる
その代表格が
「ファミちゃん、レドちゃん」
これ
声に出すのを我慢する方が難しい
実は会社でもトイレに立つ時とかに小声で
ついついつい
困ったちゃんしてるんですよ

ではでは
そっと声に出してみましょう
「ファミちゃん、ファミちゃん、偉いねえ。」
「レドちゃん、レドちゃん、かわいいねえ。」
ぽっ
声に出した途端に
ぽっ
ほら
ぽっ
ほら
出現したでしょ?
ぽっ
では
撫でる仕草をしてみますよ
手首をひねって、5本の指を柔らかく柔らかく動かして
ふわっふわっ
もふっもふっ
ツーッと鼻筋を撫でると
目を細くしてうっとりする
顎に手を伸ばすと
首筋をぐっと伸ばしてもっともっとと促す
光線君も触ってみたら?
ぼくが指し示した場所を
薄い四角い体の先を紐のように細くして恐る恐る突っつく光線君
チョン・・・・・・チョン
ほら
ふわっもふっ
「ホントー、ホントー。」
光線君、体を扇子状にパタパタさせて驚いてる
だよねー、だよねー
いる、みたいな、感触
声に出しただけで
ふわっもふっな姿が
空中にしっかりちゃん

このマンションでは猫は飼えないし
第一、実家に馴染みきった彼らを今更他の場所に移すのは酷なこと
ファミ、レドとは離れて暮らさざるを得ないけど
ついついつい
名前を呼べば
現れる
ついついつい
名前を呼べば
賑やかになる
名前、名前
名前っていいなあ
「ナマエワァー、
ヨブヒトノォー、
ココロモチヲォ-、
アラワスナーリィー、
コエニダセバァー、
スガタモアラワレルナーリィー。」
光線君、よく言った!
その通りなりぃ

食後のお茶を飲んでると
ミヤミヤが不意に湯呑みを置いてぽろり
「かずとんはいつでもファミちゃん、レドちゃんなのね。
ファミちゃんが1番、
レドちゃんが2番、
ミヤミヤが3番。」

えーっ、困ったちゃん
「そんなことあるわけないよ。」ってすぐ返したけど
ぼくに向ける視線にどことなく不満が宿ってる
本当にそんなことないんだよ
だいたいレドはファミと同じくらいかわいがってるし
あ、そういう問題じゃないか
そりゃさ
新婚旅行にスペインに行った時
地下鉄の行き先を確認しようとしてミヤミヤに
「ねえ、ファミちゃん」って話しかけちゃったことはあるさ
「昔の彼女の名前を呼ばれるよりもショック」と睨まれたさ
でもそれはね
ミヤミヤなら
何を聞かれても大丈夫
ってことなのさ
かずとんとミヤミヤは一緒に住み始めて6ヶ月
オナラの音を聞かれても「ま、いっか」って感じになりつつある今
ミヤミヤが傍にいても
一人でくつろいでいるのと同じなのさ
「オナジィー、オナジィー。」
裾をきらきら翻しながら光線君がぼくとミヤミヤの間をさぁーっと走り抜ける
「ミヤミヤが1番に決まってるじゃない。
それより今度の日曜日、小金井公園にウォーキングに行こうよ。」

ウォーキングに行っても
周りに誰もいなくなれば
ついついつい
傍にミヤミヤがいても
ついついつい
ファミちゃん、ファミちゃん
レドちゃん、レドちゃん
ファミちゃん、ファミちゃん
レドちゃん、レドちゃん
名前を呼べば
困ったちゃん
みんな一緒に暮らしてるのと
「オナジィー、オナジィー。」

 

 

 

鳥をくわえたファミ

 

辻 和人

 
 

狙って
狙って
待って
待って

実家に預けた猫のファミとレドの様子を聞くために
ちょくちょく母親に電話してるんだけどね
大抵は「猫ちゃんたちは元気よ、元気元気」なのに
今日のは違った
大違い

「本当は昨日、こっちから電話しようと思ってたくらいなんだけど
ファミがね、庭に出していたら
鳥を捕まえてきたの。
それもヒヨドリ。15センチくらいもある大きいの。
くわえてきてベランダに座ってるから
気持ち悪くてどうしようかと思ったんだけど
お父さんがまあ入れてやんなさいっていうから戸を開けてやったら
得意そうに部屋の真ん中まで持ってくるのよ。
それで、もう死んでたんだけど噛みついたり、前足でいたぶったり
こんな大きな鳥を捕まえたことなんかなかったからすごく興奮してたみたい。
いったん離れて勢いつけて飛びかかったり
羽が飛び散るからまた外に出したけど
そしたらすごいの、鳥を食べてるの。
いやあねえ。
口の周りを真っ赤にしちゃって
そしたら食べ残しを今度はレドが食べるのよ。
羽、ベランダにいっぱい散らかしちゃって
ああもうびっくりした。
夜は甘えて布団の中に入ってきたりするんだけど
何だか顔つきも鋭くなって野生に戻ったような感じがして
恐い気がしてねえ。
やっぱり猫は狩りをする動物なんだねえ。」

‥‥‥う、う、
良かった
良かったなあ……
じぃーん
電話を切って、胸の底から湧いてきたのはそんな感想

狙って
狙って
待って
待って

そうなんですよ
狩りをする動物なんですよ
ファミは子猫の頃から虫を追っかけるのが大好きだった
蛾が飛んできました
プァタプァタ、プァタプァタ
ムニュウーン
ギザギザと曲線が入り混じった複雑な形の線が空中に描かれています
誘惑の線です
縦長にぴしっと並んだ子猫ファミの2つの瞳孔
線の先っぽのプァタプァタ揺れる点を
狙って
狙って
えいっ
あ、逃げられた
惜しい
タイミングが少し遅かったか
すると黙って見ていた母猫クロが
そろりそろりと獲物の下に移動
線のパターンをじっくり解析
後ろ脚を少し踏ん張ったか
ヒュヒュウッッ
おっ、お見事
蛾は一瞬でクロの鉤爪の中に
熟練の技に目を丸くして見入る子猫ファミ
クロが捕まえた獲物をつまらなそうに放り出すと
ファミは恐る恐る臭いを嗅ぎに近づく
こういうことなんだ
狩りってこういうことなんだ

いつしかファミは狩りに習熟した
獲物の気配を探り
その動静を目玉をキョロキョロさせて見極めるんですよ
身を隠す草陰を探し
息を殺して姿勢を低くし
しっぽは左右に鋭く振ってバランスを取るんですよ
待って
待って
一気に飛びかかる
獲物は驚いて逃げようと羽をバサバサ動かすけれど
逃げようとする必死な様子がますますファミの狩猟欲を刺激するんですよ
逃げようとするから追いかける
逃げようとするから押さえつける
爪は、今は定期的に切ってはいるものの
獲物の肉に食い込む分には十分鋭い
そして牙
ぼくと遊ぶ時みたいな甘噛みではなく
獲物を仕留めるための本噛みですよ
だがすぐには殺さない
そんなのもったいない
前足で叩いたり口でくわえて振り回したり
弱ってきた獲物がぴくぴく動く様を目の当たりにして
ファミの内部にぽっと炎が灯る
羽が飛び散ったりすると
もう、たまらない
わざと口から放して
よたよた逃げようとするところで
もう一度飛びかかったりするんですよ

鳥を重そうにくわえてのしのし歩くファミの姿は厳かで
古代の人々が敬い恐れていた神の似姿そのもの
“待つ”のが下手でよく獲物に逃げられてしまうレドは
ちょっと後をそろりそろりとついていく

獲物をくわえたファミは神様になった
レドはつき従う神官になった

こんなすごいの捕まえたぞ
見るが良い、見るが良い
自慢する程に威厳と神々しさが増す
おヒゲぴんぴん、黒目ぱっちりな顔の得意げなこと!
ああ、古代、神というものはこんな感じだったのかもしれないな
堂々と民の前で弱い者をいたぶって
力を誇示する
有無を言わせない
あれってさ、民に甘えてたのかもしれないな
見るが良い、見るが良い
洪水なんか起こしたりして
民に崇めてもらいたい
これ、人間だったら悲惨ですよ
許されないことですよ
でも猫だから許されるんですよ
ファミ、ファミ
良かったね
猫に生まれて良かったね

とまあ、ぼくは自分の目では見ていないんだけど
実家の問題としてはいろいろ困ることもあるんだけど
ケータイごし
まばゆい光を背負った存在に
思わず手を合わせてしまったんですよ
狙って
狙って
良かったね

 

 

 

「ために」の出番

 

辻 和人

 
 

ぐっぐっぐっ
鍋の中にあるのは
カレー
かっかっかっ
からぁーいん
ジャガイモの
かっかっかっ
皮を剥いて
ニンジンと一緒に一口大に切って
ゆっゆっゆっ
茹でるん
今日は土曜日
だけどミヤミヤ出勤の日
大学の教務課って土曜日もやってるん
交代で
しゅっしゅっしゅっ
出勤するん
かっかっかっ
カレーの出番
かずとん、かずとん、かずとんとんの
数少ないレパートリん

窓の外には桜の花びら
ピンッ、ピンッ、ピンッ
ピンクが吹雪いて
夕闇が明るい
庭に桜が植わってるマンションって良しですよ
こんなマンション見つけてくれたミヤミヤって良しですよ
よしっよしっよしっ
ミヤッミヤッミヤッ
そんなミヤミヤの帰りを待って
食事を作る
学生さんたちのために職場で頑張っているミヤミヤのために
カレーを煮る
ミヤッミヤッミヤッ

ファミ、レド、ソラ、シシのために
毎日ご飯を用意していたなあ
安売りの大袋に詰まったカリカリをお皿に移して
それだけじゃ寂しいので
猫缶も乗せてあげる
どうぞ、召し上がれ
ぼくに対して何の遠慮もないファミは真っ先にズカズカ近づいてきて
ふゅっふゅっふゅっ
鼻を細かく震わせて匂いを確かめると
前足を踏ん張って「食べるぞ」という態勢を整える
ガリッガリッガリッ
時折頭を起こして
噛んだご飯をゆっくり飲み下す
その、遠くを見るような眼差し
ぼくを貫いていってそのまま色褪せた壁に突き刺さるん
ぼくに対する感謝なんて込められていない澄んだ眼差しに
ドッキドッキドッキ
食べ終わったファミは舌なめずりしてから
ちゃぴちゃぴちゃぴ
おいしそうに水を飲んで悠々毛繕い
やがてそろりそろりとレドとソラが入ってくるん
シシは部屋に入って来ないのでベランダにお皿を出してやるん
ガリッガリッガリッ
ガリッガリッガリッ

夕闇がほんとの闇に変わってきた
そろそろミヤミヤ、帰りの時間が近いかな

ぐっぐっぐっ
ジャガイモもニンジンも柔らかくなってきました
いざ、投入の時
タマネギ刻んで
トマト切って
じゅっじゅっじゅっ
炒めて炒めて炒めて
ざぁっと一気に鍋の中へ
トマトは大きいのを1個丸々使うのがかずとん流
そろそろサイドメニューも作りますか
レタス刻んでアボガドの実掬って
スモークサーモンを添えればサラダ一丁あがりん
酢にオリーブオイルと塩・砂糖、それにお醤油を少々加え
即席の和風ドレッシングもできあがりん
お湯を沸かして
さっき炒めたタマネギの残りを入れてスープの素を加えれば
なんちゃってオニオンスープもできあがりん
おっとそろそろお肉も投入するかな
ざくっざくっざくっ
解凍した鶏肉切って
じゅっじゅっじゅっ
ワインを少々加えて炒めて炒めて
ざぁっと一気に鍋の中へ
肉も野菜も切り方が実に不均等
男の料理はお手軽だねえ
ねえっねえっねえっ

ミヤッミヤッミヤッ
自転車を走らせて家路につくミヤミヤ
真っ暗な中、細いライトをしっかり灯して
表通りは車が多いから裏通りを選んで
路地から飛び出してくる人がいるかもしれないから
交差点が近づくごとに
きゅっきゅっきゅっ
ブレーキ握って
慎重に自転車を操るミヤミヤ
一日中学生さんたちのために
忙しく書類を作ったり問い合わせの電話をかけたり
誰かの面倒を見るなんて発想が一切ないファミとは大違いだけど
夜になればお腹が空くことは同じ
さ、一旦火を止めていよいよカレー粉投入
まだ冷える4月上旬の夜にカレーライスはおいしいよ
かっかっかっ
からぁーいん
あっあっあっ
あったかーいん

ミヤッミヤッミヤッ
ミヤッミヤッミヤッ
ぼくはさ
誰かのためになんて発想はない人だったんだよん
けど
ファミ、レド、ソラ、シシが空きっ腹抱えてちゃしょうがないん
ミヤミヤがお腹空いてちゃしょうがないん
ぼくはさ
万物の霊長らしき「人間」に生まれたん
先進国らしき「日本」に生まれたん
家を継ぐらしき「長男」に生まれたん
安月給だけど安定してるらしき「正社員」になったん
亡くなったおじいちゃんは参謀本部に勤めた軍人で
戦争はいけないと言いつつ孫たちに勲章をいっぱい見せてくれたん
ギラギラ光って
怖かったん
「ために」するのはやだな
「長男」はやだな
「日本」はやだな
「人間」はやだな
でもって「正社員」もやだな
なのにどれもやめられない
困って祐天寺の六畳一間のアパートに引き籠ったん
居心地良かったん
20年そこで眠ってたん

ところが何と何と
ファミのために、レドのために、ソラのために、シシのために
ご飯作らなきゃいけなくなったん
突然「ために」が降ってきたん
カリカリに猫缶乗せ続けて
何と何と

ぐっぐっぐっ
カレー煮てるん
「異性愛者」として結婚して
名字を変えさせてしまったミヤミヤのために
カレー煮てるん
おたまで鍋を掻き回すと
疲れてお腹すいて自転車走らせてるミヤミヤの姿が
ぐっぐっぐっ
「ために」「ために」「ために」って
浮かんでくる

カチャッチャッチャッ
鍵が回る音
ミヤミヤ、帰ってきたん
よーし、最後の仕上げ
鍋にミルクをコップに4分の1程注ぐん
こうすれば味がまろやかになるん
うん、おいしい
これぞかずとん流
「お帰り、ご飯できてるよ。」
「ただいまぁ、夜桜きれいだねえ。」
コートを脱ぐん
ミヤミヤの生身が現われるん
「ために」が立ってるん
かっかっかっ
からぁーいん
あっあっあっ
あったかーいん

 

*「ミヤミヤ」「かずとん」の呼び名については
空0「かずとんとん」をご参照ください
空空0http://satomichio.net/?p=2247

 

 

 

ソレソレ、演年さん

 

辻和人

 

 

ソレソレ
ソレソレ
神前での結婚の儀って奴は
ソレソレ
緊張感漲るものだったぜ
神主さん、巫女さん、迫力あったぜ
ふぅー、たまげたぜ
でももう終わりだぜ
これから披露宴始まるぜ
こっから先は人間様の世界だから気が楽だぜ
オハッ
オハッ
光線君、体を束状にしてぐにょうんぐにょうん凹ませて頷いている
お目々ぐりんぐりん
新婦の化粧直しも終わったようだ
おっと
耳の後には式の時にはつけていなかった
大きな真っ赤なお花が!
口紅の色も違うし他にもいろいろ細工がしてありそう
式からそのまんまの新郎とは大違いだぜ
それでいいんだぜ
よし、では人間様のイベントにGO
だぜだぜ
ソレソレ
ソレソレ

晴れやかな音楽とともに新郎新婦ご入場
親族一同も式の緊張が取れてにこやかなお顔
拍手で迎えられてテレくさいけど我慢我慢
ミヤコさんの高校時代のお友だちで映画監督のOさんが
ビデオ撮ってくれてる
ありがたいぜ
ふらーっふらーっ
お目々ぐりんぐりんの光線君
カメラの上を鯉のぼりみたいにふらーっふらーっ力強くたなびいて
おめでたさに花を添えてくれてるぜ

ソレソレ
披露宴はなるべく司会者に任せないで自分たちでやろうと決めたんだ
新郎新婦の紹介は互いでやるんだぜ
ソレソレ
「……ミヤコさんは、常に自分の意見を持ち、また相手の言うことをきちんと聞く、その両面がとてもすばらしいと思いました。一緒に暮らし始めて、甘えん坊なところがあることがわかり、そこもかわいいと思いました。……。」
「……和人さんは、多くの書物を読むなど知的な面を持つとともに、少年のような心を持ち続けている方だと感じております。また、大変優しく暖かい心を持っている方です……。」
ふぅーっ、2人とも用意してきた紹介文をつっかえずに読めたぜ
ふぅーっ、何事も練習だぜ
レーンシュー、レンシュッ、シュッ
お目々ぐりんぐりんさせて
ソレソレ
なぜか光線君も得意そう

ソレソレ
えーっと
この後、鏡開きをやって乾杯、それから宴会へ
お色直し後はマイクリレーで親族一人一人からひと言いただくって趣向だぜ
ミヤコさんのアイディアだぜ、手作り感が醸し出されるぜ
さっすがミヤコさん
その前に親族代表のカタシおじさんの挨拶だぜ
カタシおじさんは今年で92歳
頭は薄くなったけど足取りは確かでいつも背筋がすっと伸びてる
切手収集の趣味が昂じて切手販売の仕事に携わり
今やこの道の権威の「切手のおじさん」
「肥前国の明治時代の郵便印の研究」で大きな賞を幾つも受賞してるんだぜ
それはそれは
気が遠くなるような
お目々がぐりんぐりんしちゃいそうな
大・大・大研究
小さい頃、ぼくが吹けば飛ぶような「切手コレクション」帳を自慢げに見せたら
丁寧にチェックしてくれて
中の1枚を「これはまあまあいい切手だ」とほめてくれたりしたんだぜ
嬉しかったぜーぜー
おっと挨拶始まるぜ

「和人君、ミヤコさん、
このたびはご結婚おめでとうございます。
和人君の叔父のカタシと申します。
このようなおめでたい席で挨拶を述べさせていただくことを、
大変嬉しく思っております。」
いやー、こちらこそ今日は本当にありがとうございます
おじさん、感謝だぜ

「辻家ですが174年続いておりまして、
私が11代目になるのですが、
先祖に鍋島藩の役人の辻演年(ツジエンネン)という人がおりまして……。」
174年、そつぁ知らなかったぜ
「最近、佐賀の新聞の記事でも紹介されました。
今日はここにコピーを持ってきております。」
って
そんな小さな紙切れ振り回されたって誰も見られないぜ
おじさんの手のひらひらーっに反応した光線君
ふらふらーっ、螺旋状に体を巻いて覗きこもうとするが果たせず
への字型の眉みたいなのを作って
困った顔を演出してみせてくれてるぜ
「演年は技術者でありまして、
有明海の干拓工事を43年にもわたって手掛けたのであります。
当時の干拓と言ったらそれはもう一大事業でございました。
演年が考えだした『石積み法』という堤防の築き方が実に画期的なもので……。」
偉い人だったんだなー
ちっとも知らなかったぜー
で、それとぼくらの結婚がどういう関係が?

「また、長崎に赴いて砲台を築く仕事も請け負いました。
当時、長崎には外国の船がたびたび渡航し防衛強化の必要があったのですな。
演年は砲術家の本島藤太夫と協力しまして……。」
話は続くぜ
どこまでも
だんだん不安になってきたぜ
困惑した空気が会場に漂い始めたぜ
12時も過ぎてお腹もすいてきた頃だぜ
ちっちゃい子たちは
おじさんの気迫に押されてむずかる余裕もなく口ぽかんだぜ
ミヤコさんの眉、微かにぴくぴくしてるぜ
でも、来客の中の最長老だから誰も止められないぜ
光線君、突然関係ないよっという素振りを見せ始めて
ふらーっふらーっ、天井を右から左へ
今後は左から右へ
ふらーっふらーっ、意味もなく流れてるぜ
シラーン、シラーン、シラーン
ずるいぜ、光線君

「……演年は晩年になって、
自分の仕事を文章に書き残すということをやっております。
達筆な漢文で書かれているのですが、これが大変見事な名文でございまして、
文章家としても一流であったわけです。
ところで、新郎の和人君は詩を書いておりまして、
『真空行動』という詩集を出しております。
ここには猫ちゃんのことがとても細かく面白く書かれている。
辻家の文才はここに引き継がれていると痛感したのであります。」
おおっ、ここにつながったか!
おじさん、ぼくの詩読んでくれてたのか!
「ミヤコさん並びに鈴木のお家の皆様、
こんな辻家でありますが、どうぞ末永く仲良くおつきあいいただけたらと存じます。
最後にもう一度、和人君、ミヤコさん、ご結婚おめでとうございます。」
お、終わった
終わったぜ
どうなることかと思ったけど
オワッター、オワッター
光線君、いつのまにかおじさんの側にいて
おじさんが頭を下げるのと同じタイミングで
ふらーっふらーっ、体を折り曲げてるぜ
ほっとした空気が広がるぜ
パチパチパチパチパチ

ソレソレ
ソレソレ
しっかし、おじさん
鈴木家の皆さんに辻の家のことをわかってもらおうと
一生懸命だったんだな
誇れる先祖のことを図書館に行って一生懸命調べたんだな
それにそれに
ぼくの詩も一生懸命読んでくれたんだな
現代詩なんか読む機会もなかっただろうに
ファミちゃん、レドちゃん
君たちとの大事な思い出もちゃんと読んでくれた
さすが「切手のおじさん」
ソレソレ
ソレソレ
おじさん、おじさん
おじさんが切手のことなら何でも知ってる「切手のおじさん」になれたのは
調べる手間を決して省かなかったからなんだなあ
新宿切手センターにあるおじさんの店は
「平和スタンプ」っていうんだぜ
日本が2度と戦争をしないようにっていう願いがこめられているんだぜ
武家出身だからこそ平和のありがたみが身に染みてるって聞いたぜ
その店に90歳を超えた今でも毎日顔出してるっていうぜ
駅までは自転車を走らせて皆から危ないって言われてもやめないんだぜ
ちょっとくらい長くなっても
辻家のことをわかってもらうために先祖の話をしないわけにはいかないんだぜ
ありがとう、ありがとう
だぜだぜー!

ソレソレ
ソレソレ
よっこいしょ
大きな木槌を持って
ミヤコさんと2人、息を合わせながら樽の蓋を
バチーン
鏡開きでござーい
広がる馥郁たる清酒の香り
お、お前
酒樽の上にぽっと現われたる
裃つけた巨大な半身
お、お主
ながーい顎鬚に、きりりと結んだ口元
遠くを見つめるような澄み切った眼差し
お、お主
演年さん?
目をぐりんぐりんさせた光線君
いきなり体を平べったくして床にぺたっと這いつくばって
土下座の真似かよ?
蓋を割った後は木槌を2人で持ち上げて
皆様とカメラに向かってにこにこするのが流儀なんだけど
晴れ渡るようなミヤコさんの笑顔に比べて
ぼくの笑顔がひきつってるのは
お、お主
演年さんのせい、だぜだぜ
子孫に命じていたっていう堤防の補修、できなくてすいません
でもでも
詩は書いてるぜ、本気で書いてるぜ
この人ぼくの伴侶だぜ
ずーっと一緒に本気で暮らすんだぜ
ソレ、乾杯の時間だぜ
ソレソレ、アーソレソレ
演年さんも杯を取ってくれ
光線君がふらふらーっと体の端っこを杯の形にして切り離し
演年さんに握らせる
演年さん、不思議そうに杯を見つめていたが
「それでは、かんぱーい。」
ぐいと飲み干した!
人間様の世界も奥が深いぜ
ソレソレ
ソレソレ

 

 

 

人がいるから

 

辻 和人

 

 

ピピッ
ピピッ
予定すれば当日がやってくる
やってくる、やってくる
やってきた
ピピピッ
アラームに起こされるまでもなく
5時
「おはようございます。結婚式当日ですね。さ、気合い入れて頑張りましょう。」
オハッ
オハッ
晴天なりぃ
晴天なりぃ
光線君も大きく頷いてるよ
見よ、光線君の朝の輝き
ひたっひたっー、さすがに力強い
ファミちゃん、レドちゃん、頑張ってくるからね
気合い入れてカーテン開けて、気合い入れて顔洗って
気合い入れてトースト食べるぞ
ミヤコさんも気合い入れて足湯にGO!

神田明神に着いてまずはお参り
ここは平将門が祀られているんだっけな
将門様、本日はどうぞよろしくお願い致します
2人並んで手を合わせる
すると、シュホッ
浮かび上がった将門様の首
あーりゃりゃ、随分とデカいねえ
ほっこりほっこり微笑んでる
昔罪びと扱いされたことはすっかり忘れちゃってるんだねえ
口をしっかり結んだ光線君がひたーっひたーっと首の周りを回転していい感じ
「晴れて良かったですね。将門様も私たちに味方してくれたんですね。」
そんな様子に気づきもしないミヤコさんもいい感じだ

打ち合わせを終え、さてお着替え
更衣室に入ると羽織袴がデーン
うっへぇ、これ着るのか
ファミちゃん、レドちゃんなら必死で抵抗するだろう
引っかかりのいい素材だし爪とぎしちゃうかも
係の人に手伝ってもらって3分で変身終了
「お似合いですよ。」と言われて鏡を見ると
えーっ、これぼっくぅ?
これから仮装大会でも行くんですか?
コントにでも出るんですか?
我慢我慢、これが「式」って奴なんだ
係の人がそそくさ出て行こうとするので
「すみません、髪が乱れているみたいなので櫛、貸してもらえませんか?」と聞いたら
忙しそうに袂からぽいと櫛を出して「使い終わったらそこの棚に置いて下さい。」
やっぱ結婚式に男は添えモノなんだな
ソエモノー
ソエモノー
光線君が頭上をくるくる回りながら嬉しそうに連呼
その目は大きな黒丸で口の部分は大きく撓んだ逆への字型
よーし、今日は添えモノなんだ添えモノでいいんだ
添えモノとしての役目
気合い入れて頑張るぞ

広間でしばらく親戚とダベッているとお呼びがかかり
新婦の控室へ
そこには黒引き振袖姿のミヤコさんが!
カコワァーン、カコワァーン
鳴いている
黒々した生地の中、翼を広げた鶴が高い声で鳴いている
和モダン風にアレンジした日本髪の真っ白な花飾りが
唇の紅と眩しく衝突
晴天なりぃ
晴天なりぃ
伏し目がちだが「見てよ」と言わんばかりの強い強い表情だ
主役はやっぱり違う
主役としての自覚がある生身のど迫力
「和人さん、どうですか?」
「ああ、すごくきれいだよ。おめでとうございます。」
おめでとうは変だ、だけど思わず言ってしまった
あれ、光線君
空中で固まっちゃってる
目は×印で口の部分が消えてるぞ
華に打たれたかな
おいおい、ぼくも固まってるじゃないか
しっかりしろ

晴天なりぃ
晴天なりぃ
親族紹介の後は参道を行進ですって
雅楽の生演奏つきですって
巫子さんの先導つきですって
うわっ、もうスタート
前方でカメラを構えてる男性は海外からの観光客かな
日本の神前式結婚式が珍しいんだろう
バシャバシャ何枚も撮ってる
旅の思い出の一コマとしてブログにでもアップするんだろうか
なるようになれ!
横目で見るとミヤコさんはまっすぐ背筋伸ばして凛として歩いてる
着物の長い裾をモノともしない着実な歩きっぷりだ
見習わなくちゃな
慌てないで一歩ずつ
オハッ
オハッ
落着きを取り戻した光線君が黒目をぐりぐり動かして鼓舞してくれる
ぽかぽかした陽気で気持ちいいじゃあないの
もうすぐ桜の季節なんだなあ
へへ、ちょっと余裕も出てきちゃったりして

神殿に入りました
花嫁さんと向かい合って座りました
親族も皆着席しました
式の本番中の本番がここから始まる
しぃーん
再び緊張
ファミちゃん、レドちゃん、よろしくね、と
困った時のファミレド頼み
しゅわしゅっっしゅわしゅっ
神主さんが御幣を振りかざす音が聞こえてきた
空気を裂く音が耳に突き刺さって鼓膜と心臓が
びくっっびくっ
この雰囲気、いつだったかの説明会の時とは大違い
祝詞を唱え始めた
言ってることは全く不明だけどその抑揚の帯が
ぐねぐねぐねぐね
波打っては裏返る
裏返ってはもんどり打つ
神主さんは神殿の方を向いてるからどんな動きしてるかよくわからないけど
何だか怖い
ぴひょーっ
笛の音が聞こえて巫女舞が始まった
長い髪を後で結び
白い衣装、赤い袴の2人の少女が
榊を持って空中に半円、逆方向にまた半円
そろりそろりとした2人の動きは気味が悪い程ぴったりだ
おい、光線君、今どうしてる? と呼んでみたけど
反応がない
光線君は天井の隅っこに張り付いてしまって出てこない
巫女さんたちがこちらを向いた
無表情な顔には少女らしい闊達さの欠片も見られない
まるでお面以上にお面のような

ああ、この人たち
神様に呼びかけてるとかそんなもんじゃない
生身をぐいっと差し出して
生身をがばっと投げ出して
神様に宿っていただいている
人がいるから神様が降りるんだ
生身がそこにあるから神様が現われるんだ

シャンシャンシャン
巫女さんたちが鈴を振り終わり
下げていた頭を恐る恐る挙げると
ようやく少し空気が緩んできた
ミヤコさんもほっとしたような顔をしているよ
結婚式ってのはおめでたい行事であるより前に
まずお祓いの行事なんだろう
そのために真っ黒い災いをわざわざ予期して
生身に神様を宿らせて
エイヤッ
災いを祓ってみせる
と勝手に考えて
ねえ、そうだろ? と同意を求めると
ソーカモソーカモ
ふらっふらっと伸び縮みできるようになった光線君が小さな声で応えてくれた

晴天なりぃ
晴天なりぃ
神殿に外のぽかぽかした空気が流れ込んでくる
次はお決まりの三三九度の盃ですよ
ちょいちょいちょい
急須みたいな奴を上げ下げしながら注ぐ
注ぐたびにちっちゃな神様が現われては
盃の中に溶ける
注いでくれる巫女さんの表情、さっきに比べると随分柔らかだね
新婦と交互に神様入りのお酒を飲み干して
少し気分良くなってきちゃったかな
ミヤコさんも頬っぺにもちょこっと紅が差している
(食いしんぼのレドちゃん、幾ら興味があったとしてもお酒は絶対ダメよ)
お次は指輪の交換
キリスト教の習慣を借りるのに躊躇しない柔軟性がいいね
神職の方が三方に乗せて指輪を運んでくる
ミヤコさんの関節がガッチリ気味の薬指にすんなり指輪を嵌められてひと安心
お次は誓いの詞の奉読
ここまでの儀はみんな男性であるぼくが先に行うことになっててね
神社のしきたりって随分男尊女卑なんだなあと思ってた
奉読も男性が行うことが多いらしいけど
ぼくたちは声を合わせて一緒に読むことにしたんだよ
光線君、ここが役目とばかり
顔を真っ赤にしてふらーっふらーっ応援してくれる
「今日の善き日、私たちは神田神社の御神前に於いて、
夫婦の契りを固く結ぶことができました。」
はーあ、うまくいった
ありがとう、光線君
お次は結び石の儀
こいつは神田明神独特の風習でね
石に新郎新婦の名前を書いて奉納するのさ
筆ペン持って、赤く「寿」と書かれた字の下に
うう、平たい石とはいえ意外と書きづらい
ちょっとトホホな字になっちゃったけどまあしょうがないか
書き終わった石を神職に返す時
ぼくのトホホな「辻」の字に沿って
ピカッと神様光る
親族盃の後、再び雅楽の演奏
さあ、最後の関門、玉串拝礼ですよ
神前に供える時、玉串の向きを逆にするのがちょっとしたプレッシャーなのさ
光線君、ぼくがしくじらないかどうかお目々をまん丸黒目にして見守ってる
ふぃーいーふぃと高らかに鳴る笙の音に合わせてそろりそろり歩き
ミヤコさんと軽く顔を見合わせて
うんっしょ
やったあ、ちゃんと決められた通りの向きにお供えできたぞよ
参加者全員で二礼二拍一礼
光線君も見よう見真似で、ふらーっふらーっ、二礼二拍一礼だいっ

頭を上げた途端
天井に浮かび上がる、巨大な
お前
平将門様
応援の肩の荷が降りた光線君
口をしっかり結んでひたーっひたーっと首の周りを何度も回転していい感じ
ファミちゃん、レドちゃん、ありがとう
無事結婚の儀式は終了したよ
いやー、今回は随分勉強になったね
神様ってさ
初めからそこにおられるんじゃなくて
生身の人間の強い強い念に惹かれて
降りていらっしゃるもの、だったんだね
将門様も生身の人だったわけだしね
神主さんも生身の人
巫女さんも生身の人
ぼくもミヤコさんも生身の人
ファミちゃん、レドちゃんは人じゃないけど生身の猫
光線君は……生身の……とにかく
生身ってすごいなあ
さあさ、生身同士集まって記念撮影だぞ
晴天なりぃ
晴天なりぃ

 

 

 

ミヤコズ・ルール

 

辻 和人

 
 

コウセンッ
コウッセンッ
お、お前、光線君
斜めから、ひたひたと
オハッ
オハッ
「おはようございます。」
「おはようございます。」
6時半に目覚ましが鳴って
カーテンの隙間から
朝の光線が斜めから入って
にっこり朝のご挨拶
すんなりご挨拶
ゆったりご挨拶
ところがっ

一緒に住み始めてから3日
何これ? 暮らしのカタチって奴?
ムニュニュッと膨れ上がったかと思うといきなりガチッと固まりつつありまして

朝起きるとミヤコさんカカカッとお風呂場に直行
足湯ですと
足あっためると意識がはっきりして活動的になるんですと
そんな時間あったら1秒でも寝ていたい
なんて思いながら
はい、ぼくはその間朝食の準備です
パン焼いて紅茶いれてフルーツ盛るだけだけど
今まで朝食なんて旅行の時しか食べなかったもんなあ
自分でテーブルに並べたジャムとバターが眩しい
うっひゃー、やめてよ、光線君
そんなにひたひたしないで
あ、ミヤコさんあがってきました
血色良くなってお目々も開いてきました
いただきまーす
トーストひと口かじって、おっ、やっぱり黒田さん日銀総裁か?
「和人さん、食べてる時テレビの方ばっかり見るの禁止ね。
パンの粉、ポロポロ床に落としてますよ。ちゃんと後で床掃いて水拭きしてくださいね。
この部屋はきれいに使いたいんだから。」
ショボーン
光線君、怒られちゃったよ

食事の後はお風呂の掃除
「平日は簡単でいいですからね。髪の毛はティッシュで掬い取って。」
任して任して
力を込めてタイルごしごし
こういうのは結構得意なんだよ
恥ずかしながら独りの時は週1、2回しか風呂掃除しなかったけどな
光線君、温風に吹かれながら
ひたひたーひたひたーと応援してくれている
嬉しいね
壁もきれい、浴槽もきれい
排水口に絡まった髪の毛も丁寧に取り除きますぞよ
やっぱ女の人の髪の毛って長いよなあ
でもって、お湯に触れるとしなしなっと身をよじって
ちょっと色っぽいよなあ
不意にミヤコさん現る
「排水口はこのブラシを使って奥の方まで念入りに掃除してくれますか?
汚れが溜まったらイヤなので。」
あーそうか、失礼しました
光線君、カンペキだと思ったんだけどなあ

「おかえりなさい。ご飯もうすぐですよ。」
エプロン姿
光って、笑って
あり得ない
あり得ない
手を洗ってうがいして
あり得ない
でもそのエプロンの下にはしっかり2本の足が生えててさ
忙しく動き回ってる
あり得ないことがあり得ているんだね
テーブルの上であり得ているのは
ブリ大根にほうれん草の胡麻和え、ひじきと油揚げの煮物、シジミの味噌汁
いいね、いいね
あっさり和食のおかずは大好物なんだ
おっとっと、まだいたのか、光線君
朝生まれなのにこんな時間までつきあってくれるなんて嬉しいよ
何? まだ、心配だって?
大丈夫だってー
さて、テーブルにつくと
ん、おかしいな
明るすぎる
重量感がなさすぎる
お箸でつまもうとすると
スーッと透けて突き抜けてしまいそう
なのにあら不思議
大根は湯気を立てたままちゃんと2本のお箸の間に挟まってるじゃないか
つまりだな、光線君が心配してるのは
「帰宅するとご飯が用意されてるような現実」というあり得ない現実が現実にあってだな
その現実のヒトコマにぼくがちゃんと収まりきることがあり得るのか
つまりそういうことだな?
ちょっちょっちょっ、ミヤコさんぼくに話しかけてきてるぞ
「和人さん、またソワソワしてる。
ご飯の時は食べることに集中しないとまた食べ物落としちゃいますよ。」
はい、ごもっとも

ご飯の後はお片付け
大丈夫、食べ終わった器はぼくが洗います
学生時代に皿洗いのバイトやったことあるからな
ちょちょいのちょい
鼻歌まじりでどんどん洗っちゃいます
でも、フライパン洗っていたら
「和人さん、まずキッチンペーパーで油を拭き取ってから洗って下さいね。」
でもって鍋を洗っていたら
「和人さん、それはゴシゴシ洗うと表面がハゲちゃいますから、
この黄色いスポンジの柔らかい方の面を使って丁寧に洗って下さい。」
魚を包んでいたラップを「燃えないゴミ」のゴミ箱にポイしたら
「和人さん、それは『燃えるゴミ』。
『燃えないゴミ』の回収は週1回だけでしょ。臭いが残っちゃうじゃないですか。」
ミヤコさん、他の家事をやりながら
時々巡回してきては
ぼくの仕事ぶりを検査しに来るんだよ
わぁーん、光線君
疲れたよぉ
光線君は気の毒そうにひたひた、ひたひた
ぼくの額を優しく撫でてくれる
ありがと、もうちょい頑張るか

食器を洗い終わったら今度は洗濯
これは自動でやってくれるから気が楽だ
洗剤の量を計っていると、血相変えてミヤコさん
ズカズカズカッ
「ちょっと和人さん、何やってるんですか?
今日は『乾燥しない日』ですよ。
私の洋服、『乾燥する』モードで洗濯したら熱でみんな痛んじゃうじゃないですか。
危ないところでしたよ。もぅー。」
もぅー、しゅーん、だよ
しゅーん、しゅーん
光線君も困り顔
お手上げだねー
いくら、用心しても用心しても
いくら、ひたひた、ひたひた、しても
ズカズカズカッ、ズカズカズカッ
近づいてきては
しゅーん、しゅーん
光線君、も、いいよ
超遅くまでおつきあいいただき、本当にありがとう
後は自力で何とかするさ

ベッドの中で5分間のお喋り
「いやぁ、女の人ってのは家の中のことに関してはしっかりしてるもんだね。」
「私は細かい方かもしれませんけど、男の人は概しておおざっぱですよね。」
「ぼくも頑張ってるつもりだけど。失敗多くてごめんね。」
「うふふっ、和人さん、頑張ってると思いますよ。」
「でも、悔しいなあ。今度から家のルールはぼくが決めるとか。」
「そんなのダメに決まってるでしょ? わかってるでしょ?」
「やっぱり家のことは奥さんが仕切るのがいいのかな?」
「そうだよ。」
「やっぱり奥さんの言うことは多少異論があっても従わなきゃいけないのかな?」
「そうだよ。」
「ミヤコさん、随分“オレ様”だなあ。」
「男の人は、小さい時はお母さんの言うことを聞いて、
結婚したら奥さんの言うことを聞いて、
年を取ったら娘の言うことを聞く、それが一番なんです。さ、もう寝ましょ。」
なるほどねえ
ミヤコズ・ルール
女に支配される世界
そこでぼくは残りの全人生を過ごすんだ
それでも「支配される」のは「支配する」よりずっといいよなあ
灯りを消したら
光線君の残像がうっすら闇に浮かび上がった

コウセンッ
コウッセンッ
明日も助けてね
ぼくが君のことをまだ覚えていたら、のことだけどさ
ぼくが君を出現させてあげられたら、のことだけどさ
支配をかい潜って生き抜く道を探るために
斜めから、ひたひたと
オハッ
オハッ

 

 

 

淡々とじゃなく、タン、タン、タン

 

辻 和人

 

 

タン、タン、タン
タン、タン

来ちゃいました
お引っ越しの日
淡々と
起きてセンベイ布団をそのまま粗大ゴミに出し部屋に戻ったら
冷たい朝日が
畳の目のささくれを浮かび上がらせてる
見慣れたこいつがもうすぐ永遠に見られなくなるなんて
まだ目の前にある
まだ触れられる
座って指の先っちょでちょいちょい突く
ささ、くれ、ささ、くれ
歌ってるよ
ふふっ、お茶目な奴
知ってる?
君が今、急速に
懐かしくなりつつあるんだってこと
懐かしいよ、懐かしいよ君、ちょん、ちょん
タン、タン

ヤマト運輸のにいちゃんたち、手際いいなあ
ぼくの「仲間たち」だったものは
運ばれていくしかないもんな
淡々と
遂にトラックが出発
ご近所さんに挨拶した後
タン、タン、タン
からっぽの部屋に最後のご挨拶だ
薄手の壁と裸電球とちっちゃなキッチン
のっぺりした四角い空間
20年前、初めて来た時の姿のまま
カーテンはずすとこんな陽射しが入ってくるのか
「お世話になりましたっ。」
ぺこり
タン、タン

そこへ、だっさいTシャツ&ジーンズ姿の20代のぼくが
陽に透けながらつーっと滑り込んでくる
腕組みして周りを眺め、ポンと手を打つと
「いいんじゃない? よし、ここに決めた。」と呟いた
ほう、これが始まりのシーンか
どうせ聞こえないだろう、と思って
「この部屋探してくれてありがとう。」と小声で礼を言うと
くるっと振り向き
どうしよう目が合っちゃった!
「どう致しましてっ。」
皺のない顔をにっこりさせ
だっさいシャツを翻して昼の光線の中に溶けていった
タン、タン、タン
ありがとう
ありがとう
20年前のぼく
タン、タン

も、いいでしょ
さ、息を整えて
鍵、閉めようぜ
最後の、最後、せーの!
タン、タン、タン
タン、タン

「お疲れーっ、待ってたよーっ。」
笑顔で迎えてくれるミヤコさん
2週間前に引っ越し終わってるミヤコさんは余裕の表情
武蔵小金井の2LDK、ダンボールが記入された数字の通りに
タン、タン、タン
運びこまれていきますぞ
タン、タン
これはキッチン、これは居間、これは書斎
淡々と
区別されて運ばれていきますぞ
床を傷つけないように丁寧にシートを敷きながら作業していくんじゃなー
ぼくは缶コーヒー飲みながら時折質問に答えるだけでいいんじゃなー
20年前の引っ越しの時とは大違いじゃなー
ありゃま、もう作業終了ですか
タン、タン、タン

新居のフローリングは清潔そのもの
2階の窓から見渡せる庭には桜がたくさん植わっていて春が楽しみ
衣類や生活用品の整理は3時間弱で終わった
お次は本とCD、これはすぐには無理かな
タン、タン
タン、タン、タン
む、見てよ、これ
ダンボールから取り出された彼らの表情を
何て穏やかなんだ
まるで仏様みたいだ
きらーっきらーっきらーっ
冷たい肌の妖気はどこにも、ない
本は紙に、CDは金属に
きらーっきらーっきらーっ
うん、安らかな顔
君たちにはいつも抱きしめられてたから
今度は、棚に納める前に抱きしめてやるか
タン、タン
むむ、ミヤコさんが呼ぶ声がするぞ
ご飯できたって
それじゃ、これからも
淡々と、じゃなく
大事にするからね
タン、タン、タン

タン、タン
ミヤコさんが作ってくれたシチューを食べた
この家でとる最初の食事はあったかかった
食後に飲んだお茶はあったかかった
それからお風呂に入った
掬ったお湯がきらきらして
あったかかった
湯気の中から
閉める寸前の祐天寺のがらーんとした部屋の光景が
ふゅるるるんって立ち昇ってきて
おいって腕伸ばして立ち上がりかけたら
ゆらっと笑ってまた湯気の中に
あったかく消えた
それからそれから
お風呂からあがって髪を乾かし始めたミヤコさんの肩が
右肩も左肩も
しっとりとあったかかった
何とまあ
ジャージに着替えたぼくの
首も胸も腕も
めっちゃあったかかったよ
タン、タン、タン

タン、タン
明日は市役所で入籍の手続き
つまり、ここで過ごす初日となる今夜は
違う姓の2人としての
あったかい
最後の夜ってことさ
タン、タン、タン

タン、タン
暖房ちょっと強めにして
タン、タン、タン
名前を呼ぶと
タン、タン
呼び返してくれる
タン、タン、タン
握ると
タン、タン
握り返してくれる
タン、タン、タン
丸みを帯びた息が
タン、タン
こんなに近くで波打ってる
タン、タン、タン
よしよし
タン、タン
よしよし
タン、タン、タン
思えばファミやレドや、いなくなってしまったソラは
かわいがって欲しい時
よくしっぽをぴーんと立てながらスリスリしてきたものだけど
タン、タン
ぼくたちも同じだね
タン、タン、タン
ファミちゃんもレドちゃんもソラちゃんもぼくたちも
タン、タン
あったかさが溢れて弾んで飛び跳ねるのは
タン、タン、タン
触れ合うってことがあってこそ
タン、タン