隘路を歩いた

 

祖母がいた

三毛猫が
いた

昔はここしかなかった

三毛猫はなんどか
お母さんになった

畳にだまって座ってた

手が白く
手をそろえて

座ってた

目を瞑った

垣根があり
祖母の

育てた野ばらの
白い花が

咲いていた

祖母は

窓にもたれて
だまって白い花をみてた

なにも言わなかった
なにも言わなかった

一昨日かな
駒場で

Yiwu Liao廖亦武の”大虐殺”という詩を聴いた

叫びだった
挽歌だった

失ったものがあまりにも大きい
失ったものがあまりにも大きい

廖亦武のことばはあまりにも大きい
無数の沈黙に支えられている

雪のたくさん降るのをみた
簫の音を聴いた

それでも
ひとは生きてしまう

なにも言わなかった
なにも言わなかった

祖母は
だまって

いまも
見ている

隘路を歩いた
隘路を歩いてきた

残ったひとは隘路を歩いてきた

 

 

 

as an alien among the aliens

 

観音

というのは
音を

観る
のだそうだ

工藤冬里は
音を飲めといった

目で飲むのだろう

子どもの
目玉の

白が

青い
みひらいていた

子どもは目玉で音を飲む
音を観る

ひかりを

忘れ去る
流れ去る

as an alien among the aliens
異邦人の中の異邦人として

流れ去る

夏雲の
白く佇っていた

女は大皿のようにもみえた

 

 

 

ひかりを飲む

 

きのう
ねむるまえに

ゴンチチのギターで
ロミオとジュリエットを聴いた


目覚めて

窓をあけて
また

ロミオとジュリエットを聴く

仏壇に
水とお茶とごはんを供えて

線香をたて

義母と
女と
犬と
わたしのことも

祈った

それから子供たちや家族たちやあのひとのこと

遠い
友たちのことも

祈った

毎朝
そうしている

それからモコを連れてゴミを出しにいった

近所の家の庭には
紫色のあじさいの花が咲きはじめてた

目がひかりを
飲む

ひかりをのんでいる

 

 

 

空洞のようなもの

 

ねむる
とき

だったのか

ねむって

から
だったか

それは
タイトルか

ぼんやりとした

構造のような
もので

あ〜
これは〜

と思った

今朝
目覚めたら

忘れてた
忘れてしまっていた

とても大切なものを忘れてしまったようで

悲しい
なにか

ぼんやりとした空洞のようなもので

やわらかい
ものだった

すぐに忘れてしまうような
身近なものかな

両足の裏で描いた赤い抽象画を見たことがある

 

 

 

このようになくなるもの

 

雨が降るまえに
昨日

モコと散歩した

灰色の雲が
重なり

韮の白い花のかたまりが
ゆれていた

夜になって
雨は

降り出した

一昨日は
外に出かけていた

中野と
鎌倉と
高円寺と
四谷と
表参道と
新宿で

ヒトと会った

そこにはそのヒトがいてそのヒトの生があり
踠いている

“いつ突き落とされてもいいほど愛しているので”
“役割語の声色を抜いた”

と工藤冬里は書いてた

もう女は役割語を使わない

今朝も
雨は屋根と

窓ガラスを叩いている

the one thus gone.
このようになくなるもの.

荒井くんが
facebookですすめている曲をいま聴いてる

ANTON BATAGOVの曲だ

今朝
ここにいて

雨が窓ガラスを叩いて流れるのを見ている

その向こうに
西の山はあるが

灰色の雨雲でいまは見えない

 

 

 

海から帰って

 

海から帰って

モコと
ソファーで眠った

めざめて
ゴミを出しに行った

それから
溟い部屋で

ラウテンクラヴィーアのパルティータを聴いていた

海では
ノラをみた

海が

ゆっくりとうねるのを
みてた

海にはしらす船が浮かんでいた

漁師たちは
たくさんのしらすたちを捕らなければならないのだ

川面を燕たちが曲線を曳いて飛ぶのをみた

ニラの花が実って
重たく揺れるのをみた

ラウテンクラヴィーアはバッハが出会った楽器だ

反近代の楽器だ

パルティータには
細い一本の道がみえる

その男は
どうなんだろうと問う

ほそい道を歩いていったのだったろう

 

 

 

雷雨の朝に

 

かみなりがなってた

めざめたとき
かみなりが

なってた

雨が
屋根を叩いてた

きのう
眠るとき

両腕をひらいて眠った

鳥になろうとしたのじゃない
眠るとき

いつも
沈んでいく形をさぐる

闇のなかで
女の掌に触れた

すぐに沈んでいった

沈んでいくときに見る景色もあるだろう
忘れてしまう

きのう
工藤冬里の詩に

“私達は誰であれ、ボロアパートに住んでいる”
“バックネットから我を忘れて覗き込んでいることも出来るだろう”

という歌があった

帰ってきた
男の

歌だろう

めざめたとき
かみなりが鳴っていた

階段を降りていくと

モコは激しく全身を震わせていた
雷雨の朝にかみなりがおさまるまでモコを抱いていた

 

 

 

風がふいて

 

どう
なんだろう

どうなんだろうと

問われる
問われている

いつも

だれからかも
わからない

風がふいてた

志郎康さんもそうだった
桑原正彦も

そうだ

工藤冬里もそうかもしれない

風がふいて

いて
どうなんだろう

と問うてくる

なにが
どう

なのか
わからない

わからないところから

桑原は
電話で

ひかりだよね

そういった
なにがひかりなのだったのか

そうだね

と応えた
そのひかりは

遠い闇のなかから聴こえた

昨日
プールで500m泳いだ

それからゆっくり海亀になって
50m泳いだ

夕方には
モコと散歩して

しろいおおきなバラの花のひらくのを見ていた

ハクセキレイたちの鳴いて
遊ぶのを見ていた

地上には
風がふいてた

光っていた

 

 

 

島影

 

島影という
葉書が

届いてた

今朝
気づいた

昨日の夕方

ポストに入れられて
夜中の雨で

濡れたのだった
ろう

たわんでいた

濡れて
たわんで

写真展の葉書は届いた

いつか
どこか

遠くの人に葉書は届くだろうか

雨のなか

傍らの人に
にぎりめしを渡す

水田に身をかがめて
母は

苗を植えていた

身をかがめて
渡す

・・・

そのアルゴリズムを通して
かなしみは抽象されるか

死後硬直の煎餅は
地中で平面となり

・・・

という手紙が

昨日
工藤冬里から届いた

そこにいる
もう長いこといる

ずいぶんといる

そうでなければ
木蓮は

白い花もつけなかった

木蓮の花は
あなたでもわたしでもない

ことばでもない

ただ
佇っていた

島影はいた

島影は
佇っていた

母は
水田に

いた

アルゴリズムから逸れていた

 

 

 

雨になる朝に

 

君子蘭の花が濡れていた

濃いみどりの葉も
濡れて

ひかって

雨になる朝に

女は
働きにいった

ここにいる

この
おとこは

だれのものでもない

コトバを
さがしている

コトバのなかに
コトバでないものを

さがしてる

たぶんそこには
ないね

それは
外にある

コトバの外にある

雨になる朝に

君子蘭の
オレンジの

花が
濡れてた

濃いみどりの葉も濡れてた
ひかっていた

“沖縄”

“大阪”

“日本”

“自治”

“経済”

“成長”

コトバの外部に
人びとの

沈黙はある
雨になる

ヒトビトの沈黙を聴く
世界の沈黙を聴く

昨日

夕方に出かけていった
サックスソロを聴きにいった

そこには

小鳥がいて
呻いてた

呻きはコトバではない

小鳥は
佇っていた

よちよち

歩いて
いた

小鳥は空のむこうに渡っていった