昔は葉を食べていた *

 

いちど
会った

品川のホテルの広い部屋で

雑誌の対談だった

その後で
そのひとは海で死んだ

仙台育英の頃
ボクシングの練習でランニングして

道端の草の葉を食べていた

本で読んで
知ってた

家で飼っていた牛が

売られていくのを見て
泣いた

それも
知ってた

ニーチェのようだ
ニーチェのようだ

色紙を
書いてもらった

あまり
話せなかった

昔は葉を食べていた *

 
 

* 工藤冬里の詩「高知」からの引用

 

 

 

あきれて物も言えない 03

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

敗戦の日なのだ

 

昨日は終戦の日だった。
太平洋戦争が終わり74年が過ぎたわけです。

敗戦の日と言ってもいいのでしょう。

夏になりますと戦争ということが思い出されます。
人の死ということが思われます。

昨日、8月15日の全国戦没者追悼式での新天皇のおことばが、
今朝、新聞の一面に掲載されています。

“本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。”
(2019年8月16日 朝日新聞 朝刊より引用)

戦争により死んだ、あるいは傷ついた、日本人と世界の人々に、これらの言葉は届くでしょうか?

「ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
という誓いと祈りを大切にしたいとも思います。

 

人はいつか死ぬんでしょうけれど、
戦争というのは国の命令で人が敵国の人を殺したり殺されたりするわけなんでしょう。

ウィキペディアで「第二次世界大戦の犠牲者」を調べると第二次世界大戦の死者数は5000万〜8000万人ということです。

※参照ウィキペディア「第二次世界大戦の犠牲者」

これは傷病者を含まない死者数だといいます。

日本では約312万人の死者数で、軍人が212万人、民間人が100万人が死んでいるということです。

朝鮮(日本統治)では民間人死者数が約48万人、軍人は日本軍の数字に含まれるようです。
中国(中華民国)では約1,000万人〜2,000万人の死者数で、軍人が約400万人、民間人が約1,600万人、
フィリピンでは約105万人の死者数で、軍人が約5万人、民間人が約100万人、
インド(イギリス領)では約258万人の死者数で、軍人が約8万人、民間人が約250万人、
東インド(オランダ領)では民間人の死者数が約400万人、
インドシナ(フランス領)では民間人が約150万人、死んでいます。

ドイツでは700万人〜900万人の死者数で軍人が約550万人、民間人が約350万人、
ソビエトでは2,180万人〜2,800万人の死者数で軍人が約1,385万人、民間人が約1,800万人、死んでいます。

また、
イギリスでは約45万人の死者数で軍人が38.3万人、民間人が6.7万人、
アメリカでは約41.8万人の死者数で軍人が41.6万人、民間人が1,700人、死んでいます。

これらの死者数の単位は万人です。
アメリカの民間人の死者数以外は全て単位は万人なのです。
死者は一人一人で死んでいったでしょう。
単位が万人とはじつに大雑把です。
約1万人の死者の姿さえ想像することができません。
約5000万〜8000万人という死者の姿など想像できません。

日本人が310万人死んでいる。
朝鮮の民間人が48万人死んでいる。
中国人が2,000万人死んでいる。
フィリピン人が105万人死んでいる。
インド人が550万人死んでいる。
インドシナ人の民間人が150万人死んでいる。
ドイツ人が900万人死んでいる。
ロシア人が2,800万人死んでいる。
イギリス人が45万人死んでいる。
アメリカ人が41.8万人死んでいる。

それ以外の国の人びとも死んでいる。

また、この数以上に恐らくは傷ついた人たちがいる。
国から捨てられた人たちがいる。
慰安婦にされた少女たちもいる。

人類はこんなことをまたいつか繰り返すのでしょうか?

わたしの母の母、祖母は、一人息子、わたしの叔父を沖縄の戦いで失いました。
祖母は大切な一人息子を「天皇陛下万歳」と言って送り出したのでしょう。
老いた祖母が着物姿で庭の生垣の野ばらの白い花を窓越しから眺めていたのを思い出します。
いつまでも灰色になった眼玉で野ばらの白い花を見ていました。

日本人の多くが戦争を体験しました。
ほとんどの人びとは天皇の名の下に戦ったわけです。
世界の多くの人びとも国の名の下で戦ったのでしょう。
戦闘だけでなく病気や飢餓、大空襲、各都市での空襲、沖縄戦、広島の原爆、長崎の原爆、外地での敗戦による自決や暴力や殺害などなどを体験しました。

国や天皇の名の下に人は通常では犯罪となる殺人や暴力行為を大量に行ったのです。
いまやこの世界ではAIやロボットや小型化された核兵器による戦争までも行われつつあります。

あきれて物も言えません。
あきれて物も言えません。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

帰ってみれば *

 

シンガポールに行ってきた

女と
行ってきた

シンガポールは
金融と情報と娯楽の多民族国家だった

ナショナル・ギャラリー・シンガポールで

Lee Wenの
イエローマンのビデオと写真を見た

Lee Wenは
2019年3月3日に

死んだ
この世にはいない

夜にはナイトサファリというツアーで動物たちを見た
夜の動物たちは小さく集まっていた

吠えなかった
話さなかった

翌日は
インド街に行き

辛いカレーを食べた
西瓜ジュースを飲んだ

それからベイエリアで
植物園を歩き

夜には光のショーを見た

翌朝
シンガポール航空で羽田に向かい

こだまで
帰ったきた

帰ってみれば *
モコはいない

ガランとした蒸し暑い部屋がいた

モコは
動物病院のホテルに預けていた

 

* 工藤冬里 詩「なりすましのバラード」より引用

 

 

 

“何をどのようにどれくらい” *

 

午後の浜辺に
人びとは

いた

泳いでいた
子どもたちを波に遊ばせていた

犬をつれて

浜を
歩く婦人もいた

フナムシと蟹が波を避けて
消波ブロックに

這うのを
見てた

フナムシや
蟹や

人は

波を避けて
這う

波を避けて這う

モコは
暑いから付いてこなかった

“何をどのようにどれくらい” *

見つめれば
現われるのか

遠景には

物語があり
近景には死者がいた

韮の花の

白く揺れるのを
見た

渦巻いていた

 

* 工藤冬里の詩「何をどのようにどれくらい〜漢字だけ読む」からの引用

 

 

 

どこから言葉を出してもいいわけだけれども *

 

先週
金曜日

夕方に

表参道の
スパイラルというところの松田さんの

依頼で
わたし詩について話した

自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている
というタイトルでした

わたしの来歴を話した

その後
いまの仕事と浜風文庫のこと話した

それから
わたしの好きな詩をみっつ読んだ

西脇順三郎 茄子  **
鈴木志郎康 なつかしい人  ***
谷川俊太郎 おばあちゃん  ****

西脇順三郎の詩は18才のころ
鈴木志郎康の詩は21才のころ

谷川俊太郎の詩は最近に読んだ

どれもわたしには
かなわない

詩とおもえた

それからわたしの詩をよっつ読んでみた
書いたときわたしのなかに不思議な感覚があったのを憶えている

“どこから言葉を出してもいいわけだけれども” *

渦巻くものがある

わたしのなかに
わたしでないものが渦巻いている

 

 

*工藤冬里 詩「EINGANG」からの引用
**西脇順三郎 詩集「宝石の眠り」より
***鈴木志郎康 詩集「わたくしの幽霊」より
****谷川俊太郎 詩集「はだか」より

 

 

 

What’s your business here, Elijah? *

 

日曜には

投票にいった

投票率は
48%だった

半分以下の民意は
民意か

残りの民意はどこか

投票の

帰りは
ゆっくり歩いた

“世界は邪悪な者の配下にある”

“創が深くなりづづけている”
“創が深くなりづづけている”

午後には

街の画廊で
ちばえんさんの女の裸の絵を受け取った

帰りに

餃子を摘み
ビールを飲み

水曜文庫に寄った

そこで間宮緑さんに会った

間宮さん
きれいな瞳をしていた

間宮さん
静かだった

小説を書いているといった

選挙も
詩も

小説も

終わったところからはじまる

エリ、エリ、レマ、サバクタニ **

叫ぶ

そこから
はじまる

エリ、エリ、レマ、サバクタニ **
エリ、エリ、レマ、サバクタニ **

月曜の夜に

ここで
詩を書いている

 

*工藤冬里 詩「分断の詩学」からの引用
**マタイによる福音書第27章第46節より 「 Eli,Eli,la’ma sa-bach-tha’ni? 」

 

 

 

あきれて物も言えない 02

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

海の日なのだ

 

今日は海の日だったのかな。

この港町にも、
参院選の宣伝カーが回ってくるようになった。

候補者の名前が連呼される声は、
やかましいが、今回はやかましいとは言えない場合なのかな。

参院選の争点は、Y!ニュースの88,045人が回答したアンケート結果を見ると、
1)経済政策 33.2% 2)社会保障 26.3% 3)憲法改正 17.8% 4)外交・安全保障 9.6% 5)働き方 2.5% 6)子育て 2.4% 7)原発・エネルギー 2.2%
となっています。

選挙民の関心は、直近の自己メリットということなのでしょうか?
各政党は選挙民の自己メリットに訴えてくるのでしょう。

優先するべき「働き方」や「子育て」、「原発問題」、「憲法」など人間の基本的な問題が後回しになっている。

そう言えば、「経済で勝つ!」というコピーのポスターが数年前の町々には貼られていた。
それでその政党は勝ったのだった。その政党の選挙参謀は人々の自己メリットへの傾斜を見据えていて勝利したのだったろう。

人々は直近の自己メリットを生きている。

さて、海の日なのだ。
海には、魚たちやフナムシたち、亀たち、海豚たち、鯨たち、カモメたち、海鳥たち、貝たち、ゴカイたち、などなどなどがいる。

今朝の「天声人語」には島崎藤村の詩「椰子の実」が引用されていた。
<名も知らぬ遠き島より/流れ寄る椰子の実一つ/故郷(ふるさと)の岸を離れて/汝(なれ)はそも波に幾月(いくつき)>

新聞には引用されていませんが、詩はやがて<我もまた渚を枕/孤身(ひとりみ)の/浮寝の旅ぞ>と藤村の心情が歌われる。

しかし最近は、椰子の実よりもプラスチックの洗剤容器、レジ袋、サンダル、ペットボトルなどが、浜辺には打ち寄せているのだろう。嵐の後などは浜辺にうずたかく堆積しています。
わが港町の浜辺だけじゃない。どこの浜辺でも似たようなものでしょう。

海は繋がってますからね、国を超えて繋がっている。

今朝の「天声人語」では、2050年には海に捨てられるプラスチックが世界中の魚の総重量を上回るという試算が述べられています。

海には、あまり自己メリットはないから、捨てちゃえ、ということでしょうか。
わが港町の突堤にも土曜、日曜にはたくさんの釣り人たちが集まります。
子どもを連れて釣りにきている若い夫婦もいます。
それで土日の休みが終わると突堤はゴミだらけになるんです。
そのゴミを常連の釣親爺たちが月曜日に片付けていたりしてるんですね。

わたしも以前は遊漁船に乗って釣りをしました。
それでコンビニ弁当やカップラーメンを食べたりしますと最後に船頭さんがゴミを集めて、
海にポイと捨てたりするのを見てしまうんです。

もう何も言えません。

たまたまわたしたちヒトに生まれちゃったのです。
ちょっとした遺伝子の組み合わせでヒトではなくわたしたちゴンズイやコノシロ、サヨリ、キュウセン、オジサンであったかもしれない。フナムシであったかもしれない。

一度、真夏の海に一人でボートで浮かんでいて、ウルメイワシの大群の上に浮かんでいたことがあります。

海がウルメイワシの背中で真っ黒になるんです。
サビキの仕掛けを海中に下ろすとウルメイワシはいくらでも釣れちゃうんです。
それでその海中をよく見ると無数のプランクトンが泳いでいるのです。
ウルメイワシの大群はそのプランクトンに集まっていたのでしょう。

海は生命のスープなのだと思ったのを覚えています。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

どんな声色も眉もフィットしない雨の日の *

 

雨だね

雨の日には
君は

雨を見ているのかい

黙って地面に落ちて消える
雨は

消える

できれば
その唇のアヒル

やめて
ほしい

雨だね
jolie hollandを聴いてる

“愛からほど遠く” *
“ほど遠く” *

君は歌ってる
君は笑ってる

同情 共感 連帯 愛情

それらから
離れて

君は笑ってる
君は笑ってる
君は笑ってる
君は笑ってる
君は笑ってる

地上には貨幣が渦巻いている

君は

それらから
離れて

“革命からほど遠く” *

歌ってる
天に落ちていく

 

*工藤冬里 詩「The abuser」から引用

 

 

 

流木のように近づいてきた ***

 

高速バスでは

Dylan を聴いてた
名古屋港を高架で渡る時

雲が
いた

佇ってた

白い

古代の
女のようだ

少女の俤がある

“And she aches just like a woman.” *
“But she breaks just like a little girl.” *

ダメになる
少女の

雲の

白い

大阪に着いて
新梅田食堂街平和楼でビールを飲んだ

天満宮では芋のロックを飲んだ

柔らかい関西がいた

大阪まで
工藤冬里を聴きにきた

“one too many mornings.” **
“one too many mornings.” **

工藤冬里は

私を捨てて
押し流す

“流木のように近づいてきた” ***
“流木のように近づいてきた” ***

ギターをつまみ
ピアノを

叩く

土砂の流出した後で

歌う

“流木のように” ***
“近づいてきた” ***

岬にひとり佇っていた

ひとり
いた

 
 

* BOB DYLAN「JUST LIKE A WOMAN」より引用
** “one too many mornings.”はBOB DYLAN作詩・作曲の歌
*** 工藤冬里 詩「最後なのにないがしろにしたこと」

 

 

 

花でも鳥でもなかった *

 

高速バスで

帰った

深夜に
帰ってきた

金色の犬が待っていた

蕩尽して
空になった

なにもない
なにも残ってない

泥の中に

女が歌っていた
ちあきなおみを歌った

米沢の生まれだといった
“花でも鳥でもなかった” *

歌っていた

泥の中から見ていた

遠くを
見ていた

いつか
生きていて

きみに会えればと思います

 

* 工藤冬里 詩「(宝のある所は池であった)」より引用