No title.

 

狩野雅之

 
 

タイトルはありません。クリシュナムルティの言葉の引用を冒頭に掲げたいと思います。

あなたが全注意力を集中する―あなたの中の全てを傾倒するとき、そこには観察するものは存在しない。存在するのは全的なエネルギーである注意を払っている状態であって、その全的なエネルギーは最高の形の知性である。(クリシュナムルティ)

 


やがて見えてくるもの。
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生きることは夢のごとし。
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極楽浄土などあるものか。
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死後の世界は、無い。
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いま ここに ある それがすべてである。
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MISTY FOREST

 

狩野雅之

 
 


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今回も明示的なテーマはありません。(タイトルは読者向けの便宜的なものです)
 
わたくしごとですが、これほどセレクションに苦しんだことはありません。数週間七転八倒しました。(今回ははじめて浜風文庫掲載を前提に撮りました)
 
その結果が「この程度」でありまして、内心忸怩たるものがありますが、これはこれでひとつの到達点ではありますので受け入れようと思います。
 
わたしは組み写真がもっとも不得手なものですが、「浜風文庫」においては写真掲載は「組み写真」が紙面上最も良いと個人的には考えています。
 
もし1点のみの掲載に留めるのであるならば、写真1点とショート・エッセイが相応しいのでは無いかと思います。
 
そちらの方がわたしとしては得意なのですが、やはり組み写真への取り組みは大切な修練でありそれを発表する場も数少ないゆえ、これはとことん「組み写真」でいくべきだと考えています。(どこまで続けられるかは「神のみぞ知る」ことではありますが)
 
写真というものはやはりプリントしてテーブル上に並べ、それを眺めながらさまざまに並べ替えセレクトしてページを構成する(あるいは展示を構成する)ものなのだと改めて思い知らされます。作品としての写真はプリントして初めて写真になるというのは永遠の真理なのかもしれません。(わたしに限っていうならば、モニター画面上でのセレクションはもはや不可能だと思い知りました)
 
そして写真にこころ惹かれるときそこには必ずそのひとにとっての「プンクトゥム」があるのです。(ロラン・バルトのいうように)
 
今回は改めてそのことに気づく機会となりました。
 
ありがとうございました。

 

狩野雅之 拝