光と風の中で その2

 

佐々木 眞

 
 

 

Ⅰ 夫婦の会話

妻君が階段の上から、
「2階でムカデを1匹殺したわ」
という。それで、
「そういえば僕もこないだ1匹殺したな」
と、階段の下から返事したら、
「それなら、ちょうどよかったわ。ムカデって、いつも2匹セットでいるものね」
と、妻君がまた返事したので、ふうむ、これが「平仄の合う夫婦」というものかな、と思った。

百足平安
無事是貴人
偕老同穴
平仄夫婦

 

Ⅱ 虹の彼方で

一天 俄かにかき曇り、
雨がパラパラ 降って来た
東の窓から 東を見れば
和泉橋の上に 影がある
あれはうちの コウちゃんケンちゃん
かわいい長男 次男じゃないか

雨がザンザン 降ってくるのに
ケラケラ ゲラゲラ笑ってる
笑いながら 駆けずり廻るよ
石橋の穴に 溜まった泥水
あちこっちに 撥ね飛ばしながら
二人はくるくる 輪になって
兄が弟の 弟が兄の
お尻を 追っかけ廻してる

いつのまにやら 雨上がり
東のお空に 虹が出る
赤橙黄緑青藍紫 紫藍青緑黄橙赤
7つの色が 滲んで輝く
虹の彼方で 踊っているのは
あれはうちの コウちゃんケンちゃん
かわいい長男 次男じゃないか

 

Ⅲ とんとある話

とんとある話。
あったか無かったかは知らねども、昔のことなれば、無かったことも、あったにして聴かねばならぬ。
よいか?*

ある五月の晴れた日のこと。オジイチャン、オバアチャンを中心に、座敷に家族が集まりました。
庭の木を見ながら、オカアサンが、
「白い花がたくさん咲いたから、今年は夏ミカンがたくさんとれそうだわ」
とうれしそうにいうと、オジイチャンが、
「あの夏ミカンはな、昔は「夏代々」というたそうじゃ。ご一新で没落した士族がこれを稼業にして代々生き延びられるようにとその名をつけたそうじゃ」**
と、学のあるところをみせています。

突然庭の向こうから2羽のスズメの夫婦が飛んできて、
「おや、普段は雨戸を閉めた切りの家に、大勢人が集まってる。珍しいな、チチチ」
と鳴きました。
「あのスズメは、夫婦みたいだね」とケンちゃんがいうと、
「うん、オラッチもそう思う」と、オジイチャンが大きくうなずきました。

スズメ夫婦が飛んでいくと、ツバメの夫婦がやってきて、
「自動車修理屋さんの軒端に、おうちを作ろうとしたんだけど、「糞を落とすからほかを当たれ」と言われたので困っています。どこかいいとこないかしら?」と尋ねます。
オトウサンが、「そんな自動車屋はけしからん。うちのアクア***が故障しても、絶対にあそこには頼まないぞ」
と怒り狂っているので、またしてもオカアサンが、
「よかったら、うちの玄関の下はどう? 大歓迎するわ」というと、ツバメ夫婦は歓喜の歌を唄いながら、大空を飛び回るのでした。

すると今度はコジュケイが、7人家族でやってきました。
「わたしら、こないだからタイワンリスとアライグマに襲撃されて困っています。浄妙寺の交番に相談したのですが、「君たちにここに泊ってもらうと、公務に差し支えるから困るのお」と言われてしまいました。どこか安全な場所は無いでしょうか?」
するとオバアチャンが、「あら、それなら狭いけど、うちのお庭に住んでもらってもいいわね、オジイサン」
というたので、オジイサンもみんなも、朝からあの「チョットコイ」の鳴き声で起こされるのは困ると思いながらも、「いいですよ。大歓迎ですよ」と、異口同音に答えました。
大喜びのコジュケイ親子は、「チョットコイ!チョットコイ!」の大合唱です。

すると、そのけたたましい鳴き声が聞こえたのか、大きなゾウさん夫婦が小ゾウを連れて、ドシドシドシとやって来ました。
「私たちは、昨夜インドから、やっとこさっとこ横須賀の港に着いたのですが、日本に着いたら、すぐにサーカスに売られるのです。サーカスは見るのは好きなんですが、火の付いた輪をくぐり抜けるのは熱くて怖いので、3人で逃げ出してきました。お願いです。なんとか匿ってください」
と、部厚い前足を、折り曲げ、折り曲げ、長いお鼻を、ふりふり、ふりふりして訴えます。

目付きの怖いパンダさんなんかよりも、小ゾウが好きなコウちゃんとケンちゃんは、
「ね、ね、いいでしょ。コジュケイとスズメとツバメのお仲間に、ゾウさんたちも、一緒に仲良くお庭に住んでもらってもいいでしょ?」
と、懸命にアピールするので、普段は難しい顔をして、誰にも分らない詩のようなものを書いている超自由業のオトウサンも、
「それほどいうなら仕方がない。愛犬ムクは死んでしまったけど、その身代わりだと思って、ゾウさんたちもしばらくお庭で飼うことにしましょう。そのかわりに面倒は、みんなでみるんだよ」
というたので、動物好きの一家も「それがいい! それがいい!」と、全員で声を合わせました。

そこで大喜びのコウちゃんとケンちゃんは、
「♫ゾウさん、ゾウさん、お鼻が長いのね」と唄いながら、ゾウさんや、コジュケイや、ツバメや、スズメたちと一緒に、狭いお庭の中をグルグルぐるぐる楽しく踊り歩きました、とさ。

 
 


*柳田国男が蒐集した昔話を語り始める際の決まり文句。大江健三郎「M/Tと森のフシギの物語」「同時代ゲーム」より引用。
**「夏代々」の逸話は日本版「ウィキペディア」に拠る。
***没落する中産階級向きの厭らしい外装色のトヨタ製ハイブリッド車。

 

 

 

光と風の中で

上野と六本木の2つの展覧会をみながら

*1

 

佐々木 眞

 
 

 

Ⅰ 世紀末ウィーン

五月の光と風が、赤茶色の建物の中まで、差し込んでいる。
上野の都美術館に足を踏み入れると、
何を考えているのかさっぱり分からない女が、
紅い唇をポカンと開いて、
呆けたように、立ちずさんでた。

クリムトが生きた世紀末のウィーンは *2
ビーダーマイアー様式の家具とかヴァーグナーの建築物とか、
いっけん、おしゃれでシックなふぁっちょんタウン、のようだが、
しかしてその内実は、R.シュトラウスの「薔薇の騎士」のように淫靡で、
熟れきったメロンのように甘美な文化都市だった。

1898年、クリムト選手は、そんな腐れメロンに対して、
「ウィーン分離派」なる独立行動隊をざっくり立ち上げた。
彼は権門に対して、激しい分派闘争を繰り広げた、闘う画家でした。

金粉をまぶしたキンキラキンのキャンバスの中に、
その伝説の妖艶な美女は、いた。
黄金の首輪を巻いた、半眼開きの黒髪女、ユディト!

だらりと伸びた右腕の下には、
女に首を斬られる快感に酔ったままの
男の首が、ぶら下がっている。

超美貌の寡婦ユディトの、色香に惑わされ、
さんざん葡萄酒を飲んで、
ぐっすり眠り込んでいたために、
ベトリアであっさり首を掻かれた
軍最高司令官のホロフェルネスだあ。

旧約聖書の「ユディト記」に出てくるこの題材は、
カラヴァジョやクラナッハなど多くの画家が、
競うようにして描いたけれど、
クリムトのように「殺す女」と「殺される男」の性的法悦を、
ふたつながらに描いた人は、いなかった。

茫洋、茫洋、また茫洋――
クリムトは、人物をリアルな描写ではなく、
しどけない雰囲気を、がばッと大きくつかまえて、
巧みな色遣いと、エディトリアル・デザインで、仕留める
いうならば「アトモスフェールの達人」でした。

Ⅱ イトレルの臓腑

フランツ・クサーヴァー・メッサーシュミットの *3
「究極の愚か者」という名のお調子者の彫刻を眺めていると、
なぜかクリムトの27年後に、この国に生まれ、
1907年に、一旗揚げようと、この街に出てきた、
保守的で、下手くそな絵描きのことが、思い出されてならぬ。

「なにくそクリムト! くたばれエゴン・シーレ!」なぞと呟きながら、
今をときめくウィーン分離派を、見返えす思いで、
欧州のみならず、全世界を震憾させる独裁者に成り上がった
暗い男のどす黒い情念を、
会場のどこかで、あなたも感じるのでは、ないだろうか。

華麗なる芸術の街ウィーンの陰画こそ、
独裁者イトレルの臓腑なのである。 *4

Ⅲ シューベルトの眼鏡

六本木「新国立美術館」の「ウィーン・モダン」展では、意外なものと出会った。
作曲家フランツ・ペーター・シューベルトの眼鏡である。 *5
銀で出来たそれは、とても小ぶりで、
親しみやすいけれど繊細な彼の音楽に、とてもよく似合っている。

眼鏡の左に掲げられている彼の肖像画と
(これはよくレコードやCDのジャケットデザインでお目にかかった)
かの有名な「シューベルティアーデ」で演奏し終わった瞬間の夜会の絵でも、
同じ眼鏡が、彼の顔に乗っかってる。

解説文によると、シューベルトは、
朝起きたらすぐに作曲できるように、
夜寝ている間も、この眼鏡を掛けていたそうです。

「これが僕の最期だ!」とうめきながら、
たった31歳の若さで、シュバちゃんがこの世に別れを告げた時にも、
この愛らしい眼鏡が、
仰向けの童顔に、ちょこなんと、乗っかっていたにちがいない。

Ⅳ アルノルト・シェーンベルクの絵

アルノルト・シェーンベルクが、 *6
油絵を描いていたとは、知らなんだ。

アルバン・ベルクを描いたものは、わざとのように下半身を簡略に描いているが *7
その音楽と同様、只ならぬ神経質な容貌は、しっかりと捉えられている。

驚いたのは、「グスタフ・マーラーの葬儀」の絵であった。 *8
画家自身をはじめ、数少ない参列者によって取り囲まれた、
お椀を伏せたような、小さなお墓のなかで、
葬られたばかりのマーラーは、
まるでコクーンに内蔵された宇宙人のように、
生暖かい橙色の光を、周囲に放散している。

「偉大な音楽家は、永遠に生きている!」
先輩に逝かれたシェーンベルクは、そう言いたかったのでしょう。

Ⅴ エゴン・シーレvsフィンセント・ファン・ゴッホ

エゴン・シーレは、ゴッホに対抗してた。 *9&10

シーレの、あの「ひまわり」を見よ!
命の限りを燃やしつくした、ゴッホの黄色いひまわりに、
「それがなんだ。それがどうした。」
と突きつけた、死んだひまわり。
死んだあとでも、冷ややかに美しい、黒いひまわり。

シーレのあの「寝室」を見よ!
生命力の輝きをみせる、ゴッホの黄色いベッドに対して、
「ノイレングバッハの画家の部屋」のベッドは、真っ黒の黒。
死に祝祭された、漆黒のベッドで、
エゴン・シーレは、今も眠っている。

 

 

1)上野と六本木の2つの展覧会
「グスタフ・クリムト展―ウィーンと日本1900」東京都美術館2019年7月10日迄
「ウィーン・モダン展―クリムト、シーレ世紀末への道」国立新美美術館2019年8月5日迄
2)Gustav Klimt 1862年7月14日 – 1918年2月6日
3)Franz Xaver Messerschmidt 1736年 – 1783年
4)Adolf Hitler 1889年4月20日 – 1945年4月30日
5)Franz Peter Schubert 1797年1月31日 – 1828年11月19日
6)シューベルトの友人やファンに囲まれて開催された音楽の集い。
7)Alban Maria Johannes Berg 1885年2月9日 – 1935年12月24日
8)Gustav Mahler 1860年7月7日 – 1911年5月18日
9)Egon Schiele [ˈeːɡɔn ˈʃiːlə] 1890年6月12日 – 1918年10月31日
10)Vincent Willem van Gogh 1853年3月30日 – 1890年7月29日
シーレは1890年6月12日に生まれたが、ゴッホはそれを見届けるかのように同年7月29日に亡くなった。

 

 

 

「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第72回

 

佐々木 眞

 
 

 

西暦2018年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

地球上のおそよ5万キロの地点から地球を見下ろすと、橙色の点が点滅していたので、そここをめがけて降下していくと、案の定、彼奴がいた。11/1

わが社のパリ支店の電子機器は、すべて一時代前のものなのだが、現地のスタッフは平然と構えているので、「最新版に取り替えろ」などとはと誰も言えず、そのために、ますます時代遅れなものになっていった。11/2

シェークスピアのナベショウによる翻訳があまりにも酷いので、思い立って自分でやってみたが、これまたかなり酷いので、大きなショックを受けているところ。11/3

それまでは無能の極みと評されていた僕だったが、ある日突然なんたら賞を受賞した途端、さながら掌を返したように、社内外の評価が改まったので、僕は今までと同じ人間なのに、どうして世間はこうも気まぐれなのか、と驚かずにはいられなかった。11/4

敷布団のすぐ下が奇麗な海になっていて、目の前に目の覚めるような紅色の甲殻類が遊ぶようにして泳いでいるので、捕まえてやろうと思って、手を伸ばした途端に、夢がちょん切れて、海は布団に戻ってしまった。11/6

3年寝続けていたら、カド君が、「起きろ、起きろ、早く起きろ、どうあっても即刻起きろ!」と騒ぎ立てるので、「うるさいなあ、それほどいうなら起きてやるけど、なんせノーパンだからなあ」とぼやくと、彼は急いでパンツを買いに行った。11/7

洗濯物の山の中から、茶色と黒の2匹の犬がノソノソ出てきた。なかなか可愛いので、いい名前をつけてやろうと思うのだが、「黒」と「茶」、「天」と「地」、とか「山」と「川」くらいしか思いつかないので、こんな筈ではなかった、と焦っている私。11/8

籠城中に「トロイの馬」のデザインをした黒い立体物が届けられたので、みんなでいじくっているうちに大爆発して、全員死んでしまった。11/8

サルガッソー海に船出をしようとしたが、私は「稲妻組」の連中を養っているので、なかなか難しいことがわかった。11/9

白雪姫からパーティに誘われたので、愛人を連れて出かけたところ、私に目をつけた白雪姫が、私を密室に連れ込んで優しく愛撫すると、驚いたことに長年に亘ってインポの私が勃起し始め、なんとか挿入も出来たので、射精は我慢して帰宅して、急いで愛人としたのョ。11/10

知り合いの女性と四方山話をしていると、彼女の旦那が資生堂の宣伝部で働いているというので「そりゃいいね、うらやましいな」というたら、彼女の隣にいた男性が振り向いて「そんなに羨ましがられるような職場じゃないッスよ」というたので驚いた。11/11

私は誰かに拾われた金魚として、ビニールの奥でヒレを静かにそよがせながら、この世のすべてのことどもを、じーっと観察していた。11/12

小学館のS編集長は、私の眼をじっと見据えながら、「それであなたが本にしたいという原稿は、どういうものですか?」と尋ねたので、私は、なんだか嫌な感じに襲われた。11/13

七夕広場で、大勢の男女が踊っているのを眺めていたら、見知らぬ女性がやってきて、私の腕の中で踊り始めた。11/14

毎年恒例の親睦会が、今年はタイのバンコクで開催され、わが社のスポーツ部門の記者7人が派遣されたが、生憎の集中豪雨で、ゴルフもできなかったそうだ。11/15

歩いても歩いても、見知らぬ町の見知らぬ道と建物が続いているばかりで、目指す駅は見つからない。いったいここはどこなんだ? 私はやっとこさっとこ、見覚えのある「なんとか会社」のビルヂングを見つけた。
それはシチズンだったので、「ああシチズンか」と思いながら門から中に入っていくと、技術者が待ち構えていて、「お名前は存じております。さっそく時計を作ってください」と頼まれたので、「早く駅に行かなければ」と焦りながら、時計を作っているわたし。11/16

絶海の孤島に、私を含む2組の男女が暮らしていた。そのうちの1組が旅立つというので、私たちは見送ったが、「いよいよ、たった二人になったのかあ」と思うと、心細さが一入募って来るのであった。11/17

死んだ黒澤監督が蘇って、待望の新作を撮るというので、エキストラの私らが現場に行くと、「全裸になって茶色に塗った体を、折り重ねるようにして横たわってくれ」という。白馬にまたがったヒロインが、その上を疾走するというのだが、はてさてどうしたものか?11/18

大至急、新しい住まいを見つけなければならない。しかし、妻が急病で動けないうえに、某不動産屋から派遣された担当者が、どうしようもない無能者なので、そいつを撒いて別の不動産屋に飛び込み、彼らの一押しマンションを即決した。11/19

「ではここでお別れしましょう」と、こもごも決別の挨拶を交わしたのち、パリ在住半世紀を過ぎた、3人の80代の女性を乗せたバスは、みるみる、私の視界から遠ざかっていった。11/20

「佐々木眞文学全集全1巻」という、見るからに枕より膨大な単行本が「らんか社」から出版されたので、思わず手に取ってみると、意外に軽いので驚いたが、その内容がもっと軽かったので、なおなお驚いた。11/21

東北一円にネットワークを張った魔女たちの、自立した生き方を取材するために、私は、勇んで出発した。11/22

彼女は、白いドレスで4つの曲を歌ったが、そのあとで、私らは4度交わった。11/23

氏は、私の質問に対して、最初はちゃんと答えていたが、しばらくすると、何も答えなくなったので、よく見ると、眠り込んでいた。氏は、しばらくしてから眼を覚ましたので、私がまた質問を続けると「私はdrawするものしか書きません」と言明したが、そのdrawとは、いったいどういう意味なのかが、さっぱり分からなかった。11/24

私は、すでに過去6年間にわたって「主」を探してきたのだが、見つからない。すると今度は、まだ行ったことのない西日本を調べてくれ、と頼まれたので、早速出かけた。11/25

アオキ選手からまたメールが入って、「ヤブキ色のマフラーを買って下さい」と強請るので、「ヤブキ、カヤブキ、ヤマユキ」と返信した。11/26

ガン検診の長い列に並んでいたら、ウッちゃんとその奥さんも並んでいたので、少し気が楽になったが、総身刺青のヤクザが割り込んできたので、みんな困っていると、魔法使いのお婆さんが、凄い裏技を使って、そやつをぶっ飛ばしたんだ。11/27

大久保卿の私は、激烈な政争と公務を慰藉するために、手当たり次第に美女を大奥に囲い込んでいたので、そこに紛れ込んだ女スパイは、いともやたすく卿の私を、暗殺することができたのだった。11/28

「八丈島で最期を迎えたい」と、そのカメラマンがいうので、私らは、江の島の港の桟橋まで、見送りに行った。11/29

以前職場で作った「こんな時にはこうしよう」という例題集を、肌身離さず持っていたおかげで、私はリストラされても、すぐに次の職場が見つかり、なんとか苦しい時代を生き延びることが出来たのだった。11/30

 

 

西暦2018年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

ここは下町のダサイ一角なのだが、その中にあって、はきだめの鶴のような、いつも身ぎれいにしている夫婦が住んでいた。あれはいったいどういう経歴の人だろう。いちど話してみたいものだ。12/2

電通映画社のマツオさんが「私はササキさんから、この仕事をいただきました。私のクライアントは、ササキさんです。ササキさんの上司が、横からなんといおうと、それは関係ない!」と厳かに言明されたので、私は大いなる感銘を受け、粛然と襟を正した。12/3

じつは私は、セゴドンの子孫なのだが、何となく言い出せないままに、時が流れ、気がつくと、大正時代になっていたので、もうどうでもいいや、と黙り通した。12/4

男のおしゃれの話で盛り上がっていたところへ、、ある流行作家が、1人の女に詰め寄った。彼女は、どうやらタカハシという人物と、二股をかけていたようだが、お陰でみんなは、しらけてしまった。12/4

そのだだっ広いフグちり屋は、昼間はカレー屋なので、うすいフグちりにカレーがついて、なんともいえない奇妙な味になるのでした。12/5

そのベレー帽の男は、ムニャムニャ言いながら近寄って来て、いきなり私の股ぐらに手をやったので、どたまに来た私は、あっという間に、彼奴を叩きのめしてやった。12/6

超貧乏監督の私は、ペイデイになると、スタッフ全員に給料を払ってやっていたので、たちまち、一文無しになってしまった。12/6

太刀洗の朝夷奈の滝の辺を飛んでいた2頭のキチョウを、ジャンプ一番バケツで捕まえたら、ミエコさんが拍手した。12/7

彼はアパレル業界、私はダンス業界で、「お互いに切磋琢磨しよう」と、誓い合っていたのだが、ふとしたことから、彼が憂愁のスカーレット・ヨハンセン似の女のどつぼに嵌りこんでしまったので、すべてハチャメチャになってしまった。12/8

1日に1本だけ走る1両編成の列車に乗り込もうとしたら、車両の中は、惨たらしい死体ばかりなので、いったいこれはどういうことなのか、と私は驚いた。12/9

私が長らく監禁されていた城塞に、突如火災が発生したので、私は部屋の高みの窓からの脱出を図って、窓ガラスをぶち破ったのだが、そこからは鳥のように飛翔する以外、切り立った城壁を降りる手段は、見つからなかった。12/10

彼は、ハワイで心臓、グアムで肝臓を手術したのだが、費用が高かったうえに、術後の経過も思わしくないので、「なんではじめから日本でやらなかったのか」、と後悔していた。12/12

各社の毎日の売り上げデータが、一列に並んでいるのを、順番にクリックして、月別のデータに、その数字を付け加えていくのが、私の仕事だが、時々自分が何をやっているのか、さっぱり分からなくなる瞬間がある。12/13

お隣のヒグチさんは、我が家との境界を超えた雑木を、火炎放射器で焼き払おうとしているのだが、どういう訳だか、その不思議な木は、いつまで経っても、燃えないのだった。12/14

新田義貞の私は、その時、よせばいいのに調子に乗って、敵を追い散らさんものと単騎田圃の畦道を全力疾走したのが運の尽き、さながら平将門のごとく、飛んできた鏑矢に額を射抜かれてしまったのだった。12/15

ケン君と一緒に、なんとかいう名前の大先生を訪ねて、講演の依頼をしにいったが、けんもほろろに断られてしまった。12/16

晴れた日に、宇宙船からぼんやり地球を眺めていたら、我が家の妻君が、露台で布団を干しているのが見えた。12/17

「私のもとで、あれほど合気道を徹底的にやっったのだから、3年間のムショ暮らしなんか屁でもないよ」と、ヨシダ師は励ましてくれた。12/18

一大飢饉に襲われた村で、ケンちゃんに似た1人の少年が、頭上に直方体の箱を乗せて立っている。人々が少年に近付くと、そこからは、夥しい清水が迸り出るのだった。12/19

乗りつけないトヨタ・プレジデントの後部座席に座っていると、運転手のハスイケ君が、「社長、ニコクの駐車場に入れていいですね」というので、「いいとも」と答えてふんぞり返っているのだが、ニコクっていったい何だろう?12/19

村人たちが、「今日はとてもきれいな夕焼けだねえ」と、溜息をつきながら西の空を眺めていると、突然太陽が爆発して、山々が燃えはじめ、火はたちまち村全体に広がって、すべての家屋敷が焼け落ちてしまった。12/19

こないだ大貫妙子が、「メトロポリタン美術館」を歌っていたホテルのロビーに、巨大な旅客機が舞い込んできて、出口が見つからないのか、エンジンをぶるぶるいわせながら、鯉のぼりの鯉のように、同じところを行ったり来たりしている。12/20

「あなたの会社で一等変な人に会わせてくれ」と、顔見知りの業界紙記者から頼まれたので、さる奇矯な男を紹介したのだが、それからしばらくして、あろうことか、その変な奴がわが社の社長になり、またしばらくしてから、会社を潰してしまった。12/21

私は、ササキマサミ先生の自閉症連続講演会で、ボランティアをしていたのですが、その都度預かっている子供の成長が著しいので、驚かされました。12/22

ふと気がついて、あたりを見渡したら、みんな死んでいた。12/23

この小屋では、心身に障ぐあいを持つ人々が、いつでも自分の芸を勝手に披露したり、飲んだり、食うたりできるのだった。12/23

「ササキ課長、今日のスキヤキ定食美味しいですよ。席までお持ちしましょうか?」とシミズ嬢がいうので、座ってじっと待っていたが、いつまで経っても持ってこない。そのうち社食の営業時間が終了して、食堂には誰一人いなくなった。12/24

いよいよアメミヤ氏がプレゼンする番になったが、彼は自分の服の上に、雪や霜のように降らせた白いフケを指さして、「これを大量生産して、海外に輸出すべきだ」と論じたので、経営者たちは、言葉を失った。12/25

ここは見渡す限りの大草原で、いろいろなところから家族連れでやって来た人々は、三々五々思い思いの場所に寝そべって、英気を養っていた。12/26

半裸の真梨邑 ケイが、追って来る。逃げても、逃げても、追って来る。もし追いつかれたら、どおゆうことになるか、よく分かっているので、逃げる、逃げる、懸命に逃げる、わたし。12/27

私はひとかどの能役者なのだが、一大野外公演のギャラが破格の高額だったので、「半額でいいよ」と申し出たら、何をどう誤解されたのか、「本日の出演者の出演料は、恵まれない子供たちに、全額寄付されます」とアナウンスされたので、急にやる気を失った。12/28

私らは、瑞西のトーンハレ劇場の前で、ひしと抱き合って接吻していたのだが、その姿は、ただちに映像化され、まるで油絵のような静止画となって、わが脳裏に焼き付けられた。12/29

私はレーサーだった。猛烈な勢いで、次々に車を追い抜いていたが、運転するのにも、追い抜くのも、飽きてしまったので、カーブを曲がり損ねて、転倒してしまった。12/30

左手にケータイを握りしめ、ミヤハラ・トモコを追い抜いていく。私らは、10キロの急勾配を、スケボーやフィギュアやローラースケートなどで滑り降りながら、短歌を一首詠んで、その出来栄えと着順の総合評価で、順位を決める競技に熱中していた。12/31

 

 

 

Les Petits Riens~平成30年私史

自1989年(平成元年)1月8日 至2019年(平成31年)4月30日

 

佐々木 眞

 
 

 

1989年1月8日日曜日 雨
今日から平成元年なので、その大祭を2月24日に新宿御苑で開催するという。大赦免もやるという。夜、田原総一朗氏司会のテレ朝の天皇制討論番組面白し。特に西部邁。少し昭和史を研究したいものなり。

1990年1月8日日曜日 はれ
女の疲れた顔を見るたびに、女心の掴みがたきを思う。部内のレイアウト変更案了承さる。プレス要員2名の追加を要請す。終日デスクに座せど心虚し。

1991年1月8日火曜日 はれ
夕方6時に成田を発ち、およそ5時間で香港啓徳空港着。時差1時間ありて、当地は午後10時10分なり。KOULOON HOTEL専用車でホテルに向うも、チップの持ち合わせなく、到着後に砕く。暖かき夜なり。香港、懐かしき顔顔、我との相性よさそうな街なり。

1992年1月8日水曜日
帰宅してテレビをみれば、来訪中の米ブッシュ大統領が、宮澤首相主催の歓迎晩餐会の席上で、インフルエンザ?にて突然倒れる。10分後には立ちあがって、迎賓館に戻ったが、心臓麻痺ではないかと一時騒然となる。

1993年1月8日金曜日 くもり 寒
J.CREW広告の制作にかかりきりとなる。プラトン読了。最近は鎌倉物に熱中。綾部の母、元気。老人なれど食事、便、自立せり。

1994年1月8日土曜日 くもり
かまくら泌尿器科にて薬もらい、図書館でCD借りる。次男は同級生の母校、相模工大付属高校のラグビー部優勝とかで、毎晩うかれている。

1995年1月8日日曜日 晴
妻は長男と図書館へ行きつつ、次男を駅まで送る。彼は造形大と多摩美の受験会場の下見に出かけたのだが、果たして無事に辿りつき、帰宅できるであろうか。

1996年1月8日月曜日 くもり一時雨
J.CREWの予算決まらず。折衝の難航が予想され、ストレスたまる。午後池袋にて「ピカソ展」。ケンタウロスと女のからみが生々しい。帰路雨降る。実に久しぶりの雨なり。仏蘭西でミッテラン死す。

1997年1月8日水曜日 晴
ワープロをやる。なかなか難しい。橋本自民党の政治改革、進まず。来年度予算不出来にて円急降下。株式市場大安値。日本経済危うし。

1998年1月8日木曜日 雪
午後雪となる。ことしの初雪なり。早く帰宅してもよろしいというので、3時に会社を出たら、図書館の傍でカツアゲされている若者を見たので、原宿駅から生まれて初めて110番通報をする。横浜でCDを12000円買う。夜に入りも雪降り続く。米通販会社バークシャ・アウトレットよりLDとCD到着す。

1999年1月8日金曜日 くもり 夕べ雪
終日J.CREWの経費の計算をやる。社員みな遅く来て、早く帰る。不思議な会社なり。現売でJ.CREWのサンプルパンツ@2000円×2点。タワーにて、リヒテル、ギーゼキング@1890円買う。

2000年1月8日土曜日 曇
妻と退職後の保険等の見通しをつける。いろいろと面倒くさい。次男は無事にレポートを提出したらし。昨日シマダさんの隣地の草を、すべて刈っていた。なにか建てるらしい。

2001年1月8日月曜日 くもり
昨夜雨降る。東北そして関東では雪が降り、折角の成人式が気の毒なことだった。ナカノ氏の原稿改訂を終え、文芸社に送る。次は大京不動産PR誌のゴミ特集に取りかからねばならない。

2002年1月8日火曜日 はれ 強風
あまりにも風強くして、ムクと散歩に行けず。妻はヘルパーの初仕事なり。親戚が車に悪戯書きされて警察に行ったが、面倒くさがって取り合ってくれないそうだ。資生堂のワード講座の原稿にクレームがついたのでやり直す。

2003年1月8日水曜日 はれ
布団干す。母と妻と3人でひるごはん。今年最後の京風白味噌のお雑煮を食す。スローフードなり。今年初めて小学館スクエアのU氏より℡。14日に神田に伺うこととなる。文芸社リライト第4章を終え、第5章に突入せんとす。

2004年1月8日木曜日 はれ
妻、母を連れて歯医者に行き、疲れて帰ってくる。余は講義の準備でフラフラなり。

2005年1月8日土曜日 はれ
やっと好天になり、布団を干す。これから長男は、なんと1か月もゆりの木ホームに滞在することになる。余は講義の準備なり。

2006年1月8日水曜日 陰* 寒し
ライブドア・ショックで東証パンクし、全銘柄扱い停止。昨日より妻の姉十二所に来たり4人で昼食す。夜「砲艦サンパブロ」見る。1926年の中国の話で、スティーヴ・マックイーン、キャンディス・バーゲン、アッテンボローなどが出る。

2007年1月8日木曜日 くもり
母は午前中に清川病院の脳外科を受診し、いろいろアドバイスを受ける。いよいよリハビリの開始なり。文芸社依然発注なし。熊野神社に行くと、謎のパタパタ眼鏡男がいた。

2008年1月8日金曜日 くもり
依然文芸社より電話来ず。頭に来る。本を読み、ミクシーを書くしかない。

2009年1月8日日曜日 くもり
3人でトヨタカローラ店に行き、修理の打ち合わせ。デニーズでランチ。午後から3人で熊野神社周回コースを歩く。

2010年1月8日月曜日 晴れ
文化で講義。「新しい広告論」。あと2回もあるがネタ不足で不安なり。歌手の浅川マキ、作家のミッキー安川、元投手の小林繁が死んだ。

2011年1月8日火曜日 晴
午前中、鼻水が猛烈に出る。新しい風邪にやられたか。

2012年1月8日水曜日 晴れたり曇ったり
寒し。長男ずる休み。文芸社仕事来ず。頭に来る。妻はご近所の日本画家、故小泉淳作氏の葬儀で建長寺へ。200名以上の参列者だったとか。

2013年1月8日金曜日 晴
妻と十二所へ行き、庭を片付ける。明日はペンキ塗りの外枠工事をするそうだ。

2014年1月8日土曜日 曇のち雪
コウは良い子なり。

2015年1月8日日曜日 いちおう晴
大過なし。妻と太刀洗へ散歩。民主党代表に岡田。細野を逆転す。

2016年1月8日月曜日 雪のち雨のち曇
昨夜ことしの初雪となる。長男、計画通りふきのとう舎を休む。

2017年1月8日水曜日 くもり
妻と流通センターへ行って、長男の靴を買う。鶴岡八幡宮に詣ず。

2018年1月8日木曜日 くもり
稀勢の里、また負けて1勝4敗。白鵬、怪我で休場。

2019年1月8日金曜日 はれ
きのう十二所の妻の実家の雨戸を閉めたはずなのに、今朝行って見ると、半分開けたままになっていた。わがボケ顕著なり。

2019年4月30日火曜日 雨のちくもり
夕方、天皇退位式あり。

 

 

 

橋上女

 

佐々木 眞

 
 

見ろよ イズミ橋の橋の上
今日も佇む 橋上女
降っても 照っても
一日に 何度も 何度も
近所の石橋の上に 佇んで
いつまでも いつまでも
あらぬところを 見つめている

歳の頃なら 五十 六十
身につけているのは 垢で汚れた紅色のダウン
水色のウールのパジャマの 上下をまとい
もっともらしく 両腕を 組んで
足には 黄色いサンダル 履いて
いつまでも いつまでも
あらぬところを 見つめている

それとなく 近寄って 眼鏡の下の 薄汚れた顔を 見れば
小さな 両の目玉は 灰色に濁って
さながら M.ジャクソンンの「スリラー」に出てくる ゾンビのよう
これでは どこを 眺めても 何も見えないだろう
ところが そうではなかった
彼女は 恐ろしい真実を 見据えていたのだ
ギリシア神話に出てくる カサンドラのように

私はその時、むかしアメリカで撮影した たくさんの写真を持っていた
すると 橋上女は 私を 呼びとめて
「その写真を 見せて おくれな」というた
それで 私が 写真を渡すと 彼女は 物珍しそうに見つめていたが
「ほら この写真を じっと見ていて ご覧な」というた
1968年、78年、88年、98年に NYの ブルックリン橋を
私がおなじ場所、おなじ角度で撮った 4枚のカラー写真だ

橋上女が 橋の上で 1968年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1978年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1988年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

続けて「ほれ こっちも ご覧な」と橋上女が 橋の上で 1998年の写真をかざすと
しばらくして ブルックリン橋は ピンボケになって
しまいには 姿も形も 見えなくなってしまった

私は、橋上女から取り戻した 4枚の写真を 矯めつ眇めつ 何度も何度も見つめたが
そのどこにも ブルックリン橋は映っていない。同じような どろりとした茶色の印画紙が 掌から突き出た 4枚のトランプのように 並んでいるだけだ

この時遅く かの時早く 私は気が付いた
1968年と 1978年と 1988年と 1998年に撮影された写真は なぜか見つめられると 粒子が荒れて 映像がとろけ出し 膨れ上がって 土の色に戻ることを

西暦の末尾に8が付く写真は 10年毎に見つめられると ピンボケになってしまうのだ
それはあたかも 大きな栗の木を 輪切りにした時 その年輪が 10年ごとに膨れ上がっているような ものなのだ

ユーレカ! ユーレカ! これぞ世紀の大発見 ではないか!
手の舞い 足の踏むところを 知らなくなった 私は
かの 橋上女に その 驚きを伝えようとしたが 彼女の姿は どこにもない

橋上女 ことカサンドラは いつのまにやら 姿を消した
さらば さらば 謎の女 カサンドラよ!
お前の 灰色に濁った 両の眼は 誰にも見えない 真実を見ていた