愛する大地

 

駿河昌樹

 
 

数日前に使った鉛筆削りを
机の上の
電灯の下の
スタンドの
上に
出しっぱなしにしてある

そんな風景
インスタにも上げたりしないし
データ保存もしない

だいたい
写真に撮りもしない

…こう記してみて
じつは
これだと
気づく

写真に撮られない風景がいっぱいなほうが
ほんとはいいな

撮ろうとも思われない
見逃されっぱなしの
見捨てられっぱなしの
風景とも光景とも呼ばれないような…

そんな
“愛する大地”っぽいもの

ほうへ

 

 

 

ひとつだけ誇らしいと思うのは

 

駿河昌樹

 
 

ひとつだけ
誇らしいと思うのは
徒党を組んで偉がろうとだけは
けっして
しなかったということ

表面だけ取り繕って
認めてもいない者たちを仲間として募って
おたがいに無理に褒めあい
まるで才能ある集団であるかのように
装おうとなどはしなかったこと

たいして認めてもおらず
おもしろくも思っていない年長者を
仰々しく盛りたてて
次の地位に滑り込ませてもらおうとは
一度もしなかったこと

 

 

 

斎告る

 

駿河昌樹

 
 

祈る、とは
「斎(い)告(の)る」の意

広辞苑にはある

斎、とは
忌み清める、身心を清浄に保ち慎む

告、とは
告げる

祈った、
と自認する人は多いだろうが
斎した
という人は
どのくらい居ただろう

どの程度まで

した
という
のだろう

そして
告(の)った内容は

だっただろう

斎告った人が
たとえば
昨年
あるいは
今年の正月
いた
のだろうか
たったの
ひとり
ほどでも

 

 

 

よるべないたましいのだれかさんとして

 

駿河昌樹

 
 

寒い
寒い

天気予報やニュースが言っているほど寒くは感じなくて
家の中でも
まったく暖房を使わないほどだけれど
手の甲や
指の甲が
いつもより乾いて
ちょっとシワシワしてくるのは
やっぱり
寒い
ということなのだろうか

手や指の甲の
そんなシワシワが
ずいぶん
ひさしぶりで
懐かしい
なつかしい
時間

呼び起こされるようだった
呼びよせられるようだった

特に
小学生の頃の冬
外に遊びに出ると
手は
かじかんで
乾いて
よく
白っぽく
シワシワになった

あの頃
それをどうやって
温めただろう
どうやって
元に戻そうとしただろう

手のひらや手の甲を
いつまでも
スリスリして
摩擦し続けて
温めようとしただろうか
ハアハア
息を吹きかけて
いつもの肌に
戻そうとしただろうか

おおい!
まだ生きてるよ!
まだ生きてるんだぜ!

そんなふうに
ぼくは
あの頃の
白く乾いた手の甲に
指の甲に
遠く
ーいや、けっこう近くかな
呼びかける

あの頃の
白く乾いた手の甲や
指の甲を
持っていた少年に
呼びかける

あの子の
やがて
行きついていく先の
あくまで
あくまで
途中経過の
仮の大人の姿をしたものとして
あの子を
がっかりさせ過ぎないで済むような
わずかばかりの
心の
思いの
それらよりも奥底のなにかの
かがやきを
ちょっとばかりは
守り続けている
まったく
ひとりぼっちの
よるべないたましいの
だれかさん
として

 

 

 

分かれ 詩人なら

 

駿河昌樹

 
 

ホッと息を
しかし
やさしく
つく

そんな詩が
ほんとうは求められているのに
壮麗な自我の殿堂や
眉間に深く皺を寄せた息苦しさや
欧米語の語源へ遡りさえしない浅薄なナントカ主義擁護などが
数十年ほど幅を利かせていた国

それらが崩れ落ち
あまり見向きもされなくなって
どうやら
なめらかに古典になっていけそうにはない風情なのも
いい眺めではないか
諸行無常の
お得意の風土に
いかにもお似合いで

ホッと息を
しかし
やさしく
つく

それに曳かれるように
導かれるように
だれもが
ホッと息を
しかし
やさしく
つきたいのを

分かれ
詩人なら

 

 

 

文字配列せよ 言語配列せよ

 

駿河昌樹

 
 

意識たちは巻き込まれている
上下もわからない
時間の進行方向も知れないほどの大嵐の中に

すでに何度も記してきたが
そんな中でつかの間であれポジションをとり直すのに
改行の多い言語配列は本当に有効だ
文字配列と呼んでもよい
意味などなくてよい
浮かんだ言葉や文字を連打するだけでもよい
それがあなたを救う
無意味に文字を連打するうちにポジションの回復が起こる

言語配列や文字配列を詩から解放せよ
と何度も言っておく
詩は捨てていい
あらゆる詩は古いオヤジ自我の玩具になり果てる
つき合っているうちに怠惰な自足癖が感染してくる
感傷、嘆き、希望、狭い美意識の開陳、たいして面白くもない口吻
どれも古すぎ
これからいよいよ荒くなる嵐の中を生き延びるのには効かない

詩が貧者の武器であるように
文字と言語は困窮者や遭難者の最後の道具
紙もモニター画面もなくていい
頭の中で数行なら文字を記すことはできる
慣れれば数十行を記すこともできる
そこに強迫症者のように文字を記せ
それがポジションを取り戻させ
バランスをふたたび生む

そんな具体的な道具として使用せよ
文字配列せよ
言語配列せよ

 

 

 

うつくしい女の子が、生まれる

[2000年4月作 2017年12月再構成]

 

駿河昌樹

 
 

幸福の、貯蓄、というものがあるだろうか、
あるとするなら、それが、空になるのを、わたくしは生きた。

つらい言葉を、くらがりに投げよう。
空になるのを生きた、他のひとにも届くように。
空のひとは、慰撫を、もう、好まないから。
死の時、生のうたは、むなしい。
死を抜けての生の、うた、なら、響くだろう、か。

他の生の貯蓄があるのか、
安楽に、ゆたかに、生きるひとびとを、わたくしは見た。
爪に火を灯すようにしても金の溜まらぬひとびとと、
笊に水を流すように金を使ってもなお豊かなひとびとを、見た。
春の風に乗って、宿命が行くのを見た。
富と、病と、美と、苦悶と、安楽と、無為と、
それらを運んでいく神の手を見た。

この生をゆたかに生きたひとの来世が、
極貧となるのを、わたくしは見た。
美の化身のようであったひとが、象の顔を持って生まれ、
さらに、戦火のなかに身を焼かれる様を、わたくしは見た。
ちから強い足腰にめぐまれた踊り子が、
幼くして足を車に立ち切られるであろう様を、わたくしは見た。
病もなく、長寿を保ち得たひとが、
来世、母の胎にありながら病毒に冒される様を、わたくしは見た。
空洞を生きなかったことから、
来世、空洞を生かされるひとびとの群れを、わたくしは見た。

得ていたものはすべて奪われ、
得ていたものを、守ろう、とする、手や、腕までも、
失われる様を、わたくしは見た。
振り子は戻り、かならず逆へと向かうのを、わたくしは見た。
海は山となり、名声は忘却へと振るのを、わたくしは見た。
子をもうけた者は、やがて孫までも奪われ、
平和は子孫の戦乱によって報いられるだろう様を、わたくしは見た。

うつくしい女の子が、生まれる。
うつくしい女の子は、春のようだ。
なにもかもが、あかるくなる。
と、貧しい家の老婆が、旅ゆくわたくしに言った。
そのときが、わたくしの悟りの、最後の石段。

うつくしい女の子とは、だれですか?
と、わたくしは老婆に問うた。
うつくしい女の子は、
おまえさんの、空っぽのこころの、底の、
ほら、その、空になりえないもの。
ね、
それ。

それ。

うつくしい女の子が、生まれる。
うつくしい女の子は、春のようだ。
なにもかもが、あかるくなる。

そう、歌うように。
これから。

それだけを、しながら、旅終わる、生、を
逝く、
ように、と。

老婆、女の子、…………

うつくしい女の子が、生まれる。
うつくしい女の子は、春のようだ。
なにもかもが、あかるくなる。

なにもかもが、あかるくなる。

 

 

 

あのムチムチの腿や短すぎるミニスカートの雰囲気までも

 

駿河昌樹

 
 

大人になって
十分に饐えてくると
自分がなんでも知っているかのように
人は誰でも思いがちになってくる

慎み深くあれ
謙虚であれ
などと道学者めいたことを
ひとくさり言ってみたいと思うのではなく
そんなふうに慢心していられるほど
波風立たない入り江に暮らしていられるのだろうか
その証拠だろうか
などという印象を持ったりするだけのこと

ある大学の教員室に居たら
日本語の初老の女性の講師が
短歌について他の先生たちにしゃべっているのが聞こえてきた
他愛もないおしゃべりに過ぎないのだが
授業で短歌が出てきたのだろうか
あれがどうの
これがどうの
いろいろしゃべっていて
他の学科の先生たちが
「まぁ、そうですか」
「そんなもんですかねえ」
などと聞いている
わざわざ聞き耳を立てるほどの話でもない

そのうち
北原白秋の名前が出てきたので
ちょっと
耳を澄ましてしまった
「白秋も短歌をちょっと作っていたんですよ」
そんなことを言っている
白秋が作った歌のあの量を「ちょっと」と言うかねえ
と思う間もなく
「でもね、白秋の歌なんて、たいしたものはないんですよ」
とおしゃべりが続いたので
いっそう注意して耳を澄ましてしまった
「まぁ、歌人としてはたいしたことはなかったですね」
空0おや
空空空0おや
空空空空空0おや
空空空空空空空0ぎょ
空空空空空0ぎょ
空空空空空空空0ぎょ

この日本語の先生は
ひょっとして
アララギ派原理主義者かなにかなのだろうか?
それとも
独自の作風を確立なさった現代の大歌人ででもあらせられたか?
なかなかきっぱりとした白秋批判だが
いったいどこから
これだけの白秋ぶった切りの言辞が出てくるのだか

それにしても
怖いなぁと思わされるのは
あれだけの多量の歌を作った白秋を
言下に「白秋も短歌をちょっと作っていた」と断じてしまう
このノーテンキさ
あれらの歌に「たいしたものはない」と難じるにしても
「ちょっと作っていた」はないだろう
言えないだろう
そんな不正確なことは

正直なところ
わたしには好きではない白秋の歌がいっぱいあるのだが
それは彼の言語世界が好きではないということで
あれだけの多量の歌を生産し
あれだけの言語表現の力量をはっきり刻印したことまで
たやすく無視してしまうことなどできはしない
だいたい
世間であまり読まれてもいない
目を患ってからの
晩年の暗い黒々とした墨絵のような歌の世界は
齋藤茂吉の最上川詠に比肩されうるような高みに達してもいるのだし…
それを
この日本語の初老の女性講師は…

恐ろしいなぁ

ひたすら
思うのである

なにが恐ろしいのか
知らないということか
ちっぽけなナマクラな判断基準を肥後ナイフよろしく
いや
ボンナイフよろしく振りまわして
あちらこちら
評定し
断じ
批評して
何様になったかのように慢心することがか

たゞ
わたしは、あれ、嫌いです

済ましておけばいいのに
どうして人は
評するところまで行ってしまうのか
評定し
断じ
批評して
何様かにでもなったかのように慢心するところまで
行ってしまうのか

白秋については
むかしむかし
大学院で白秋を研究していたという女性と
つかの間
同じ職場で親しんだことがあった
秩父出身のその人は
いつも驚くほどのミニスカートで
まれに見るほどにムチムチした腿を
包むか包まないか
という具合にして出勤してきていて
職場は難関校受験の進学塾だったというのに
股の奥が覗き見えるような座り方を生徒たちの前でするものだから
男子学生がわたしたちに
「センセ、もうダメ、ぼくらイッチャウ…」
などと
不平とも
苦情とも
恍惚とも
逸楽の悶えともつかぬことを
話しにきたものだった
空0(ちなみに
空0(精子はじつはエーテル体なのであると断ずる
空0(トンデモオカルト説をこのあいだ偶然ネット上で読んだナ
空0(もちろん、これは「ちなみに」な話であって
空0(いま進行中の言語配列とはあまり関係がないんだナ
この女性はなぜだかわたしに好意を示すようになって
仕事の後でよく公園で話をした
その職場は埼玉県の北浦和だったので
その公園とは北浦和公園であった
空0(なんでだか
空0(この書きもの
空0(「であった」調になってきているナ
夜十時半や十一時頃までベンチで話したが
内容はその女性が見合い結婚をそろそろすることについてであったり
かつて大学院で研究した白秋についてであったりしたが
座っていると例のミニスカートがやっぱり腰の上にズレ上りぎみになるので
心おだやかならぬものがあるにはあったが
それでもヘンに陥落したりしてしまわなかったのは
彼女の髪の毛がやけに薄く
毛の一本一本の間がずいぶん開いていて
それがうまい具合のラジエーター役になってくれたからだった
わたしが短歌に興味があったものだから
過去に集めた白秋の研究資料を少しずつくれて
ついには白秋の肉声の朗読テープまで貰い受けることになった

勤め先が替わってからは
だんだん連絡が減っていって
ついに年賀さえ出さなくなったけれども
それも
この人のことを思い出すと
ムチムチした腿にひらひらの短か過ぎるミニスカートしか
思い浮かばないという事実に
どことなく
劣情の哀しみをしみじみと思わせ続けられたからで
まぁ
やっぱり
会い続けていたら
危なかったかもしれない
錨を下ろすべきでない御仁とは
どこかで
きっぱり距離を取る必要はあるもので
あるから

貰った白秋の肉声朗読は
なんだか
しゃっちょこばって
趣きも
面白みもなかったが
歴史的貴重品ということで
ずっと保管しておいた
手放したのは
詩人の吉田文憲さんから欲しいと言われたからで
あれは
文憲さんが詩集『原子野』を編集中の頃のことだった
あの詩集の原稿が送られてきて
手直しすべきところや校正をしてほしいと言われていて
こちらもずいぶん忙しい最中だったが
時間を割いてずいぶん深読みをしたものだった
吉増剛造さんが過去の詩人の肉声に特にこだわっていた頃でもあって
吉増さんとよくいっしょにいた文憲さんは
その影響もあってなのか
わたしが白秋の肉声を持っているというと
ぜひ聴かせてほしいと頼んできた
手渡してからしばらくして
考えてみれば
わたしとしてはあまり保管しておきたくもないものだったので
よろしかったら差し上げます
と伝えたものだったが
それ以降
文憲さんはあれを使って詩作をしたりしたのかしら

白秋のあの肉声テープとともに
ひょっとしたら
文憲さんに
あのムチムチの腿や短すぎるミニスカートの雰囲気までも
べったり
じっとりと
伝わっていってしまったのかも

今はじめて
思うに到ったのでござるヨ

なんとも
不覚であったノ

 

 

 

たったこれだけのことで

 

駿河昌樹

 
 

低い桐箪笥の上に
さらに桐箱
その上に置いてある
毛布やら
夏掛け布団やら

真冬
というのに

真冬
というのに
寒暖は微妙に変わり続け
布団に毛布では
暑過ぎる時もある
かといって
布団だけでは
やっぱり
寒い

そんな時に
夏掛けが便利と気づいたのは
つい最近のこと
布団の上に夏掛けを
ちょん
布団+毛布に夏掛けを
ちょん
たったそれだけで
ずいぶん変わる
タオルケットも加えれば
調節の目盛りが
細かくなる

夏掛けを使わない時
そして
ひどく忙しい時
桐箪笥の上の桐箱の
さらに上で
夏掛けが
乱れてしまっていることもある
端をきちんとあわせて
ちゃん
ちゃん
と畳めばいいのに
そんななんでもないことが
できないほど忙しく
疲れている時が
なかなか多い

ある日
午後も終わっていく頃
夏掛けの
ちょっと乱れたまゝの畳みようが
ひどく気になり
急がねばならない作業の手を止めて
立ち止ったまゝ
見つめてしまった


布団
きちんと
畳まれていない様は
わびしい

きちんと
端をあわせて
ちゃん
ちゃん
と畳めばいいのに
していない心
できない心
ほんのちょっとの
エネルギーの足りなさ
それが
わびしい

ぱあっと
夏掛けを開き
端と端を
きっちり合わせて
畳み直した
ちゃんと
ちゃあんと
畳み直す

すると
世界は変わった
たった
これだけのことで

むかし
浄霊の勉強をしていた時
邪霊なるものや
悪霊なるものを去らせるには
整理や清掃にあわせて
物の端を真っすぐに
平行線を作りながら
直角を方々に作りながら
きちん
きちんと
隙間を空けながら
焦らず
ていねいに
置く
並べる
それがなにより効く
と知った

それを思い出しながら
ちゃんと
ちゃあんと
畳み直す
端と端を
きっちり合わせて

たった
これだけのことで

 

 

 

始発がカオリ、次ユキコ、ミヨコにリサにミワ、マイコ

 

駿河昌樹

 

 

日本人のくせにクリスマスなんて…とか言いながら
けッこうクリスマス好きだし
全般的一般的総合的にお祭り好きなのを
そろそろ隠さないでもいいかもしれないナ、いい歳なンだから
いまひとつパンプキン…じゃなくッて
ハロゥインには乗り切れないところがあるけれど
パリでアレに出くわした時にャァずいぶん楽しんじャッて
東京のバカ騒ぎどころじャない大バカ騒ぎで
さすがに本場は違うもんダと思ッたネ

それはそうと
さてさて、お祭り好きなもンだから
クリスマスが済むとすぐに正月飾りを出して玄関に飾り付け
もう何年も前から
12月26日以降は正月と決めてあッて
マーケットに出始めたおせち料理をちョびちョび買ッて来ては
もゥもゥもゥ
封を開けてちョびちョび切ッて
お皿に余白を多めにとッて
京風和風贅沢に
見栄えよく載せて
アレンジ完了




つまみ出す
仕事納めよりちャッかり早く
楽しいノなんノ
このちョびちョび
正月先取りしてこその
ひとりわがまゝ早始め
これぞ年末の醍醐味さ
大晦日ともなりャ
正月気分は
とッくのとうに一回戦
済んでしまッて
いる
いる
いる
1月1日を迎える頃にャ
毎年
次のパッケージの
おせちを開いているがナラワシ

バカにしちャァ悪いが
おせちの喰い初め
元旦から始めるなんてェもッたいない
悪しき形式主義ッてェもんさ
一週間も早めに喰い始めてこそ
伊達巻、きんとん、蒲鉾も
違う店のを食べ比べ
できて楽しい年末年始
数百円の違いが実際どれだけ味や食感の
差になッて出てくるか
けちッて買ッた安過ぎるのを喰ッた日にャ
味のそこ此処にチリチリチリチリ
添加物が染み込んでるのを舌に感じ
こりャあこれで年末の
ジャンク祭りと来たもんだッて
またまたハシャいじャったりするもんだ
ドイツのどこぞの医者の書いた
健康法の本によりャ
人間いつもヘルシーで無添加で自然なものばっかり喰ッてちャダメで
ときどき悪ゥいもの食べて
消化器官や細胞を慌てさえなきャいけないッてあッたナ
そうしないと細胞ども
怠けて安眠貪ッて
イザという時
対処できなくなるそうな

恒例おせちの早喰いのおかげで
もう27日には初夢も見ちゃッたッてもんサ
ゼッタイ正夢だと思う夢
のぞみ、ひかり、こだま…なんていう新幹線の列車名を
JRがぜんぶ廃止して新時代を担うべく一新
そんな発表が
新春早々賑々しくされる夢
夢を見ていながら
これッてまるで夢みたいだナなんて
ホッペタ抓ッていたッけナ
だッて
毎日始発から終電まで
いちいちの列車名をすべて別々の名前にし
何号なんていうのも廃止して
みんな女の子の名前にしちャうッてのサ
始発がカオリ、次ユキコ、ミヨコにリサにミワ、マイコ
外国名だッて豪勢に
サラにジェーンにカトリーヌ、
フランシーヌの場合もあれば、南都に雨降る日にはバルバラ、
大阪行きはイレーヌで
博多発ならミレーヌで
岡山止まりのジャクリーヌ
東京まではリンリンで
ランラン行くのは小倉まで
時には古風に卑弥呼だの
浮舟だのと
並ぶ並ぶ
夕方頃には夕子や霧子
夜には凛子もホーム入り
ジサマもバサマももう迷わない
のぞみ508号?…なんぞと
冷たい名前はもうなくて
美智子や幸子に乗ればいい
エリザベスはどこから出るの?
菜穂子はここでいいかしら?
ビクトリアの次の入線は百合子となッておりまする
まァァわたしと同じ名と
ちょッと喜ぶオバサマの
楽しい旅のお手伝い
世界に先駆け源氏名を
採用します
JR
人肌の旅
女の子の名前を揃えてお出迎え
乗る
乗る
乗る
乗る
女の子に
…ではなくッて
女の子の
名前の付いた最新鋭高速安全楽々列車に
乗る
乗る
乗る
乗る
乗らせる
乗せろ
乗らせろ
乗りたきゃ乗せてやる
JR
東日本だけじャなく
オール日本だ
初夢だ