ばっこばっこ、ははは

 

薦田愛

 

ばっこばっこ
はは、ばっこ。
跋扈する母、闊歩
いっぽ、独歩、
どの
いや
そっぽをむいて
わたし。

長く暮らした東京をはなれ
戻らないと言っていた土地へ戻ったひと
はは
母という
ばっこばっこ
はは ばっこ
その母
蠢動する
うごめくはる
はなれて一年の東京にあらわれた
という噂

「ママとご飯食べたわよ」

ばっこばっこ
はは ばっこ

つきひは一年を
さかのぼる

五月
しらっとして

五月だった
書き置き四行のこし
いなくなった
スッと
ひとひとり
母というひと

紙の上にある文字の主の
部屋から小型キャリーと携帯と充電地が消えていた
ととのえる音だったろうか
聞こえていた
深夜
聞こえるとおもいながら眠りにおちた
ふすま一枚向こうを去っていた
ひとひとり
母という

みひらく目の先の
がらんどう
声のない

翌朝はたらきに出て
夜もどる
しらっとがらんと
閉めきった窓のうち雨の匂い
さがすねがいをだすなら要るかと
プリントアウトしたひとつき前の
旅先で機嫌よくわらった顔
雨だから今夜はよそう

るると鳴ったか
じじとだったか
電話
母というひとの弟すなわち叔父の声
とおい
とおいときいたのはなぜだったか
さぬき言葉だったからか
「お母さん来とるよ。明日帰るから、東京に」
「ここに来るしかないってわかっとるやろ」
なぜ
なぜわかるとおもう
ひとひとりのことを
わかるなどとなぜ
そして
書き置きのこしてなぜ明日
東京に
えっと言ったかああと言ったか
ため息は出たのだったか

メールは
帰るという日の午後
三行だったか四行だったか
叔父すなわちそのひとの弟の
敷いたレールの上を
空白*改めてみると二行
空白空0簡略いなカジュアルな口ぶりで

ばっこばっこ
母ばっこ
八十二歳の母、跋扈
年初の小倉行きの切符は揃えたが
ふるさとさぬきくらい
おちゃのこさいさい

「優しくしてあげてや」
と電話の叔父
なにを言えば
どう話せばいいのか
もうわからないのだった
帰ってくるというひとに
むけよと言われる
笑顔がつくれないのだった

ごっこ
ごっこだったのか
ずっと仲のいい親子に
見えたろう思われたろう
思っていた
うっかり
水をむければ応えるひとを
もてなすのが習いになっていた
おんぶにだっこ
あんたにわるい
言われれば打ち消す
くりかえしだった
あとで悔いる話をよそできくので
もてなしたのだろうか
せっせと

背中合わせの気むずかしさ
いらだつと籠もって
くちをきかずにいる
かたくながひとのかたちになった
朝こじれて夜帰ると
席をたった食卓が
そのまま
冷めきって

そっぽむきたい
むいてもいいと
気づかなかった
ずっと
兄弟姉妹なく父なくなり
「仲よく」「大事に」と
言われた日から三十六年

あかるみにでてしまえばもう
つつみ隠すことは難しい
べつべつのひとひとりずつと申し立て
剥がしてきたうえでなお
うかがっていた
もっとそっと
なだらかに切り分けるナイフを
もたなかった

それでも

三人で暮らそうと
春先の旅も一緒だった
彼が駆けつけ
待った
しらっと
夕方だった
帰ってきた
母のくちから
別に暮らす話
ふるえる声
もの言えぬわたしに代わり
「それがいいです」と
きっぱり

スープのさめない距離と
叔父叔母に言われ
うなずいて帰ったけれど
こわばった顔に
あきらめたらしかった

ばっこばっこ
はは
母というひと
来たレールをまた
ははばっこ
戻らないと言っていた
さぬきに住まいを探しに
ばっこ

ひとつ屋根の
というより
ひとつ扉のなかにはもう
居たたまれず
やっと
逃れ
彼のもとへ

弟や姪やいとこ総出で
助けてくれると逐一メール
あった
いい部屋があったと機嫌よくしていた
ひとへ
年来の痛手うっせきを列挙した
ながくながくながいメールを送った

ややあって返信また返信
わび言のち反論
また反論つきぬ反論
メールボックスにあふれる
母というひとの名と言葉
日に夜に決壊するかんじょうのなみ
ひたすらやりすごす
泣きながら荷物を整理していると繰り言
メールにコールの果て
その月の末、ふるさとへ
母というひと
ばっこ

かくて別居のはじまり
なれど打ち寄せつづけるメールコールのなみあらく
ついに着拒もはや着拒
怒濤くだけるみぎわをいっさんにはなれ
わたし
圏外へ

あつささむさの日月ひとめぐり
ものの噂
ばっこばっこ
ははばっこ
うごめく
母という
ひと
東京へ
(わたしのいない)
重ねて齢八十三の
ばっこばっこ
ははは
ばっこばっこ
ははばっこ
はるか
ははという
ひと
はるか
圏外へ

 

 

 

はくり、ひとの

 

薦田 愛

 
 

ねぐるしい夜であったか
定かではない
いくにんものひととはげしく踊り
汗して帰った
母というひととくらす
くらしていた
家に

いさかうことがあって
ほどけば何ということもせず
泣いてただただわびるつねの習いもとじこめ
しりぞいた
となりの音と気配を
隔て
ふすまいちまい
ねむれぬねむりをねむった

それは自棄というものかもしれぬ
ことばにうつすと何かがもれおちる
うつしとられたものばかりに宿る事実はうそくさい
ねむれぬねむりがやぶれ
やはりねむっていた
きみょうにしらっとしていて
びんせんというもの
しょくたく
かきおかれた文字があって
いなかった
ひとひとり
母という
ひとが

 

 

 

箱詰日記

 

薦田 愛

 
 

連れ立ちて茅の輪くぐらむ大転機
 
預かりし父の恋文梅雨晴れ間
 
虫干しや備蓄にと母買ひ過ぎし
 
抽出しを空けて梅雨明け退職す
 
びわ剥きて笑みて断捨離転宅す
 
相みつの時満ちたれば引越し日
 
まなうらに花耀けり短夜の
 
炎天下セミダブルベッド搬出す
 
あめつちのはげしきなつよやうつりす
 
文月や押入れ箪笥三つ四つ
 
床拭ひ汗ぬぐひてや搬出日
 
掃除機を積みて暑中の荷台かな

 

 

 

 

「浜風文庫」詩の合宿 第一回

(蓼科高原にて)2017.11.11〜2017.11.12

 

 

浜風文庫では2017年11月11日〜12日に、
「蓼科高原ペンションサンセット」にて「詩の合宿」を行いました。

さとうの発案で参加者各自にて自身の詩と他者の好きな詩を各1編を持ち寄り、
各自の声で朗読を行うこと、
また、その後に、
各自がタイトルを書いた紙をくじ引きしてそのタイトルで15分以内に即興詩を書くこと、
そのような詩を相対化しつつ再発見するための遊びのような合宿を行いました。

参加者は、以下の4名です。

長田典子
薦田 愛
根石吉久
さとう三千魚

会場は浜風文庫に毎月、写真作品を掲載させていただいている狩野雅之さんの経営されている「蓼科高原ペンションサンセット」でした。

■「蓼科高原ペンションサンセット」

大変に、美味しい料理と自由で快適な空間を提供いただきました。
大変に、ありがとうございました。

今回は、合宿の一部である即興詩を公開させていただきます。

(文責 さとう三千魚)

 

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「平目の骨を数えて」

 

長田典子

尖る麦茶、ビシ、ビシ
尖る蜜柑、ピチ、ピチ
尖る骨、ガラ、ガラ
平目の目は上を向いているからね
だけど骨は尖っているんだ
知らなかったね
平目はおべんちゃら言いながら
ほんとは尖っているんだ
尖れ、尖れ、尖れ
平目よ、尖れ!
おべんちゃら言うな、尖れ!
いや、尖るな。
俺の箸が捌いて骨を数える
骨の数だけ空を突き刺す!
麦茶を突き刺す!
蜜柑を突き刺す!
平目よ、
雨の中に立ってろ!

 

※長田典子さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

長田典子さんの詩「世界の果てでは雨が降っている」
鈴木志郎康さんの詩「パン・バス・老婆」

 

「サルのように、ね」

 

薦田 愛

朝いちばんの光をつかまえるのは俺だ
ぬれやまない岩肌をわずかにあたためる
月の光をつかまえるのは
我先にと走りだす低俗なふるまいなど
しない俺の尻の色をみるがいい
みえないものに価値をおく輩も近ごろ
ふえているときくが
俺はゆるすことができない断じて
そっとふれてくるお前が誰だか知って
はいるがふりかえりはせずに
くらがりの扉をあけにゆく
ひとあしごとに
たちのぼる
くちはてた木の実のにおい
世界はめくれてゆく
俺のてのひらによって
紅あかと腫れあがる
初々しさにみちて

 

※薦田 愛さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

薦田 愛さんの詩「しまなみ、そして川口」
河津聖恵さんの詩「龍神」

 

「ビーナスライン」

 

根石吉久

ビーナスライン
雨の中に
光って
どこへ行ったか
南の空が明るく
西の空は暗かった
雨の中に
立っている女だった
立ってろと
サトウさんが言った

 

※根石吉久さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

根石吉久さんの詩「ぶー」
石垣りんさんの詩「海とりんごと」

 

「下着のせんたく」

 

さとう三千魚

明け方には
嵐だった

朝になったら晴れてしまった

それから
車のガソリンを満タンにした

52号を走ってきた
八ヶ岳を見た

下着をせんたくした

 

※さとう三千魚は即興詩の制作前に以下の詩を朗読しました。

さとう三千魚の詩「past 過去の」
渡辺 洋さんの詩「生きる」

 

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はり、まぼろしの

(「いと、はじまりの」補遺)

 

薦田愛

 
 

つつっと落ちた色水が
浴室の隅をほの暗く染める
春の終わり
編むよりも織るよりも
縫うことの好きな女の子すなわち母が
ミシンに向かうらしかった
向かうのだと買ってきた布を
水とおししたのだろう干してあった
換気扇の音がむやみにおおきい

型紙を起こしたのを知っている
けれども
縫い始めたのを知らない
何を縫うのかも
いいえ
知っていた
きいた

丈の長いスカートが
探しても探してもなかなかないのよ
たまにあっても
フレアがおおすぎるのや柄物ばかりと常づね
かこつ母のクロゼットに並ぶのは
くるぶし丈の黒もしくはグレーないしチャコールグレー
昔はちがったベージュや焦げ茶ワイン色なんかもあったのに

シルバーパスで都バスを東日暮里三丁目で降りて
日暮里繊維街の店から店
きっと早足で
チャコールグレーの無地、みつかったんだ
これならって思えるのがあったんだね
縫えるのだから、好みにあわせて
仕立てればいいんだもの
コートにスーツ
ウェディングドレスまで仕立ててきた洋裁師にとっては
スカートなんて
お茶の子さいさい
などとまで簡単ではないにしても
傘寿の今は

みえづらくなってね、とくに黒いもの
裾をまつるにも針先ですくった布のうえの針目がみえない

(みえないというので目をこらすうち気づく
おもむろに
「縫う」という字は
「糸が逢う」のだと
空白――糸が布に
空白――糸がボタンに
空白――糸が鋏に
空白――糸が糸に
空白――糸がひとに
空白――糸がミシンに
そして
空白――糸が針に
空白――針に)

それでね
言わなくちゃと思ってたんだけど
ミシンの糸は二本、でも
針は一本。一本よ。
――え?

読んでくれたんだね「いと、はじまりの」
ミシンが出てくる新しい詩。
書きあげるたび紙で渡したり携帯に送ったりしているから
何でも言ってくれるのはありがたい
とはいえ、ちょっと緊張する

ほかのことはまぁ、いいとして
うんうん
糸は上と下、二本あるけど、
針は一本。
いっぽん?
そう
にほん、じゃなくて?
うん。
そうか、そうなのか――
ミシンは賢くて、
一本の針は二本の糸を連れてくるのよ
えっと、上の糸は針の穴に通すけど、
下の糸はどうなってるんだっけ?
それがねえ、どんなしくみになっているのかわからない
でもとにかく
針は一本だからね
一本の針で二本の糸を使って縫うのよね
詩のなかでは
ミシンの糸って二本、針も二本、ってあったから
わかる人なら、あれおかしいって思うでしょう
もしかしたら、これは変わったミシンで
ふつうなら一本の針、二本の糸のところ
二本の針がついているのかしらって
ふしぎに思うでしょうね
そうなの――ということは
それぞれ針に糸を通したふたりが
出逢って一緒に布を縫ってゆくのではなく
ひとりが糸をとおした一本の針で
もう一本の糸をたぐり寄せ
縫いあげてゆくのね
とするなら
母と出逢ってふたり物語を仕立てあげてゆく父は
何を手にして、どこに立てばいいのか

糸いっぽんを通した針が
さしつらぬく布と
布に隠れた穴の下ふかく設えられたうつろ
もういっぽんの糸を迎えにsawing machineの針は
いちぶの迷いもなく穴の奥ふかくへまっすぐ押し下げられてゆく
母の手で

ぽかんとしたまま話を畳んで出かける
ぽかんと晴れたそら
ひもときはじめた物語の続きをみうしない私は
今日踏み出す足を決めかねている

 

 

 

ふたつの世界を股にかけて母は

 

薦田 愛

 
 

ある朝、ウサギの目をして母は

結膜下出血だよそれは、と白目の充血を指さし
ともかくも眼科へ行っておいたほうがいいから、と
付き添うわけでもないのにきっぱり言い放つ私だ
八十になる母にしてみたら
いくら気丈に日常茶飯を切り回している現役主婦とはいえ
もうちょっと親身になってくれないものかと
恨めしいかもしれないけれど
そこはそれ、長女じゃなくて長男みたいと言われるほどの
父の亡きあと三十数年を何とか乗り切った子としては
会社員の顔を楯に残りの算段すべては母にゆだねてきたのだから
いまさら優しい顔もしづらいのである

白内障の手術をしなくてはなりません。
できれば早く
一刻を争うというわけではないけれど
私の親なら手を引っ張って、すぐに、と促します、
と近所の眼科、女医さんは決然としているらしい
片目ずつ、二度にわたって、
その前に血液検査
気がつけばカレンダーに書き込まれている予定
採血の針がなかなか刺さらないと突つかれてと
母は顔をしかめる
そのうえ
動脈硬化まで発覚したのよとしょげるのを
フェイスブックで知り合った方から教わった、
漢方の処方もしてくれるという内科婦人科の女医さんに
この際だから並行してかかってみたらどう? とすすめる
口だけは達者なんだ私、口から生まれてきたって言われるたび、
人間はたいがい頭から生まれてくるんだから口からよね、なんてうそぶいた

ためらう時間があまりないのは幸いなこともある
重い腰をあげて出向いた内科婦人科のほうの女医さんのもとでは
採血に何の問題もなく
加えて血圧問題も動脈硬化問題もさほどの重要事とみなされず
けれど八十の母の疑問や鬱屈はそれなりに聞き届けて答えを示してくれて
直面する白内障手術への心の揺れを少なくしてくれた
(たぶん)(どうやら)

九月になったらまもなく手術だからと八月末に髪をカット
月改まって目薬を差す
これすなわち手術の助走路
手術自体は短く簡単なもの、といっても
準備はずいぶん前から始まるんだね
つまびらかなところは何もわからぬ私を残して
母はするするとその日へ邁進
いや、どんなお気持ちですか、だなんて
訊くにきけないだけで
母のほうも改めてちょっときいてよだなんて
話す気性ではないだけで

そうこうするうち手術その一、左目からでしたか。
帰宅するとは母は眼鏡の下に眼帯、遠近両用眼鏡を外して暮らすのは不自由だから
眼帯の上にかけると浮くのよね、といいながらも眼鏡
遠近感がくるってこわい
そうだよね、わからないけどわかる。
痛みはないの?
頓服出されたけど、電話もかかってきて訊かれたけど、だいじょうぶ。
ならよかった。
採血うまくいかなかったお医者さんではなくて
手術専門の人が別に来ていたよ。
歯医者さんの椅子みたいな診察台に座って顔じゅう水浸し、そしてまぶしい。
あっという間だけれど、
傷んだほうを砕いて溶かして吸い取って
あとへ人工のレンズを入れてって、
やってることは凄いよね
聞いているだけでくらくらするけど
本人はけっこうけろっとした顔
ああでも、ちょっとテンションあがってるのかな

消毒とか、してくれるの?
うん、朝九時に行くから、いそがしい
近所のお医者で、ほんとよかったね

行ってらっしゃいと送り出してすぐ出かけたのだろうか
様子を想像するまもなく溺れる書類のかげで携帯がふるえ
着信。ほう、そうなんだ

――眼帯をはずしたらせいせいしたけれど、徐々に慣れてきたら、何とも落ち着かない(顔文字)
異様に明るくて。その明るさが、紫がかった蛍光色っぽい というか、これがよく聞く
「世界が変わったみたい!」というの? そうだとしたら、慣れるしかないというわけね。
手術した方をつむると、今まで当たり前だった日常がセピア色に見えるのよ。
これ どうしたらいいんだろう? もう片方も手術したら、確かに世界が変わっちゃうのかも。
それはそうとして、手術は普通と比べて、かなり大変だった由。目の状態が大分悪くなっていて、
手術があれ以上遅れると もっと大変になるところだったらしい。
考えてみると、あの 目が赤くなったのは、無視できない赤信号だったのね――

セピアカラーの世界とLED白色灯めいた世界
片目をつむっては開けつむってはあけ
ふたつの時間ふたつの世界に股をかけて踏みしめる足もと
手術その二を終えれば長崎・五島への旅が待っている
西の海に満ちる光はなにいろだろう
八十歳のまあたらしいまなざしは使い慣れたデジカメをとおして
どんな空どんな雲を撮るだろう

あっ、母上、断りなくメールを詩に織り込ませてもらっちゃったけど
手術も成功したことだし、ここはお目こぼしを――

 

 

 

いと、はじまりの

 

薦田 愛

 
 

一九六六年、昭和なら四十一年ごろのこと。
埼玉県川口市
つまり
キューポラの町のはずれ
ふたつの川にはさまれた工場街の一角の
三階建て集合住宅
社宅へ越してなんかげつ
推定四歳半の女児すなわち
わたくし

あおいにおいたたみのうえ
よこずわりにすわって
ほそくとがった
これは
つまようじ
とがってないほうにぎざぎざ
そこに
きゅっとするんだ
むすぶ
白いのやぴんくきいろいのも
りょうてをひろげたよりもっと
ながいほそいそれ
しつけいとっていうのよって
まま、の
てのなかにあるたば
まま
まま、に
ちょうだいといった
「まま、ちょうだい」と

ぺらっとうらっかえせば
まっしろの
ちらしっていうのを
ぬうの
ぬののかわり
ぬうのは、ね
まま、のまね
ままは、ね
ようさいし

あぶないからさわっちゃだめって
ままは
とがってほそぉいぎんいろの
はり、をいっぽん
ふえるとのはりやまからぬくと
あたまのところ
めがひとつ、じゃなくて
ちいちゃくあいた
あな
あなへとおす
いと、を
ななめにきって
くちにくわえて
しとっとさせてきゅるん
ねじってほそらせる
ほぉらほそぉくなったいとのさきが
すいっ
すいっとちいちゃな
とんねるをいま
とおってく
それは
ままのまじっく

つつっとはしるみたい
はり
まっすぐ
それにまぁるく
くれよんみたいな
ちゃこでかいたみちも
めじるしやもようのないところも
ぬののおもてうら
くぐってはおりかえし
すすんではもどり
はりのねもとにきゅきゅっとまきつけ
ふしにするんだ
かたくかたぁく

そんな
ままのまね

しつけ糸と爪楊枝と折込みチラシ
糸と針と布地の代わり
これとこれ、ともたらされたのではなく
こんなふうにと教えられたのではなく
推定四歳半の女児が
どうしてだかたどりついた
ままごと

ままごとのむこう
ままは

いたのまにみしん
ぐんぐんふみこむぺだるの
いったりきたり
みるみるおりてくるぬの? きじ? その
かたっぽうのはじがくるっ
くるるっとたたまれ
しつけいとじゃない
もっともっとずっとあっちまで
おわらないいとで
みしんのうえぎゅるんとゆれる
いとまきにまかれた
いとで
ぬっていく
ぬう
まっすぐまぁっすぐ
ままのまじっく
それは

編むよりも織るよりも
縫うことの好きな女の子
それはわたくしではなく
まますなわちわが母
一九五〇年、昭和でいえば二十五年ごろのこと。
たぶん
香川県観音寺
それとも善通寺
海にちかいちいさな町の中学生は
日曜日
お弁当を提げて先生の家へ行く
ミシンを借りに
まあたらしい生地なんかじゃない
ふるい浴衣をほどいて洗って裁ちあとをつないだ布に
折りしわ残る紙でつくった型紙をあて
ブラウスの前身頃、後ろ身頃
襟に袖

それが最初のいちまい?
ままの
ううん
かぶりをふる母
もっとまえよ
小学生の時から
ぬってた
ブラウスだけじゃなく
スカートも?
ワンピースも?
授業じゃなくてね
好きだったし得意だったから

おさいほう好きなんでしょ
よかったらいらっしゃいって
うれしかった
どきどきしながら
次の日曜日もでかけた
どうぞっていわれたろうか
たたきに靴をぬいだとき
うつむいて
ひきむすんでいた口からふうっと息がもれた
きっと
日の傾くまでいっしんにミシンをふむ
おさげの中学生
洋裁師への道はもう始まっていた

本科師範科デザイン科
三年行ったんだってね
これが出てきたのよって母は
ある日
洋裁学校の修了書を広げる
デザイン画は苦手って前に言ってたね
型紙は起こすけどやっぱり
デザインするより縫うのが好き
だから
もくもくと縫えればよかった
子どものスカートや
社宅の奥さんたちのワンピース
時どき町なかの洋裁品店だったか
工賃表を買ってたしかめてたね
スカートいくら ワンピースいくら婦人物コートいくらと
示されたリスト
それより少なくしかもらわなかった
十年二十年着ても傷まない
出来栄えもあたりまえという矜持を
そっと縫い込み

まま、ママ、
ミシンの糸って二本、針も二本なんだね
家庭科の課題はついに一度も手伝ってもらわなかったけど
それはあなたに似て器用だったからではない
それでよかった
家にミシンがあるから
ボビンの入れ方はすんなりわかったよ
でも
迷いのない速さですすむ
まま、ママの縫い方には追いつかない
洋裁師にはかなわないよ
娘は縫うことをつづけなかった

二本の糸
二本の針が行き交って縫いあげてゆく
からだをつつむもの
ものをいれるふくろ
自分のと娘のと
二着のウェディングドレスを縫った
ふくれ織の白
裾を引く長さの一着を縫いあげた四畳半で
父は細身の母をかかえて声をあげた
ぼくの花嫁さん、と(*)
針は折れ糸は尽き
父はいなくなっても
縫いつづけた母
けれど
夕方になると黒っぽいものは見えにくくてねと
わらって手を止めた
六十歳少し前のことだったか。
たぶん

そして傘寿の春
この春
浴槽の上で乾かされていた
いちまいの布
水を通した生地、スカートを縫うのだと
久しぶりに型紙を取ったときくうれしさ
洋裁師だもの
自分の身は好みのかたち好みの色好みの風合いでつつむ
まま、ママ、そうだね、そうだよ
それがわが母

おっくうでね
型紙起こすのもね
でも、起こしたんでしょと問う娘には
計り知れない何か
暮れる春
立ち上がる夏
思ったよりかたくってねという生地はまだ
母の身体をつつまないまま

 

 

*昭和三十五年の五月のある日、二月から一緒に住むようになった日吉のアパートの四畳半で、わたしは自分のウェディングドレスを縫っていました。質素なものでした。いなかでの結婚式を目前に、それが仕上がったとき、あなたは早く着せたがりました。
気取って、ミシンの椅子の上に立ったわたしに、あなたは照れもせず無邪気に歓声をあげました。
「ワァー、ぼくの花嫁さん!」
いいながら、わたしを軽々と持ちあげて椅子からおろしました。*

空空空空空空空0*薦田英子『いのち ひたむきに』(一九八五年刊)終章「此岸より」

 

 

 

ふとん、あの家の

 
 

薦田 愛

 

 

予讃線上り列車の進行方向左手は海
海に向かっている
波のかたちはみえないけれど
台風がちなこの季節にも雨は多くない
あかるい空に覗きこまれ
今治から川之江へ
父のねむる一族の墓所へゆく
普通列車の一時間はアナウンスも控えめだから
うとうとしていたら乗り過ごしてしまいそう
どうしよううたた寝には自信がある
乗り越して戻っていたら日が傾く
JR四国はそんな時刻表

バブルなんて時代の少し前
たぶん
母を残してひとり川之江へ
夏休みだったろうか
父と三人暮らした社宅から引っ越した後だったか
電話すると母の口がおもい
どうしたの
はじめてパパが夢に出てきてくれたのだけど
出てきてくれたのよかったじゃない
それがね
うん
日曜の夕方かな野球か何かテレビをみてて
ああそんなだったね
私は台所にいるんだけど呼ばれて振り向いたら
うん台所でね
振り向いたらパパの顔はみえるんだけど
身体の下のほうから薄くなって
みえなくなっていくのよ
え、なに?
だからねいやだっ消えちゃ! って
自分の声で目が覚めちゃった
そう
そうだったのきっと
きっとパパは夢に出てきたのに
私が四国に来ているとわかって
あわててこっちへ来ようとしたのかもしれない
身体はひとつなのに気持ちが
ふたつに裂かれて
うーんそうねぇあんたがそっちにいるからねぇ

恋愛結婚だった仲のいい夫婦だった
二年で三度の入院手術ははじめてのことだった
バスと電車を乗り継ぎ雨の日も雪の日も付き添った
春の明け方さいごのいきにいきをのみ
なみだはこぼれないまま
しずみきったふちからペンを手に
図書館に通いつめ医師に話をきき
ふたりで歩いた町を訪ねなおし二年後
闘病記をまとめた克明に淡々と
あとがきに記した生まれ変わってもと
うまれかわってもわたしはと

しまなみ海道を渡りきった今治では
父方の伯父伯母、従兄が迎えてくれた
画歴約二十年の従兄・登志夫兄ちゃんが
私設ギャラリーで食事を出してくれるというので
あまえた
あまえついでに思いついてメールを
(母は生の魚介と肉が食べられないのです)
やさしい先生だった従兄から
(野菜中心で考えてみますね)
と返信があったので安心していたけれど
虫の鳴きしきる草むらの扉の奥やわらかな灯しのもと
椎茸と生クリームのスープに喜んでいたら
ピザの隅っこにはソーセージ仕方ないよね
急なお願いだったもの
丁寧に淹れてくれたコーヒーに
デザートのケーキまでお手製
おまけにギャラリーを埋め尽くす大小の木版画
今治や内子と愛媛ばかりか飛騨に京都
なかに尾道を見つけた母
行ったばかりだからすぐにわかった
ぜひ譲ってと頼みこみ包んでもらって
うふっと肩先がゆるんだ
小さな作品だからうちにも飾れるね
私はこの桜咲く蔵の一枚がいいな
どこの酒蔵だろう
額入り二枚を抱えて宿へ
明日はしまなみ海道のみえる公園へと誘ってくれるのを
タオル博物館とねだる
みどり深い山せまる博物館は
父の元気なころにはなかったはず
母と二人あまえたみたいに
たぶんもっと
ねえさん、兄貴とあまえていたらしい末っ子の父
その父の退場が早すぎたぶん弟の家族を
心配し続けてくれる伯父と伯母
父の齢をとっくに超えた子としては
もうだいじょうぶですってばとつぶやく思いと
健在ならこんな年ごろ、と仰ぐ思いがないまぜの
糸になる
ああタオルの糸ってきれいだ

父のねむるお墓は一家のものだから
あとでうつせないけどいいねと念をおされた
封を取り除いて骨壷からあける
父を見舞った祖母も加わった
長兄の伯父も
それはどんなねむりなのだろう
ひとりひとりのねむりはまじりあわないのだろうか

あの家、川口の
父と母が六畳間となりの四畳半に私
ふすまを隔てて勉強机と本棚
押し入れにふとんと押し入れ箪笥
だったろうか
勉強机の前でうとうとと居眠り
ちゃんと寝なさいとたしなめられて敷くふとん
寝返りを打つ間もなく寝入る子ども
手のかからない子どもだった
そのねむりのうっすら浅くなる
深夜
終電で帰った父と話し込む母の時間の果てにふたり
ふすまをあける
こたつぶとんを手にして
銘仙のだったろうか着物をつぶした布でつつんだ
おもくおおきないちまい
赤外線の熱をためたいちまいをふたりふわっと
いえずしっと
ねむる私のかけぶとんのうえに
なだれこむ蛍光灯のまぶしさがまぶたをとおす
ねむいねむりのふかみからよびおこされる
けれどめざめてはならないきがして
ねむい子どもは
ときにねがえりをうちながらまぶしさをのがれ
ずしっとあたたかいふとんをまちながら
ふたつめのねむりへしずみこんでいったのだったろう
ふとん、あの家の
こたつぶとん、あの家の

 

 

 

しまなみ、そして川口の

 

薦田 愛

 

 

渡る
渡るということ
向こうがわへおもむくということを
かんがえていた

みるみる暮れかける河川敷の
奥行き知れなくなる時分
荒川大橋を渡る
渡ったのだとおもう
かえって
川口へ行ってきたよと話すと
母は
そう、と応え
ややあって訊く
どうだった?
そうね、変わってしまったとも言えるし
ああこんなふうだった
あの頃のままというところもあるよ
バスの本数は前よりもっと少なくなって
工場だったところはたいてい
配送センターみたいなものになっているけど
化学工場も残ってる
バス停の名前もね
工場街って
でも
あの社宅の一画はまるっきり跡形なくて
三十年以上経つんだもの
無理もないね
ふたつの川に挟まれた
町、といえるのか商店もない地区
今はもうない会社に勤めていた父と母と私
2DKで過ごした頃の
梛木の橋を渡ってバスに
川沿いを走るバスに乗って

ふた月前 秋彼岸
尾道の港ぎわキャリー持ち上げ
大丈夫ですか荷物大きいんですがと問うと
運転手さんは
空いてますからこのとおりと笑う
座席は片側ビニルシートで覆われ
折り畳み自転車の持ち込み待機態勢
母と私を乗せ高速バスは
くるりと海に背を向け
中国山地へ駆けのぼってゆく、のではなかった
新幹線の駅の高みをピークに
まっさかさま まぶしい
海をふみこえ
しまなみ海道
向島因島生口島大三島伯方島大島と
つなぐ橋ななつを渡りきれば今治
今治に着く
父かたの伯父と伯母、従兄の家族が待つ
今治に

パズルのピースをぶちまけた
床ではなくって海原
脊椎動物の背骨のかけらとかけらを順ぐりに
縫いあわせる橋梁のゆあんゆよん
潮目を往き来する水軍漁るひとみかん農家汐汲み干すひと
領地をわかつ樽流し
真鯛も章魚も穴子もでべらがれいも
波をきりわける境界線なんて知らない
太古から
まして私そして母
隣の香川で生まれ育ったって
初めてよと母は
今治へ
速度をあげるバスの窓から
橋のアーチを島影をフェリーだろうか船を
さんざめく秋まひるの光でつかまえようと
デジカメ構え

お城の石垣が海に迫る町高松で
出会ったふたり
二十三歳の父が渡ったのは
この橋ではない
むろん
二十二歳の母が渡ったのも

船で渡って父は行った東京へ
船で渡って母は行った東京へ
オリンピックを控え首都高もなく空はまだ広かった東京へ
会社員として洋裁師の卵として
松山でなく高松でなく
大阪でも神戸でもなく
東京へ
(TOKYOへ)

だのに暮らしたのは
東京のへりを滑り落ちたところ
産業機械メーカーの経理部勤務とお針子のふたり
まず川崎そして川口と
東京を突っ切って

梛木の橋の停留所でバスを降りる
川幅の狭い芝川を渡ると左右は工場
錆びた鉄の色正体のわからないにおい
まっすぐ行けば荒川の土手危ないから一人で行っちゃ駄目
手前の角を左折すると片側に古びた洋館日暮れにはこうもり
その先に
三階建て二十四世帯の家族寮奥に独身寮も
広場の草取りが手間だからと鋳物用の砂を入れさせたのは
父だったか
草いっぽんの緑もない窓はまだアルミサッシではなく
行き交うトラックに舞い上がる砂ほこりを免れなかった
「あんな場所
ひとの住むところじゃない」
言い放った中学の担任は社会科教師
水を汲み上げて調べたのだと
青ざめた母つめよることもできず憤りをかかえて
父にはそのまま伝えたのだろうか

二十年あまりを働きづめに働き
たおれた父
今治ではなく郷里の川之江に戻って眠った
骨になって
一家の墓に
カロウシという言葉がなかった頃
あれを労災と言わないなら何を労災と呼ぶのかと
心をとがらせるきっかけを子に与えた生き方
おれは悔いはないが
お前たちがふびんだと言い置くくらいなら
他に途はなかったのか
なんの咎もなく命は尽きる
海を渡って橋もないのに
船で渡って東京へ
ナンノタメニナンノタメニナンノタメニナンノタメニ
なんのためにと呟きながらこみあげてくるものを
のみこみながらバスは
バスは芝川沿いの道を折り返し
荒川大橋を渡る
東京へ赤羽へ
土手にのぼればひろやかな空のもと対岸にみえる町へ

いえこれは
しまなみ海道
大山祇神社のある大三島からは今治
樹齢二千六百年と伝えられる楠のねじれた幹
八方へさしのべられる枝ごとのしなやかさ
来たことがあったろうか父は
尋ねようとしてではなく
ふりむけば母は
デジカメの電池を入れ替えている

 

 

 

穴子、瀬戸内の

 

薦田 愛

 

 

手を振って純子さんと別れ
桟橋の上のホテルに戻る
母と
預けてあったキャリーをひいて部屋へ入れば
窓はひろい
川ではないかと
訝しむひとがいるのも不思議はないほど
手を伸ばせば届きそうな対岸
向島の灯台からきらっと灯がもれる
尾道
坂道や階段を歩くつもりでいたけれど
あんまり歩かなかったね
でも、お腹すいた
せっかくだから穴子食べよう
東京と違って小ぶりなのをね
蒸すのじゃなく焼いたのをさ

海ぎわの遊歩道をのぞむ通りを歩いて
刺身は食べられない母と夕食をとる店をさがす
街灯のオレンジ色に染まりながら
フロントにあったグルメマップとガイドブック
すみずみまで目をとおして
たぶんこっち
純子さんと三人歩いたアーケードのひとすじ海側に
ここならたぶんと当たりをつけた
覚えにくいひらがなだらけの名前
これかな、ランチ穴子飯と大きな字
夜も食べられるかな居酒屋だけど
階段をのぼり
あのう食事だけでも大丈夫ですか
どうぞと迎えられて海の見える席へ
たんたんと母は
いやほっとした顔
メニューに穴子の炊き込みご飯を見つけて私も
旅のミッションその二を完了した気分
となると
明日も早起きだしお酒はちょっと
などと思ったのをころっと忘れ
ねえ、なんか飲む? ビールかな喉乾いたねと
メニューをめくり直す始末
いいねぇと乗ってくれる母とグラスをあわせ
やっぱり穴子だよね

うなぎなんて食べられないと
もっぱら穴子派だった父
瀬戸内海の地の魚をたくさん食べていたから
東京は魚が美味しくないとこぼして
それでも夜中に鉄火巻きを提げて帰ってきたり
食べろと起こされるのはもちろん私
母は玉子とかんぴょう巻きと穴子
父は
東京の穴子も食べていた
蒸して甘がらいたれを塗ったのを

この店の名前、どういう意味なんですか
ああ、魚の名前なんです
このあたりで獲れる
ええと
関係ないかもしれないんですけど
私たち四国の人間で
父がよく言ってたんですが
でべらがれいって
そうそれです
たまがんぞうかれいっていうんですよね
それでたまがんぞう
そうなんです
しらすのサラダだの梅酒のソーダ割りだのに
ほろっとゆるんで
パパは来たことあったんだろうか尾道へ
どうだろう
宮島の写真はあったと思うけど
ああ母と
こんなふうに旅先でいるところ
父は知らない
炊き込みご飯を分ける
こうばしい
ひきしまった穴子の甘がらくない身がごはんになじんで
美味しい
ふふっというふうに母は
満足を控えめに表明してくれる
よかった
ミッション達成ということにしておこう

次の朝
日照時間の長いこの地方らしく快晴
ホテルの前から
しまなみ海道を辿って今治に到る高速バスに乗る
背骨のように並ぶ
向島、因島、生口島
次の大三島で途中下車
この島から愛媛県
四国一大きな神社
大山祇神社へ
駆け足でご挨拶をと考えたのだけれど
お詣りの次第は他日改めて記すとして
備忘録よろしく書いておきたいのは
お詣りを終え今治へ
向かうバスに乗る前に
お昼を何か食べなくてはと
走りまわったこと
ええ
伊予一の宮大山祇神社の門前だからといって
道の駅があるからといって
隣り合わせる伯方島の塩のチョコレートや
柑橘類を使ったお菓子や野菜は豊かに並んでいるものの
おむすびやサンドイッチは扱われていないのだ
コンビニも見当たらない
しまなみ海道を自転車で行くひとたちに人気の
海鮮丼が食べられる店が鳥居前にあるけれど
時間が足りない
そういうもの
置いてるのはショッパーズだけですと
お土産屋さんが指し示すのは鳥居前のバス停から徒歩三分では着かなかった
親切な道の駅のさらに先
あと六分
しかたない待っててね
母と母のキャリーと私のキャリーを日蔭に残し
ダッシュ
ショッパーズ大三島店へ
惣菜売り場とパンのコーナーはどこ
奥へ奥へ
ひんやりした一角にそれはある
穴子中巻き三百九十八円
パンのコーナーは通り過ぎ
割り箸ください
二膳と言ったか言えなかったか
レジ袋はくるくるねじれて
まだ来てないよね
車内が混み合ったら食べられないと
気づいたのはその時
ええままよってこういうことを言うのか
ほどなくバスは着き
がらんとした後部座席にキャリーを引き入れ
ごめんなさいお行儀わるいけれどそそくさと
穴子中巻きいちパックを分けて
ひとごこち
バスは
伯方島から大島へ
さしかかろうとしている