光、長崎の

 

薦田 愛

 

 

ごめんねぇ本当は五島列島に行きたいのに
島といっても港からフェリーで二十分そこそこ
伊王島の高台から海に向かう馬込教会は
六月の日差しに眩しい白

久しぶりに
苦手な飛行機に乗る決心をしたのだもの
早起きして高速船で一時間半
渡ってみてもよかったよね
福江島の堂崎教会堂だとか
言葉にすれば決まって
母は打ち消す
そんなことないよ、初めて来たんだもの
そんなに遠くまで行かなくたって
見たいところ、見るところはたくさん

昨日は傘を広げたり畳んだり
初めての長崎
電気軌道を降り坂がちの町へ
まずどこへ? と問えばためらいもなく
大浦天主堂と母
だから だから
いっきに階段を駆けのぼりたいのに
つめかけた人の分厚い列
国宝なんだね
くぐもる声
いつか誰かの灰まじりの涙に濡れたまま
乾きききらない外壁の翳り
新調したゴアテックスの短靴で踏むことを強いられる
信仰はもたないけれど
高みから滴る彩りのちからに抗えない
平たく言えば
ステンドグラスに惹かれ
いのりと呼ぶには足りない思いをかかえて
えいっと踏み出し飛行機に乗り込んだ
母は
すっとデジカメをおろす
堂内へ
梅雨空の光染め分ける
とどかない窓へ
やっと

木の床から屋根裏へ
目を走らせるより早く
立つ身体を濡らす濁りのない色いろ
青赤そして緑と黄いろ
許し慰めすべてを受け容れる場所
いえ
そんなしつらえも持たず
禁じられた二百五十年をくぐりぬけた信者
明治初め
打ち明けられた側はそれを「発見」と呼び
信者がいることを「奇跡」と言ったのね
「発見」なんて受け身ではなくて
みずから「ここにいます」と
囁きとはいえ
声を挙げたというのに

そう
声が
母をここに連れてきた
カウンターテナー上杉清仁さん
その人となりと艶やかな声を知って
教会でうたわれる旧い歌の
豊かな声のちからにふれて
ふるえる母の心を染めた
ステンドグラス
木造のこんな天主堂で
歌が聴けたらね
上杉さんの
どんなふうにゆきわたるのだろう
ドイツやスイスや
あちこちの教会でも歌ってきたひとだもの

「ここにいます」
囁く信者に
驚いた司祭の住まいや羅典神学校が
緑にふちどられ傍らにある
天主堂のうちがわは胸におさめるしかないけれど
開け放された窓の外にも
ステンドグラスの色はこぼれているから
にじむ雨のあと鎧戸の窓の開け放されたありさまを写す
堂をこぼれる冷気と色とりどりが写る

坂から坂へ
グラバー園の紫陽花は雨気を含んでいたけれど
邸宅をめぐるうち
港を見おろす庭はすっかり乾いていて
喉が渇いた
お腹もすいたよと
昼どきを逃してお茶とカステラ
眼鏡橋も出島も気になるけれど
洋館好きの母と私としては
写していい窓も階段も
通りすぎるのが惜しくて
部屋から部屋へ幾度も
行きつ戻りつ

爆心地も平和公園にも行かなかった
代わりに伊王島
軍艦島の手前なんだね
ここも一時は炭鉱だったんだ

信者「発見」の明治ではなく
昭和初めに建てられたという馬込教会は
バス停の真上
上ってものぼってもまた階段で
母の足もとが気になる
大丈夫? ときいて
大丈夫ではなくても上ってしまう
母だから
きかない
少し離れて上る
陰のない海べりの高台すっくと白く
日曜のまひる
礼拝のあとだろうか
歌も祈りの声もない
ただ窓から
青や黄いろの光が降って

ふりかえってまた
デジカメを向け携帯を向ける
階段まで白い
汗をぬぐう
納屋だろうか
通りかかったその時
神父さん、と
神父さん
信者のひとのとりわけ多いという島で
教会の下の道
しんぷさん
女のひとの声に
応える気配
なんねとでもいうような
畑へゆくところでもあるような
日に焼けたひとの姿
波は目の下に寄せ
バスの時間はまだ先
潮のにおいまで照らすような
まぶしい
ああ
私たちはここまで光を観にきたのだ

 

 

 

湯葉、固ゆでの

 

薦田愛

 

 

生魚と肉を使わないメニューを求める私の日常は
中落ちもしめ鯖も羊肉もトリッパも愛してやまない
イナゴの佃煮やサザエの壺焼きやシャコは苦手だけれど
だからといってあまり困ることはない
刺身やつくね、ハンバーグや焼鳥が苦手なのは母
二〇一五年六月一日現在齢七十九
体脂肪率十八パーセント体重三十八キロの
母は生ものと肉に加えて鰻も好まない
ただし穴子は好む
その差異を咎められても答えられないのが
好き嫌いというものであるから
そういうものだという手本を身近にもつことは悪くない

連れ立って入る店の候補から
鰻や焼鳥、焼き肉の類いはまっ先に外れる
寿司は穴子やかんぴょうという選択肢により
候補に残らないでもないけれど
予算の点で概ね遠い存在にとどまる
(むしろいわゆる中食という形で
デパ地下で太巻や稲荷寿司を選ぶ母
穴子の押し寿司を母にと選ぶ私
目の前に運ばれてくるのではないそれは
寿司といっても生加減の少ない
別様の食べ物だ)

そんな母だからむろん親子丼は食べないし作らない
わが家ではもっぱら玉子丼だったのだけれど
その玉子丼がどんなものかといえば

母は生が苦手つまり半熟も苦手
私は生も大丈夫むしろ大好きで

半熟のうちに私の分を取り分けると母は
残る半分をさらに火にかけ
心おきなく固ゆでにした卵としんなりした玉ねぎとよく馴染んだ薄揚げを
ご飯に乗せて食べるのが流儀で
そこにつゆはかけないのが好みで
半熟の私のほうに鍋のつゆあらかたが注がれ

そんな母の中性脂肪やコレステロール値が
高いという下げなくてはという
薬には頼りたくないけれどと漢方のお医者を訪ね
卵はあまりよくないのだってとため息
魚を焼いたり煮たりするより楽だから
やっぱり卵に傾くよね
でもよくないのなら、それなら、と素人考え
作りもしないくせに私、思いつきだけはね
ほら昔から工作でも完成度はともかく
アイデアはいいねっていわれてたくらい

それなら、それなら
湯葉はどうかな
卵よりだいぶ値は張るけれど
私たちステーキも鰻も食べないし
量だってほんの少しで足りるもの
最近は近所に豆腐屋さんがなくても
京都の湯葉だって手に入りやすくなったしね
そうだねなんて相づちは打たないのもやっぱり
母の流儀

広小路の松坂屋が神戸で作ってる湯葉を置いてたよ
戦利品を見せる母の笑顔
ごめんねアイデアだけで
買ってきて作ってくれる母食べるだけの私
気がついたら亡くなった父のポジションにおさまりかえって
まかせっきりでごめんね

あたたかくふっくり香る豆の乳の
ゆわり広がる表を覆ってゆくさざなみの
いっしゅんをうつす薄様
重なり合う舌ざわりに遅れてやってくる
何ものにも紛れないしたたかな味わい

玉ねぎと薄揚げの仄甘さに湯葉は似合って
卵のように固ゆでにしなくても食べられる
それでもやはり母の丼はつゆが少なく
私の丼ばかりがつゆだくになる

そんな休日
そんな休日

なぁんて思ってたら

鈴木志郎康さんの奥さんの麻理さんが始められた
「うえはらんど3丁目15番地」に伺った週末
辻和人さんと新宿で別れ際までお喋りしていて
「それじゃ、これから買い物ですか」
「そうなんです。小田急ハルクの地下で野菜がいろいろ買えるので」
また、と手を振ってハルクの地下で和歌山の蕪に香川の菜花
沖縄の南瓜まるごと買いながら
「お弁当も買って帰るからね」とメール
ところが

蕪と南瓜で手いっぱい重たいしかさばるし
食べ物を手にするうち急激にお腹が空いてきた
たぶんこのくらいの時間の流れが自然なんだよ
流通ってどれほどくるしいおあずけの連続なんだろう
「お弁当は無理そうなので、湯葉丼お願い」
「了解! すぐ始めるね」
「お願い」
山手線の家族連れ移動中のふたり部活帰りの高校生にまじり
南瓜に蕪に菜花を提げて湯葉丼へといえわが家へと

ところがところが

あと五分の最寄り駅で着信
「たいへん! 湯葉がない!」
「湯葉と思ってたのは豆腐のパックだった」
「申し訳ないけど今から広小路まで買いに行ける?」

南瓜と蕪と菜花を抱えて空腹抱えて
広小路まで
乗り換えて階段上がってダッシュダッシュ
閉店間際の品切れ場面がちらつく頭をふりふり
「春日通り側の入り口から入ってすぐ右の下り階段下りて右へ
壁側にある 豆乳入りを なければ出汁入りでも」
指令は完璧
品切れの場面は再現されず、
豆乳入りも出汁入りも選べる幸せで空腹を紛らせながら
欲ばって三つ買う
ここまで来たら重いしかさばるから二つも三つも同じこと

そんな休日
そんな休日

 

 

 

茅野、そして高遠の

 

薦田 愛

 

 

ダム湖のへりを歩いてお昼の会場へ向かいながら
傘が手放せない
お天気よかったら、もっと暖かかったらねぇ
でも満開だったし、おなかいっぱい
これ以上ないくらい桜ばっかり
そうね、それならよかった
高遠城址公園からさくらホテルへ
下り坂とカーブをきる道は湿っている
よかった、辿り着けてよかった
どうなることかと思ったもの
今朝は

ぬかった
スーパーあずさ1号に乗り遅れてしまった
四月十三日月曜午前七時新宿発の
中央本線茅野駅九時八分着の
母とふたりぶんの席をぽかんとあけたまま
目の前で発車した
低い低い空の朝

高遠の桜をみに行こう
寒いからとやめた二月の河津のかわり
そこにしかないという
タカトオコヒガンザクラを
みに行こう
母と話したのは三月初め
高遠城の名前は知っていたけれど
運転もしないから
長野の山あい高みはるかなところ
行くこともないと思っていたのに
タカトオ、と母が
上田さんからきいたのか、細川さんだったか
口にしたから
行ってみるとしたら、と調べた
ああ、行けないことはない
というか行ける
遠い
遠いよ
それでも日帰りのほうがらくだという
母の誕生日の翌日
週末の混雑を避け
休みをとって行けばいい
散ってしまうよりは咲きかけでも
茅野からはバス
目的の城址公園で三時間
ただし昼食時間を含む
そのあとに梅苑――梅苑?
桜のころに梅の花?
そんな日帰りツアーに申し込んだ春彼岸
カウンター越しに渡された旅程表の
赤で印をつけられた緊急連絡先が
まさか役だつことになるなんて
乗り遅れた場合はクーポンだから
まるまるダメになると思っていたら
違った

新宿駅でみおくってしまったスーパーあずさ
そうと気づいたのは上野でのこと
余裕をみて出かけたはずが
いつのまにか費やされ
JR上野駅山手線外回りのホームで
まっしろになる
ここじゃない
地下鉄銀座線で行かなくては間に合わない
平日朝六時半、東京のただなかで
今しがた行った一本の次はいつなのか
まっしろ
待つのがよいのか経路を変えるのが正解か
いまさら検索しなおしても、とくちびるをかむ
むなしくページを繰る私の干からびた脳
ちいさすぎるケータイの画面
立ちつくす母がことさらちいさくみえる
はらをくくる
ごめんなさい新宿から乗るあずさに間に合わなくなった
なんとかするから、とにかく向かいましょう
いやなんとかなるかどうかわからないけれど
わびるしかないではないか
私はわからないからついて行くしかないよ
そう言って母は

早くしなさい、なにやってるの
ぐずぐずしないで
せきたてられるこども
要領のわるい気質はのこって
年を重ねた
ひとりだけ育てた母も
年を重ねた
連れだって歩いて、つい足早になると
置いて行かれそう
仕返しされてるみたい、と苦笑
仕返しだなんて
せきたてていたのは躾だったんじゃないの?
尋ねたことはない
だから言ったでしょ
もっと早く出かければよかったのに
矢継ぎ早に言われても不思議はないのに
だまっている
言われればくちおしいが
言われなければ心配になる
埋め合わせる言葉を
探したいのに
なんとかできるか考えることで手いっぱい
次の中央本線下り特急新宿発は三十分後
茅野に九時五十一分
ツアーのバスが九時半に出ると次は二時間後
タクシーしか足がない
お城でツアーに合流できるのか
そもそもツアー参加は目的じゃないはず
合流に意味はあるのだろうか
思いが逸れる
ひとりならやめてしまうかもしれない
けれど今日は
母を誘ったのだから
いな
タカトオの桜、という
母の言葉に誘われたのだから

乗り遅れた場合、当日の後続列車、自由席に限り有効
という一行を旅程表に発見
でも中央本線だから新宿発とは限らない
千葉からぎゅうぎゅう詰めで着いたらどうしよう
三両のうち二人ぶんの席
なければ指定席
二時間立ったままは母には酷だ
もしも満席だったら……
不安がふくらむのに待ち時間は充分
駆け寄って駅員さんに聞くとやはり千葉方面発
紛らすように
現地バス営業所すなわち緊急連絡先に電話すると営業時間外
八時まで緊急事態の解消は延期
やがてぎゅうぎゅうのあずさが入線、ドアから降車に次ぐ降車
そう、月曜の朝だった通勤電車なのだ
ひとのあふれ出たあとの車両へ身体をねじ込む
ああ座れる
指定ではないし遅れてはいるけれど
向かっているね
高遠へ
地図の上なぞる思いでたしかめたしかめ
バス営業所へもう一度

あずさに、そしてツアーバスに遅れたと言うと
運転手さんは大笑い
いやいや、だからあなたにお願いするわけで
茅野駅前からアルピコタクシー、午前十時前
鼻先を逃れる
いな
乗り遅れたツアーバスに電話
城址公園で桜をみたあと
さくらホテルの食事会場で合流してください
添乗員の女のひとの声
バスのなかに響いているね
はずかしい
食事のあとバスで梅苑へ向かうから
後半で合流ってことになるのかな
山ひとつ越えて
高遠は茅野より標高が低くて暖かいんですよ、と
運転手さん
高くて遠いところと思っていたけれど
伊那、いえ、否、山あいの
お城は平山城と
あとになって読んだ案内ちらしにあった
山ひとつ越えて近づく道みち
ほのかに赤らむ木々が群れていて
このあたりはまだ木が若いから
色も濃いの
お城のほうが白っぽいかもなあ、とつぶやく

お礼を言って下りる足もとは水たまり
ライナーつきコートに携帯レインコートを重ねた母に
駅で見つけた使い捨てカイロを渡す
濡れながら広げる傘の先ほら
タカトオコヒガンザクラ
小さなほの赤みの差す花は
きゃしゃで小柄な母の手にするデジカメにも易々とおさまる
傘に鞄にデジカメ
両手いっぱい身体いっぱい桜にあずけるように母は
いっぽんからいっぽんへ
カメラを向けて
むちゅう
ねえ、そろそろ行かないと
お城に着く前にメモリがいっぱいになるよ
促す私も深々と息をついて
ケータイで一枚
タカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラタカトオコヒガンザクラ
いちめんのタカトオコヒガンザクラならぶ城址のぬかるむ凹凸を靴裏に写し取りながら
山肌おおう花はな花の綿あめ
融けかけた綿あめの甘い赤みに似た花を追ううち
ふりかえりざま羽がいじめ
低い花枝に阻まれる
しなる枝の鞭
花の虜にならよろこんでなる
母にちがいない
いな、私は
ああ、お昼の時間に
遅れないようにしなくては

 

 

 

卯月、うらはらの

(もうひとつの四月馬鹿)

 

薦田 愛

 

 

上野しのばず五條天神社の境内で
母と桜を見上げた、あれは六年前のこと
寒緋桜といったか それにしては花の色が白かった
と思うのは時の隔たりの作用で
今この駅の地下から雨の地上へ歩き
上野の山の縁を辿ってあの境内に到れば
春の闇のなかやっぱりその桜は
ほんのりと色づき
すらりと立っているのではないか

あの日
精養軒の並びにある韻松亭で母と
母の古い友人である宇野さんとご飯を食べた
まひる
染井吉野に少し間のある桜の季節
韻松亭の窓の外 枝ごとにまつわる柔らかなものがあって
芽を吹くもの頑ななもの屈まるかたちからほどけるものたちが
時の鐘の響きのなかゆらいでいるのだった

花籠弁当に盛り込まれた春をすっぽりお腹におさめて
つきない話のつづきを公園の道々しようと
並んでは前になり後になり女三人
階段を不忍池へと
下りかける足が向かうそぞろ道 くぐる鳥居
一礼もなしに
誘われていた その一本
いえ、幾本かの桜
とりどりにほころびていて
カメラを向ける母の
しずかな熱中をよそに
宇野さんと私は話しつづけていた

――とそこで映像はとぎれ
記憶はつづかない
ほんとうに一緒だったのか宇野さんと
おぼえているのは桜の枝に
鳥が止まっていたこと
なんという鳥かしら
訝しむ私たち(母と私)の後ろから
めじろですねえ、と男の人が

めじろですか
応えながら母の指はまだシャッターから離れない
かわいいねえ 呟く空 午後三時のさむさ
蜜を吸って枝をめぐる鳥を見るのは
初めてだった
(これはむろん私)

吸っていた花蜜 まんかい前の桜の
それはどれほど甘いものなのだろう

でね、実は最近知ったことなのだけれど
蜜だけで満足する鳥ばかりでないのだと
つぼみやら芽やらを啄んでしまう
気の早い鳥もいるのだと

うそって 口偏に虚しいではなくて
學つまり学問の学の旧字のかんむりに鳥という字
鷽と書く
ユーラシアン・ブルフィンチと称されるらしいとはwikiの受け売り
ブルフィンチって、ギリシャ・ローマ神話の編者だったっけ
口笛のような鳴き声はまだ
youtubeで聴けてない

打ち明けると
めじろからうそへの通路は
桜ではない
ものぐるおしい節目の今にいて
寒さの春は怒りにふるえ
いつまでも脱げないかなしみの外套を風になぶられながら
休みなく休むうち
思い出したのだ
こどもだった私に
祖父から送られてきた荷物
そのなかに木彫りのそれが
滝宮天満宮、天神様の

悪いことを良いことに
禍々しい怖いことの代わりに喜ばしいことを
祈りの言葉を添えて交わされる神事は
そんな効用あってこそ
けれど木彫りのうそのばあい
神様とではなく
ひとのうそとじぶんのうそとの交換
え、大丈夫かな
消去するのではなくて
取り換えるだけでいいのかな
怖気づくのは事の次第を知った今の私
けれど祖父からもたらされた木彫りのうそは
どこにやってしまったか
神事に行かなかったから誰のうそとも交換しないまま
飛び去ってしまったのか

つぼみを啄みすぎるからと
憎まれもするうそよ
いっそ喰いちぎってしまえ
物狂おしいこの季節の胸もとから
あおぐろく傷んだかなしみの肉腫を

うそよ
よろず嘘のゆるされるこの卯月の夜に
うそよ
どれほど取り換えても消えることのない
おろかしい歩みをわすれはしないから

 

 

 

新宮、そして伊勢の

 

薦田 愛

 

 

どさっ、とではなかった
ぐぐり、といった
腰をおとした指定席、新宮駅を
紀勢本線名古屋行き特急はのこして
シンパイのこして
伊勢の手前、多気へと
速度をあげる
ぐぐり、といった
窓ぎわへ母を促し通路の側へ
おとした腰の全重量を
おろしたての晴雨兼用折り畳み傘が
受け止めていた
ぐぐり、といった

駅弁買う前に、おはぎをみつけた
秋彼岸
これでいいよね、お昼
じゃらじゃらっとパックを鳴らして母が
しまったのに
カフェがあった 駅前
窓がおおきい
入る?
いいね、と母。コーヒーのみたい
そうだよね、喉かわいた。

雨もよいの丹鶴城址へ宿から五分
蚊柱に遭遇、退却して浮島みっせいする緑
徐福公園はあきらめ、でもほら
この道の先が速玉大社、昨日のバスで行った
ナギの大樹があったよね
のぼっておりて歩きまわって宿へ
入念な母はすっかり荷造り
ぎりぎりに出るのはシンパイだから
そろそろ行こうと促すので
どさっ、と放り込み
ぐぐい、とファスナーひいて
じゃあ行こう、とキャリーを立てたら
だまっている
どうしたの
キーがない

一枚でいいです、と返してもよかったのに
渡された二枚をうけとってしまった
いっしょにいるから使わないのに
一枚でドアをあけ、ホルダーに置いて灯りをつける
もう一枚は母が
その一枚が

ポケット全部みたの
だまっている手が休みなくうごいている
くちをひきむすんで
ちょっと怒っているようにみえるけど
気がせいてるんだ
知っているのに、できることはないか
焦れてきいてしまう
だまってて 考えてるんだから
気がちる
そうだねそうだった
きゅうっと狭くなる
通路
黒い表紙の宿泊約款ひらくくらいしかできないな
あ、いざとなればって、このくらいで
いざはくやしいな 三千円でいいのか
だいじょうぶだよ、あなたが言うように
早め早めにしていたからまだ三十分、
いや、一時間ちかくある
過ぎたってどうってことない
できることがないと心はおちつくのか
あわてる気質は同じなのに

一枚でたりるのに
一枚しか使ってないのに
その余りのもとめない一枚のために
まっしろになって くちひきむすんで
あわてなくっちゃいけないなんて
うーん納得できない
なんて言葉にできずに
うなっていたら母が
モノクロギンガムチェックのブラウスの
胸ポケットを
なに。え、なに?
うーん、こんなところに入れるなんて
ふだんしないことどうしてしたんだろう
つぶやく母の
肩がなで肩にもどる
まっしろになってくちひきむすんで
あっとおもってなで肩にもどって
よかったあっとゆるんで
お腹すくからなにか、と探しながら駅まで
水ひとくち飲まずに

厚切りトーストとコーヒー、
駅前カフェの
私は紅茶
熊野新報写真特集
くつろぎすぎて
あと十五分
改札へキャリーをひいて
指定券と、もう一枚
きのう途中下車してハンコもらった乗車券
もらわなかったかもしれない
もらわなかったって?
返してもらってないかもしれない
だったら返してもらわなきゃ

すみませんきのう昼過ぎ着の特急で
途中下車のハンコをもらうはずの
乗車券が一枚返されてないみたいで
あと十二分で出る名古屋ゆきの指定券もってて
二人のうち一人の乗車券はあるので
昨日の分の切符がまだあるなら
まじってないか探してほしいんです
わかりました探してみましょう
奥へゆくひと 検札にたつひと
つぎつぎに荷物もつひとたちが改札をとおって
ホームへ階段へと
あと十二分の針をおしてゆく
階段のぼって向こうのホーム
キャリーをさげて五分かな
ありましたっ
紙片をつまんで駆けてくるひとはいない
かわりに
調べてみたのですがありません
指定の席に乗っていただいて
ひきつづき調べて出てこなかった場合
あらためてお支払いねがいます
そんなぁっと
言いさしにしてとおる改札あと四分

いやだ、
かすかな悲鳴
え、声にならない
これ、と言ったろうか
困りきった指が
さぐりあてていた裏の黒い一枚
胸ではなく
バッグのうすいポケット
ハンコもらってそのまますとっと入れたんだね
むりもない
バスの乗り場へ気持ちがいってたから
いやだ、もう
そんな、よくあることだよあなたはきちんとしてて
自信があるからがっかりする
緊張したり疲れたりして
たまぁにうっかりしたのは
だめなひとの気持ちをわかるためかもよ
半ば母に半ば以上は
うっかりすぎる自分の肩もつように
くちひきむすんだまま
目をつむって母は

ぐぐり、といった
晴雨兼用折り畳み傘の
曲がりを直そうとして折れたのを
いいですか、と預かっていった
二見の宿の仲居さん
お伊勢さんをめぐる一日は
これで使えますよとガムテープを巻いて
包帯みたいだけど、だいじょうぶ
まぶしい秋分の
玉砂利ふみしめて
外宮から内宮、駆け足で

ああ、でもやってしまったみたい
なに、と母
デジカメ
お抹茶いただいたとき手首から外したたぶん
バッグの中じゃないの
いや、あそこだとおもう
駅の写真でも撮っててね
宇治山田駅のベンチにひとり
さぐってもひろげても、ああやっぱり
近鉄特急名古屋行きまで二十五分
内宮らしきところへ電話
あの、忘れものしたみたいです
デジカメ、ニコンの
クールピクス、ですか銀いろの
そうです、それです。送ってくださいますか
お手数ですが
いいですよ。持ち主のところへかえるのが一番ですから
ありがとうございます

あったよ、と告げて
よかった、とひとこと
やっぱりね、親子だね、いや
あなたはなくしてなかったけど
私は忘れちゃったしね
新宮のせんべい伊勢のまんじゅう
折り畳めない傘をキャリーにおさめ
近鉄特急名古屋行きの
窓は暮れはじめたところ

 

 

 

河津、川べりの

 

薦田 愛

 

 

肉厚の緑のちぢれが
おいしそう菜の花がひらきすぎている
伊豆急河津駅改札前さいしょの信号渡ると
ホーム下の花壇はにぎやか
午前十一時二十分二月二十四日の
海に近い川沿いの町はさむい
染井吉野や大島桜が
眠りからさめる前に
いちりん
ほころびるや誘われるようにひらきはじめ
ひと月の余りも咲くのだときいた
河津桜その生まれたところ
南へ
海へ向けて
ついとさしのべられた半島の町へ
花の
とりわけ桜の好きな母を誘って

四月になると母は忙しい
上野不忍池隅田公園増上寺谷中墓地
目黒川は人が多すぎて撮りにくいのよ
両大師は御車返しもあるからやっぱり穴場だね
寛永寺のお坊さんが書いてる
上野の桜のガイドブックをすみずみまで眺め
歩いてたずねて
腕のしびれるほど長く
仰いで撮って

大島桜や染井吉野、駿河台匂が
カレンダーを飾ったあと
八重が呼ばれ
なまめかしいくちびる
蜜をこぼす
新宿御苑ときどき隼町国立劇場前
関山、御衣黄、それに普賢象
うちかさなる紅、白、黄緑いろのフリルの
かれんをたしかめ
かかとを浮かして
ああ、とためいきこぼしながらきっと
撮り続けたむすうのなかから厳選三枚添付したメールが届く
忙しいけど
あとどんなにがんばっても二十回くらしか見られないものね
添えられたことば
ふるえている花びらのあいだを
ずしんと落ちた

だったら
だったら

名前だけきいたことのあるあの桜を見に行ってみようか
立春からいくにちすると満面の笑みになるのか
そのしらない花しらない桜を見に行こうと
誘ってみようか

肉厚の葉の菜の花の傍ら水仙が
すっくり伸びていた
つんとつめたい空気をまとって
にんげんは
母も私も
伊豆急を観光バスのステップを下りるひとも
いくえにも重ね着して
肩をすくめている

菜の花にデジカメ向けている場合ではなかった
堤に上がると
川幅いっぱいのさんらん光の粉を透かして
ふくらむ紅
房の重みに
揺れる梢をこちらへさし向けて
桜が
河津桜が彼方へ
重ね着してふくらむひととひとの重なり合う先へ先へと
うち重なり並んでいるのだった
ならんでいた
(たんねんに描き込まれたペン画のような
くろぐろとあたたかな交錯
さし向けられる梢と梢の)

原木ってあるけど
この先に
まだちょっと歩くみたい
どうする?
甘酒すする休憩所で風を逃れる
歩くっていっても大したことないでしょ
ずっと平らな道だし
ずっと桜を見上げて
歩いて行くのなら歩けるよ
行ってみよう

そうだね、時には
二万歩だって歩いてしまうあなただもの
桜の下を歩くのなら行ける
でも
水を向ければ断ることがほとんどないのは
いわないけれどやりたいことが
ぎゅっとつまっているのかな
きゃしゃな身体のなかに

あ、桜のペンダント
あの時のしてきてくれたんだ
そりゃそうだよ
こんな時しなくていつするの
喜寿の記念、銀のつや消し
桜の枝に花をつぼみをあしらったトップ
飾ることをしない母への
ささやかを形にしたアクセサリ
初めての桜を見に行くからと取り出す
その時指はおどったろうか

地図で少しの距離は
歩くとやや遠い
甘酒の熱はどこかへさらわれ
川面を縁取る木々はまだ頑ななつぼみ
上流だもの、温度が違うんだ
立ち止まりふりかえり
重なり合うひととひとのなか
デジカメを向ける母を探しながら
原木への曲がり角は次の橋のところ
並ぶ屋台を背に花房重そうな一本に向かえば
さざなみだつ川面
二月二十四日午後二時
はるの入口
きょうの花びらは日の光に
かろうじて
とけのこっている

 

 

 

ふたみ、夕暮れの

 

薦田 愛

 

 

JR参宮線、鳥羽の手前で降りる
回収する人のない切符をポケットにしまい直す
ちいさな駅舎から家並みをぬって
マイクロバスは
二見の傾く日のなか
海辺の道へ

女ふたりで夫婦岩なんてね、と
鼻をかむ
だって
縁結びを祈る女子旅ではなくて
恋のアルバム作成中のふたりでもなくて
父つまり夫を送って三十年の母との旅だ
結婚中退から十年
めおとって響きに
ちょっとひるんだのは私
行ったことがないから行ってもいい
と母のひと声
そうだね、
行ってみればいいよね

日の沈む前にご覧になれますよ
促されて宿を出る
夫婦岩まで四分
いちばん近い宿、だって
お伊勢さんに行くのなら
どこに泊まろう
伊勢市内、それとも二見?
なんて言っていたけれど
二見も伊勢市内なんだね
この波打ついちめんは伊勢湾、なんだ

鳥居をくぐるひとたちに続く
ざっざっと靴うらをうがつおと
大岩の角を曲がると拝殿、そして
注連を張ったひと組の岩、
囲むように小さないくつか
ざっざっと靴おと重ねて波ぎわへ進むひとまたひと
その先のほう
カメラを構えた細身の母だ
いつのまに

仄白くにごった光が絵筆のいっぽんとして
雲を走らせる
夕闇を押しとどめて伊勢湾の空は
つがいの岩をみおろしている

波に洗われ続ける岩の冷たさ
注連を張るだけの隔たり
おもいもしなかった感覚がたちのぼる
深夜、
あの岩、あの海、あの空の写真をみている
(仄白くにごった光の)

そう
旅の翌日
これをみて
母の手に一枚のモノクロ写真

父だ、父が写っている
その後ろ

めおといわ
夫婦岩だ
おれも行ったんだぞと言ってるみたい、と母
旅行前にしていた整理の
続きをとアルバムを開いたら
いったいいつの社員旅行だったのか
まっすぐな目を向け
モノクロの父は

 

 

 

下町、霜月の

 

薦田 愛

 

 

二の酉、通りは人ひと人の
しらない顔かたちにあふれている
下町、くるわ、のおかれていた近く
こんじきの文字を掲げたお社はあり
隙間なくならぶ提灯しらしらと照らす境内へ
うねうね長い行列のひとりとなって進む
久しく
詣ることのなかった神さまのもとへ
しらない顔かたちの
人ひと人のあとにつづく

列をなして対面、神さまと
列をなして対面、神さまと
神さまと対面するいっしゅん目指して
列をなす
しらない顔かたちどうし

すごいねぇ、とまばたきする
しっている顔かたち
旧い友と、友の友
すごいって?
しらず張り上げる声かき消える
路地の闇
すれちがう人の肩におどる
通称かっこめ、つまり
鶴亀松竹梅大判小判俵七福神干支のひつじ
そして福相のおみなすなわち
おかめを飾った
熊手
揺れて
通りを渡る
神輿のように

旧い熊手はこちらへ
ゆるみのない誘導
境内は狭いですから押さないで押さないで
神さまは公平ですから
列をなし
対面まであと少し
お賽銭の遠投をこころみる
初老短髪腕に覚えありと書いてある顔
ちいさくうなる放物線の
くりかえし刻まれるいちにち

列をなして対面、神さまと
列をなして対面、神さまと
おもいおもいの個別を証しだてる術はなく
おもいおもいの重さ大きさをはかる野暮もなく

いっしゅんののち
ぐにゃっとほどけて
ちりぢりの人ひと人
しらない顔かたちも友の顔も
おもいおもいにあおぐ見あげる
とりどりあまたの
かっこめ
大鷲の爪のつよさにあやかって
つかまえよ財宝、つかまえよ福を、と
つぶやいてみる

ああ、手拍子だ