由良川狂詩曲~連載第17回

第6章 悪魔たちの狂宴~由良川のギャングたち

 

佐々木 眞

 
 

 

大広間の天井にへばりつくようにして、この異様な光景のいちぶしじゅうをのぞきこんでいたケンちゃんは、びっくりしました。
突然自分の名前が持ち出され、しまいにはケンちゃんコールまで由良川一帯にとどろきわたってしまったんですもの……

しかし、これでどんなに由良川の魚たちが困っているのか、なぜケンちゃんの到着を待ちわびているのかがよくのみこめてきました。

のみこめたのはいいのですが、ケンちゃんはだんだん途方に暮れてきました。
自分はどうやったらこのピンチを救うことができるんだろう?
あんなに魚たちから期待されているのに、由良川のギャングどもを向こうに回して、12歳の少年がたったひとりで何ができるというのでしょう?
ケンちゃんは考えれば考えるほどますます不安に駆られてきました。

数千、数万の魚たちが酔っ払ったように由良川音頭を合唱している大広間をそっと離れて、ケンちゃんはまるで誰かから呼び止められるのを恐れながら逃げ出すようにして、由良川の本流めざしておおきく複式呼吸をしながら、ゆっくりゆっくり泳いでゆきました。

少し頭を冷やしながら、じっくり考えてみようと思いましたが、哀しいことにいくら腹式呼吸を繰り返しても、いくらひとかきひとかきゆっくり泳いでも、頭の中には何のアイデアのひとかけらさえも浮かんでこないのです。
その時でした。

――おや、あれは何だろう?

ケンちゃんの前方およそ5メートルほどのところから、なにやら白く光る2本の棒がこちらに向かってきます。白く、先端が湾曲した、なにか骨のようなもの……。
左右とも2.0の自慢の視力で透かしてじっと見つめると、それはなんと牛の角でした。

角だけではありません。肉がそげ、きれいに白骨化した大きな牛の頭骸骨が、見えない虚ろな眼で、じっとケンちゃんを睨んでいるようでした。

次の瞬間、その眼はギロリと動きました。
ギロリ、ギロリ、ギロリ……それは、牛の眼ではありません。
牛よりももっと小さく、しかし、もっと不気味で狡猾そうな2つの眼が、ホルスタインの眼窩の奥から、じっとケンちゃんを睨みつけているのです。

ギロリ、ギロリ、ギロリ……、黒く悪賢そうな小さな眼は、2つ、4つ、6つ、8つ、……もっともっと光っています。
暗い水の中で、何十、何百の暗い眼たちが黒い縞模様を右に左に反転させながら、次々に白いしゃれこうべの下へと消えてゆくのです。

このホルスタイン種の乳牛は、おそらく先日の台風の時、上流の上林村あたりから、生きたままモウモウと鳴きながら、ここまで流されてきたのでしょう。

ケンちゃんは、さらに牛の死骸のほうへと近づいてゆきました。そしてそのすさまじい光景を見た途端、アッと叫び、叫んだ口の中から侵入した泥混じりの水を思いっきり飲んでしまいました。
真っ暗な由良川の河底に横たわるホルスタインの死骸を、何十、何百匹ものカムルチーたちが、するどいギザギザの尖った歯をきらきら光らせながら、夢中になって食らいついているではありませんか。

全長40センチから、大きい奴は1メートル以上もある青ずんだ黒い色をした川の盗賊カムルチーは、背びれと臀ビレをゆらゆらグルメの快楽にうち震わせながら、狂ったようにホルスタインの雌牛のやわらかな臓物に突撃しては、獲物をナイフのように鋭い歯で斬りとり、そのたびに微小な肉片と鮮血が濁った水を赤々と染めてゆきます。

―――カムルチーだ! ライギョだ! こいつら、由良川のギャングたちだ!

 

 

次号へつづく

 

 

 

久しぶりの詩を書いたってわけ。

 

鈴木志郎康

 
 

ベッドでテレビ見てて、
あくびしちゃった。
眠くなって、
眠っちゃった、
眠っちゃった。
で、それで
眠っちゃった、
という言葉が
想い浮かんだんだね。
テレビでやってたのは、
座間の九人殺害事件容疑者白石隆浩容疑者のことばっか、
自殺願望のある女たちを部屋に誘い込んで殺したってことばっか、
初来日のイバンカ・トランプ大統領補佐官のことばっか、
薄いブルーのコートで羽田空港に降り立ったってばっか、
あくびが出て、
眠っちゃった、
という言葉になって、
ここに、
書き留めたってわけ。
いやぁ、
久しぶりの詩を
書いたってわけ。

 

 

 

小豆のまくら

 

塔島ひろみ

 
 

バリバリと パンを食べる音が解体工事のように響いている
血液検査を終えた人は、結果を待つ間この地下室でパンを食べる
丸テーブルに座って、向き合って食べる
中身のたまごがこぼれないよう、両手でしっかりとパンを押さえる
下を向いて歯の少ない口を思い切り開け、パンを噛む
噛みきることの困難さに、ますます首は下向きになり、うなだれた状態でパンを手に(口に)入れ、噛む間のこの頭をつんざく機銃掃射に恍惚となって目を上げると
向かいでは息子がとうに食べ終わり 静かにスマホをいじっている
その人はこれから、緩和ケア外来に行くのである
息子と老人との間には、何一つ会話がなく、
息子は途中で呼び出しベルを落としたりしたけど、会話はなく、
老人はこれでもか、これでもか、と、ひたすらに、ひたむきに、食べていた
ふすまがはずれ、階段が落ち、山百合と、虫に食われたズボンがぶら下がり、
それを引きちぎり、足で踏みしだき、
枕が出てくる
この枕には穴が開いていて、起きる度に小豆が外にこぼれている
それも今、食べる
息子はスマホの操作を終えて、私が家を壊すのをじっと見ていた

 

(2017年10月30日 ドトール東大病院店内で)

 

 

 

バベルの塔

 

佐々木 眞

 
 

バベルの塔、倒れた。
スカイツリー、倒れた。
トランプタワー、倒れた。

すってんコロリと、倒れてしもうた。
なんでか知らんけど、倒れてしもうた。

神を恐れず、神々がいます天空の彼方を無遠慮に侵犯せんとする人間どもの野望に、
コナクソ、ハナクソ、アベノミクソ
ついに、ついに、鉄槌が下ったんや。

浅草十二階、倒れた。
ロンドン塔、倒れた。
エッフェル塔、倒れた

ドドシシ、ドッシーンと、倒れてしもうた。
ベリベリ、ベキューンと、倒れてしもうた。

こないだ西新宿の京王プラザホテルで、エイコ先生と打ち合わせをしとったら、
突然ビル全体が揺れだして、5分間ほど生きた心地がせんかった。
わいらあタモリやないけんど、高いところは苦手やねん。
中也はんは好きやけど、「ゆあーん、ゆよーん」も苦手やねん。

エンパイア・ステート・ビル、倒れた。
クライスラー・ビル、倒れた。
ワールド・トレードセンター、倒れた。

むかしむかし、佐々木小太郎という名前のおじいさんが丹波の国で下駄屋を営んでおりました。
小太郎さんは、孫の私をとても可愛がっていましたが、時々こんなことを申しました。
「高い所へ登るのは、アホウとセンチムシじゃよ」

東京タワー、倒れた。
京都タワー、倒れた。
大阪万博ビル、倒れた。

センチムシちゅうのは、雪隠に住む黄色いウジ虫のこと。
ちん隠しの下を覗くと、小さなウジ虫は地獄から地上を目指す杜氏春のように、
せっせ、せっせと、便器を伝って這い上ってくるんやで。

霞が関ビル、倒れた。
さっぽろテレビ塔、倒れた。
瀬戸デジタルタワー、倒れた。

ラリラリ、ラーンと、倒れてしもうた。
ガチャガチャポーンと、倒れてしもうた。

小太郎おじいちゃんだけやない。
おかあちゃんも、おとうちゃんも、
「高いとこへ上がるやつは阿呆や」いうとった。

ドバイのブルジュ・ファリハ、倒れた。
中国の上海中心、倒れた。
メッカのアブラージュ・アル・ベイト・タワー、倒れた。

そう、僕らはアホウ。僕らはセンチムシ。
狭くてむさくるしい外下界は厭になった、とばかりに、はるかなる高みを目指して
一歩一歩、せっせ、せっせとのし上がる。

福岡タワー、倒れた。
名古屋テレビ塔、倒れた。
海峡ゆめタワー、倒れた。

わいらあ、エベレストに登ったことは、ありまへん。
富士山に登ったことも、あらへんで。
下界を見下ろすペントハウスに住もうと思ったことも、ありまへん。

カナダのCNタワー、倒れた。
ロシアのオスタンキノ・タワー、倒れた。
クウエートの解放タワー、倒れた。

ドドシシ、ドッシーンと、倒れてしもうた。
ベリベリ、ベキューンと、倒れてしもうた。

それにしても、人はなんで高い所に登るのか?
なんで高い所に住みたがるんか?
天にまします八百万神に、1センチでも近づきたいんか?

ソウルの第2ロッテワールドタワー、倒れた。
シカゴのウイリスタワー、倒れた。
NYの1ワールドトレードセンター、倒れた。

それとも人間どもは、空気の薄いところで酸欠したいのか?
巷をいやがうえにも低く見て、地べたを這うアリどもを見下したいのか?
至高の存在とやらに額づいて、おのれに余光をもたらしたいんか?

おお、友よ!
親愛なる全国の学友諸君よ!
わいらあがこうして駄弁を垂れ流している間にも、

中国の広州塔、倒れた。
イランのボルジェ・ミーラード、倒れた。
マレーシアのKLタワー、倒れた。

ラリラリ、ラーンと、倒れてしもうた。
ガチャガチャポーンと、倒れてしもうた。

この世で、死なないものはない。
この世で、落ちないものはない。
この世で、倒れぬものもない。

バベルの塔、倒れた。
スカイツリー、倒れた。
トランプタワー、倒れた。

すってんコロリと、倒れてしもうた。
なんでか知らんけど、倒れてしもうた。

 

 

 

日本人としてのフデコさんのためのHerstory

2017年11月バンコクでのパフォーマンスのテキスト部分

 
 

Shinichi Arai
荒井真一

 
 

In that video my mother Fudeko san cried and told me that you must stop your performances.
It was her first time to watch my performance “Happy Japan!.”

She told me that why you show your Chyon Chyon means your penis and sing a holly national anthem nudity and paint holly Japanese flag with your hip?

She told me that you are unpatriotic and not Japanese.
And told me that I am very sorry that we poor your parents supported you who became such bad guy.

She died on 19th September this year.
She was born on 4th May 1927.
So she was 90 years old that day.

My father died in 2002.
I was only one child of them.
My mother broke down on 11th June 2011.
Since then she could not speak nor eat with her mouth nor move her right hand and foot.

She was born one of 8 children.
Her family was a very poor peasant at local village of Toyama prefecture 600km from Tokyo.
She only graduated primary school.
It was very similar as many peasants girl children those day.
In primary school she learned that the Emperor was god, the father of Japanese fathers, so your holly father, national flag and anthem were excellent holly like the Emperor.

After World War 2nd, many young Japanese Emperor armies could not come back to their poor villages.
So she could not marry.
She worked hard for family to take care of her niece and nephew whose mother worked hard at rice fields and do housework like cooking and sewing.

At last she married when she was 31 years old with my father Hisao san.
He was 35 years old and second marry but He lived in rich Toyama city with his rich family.

After their marry his family became very poor and his rich brothers were gone.

My father only got small land for small house from his rich family.

Then my mother understood my father could not write and read Japanese nor calculate simply numbers.

So she was father and mother for me in my childhood.

But I love Fudeko san and Hisao san

 

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2003年正月、ビデオ見ながらわたしの母フデ子さんは泣いて、あなたはパフォーマンスをしてはならないとわたしに言った。
フデ子さんがわたしのパフォーマンス「Happy Japan!」を見るのは初めてのことだった。

フデ子さんはわたしがなぜチョンチョン(チンポ)を出し(ピカチューで隠しているのだが)、神聖な「君が代」をウンコをするかっこうで歌い、神聖な「日の丸」を尻で描くのかと問い詰めた。

彼女は、わたしを非国民と言った。
そして、あなたを東京の大学に行かせるのは大変だった。こういうことをしているのは亡き父久男さんとわたしへの裏切りだと言った。

彼女は2017年9月19日に死亡した。
彼女は1927年5月4日に生まれた。
彼女はその日、90歳だった。

わたしの父は2002年に亡くなった。
わたしは彼らの一人っ子だった。

わたしの母は2011年6月11日に突然倒れた。
それ以来、彼女は話すことも、口で食べたり、左腕と左脚を動かすこともできなかった。

フデ子さんは8人兄弟だった。
彼女の家族は富山県の宇奈月町で、非常に貧しい農家だった。
彼女は小学校のみを卒業した。
それは当時の多くの農民の女子たちでは当たり前のことだった。
小学校では、天皇は神であると教えられた。あなたの父親たちの父であり、あなたがたの神であり神聖な父であると。
国旗、国歌は天皇のように神聖だと。

第二次世界大戦後、多くの若い日本の農民の兵士は貧しい村に戻ってこなかった。
そして彼女は結婚できなかった。
彼女は田んぼ仕事で忙しい義姉の代わりに姪と甥の世話をし、調理や縫製のような家事をして家族を助けた。

彼女はついに31歳の時にわたしの父久男さんと結婚した。
久男さんは35歳で二度目の結婚だったが、都会の富山市で金持ちの家族ととも暮らしていた。

彼らの結婚後、久男さんの家族は没落し、父の金持ちの兄弟は死んでしまった。

久男さんは家族から邸内の小さな土地をもらっただけだった。

そして私の母は久男さんが文盲であり、簡単なたし算もできないと理解していった。

だからフデ子さんは子供のころ、わたしの父であり母だった。

しかし、わたしは今でもフデ子さんと久男さんが大好きです。

 

 

 

見晴らしのいい場所

 

正山千夏

 

歩いているあいだに
ずいぶんと長い時間が経ち
しばらくぶりに
見晴らしのいい場所へ出た

季節外れの台風が去り
細い月はぴかぴかに洗われた
金木犀は地面に落ちて金に変わり
かぐわしい香りもしなくなった頃のこと

なぜか急に思い出す
まだティーンだった頃、空の青が
好きで好きでしようがなかったこと
胸のあたりにあたたかな感触が
湧きあがる

大好きだった人のこと
どんなふうに愛したのか愛さなかったのか
忘れていたチカラが
ふたたびあたしの中にあるのに気づく
孤独を暗示した強い風
その音さえ甘やかに

あたしはそこから
動き続ける雲を見ている
新しい風が新しい不在を呼び
新しいあたたかな感触がそこに
流れ込んでくるのを

 
朝もやの流れる木立の間から
鹿が耳を立ててこちらを見ている
と思ったら消えた
あたしはゆっくりと
それを追い始める

 

 

 

告げるのは…

 

ヒヨコブタ

 
 

我が家にやってきた時計
かっこうが鳴いて響く音を目をつむって

いい声
数の間に山のこだまを

まだ暑かった頃の寒さを
思うのは
強がりのよう
子どもの頃からの強がりは
さみしがりを隠すため

家人が入院するという
しばらくかかるという

わたしはぼんやり聞いて
受け止めないでいる

痛みも熱も
受け止めないまま冬が来るだろう

銀杏も踏みつけないようにそっとあるいて
臭いと言わないように
大事に拾うひとに笑顔をもらう秋なのだから

ずっと強がる