家族の肖像~親子の対話その28

 

佐々木 眞

 
 

 

落語ってなに?
面白い話をすることだよ。

お父さん、安いって割引のことでしょ?
うむ、まあそうだね。

おばあちゃん、寝られなかったね。
うん。
おばあちゃん、亡くなったよね。
うん。
ドクターゴン、ドクターゴンよ。

お母さん、ぼくはムクゲ好きですよ。
お母さんもよ。
お父さんも好きだよ。

焼き芋、焼き芋ですよ。

お母さん、就職活動ってなに?
お仕事を探すことよ。

古川さん、むかし「お変わりありませんか」っていったよ。
そう。
お変わりありませんか。お変わりありませんか。エアコンいじっちゃだめ。お変わりありませんか。

お母さん、コウブ君亡くなったの?
亡くなっちゃったね。
こうぶ君、なんで亡くなったの?
病気だと思うけど。

虫は、セミとか?
そうだよ。
お父さん、ぼく、アブラゼミ好きだよ。
そうか。お父さんも好きだよ。

お母さん、疑問てなに?
さてどういうことかなあ?っていうことよ。

お母さん、申すと甲違うでしょ?
違うね。
申し上げるってなに? 言うことでしょ?
そうよ。

お母さん、別にってなに?
別なことよ。

ネギシさん、浜松に住んでたの?
え、さうなの?
そうだお。

お母さん、旅行でおみやげ買いますよ。
そう、買ってくださいな。
お父さん、先輩の英語は?
wwwww

お父さん、ウエダさんが「汚れとりましたので」とおっしゃったよ。
そう。じゃあ、また汚れ取りに行こうね。
いやですお。

岸本先生、ユキオっていったよ?
耕君、先生に名前聞いたの?
そうだよ。ユキオ、ユキオ。

お母さん、ぼくシダックス好きだったんですお。
シダックス、なくなっちゃったねえ。
なくなりましたよ。

お父さん、しりとりしよ。戸塚。
カメ。耕君、カメだよ。逃げないでよ。

お母さん、デートってなに?
会ってお話したりすることよ。

おばばちゃんちに、オクラ植えた?
植えたよ。見てね。
見ますよ。

「気をつけて飲んでください」っていったよ。
何を?
お茶だお。
誰が?
おばあちゃんが。
そうなんだ。

お母さん、待ちぼうけってなに?
誰かをずーと待っていることよ。

お母さん、エイエイオオってなに?
がんばるぞお。
エイエイオオ、エイエイオオ。

お母さん、それぞれってなに?
ひとつひとつ、ってことよ。

お母さん、身軽ってなに?
身のこなしが軽いってことよ。

お母さん、いらつく、ってなに?
いらいらすることよ。

お母さん、ファイトってなに?
がんばることよ。
ファイト、ファイト、ファイト!

 

 

 

梅世

 

萩原健次郎

 
 

 

眼に
芯があり
芯を
電子的に
焼く
焼いて見ることを
恢復する
あらためさせられる
苦悩など
水底ふかく
捨てているから
もう平らかな
私性に
溺れることもない
わたしの
遭難趣味は
きれいなあと
景色の奴隷になってもなあ
改宗したり
水に眼浮く
顆粒
玉の尖
虫はしらないうちに
這い
墜落する
算術の
生と滅と
アセテートの朝
軸は
身体の管を
通過して
無類の
丼(陶製)の
表面を歩いていた
影殴りの
光抱きの
埋め

 

 

連作「不明の里」つづき

 

 

 

詩人

 

駿河昌樹

 
 

ジャームッシュの『パターソン』*はよかったが
詩人と呼ばざるをえないひとが
どうして詩人としか呼ばれざるをえないか
たとえば
この花がどうしてこの花で
どうしてあの花ではないのか
ありえないのか
いろいろな批評や研究のようにわずらわしい理屈など重ねず
時間の流れのなかに
ほわんと鮮明に見せてくれていたのが
よかった

詩人としか呼びようのないひとというのは
毎瞬さまざまなものが意識に押し寄せ続けるこの世のしくみに対しては
やっぱりよい存在のしかた
やっぱり的確な意識の使い方をしていると
思い直させられ再確認させられるところがあって
よかった

ウイリアム・カーロス・ウィリアムズで有名な
パターソン市に住んでいる市営バス運転手
その名もパターソン
が主人公で
これだけでもう詩神話的な人物設定なのだが
ノートに詩を書き溜めるだけで
詩集にまとめて出版しようなどという気の全くないところが
詩人の最高のすがたになっている

ジャームッシュの批評精神ははっきりここに出ている
まだ若く最高の活動期にある詩人が
じぶんで詩集を出版しようなどと思っては駄目なのだ
じぶんの詩をふり返り推敲し直し選択し編集して本にするなどの
一連の行為は詩作とは全くちがう運動で
それらに精神をふりむけた時にもう彼は詩人ではなくなってしまう
ジャームッシュの慧眼はすごいものだと思わされる

もちろん後世の読者としては本がなければ困るのだが
書き留められた詩から詩集出版への過程には
つねになにか予想外の突発的な事故や椿事がなければならない
書物の中で最高度の存在であるべき詩集というものは
詩人が必死に出そう出そうとしては絶対にいけないもので
ことの成りゆきから出版されてしまう事態に至るのでなければならない
詩集には詩人の思惑を超えた画竜点睛の伝説がどうしても必要で
そうしてこそ人類にそれらの言葉の束が残る奇跡が起こる
何冊何十冊出そうが人類の流れに深く染まっていかない本ばかりだが
書物の中で最高度の存在である詩集というものは
そのような身ぶりをせず別のアリュールを帯びていなければならない

主人公パターソンの詩帖はある晩
飼っている犬にこまかく食いちぎられてしまって
それまで書き溜めてきた詩はぜんぶ花吹雪になってしまう
さんざん妻からコピーしておけと言われながら
その気なしにいい加減な返事をし続けてきたぼんやりパターソンも
この時ばかりはさすがにショックを受ける
けれども彼が本当にもう一段上の詩人レベルに抜けるのはこの時
じぶんの秘密の詩帖にだけ書き溜めてきた天性の詩人が
それまでの作品をすべて失って
なおもこの世の中のひかりの中に居続ける時
純度100パーセント詩人がふいと顕現してしまう
それでも市営バス運転手の彼はいつものように出勤し
いつものように街を茫洋望洋と歩き
さまざまなあたりまえの光景を見聞きし続ける
書いたものを失ってしまっても詩人は詩人
たぶん書いても書かなくても詩人は詩人
数十年に一冊だか一世紀に数冊だかの割合で残っていく詩集だけでも
人類史上ではすでにずいぶんな量になっているけれど
そうした詩集があろうがなかろうが生まれつきの詩人たちがいて
そのうちのひとりは市営バスを寡黙に運転していたりする
彼らとおなじひかりの中に詩人でなど全くない人たちもいて
詩人素ゼロのひとたちさえ中にはいっぱいいるという豊饒さに
気づいてみると
それはそれで
いい感じもするよね…
とジャームッシュは呟いている
たぶん

映画の最後
パターソンがグレートフォールズの前のベンチに座っていると
日本から来た詩人なのか
文学の先生だかが隣りに座る
演じているのは永瀬正敏
眼鏡をかけた日本人は鞄から
ウィリアム・カーロス・ウィリアムズの『パターソン』の訳本を出して見せる
街のことも『パターソン』のこともアメリカの詩のことも
いろいろ知っているのがわかる
日本人に「詩人か?」とたずねられて「ちがう」と答えたパターソンが
それでもいろいろと詩のことを知っていて
好きな詩もいろいろあるのに気づき
日本人はパターソンが生来の詩人であるのを直観的に理解する
パターソンに白紙のノートを渡し
書け!
とは言わないものの
書くことを促して去っていく時に
Aha…と言い残すが
後で白紙のノートをぱらぱらめくりながら
パターソンも
Aha…とつぶやく
詩人どうしの最高のコミュニケーションをAha…としたところに
ジャームッシュの詩の理解の非常な深みがある
禅や武士道に通じた彼なら
あたり前といえばあたり前の締めかただったかもしれない

もちろん
ぱらぱらめくられる時の
白紙のノートこそ
どんな詩集にも優る最高の詩集であることも

それを手にしながら
Aha…とつぶやくことの
目もくらむような豊饒の瞬間の
この世のひかりの中にあるひととしての
確認も

Aha…

 
 

*

 

 

 

山崎方代に捧げる歌 31

 

私が死んでしまえばわたくしの心の父はどうなるのだろう

 

義兄は逝った

留萌から兄さんと
群馬から

けいこさんが来た

義兄を焼いた
太い骨になった

内陸縦貫鉄道と五能線で深浦までいった

死んでしまえば
わたしの心の父はどうなるだろう

深浦の海をみた
あの世に持ってゆく

 

 

 

ムクロジの木の下で

岩切正一郎詩集「翼果のかたちをした希望について」(らんか社刊)所収「ムクロジの木の下の会話」を読みてうたえる歌

 

佐々木 眞

 
 

空高く聳え立つムクロジの木の下で、私と妻は息子の藝大合格を喜んだ。
もしかすると彼は、ゴッホかピカソのような、偉大な画家になるのではないかと
まるで、獏の一家が夢見るような夢を見ていた。

やがて入学式が始まった。
ちょっとくたびれた感じの初老の学長は、檀上に上ると、新入生を祝福しつつ、
やや不穏なスピーチを垂れた給うた。

「私は諸君に、「おめでとう」は申しません。なぜなら、今日の佳き日、この場にいる皆さんのうち、本当の本物のプロになれるのは、ほんの一握り、いやもしかすると、たった一人かもしれないことを、私は熟知しているからです」

しかし講堂を埋め尽くした新入生と父兄の誰一人として、
彼のいささか不吉な予言に耳を傾けている者は、いなかった。
着飾った親たちの全員が、息子や娘たちの、輝かしい未来を夢見ていた。

その日私たちは、晴れの入学式の記念に、
岡倉天心像の隣に欝蒼と聳え立つムクロジの実を拾って持ち帰り、
おばあちゃんの家の庭の片隅に、だめもとで植えた。

すると驚くなかれ、しばらくすると、ムクロジの実から愛らしい芽が出て、
それを鉢植えに移すと、小さな枝葉は、ぐんぐんぐんぐん大きくなって
やがて気が付くと、見上げるような大樹となった。

空高く聳え立つムクロジの木の下で、私と妻は、不惑を過ぎた息子を思う。
今のところ息子は、ゴッホやピカソのような偉大な画家ではなさそうだが、
相も変わらず、毎日毎日、絵を描いているようだ。

 

 

 

学び続ける力

 

みわ はるか

 
 

時々足を運ぶパン屋さんがある。
小さなところなのでお会計をしている人はいつも同じお姉さんだ。
30代前半くらいだろうか。
すらりと背の高いお姉さんは色白で美人だ。
初めて見たときは、髪をきれいな栗色に染めていて、くるくるとパーマがかかった髪をおろしていた。
背中の半分くらいまであったような気がする。
久しぶりにまたパンが食べたくてそこに出向くと、パンを並べるのに忙しそうな同じお姉さんの姿があった。
髪は黒色になっていて、高い位置で1つに結んでまとめられていた。
桜の形をした可愛らしいバレッタで上から留めてあった。
振り向いたお姉さんの顔は前見たときと同じだったけれど、ほんのり頬に添えられたチークは赤色だったのが柔らかいピンク色に変わっていた。
時は人を変えるんだな。
人は何かしら物事に飽きるんだな。
色んなものに触発されるんだな。
何かを吸収したり学んだりすることはとても有意義だと思う。

わたしは山や川に囲まれた、よく言えば大自然に見守られて育った。
コンビニやスーパーは近くにないし、商業施設や娯楽施設もない。
ないないづくしの町だ。
そんな中で母親はよく図書館へ連れていってくれた。
1度に15冊まで借りられたので、絵本や小説、紙芝居、歴史本など目一杯借りていた。
カラフルな絵で書かれた本はわたしをわくわくした気分にしてくれたし、小説の中の世界はわたしに外界の世界を教えてくれた。
でもそれはあくまで本の中の世界だと思っていたので、現実世界にも色んなものがあって色んな体験ができると知るのはまだずっと後の話だ。
東京で長い間暮らしていた父は家で作られたご飯を食べることを好んでいたので家族で外食に行った記憶はほとんどない。
必然的にそういうお店があることを知らなかったし、なんとなくは分かってもそれがどういうものなのか想像するしかなかった。
旅行もあまり好きでなかった父の考えでみんなでどこかへ行って、何か有名なものの前でピースサインをする写真もほぼない。
ただ、ほったらかしにされていたわけでもなくて、学校のイベントや成長した姿の小さい頃の写真はたくさんアルバムに収められている。
人を家に呼ぶのが好きだった父は、よくみんなでバーベーキューをしたり、鍋をつついたりした。
店屋物をよくとっていた記憶がある。
夏にはカブトムシや蛍を見に河原に連れていってくれたし、夏休みのラジオ体操やプールをずる休みしようとするとものすごい勢いで怒られた。

わたし自身の話となると、大人になった今は某有名化粧品が大好きで、服や靴のショッピングも好む。
ただ高校生まではそういうものに一切興味がなくて、朝、顔を洗うのに使うのは水だけだったし、服も制服とジャージがあれば十分だった。
困ったことは高校の修学旅行だった。3泊4日沖縄へ行くことに決まったのだけれど私服でというのが条件だった。ほとんど何もないクローゼットのどこを探しても着ていけるような服は見つからなかった。
その時は幼馴染みでお洒落な高校生活を満喫していた友達に一緒にショッピングモールを巡ってもらい事なきを得たのだけれど、その時間は苦痛だった。
その次の壁は大学入学前の時だった。
さすがに大学生ともなれば女の子は化粧がほぼ当たり前、毎日の生活も私服、鞄や靴も自由。
わたしにとっては大きな大きな環境の変化だった。
このときもあの例の幼馴染みに頭を下げてお願いして服やら靴やら全部助言してもらった。
化粧の仕方も一から教えてもらって感謝はしているが、彼女は少し濃すぎるのでその後自分でアレンジした。
この頃からきちんと洗顔や化粧水、乳液、美容クリームなど基礎的なお手入れを始めた。
美容院でしか売っていない少し高くて髪のキューティクルにいいシャンプーやトリートメントを買い始めたのもこの頃だ。
慣れないわたしの格好や化粧はのちのち人前に出てもまあましだと思われるようになったとは思うけれど、大学入学当初はものすごくださかったと思う。
それを大学の友人に確かめるのは怖いので今でも聞けずにいる。

大学入学後はまさに本の中の世界を見ているような気分だった。
少し都会に位置していたので、食べるところや着るものが売っているお店、お洒落なインテリアショップなど本当に何でもあった。
人の多さに圧倒されたし、女の人はきれいな人が多かった。
焼肉、イタリア料理、ワイン、和食、商業施設と複合してある温泉、髪を奇抜に染めた店員さんで構成される美容院…。
驚きの連続だった。
世界の入り口にやっとたどり着いたような気分だった。
もちろん勉学もそうだけれど多くのことを学んで吸収して取り組んだ時期の1つだった。
こんな田舎から出てきたわたしに懇切丁寧に様々なことを教えてくれた周りの人には感謝している。

何かを学ぶことをやめたらきっと人生はものすごくつまらない。
そんな気がする。

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

今日から主治医が変わるので、新しい下着を着て皮膚科に向かう

階段で掃除男に会う
制服は同じだが、新しい人になっている

4階の皮膚科待合に着く
塩蔵ワカメが寝そべっている

レーザー治療室から子どもが出てくる
ワカメを踏んだ
ギュイ、というイヤな、にがい音がしたが 誰も気に留めない

「植田さん」
と、声をかける
「大丈夫ですか」「ひどいんですか」

ワカメは答えず、薄ら笑いを浮かべている
「痛いですか」「痒いですか」
私は聞きながらボリボリ自分の太股の丘疹を掻いた

「汚いですか、食べられますか」
「まずいですか」
見ると、塩が散らばって私の靴の底も汚れている

もう、食べたくないなと思い、げっぷが出た

呼び出しがないので中受付に行って聞くと
新しい私は新しい主治医の診察が終わり
6番に行った
漢方薬をもらって 喜んだ
と、笑われた
ワカメも一緒に私を笑った

掃除の音が近づいてきた
新しい男が 階段と上階を終えて4階フロアの掃除に入る
ガー、ゴー、ガツン、と、古い男と同じ音で同じリズムで
規則的に掃除機を壁にぶつけ、ゴミを吸い込む
男の後ろには塵ひとつ残らない

近づいてくる

ワカメも、私も
息をのんでこの新しい掃除夫の来着を待った

 
 

(2018.3.27 東京大学附属病院皮膚科外待合で)

 

 

 

木々たちのように

 

正山千夏

 
 

サクラ咲く
環八のきわ
ごうごうなるクルマ
ざわざわざわめく
固い心臓
に刺さる小さなとげは
不思議な殻に包まれて眠る
(漫画「ブラック・ジャック」に
空0似たような話があったっけ)

いま、この瞬間
私は大丈夫だ
けれど
この今を積み重ねていけば
私の人生は大丈夫なのか

四つ葉のクローバーの声は聞こえない
私の自転車はゆっくりと走る
動体視力のすぐれたカラスのバクダンは
けれど今回はわずかに早く着弾し
自転車の前カゴへ落ちた
三つ葉のクローバーで拭き取った

華々しく咲くサクラを尻目に
馴れ馴れしくて敬遠していた
サルスベリの木にすがって
見失った目標を探している
夏に咲く花だから
つぼみさえまだ枝のなか

あの大きなモミの木は昔
川沿いの電話ボックスの横にいた
何十年も先の未来への
タイムマシーンではないけれど
あの電話ボックスに入って
受話器を取ってみたら
今の母の声が聞こえた

いま、この瞬間
私は大丈夫だ
木々たちのように
根を張る土壌に
たっぷりの雨がしみこんだ