二十世紀の旅人

 

サトミ セキ

 

眠りに絡めとられ、寝返りすることすらできなくなってゆく、誰とも会わない、食べ物もいらない、ただ眠りだけがあればいい。そんな時間を強制終了する最終手段は、言葉が通じない国へ一人で旅に出ること。
午前四時によろよろとベッドを離れてなんとか立ち上がり、心は空っぽのまま事務的に荷造りをして、化粧もせず、朝ごはんも食べず、行く街のつづりを書いた紙とヨーロッパ中どこでも行けるユーロパスを入れた旅行鞄を持って、ベルリンの小さな部屋の扉に鍵をかける、左足を踏み出して。真っ暗な踊り場を手探りしてスイッチを入れる、ぱちん。コンクリート階段を一段ずつ下りてゆくとふるい日本語を思い出す、「千里の道も一歩から」。アルプスを越えてイタリアも海に面したフランスやオランダも、これから向かう東欧も、この古びて歪んだ階段から地続きでつながっているのだ。引きずって一歩。中庭を横切ってアパートの敷居を越えた。
旅に出る楽しさや興奮は身体には湧いてこない。ただ自分で決めた東欧への道を、決めた時間どおりに進んでいくだけ、ベルリン・ツォー駅から六時間、十時間、時には二十時間以上列車に一人きりで乗る、列車が時刻どおりに街を通りすぎる、ドイツ国境を越える、私は運ばれて東欧の最初の目的地についている。駅から出たら自分の足で歩かねばならず、重く錆びついた身体を動かして、観光ポイントを一通り感動抜きにゆっくり順々に踏んでゆく。古い城やきらびやかな教会くらいでは心は何も感じないけれど、私は旅人なのだから。

日が翳り始めた見知らぬ街で、地図を広げながらホテルを探すのは苦しい。空いているホテルが見つからず、旅の予定が狂い始める。予期しないことが少しずつ生まれる。道に迷うのも、宿が見つからないのも、言葉がわからず電車の切符が思うように買えないのも、タクシーでぼられたのも、大声で乱暴な言葉をスーパーで投げつけられたらしいのも、振り返った子供に中国人と嘲られ指を指されるのも、今日の朝まで身体も心もどこを押してもだるさがにじみ出るだけだったのに「不快だ」という感覚が戻ってきて、私はイライラし始める。
やっと空いてた安宿の共用シャワーは修繕中で使えず、部屋にはカーテンがない。石畳を走る車の音と大通りのネオンサインの光がベッドの上に降り注ぐ。暑い。夕食がわりの二個目のオレンジの皮を剥きながら、いったいどうしてこんな旅をしているのだろうかと思う。息ができない。羽虫と小さな蛾が飛び回るから鱗粉が落ちてきそうな天井の味気ない蛍光灯を消し、窓を開けて、ボリュームを増した車の轟音とネオンサインを水の代わりに裸体に浴びながら着替える。耳栓をして目を閉じ、鼓動が頭蓋骨に反響する音を聞く。麻痺したまま続けていく旅は、耳栓をした夜のようだ。やっと車が途絶えた静かな夜明けに、ようやく眠りに落ちながら無意識に耳栓を外す。ゴミ収集車が石畳の上をゴツンゴツンと音を立てて大きなゴミ箱を曳いてゆく。
中央駅へ向かう途中の地下鉄の中で、右隣にすり寄ってきた男が私のバッグのチャックを開けて片手を入れた。群衆の中でスリと真正面から向きあって目を見据え日本語で叫ぶ。イマ、カバンニテヲイレタヨネ! 久しぶりに聞く私の大きな声は、こんな響きだったのだ。
次第にアドレナリンが身体に満ちてくる。しばらく誰とも電話もしてないしファックスも送っていないから、私が東欧を旅していることを知る人はいない。いざという時のために靴下にパスポートコピーと百ドル紙幣を忍ばせようか。身ぐるみ剥がれて殺されたら、爆破テロで焼け焦げたら(君はこの国で外国人無差別テロが起こっているのを知って旅しているのか、いいえ何も知らない、案内所の男は私を呆れたように眺める)、私はヨーロッパのどこかで霧の粒子のように消滅してしまった人になる。

再び戻って来られるのだろうかとふと考える。私は、私たちすべては、みんなこれきり何処かでふいといなくなってもおかしくない存在なのだ。昨夜、天井の蛍光灯の周りを飛び回っていた小さな羽虫や蛾と同じことで、いつ終わってしまうのか。鼓動はいつ止まってしまうのか。
「昨日まで親切にしてくれた一人の船員が今日上から落ちた帆桁の下敷きになって死んだ。旅行中に三人が熱病になって亡くなった。これは命を賭けた旅なのだ。遊びではない」
ヴェネツィアから船に乗りイスラエルへの聖地巡りに向かった人の十五世紀の日記を読む。五百年経った二十世紀の私の旅は傲岸でこれ以上ない贅沢な遊びで、いつもほんのわずかに自分が帰還できるかを賭けている。まだ帰りたい、まだ生き続けたい。そのことをからだじゅうで知るために旅をしている。自分が無事に帰宅すること、そのために私は全ての知恵と力を搾り尽くすだろう。
何ひとつ感じなかった心と身体がまず不快を感じ、次に自分を守ってアドレナリンが放出され、それからようやく好奇心がざわざわ揺れ始める。ここはいったいどういう街なのだろう。
二十世紀の手がかりは紙。パンフレットやチラシやポスター、目の前を通り過ぎるたくさんの文字と印刷された写真、街中に溢れる紙に目を走らせる。ハネや点や小さな丸や斜線のついた見慣れない文字列を地図のようにおぼつかなく辿ると、知っている言語と似た綴りがいくつかある。煉瓦の壁に貼られているポスターをじいっと見つめると、見知らぬ言葉が目の前でするりとほどけてゆく、オルガンに向かっている燕尾服の男の写真、どうやら、目の前の教会で今晩開催と書かれているような気がする。そのオルガンコンサートを聴きたくなり、明日は山脈を越える鉄道路線に乗ってみたくなる。

列車が来るまで三十分ある。雷が轟音を立て突然降り出した激しい通り雨が窓ガラスを洗う。ひび割れた天井から雨が滴って、コンクリートの床にみるみる水溜まりができる。待合室にアメリカ製のピンボールがあった。時間つぶしに私は雨漏りのする鉄道の待合室でピンボールを始める。ああ、この国は物価が安いから今まで経験したことがないほど、思う存分ピンボールができる。私は夢中になってピンボールを弾き続ける。嬉しい、旅に出て、初めて嬉しさがこみ上げてくる。嬉しい、そう嬉しいってこういう感じ、窓の外に稲光がきらめき、電気が点滅するピンボールの箱の中を白い玉が転がって消える。
二両編成の各駅停車に乗りこむと、そこはコンパートメント。重い木の扉を開けると大きく窓が開いていて、向かい合った座席におばあさんが一人で座っている。柔らかな微笑、黄色い雲のようなものと懐かしい匂いが通り過ぎた。あ、と目をあげると一面の菜の花畑だった。ああ、あんな菜の花畑の真ん中を突っ切って歩けたなら。
しばらく経つと車掌が検札にやってきて、私の切符を指しながら何か言うのだった。前の座席のおばあさんが片言のドイツ語で言う。アナタ、マエノエキデ ノリカエルベキデシタ。
小さな駅舎が立っているだけの無人駅で私ひとり下ろされて、時刻を書いた紙を渡され、単線レールの上を列車は遠ざかっていく。だんだん小さくなりながら車掌は来た方向を指さす。わかったね、次の列車に乗るんだよ。連結部の扉を開け放ち、私のために半身を乗り出して。

望みは叶うものだ。子供の背ほどある菜の花畑を列車が来るまでの雨上がりの二時間、もう充分と思うくらい散歩することになる。予期しなかった村を迷いながら歩き、教えられた時刻より三十分遅れて列車は到着し、ぼんやり定めた旅行プランは根元から崩れ落ちて、地図に載ってない小さな奇妙な村に泊まることになり、一切味が抜けた不思議な食べ物を口に入れる。向こう側から突然やってくる驚きに眩暈を感じて現実感を失い、時折恍惚となりながら、私は次第に回復してゆく。
ある夜、殺風景な食堂で野菜スープを掬って一口飲み込んだ時、そろそろ帰ろうと思った。翌朝ベルリンに戻る方角と列車を探してなんとか乗り込む。ドイツとの国境を再びくぐって、列車は深夜ベルリン・ツォー駅のプラットフォームに滑り込む。地下鉄九号線に乗って最終駅で降り、石畳の上を旅行鞄を転がして、一歩ずつ家に近づいていく。小さなアパートの階段を少し重くなった鞄を下げて時折休みながら一段ずつゆっくり昇り、鍵を回して真っ暗な部屋の扉を開ける。馴染んだにおいがする、無事に戻ってきた。深く息をついて鞄を床に置き、異国の食べ物や国際列車のにおいが染み込んだ服を脱ぐ。そして、旅に出る前は自分の声をすっかり忘れていたことも、旅した街の記憶も、すべて脱ぎ捨てながら、私はベッドに潜り込む。

 

 

 

パンドラモン、雨が降り始める

 

サトミ セキ

 

九月一日の朝 空気のにおいが変わった
雨の降りそうなにおいがしますね
と机から顔を上げて言うと
そうなんだ と上司は書類を見たままぼんやり答える
その昔 季節が変わる日
においと気圧と音の聞こえ方と微妙な気温の下がり方が違うやろ
と理科教師の母は言った
(湿度が上がると空気中の水分量が多くなって、水分が振動して遠くの音が聞こえやすくなるんよ。普段聞こえない踏切の音、隣町の中学校のチャイムの音も耳に届くし)

耳の奥が水の中にいる時みたい。隣りのデスクにいる人が遠くにいてゆらり姿が揺らぐ
雨が降る 降り始めます もうすぐ
鼻の奥に感じる重苦しさ、安いポリエステルの制服ブラウスの下の肌がべたべたしてきて、わたしはどうしてここに毎日通っているの 狭いビルの一室に電話とパソコンと電卓に囲まれて
(なんてね)

故郷の町の雨は
海に降るとき 大きな港に魚たちの粒子が油まじりに泡立ち
山に降るとき 緑がざわめく 海も山も雨が欲しいのだ

降り始めと雨上がりのにおいが違うのって知ってた?
だれかとお昼休みに話してみたい
(いいえ母と)
雨に濡れる公園の土の上に寝転んで土のにおいを全身にまぶしたい

三階の事務所から コンクリートの階段を音立てて駆け下りる
キュイーン、カウィーン、
雨や雪が降る前は耳鳴りがする、耳を上から押されたみたいに
エビアンを地下のキオスクで買う エビアンは雨水の味がする
このビルには下水道のにおいが上がってくる
わたしの身体が見えない水に圧迫されているんだ
故郷の町は 染色工場の酸っぱいにおいが流れて来ると雨が降った 今はその染色工場もないけれど
窓を開けると
新幹線の架橋が近いこのビル街でも 草のにおいがしてくる
目に見えないどこかで 草たちは勢いよく繁茂している
もうすぐ雨が降り始める

母と喋りたい

  初雪が降ると布団の中でわかる。深夜から朝にかけてのにおい
  初雪のにおいには名前があるんよ ラノリーノン、今名付けたよ
  季節が変わる雨のにおいはパンドラモン  なにそれ、パンドラの函?
  うんそんなもの

その昔 母は喋り続けた
雨の日には なんでカエルがたくさん道に出てくるんやろね (雨の降り始めはカエルのにおいに似てる) ちゃうちゃう、濡れたアスファルトや土のにおいや
いつもより早く学校に来た時のにおい、マラソン大会の冬のにおい、桜の花びらチラチラする新学期の夕方のにおい、運動会の朝は子供のにおいが濃ゆいし、みんな違うわ (ああわかる)
家の扉を開けると収穫時の田んぼは早よ刈り取ってというにおいがしたし、雨降りの前日は牛糞のにおいが遠くからはるばるやってくる
(それは知らんわ、)とわたしは笑った

土曜日の午後のわたしの故郷 海へと下る坂のにおい
母が最後に入院していた人工島に飛行機で降り立つといつも あの九月一日がどこかに混じっている

パンドラモン ラノリンノーリン ンドラモン
(十一年前の八月三一日は晴れていて 九月一日夜明け前に雨が降った)

今日 季節が変わった
もう言葉で伝えられないけれど
今あなたが感じるにおいはどんなものなの
教えてよ
この世ではないその場所のにおいを
パンドラモン 今日で十一年
新幹線が見えるこのビルにも 雨が降り始めた
草のにおいが濃くなって来る
わたしもこの街で一本の草になるんだろう
おかあさん あなたの顔を忘れてしまった

 

 

 

ごらん、まるで森だ

 

サトミ セキ

 
 

この街では時間がかかる
玄関扉を解錠されて 敷居をまたぐこと

夏至の晴れた午後に
アルテバウの入り口のブザーを鳴らす
戦争を超えて生き残った古いアパート
の 入り口
あなたの自筆で書かれた苗字 その横のボタンを押す
そう この国で呼び鈴は summer(ズンマー)
夏とともに 濁音で始まる言葉にふさわしい音をたて
重い木の扉が開いた

思い出す
あの瞬間
わたしは街の本当の内側に入ったのだ

人に撫でられた形にすり減っていた
階段の木製の手摺
すこし傾きのある階段を三階まで上って
二つ目のボタンを押す

開かれた扉の向こう側で あなたは
新聞紙を握って立っていた
濡れた新聞紙は 窓をきれいにする
ほら 君が来るのを見ることもできたし

アルテバウの暖房は薪ストーブ
冬は部屋が暖まるまで白い息を吐きながら、分厚いコートを着たまま薪を投げ続けるんだよ そう、数十分ずっと
(知っている あなたを知ったのは冬だから ちくちくする分厚い毛のコートはまるで軍用毛布のよう)
天井まで三メートル 床は石に似た冷たい大きなタイル
きっとこの家のどこに触れても冬は氷だ
氷の部屋が透明な水蒸気になるまで あなたはストーブに薪をくべ続ける
だからあなたをカイと呼ぶ
コーナーの隅には小さな蜘蛛がいた
台所の食器棚の上にもトイレの片隅にも

小さな蜘蛛たちはいつも変わらず密かに糸を吐き続けているのだ
 空から焼夷弾が落ちてくる時にも街がコンクリートの壁で真っ二つに分かれても
本棚から一冊本を抜き取ると
フナムシのような銀色の虫が隙間から出て来た
ぴんぴんはねる銀色の魚の胴体に
二本の触覚と小さな複数の手足がついた虫
お前は きっと漢字で名付けられた「紙魚」だ
わたしが日本で見たことのない
紙の魚

ヒゲのある黒い虫に似たアルファベット
ひしめく新聞紙を握りしめ
窓際のカイがこの国の言葉で私を呼ぶ

ごらん 下を見なければまるで森のようじゃないか

三階から首を出して外を見ると
菩提樹の伸びた枝枝が網目のように繁茂する
この国の言葉に誘われ
小さな蜘蛛とぴちぴち跳ねる紙魚と共に
この窓から出て
樹々の梢を渡り歩いて

あの日から
わたしは街の本当の内側に入ったのだ
いつまでも暮れない夏至の空まで上って

ごらん まるで森だ

 

 

 

ニクの解凍

 

サトミ セキ

 
 

わたしは新妻、スーパーで五百グラム千円「お買い得の牛肉切り落とし」を見つけ、よしと気負って買い込み、肉じゃがやニンニク芽炒めに使ったはいいが、五百グラムそれしきではなくならない。
冷凍したのは五日前、さあ解凍と電子レンジの扉を開けたところ、わたしは監視レンジ、透明の扉にいま夫ちょっと前まで独り身男十年分の、なめらかソース海老グラタン、ガーリック風味強化鳥唐揚、ひき肉と洋野菜旨味ミートソーススパゲティ、大好物の油と脂がベッタリと黄色い層になり電子レンジ、天使レンジにこびりついている。
天使レンジがわたしへのゴングをチンと鳴らして、外に出たニクは白い深皿の中で血を流している。薄切りニクと呼ばれてニク屋で売っていたこれは、むかしウシだったのだ。ウシのかけらを白い皿に入れたのが間違いだった、でも新婚の家には適当な大きさの深皿は白しかないと決まっている、ウェディングドレスをクリーニングに出さなくちゃ、サスペンスドラマで殺される美女は必ずああああ必ず純白のドレスを、血しぶき、血が白い深皿に溜まって臭う。
白い皿の中のちゃぷちゃぷニクを引き出して、生温さに吐きそうになりながら、錆びた独り身男のニク包丁で、ああ切れない、ギルギルとちぎりむしると白いプラスティックの独り身男のまな板傷、何切ってきたん、が血の色に染まる。これは死んだウシの血なのだ。
この間しゃぶしゃぶが突然食べたくなって、いえ、退屈な会社帰りにフェィスブックに冷やししゃぶしゃぶの写真が載ってたから、近くのニク屋でしゃぶしゃぶ用の肉をください、と言うと、ニク屋はちょっと待ってと口ごもって、ケモノの死体保存庫から、ウシの大きな腕、血まで凍った真紅が霜を振ってる腕を重そうに取り出して(腕なの脚なの)、スライス機械にかけた。いつからパーツになってウシは保存庫に入っているのだろう。
水のようにサラサラの薄い、だけど臭い血を台所に流しかけ(今日のわたしはサラサーティ)、ちょっと間違っているのではと思い、そう、これは丸い便器の中に流すべきもの、そうすれば、全然吐き気はこみ上げない、真っ白の可愛い形に真紅がよく似合う、ヒトの血に慣れてる便器の中に流せば、ウシの血の臭いもきっと日常になる。台所だから吐きそうな、吐きそうになったギルギルちぎりニクで作った肉料理完成する、甘い声で食卓へと誘なう、たぷたぷと十年分のコンビニ脂が積もる腹を揺らしながらやってくる、さあ食べるのよ、わたしの夫。

 

 

 

長田典子さんの『ニューヨーク・ディグ・ダグ』(思潮社)を読んだ

 

サトミ セキ

 

 

空0「ディグ・ダグ」とは、掘り起こす、研究する、ガリ勉する、皮肉・・の意味のディグとその過去形ダグ、なんだそうだ。
空0しかし、意味の前にこの語感! この詩集全編に満ち溢れるリズムを、タイトルが身にまとっている。
空0口語やオノマトペ、笑い声が詩篇のあちこちから立ち上る。50歳を過ぎてからの2年間のニューヨーク語学留学生活の、日本の閉塞的な状況を弾けて飛び出る生命感。
空0読みながらこちらに鋭く突き刺さってくる特別な感覚を抱くのは、たぶんベルリンと日本を往復した十年間の私の記憶と通底するもの、全く違う部分が、重ね合わせて生々しく蘇るからだろう。

 

●マッチョNYのやわらかな可塑性

空0日本と異なる海外滞在生活だから、心が解放されたと考える読者がいるかもしれない。だが、歴史が堆積したヨーロッパでなく、因習的な人間関係を重視するアジアでもなく、伝統と因習から解放されたニューヨーク生活だからこそ、この詩集は生まれた。
空0「わたし」の行き先は、地球上で、ニューヨークしかありえなかったと思う(例えば、私が長年行き来したベルリンは、価値観の多様性と同時に歴史と人間の闇に触れざるを得ない街で、ベルリンで知り合ったアート関係の日本女性の四人全員が婦人科系のガンを患った。これは偶然ではない。街の個性は心身の隅々まで浸透する)。
空0危ない方の道を歩け/ マッチョな人生だ/ 獰猛な獣になる
空0この詩集の中では、詩編のあちこちに強く激しい言葉が散りばめられている。日本で安定した道を選び、他人の目に監視された狭いムラ社会で受動的に生きてきた過去を粉砕するような、新しく生まれつつある自分を鼓舞するような。
空0ニューヨークはどんな価値観でもなんでもありの街、連続殺人犯が同じ地下鉄に乗って逃亡中で皆が銃を携帯している街だが、「やわらかい場所」なのだ。可能性というより、どんな人間にも変わることができる可塑性の街。
空0横幅があって強そうな(←笑ってしまった)自由の女神を見た後、地下鉄の中で「わたし」は地下鉄の中で、ぼんやりとやわらかくなったペニスを思い出す(「柔らかい場所」)。「思い出す」のだが、実はこれは過去の情事ではないらしいのだ。未知の出来事と既に体験したこと、過去の時間と未来の時間が詩の世界の中で融解して一緒くたになっている。
空0マッチョに飛び立つのだ/マッチョに
と連呼した後
空0生まれたばかりの赤ん坊のような/やわらかい時間が脈うっている
空0これは面白い。マッチョであることが、やわらかいものを招くのだ。いや、やわらかい場所であるからこそマッチョになれるのか。
出国したのは/受け身ではなく/慈しもうと思ったから/能動的に/この場所にいる
空0能動的でありながら、相手を自分自身を慈しむ。それは、まだ知らないエロティックな世界だ。
空0差し出された手の甲に 口づけをし/指先のいっぽんいっぽんを/順番に舐めていく そんな/まだ知らない/れんあいかんけい、のような/わたしの/場所がある(「柔らかい場所」)
空0これから開いていく自分の新しい生き方は、生命に基づいたやわらかな世界であり、エロスに直結したものなのだと「わたし」は直感している。

 

●人と街の距離について

空0この詩集では、人や異文化との葛藤が大きな主題の一つになっている。
空0例えばクラスの中で一番発音がひどい、と開口一番パーティーでクラスメイトに言われて、「わたし」は飛び出して部屋で明け方まで泣く(「言葉はボスポラス海峡を越えて」)。しかしロンドンの夏目漱石とは真逆で、予告なしに他人が自分の領域に侵入してきても、「わたし」は神経衰弱などにはならない。
空0飛び越えろ!/絶望のクレバスを
空0と自分を鼓舞し、
空0人の距離は伸びたり縮んだりするのですね/扇状に広がる時間や空間の狭間で/言葉は/カラフルなお花畑のようなものではないでしょうか

空0「わたし」は異文化の人々との距離感の取り方を、痛みと同時に唯一無二の個人的な実感とともに学んでいく。

空0自分の部屋、それもバスタブの中を外出中、顔も知らない工事の男が一週間も歩き回る。自分がもっとも清潔に保ちたいと思っている場所に、文字通り土足で毎日続けて踏み込まれ、油まみれの黒い足跡で蹂躙される。衛生観念や価値観の違いを言葉で説明したものの、価値観が全く通じ合わないことへショックを覚える(「クライスラー・バスタブ・クライスラー」)。
空0黒い靴跡は/オレンジ色に燃えるあしうらになって/わたしのからだの中を這い上がりました/ぼんぼりでした/ぼんぼりの灯でした(中略)
空0あなたは 正しいです/わたしは 正しいです

空0一角獣の角のように先端が空を突きさすクライスラービルを朝の窓から見る。アメリカの人たちは押しが強くて獰猛なのだ。あなたもわたしも等しく正しい。「わたし」は一角獣のような「獰猛な獣」になろうと決意し、黒い靴跡を無視して踏みつけて過ごし始める。ここでも、「獰猛な獣」になろうと決意する前に、これから出会う男とこのバスタブに浸かっておさなごのように触れ合う姿を想う。柔らかい時間、柔らかい場所が、カルチャーギャップを越えていくエネルギーを呼ぶのだ。

空0異国で親しくなった韓国女性ソヒョンとの齟齬と別れを描く「花狂い 花鎮め」では、言葉で感情を伝えて怒る、泣く。いつも「わたし」は全力だ。全力で語りかけるのに分かり合えないが、決してへこたれない。苦い記憶を噛み締めながら、「わたし」は人は幾つになっても変われるのではないかしら、と過去を振り返りながら、ソヒョンに語りかける。
空0他者との距離の一つ一つの痛みを伴う体験が、詩の言葉を介して読むこちら側に飛び込んでくる。まるで自分自身に起こった出来事のように。

 

●3.11を地球の裏側でオンタイムで見ていること

空0この詩集の中で最も印象的な一篇は、「ズーム・アウト、ズーム・イン、そしてチェリー味のコカ・コーラ」だろう。
空0ぐうたら(繰り返される「ぐうたら」の語感と、画面の中で進行している悲劇とのギャップ! )している日々の中、オンタイムでテレビやPCの中に突然日本の大災害の光景が現れる。
空0異国の画面で見るニホンのリアルタイムの3.11(私は2001年9月11日にベルリンにいた。海の外だからこそ、日本では報道されていないことを知り、日本では見えないことが見えることはある)。
空0画面でオンタイムで見る刻々と惨劇が画面の中で進んでいくトーホク。まるで映画のCGのようで、「リアリティってなんだ! 」と画面の外で「わたし」は繰り返し叫ぶ。
空0画像に釘付けになって一晩中涙を流し、目覚めて街を歩けば値下げされた服が目に入って買ってしまい友達に自慢し、いつもと変わらぬ生活を続けると思えば、語学学校では授業中に一時間原子力事故について語り続けてしまう。嘘くさい、そらぞらしい、と一方で自嘲する。
空0トーホク・日本と心理的に遠い距離・近い距離ごちゃ混ぜのまま刻々と変化し蠢く内面が、語学学校で書いた英文を交え、25ページのボリュームで綴られる。読者は3.11を自分がどんな風に体験したかも振り返りつつ、混沌を包み隠さず活写する全てを晒す率直さ、言葉の力に圧倒されるだろう。

 

●「愛」ってなんだ?

空0ところでこの詩集を一読した時に、疑問形で残ったのが、所々に散りばめられている「愛」とはなんなのだろう、ということだった。

空0手堅い仕事はそこで終わりにして/わたしは異国で暮らし始めた/永遠に遂げられなかった愛を成就させるために(「Take a Walk on the Wild Side」)
空0青空の奥底/彼方から/ア・イ・シ・テ・イ・ル/という声が/ かすかに 聞こえた(中略)/あなたを/わたしを/アイシテイル(「ア・イ・シ・テ・イ・ル」)

空0海外生活の中で新しい視点を得て振りかえってしまうのは、見ないように蓋をしてきた過去の記憶だったりもする。連続殺人犯が逃走中のニューヨークの地下鉄で、「わたし」は父親の暴力を思い出し、ダムの水底に沈んだ自分の生家、父親から受けた暴力の数々が蘇る。(「闇が傷になって眼を開く」)
空0しかし、ストレートに描写しているのに、悲惨さや悲しみや怒りよりも、すべてをオープンに白日の元に晒した清々しさはなんだろう。
空0ケンカしてから、仲直りすることなくそのまま韓国に戻ってしまったソヒョン、老人施設でぼんやりと時を過ごしている父親に対しても、過去や相手を許すのではない、ありのままを認めている。
空0「愛」とはきっと、存在価値がないと思っていた自分、家族に暴力を振るっていた父親、土足でこちらを蹂躙してくる他人…自分と他者の存在を全部肯定することなのだろうと読み終わって思う。
空0世界と他者の存在を肯定できたら、何も怖くはない。だから、最後の詩「Elephant in the room-象くんと一緒に」では、(脳に髄膜腫があり何がいつ起こるかわかりませんから)一人にはならないでください」と医師に言われても、「わたし」は全然動じない。
空0とうとう詩の時間は死後の未来の時間まで伸びていく。自分の脳に知らぬ間にできたゴルフボールより大きい髄膜腫を、英単語がなかなか覚えられない現在の語学学校生活を交えてコミカルに伝えつつ、幽霊になった未来の「わたし」がフラメンコ・ポーズを決め、この詩集は締めくくられる。

空0ほらほら、これが、あのゴルフボールです/イェイ、イェィ、イェイ、ヘイ!/
(幽霊になったわたしは片手を挙げてフラメンコダンサーの決めポーズ!)/
オーレ! (Elephant in the room-象くんと一緒に)

空0壮絶な父親の暴力を描いても、命に関わる病について語っても、言葉は暗い闇の底には沈まない。「わたし」はとどまるところを知らずに、新たに「愛」を得たやわらかい生命力でぶった切ってゆく。
空0私が惹かれるのは詩全篇から溢れる生命力だ。苦いカルチャーギャップも、画像の中にオンタイムで映し出される遠くて近いトーホクの映像も、自分の過去も現在も未来も、飲み込み噛み砕いて踊ってしまうのだ。

空0『ニューヨーク・ディグ・ダグ』は忘れがたい一冊となった。

 

 

 

幽霊たち

 

サトミ セキ

 
 

六月の東北の朝、湯治場の浴槽の中でわたしの腕に皺が寄り光が溜まっているのを見る。痩せた腕も濡れて光が溜まれば鈍く輝く。

殺風景な食堂で、ひとりきりで五穀粥を掬う。湯気のたつ粥をスプーンで口に入れたとき、二十三年前にお見合いをして三回だけ会った男を思い出した。
「コーヒーは飲まないけれど、ブレンド豆の比率は一口飲めばわかるんだ」
と三回目に会った彼は、そのときトヨタレンタカーを運転していた。真白い前歯に午後の日差しがきらりと反射した。わたしもが機嫌が良くなって鼻歌が思わず出てくる、運転がとても上手で雲ひとつない快晴だったから。
「ときどき、幽霊を見るんです、布団に寝転んでいるときとか天井に。将校の軍服を来て革手袋を嵌めている幽霊なんかを」

そういう彼自身が、まっさらな革手袋を嵌めてトヨタレンタカーを運転しているのであった。海の見える低い丘の上、小洒落たフレンチレストランの前に滑らかに車を停め、扉をあけて慣れない口調で予約を告げた。
「来年も『ライオンキング』をやっているそうです。あなたと見られたらいいな」
視線を泳がせ、ワイングラスを持ったまま、彼は横を向いて早口で言った。劇団四季は嫌いなんです、という言葉をフランスワインと一緒に飲み込んで、にっこりとわたしは微笑んだ。ああこのひとはいいひと、わたしと違う種類の。

その晩、夢の中に女が出現した。紫のつるっとしたドレスを着て水晶のブレスレッドを幾重にも巻いた女。三白眼の意地悪そうな瞳をさらに細め、覗き込むようにしてわたしに言った。
「あんたには合わないね、とってもいい人なんだけど、あんた、そのひとを必ず不幸にするよ、あんたは一生ひとりがいい」
(そうですよね 一緒に寝ながら 毎晩幽霊見てもいやですし)
わたしにはもったいないひとですのでご辞退申し上げます。仲人に断りの電話を入れたのは翌日だった。郷里の両親が会いに来る準備をしていたさなかになぜ、と嘆いたと人づてに聞いた。わたしより二センチほど背の低い、前歯の白いひとだった。わたしはあれきりお見合いはやめた。

二十年後のわたしが病を宣告された晩、あのひとは「大丈夫だよ」と目に涙をたたえて手を握ったりしただろうか、抗がん剤を打って、枕元の洗面器に吐き続けるわたしの背中をさすりながら、((見合い運が悪かったな))とひそかに思い、((いやいや、そんなことを思ってはいけない、いけないぞ俺は))と浮かぶそばから打ち消したりしただろうか。

(あのひとはいま、一戸建てのマイホームでコーヒーを一口すすっている。小太り妻が入れるコーヒーは今朝もうまい。ああ、肌がぴかぴかした健康妻のコーヒーを、わたしも飲みたい。
((今日はブラジル三、キリマン七だね)) 前歯の白かったひとは、たちのぼる香りを嗅ぎ、一口飲んで言っているのが聞こえる。あ、ほんのすこし歯も黄ばんできたかな。コーヒーも飲めるようになったのね。浪人中の息子は、今日も一言もしゃべらずかばんを抱えて出て行く、あのひとが三十年ローンを組んだ新興住宅地の家から。)

東北の湯治場で、コーヒーメーカーから出る蒸気の粒と、たちこめる硫黄の粒子に撹乱されて、わたしと小太り妻の粒子もまじりあう。わたしが薄い一杯のコーヒーを飲み終わるまで。
胃のなかで、コーヒーが五穀粥とうまくまじりあったら、あのひとと小太り妻の姿が消えてゆく。わたしも硫黄の蒸気のなかでゆらゆらしている脳細胞の消去ボタンを押す、これっきりのはずだった。

でもね、やっぱり幽霊を見るんです。湯治場から東京に戻ってきてもね、一人暮らしの小さな部屋の中で。軍服の将校じゃなく、三十年ローンの新興住宅地で、毎日静かに朝日をあびてごはんを食べる白い前歯の幽霊を。小太りでおいしいコーヒーを入れているもうひとりのわたしの幽霊を。

 

 

 

冬の夜の植物園

 

サトミ セキ

 
 

肺が凍るので深く呼吸してはだめだよ
咳をしながら
χ(カイ)はわたしの頬に触れて言った
長く青白い指が乾いている
バタン と震える大きな音がして
真後ろであたたかい部屋の鉄扉が閉まった
扉の音がしばらく反響している
暗く広いアパートの階段室
ぱちん
天井灯のスイッチを入れた
掃除をされない灯は ろうそくの炎の色
階段の壁の高いところに
両手をあげた人の形をした大きな染みがある
ゆらゆら動く わたし自身の影のように
一階へと下りてゆく
中庭に出ると
寒気が空からわたしをめがけて突き刺してくる
土が固い
だれかの足跡の形のまま 凍っていた

街灯が点き始める
午後四時
今晩は植物園に行く

一年でいちばん暗い街を歩く
植物園へ
行く時はいつもひとりだった
いつも冬至の夜に許され わたしは植物園に行く
冬至の夜にだけ開く通用口をくぐると
目の前に輝いている 光のパビリオン
わたしの為にだけ開かれている
ガラスの大温室

ここでは冬至にもミツバチが交尾をしている
メガネが曇る あたたかな緑の息を吹き掛けられたように
人間はいないのに 生き物の気配がみっしり満ちて
ブーゲンビリアが巨木に絡まる
熱帯雨林の匂いを深く呼吸する
植物の粒子が毛穴から侵入する
乾いていたのだ わたし
流れ始める水
額を汗がゆっくり伝い落ちる

掌に落ちた雫を見て
ふいに思い出した
この巨大な温室に住んでいる気象学者のことを
人には見えないらしい ちいさな彼
セラスナニの花が垂れ下がる
古木材のベンチに座って
いつも彼は ラテン語で書かれた植物図鑑を開いていた
ガラスの大温室のお天気は 彼が支配しているのだ
空0(大温室の中は地球を模しているから
空0ここは南アメリカ大陸)
高い声、くちごもるmの響きを思い出す
M、Me、Mexico
彼の声を真似てつぶやくと
突然
メキシコ産フェロカクタスの太い棘が
わたしの頬を突き刺した

したたる
血かと思えば
ああ 雨だ
雨が 温室中に降っている
食虫植物の袋が 濡れている
見上げると
ふんわりした雲が ひとつ
遠いガラス天井の下に 浮かんでいる
小さな水雫 小さな氷粒 その集合体が雲
雲の粒同士がくっついて大きくなり
浮いてられずに落ちてくる それが雨
小さな雨粒だとゆっくり
空0ダイヤモンドのような大粒は 素早く
ミツバチは雲を舐める
仙人掌も雨からできている
空0(雲はふたたび水になり
空0まわりまわって君をかたちづくるのだ
空0体の九割はH2Oだからね)

内側をぬらすもの
外側にしたたるもの

午前零時に温室の灯は一斉に消えた
今年はちいさな彼に会えなかった
通用口の目立たない扉をあけて 真夜中の街へ出る
吐く息が六角形の結晶になって
溶けない灰色の雪の上に降り積もる
きらきら きらきら
わたしの全身は 翠色の凍れる雲になって
ゆっくり
一歩ずつ
春を待つχの部屋にもどっていく

 

 

 

ある男が語った母のはなし

 

サトミ セキ

 
 

え わたしそんなとしなの
母はいつも大口をあけて笑った
何度言っても
自分が九十五歳だということがわからないようでした
ケラケラと母は 笑って
えいえんに十五歳
でもわたしが息子だということは忘れませんでした
髪が無くなってシミが出ているわたしなのにね

ある夜のこと
母が居間の仏壇の前に正座していた
闇の中 時計の蛍光色の針が午前二時半を指していました
どうしたんですかおかあさん
あのいえにかえりたい どまのそば ごえもんぶろのあるあのいえ
部屋の灯りをつけた
でも母は繰り返しました
おふろをわかさなきゃ
おふろを
母の手を握りました 小さくからから乾いていた
和紙みたいに四隅を折り畳めそうな
九十五年生きている皮膚
空白この下にはあたたかい血が流れて 細胞がいきいき働いている
大丈夫 ここは良いところ
世の中のどこよりも いちばん安心できるところですよ

あのいえにかえりたい 大丈夫 かえりたい ここは良いところですよ
しばらくそんな夜がつづいたけれども
とうとう母は とうとう
十五歳の家に帰りたいとは言わなくなりました
徘徊も何もなかった
ただごはんを食べたことをすぐ忘れました
おなかがすいた
小さな声で母はひっそり独り言を繰り返しました

その日は
なんだか母が亡くなるような気がしました
家族が全員そろったのです
妹も息子も
どうして偶然がかさなったのかな
お酒でも買いにいこうかと思ったら 妻が
今日はどこにも行かないほうがいいわ
妻は母の食べものをじょうずに作ってくれました
わたしの仕事はおしめ替え
いつも下着と言っていました
おしめと聞いて嬉しいひとはいないからね
下着を替えてもいいですか
うん、
と言う母の声はその日聞かなかった
朝から目を閉じ でもかすかにうなずいた気配
いつもと同じようにおしめを替えました
歯のない口を薄くあけている
うとうと うとうとして
母のそばに座っている
ふっ
とつぜん空気を吐いて介護士さんが言った

空白息をしていないのではないですか

頸動脈に触れました
目の前にある時計の秒針よりも
ゆっくり
かすかに
きえた
もう一度鎖骨に近い別の場所で探しました
手首の脈を探しました
からだはずっとあたたかいままなのに
とうとう手首の脈もわからなくなりました とうとう
九十五年の間 流れていた血が止まった
結局いったいいつ亡くなったのか
見ていた誰にもわからなかった
たぶん
母にも

みなさんおっしゃいました
大往生ですね天寿を全うされておめでたいですね息子さん夫婦に自宅で看取られてお幸せでしたね何一つ悔いはないですね

でも
知っています
「もっと生きたい」
死ぬ瞬間までどんなからだも願っている
生きているからだ 生きている細胞はみな
母のからだも
もっと長く生きられたのではないかしら
もっと何かできたのではないかしら

あれからわたしはずっと悔いています

 

 

 

西夏の瑪瑙

 

サトミ セキ

 
 

どんなひとにもいしはひつよう
とつぶやいて
砂漠の国から来たぼくの女友達が、トランクをあけた。
羽虫のようなびっしりと黒い中国漢字でいっぱいの新聞紙、
子供の握りこぶしをひらくように 小さく丸まった紙を開いた。
瑪瑙の小石がいた。
君は海を越えて運ばれトウキョウにやってきた、
渡り鳥が咥えてきた木の実みたいに。

せいか というまぼろしのくに の いせきでうられていました いちばんきれいな いし だった
長い紅の爪を研ぎながらぼくの女友達は言った。水遊びするうつくしい鳥のように細い足をのばして。

西夏って千年前チンギスハンの軍隊に消された王国だよね。生きていた人も、瓦も、書籍も、全部灼かれ、宮殿も、墓も、文字もぜんぶこなごなになって砂漠に散った。存在したことすら忘れ去られてた王国なんだってね。
さあ よくしらない
爪やすりをしまって女友達は言った。

見ていました そのときも
そのとき瑪瑙が ぼくにしか聞こえない声で囁いた。
ピンクがかった砂色をした、電灯の光がうっすら透ける石。間近で見ると、黒い砂粒が凹凸に隠れて入っていた。数粒の砂以外は不純物も化石も気泡も入っていない、砂が液体になって凝固したようだった。重すぎもせず、忘れるほどに軽くもなく、滑らかな手触りの君。

とつぜん 女友達と連絡が取れなくなった。長い髪一本も残さず、あとかたもなく消えてしまった。西夏の住人みたいに。

それからときどき 寂しさの発作みたいに 底の見えない穴に落ちていく。
そんなとき ジャケットの右ポケットに入れた君に触れる。
ここにいます 今は
ぼくにだけ聞こえる声で、いつも囁く。
ぼんやり胸があたたかくなる。いったいいつから存在するの。
せいぜい千年しか想像がつかないんだけども。

アスファルトが溶けそうな真夏の新宿を
固いカラーをゆるめながら 汗を滴らして歩く。
右ポケットの底では、ひんやりと西夏の瑪瑙がくつろいでいるのだった。
夏は灼熱冬は寒冷地獄育ちのツワモノだったね。せいかのめのう。

堆積型と溶解型が瑪瑙にはあるって、『岩石図鑑』に載っていた。君はきっと何万年かの堆積型だ。
くっりっりりっくりっっっりりり
夜、洋服だんすの中で砂鳴きをしている。君の中には砂漠がぎゅっと詰まっているから。
砂鳴きを聞きながら、ひとりの部屋の灯りを消す。まぶたを閉じると海抜千メートルを越える山脈。草木が生えていない君と同じ色の山々は、要塞になった。山脈を越えると、その先にまた砂漠が広がっている。ぼくは夢に落ちながら、その砂漠をまたいで幻の王国の痕跡を探しに行く。

ぼくのポケットがほころびスーツが燃やされ、ぼくも女友達の骨も風に紛れてしまい、この通りのアスファルトが擦り切れ高層ビルが崩れ、この国の名前もなくなる時。
その時君はどこにいるのだろう。
どんないしにもとりはひつよう
大陸から来た女友達の声を真似してつぶやいてみる。
南の島、真珠貝が生まれるところで海水浴をいっしょに。冬中日が上らない極北にも連れていこう。
飛べない石 咥えて運ぶ鳥。
次はぼくが瑪瑙のためのつかのまの鳥になる番だ。

 

 

 

旅館バス

 

サトミ セキ

 
 

楽しいパーティーは終わった。見知らぬ七歳の少年、四歳の女の子の兄妹を人気の無い暗いバス停に送ってゆく。小さなバス停のそばに古い木の電信柱が立っていた。わたしがホストなのかもしれなかった。
誰も乗っていないバスがやってきた。窓越しの彼らに手を振ったとたん、真夜中の街角という街角から人が湧いて、バスは次第に大きく膨らんでゆく。柔らかいバスは人混みの中でまだ出発できない。
バス会社の人なのか、腰までヒゲを垂らした中年女が「あの人たちにギブ⚫️△◯◯Xをしてください」とマイクを片手に言う。三年前に死んだはずの夫はさっと立ち上がり、彼らの元へ駆け寄った。「ギブなんとかって何」というわたしの問いにも答えず、夫はだれかれかまわず惜しみなくハグしている。わたしがギブ⚫️△◯◯Xをしないからなのだろうか、まだバスは出発しない。
子供はどうしているかしら。狭いバス、のはずだった。ステップを上がると入り口で履物を脱がされた。バスの中には廊下が通り、両側が共同部屋、部屋の入り口には木目が黒光りしている。引き戸はあるわ、布団はあるわ。
そうだ、わたしは旅館バスに乗っていたのだ。四歳の女の子をぎゅっと抱きしめると、「今どこ」と長い睫をぱっちり開いた。半分寝かけた子供の匂いが、オレンジの花の匂いになった。
「起きたらおうちに着いてるからね」北極地方の子守唄を歌ってやると、あっと言う間にかわいく寝入った。しめしめ、わたしも寝るよ。わたしの布団の半分をひきよせ夫が寝ようとしたから、「ちょっと、布団が寒い」と口尖らせると、夫は「わかったよぅ」と素直に姿を消した。
七歳の男の子はちょっと見ぬ間に西洋梨か蟹に変身していた。西洋梨のようなころんとしたからだに頭と二本爪がついて、にこにこ笑いながら甲高い声で話すのだった。再びあらわれた夫は、「俺は子供に好かれるもんね」と自信たっぷりに男の子と話し、ついでに男の子が寝ていた布団で寝始める。
蟹少年はカサカサ音を立てながら、妹の顔に横歩きで近づいていった。妹が「いやーん」と固い甲殻類の感触をいやがったので、「人がいやがることはやめなさいね」とわたしは説教してみた。蟹は自分の足をぱっくり分解して、廊下の入り口に巨大な鍵のように置いたりしている。
いったいバスはもうどの国まで行ったろう。引き戸を開いてバスの外に出ると、既視感ある小さなバス停が目の前にしんとあり、電信柱の上で、白く夜が開け始める。人も車も通らない広々とした暁の大通りで、運転手はのんびりと煙草を吸っていた。
「バスを出すのはヤダね」
「このバスはどこへ行くの」
「はあ、あんたは生徒に人気あるロダン先生だね」
「ロダン先生ってだれ」
「いったい、どこへ行きたいのさ」
我が身を見下ろすと彫刻用作業着の白衣を着ていて、わたしは美術教師らしかった。みんなが眠るバスに戻ろうとして、さっきバスから下りた時までは見慣れた広場の角だったのに、今は紅い髪と碧眼の人々が行き交う地下鉄構内を歩いている。足早に追い越した見覚えのある運転手に、あ、ちょっと、と呼びかけたら、地下鉄の中は靴の陳列室になった。
先が昆虫の触覚のように尖った長い靴。足を入れることができず、上に足を置くだけの靴。面白いから履いてみようか、と思うけれども透明な鍵付きケースの中に入っており、試着できない。中南米から来た足首がついたサボがごろりと無造作にころがっている。
聞き覚えのない子供たちの声に呼ばれる。ロダン先生と呼びかけられたのではないかと思い、はあい、と返事をしてわたしは後ろを振り向いた。