「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第64回

西暦2018年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

夜中の3時45分に、どこかから電話がかかってきたが、それはいつもの非通知電話で、「モシモシ」というても、先方は一言も発しない。3/1

私は、地下室で集団生活をしていたが、そこでは、某有名スポーツマンの日常が、隠しカメラで撮影され、朝から晩まで放映されているのだった。3/2

我々のさまざまな問いかけに対して、スフィンクスは何も答えず、その代わりに、ベート-ヴェンの交響曲第7番の第2楽章を、記者会見の現場に垂れ流すのみだ。3/2

その夜も、僕は級友のカド君とソウちゃんが運転するスバルに乗って、雪谷の長いS字坂で、クラス一の美女マリちゃんが通りかかるのを待っていた。やがてやってきたマリちゃんが、坂の途中にある電話ボックスでずれたガーターを直すのを、僕らは眼を皿のやうにして見つめた。3/3

やがて電話ボックスを出たマリちゃんだったが、あまりにも真夏の太陽がカッカと照りつけるので、道の真ん中でぐらりとよろめいたところを、すかさず車から飛び出した僕が、咄嗟に抱きとめると、彼女は、あわいコーヒーブラウン色の唇をかすかに開いたので、思わず僕は3/3

神の召使が「輝く鳥の夢を見た」というので、みんなでその夢のタイトルを決めようと、召使の夢の中に入って、同じ夢を見てから考えるのだが、燃える鳥とか、黄色い鳥とか、光る鳥とかの候補が乱立して、なかなか決まらない。3/4

海の底に潜っていくと、今まで見たこともないような奇麗な貝がたくさん棲息していたので、どんどん取って陸に上がると、「これは原発で汚染されてる」と誰かが警告したのだが、委細構わず私は、どんどん食べていった。3/5

「ダットサンなんかで、高速を走らないでください。もっとちゃんとした車でないと、危ないですよ」と警備員から注意されたが、委細構わず、私は猛スピードでつっぱしった。3/5

「物品に記された日本語を、10字以内に減らさないと、入国できない」というので、私は、必死になって持ち物を荒探ししていた。3/6

町に出ると、アンサンブル・カビア社の特製スーツが当たる抽選会をやっていた。
「誰でも参加できます。あなたもいかがですか?」と誘われたので、ハンドルをグルグル回すと、「あ、当選ですね」と、担当の女性が言うた。3/7

フランス料理の食後に、近くのコーヒー焙煎屋に入って200gの豆を挽いてもらったのだが、その主人の、とても商売人とは思えぬ不機嫌さに、私はいたく不愉快になった。3/8

タダさんは、真夜中に私を乗せた車を駆って、全速力で工事中の狭隘な道を通りぬけると、「どうだい、怖かったかい」と尋ねたので、私は「いや、ちっとも」と答えた。3/9

六畳一間の安アパートで下宿していた我々3人は、今日は検便の日だというので、ウンチをマッチ箱に取ろうと、思い思いにしゃがんでいたら、隣の部屋に住むヤクザの新三が、「なんでウンウン言うとるの?」と覗き込んだので、叩きだしてやった。3/10

ヤフオクで、運よく打ち出の小槌を手に入れたので、おらっちは、次々に美女を打ち出しては、夜な夜なナニしていたのだが、とうとう精根尽きはてて、くたばってしまった。3/11

こんな東南アジアの海岸で、大宴会になってしまって、予算なんかないのに、大丈夫なのか? 大広間では、海蛇たちが夢中で「猫じゃ猫じゃ」を踊っているので、会計責任者の私は、逃げ出したくなった。3/12

音楽のことなどまったくの無知なのに、その名前の語感がいたく気に入って、パレストリーナの音楽についての論文をでっちあげたら、全世界のパレストリーナ・ファンから拍手喝采を浴びてしまったので、ひどく当惑しているわたし。3/13

彼の、いつもと変わらぬ献身を、目の当たりにした時、初めてあたしは、これまで若頭の銀次郎に冷たくしてきたことを、心の底から後悔した。3/14

サトウさんとスズキシロウヤス氏を訪ねた時、私が「ともかく実直に」と言うと、シロウヤス氏が「ジッチョクですか?」と、微かに頬笑みながら反問されたので、私は思わず顔を赤らめて、「実直に、実直に生きよう、グララアガア」と唄って、誤魔化してしまった。3/15

怒り狂って刀を振り回し、まるで気違いのように、見境いなしにまわりの人々を切りつけている男の顔をよく見ると、どうやらほかならぬ私だったので、驚いた。3/16

こないだから、愛犬ムクが、行方不明になっている。その行方は、杳として知れないが、ムクは、とっくの昔に死んでしまっているので、私らは、ちっとも心配していない。317

「平安の昔から、京の土地は京の人のものなのに、お前のような、どこの誰だか誰も知らないような馬の骨に、この大事な土地を渡すものか」と宣告された。3/18

「肥ったブタより、むしろ痩せたソクラテスであるべきだ」と私が力説すると、目の前のブタブタ女が、怒りの眼を私に向けた。3/19

京都駅に着くまでに、例によってあちこち彷徨っていたので、とうとう新幹線に乗り遅れてしまった。さまようというても、四條通りの近辺を、楕円状にぐるぐる回っていただけなのだが。3/20

長いあいだ訪れたことがない遠隔地の別荘に行ったら、あらゆる水道の蛇口から、水が垂れ流しになっていて、1階は天井まで水没していた。3/21

京でいつも泊まっている町屋の5つの部屋が、ことごどく解体されることになったので、私は「帝国」と「共和国」という名の2つの部屋に、一晩ずつ泊まって別れを惜しんだ。3/21

王は、「もしお前が、そやつを、悪しき者と思わば、その首を撥ねよ。もしそやつが、悪しき者にあらざれば、余が、そなたの首を撥ねるべし」とのたまわったので、私は戦慄した。3/22

怒り狂った民衆が、全員武装して、私の首を求めて「首を獲るぞお! 首を獲るぞお!」と連呼しながら、王宮に押し寄せてきたので、私は生きた心地がしなかった。3/23

トランプと話していると、時々右手でケータイのスイッチを押すので、「何をしているの?」と尋ねると、「これを押すたびに、敵の胴体に仕掛けた爆弾が炸裂する。つまり人間爆弾さ」と、楽しそうに自慢した。3/25

「お送り頂いた小切手は、署名がないので無効です。それにこの請求については、さるお方がすでに受け取られていますので、当方としては、もう終わった話なんです」と銀行の窓口で言われた私は、大いに面喰った。3/26

私は、世界4大テナーの一人として、世界中を何度も公演していたが、ある日のコンサートが終わったあとで、「モンローそっくりの美女が、楽屋に訪ねてきているよ」と、マネージャーのコウヘイ君が教えてくれた。3/27

今日は、この島に別れを告げる日なのだが、着いたその日にロッカーに入れたジャケットが見当たらないので、島人に聞くと、「このロッカーは共有なので、私物を入れると、誰かが持っていってしまう」という。3/28

マニラ空港で、正体不明のスナイパーから、突然銃弾を雨あられと喰らった私は、九死に一生を得て逃げ帰ったあと、その折りの恐ろしい体験を切り売りしながら、わずかな講演料で、かつかつの生計を立てていた。3/30

「600人のオメコを受け入れても、全然満足しないワチキのオマンコって、いったいどうなっているんでしょう?」と、彼女は悲しそうな顔をしながら、つぶやいた。3/31

 

 

 

サラサーテの謎の声

音楽の慰め 第29回

 

佐々木 眞

 
 


 

こないだ、漱石の弟子である内田百閒という人の「サラサーテの盤」という本を読みました。

内田選手の随筆は、どんな小品も個性的な文体と文章で綴られ、ことにそのいささか怪奇趣味に傾いたところには、凡百の作家には真似の出来ない、独特の風韻が湛えられています。

この書籍では、特に芥川龍之介と森田草平について触れた「亀鳴くや」「實説帀艸平記」などが絶品で、まだお読みにならない方にはお薦めです。

書物の表題となった短編「サラサーテの盤」では、主人公の亡くなった友人の奥さんが、主人公の住まいを訪れ、「夫の蔵書やレコードを返してくれ」と頼むのですが、その登場や退場のありかたが、まるで実在の女性とは思えず、要件も佇まいもさながら中世の幽霊のようで、読んでいても相当無気味です。

そしてその不気味さを、まるごと映像に置き換えたのが、鈴木清順監督の幻想映画「ツィゴイネルワイゼン」であります。

この鈴木選手は、むかし鎌倉の長谷に住んでいたことがあり、彼が東京に去ったあとを襲ったのが、他ならぬ娘時代の私の妻の一家だということで、私には格別の思い出のある監督なのです。

海風の吹く長谷の彼女の家を訪ねた折の、私の生涯最初の短歌は、「鎌倉の海のほとりに庵ありて涼しき風のひがな吹きたり」というもので、これを俳人の井戸みづえさんから「吹きおり」に直しなさいと言われた話は、別のところに記したとおりです。

それはともかく、鈴木選手は、内田選手の「サラサーテの盤」と「雲の脚」、「すきま風」などの短編のエッセンスを骨にして、鎌倉の由緒ありげな寓居や、現在では交通禁止になってしまった釈迦堂の急勾配の切通を用いて巧みに味付けし、どこか泉鏡花を思わせる幻想的な映画を創造することに成功しました。

この映画では、主人公の家は釈迦堂切通の浄妙寺寄りに、女の家は大町側にあるようですが、それは切通の向こうが異界であり、彼岸でもあると考えた中世の人々の想念に、忠実に準じているようにも思われます。

えらく話が長くなりましたが、その想念を、音響の側から裏付けるのが今宵皆様にご紹介するサラサーテが自作自演した「ツィゴイネルワイゼン」の録音であります。

1902年に録音されたこのレコードの、ちょうど3分38秒あたりで聞こえる奇妙な男の声はサラサーテ自身のものとされていますが、私の耳には、冥府からの生霊の招きのように聞こえてなりません。

私はここまで駄文をつづったあと、ふと思いついて久しぶりにその釈迦堂切通まで歩いてみましたが、やはり交通止めの標識が行方を遮っています。切通の上は、松などを乗せた脆い鎌倉石ですから、突然崩落して人身を傷つける恐れがあります。

修理には多額の費用と時間が掛かりますし、その修理自体が景観を棄損する恐れもありますから、おそらく釈迦堂切通が昔のように開通される可能性は限りなくゼロに近いでしょう。

そう思えば、鈴木清順監督が遺したこの映画は、鎌倉時代の古道のありし日の姿を、永久保存した歴史的カプセルでもあるのです。

 

 

 

「夢は第2の人生である」第63回

西暦2018年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

台風が来襲したので、私は老女と娘が2人暮らしをしているナントカ家が、おおかぜで飛んでいかないように錨を打ちつけたが、烈風が猛威をふるってきたので、だんだん心配になってきた。2/1

私とケン君は、ここんところ広い竹林に棲んでいたのだが、ケン君は、だいぶ疲れているようなので、心配だ。2/2

かのヘルタースケーターは、中央図書館の百科事典コーナーで、いつものように飛んだり跳ねたりしていた。2/3

私はサンフランシスコ・セーヤー軍の、1軍と2軍を取材した。1軍は地下鉄を利用しているのだが、2軍の元有名選手たちは、昔懐かしい馬車に乗って球場入りをしているようだ。2/4

1枚目は失敗作だったが、2枚目はゴッホとムンクを掛け合わせたような、なんだか生きているような感じがする絵ができたので、我ながら驚いてしまった。2/5

私は、会社の営業車を改造して3階建てにして、超おしゃれな内装でシックにまとめた最上階のオーディオルームに寝そべって、ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を聴いていた。2/6

その頃の私は、のちには殺してしまうことになる人たちと一緒に、楽しく映画に出演したりしていた。2/6

その日の私の制球は冴えに冴えて、敵をバッタバッタと三球三振に討ち取っていたが、肝心要の9回裏に4番の痛恨の逆転ホーマーを許してしまったのは、朝御飯の時に、つい「タラの白子」を喰うてしまったからに他ならない。2/7

どういう風の吹きまわしか、かねてから莫迦にしているマツザカ社長と、ぱったり出くわしたのだが、だんだん彼奴のペースに巻き込まれてしまい、自分が卑屈な態度を取り始めていることに気づいたが、かというて、どうすることもできない。2/8

デザイナー志望の私は、学校を出てから、きまぐれにいくつかのデザイン会社を受けたが、みな合格してしまった。面倒くさいので、一番はじめに合格通知がきた会社に入ったのだが、それがわが人世の躓きの石となった。2/9

「さあ、撃とうと思うなら撃ってみよ!」とお得意のセリフを絶叫した途端、私は舞台の上で、腹に1発銃弾を喰らった。護民官が、「芝居の中では、絶対に人殺しをしてはならぬ」と再三にわたって厳命していたにもかかわらず。2/10

疎開列車の中では、ときおり天井から降りてくる、葡萄や柑橘類などの果物を食べるのを楽しみにしていたのに、あっという間悪童たちに食べられてしまった。2/11

このヤクザの男は、目の前の織機が、由緒ある古代織を編み出す機械であることを、つとに見抜いているようだった。2/11

いと狭きノアの箱舟にて、情人を確保するは至難の業にて、性欲猛き若き男どもは、時に禽獣を捕まえては、腐りし精を放ちおりたり。2/12

偉いさんたちは、明日の船便を運行させるかどうかについて、曇り空を見ながら相談していたが、僕らはカニなので、小魚たちと楽しく遊び戯れていた。2/13

左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い左の歯が痛い右の歯が痛い 2/14

オフィスのフロアが、草ぼうぼうになってしまったので、みんなで手分けして、大掃除をしているうちに、私はえもいわれぬ幸福感に包まれていった。2/15

彼女が、「あなたの古本も売ってあげましょうか?」と親切に言うてくれたのだが、私は断って、彼女の店の片隅で、戦前の無名作家の小説を読み続けていた。2/16

「押しくら饅頭押されて泣くな」という子供たちの悲鳴のような歌声が終わったので、外に出て見ると、はらわたの裂けた饅頭が1個落ちていた。「お父さん、ボクだよ」という声が、そこから聞こえた。2/17

天才悪魔博士の弟子たる私は、博士が開発した難病退治のワクチンを、次々に飲まされる人間モルモットとして重用され、ひとつしかない命を危険にさらしていた。2/18

満月の夜にチチンプイプイと唱えて交わると、子供ができた。翌年の満月の夜にチチンプイプイを2回唱えて交わると、双子ができた。そのまた翌年の満月の夜にチチンプイプイを3回唱えて交わると、3つ子ができた。そのまた翌年の満月の夜に2/20

会社の若者たちと共同生活を始めたのだが、すぐに嫌になった。些細なことで行き違いがあり、ひとたび生じた亀裂は、もはや修復のしようもなかった。どっちが悪いのか分からないが。2/22

殺してもあきたらない彼奴の、まるで猪八戒のように醜い体に、切り出しナイフで3度切りつけたのだが、なぜか彼奴は、まだ倒れない。2/23

私が長い旅から戻ってくると、長年にわたって下宿していた長屋が、何者かの手によって壊され、火をかけられ黒焦げになっていた。2/24

私は政府の犬になってしまい、さらに落ちぶれて、殺し屋になってしまった。上機嫌で唄い踊っている連中を見つけると、いきなり背後からドスで刺し殺すのが仕事だ。2/25

お笑いの世界でちょっと有名になった私に、扶桑社のタジマという男から電話がかかってきて、「新書を出しませんか?」と誘われたので戸惑っていると、「なに、もう原稿は全部出来上がっているので、お金さえ頂戴すればすぐに出版できますよ」という。2/26

海外出張を終えて出社すると、企画室の私の席に見たこともない人物が座って電話をかけまくっているので、私は、「ははあん、これは常務のナベショーの嫌がらせだな」とすぐに分かった。2/26

私を見ると必ず、狂ったように歯をむき出して襲いかかって来る阿呆莫迦犬がいたので、私は、飼い主もろとも叩き殺してやったんだ。2/28

 

 

 

夢は第2の人生である 第62回

西暦2018年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

私は、近づいてきた極右ファシストの独裁者に向って、拳銃を右手で握って、顔面など数か所に弾を撃ち込んでから、ゆっくり引き揚げたのだが、彼奴は死んではいなかった。
どうやら、いつものように左手で撃たなかったのが、災いしたようだ。1/1

私は、細長い筒の奥底に閉じ込められてもがいていたが、誰かが筒を逆さまにして振ってくれたので、勢いよく外に放り出されたが、その時には誰の姿も見えなかった。1/2

オフィスビルの荷物を積んで、他の業務用エレベーターに乗り換えようと、やってきたエレベーターに台車を突っ込んだら、妙齢の美女の美しい膝を傷つけたようで、そこから2、3滴の鮮血が迸り出たので、私はうろたえた。1/3

この百貨店では、エスカレーターの代わりに、クルクル回転する耕運機のような機械が取り付けられていて、客は、それに乗って店内を移動するのだった。1/4

「では行きますよおー」、といいつつ、ピッチャーが投げた豪速球を、私がハッシと打ち返すと、ボールは、空の向こうに消え去ってしまった。1/5

ホームレスの僕は、無人の百貨店の家具売り場に、年が年中寝泊りしていたものだから、そこを舞台にしたコマーシャルを製作したら、どこが良かったのかさっぱり分からないが、あっという間に、全世界で爆発的にヒットしたみたい。1/6

右の腰が痛くてたまらないので、医者に行ったら、「いま米国で人気のYaYaYaとかいう若手鍼師が来ているので、よかったら試してみませんか?」と言われて、はてどうしたものかと迷っている。1/7

彼女が、来日以来貯めてきた大事な物が格納されている、巨大な「当て物箱」から、私は、籤引きでいろいろな貴重品をひきあてたが、それらは、いずれも10万円を下らない代物だった。1/8

ニシノマキという歌人が、我が家に遊びに来て、「○○元年、帝国は某敵国と交戦状態に入れり」という大本営放送の録音テープをほしい、というので贈呈したが、この○○という名辞が、平成に続く元号であったことに、後になって気づいた。1/8

ここはおそらく、視察に来たタイのバンコクではないか、と思われるのだが、言葉と現地事情に通じた相棒のヤマサワ選手が、いつの間にかいなくなってしまったので、取り残された私は、どうしようもない状態で、地面にしゃがんでいる。1/9

連続殺人事件で夥しい血が流れたので、国鉄当局は、新幹線の全車両のカーペットを取り替えることにしたのだが、その新しい敷き物は、駅ごとに待ち構えた窃盗団によって、ごっそり盗まれるのだった。1/10

私は東京駅でコウ君が現れるのを、ずーと待っているのだが、いつまで経っても姿を現わさないので、そこら辺をうろういていた男のケイタイを拝み倒して借りて、連絡を取ろうとして、はじめて私も、ふだん使ったことがないガラケーを持っていることに気づいた。1/11

巨大な十字架の上に磔にされたまま、人々は昇天せずに、何日も何日も生きながらえていた。これを奇跡と言わずに、なんと呼ぶのか。1/12

展示会場からクマガイ・トキオが丹精込めた一足を、悪評紛々の安倍蚤糞夫人が搔っ攫って逃亡したので、係り員たちは、ほうぼう探し回っているが、まだ見つからない。1/13

今季の東コレは、なんと夜10時からの開催で、しかも3つの有力ブランドがかちあっているので、いたく動揺している編集者たちに向って、さる男が「ふぁちょんなんて、所詮遊女と游治野郎のものだね」というたので、みな笑った。1/13

「算数の悪魔」と称される醜女がいて、数学や算数にてこずったときに呼び出すと、すぐさま駆けつけて、なんでも代わりにやってくれるのだが、その見返りに、悪魔のような性愛を要求されるので、少年たちはたいそう悩んでいた。1/14

イマイさんが、「こないだ買ったイオンの株が、なんと40倍になった。突然大金持ちになっちゃったよ」という。周りの人たちも株で大儲けして、大喜びしているのだが、私だけは、バブルから取り残されているようだ。1/15

天敵を探し出す仕事は、神様から天罰を蒙る恐れがあるので、私は、いくら人から頼まれても、首を縦には振らなかった。1/16

なにしろアマチュアオケのことなので、一時は聴衆もプリマドンナも、指揮者も、楽員までも逃亡する始末だったが、コンマスの私が、大声をあげて叱咤激励したので、「ドン・ジョバンニ」の公演は大成功だった。1/17

彼女と私がようやくテレ朝までやってきて、上りのエレベーターに乗ると、そのベルトに乗っていたすべての人間が、私たちと溶解して、巨大なアマルガムになってしまった。
これを微分積分して元に析出するには、どうしたらいいのだろう?1/18

その曰くつきの女から、「あなた、これからどこかへ連れて行ってくださるわね」と、背中越しに声をかけられた私は、思わずゾーッとして、気が重くなってしまった。1/19

彼我の取り分は3分の1ずつ、と決まっていたにもかかわらず、彼奴は3分の2近くを掠め取っていたことが分かったので、私は頭に来た。これでは民草の取り分が無くなってしまうではないか。1/20

私は上野で展覧会をみようと思って、上京してきたのですが、途中で巨大な樺太犬を捕まえたので、そいつに跨って進んでいくと、コシアカツバメの一家5羽が、帽子の中に飛び込んだので、大事に抱えながら、銀座通りを進んでいったのでした。1/21

戦争が始まったので、某国の日本人地区に住んでいた邦人たちは、みんな帰国してしまったが、どういう訳だか私だけは、そのままずるずると滞在を続けていた。1/22

某国の国民議会では、自分の代理ロボットが出席して討論を行い、評決の代行もできる議案が堂々とまかり通ってしまったので、議員全員が驚愕しているそうだ。1/23

いよいよ戦端を開こうとしていたら、両軍の眼の前を弁当屋が通りかかったので、3日3晩何も喰うていない兵士たちは、武器を投げ捨て、塹壕から飛び出して移動販売車に群がった。1/24

絶望に駆られたその男は、凍結した冬の川に飛び込んだが、死にきれず、いつまでもおめおめと生きながらえている。1/25

ホテル・ルックを出たアリサ嬢は、私が後をつけているとも知らずに、大通りに出て、別のホテルに入り、見知らぬ男と立ち話をしている。1/26

一晩中、風呂の奴が、凍結から身を守ろうとしてガスを燃やすので、うるさくてかなわない、という話を、みんなにしてきかせた。1/27

これは下駄の「てらこ」、これは松下表具店、メリー洋装店、これは火星社書店、と次々に昔の郷里の光景が鮮明に再現されたが、次の瞬間、その懐かしい映像の上から、最新型のガラスの現代建築が圧し掛かるように突き刺さった。1/29

町内の住民の一部が、ネコ型ロボット症候群に罹災した惧れがあるというので、町内会長はパニックになっている。1/30

無人島に追放された犯罪者たちは、牢屋の中から、私たち看守が毎日のように楽しんでいるポーカーの仲間に入れてほしくてたまらないようだが、そういう親切なぞ、誰一人持ち合わせてはいなかった。1/31

 

 

 

素晴らしいモーツァルト

音楽の慰め 第27回

 

佐々木 眞

よくモーツァルトの音楽は天真爛漫なので、まだスレた大人になっていない純粋無垢な子供が演奏するのがいちばんよろしい、という人が昔からいますが、そうでしょうか。

私はそうは思いません。そもそもモーツァルトの音楽は天真爛漫ではないし、この節、純粋無垢な子供もあんまりいそうにないからです。

モーツァルトのピアノソナタは全部で18曲ありますが、名曲が多く、特に彼の母親が亡くなった直後にパリで作曲した第8番イ短調K.310、第3楽章でトルコ行進曲が演奏される第11番イ長調K.331などは有名で、皆さんもどこかで耳にされたことがあるのではないでしょうか。

今宵私がご紹介したいのは、両曲の中間にあって、同じ1783年に作曲された第10番ハ長調K.330のソナタです。

演奏は1956年ポーランド生まれでショパンを得意とするクリスティアン・ツィマーマンです。

彼は、我が国で東日本大震災の被災者支援コンサートを行うなど東京に家を持っているほどの親日家ですが、ここに聴くモーツァルトの素晴らしさを、何にたとえたらいいのでしょう。
その映像からも、音楽することの楽しさ、生きることのよろこびが伝わってくるではありませんか。

いつもお世話になっているYouTubeさんが、いついつまでもこの稀代の名演奏を、後世に伝えてくれることを、切に願わずにはいられません。

 

 

 

 

マリア・カラスの7分間の超絶的アリア

音楽の慰め 第26回

 

佐々木 眞

 
 


 

昨年は、不世出のソプラノ歌手マリア・カラス(1923年12月2日 – 1977年9月16日)の没後40周年でしたので、私は彼女の記念アルバムを毎日のように聴いて過ごしました。

そのひとつは彼女が1949年から1969年までにスタジオでレコードした全69枚のCDセットです。1枚140円の廉価盤(MARIA CALLAS 「The Complete Studio Recordings」)でしたが、まず49年11月8日から10日にかけてイタリアのトリノで録音された最初のリサイタルを聴いて驚きました。

アルトゥーロ・バジーレ指揮、トリノ・イタリア放送交響楽団の伴奏に乗せておもむろに歌いはじめた「イゾルデの愛の死」は、録音こそ古いものの、まさしくカラスの胴間声そのもの。いささか青臭く、なんとなく自信なさげで、未熟といえば未熟な歌唱ではありますが、時折聴こえてくる、どすの効いた迫真のサビとうなりは、すでに彼女の自家薬籠中のものとなっています。

そうなのです。ハイCで切開される鋭い線のような高音はもちろんですが、このブルブル震えるような低音こそが、カラスなのです。

一度聴いたら二度と忘れられなくなる、懐かしくも恐ろしいその声。聞く者の内臓に食い入り、深々と肺腑をえぐっては泣かせる、この表情豊かで戦慄的なバスの音色こそが、カラスという人の専売特許なのでした。。

ベルリーニの「ノルマ」と「清教徒」からのアリアの抜粋も、じつに見事なもの。まさに「栴檀は双葉より芳し」を地でいく鮮烈なデビュー振りといえるでしょう。

今度は一転して、最晩年のカラスを聴いてみることにしましょう。1969年2月と3月にパリのサル・ワグラムで録音された、本当に最終期のカラスの歌唱です。

カラスは、ニコラ・レッシーニョの指揮するオルケストラ・ドゥ・ラ・コンセルバトワール管をバックに、ヴェルディの「シチリアの晩鐘」「アッティラ」そして「イ・ロンバルディ」からの3つのアリアを、かすれるような声で懸命に歌っています。

その音程は下がり、あの豊かだった胴間声は激しくきしみ、さながら魔女の断末魔の叫びのようにも聴こえます。
しかしその蹌踉たる絶叫のなかに、私は無残な老醜を、それと知りつつ超克しようとする女の誇りと意地のようなものを感じ取り、一掬の涙を銀盤に灌いだことでした。

この永久不滅の名盤に続いて、今度は彼女のライヴ公演のリマスター盤「マリアカラスライヴ録音1949-1964」(MARIA CALLAS LIVE「remastered live recordings1949-1964」)が登場しました。42枚と3枚のブルーレイ・ディスク、それに貴重な写真を収録した小冊子の付いた超廉価の豪華版です。

ライヴで一入燃えた彼女の真価は、前記のスタジオ版よりも、こちらのほうで発揮されているようです。
たとえば1952年4月26日、フィレンツェ五月音楽祭でトゥリオ・セラフィン指揮フィレンツェ市立劇場管弦楽団に伴われて歌ったロッシーニ「アルミーダ」第2幕のアリア「甘き愛の帝国では」においては、なんと驚いたことに、あの高い、高い、高いニ音が、3回!も、しかも音程をはずすことなく! トリルの連続する超絶技巧で歌われていて、聴く者を圧倒します。

満員の聴衆はもとより指揮をしていた彼女の恩師セラフィンも、この驚異的な7分間には、思わず息をのむほどびっくり仰天したのではないでしょうか。

 

老ゆるともカラスはカラス鶴の声宇宙の彼方にさえざえと響く 蝶人

君知るやカラスの後にカラスなくひばりの後にひばりなきこと

 

 

 

夢は第2の人生である 第61回

西暦2017年師走蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

これからは超高速ジーゼル車の時代に突入するので、私はいち早くその免許を取得し、国産1号機にまたがって県道21号線を激走した。12/1

久しぶりに麻雀をしていたら、天和(テンホウ)か、あと1牌で上がれるという最高の手がきているのに、いつまでたってもアガれない。よく見ると最初から牌が1枚欠けているのだ。12/1

今日は非番の日なので、赤、白、青、黒の4つの製造部門の生産状況の進捗を観察することにした。たまにはこーゆー、ゆとりのある時間もいいものだ。12/1

老いたるA教授は、ガンを患って、この世に残された時間がほとんどないことを知っていたので、後輩のBに、会得した秘法のすべてを伝授しようとしていた。12/2

彼は自分をボブ・ディランに擬しているようだが、似ているのは、ハモニカを銜えた外観だけ。早口で唱える歌詞は拙劣そのもので、むしろ無内容というても過言ではなかった。12/2

「先生、わたし、何かイケナイことでもしてしまったのでしょうか?」とおずおず尋ねると、オクムラ師はニコリともせずに、「晴天の霹靂なるぞゴロスケホーゴロスケホッホゴロスケホー」とお答えになった。12/3

葡萄色の阪急電車に乗って、谷崎夫妻ご一行と一緒に海水浴にいくことになったが、なにせなうての我儘な人たちなので、「須磨明石がええわ」とか「いっそ和歌山に飛びたい」とかの声が入り乱れ、なかなか意見がまとまらない。12/3

金球が、痒くて痒くて仕方がない。朝から晩まで1日中掻きまくっていると、真っ赤に腫れあがってきたので、これはまるでマントヒヒの金球みたいだなと思って、風呂場の鏡を見ると、私は全身マントヒヒに変身していた。12/4

一張羅のスーツがよれよれになったので、スーパーに行ったら、一着2万円以上もする。「北朝鮮で縫製した超格安1万円の奴があるはずだ」というと、「北朝鮮なんて大声を出さないでください。非国民扱いされますから」といいながら、内緒で倉庫に案内してくれた。12/4

なまくらな歌を詠んでは、益子焼の小皿に乗せて、海に流していた。「三角形の上にもうひとつの歌を乗せてみよ」、と誰かが言うので、困りはてていたら、そいつは「こうすればいいのじゃ」と、殺してぐにゃぐにゃになった歌を、三角の上に乗せた。12/5

Ⅹmasツリーの飾り付けをしていたら、脊の高い革マルのフランケンシュタインが、私の背中の方で悪戯するので、「こらあ、なにをするんじゃあ!」と叱るつけると、たちまちシュンとなってしまった。12/6

人には所有権があり、厳然たる人格所有権もあることが理解されてきたので、それらを無視して、傍若無人に振る舞ってきた独裁者は、人々の反乱を抑え込もうと躍起になった。12/7

いくら急流が次々に押し寄せてきても、人里離れたこの渓流に、誰かが落とした瑠璃も玻璃も、いささかも微動だにしなかった。12/8

開戦前夜になったせいか、ハセガワプロパン屋がやってきて、「おたくのプロパンを、回収させて頂きます」というのだが、その代用品はあるのだろうか。12/9

祖父と祖母が、2階の高窓から首を揃えて、「早くここから出しておくれ」と道行く人々に呼びかけるので、わたしら家族はとても困っている。12/9

あの男、10.8闘争の英雄とかいわれているが、それってなんだろう? 俺の誕生日は10.16だし、もしかして10.28の間違いでは? ともかく、10月は戦いの季節だった。12/10

サントリーが製作した鳥の映画の試写会に行ったら、隣の席の学生が、うす暗闇の中で私が三文雑誌の要請ででっち上げたあほばかエッセイを熱心に読んでいるので、それが気になって映画に集中できなかった。12/10

今年採用した男女2人の新人が、港に浮かんだ船の上で、これからの航海について、あれやこれや熱心に論じ合っている姿をかいま見て、私は、これなら未来もまんざら暗くはないな、と安堵した。12/11

将棋盤を飛び出した桂馬は、樹上で猿になり、森に入ってオランウータンになり、草原のただなかで、ホモサピエンスになったが、やがて猛烈な殺し合いをはじめて、すぐに絶滅してしまった。12/12

妻君がいち早く起きだしたのか、台所で物音がする。「もう朝なのか。全然寝ていないのに」、と思って時計を見ると、すでに12時半になっていたので、急いで飛び起きたのだが、実際はまだ6時前だった。12/13

彼女は、J.CREWのヤマモトとかいう男に酷い目に遭わされたというて、縷々あれやこれやの話をするので、私はじっと辛抱しながら聞いてやった。12/14

無人島の周囲には、たくさんの貝殻が捨ててあったが、それらの一つひとつに数字が記されていて、その数字は、貝を捨てた男の旅情の重さを現わしているのだった。12/14

横須賀にある「確かめ教室」では、どんな複雑怪奇な数式も細かいパーツに分解して、何回も確かめながら学習させるので、周辺の子弟から、圧倒的な人気と好評を博していた。12/15

我々は、帆船フランクフルト号の奪還に成功したのだが、「奥入り河」に乗り入れたところで、船縁から転落したケンちゃんが、岩に足を挟まれて溺れそうになったので、みんなで河に飛び込んで、やっと救出することができました。12/16

主筆の私が夢遊病になってしまい、連日訳の分からない社説の原稿を書き殴っているのに、肝心の校正係は、ろくろく読みもしないで、合格印のスタンプをペタペタ押しまくるのだった。12/17

電車に乗っていた黒い狼が飛び出したので、私もその後を追って白い球を投げると、狼は球を追って駆けだす。また投げると、後を追う。しばらくそんな遊びをしてから、狼も私も、また電車に飛び乗った。12/18

バリストは半年以上続いていたが、私にはもう1年前の権力闘争への情熱も、そんな新たな自己を発見した喜びも、全世界を敵にまわしての反抗の気概も、すっかり失せてしまい、まるでセミの抜け殻のような状態になってしまった。12/18

私は理由なく再三暴漢に襲われたので、覚悟をきめて、護身用に紫色の鞘に収めた正宗の短刀を買い求め、肌身離さず持ち歩くことにした。12/19

ボタンプッシュ・キャンペーンが終了したので、私は「いいね」ボタンを押してくれた人たちに、いちいちお礼を言って回ることにしたが、その間も人世の無常を感じていた。12/20

基地内には、10か所の特定地点が指定されており、その地点に立つと、眼下に奥深い冬眠用の竪穴が掘られていることが分かった。12/21

訪問したイタリアの小さな町が地震に遭って、北側から崩落していくので、私らは、南へ南へと逃げに逃げまくったのだが、南からは、亡霊の群れが逃げてくるので、先頭のポチが狂ったように吠えたてた。12/22

千トンの象と千トンの犀が、まるで力士のように真正面からぶつかって、押しくら饅頭をして長い間死んだように動かなかったのだが、突然全力を振り絞った象が、犀を押し倒した。12/23

珍しく車で出勤した日の午後に、第2次関東大震災が来襲した。幸い私の会社がある高層ビルは倒壊しなかったので、最高層にある駐車場の最高部にひっかかっていた私のアクアを、なんとか地面に下ろそうと焦るのだが、その間にもどんどん時間が経つ。果たして我が家の家族は無事なのだろうか。12/24

私が子供だった頃、家の隣を流れている河の石を取ってきては裏庭に捨てていたら、巨大な石の山になった。その話を聞きつけて石屋がやってきて、「全部買い取りたい」というので、一山いくらで売ったのだが、かなりの儲けになった。12/25

大阪支店に出張して、明日の打ち合わせの場所と時間を尋ねたが、答えが妙な発音で最後まで意味不明だった。不安なまま大食堂で定食を頼んだが、最初にコーヒーが来ただけで、後がなにも来ないので、ねえちゃんに文句を言うと、間違えてほかの客が食べてしまったという。12/26

最近睡眠不足で悩む患者が、「先生、麻酔してください」というて、大勢やって来る。なかには「わたし部分麻酔では効かないから、全身麻酔をお願いします」という人もいたので、「そうかい、そうかい」と言いながら、親切に要望に応えてやった。12/26

五味家は、京の北白川仕伏町に3軒も別荘を持っていたので、私たちは、「右から左にどんぐりころころ、どんぶりごろごろ」、と唄いながら、朝から晩まで転がりながら眠った。12/26

17歳の僕は、京の都で六条の御息所に抱かれ、はじめて番って童貞を失ったが、それっきり二度と彼女に会うことはなかった。12/27

私は超高層ビルの最上階から、外壁の周囲に螺旋状に張り巡らした階段をつたって地表まで命懸けで降りてから、「このビルにはどうしてエレベーターがないのだろう?」と訝った。12/28

私たちは、強権的な独裁者にちょん切られた首を、おのおの両手で持ちながら、黄泉の国に向ってトボトボ歩いていた。12/29

彼は、東京磁器センターの一介の皿職人だったが、ふと思いついて自由に作った皿の出来栄えが素晴らしかったので、人間国宝に指定されたが、それだけでは食べていけないので、相変わらず規格通りの皿を製造している。12/30

「あんたったら、日曜日には家事を手伝ってほしいのに、なんでまたCMの撮影だといって丸の内まで飛び出して、夜になっても帰ってこないの」と、うちの妻君はぷんぷん、かんかんだった。12/31

 

 

 

なむあみだぶつサーカス

あるいは今井義行著「Meeting Of The Soul(たましい、し、あわせ)」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 

 

野比のび太
ああ面白かった!
久しぶりに心が自由になって、外へも、内へものびのびと広がっていくような不思議な現代詩を読んだな。

源静香
自由な詩だというのは、分かるけど、「外へも、内へも」というのは?

のび太
なんかさあ、能の「羽衣」を見物しているような気分。
「♪東遊びの数々にー」の謡に合わせて、漁師から羽衣を返してもらった天女が、嬉しくなって三保の松原で踊ると、漁師だけじゃなくて、私たちの心まで晴れ晴れとしていって、最後に天女は、富士の高嶺の果てに消えてゆく。
そんな広大無辺の精神世界を、詩が「花粉を舞わせながら」、霞のように、昔風に言うとエーテルのように、舞っているような気がしたんだ。

源静香
へえー、よく分かんないけど、わたしは、世知辛いこの世の中をなんとか生き延びながら、「地球が突然垂れ下がろうとも」、一篇の詩を命がけで紡いでいる鶴。暮らしと「友愛」のために、身を粉にして織物を紡ぎながら、気宇壮大な「東遊び」を楽しんでいるボーダーレス、ジェンダーレスの一羽の「つう」が飛んでいるんだ、ということは分かったわ。

ドラエもん
分かったずら。「夕鶴」、ね。

のび太
その「夕鶴」っていう名詞ひとつが、まごうかたなき詩である、と「あまでうす」という人がさかんに主張しているんだけど、誰か知ってる?

イクラ
パブーン。

静香
でもこの今井さんて人、詩の言葉の構成、発芽と生成過程、遊び方も独特のものがあるけど、それだけじゃなくて、無機的になりがちな散文の美しいこと!
単なる自伝的文章とか考察が詩に化ける、なんて、ちょっとすごくない?

ドラエもん
毎朝4時に起きてPCに向い、点滅する最初の一字、最初の一行、「輝珠」から、世界が、詩的宇宙が切り開かれていくなんて、なんかぼくの「どこでもドア」みたい。親しみが持てるなあ。

のび太
きみの「どこでもドア」なら、多くの詩人が羨ましがっていると思うよ。
問題は、「どこでもドア」を開いた後だ。その一字、その一行をどうやって次の一字、次の一行につなげていくかということなんだけど、この詩人は、その連続的な軽業を、まるでサーカスのブランコ乗りのように、(少なくとも傍目には)いともたやすく自由自在にやってのけるんだ。

ドラエもん
天才じゃん。ぼくの「4次元ポケット」みたいずら。
サーカスの天才、ぼく、超うらやま。

のび太
「なみあみだぶつサーカス」、てんだけど、聞いたことない?

イクラ
パブーン。

静香
初耳だけど、不思議な響きね。詩になりそう。

のび太
この「なむあみだぶつサーカス」の最大のウリはなにか、きみたち知ってるかい?

ドラエもん
なに? なに? 教えて! 教えて!

のび太
鉄製の円球の中に閉じ込められたオートバイがね、エンジンを最大限にふかしながら、大音声を上げて、球形の内部をぐるぐる回る。
何度も何度も全速力で回るもんだから、ドラーバーの頭の中も、ぐるぐるぐるぐる全速力で回転し、見物しているわれわれの脳味噌も、心拍も、身魂さえも紅蓮の烈のように燃えたぎって、尋常ならざる異世界へぶっ飛ばされてしまう。なむあみだぶつ なむあみだぶつ。
そして気が付くと、狂気のように回転し続けていたオートバイは、ドライバーもろともいつのまにか跡形もなく消え去り、サーカスのテントのてっぺんからはスーパームーンがぬっと顔をのぞかせているんだって。

静香
なんか面白そうね。

のび太
うん。一度のぞいてみたら。

ドラエもん
あした行ってみるずら。
なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ なむあみだぶつ

 

 

 

夢は第2の人生である第60回

西暦2017年霜月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

その若い男がやくざであることは分かっていたが、実に些細なことで私にいちゃもんをつけてきたので、カッとなった私はそいつをボコボコにのしてしまった。11/1

ゼンちゃんと一緒に、どこか田舎の百貨店へ行こうとするのだが、ゼンちゃんは、いつのまにかどこかへ消えてしまう。久しぶりに会った弟なので、私はあちこち探し回るのだが、見つからないので、途方にくれてしまう。11/2

私は美貌の母娘の依頼を受けて、半年以上も作陶を続けているのだが、彼女たちがひっ切りなしにわが工房を訪れてあれやこれやとちょっかいを出すので、まるで作業が進捗しない。11/3

たいした選挙運動もしないのに、私は、なぜだか市会議員になった。
議場へ初登院しようとすると、入り口でヘルメットと角材を渡された。
「これで敵を思う存分ぶったたけ」と誰かが囁いた。11/4

上空から仁徳天皇の前方後円墳を眺めているうちに、この古墳は、カイコの五齢幼虫の姿を模したことが分かった。11/5

私は谷崎文藝に親しむあまり、文豪と同じように、右手では書けなくなってきたので、文豪に倣ってA嬢を秘書に雇って、口述筆記させていたのだが、彼女がファシスト政権の熱烈な支持者であると判明したので、即解雇した。11/6

私が勝手に広告を作って、いろいろな媒体に出稿するものだから、上司は、何も言わずに私を解雇してしまった。11/7

それまでは女性を抱きしめて押し倒しても、勃起不全に終わることが多かったのだが、その先の行為を、頭の中でシミレーションしているうちに、鬱勃と性器に精力が満ち満ちてきたようなので、これはもしかすると、きっとうまくいくのだろう。11/8

ようやく会社の近くまで戻ってきたら、ヨシダヨシオが、「タクシーに乗せて下さいよお」と甘い声でせがんだのを、私は断固として退け、馴染みの古本屋に入ると、昼寝していた主人が、慌てて飛び起きた。

この店には、なぜか水族館のような大きな水槽があって、アシカやペンギンが泳いでいる。ふと見ると、目の前にペンギンが立っているので驚いたが、おそらくこれは、水槽から飛び出て来たのだろう。

ヨシダヨシオが大声で「ペンギンだあ! ペンギンだあ!」と叫ぶと、ほかのペンギンやらアシカやらトドなんかも、連れだって私たちをぐるりと取り巻いた。

もう夜も更けたので、朝にならないうちに帰宅しようと焦っていると、AとBが「もう一軒行きましょうよ」としつこく誘うのを断り、私は中央駅の階段を全速力で駆けのぼり、どこへ行くのか分からない発車間際の電車に飛び乗った。

昔の私は、己の虚しさを糊塗しようとして、虚飾に満ち満ちた言葉をまき散らしていたのだが、最近は口を閉ざして、おのが空無そのものを、さらけ出すようになったらしい。11/8

自殺船というのは、毎年年1回公募による365名の自殺希望者を乗せて、365日間で世界を一周する。毎日1名の自殺者を予定し、本人も納得しているのだが、いざとなるとひるむ人もいて、およそ3分の1ほどが、死なないで戻って来るそうだ。11/9

大事にしている鞄を、ウンコがいっぱいに盛り上がった河に落としてしまった。しかたなく、ウンコが盛り上がった河の中に、抜き足差し足で入って、鞄を取り戻したが、家に帰って洗ったら、別の鞄だった。11/10

指揮者に憧れて弟子入りした私だったが、師匠が右手を挙げながら、右指を順に追って、曲の終わりを指示しているのを見て、指揮棒を折った。そもそも私は、オタマンジャクシが読めないことを忘れていたのだった。11/12

イマナカ、キムラ両氏が、大論戦を繰り広げている部屋を後にして、ランチに出かけた私が戻って来ると、ムラクモ氏が来客に自分本位に対応していた。60年代最終年のわが社に、果たしてどんな70年代が訪れようとしているのか、私しか知らなかった。11/13

「なんで家に帰って来なかったの?」と聞かれても、よく分かりません。
別に女ができたわけじゃなし、まあ猛烈リーマンですかねえ。
仕事が面白いから夜遅くまで働いても苦にならない。気がつけば電車が無くなっている。それで外泊しているうちに、家で寝るより安ホテル、とりわけカプセルホテルのほうが休めることに気がついた。利用したのは主に新橋、渋谷かな。11/14

洞窟のように狭くて、腰の上あたりに小さなテレビがついている。
そういう独特の空間でないと眠れないような精神と肉体状態になっていたんですね。
それでも時々は自宅に帰っていたんですが、ある日事件が起こった。

夜の渋谷で、格安で車のガソリンを売っている男がいる。ほとんどただのような値段なので喜んで買っていたら、最初はガソリンだけだったのが、ガソリンを餌にして、いろんなものを売るつけるようになった。

それで、「いい加減にしろ」とガツンとやっつけたら、そいつがヤクザだったので、幹部やら親分やらがが絡んできたので、夜の渋谷は鬼門になった。
それでまた家と会社を普通に往復するようになりました。いわば日常を取り戻したわけ。

夫を取り戻した家内も、ほっと一息ついたと思うけど、ある日、洗濯物が4つの場所に離れ離れに置かれていて、この4つの場所が、私がこの4年間に旅行した記念の場所なんだというのです。どうやら勝手に海外旅行をしていたらしい。

猛烈リーマンの私は、てんで知らなかったが、彼女はその4か所でそれぞれ土地を買って、4人の男に留守番をさせているというので、妙に気になって、その4人を日本に呼び寄せたら、口々にその土地を売ってくれと言うので、切り売りしてやりました。11/14

隣国でクーデターが起こり、皇帝が殺されたので、後宮の女性三千人が、我が王国に亡命してきた。毎晩一人としても全員を味見するのにおよそ一〇年間を要すると知った私は、茫然として業務など手がつかなくなった。11/15

私は愛機を低空飛行させながら、地上の人々に「早く逃げろ!」と叫んだのだが、そのうちに、上空から急降下してきた敵機の猛射を浴びて、たちまち火だるまになってしまった。11/16

ウッチャンはじめマンタ一家は、おせいちゃんがお金を持ってくるのをずーと待っていたが、お昼近くになっても彼女の姿が見えないので、イライラは絶頂に達した。お金がないと昼御飯が食べられないのだ。11/17

教室の学生たちが、いつまで経っても私語をやめないので、私はビール瓶を右手で抱えながら「いい加減にしろ!」と怒鳴りつけた。11/17

奥歯にはまだ神経が残っているはずだから、先生お願いだから麻酔をしてくださいね。麻酔なしだと、きっと気絶してしまうでしょうからね。11/18

私がアハハというと、ヨシダ君がアハハと応じる。そんな歌舞伎のような応答を2人でしばらく繰り返していたのだが、突然ヨシダ君が「ウーーウーーウーー」と救急車の真似をしはじめたので狼狽した。11/19

地中海クルーズのリーダーのY嬢に、持参したカセットやデッキを進呈したら、「これで航海中の徒然を慰めることができますわ」と、大喜びされました。11/20

敵の大艦隊が押し寄せてきた。私は1トン爆弾を積んだ改造漁船に乗り込み、先頭の敵艦に突入する決意を固めたが、そんなことは無理だということをよく分かっていたので、Y嬢と、手に手を取って逃げ出したくなった。11/20

わがブランドは、東コレを皮切りにNYコレに進出して地歩を固め、次いでパリコレで大成功した時点で、ピークに達したが、その直後に人気実力ともに急降下して、誰からも忘れ去られた。11/21

「あなたからは、おのれの欲しか感じない。だったら、おのれの欲の海で、立ち泳ぎでもしてな」と夏菜から言われたので、私はひと夏じゅう葉山の海で立ち泳ぎしていた。11/22

2人の子供とセミ公園に行きました。するとセミを追いかけて親子のライオンや白ヒョウが公園中を駆けずり回るので、怖くなって、みんなで脱出しました。11/23

野山を楽しく散歩した後で、私たちは固まってお弁当をつかった。11/24

急に外国からの賓客が来訪することになったので、私は新宿の本社と、長野、飯田工場の3か所を、ヘリに乗ってあわただしく移動せざるを得なかった。11/24

ミチコさんが、「これ以上私に何もしないでください」というので、私は何もしなかった。11/25

道教寺を舞台にして、いつのまにか毎日公演が行われていた。予算はゼロに近いのだが、常設のお神楽をBGMにして演劇やオペラを学んでいる学生を起用すれば、けっこう面白い見世物ができるのである。11/26

裂帛の気合いもろとも、突っ込んでいったが、あっという間に、剣を弾き飛ばされ、喉元に突きが入ったために、仰向けにどうと倒れた私は、両手を彼女にふんづけられ、屈辱的な敗戦を喫した。11/27

ともかく私は、1千万円を取り返さなければならなかった。たとえ来る日も来る日も、タコの足ばかり食べ続けなければならなかったとしても。11/28

つねに一打逆転で勝利を手繰り寄せてきた頼りがいのある男を、私はいつも、私の次の打順に据えてきた。我々がプロの世界から引退したあとも。11/30

 

 

 

ベートーヴェン、交響曲第7番、そして映画

音楽の慰め 第25回

 

佐々木 眞

 
 

 

昔から楽聖と呼ばれたベートーヴェンの音楽は、昔から映画音楽によく使われてきました。
けれども彼の音楽は男性的で、柔道一直線的な要素が強いので、映像との組み合わせが難しい。

スタンリー・キューブリック監督の「時計じかけのオレンジ」では、交響曲第9番がテーマになっていました。これなどは映画と音楽のつながりに必然性がありましたが、たとえばあの有名な「合唱」の調べを、感動的な映像シーンにかぶせると、なんだかダサくてしらけた映画になってしまうことが多いようです。

これと対照的なのがモーツァルトやラフマニノフのピアノ協奏曲で、「みじかくも美しく燃え」とか「愛と哀しみの果て」や「逢びき」などのラブストーリーにはぴったり合うのですが、ベートーヴェンはなかなか難しく、私が知っているほとんど唯一の例外はピアノ協奏曲第5番の第2楽章を印象的に使った1975年製作のオーストラリア映画「ピクニックatハンギングロック」くらいでしょうか。

私はこの曲を聴くたびに、ピクニックに出かけた美貌の女生徒が失踪するという「神隠し」事件を描いたピーター・ウィアー監督のこの隠れた秀作を思い出さずにはいられません。

そんな次第で映画とは縁遠かったベートーヴェンでしたが、最近になってなぜか交響曲第7番の第2楽章を鳴らす映画が頻繁に登場するようになりました。例えば2010年製作のトム・フーバー監督の「英国王のスピーチ」です。

ご存知のようにこの映画は、吃音に悩むジョージ6世(コリン・ファース)と、その治療に挑んで勲章をもらったオーストラリア人(ジェフリー・ラッシュ)との交情の物語です。

他の医者は、吃音を外部から物理的にアプローチして治そうとして失敗するのですが、その豪人は、吃音の真因が幼時からの父親との精神的な軋轢にあると見抜き、全人格的な関わりの中で溶解させようと腐心するのです。

なんとかかんとか吃音障がいを克服して、ヒトラーへの宣戦布告を告げるジョージ6世の演説の背後に鳴っているのが、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章でした。

あそうそう、この曲は、名匠ジャック・ドゥミ監督の名作「ローラ」でも使われていました。
これは1960年に製作された白黒のフランス映画ですが、ヒロインの踊子ローラに扮したアヌーク・エーメが、たとえようもなく美しく、チャーミングなんですね。

音楽を担当したのは「シェルブールの雨傘」で有名なミシェル・ルグランですが、ここであえてベートーヴェンをもってきたところ、見事にフィット。映像との違和感がまったく無いのは演出の魔術としか思えません。
撮影監督はジャン=リュック・ゴダールの無二の相棒ラウル・クタールでしたが、その「実存的な」キャメラが全編に亘って冴えまくっておりました。

驚いたことに、そのゴダール監督による2014年の3D最新作、「さらば、愛の言葉よ」でも、ベートーヴェンの交響曲第7番の第2楽章のアレグレットが実に効果的に使われていました。

意表をつく言葉と斬新な映像と大胆な音声音楽が三位一体となって、観客を驚きと混乱の極に陥らせ、おのれとおのれを取り巻く世界についての新しい光を投げかけるこの監督お得意の手法は、もはや定番といってもさしつかえないほどゆるぎなく確立された行き方です。

しかし今回は、それがさらに余裕と遊びを持ち、映画という古典的な領域を大きく逸脱しています。まるで重層的で知的な映像ゲームを楽しんでいるような錯覚を覚えるほどで、ここには今年87歳になった映像革命家がついに達成した、軽妙にして深淵な芸術世界が繰り広げられているようです。

ワーグナーが「不滅のアレグレット」と呼んだ、そのベートーヴェンの音楽に伴われて突如インサートされる森の若葉や紅葉の綺麗なこと! いつもと同様、いろいろカッコつけている映画ですが、結局ゴダールが見せたかったのは、四季を彩る自然のこの刹那の美しさ、だったのかもしれません。

それでは最後にベートーヴェンの交響曲第7番をカールベーム指揮ウィーン・フィルの東京ライヴの演奏で聴いてみましょう。

コンサートマスターは、1992年に哀れザンクト。ギルデンに散ったゲルハルト・ヘッツェル。彼の不慮の死から現在に至るウィーン・フィルの緩慢な没落が始まりました。