「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓六腑の疲れである」 第71回

西暦2018年神無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

「君らしい仕事を思いっきりやりたまえ」と、イデ君を激励すると、彼は満面に笑みを浮かべて頷いた。10/1

「夢百夜物語」のエスペラント語の新訳には、頁ごとに写真が添えられていたが、これは右翼でファシストの有名カメラマンの作品だった。10/2

ともかくそこはとんでもない変態高校で、ビキニ姿の女子学生たちが、集団で新米の男性教師に襲いかかるので、みな戦々恐々としていた。10/3

ぼくらは、5人で新曲の「凍れる流れ」を演奏したのだが、意外にも満場の拍手喝采を浴びていたく驚いた。10/4

砂漠の真ん中で、100名の全裸の美男美女たちが、二手に分かれて粛々と行進し、双方が出会った地点で、激しく性交している姿は、壮観というも愚かであった。10/5

「おらっちはNY医科大首席卒業のDrヤマガタ、手でも足でも乳でもなんでもかんでもバッタバッタと斬っちまう。人呼んで日本のベン・ケーシーだあ」と、その白覆面の男は、ふんぞり返った。10/6

「星屑兄弟の伝説」の続編が公開されたが、これが圧倒的に素晴らしいので、未完成の作品であるにもかかわらず、カンヌ映画祭でグランプリに輝いた。10/7

来年度の事業部ごとの会社案内の作成をするために、某事業部長を撮影しようとしたら、「来年は、わいらあこの事業部からおらんようになってしまうんやけど」と寂しく呟くので、人物写真の代わりに事業部ごとにいろんな花を載せることにした。10/8

御茶ノ水からどんどん歩いてくると、法政大学の辺の並木道にさしかかった。一緒に歩いてきた学生が、「僕らはここで別れますが、良かったらこれを」というて、何かを手渡した。見るとトリスタンだったので、「ありがとう」というて受け取った。10/9

彼女は、上から命じられると、次次に誰とも知らない人物を暗殺しているテロリストだったが、いつ自分が消されるかと戦々恐々としていた。10/9

その古本屋のおやじ、といってもまだ若いのだが、は、毎週水曜日の夜を相談日にしていて、若い女性の身の上相談に乗っていたのだが、相談相談といいながら、結局は彼女たちと寝ているのだった。10/10

今日から新学期の授業が始まるというので、久方ぶりにキャンパスを訪れたが、あまりにも広大で、どこが自分の教室だかさっぱり分からない。それに自分の講義のタイトルすら忘れていることに気付いて、私は途方に暮れた。10/11

おらっちは、企画室主催の講演会場へ潜り込んだが、入場券がなかったので、ホールの天井に寝転がって、トップデザイナーのパリコレ話を聞き流していた。10/12

大島に半年間滞在している間に終戦となったので、我々はさながら逃亡者のように元町港へ急いだが、芋を洗うような人混みで、なかなか前に進めない。ふと見ると、誰かが私の右手をしっかり握りしめて、一歩も動こうとしないのだ。10/13

昨日、長屋の奥の奥に閉じこめられていた老人が、いきなり陽の光の下に引き出され、あっという間に、細い首をちょん切られたが、あれは、どうも自分だったような気がしてならぬ。10/14

死の瀬戸際から何とか持ちこたえ、安蒲団の中に横たわると、いきなり床の絨毯が立ちあがってきた。10/15

俺は、2人の男を殺したようだ。1人はムジカル、もう1人はオフリング、2人合わせると「音楽の贈り物」になることを、後で知った。10/16

商品企画室へ行くには、小さなエレベーターに乗るしかなかったが、これが古色蒼然とした一時代前のオンボロのくせに、猛烈な勢いで乱高下するので、今では企画室のスタッフが、恐る恐る利用するだけになってしまった。10/17

私らは、その占い師を有名にするために、まず伯爵夫人から、女王に面会の糸口をつけてもらおうとしたのだが、なかなかうまくいかないので、往生している。1018

築地駅からに乗り込んだクボナオコをやっとつかまえ、白い二の腕をぐいと引っ張ったら、万事休すと観念したのか、彼女は、籠の中のタイやヒラメやブリやカツオを、満員電車の中にぶちまけたので、大騒動になった。10/19

大川の土手の上を、オオミチ君と一緒に歩いていたら、後から「時計じかけのオレンジ」のような悪童たちが追っかけてきたので、2人とも必死に逃げたが、気がつくと、オオミチ君の姿が、見えなくなってしまった。(続く)

仕方がないので、そのまま土手の道を歩いて行くと、行き止まりになってしまい、そのどんづまりでは大田、山田、広田の3名が押しくら饅頭をしていたので参加したいと思ったが、私の名前は吉田ではなくササキなので、諦めて料亭の二階から見物していた。10/20

リーマン時代の私が、どれくらい忙しかったかというと、トイレで小便をしたあと、チンポコをしまい忘れたことを知りつつ、それを収納している時間が勿体ないので、そのまま歩いていたくらいだった。10/21

今度のCEOは月曜に来るというので、みんなで待っていたが、来ない。あちこち探すと、地下12階の窓のない部屋にこもって、「しこくCEOしごく地獄さ」という死のような詩、詩のような死を垂れ流していた。10/22

ふと思いついて、「わたしらにとって懐かしいところ、心のふるさとのごとき場所をたった一字で表すとすれば、それは「玄」ではないか」、というと、セイさんが「なるへそ、それは面白いねえ。銀座で一杯やりながらゆっくり伺いましょ」というて、タクシーを呼んだ。10/23

その日の結びの一番で、物凄い八百長大相撲が行われたので、一部の客が「八百長だあ、八百長だあ!」と抗議の声を上げたが、幸か不幸か、その日はスコットランド愛鳥協会の客が大半を占めていたので、全体としてはあまり問題にならなかった。10/24

イデア師は、自分のお腹に画かれた難解な図像で、今後の世の中の推移を示していたが、それは、知る人ぞ知る叡智と霊感に満ち溢れた内容だった。10/25

時々ユビ王がやってきて、イデア師のお腹を触ると、たちどころに前代未聞の不思議なアートが飛び出してきて、それらが民草の暮らしに、大きな幸いを授けてくれるのだった。10/25

ホームラン王のクワタは、時々ベースを踏むのを忘れて、せっかくのホームランをふいにしてしまうことがあるので、私は彼に頼まれて、いつも彼と一緒に走りながら、彼の足がちゃんとベースを踏んだか否かを、確認するのだった。10/26

広報担当のヒトミ君とランチしたあとで、「お茶」しに行った。分かれ道で「右はらんぶるだから話ができませんよ」とヒトミ君がいうので、左を進むと映画館がカフェをやっていた。若い女性客が多く、映画館ほど暗くはないが、かなり薄暗いカフェである。10/27

客が横並びに座っていると、店の女の子が端から次々におせんやキャラメル、蓋にストローを突き刺したカフェオレなどを持ってきて、これをリレーして、お好きな物を取ってくださいという。妙な仕組みを考えたものだ。

せっかく映画館に入ったのだから、「マルクス兄弟の映画でも見せろ!」と怒鳴ったら、「マルクスは危険だから、チャップリンにして」という黄色い声が聞こえ、拍手が起こった。民度の低い奴らだと軽蔑していると、隣から妙なものが廻ってきた。(続く)

生きものである。目を凝らしてよく見ると、赤ちゃんである。躊躇ったが覚悟を決めてダッコすると、ニコニコ笑っていたが、そのうちむずかって泣きだしたので、隣の客に渡そうとしたが、誰もいない。ヒトミ君もいない。ワアワアと泣き喚く赤ん坊を抱いた私は、無人の映画館で途方にくれた。10/27

われわれは、首をチョン斬られた20人の兵士と、斬られなかった2人の兵士を見せられたが、どうしてそうなったのかと訊ねても、その理由は説明してもらえなかった。10/28

偉大なる王、トクシカの最期を看取った私の見聞記は、パリ支店のPCが不調で、どこにも発信されることはなかった。10/28

プロデューサーの私は、ある時ふと思いついて、映像製作中の現場に総合アートディレクターとしてキタムラ・ミチコ氏を迎えたのだが、彼女が姿を現わしただけで、現場の空気がガラリと変わり、その効果たるや驚くべきものがあった。10/29

陥落寸前の城塞だったが、少年兵の私は、たった一人で城門にバリケードを張って、雲霞のごとく押し寄せる敵兵に立ち向かおうとしていた。10/30

原口村の原口村長は、芸術愛好家なので、自分が経営している原口旅館に、世界各地の有名無名の詩人、作家、画家、アーティストを招待していたが、その中にランボーならぬランホオが混じっていることを、誰も知らなかった。10/31

私が会社のPCに打ち込んだ「これでも詩かよ」という原稿が、全社員に向けて発信されてしまったので、私は一躍、会社随一の「これでも詩人」と目されることになってしまった。10/31

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第70回

西暦2018年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木眞

 
 

 

「お客さん、もうこの土地一帯の毒素は、完全に消失してしまってる。中国人どもに買い締められない間に、安値で買っとかないと、一生後悔しますぜ」と、そのブローカーは、口を酸っぱくして説きまくるのだった。9/1

ライバルと比べると、2カ月遅れての出発だったが、我々はそのことを忘れ、ひたすら目の前の目標に向かってひたすら前進したので、半年後には彼らに追いつき、追い越してしまった。9/2

その地域は、2人の王が交互に統治していたのだが、私は、彼らの妻たちの協力を得て、彼らを打倒し、王になった。9/3

私らは夜空の星に輝く銀座鉄道に乗って、アンタレスからアンポンタン星まで快適な旅を楽しんだが、いつのまにか夜が明けて、しののめに朝日が輝いていた。9/4

台風21号の大風で、一睡もできなかった。あるいは、一睡もできなかったという夢を、一晩中みていた。9/5

試写会の案内状を、敬愛するヨドガワ氏とサトウ氏に出し忘れていたことを思い出したので、急いで出すと、二人ともすぐに来てくれた。9/6

「お前を学級委員にしてやるから、是非立候補しろ」と悪友どもがけしかけるので、思い切って立候補したところ、蓋をあけると最下位で、なんとなんと私の1票しか入っていなかった。9/7

「名物決定版はこれだ!」というテーマを編集長から与えられて、これでもう1月以上当地に滞在して、あちこち訪ねたり、あれこれ飲み食いしているのだが、まだその名物には巡り会えないでいる。9/8

「へえ、そうなんでっか」と言いながら、私はその場を警護していた傭兵を、一撃のもとに斬り倒した。9/9

アイルランドの建築家が明治時代に建てた、高層ビルヂングの建築様式が、ロシアフォルマリズムに、なにがしかの影響を与えたか、それとも全然与えなかったか、という問題をめぐって、永代橋のたもとで2人の学生が果てしない議論を続けている。9/10

カンパーとかいう名前のカルテットの第1ヴァイオリンは、相当にわがまま勝手な奴だが、喧嘩となると無暗に強く、これは他のカルテットのメンバーにも共通の特性のようだ。9/12

海辺の砂丘に、陽が落ちてしまった。あと1カット残っているので、どうしようかと動揺していると、ベテランカメラウーマンが、近くのお寺に私らを導き、最後の残光の中で、白く輝く裸身を晒してくれた。9/14

郊外電車の先頭車両は、畳敷きになっていて、松平嬢がお点前をたてていたので、私も一服御馳走になった。9/15

もうすぐ電車が発車してしまうので、駅に向かって急いでいるタクシーの中の私。ふと振り返ると、後ろからオートバイが走ってきた。そこには私が宿に忘れた荷物が積まれているようだが、このオートバイが走っては止まり、止まっては走り出すので、気が気でない。9/16

玉三郎の歌舞伎の一幕見に行って、しばらくするとオシッコしたくなったので、花道に登ってタコツボを開けたら、それはトイレではなく、ツルツル頭の茶坊主どもが出番を待っていたので、頻尿症の私は悶絶してしまった。9/17

幹事のUが、同窓会の貯金を引き出してヴァイオリンを買って、毎日練習しているという噂を聞いたが、本当だろうか?9/18

タカハシ選手が、「大震災には3つの態度があるんだよ、中では3番目の態度が高尚なのよ」と叫ぶので、「そうかもしれんけど、おらっちは2番目の「なんもなかったことにする」で行くんだよお!」とどなったら、黙ってしまった。9/19

私が、イタリア製オートバイ、フンフンネで岐れ道にさしかかると、「ビゴの店」では、創業者のビゴさんを悼む旗を掲げていた。9/20

洞窟の中を歩く彼女は、腕を伸ばして、左右の壁に手を触れていたが、その茶と白のだんだら模様の壁面は、無数の茶と白の小さな蛇が、うず高く積み重なっていることを、私だけが知っていた。9/21

その子はケータイ会社の試験を受け、たった30点で合格したのだが、その会社はソフトバンクだったので、auが受かったと思っていたその子は、今頃になって驚いている。9/22

NHKの次回の大河ドラマの製作を請け負うことになった。とりあえず製作費は膨大だが、1次下請けが2割、丸投げされた2次、3次、4次の下請けがなにもしないでそれぞれ2割のマージンを取った残りの金額は製作実費かつかつで、わが社はどうやっても利益が出そうにない。9/23

アラン・ドロンが引退するというので、激励のために会いに行ったが、彼は私のことなどてんで覚えていないようだったので、よく考えてみると、彼とは一面識もないのだった。9/24

「序曲はいいが、「文学的序曲」の演奏は断じて許さん!」と、その軍人は怒鳴った。9/25

万歳! 私は長年の苦心の甲斐あって、「不要になれば消してしまえる衣料品」の開発に、とうとう成功した。焼却するのではない。特許特製のイレイザー(電動消しゴム)を使えば、まるで手品のように消えてしまうのである。9/26

その一帯は、パピルってた。ああ、東京快感のヘッドギア、走り抜け!シナノヘッズ殲滅す。アヘアヘだあ。デコちゃんヘッズは秀子の額。「11日までに一式揃えないとお客さんに悪いじゃないか。なんとかしろ!」と社長が怒鳴る。9/27

どういう訳かリーマンに戻って、昔の上司に仕えている。「業務が爆発的に順調なんやけど、にわかスタッフが33人も増えて大変だ。来週からNYに飛んでくれ」と頼まれたが、どうにもそんな気にならないので、トイレでお丸のいいやつを探して、その上に座り込んだ。9/28

私が乗った北朝鮮の列車が、無人の野で突然停まった。レールの向こうは河で、河の上は切り立った断崖絶壁。馬上の白髪白衣の翁が命じて、村人たちを次々に崖の上から突き落としている。今度は双子の番だ。2人の少年は、恐怖で眼を大きく見開き、ばるぶる震えながらしっかり抱き合っている。9/29

板橋区から出発した我々は、大草原の高みに立って、地層分析作業に従事していた。それにしても行方不明の板橋君はどうしているんだろう、と案じながら。9/30

 

 

 

また旅だより 07

 

尾仲浩二

 
 

引越しの直前に写真集を売りに横浜へ行って、ふた晩泊まった。
どうせしたたかに飲んで寝るだけだと、いわゆるドヤ街の三畳間。
小さなテレビと冷蔵庫がある、それと薄い蒲団。
床よりも壁が広いこの部屋が妙に落ち着く。
80年代のはじめ、初めて借りた新宿のアパートも三畳ひと間だった。
三日後の引越しには150の段ボール箱を連れて行く。

2019年3月 横浜寿町にて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第69回

西暦2018年長月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

マガジンハウスの編集部で、サワダ選手が「今日はお世話になったのでなんか美味しいものでも食べましょうか」というた途端に、目の前の日程表がずり落ちたので、左隅の画鋲を刺しているうちに、誰もいなくなった。8/1

あわてて部屋を出ると、廊下の片隅でカタギリ社長が、哀しい顔をした女性の面談をやっていたので、「マガジンハウスもリストラで大変なんだなあ」、と思いながら、知り合いのライターと歩いて行くと、向うから「30億がどうのこうの」と言いながらやって来る男がいるので、よく見ると安倍蚤糞だった。8/2

おらっちが出演する2本のダンスショーは、長年にわたって人気を博してきたのだが、いつの間にか、不入りのお荷物プログラムになってきたので、その原因をよく考えてみると、肝心の私自身が、しばらく前から出演していないのだった。8/3

昔とった杵柄で、しぶしぶ広告制作に携わることになった私だったが、元電通のスギヤマ・コータロー選手から巧みにおだてられ、いつしかクリエイテイブ・ハイの高揚状態に突入していったのだった。8/3

猛烈な暑さの中、遠方から帰ってきた彼が杖を突くと、そこから清冽な水が迸り出た。8/4

うちらは、ギリギリまで海で泳いで、濡れた水着のまま駅に行って電車に乗り、みなでワイワイ騒いだので、乗客の顰蹙を買いながら、そのままの格好で帰宅した。8/5

もし火事になると困るので、私らは、その予防のために、5色のションベンを、家のあちこちに、ひっかけた。これで、もう大丈夫だ。8/6

ともかくどのお店でも「ナンバー17」が大人気。すぐに品薄になるので、クレームが殺到します。8/7

もりかけそば屋では、あんこの入った素麵が、飛ぶように売れているようだった。8/8

私設カジノが摘発され、ブルドーザーで完膚なきまでに破壊されたのに、いつのまにか復活して、怪しい賭博中毒者がよろよろしながら出入りしている。8/9

アフリカの女王となった理想主義者の姉は、統治するに際しても理想主義的な正しさを振りかざしていたので、現実派の私は「ネエさん、政治の世界では正しさだけでなく、強さを兼ね備えた正しさでないと無意味だよ」と警告したのだが、聞き入れてくれなかった。8/10

今日は、大学の法文ホールで、学館問題をどうするかについての、大討論会が開催されていたのだが、彼と彼女は、いつの間にか、消えてしまった。8/12

「この橋は、まもなく寿命が尽きることになっておる。ついては、お前たちが、まあそこそこの代わりの橋を、作り直せ」と、お代官様はわしらに命じられた。8/13

「善き牧者の朋」という組織にカンパしたところ、国家警察の忌避に触れたらしく、憲兵どもが自宅に赤紙を張って、外出できないようにされてしまった。8/14

その著名な写真家の作品は、少年期、青年期のみずみずしさ、壮年期の成熟、老年期の枯淡を経て、再び赤子のごとき純朴に回帰していた。8/15

スピロヘータに感染したせいか、私の販売企画は当たりに当たって、どんな階層をターゲットにした商品も無茶苦茶に売れるので、社長も口をあんぐり開けて驚いている。8/16

人気抜群のタロとシロの兄弟は、タロ&シロという有限会社を立ち上げ、郷里から末弟のサブローを呼び寄せ、3人トリオのコントとお笑いで、しばらくの間一世風靡した。8/17

暑苦しいので、真夜中に雨戸と窓をあけていたら、私は、網戸を持ったまま、2階から落下してしまったよ。8/18

暴れん坊は、大暴れしていたが、さしもの暴れん坊も、「お前の父母を捕まえた」と、ラウドスピーカーで伝えると、すぐに観念し、武器を捨て、両手を挙げて投降してきた。8/19

全国中学生ブラバン大会に出場する、地元のチームの連中が、なぜだか私の部屋に、全員潜りこんできたので、激しく戸惑っているわたくし。8/21

この海に突き出た小さな岬には、時々観光客が訪れるのだが、なかには、最先端の岸壁の岩陰に隠れて、夜を待つ恋人たちもいるので、彼らを見つけて、岬の外に連れ出すのが、私の仕事だった。8/22

また戦争が始まったので、三越のライオンや五輪の金銀銅のメダル、一本刀土俵入りの刀など、金目のものは、ことごとく供出を命じられている。8/23

奥の四畳半で休んでいると、青白い顔をした少女がやってきて、フラフラしているので、横抱きにしてやると、そのまま、ぐっすり眠り込んでしまった。8/24

ギリギリ国に入ると、多くのギリギリ人たちが、猛烈な頭痛と歯痛と咳に悩まされ、「もうもう堪りません。この頭を無くしてください!」と頼むので、私は大きな鉞で、バッタバッタと、ちょん切ってやったんだ。8/25

ギリギリ人たちは、今度の核戦争では、一瞬のうちに苦痛なしに焼き殺されることを熱望していたので、敵軍の原水爆投下推定地から遠ざかることを、いさぎよしとしなかった。8/25

地下観光ツアーAチームの案内役はマエダ嬢、Bチームのそれはアオキ嬢だったが、突如通信障害が起こって、双方との連絡が取れなくなったので、急遽私が、救助チームを編成して、真っ暗な地下道を手さぐりで降りていった。8/26

氏は、今年いっぱいまでの連載物の記事も、まだ依頼されていないその続編の一年間分の原稿も用意したまま、突如として身罷ったのであった。8/27

ルック社のMD担当は、いくら注意しても、去年と同じ色柄デザインを提案してくるので、伊瀬丹のバイヤーたちも呆れていたが、後に社長になった企画担当者は、「ふぁあちょんなんて毎回変えても、所詮同じようなものでさあね」、と澄まし顔で居直っていた。8/28

ジャック・ブレルの持つライカは、その時微かにブレたのだが、それが決定的瞬間を作り出すことになったのだ。8/30

私が持っているシャネルのドロップドレスは、ちょっと動いただけでずり落ちそうなので、腰から下に袴をはいて歩き始めたら、LaLaLandの連中が、私の周りでポンポコリンを踊り出した。8/31

 

 

 

また旅だより 06

 

尾仲浩二

 
 

三十年以上も前に新宿で撮った写真を新宿のバーの壁に並べた。
ここではサントリーホワイトと決まっている。
それを新宿の水道水で割って飲む。
旨いとか、これでなければというわけではない。
これを飲んで育ってきたのだから、これからもこれを飲む。
飲めるといい。

2019年1月 新宿ゴールデン街にて

 

 

 

 

ズビズバー パパパヤー

音楽の慰め 第32回

 

佐々木 眞

 
 

 

カツオ「ねえねえ、NHKってまた偽ニュース流したんだって?」

のび太「へええ、ほんとかなあ。誰が言ってるの?」

しずかちゃん「トランプさんよ」

くまモン「でもあのひと、偽大統領なんだよ。知らなかった?」

シャイアン「へえー、そうなんだ」

トト子ちゃん「安倍さんも偽総理大臣なのよ」

おそ松「へえー、そうなんだ。知らなかったなあ」

ワカメ「ISって、偽イスラム国のことでしょ?」

サザエさん「そうよ。満洲国も偽満洲国なのよ」

イクラ「バブー」

イヤミ「ところで、あんた、誰?」

チコちゃん「あらま、わたしのことを知らないの。ボーっと生きてんじゃないよ」

ガチャピン&ムック「こいつ、偽チコちゃんさ」

チコちゃん「平成が終わったら、あんたらは死ぬといい。あんたらの死は近いぞ」

伴淳「アジャパー!」

アチャコ「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」

黒柳徹子「チコちゃん、あーた、そんなひどいこと言うと、死んでも『徹子の部屋』で追悼してあげないわよ」

左ト伝「ズビズバー、パパパヤー、やめてケーレ、ゲバゲバ」*

 

 

*『老人と子供のポルカ』

作詞作曲/早川博二 歌/左ト伝とひまわりキティーズ

 

 

 

また旅だより 05

 

尾仲浩二

 
 

吉野は思いのほか遠く冬の陽はすぐに山の陰に隠れてしまった。
どこまで続くのか不安になりながら川沿いの長い商店街を歩く。
人どおりはなく店もほとんど閉まっている。
すっかり凍えてしまったし写真は暗くてもう写らない。
とっぷりと暮れた頃ようやく道は終わりになった。
急ぎ足で駅に戻ると一軒だけ食堂が開いていた。
鍋焼きうどんでビールの年の瀬。

2018年12月25日 奈良県吉野町にて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第68回

西暦2018年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

不思議なことだ。あんなに滅茶苦茶に汚れていた部屋が、私がベッドで眠っている間に、塵一つない整然としたピッカピカの部屋に、生まれ変わっていたのだ。7/1

さるアーチストから連絡が入って、開場寸前の展示会の出品商品を、急遽差し替えることになった。差し替え品には、赤いシールを張り付けることになったのだが、すでに全商品に貼ってあるので、どうしていいか分からず、スタッフは大混乱に陥った。7/2

ラフマニノフの8枚組CDの廉価盤が、タワーとHMⅤの両方から出ているのだが、どちらが安いのかが分からないので、どっちに発注しようかと、迷いに迷う愚かなわたし。7/3

私のライバルの辣腕女プロデューサーは、とても陰険な女性で、上司やスポンサーに、私の悪口をさんざん吹き込んだので、最近はさっぱり仕事もなくなった。このままでは、首を斬られてしまうにちがない。7/4

今夜は満月なので、ドビュッシーが「月の光」を弾いたり、「月光の会」の面々が、月に向って、なにやら叫んでいるようだ。7/5

モザールの「フィガロの結婚」の第4幕の演奏中に、突如R.シュトラウスの「薔薇の騎士」の第3幕が乱入してきたので、オペラハウスは大混乱に陥った。7/6

安倍蚤糞が、国民に薬品の売れ残りの在庫を買い上げるよう、町内会を通じて強制割り当てしてきたので、頭にきた一部の民草は、ついに武装蜂起して蚤糞夫妻を血祭りに上げた。7/7

岩波書店から、子規の3面立体漫画が発売された。1点を中心として3方向に展開される絵巻物なので、3人が同時に読めるが、1人の人が、全部を読み終わるのには、時間がかかる。7/8

その時、俄かに美しい旋律が、私の脳内に湧きおこったので、私はこのメロディを伴奏にしながら、キャメラがヴェネチアの浜辺で遊ぶ幼子の上を、アドリア海に向かって前進していく映像を思い浮かべ、恍惚となった。7/8

確かここら辺に、ワーナー映画の新社屋があるはずだと思って、ビルジングの裏表を歩き廻るのだが、第3次世界大戦後の銀座は、すっかり様子が変わってしまったので、なかなか試写室に辿りつけないでいる。7/8

一度語られた文章は、ただちに一枚の平面と化してしまう。それを、私の手を使ってぢかに修正することは無理なので、器具を用いて、周囲から削ったり、付け加えたりすることしかできない。7/9

ローマでは、(私はまだ行ったことがないのだが)、ホテルのレストランの有名シェフに懇意にしてもらったが、別れしなに「今度来るときは、パイオニアの営業マン抜きで、直接私のところに来なさい」と囁いた。7/9

ここ中国だか、アラビアだかのホテルでは、何を頼んでも、3羽の鶏を持ってくる。赤、青、白の鶏たちは、その3色の組み合わせを巧みに利用して、(私らのリクエストに応えたり応えなかったりしながら)、卵や、オムレツや、スープや、卵焼きなどを、産み落とすのだ。7/10

この魔法のホテルでは、お客が困ったときに備えつけの「アラジンランプ」を押すと、ただちにアラジンが出てきて、いかなるリクエストにも応える、というので、世界中にその名を知られていた。7/11

「どっちにしても、ナミさんは、ミチオについて行ったんですよね」と、その小説を読んだ生徒は、短い感想を述べた。7/12

「大声でしゃべると、それだけで爆発するおそれがある」、というので、わたしらは「ダイジョウブ、ダイジョウブ」とささやきながら、人質の全身に巻かれている爆弾爆発誘導ロープを、ゆっくりゆっくり解いていった。7/13

国民は、国の命令で、おおかたのデータを自発的に抹殺したが、ハメ撮りの生動画だけは残して、ひそかに天井や床下に隠匿した者が多かった。7/14

家族共同で制作した、手作り絵本のダミーを、らんか社のタカハシ社長のところへ持参しようか、それともやめようか、と、悩みながらまんじりともしない間に、夏の熱帯夜は明けていった。7/15

真夜中に物音がするので、階下に降りてみると、ケンの友達のタカギ、オオキ、ヒデポンなど数名が、捨て犬ともども、我が家のタタキに寝転んでいた。7/16

百貨店との取引の改善について、一知半解のうろんな言説を唱えたら、大勢の知人から反論が殺到して、冷汗三斗だった。7/17

韓国へ行った時に、赤い壺をお土産にして「これは、日帝が朝鮮半島を侵略したおりの、血染めの壺だよ」と説明したのだが、誰も喜ばなかった。7/18

私は、その超大物ⅤIPの殺害に失敗した。しかし、その後ある女が、そいつを見事に仕留めたのだが、官憲に逮捕され、裁判の結果、ただちに死刑に処されてしまった。7/19

こないだやっつけたはずの男が、まだ生きていて、部落ではたったひとつしかない、泉の水を飲ませろ、というたので、問答無用と、カノン砲で粉砕してやった。7/20

何とかして、その女の気を惹こうと、いろいろ働きかけたり、欲しいというものは何でも買い与えたが、それがすべて逆効果となり、彼女は、若い男の誘いに乗って、どこか遠いところへ逃げて行った。7/21

胸を張って、「私は、常に自分に嘘のない仕事をしてきたつもりです」と語るサクライ氏の背後の塀のブロックには、彼のこれまでの業績が、具体的かつカラフルに、一枚一枚表示してあった。7/22

わいらあ、すべてをみそなわす、在天の法王様の軍隊によって、ギタギタに粉砕されてしもうたんや。7/23

私が、早撃ち王であることを自覚したのは、たまたま出場した、村の早撃ち大会で、優勝してからのことだった。7/25

東京から大阪に出張したら、予想以上の暑さなので、熱中症になってしまい、白昼の太陽がくわっと照るつける御堂筋を、よろよろ歩いている。このままでは、死んでしまうに違いない、と思いつつ、それでも、よろよろ歩いている。7/26

東京駅からスカ線に乗って、鎌倉まで帰ってきた私は、網棚から荷物を降ろそうとしたのだが、同じような紙袋が、ぎっしり横一列に並んでいるので、どれが私のペーパーバッグなのか、てんで分からない。はてさて、困った困った。7/27

オペラハウスに入ると、座付きの管弦楽団が、マーラーの最後の交響曲を演奏していた。ただ私ひとりのために。7/28

世の中がだんだん不景気になってきたので、わが社では、請求書の金額欄を3行にして、1行目は本体価格、2行目は消費税、3行目はカンパ指定金額を書くことにした。7/29

あれから30年、僕はすっかり腐敗堕落したカメラマンになり下がってしまい、顧客がリクエストしたものを、そのとおりに撮影するだけの、ロボットのような存在になってしまった。7/30

あまりにも暑いので、これはもしかすると熱中症で死んでしまうぞ、と思いながら寝ていたら、誰かがエアコンのスイッチを入れたようで、部屋の片隅から涼風が入り込んできたので、一息つくことができた。7/31

 

 

 

東京のまん中にある空虚な場所

音楽の慰め 第31回

 

佐々木 眞

 
 

 

東京のまん中にある空虚な場所が、ようやく民草に返還されたので、長らく皇族だけの特権であった乾門の紅葉などをはじめて見物してから、御成門に廻り、そこからまっすぐ東京駅に向かいました。

駅の上の煉瓦色のホテルが、私ら夫婦の定宿です。
部屋の窓からは、むかしこのホテルの216号室に住んでいた江戸川乱歩のように、8つの干支のレリーフに飾られた天窓付きのドーム、そしてその下に広がる大きなホールを見下ろすことができます。

大勢の人々が旅立ち、あるいは、さんざめきながら、帰ってくる。
私は、彼らがいそいそと改札口を出入りしている姿を、眺めるのが好きなんです。
それ自体が、さながら一幅の絵、あるいは舞台で演じられる無言劇のようにおもわれるのです。

そういえば昔から、このホールではさまざまなコンサートやお芝居、ライヴやパフォーマンスが行われてきました。
今宵はそんなお話でもいたしましょうか。

コンサートの中で特に印象に残っているのは、dip in the pool(ディップ・イン・ザ・プール)という男女2人組の演奏です。
ボーカル担当は、若くて、すんなり痩せた背が高い女性でしたが、その声は繊細で、文字通り“水の中に溶け入るような”あえかな響きでした。

ところが、なんてこった!
彼女が歌っている最中に、心ない罵声が飛んだのです。「これでも音楽か!」というような。一瞬にして氷のように緊張が張りつめたホールに、静かな、けれども凛とした女性の声が響き渡りました。
「すべてのみなさんに、気にいってもらえないかもしれません。でも、これが、私たちの音楽なんです」

するとどうでしょう。
ホールには、たちまち彼女を励まそうとする声が飛び交い、少しは余裕を取り戻したのでしょうか、彼女はかすかに微笑んで、再びプールの中へ、まるでオフィーリアのように、ゆるゆると沈んでいったのでした。

さてそうなると、もっと過激なミュジシャンの、激しい怒りに触れた日のことも、思いださずにはいられません。

青森生まれのそのフォークソング歌手は、彼の得意のギターの弾き語りで「開く夢などあるじゃなし」という怨歌を、強い感情をこめて唄っていました。

しばらくして勤め帰りに一杯やったとおぼしきリーマンたちが、あざけるような笑いを洩らした瞬間、彼は歌うのをやめ、彼らを睨みつけると、青森訛りの押し殺したような低い声を、濡れた雑巾のようにぶつけました。

「俺の歌が気に入らないのは、構わない。しかし俺は、君たちに尋ねたい。君たちに、君たち自身の歌はあるのか?」

たちまちにして凍りついた会場の、一触即発の異様な雰囲気に耐えきれず、リーマンたちはこそこそと退散してしまいましたが、半世紀以上も前に放たれた、「君たちに君たち自身の歌はあるのか?」という彼の問いかけは、その後も不意に蘇って私の胸を刺すのです。

でもその反対に、いま思い出しても胸の中が明るくなるような、楽しいコンサートもありました。アメリカからやってきたNYフィルが、陽光眩しい夏の昼下がりに行った演奏会です。

7月4日はアメリカの独立記念日で、全米各地でパレードやお店のセールやお祭り騒ぎが開催されるのですが、たまたまちょうどその日に演奏旅行をしていたアメリカ・ナンバーワンのオーケストラが、このホールに立ち寄ったというわけです。

本当は人気者のバーンスタイン氏が来日する予定だったのですが、突然キャンセルとなり、ピンチヒッターに立ったエーリッヒ・ラインスドルフという年寄りの、しかし溌剌とした指揮者が、私たち聴衆に向って語りかけました。

「ご来場の紳士淑女の皆さま、本日は私たちの国の独立記念日です。そこで演奏会のはじめに、まずこの曲をお聴きください」
いうやいなや、楽員の方を振り向いて指揮棒を一閃。ホールに洪水のように流れてきた音楽は、スーザの「星条旗よ永遠なれ」でした。

その日のプログラムも、その演奏もすっかり忘れてしまった私ですが、ラインスドルフの颯爽たる指揮ぶり、そしてスーザのマーチの、あの前へ前へと進みゆく重戦車のような咆哮は、いまだに耳の底に残っており、「ああ、これがアメリカの能天気なんだ」と妙に納得させられたことでした。

やはり所もおなじ大広間に、昔懐かしいヒンデンブルグ号が、超低空飛行で飛び込んできた日のことも、忘れられません。

誰彼時ゆえ、上手なかじ取りが、舵を繰りそこなったのでしょうか?
海の外から何カ月もかけて東京にやってきた巨大な飛行船が、何を血迷ったのか、このホールに迷い込んできたのです。

慌てふためいたヒンデンブルグ号は、なんとか出口を探そうと前後左右に身もだえするのですが、そのたびに膨らんだ船体のどこかが壁にぶつかって大きな衝撃を受け、いまにも墜落しそうになります。

やがてようやく体制を立て直した飛行船は、まるでシロナガスクジラが、閉じ込められた内海から逃れるように、よたよたとホールの外へよろめき出ましたが、おそらく船長さんは、自分たちのことをクジラではなく、井伏鱒二の小説に出てくるサンショウウオになってしまうのではないか、と思ったに違いありません。

さて今夜は、いま話題のはあちゅうさんが、AV俳優のご主人に抱かれるかも知れない!という興味津々のライヴがあるようですが、いかがいたしましょうか?
乱歩のように、カーテンの陰から覗くべきか、はた覗かざるべきか、悩ましい選択に迫られそうです。