「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第67回

西暦2018年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

原宿本社の5階のエレベーターの前に、伊オリベッティ社のタイプライター、レッテラブラックが捨ててあった。持って帰ろうかなとも思ったが、それがアメリカのボビーブルックス社と提携しているルック社の長老の愛機であることを知っていたので、私にはできなかった。6/1

夕方の退社時間に、大手町のビルヂングを訪れると、無数のリーマン諸君が、どういう訳かエレベーターにもエスカレーターにも乗らずに、9階から地上階に通じている階段に殺到しているので、私もその真似をしてみた。6/2

次々にやって来るリーマンたちは、一丸となって、雪崩を打って猛烈な勢いで下へ下へと落下していくのだが、その疾走感と墜落感が混淆して、堪らない恍惚と酩酊を生み出すのである。私らはそれをもう一度体感したくて、もう一度エスカレータで9階に戻り、階段墜落に参加するのだった。6/2

ともかく各ブースの一番乗りを目指していたのだが、すべてのブースの先頭に、同時に存在することはできないので、結局僕たちは、会場のあちこちを懸命に駆けずり回っているにすぎないのだった。6/3

「今日は最大の勝負どころになるので、夜はたぶん野宿することになるぞ」と脅かしたら、若いネエちゃんが、さめざめと泣きだした。6/4

おらっちが病気で休んでいる間に、会社は4名を採用し、うち1人はおらっちが担当していた、サッカーで例えると、ボランチ的な職種を担当しているそうだ。6/5

彼女の誘いに乗って、渋谷からバスに乗って、どこかの駅まで行って、どこかの店に入って、白い布のついた洒落た木造の椅子を見つけた彼女が、「買おうかしら、それとも止めようかしら」と私に相談してくるが、私は別にどうでもよくて、ベランダのところで蕩けるような接吻を交わす。6/5

部下のタカハシが、私に無断でダーバン社に提案したディスプレイ案は、古今東西の女優のブロマイドを服の周りに張り付けるという阿呆らしいものだったので、案の条、常務のワタナベがワンワン噛みついてきた。6/6

僕らのラストアルバムである「そして緑の樹木は燃え」は、まだ2曲しか完成していないので、あと2,3曲追加しなければならないのだが、すぐに出来そうにみえて、なかなかできないので大いに焦っているわけ。6/7

花形スタアはんの雇われ運転手の私だが、スタアはんを待っている間に、およそ20メートル向うに貼ってある、安倍蚤糞のポスターめがけて石を投げたら、みな命中するので、あっという間に人だかりがして、なかには小銭を恵んでくれる人も現れた。6/8

わたしら民草が、浮沈する位置は一定しているのだが、インフレとかデフレになるたびに、5センチから20センチ間隔で上下するので、その都度、元の位置にまで自力で戻らなければならなかった。6/9

その女は、「いつまでにその準備をすればいいのか、教えて下されば、あなたと一からやり直して完成させます」と、堅い決意を披露するのだった。6/10

その庭園内にある中華料理屋は、浅い池の上に建てられていたので、床板の下を覗くと、浮草の間から、白くほとびた麺や、喰いかけの餃子や、錆びた鍋釜などが見えるのである。6/11

セイさんや、カワムラさん、ウジさん、死んだムラクモさんなど、昔の宣伝部の面々が勢ぞろいしているのに、誰もが押し黙ったまま、朝夷奈峠に至る曲がり道を歩いていた。これは誰かの葬列か? 6/12

キャメラは、どんどんブラに向って迫っていき、最大限にアップしたところで、しばらく考え、一転して、今度は猛烈な勢いで引いていった。6/12

暮れの東京駅の大丸の投げ売りフェアで、酔っ払ったヨッサンと一緒に、「家具あれこれ一式5千円セット」を買ったら、これがまあ、どうしようもない、とんでもない代物ばかりで、家族の顰蹙を買ってしまった。6/13

私は五臓六腑が育んでいる言葉を欲していたので、それぞれの臓器を、傍にある墓石に擦りつけながら、臓器が内蔵する言葉を、ムギュギュッと絞り出して、お気に入りの文化学園大学の手帖に記入していった。6/14

この風呂敷の中には、何が入っているのか?と、怪しみながら開いてみると、せごドンの大きな首だった。6/14

「乾坤」という大仰な文字が、立ち上がった飛車角のようにどんどん迫って来るので、私のささやかな夢は、たちまち崩壊してしまった。

その男は、紙つぶてをボールのように扱って、青空に向かって放り投げ、受けとめては、また放り投げていた。6/15

「また一人、優しい人が、死にました」という句を、ゴルゴタの丘に建てると、その5・7・5の区切りを体現するかのように、3人の十字架が現れた。6/15

宣伝部は本社にしかなかったのだが、事業部が遠方に拡散するにつれて不便になったので、急遽事業部内に支部を設けて、それぞれの業務に必要な宣伝販促活動に従事するようになったために、本社の宣伝部は、次第に有名無実の存在になっていった。6/16

リーマンを辞めて、詩人になったサトウ氏と偶会したら、新しい名刺を頂戴したのだが、そこには「Amazon123.comCOE」と大書されていたので、私は「あのアマゾンの!」と、驚くばかりだった。6/17

「きみきみ、あと1週間ほどで宇宙船がやって来る。それまでこの星で待っていれば、一緒に地球へ帰れるよ」と、その男は教えてくれた。6/18

「おい、お前は金なんかないんだから、そんな無暗に高いだけのスーツなんか買う必要はない。もっと節約しないと、年金どころか税金が払えないぞ」と説教したのだが、そいつは柳に風、馬に念仏だ。6/19

私の左隣の青年は、生物工学専攻の学生で、右隣りは高名な人文学の博士だったが、彼らに挟まれて座っている私は、何者でもなかった。6/20

村の議会で、おじさんが、「クリンしてからトゥクリンしてクリンアウトせんけりゃならん」と演説した途端に、檀上に警官が駆け上がって、「弁士中止! 弁士中止!」と絶叫した。6/21

私たち夫婦が住む家に、どこからか若い娘が転がり込んできたので、同居していたのだが、それが大いなる災いをもたらすことになるとは、当時は誰も思わなかった。6/22

私は超満員電車の中で、どういうわけだか、若い女性とがっぷり左四つで抱き合うようなかたちになってしまい、電車の振動と共に激しく揉み合っているうちに、珍しくも下半身が硬くなり始め、あれよあれよという間に、イってしまったああ。6/23

アフリカ人で黒人の私が住む国では、初めての民主的な大統領選挙が行われ、軍部の与党候補者が、私らが推薦する野党の民間人に大敗したので、村は朝から、お祭り騒ぎなのだ。6/24

さる女流評論家に拾われた浮浪児の私は、彼女の膨大な洗濯物をキロいくら、日々のポートレートを1Pいくら、といった具合に請け負うことで、はじめて自活できるようになった。6/26

三食昼寝付きで、ホテル並みの至れり尽くせりのキャンプ地、という触れ込みだったが、いざ現地を訪れてみると、飲み食いできるものは、なにひとつなかったので、私らは、朝から晩まで狩りをするほかなかった。6/27

コピーライターのアオキさんと、海外担当のカナガワ君、そして私の3人で旅をしているのだが、裸馬の大群が、怒涛のごとく疾走している。どうやらここは、アメリカの西部のあらくれの地らしかった。6/28

ジャングルの中では、赤くて丸い実を食べる。私は、それを絵に描いた。6/29

私は自費出版某社のライターだったが、自叙伝の作者と私の間に、変質狂的な編集者が絶えず介在して、取材や執筆の邪魔をするので、頭にきて抛り出したら、それ以来ぷっつり仕事の依頼が来なくなった。6/30

 

 

 

長尾高弘著「抒情詩誌論?」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 

 

「抒情詩誌論?」という不思議なタイトルがつけられていますが、著者も腰巻で談じているように、別にいかめしい詩論とか格調高い論考なぞではまったくなくて、あえていうなら、「ただの詩集?!」ですので、良い子の皆さんは、けっして敬したり遠ざけたりしてはなりませぬ。

実態はその逆で、まことに口当たりがよくて読みやすく、これほどノンシャランでとっつきやすい詩集なんて、いまどきどこを探してもないでしょう。

それは著者が、普段通りの話し言葉、ざっかけない日常の言葉で、読者に向って、(というより著者自身に向って、かな)語っているからなのですが、かというて、その語りかけや自問自答の内容がつまらないとか面白くない、なんてことはさらさらないのが、私としては不思議なくらいです。

著者の飾らぬ人柄にも似て、さりげなさの中に人世の信実や知恵がくっきりと浮き彫りにされ、独特の滋味やユーモアが漂うという、そんなまことに味わい深い玄妙な詩集。
あえて言うなら「現代詩」に絶望している人に薦めたい1冊です。

ではいったいどんな詩集なのかと迫られたら、ぜひ「らんか社」のたかはしさんに電話して、実物を取り寄せて読んでみてほしい、と答えるしかないのですが、とりあえず「ものづくし」という定義集のような作品の中から、いちばん短いのをご紹介して、おしまいにしたいと存じます。

「サンドイッチ」
足を伸ばして寝ていたら、
ふとんごと食われてしまった。

さて、久しぶりに素敵な詩集を読んだおかげで、私も久しぶりに抒情詩ができました。
ありがとう、長尾さん。

「パンドラの星」

昔むかしあるところに、1人の詩人がいました。

地上では誰ひとり自分の詩を読んでくれません。
はてさて、どうしたらいいだろう?
いろいろ夜も寝ないで考えていると、突拍子もないアイデアがおもいうかびました。

地球がダメなら宇宙があるさ。
宇宙ロケットで詩集を打ちあげたら、もしかして水星人やら金星人、火星人、木星人たちが読んでくれるのではないだろうか?

そこで詩人は、毎晩毎晩夜なべして、糸川博士にならって超ローコストなペンシルロケット作りに熱中しました。

構想1秒、実践3年。
先端部に「らんか社」から刊行された500部の処女詩集「これでも詩かよ」を搭載した「あこがれ」1号が打ち上げられたのは、西暦2020年、十五夜のお月さまが東の空に皓皓と輝く師走の夜のことでした。

「あこがれ」は、秒速20キロの速度で大気圏を離脱し、長い長い航海に旅立ちましたが、やがて35億光年の彼方に到着しました。

そこでロケットが、あらかじめセットされていた通りに先端部の蓋を開け、500部の詩集を広大な真空地帯にまき散らすと、まっしろな詩集たちは、無明長夜の闇の中を、白鳩のように羽ばたきながら、パンドラ銀河団めがけて舞い降りていきました。

詩人の処女詩集「これでも詩かよ」が、パンドラの箱文学賞を受賞したという第一報が、超長波電磁波に乗って地球に到着したのは、それから間もなくのことでしたが、残念なことには、その地球も、その詩人も、もはやこの世のものではなかったのでした。

 

※らんか社ホームページ
http://www.rankasha.co.jp/index.html

 

 

 

さとう三千魚詩集『貨幣について』―外に出ろ

 

長尾高弘

 

さとう三千魚さんの『貨幣について』をまとめて読んで、叙事詩の一種のような感じがした。
「まとめて読んで」というのは、その前にバラで読んでいるからだ。彼の詩にはすごいリズムがあって、そのリズムだけで何も考えなくてもこれは詩だと思ってしまう。私はちょっとそこのところで壁にぶつかって先に入れてなかったような気がする。

彼の詩は、たぶんまずTwitterやFacebookで断片的に一部が現れ、ひとつのまとまりになったときに改めてTwitterやFacebookに発表され、ほぼ同時に彼が主宰しているネット詩誌の「浜風文庫」に掲載されるのだと思う。私はFacebookで直接かFacebookでの告知によって「浜風文庫」でかといった形で、この本のかなりの部分をすでに読んでいるはずだ(申し訳ないけど、しっかりと追いかけて全部読んでいたわけではなかった)。

そのようにバラで読んでいた『貨幣について』の諸篇(つまり、詩集で番号が付けられている2ページから4ページほどの塊)は、これからいつまでも続くんじゃないだろうかと思っていた前の詩集『浜辺にて』の諸篇が「浜風文庫」からすーっとフェードアウトしてから、当たり前のように、それまでと同じもののように登場していた。少なくとも、ぼんやりしていた私にはそう見えた。

ところが、まとめて読んでみると、『浜辺にて』と『貨幣について』はまったく違っていたのである。単純に言って、『浜辺にて』は一つひとつの塊の独立性が高かったのに対し、『貨幣について』は塊が時間とともに数珠つなぎにつながっている。実際には『浜辺にて』の諸篇もまったくバラバラだったのではなく、時間に沿って間歇的につながっていて複雑な織物をなしており、中身をランダムに並べ替えられるような本ではなかったが、『貨幣について』は、それこそ「貨幣」という言葉を芯として40篇がしっかりとつながっている。うかつにも、私はまとめて読んでみるまで、そのことに気付かなかったのである。

しかし、本当の意味でこの長篇詩の叙事性に気付いたのは、それからさらに何度か読んでからだと思う。もちろん、今でも全部に気付いているわけではないだろうが、少しずつわかるところが増えてきて面白くなってきているところだ。

最初は、「貨幣」というテーマが天から降ってきたかのような印象を与える「どこから/はじめるべきなのか//知らない//どこで終わるべきか/知らない」という5行で始まっている。01から04までは、参考書からの引用なども多く、お金についての観念的な思考で堂々巡りをしているように見える。

05からは、「わたし」が出てきて、生活のなかでのお金との関わりを記録するところから出直している。食事の代金やタクシー代の具体的な数字が生々しくて面白い。当たり前の日常のようでいて、さとう三千魚という個別性をはっきりと感じる。一方で、07、08の文化の日や12の写真展、14の猫との暮らしのエピソードなどで、お金の安定性(01、02の「すべてのものが売れるものになり/すべてのものが買えるものになる」という言明に現れているもの)にちょっとした動揺が起きる。16の休日出勤と差入れはさらに微妙な動揺である。

そして17でついに磯ヒヨドリやカモメを指して「彼らは貨幣を持たない/彼らは貨幣を持たない」という言葉を書きつける。このあたりから、話の展開が一気にスピーディになる。それまでもさんざん酒を飲んでいたさとう氏だが、18ではちょっと度を越してしまう。「新丸子に帰って/スープをあたためた//深夜に目覚めた//スープは焦げていた」というのだから、一歩間違ったら火事になっている。安定性からかなり外れてきた。

そして19では、この焦げたスープから、「貨幣も焦げるんだろう//貨幣も燃やせば燃えるんだろう//貨幣を燃やしたことがない/一度もない」という思考が生まれる。生活のなかで見たものから貨幣についての新しい思考がふつふつと湧いている。だんだん、詩の動きが激しくなっていくように感じるのは、ちょうど半分くらいたったこのあたりでそのような思考が生まれ始め、それ以降、そのような発見が次々に湧いてくるからだろう。何しろ、19の後半では、通過する貨物列車を見ながら、「貨幣は/通過するだろう//貨幣は通過する幻影だろう//消えない/幻影だ」と呟いており、矢継ぎ早に新たな思考が生まれているのだ。こういった思考は、比喩的思考、つまり詩的思考と言えるだろう。

やがて、彼はショウウィンドウの老姉妹(の人形?)を見て、「貨幣は/この老女たちを買うことができるのか?」と言い出す(21)。先ほども引用した冒頭の「すべてのものが…」とは大きな違いだ。そして、日野駅で見た雪を思い出し、「ヒトは/雪を買わないだろう」という確かな考えをつかむ(23)。さらに、ライヒの「Come Out」、つまり「外に出ろ」という曲から、「貨幣に/外はあるのか//世界は自己利益で回っている」という重要な言葉を引き出してくる。貨幣の世界は、生を捨象した堂々巡りだという認識に達したのだと思う。その「生」を「枯れた花」という死にゆくもので表すところが心憎いところだ。

彼の「貨幣」についての思考はここではっきりとした形をつかんだと言えるだろう。そしてなんと「三五年の生を売る/労働を売る」(36、37)生活から離脱し、老姉妹を見て帰った新丸子から引き上げてしまうのである。そして、熱海駅で倒れ、「ぐにゃぐにゃ揺れ」ながら、「世界」が「高速で回る」ところを見る。「脳は正常なのにエラーを起こすのだと医師はいった」(38、39)。これから本当の闘いが始まるというのだろうか。

叙事詩と言っても、これは英雄が活躍する物語ではない。確かに会社を辞めるのはひとりの人間にとって大きな事件だが、この物語はそれが中心になっているわけではない。ポイントは、『貨幣について』が決して『貨幣論』ではないところ、つまり、思考を生み出した焦げたスープや通過する貨物列車を捨象して、得られた思考だけを積み上げていくテキストではないところにあると思う(だから、貨幣についてのすべてを論じ切っていないと本書を評価するのは野暮なことだ)。時間が流れていて、ひとりの人間のなかでぼんやりとしたイメージでしかなかったものがさまざまなものを触媒として具体的な思想を生み出していく過程を描き出しているのである。たとえば、焦げたスープから燃えるお金をイメージして新たな思考をつかむのは、大げさかもしれないがひとつの事件だと思う。そのような事件の積み重ねが物語を形成している。しかも、事件の一つひとつが詩なのである。

しかし、それだけではまだ『貨幣について』の叙事性について言い足りないような気がする。
普通、叙事詩であれ、物語であれ、そういったものは、描かれる前に大体終わっているものだろう。最終的に書かれた細部までは事前に決まっていないだろうが、おおよその展開はあらかじめ作者の頭のなかに入っているはずだ。しかし、先ほども触れたように、冒頭で「どこから/はじめるべきなのか//知らない//どこで終わるべきか/知らない」と言っている本作は、ほぼノープランで始まったのではないかと思う。

ここでちょっとプライベートな話を挟むことをお許しいただきたい。この長篇詩が書かれる直前、2016年の夏にさとうさんに誘われて、西馬音内のお姉様のお宅にお邪魔して、日本三大盆踊りのひとつである西馬音内の盆踊りを見せていただいた。さとうさんとは、2015年の春に亡くなった渡辺洋さん(短かった闘病期間に生命を絞り出すような3篇の詩を「浜風文庫」に書かれた)の葬儀で初めてお会いし、棺を見送ったあとで『貨幣について』の版元である書肆山田の鈴木一民さん、詩人の樋口えみこさんと清澄白河の蕎麦屋さんで酒を酌み交わして故人を偲んだのだが、そのときにさとうさんが冥界から死者が帰ってきて踊る西馬音内盆踊りの人間臭さ(はっきり言えば猥雑性)について話してくれた。それは是非見てみたいと言っていたのが1年後には実現して、鈴木さんと私とで押しかけてしまったのだが、台風で開催が危ぶまれていた盆踊りを奇跡的に見ることができた夜、それぞれの蒲団に入って電気を消したあと、さとうさんから、定年まで会社に残らず、早期に退職するつもりだという話を聞いた。しかし、それは2、3年先にという話だったように記憶している。だから、その後彼が2017年の3月いっぱいで会社を辞めてしまうと言ったのを聞いて、正直なところちょっと驚いてしまった。

下衆の勘繰りだし、本人に否定されてしまえばそれまでだが、ひょっとして、『貨幣について』を書き始めて、「三五年の生を売る/労働を売る」生活の本質が見えてしまったために、そういう生活と早く決別しようという気持ちになったのではないだろうか。まして、熱海駅での昏倒事件は、本作を始めたときには予想もしていなかっただろう。貨幣についての思考によって昏倒するということではないのかもしれないが、あまりにもタイミングがよすぎる(友だちとしては心配だが)。『貨幣について』に書き記された言葉がさとうさんのライフを突き動かしているような気がする。ロミオとジュリエットも言葉が人生を狂わせる物語だが、本書はあらかじめ筋書きが決まっていたわけではないはずだから、言葉がヒトを動かすという意味ではロミオとジュリエットよりも迫真性が高い。ちなみに、『浜辺にて』は「浜風文庫」の初出からかなり手が入れられているが、『貨幣について』は中頃のごく一部が書き換えられているだけだ。

やっぱりこれは一種の叙事詩ではないだろうか。叙事詩だからどうということはないのだけれど。

 

 

 

また旅だより 03

 

尾仲浩二

 
 

八十年代の終わりに、あの人がいっしょに行こうと言っていたパリ。
その時のためにと少しだけ言葉を教わったりもしたけれど。
時は流れて、今年あの人はフランスから勲章をもらい、
僕はあの頃のあの人の写真をパリのギャラリーに並べた。
三十年が過ぎて、ようやくパリですれ違えたような気がした。

2018年11月9日 フランス パリにて

 

 

 

 

歌の別れ、工藤冬里 詩集「棺」について

 

さとう三千魚

 
 

 


「徘徊老人 その他」


「徘徊老人 その他」

 

2018年9月1日に新宿文化センターで行われた工藤冬里のピアノリサイタル行ったのだが、リサイタルの後に工藤冬里から詩集「棺」をいただいた。
わたしの詩集「貨幣について」をお送りしていたからそのお返しかとも思われた。

工藤冬里の詩集が出版されていることは知らなかった。
奥付を見ると、2012年発行、十六夜書房、初版第三刷となっている。
工藤冬里のファンたちから随分とたくさん購入された詩集なのであろう。

わたしは工藤冬里の音楽は詩であると思っているから、
詩集を出さなくても彼は十分に詩人であると思うのだが、
工藤冬里の「棺」という詩集はこの世にあり、リサイタルから帰って、読みはじめてみたのだ。

わたしはすでに工藤冬里の「徘徊老人 その他」などの音楽を聴いてしまっている。
工藤冬里がソロで行っている音楽や、工藤礼子さんと行っている音楽、マヘル・シャラル・ハシュ・バズの皆さんと行っている音楽、などなどを聴いてしまっている。

わたしはそこに詩を見ている。
最低の人の声を聴いている。

工藤冬里の「棺」という詩集はどのような声を持つのだろうかと思いながら、
詩集「棺」を読み始めてみたのだった。

「棺」は遺体を入れて葬るための箱であろう。

この詩集の奥付の前頁の空白の中に一行「二◯一一年一月〜五月」と記されていて、
この詩集の詩は、東日本大震災を前後して書かれたものであることが解る。

はじめに「遺書 I」「遺書 II」という詩がある。
全文を引用してみよう。

 

・・・・・

 

遺書 I

墓を暴き
骨を洗うな

おれの灰は公衆トイレに流してくれ
どこでもいい
水洗便所に流してくれ

王たちの墓に入れるな

 

遺書 II

死と引き換えにやっと読まれるような
生きている者の
落度だけで
縫われていく
きみのマフラー

生きられる時間は短いので
病の悲惨さを確認するだけで終わってしまうね

総ゆるポジティブな思考は
だから嘘だ

王国の
散見される

手術前の雪の
落葉のようなバスの遅延

 
・・・・・
 

工藤冬里の詩は絶句の後の言葉でできている。
おそらくはこの世で「手術前の雪の落葉のようなバスの遅延」を体験している。

そして、東日本大震災の後の絶句も体験している。

詩に向かう時、わたしたちはあまり語るべき言葉を持たない。
詩は言葉が途切れるところからはじまる行為だとわたしは思っている。
言葉が途切れ絶句するところとは自我から非我に至る場所ということなのだろう。
そこでは、あまり語るべき言葉がないのだ。
語るべき言葉はないが全てが詩だというような場所なのだろう。

詩の言葉はコミュニケーションの手段ではない。
詩の言葉はコミュニケーションから逸脱することができる言葉だろう。
広告屋さんの言葉や政治家さんの言葉とも異なる。
彼らは言葉に効果と結果を期待する。
商品の売り上げを上げること、選挙に勝つこと、など、効果と結果を必要とする。
これまでに随分とたくさん、そんな言葉たちを見てきた。
社会とはそのような言葉で溢れかえっているところだった。
ご苦労さまなことです。

詩の言葉は「作品」でさえないかもしれない。
詩の言葉は絶句の後で自身の肉体に刻む刺青だろう。
それは作品をやめてまで届こうとする最底の人の声だろう。

工藤冬里の詩こそ最低の人の声だろう。

「der Rahmen」という詩の冒頭を引用してみよう。

 
・・・・・
 

既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけが家に帰る
既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけがアルジャジーラのtweetを追う
既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけがyoutubeを眺める
既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけが服を着て座っている
既に滅ぼされている枠だけが座っている
或いは帰らない
或いは帰る家がない
既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけが座っている
場所の問題ではない
墓所の問題なのだ
既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけが座っている
既に滅ぼされている枠だけが座っている

 
・・・・・
 

あの震災の後に残ったのは「枠」だけだったのだろう。
家族写真の額縁の枠であったり津波で流された家屋の基礎部分であったり、やわらかいものを包む枠組みだったろう。
やわらかいものの多くは流されてしまった。
その事実がここでは語られているようだ。

「弁当箱」という詩がある。
ここにもやわらかいものへの言及がある。

 
・・・・・
 

場所がなくなっても妙法がある訳ではない
本当はここで言葉が出るかどうかの実験だったのだ
(いまこの灰色の群集に別れを告げて山に登ったら自然はどう映るだろうか)
最後の歌というものはやはりあるのだ
とうとう歌えなかった背骨の陣営の歌

いつも 二つの場所があると思っていた
いまはどこにもない
ひとりで暮らしていかないと
ひとりで暮らしていくには
詩は浮き上がった剰余なのか
詩は池に浮き上がった剰余なのか
ここからは 本当に 弁当箱の
ようなものを失くすのか

 
・・・・・
 

詩はとうとう死者たちの背骨の陣営の歌を歌えなかったのだ。
詩は、池の底から浮き上がる死体の泡のようなものなのだろうか、
ここから人びとの本当にあたたかい弁当箱のようなものは失われるのだろうか?

工藤冬里は人びとが失ってしまうやわらかいものを掴まえて抱きよせようとしているように思える。
それを人びとは誰でも持っているのに失ってしまう。
歌はそのような別れの後に歌われるエレジーだろう。

最後に「そういう風にして」という詩を全文、引用してみます。

 
・・・・・
 

そういう風にして

そういう風にして今年に入って、ある曜日にある場所である地層から遺書の
ような言葉を出すことを続けてきた。震災の後、東京でもそれが出来る状況
になり、東京から帰って来てからは最早場所は日常全体に敷衍できると思い
始めた。書くことには手続きが必要だ。詩とは言葉を出す場所を決めること
だ。そういう風にして、再びノスタルジーの契機さえ捉えることが出来るよ
うになる。そういう風にして、今日のわたしが昨日のわたしになる。未来は
ないにしても。

 
・・・・・
 

「詩とは言葉を出す場所を決めることだ。そういう風にして、再びノスタルジーの契機さえ捉えることが出来るようになる。そういう風にして、今日のわたしが昨日のわたしになる。」と言われている。

工藤冬里の歌は、そういう風にして、歌われるだろう。

 

 

 

さとう三千魚詩集『貨幣について』を読んで

 

辻 和人

 
 

さとう三千魚さんの新詩集のタイトルは『貨幣について』である。前の詩集が『浜辺にて』という淡々としたものだったので、論文かと誤解させるような観念的なタイトルにはぎょっとさせられてしまう。

このタイトルの秘密は「あとがき」で明かされる。「この詩集の詩は、私の友人で画家の桑原正彦から提示された桑原正彦のエスキースに触発され、二〇一六年一〇月一五日に書き始めて私が運営するWEBサイト『浜風文庫』に連載し、二〇一七年七月八日に完結したものを詩集としてまとまたものです」「桑原正彦から提示されたエスキースの主題は『貨幣』なのでした」「貨幣は私たち人間が生み出した強力な物語なのだと思います」「貨幣は私たち人間が生み出したものであるのに私たちを支配しているように思われます」。

本詩集の外見は白い紙にタイトルと著者名だけを入れたシンプルなものだが、中を開くと、本文の前に数ページにわたって桑原正彦の絵が挿入されている。実はとても贅沢な造りの本なのである。前詩集『浜辺にて』は、移動の最中の何気ない光景を描くことに主眼が置かれていた。スナップショットのように切り取られたそれら「何気なさ」の集積は、人がただ生きている時間があったという事実を端的に伝えるが故に、読者に生きている時間の「かけがえのなさ」を意識させるものだった。今回の詩集は、思い切ったテーマ設定により、生活の中から、「何気なく、かけがえのないもの」に対立する概念を抽出する狙いがあるようだ。

詩集は見開きで完結する40編から成っている。「01」を全編引用してみよう。

 

空白空どこから
空白空はじめるべきか

空白空知らない

空白空どこで終わるべきか
空白空知らない

空白空何処にいるの

空白空きみは
空白空どの部屋にいるの

空白空すべてのものが売れるようになり
空白空すべてのものが買えるようになる

空白空きみの

 

何が始まったり終わったりするのか、「きみ」とは誰か、すべてのものが売れたり買えたりする事態とはどういうことか。肝心なところが省略されており、読者は謎めいた、思わせぶりな問いかけを受け取ることになる。文意を曖昧にするこうした省略や飛躍は詩集のところどころに出てくる。正体はわからないけれど、何かしら薄黒い不気味なものが暮らしの中を横切っているな、と感じさせる。普段は意識されないが、生活の隅々まで支配している貨幣という存在に対する不安感を語っているようでもある。

「03」は、「フラワードリーム」とか「ヘヴンリーピーチ」といった、カタカナの名詞が並んだ後、唐突に、

 

空白空きみは、

空白空すぐにさびついてしまう金属のかけらであったり
空白空いまにも破れそうな紙切れだったり

 

という詩句で締めくくられる。最後の2行は岩井克人著『貨幣論』からの引用であるそうだ。カタカナの名詞は商業空間を象徴するものだ。購買意欲をそそる夢のようなモノたちが、物体としては夢の欠片もないような金属(=硬貨)や紙切れ(=紙幣)と交換されることのギャップを描いているのだろう。

金銭取引について象徴的に描くのでなく、具体的なモノの値段を記した詩も幾つかある。

 

空白空かめやで
空白空冷やし天玉蕎麦を食べた

空白空四百二十円だった
空白空白空白空白空白(「05」より)

空白空それから浅草水口で荒井真一くんと飲んだ
空白空二人で五六〇〇円
空白空白空白空白空白(「09」より)

空白空枝のこだ割唐辛子 一五〇円
空白空うす皮付落花生 一九八円
空白空亀甲宮焼酎金宮 六一八円
空白空白空白空白空白(「12」より)

 

短い一編一編の中で、具体的な数字が記されるとインパクトがある。飲食に関わるものが多いが、生命を維持したり大切な人との交流を深めるといった行為と、支払いという行為は、本質からすれば別々のことであるが、商業空間の中では「対価」という名前で、等しいものとして強引に結びつけられてしまう。おいしい食べ物を前に親しい人と談笑することがどうして「すぐにさびついてしまう金属のかけら」や「いまにも破れそうな紙切れ」と同じなのか。改めて考えると、不思議というか不気味な感じさえしてくるではないか。

お金が関わらないケースを描いた詩もある。「14」は、東京駅のホームで、後ろに並んでいた「猫を籠に入れた婦人」とのひとときを描いた詩。

 

空白空覗き込むと
空白空猫がひとりいた

 

まず、一匹でなく「ひとり」と書くところに、単純に数値に置き換えないぞ、と生き物の命の重さに対する配慮が見られる。そして次のような最終行。

 

空白空婦人は七糯子という煎餅をくれた

 

無償で菓子が手渡される。この一行だけを見ると何ということはないが、値段の数字の羅列の後に目にすると、無償で手渡すという行為が、いかに人間の情愛の本質に根差したものであるかがわかる。

「17」では更に踏み込んだ見解が示される。日曜日に海辺を歩いた

 

空白空磯ヒヨドリは弾丸のように飛ぶ
空白空カモメは群れて遊ぶように飛んでいる

空白空彼らは貨幣を持たない
空白空彼らは貨幣を持たない

 

言語を持たない動物には、貨幣を介したつきあいという考えがない。作者は鳥たちの行動の直截性に打たれる。「彼らは貨幣を持たない」のリフレインは、作者が貨幣に縛られない彼らの自由な飛翔を歌のように感じていることを示している。

「貨幣も/焦げるんだろう」で始まる「19」は、新幹線に乗りながら、ふと貨幣を燃やすことを思いつくという詩。

 

空白空駅のホームで
空白空過ぎていく貨物列車を見ていた

空白空貨幣は
空白空通過するだろう

空白空貨幣は通過する幻影だろう

 

貨幣は具体的なモノやサービスのメタレベルにある、交換の媒介をするだけの存在であり、貨幣経済を信じている者が多いからこそ、つまり幻影だからこそ力を発揮する。そうしたことは論理としてはわかっているが、列車やホームが通過する移ろうような光景を目の当たりにしていると、力はあっても結局それは幻影なのだ、という感慨が深く湧いてくるのだろう。

詩集の後半になると、買えないものについて言及した詩が幾つか登場する。

 

空白空貨幣は亡き者たちを買うことができない
空白空白空白空白空白(「21」より)

空白空萎れた花をヒトは買わない
空白空白空白空白空白(「24」より)

 

この辺りには、現実の人や事物の本質を無視してひたすら利益獲得に精を出す、貨幣の働きに対する作者の苛立ちを感じる。その苛立ちは「29」での

 

空白空貨幣に
空白空外はあるのか

空白空世界は自己利益で回っている。

 

の箇所で極まる。そして「33」の

 

空白空閃光は

空白空言葉の外部にあった
空白空貨幣の外部にあった

空白空閃光は

空白空理性ではないもの
空白空ばかげているもの

 

のような、抽象的で神秘主義的とも取れる、箴言のような表現に行きつく。考えが巡回した末に、一気に突き抜けたところに出たくなったのかもしれない。理性を否定してしまえば、確かに貨幣という概念は消失するが、それは貨幣経済という約束事で動く生活世界を否定することにもつながる。「35」は引っ越しして部屋を引き払うシーンを描いている。

 

空白空絵が架かっていた壁に四角い影が残っていた

空白空影はわたしの債務のようだ
空白空債務はわたしの欲望の裏側にある影絵だ

 

絵があった場所に跡がついただけなのだが、意識が過敏になった作者はそこに「債務」を読み取る。欲しい絵をお金と交換したという欲望の結果が影として残っているというわけだ。意識は更に尖鋭化する。ギターデュオ、ゴンチチが奏でる「ロミオとジュリエット」のテーマを聞きながら、賃労働者として働いてきた「三十五年」を「生を売る」という言葉で総括した作者は、「36」から最後の「40」までの詩で、

 

空白空ロミオは毒を飲んだ
空白空ジュリエットは短剣を刺した

 

と繰り返す。その間に、熱海駅で倒れて病院に運ばれたことも書かれている。ロミオとジュリエットは、自分の死を相手の死と交換したと言える。言わば究極の物々交換だ。そこに貨幣は介在しない。倒れた原因は脳の疾患によるものだ。知性を持つ限り、人間は貨幣という概念から逃れられない。貨幣から逃れるためには、生を終わらせるか(=心中)、思考を停止させるか(=脳疾患)させるしかないのか。最後の作品「40」にはそれに対する返答のような詩句がある。

 

空白空エバは林檎を齧り
空白空柔らかい赤ちゃんを産み育てた

 

林檎を齧ること(=知性、貨幣概念の獲得)と子どもを産み育てること(=知性によらない動物的な生きる力)。人間とは、相容れないように見えるこの2つを共存させ、両立させている、矛盾に満ちた存在ではないか、と作者は問いかけてるように思える。

さとうさんは「あとがき」で「詩は貨幣の対極にあるものなのです」と断言している。貨幣は利益を追求するために生み出された、モノの上にあるメタレベルのモノである。モノとモノとの関係を数値化し、力の関係に置き換える貨幣は、権力という概念と分かち難く結びつき、人間を間接的に支配するものであろう。さとうさんが考える、「貨幣の対極」にある詩は、人とモノ・人と人との直接的な触れ合いを志向するものなのだろう。それは利益という見返りを求めない、その場その時の体験を大事にするものだ。さとうさんが詩作において多用する省略や飛躍、空行の挿入は、詩の言葉をいわゆる「文意」に還元させないようにする効果がある。書かれた言葉を言葉自体として受け止めることを促すことによって、他の何物にも還元できない絶対的な体験・出会いの大切さを噛みしめて欲しいという願いが込められているように思える。その結果、一編一編は謎を孕みながら、全体としては強いメッセージ性を備えた、太い流れを作ることに成功したと言えるだろう。

但し、2つの点で若干不満も覚えた。1つは、お金の使い方として、現金での支払いの例しか描かれていないこと。お金には投資という面があり、それは貨幣のまさに貨幣たる所以を鮮烈に表している。株価や為替の上がり下がりも描いたら面白い詩ができたのではないかと思う。更に仮想通貨や電子マネーをテーマとして取り上げた詩があれば、現代の貨幣の状況がよりリアルに浮かび上がったことだろう。もう1つは、貨幣を「悪者」として決めつけているかのように見えること。確かに、貨幣には支配というベクトルが強く働くが、それによって社会が円滑に回るという面は否定できないだろう。私たちがこれほど豊かな生活を営むことができるのは貨幣のおかげである。寄付金や見舞金で助かる人もいるだろう。本詩集にも定価がついていることだし、お金を使ってこんな素敵な体験ができた、ということを素直に喜ぶシーンがあったら、お金の世界の多様性というか一筋縄でいかない感じを、より幅をもって表現できたのではないかと思った。

さきほど本になった詩集には定価がついている、と書いたが、ここに収められた詩はさとうさんご自身が運営するブログ「浜風文庫」に発表されたものであり、現在もそこで読むことができる。詩集は有料だが詩は無料なのである。発表された作品はツイッターやフェイスブックで紹介され、読者からの感想が寄せられることがある。詩人と読者との関係は、直接的で、対等だ。詩を挟んだ作者と読者の触れ合いは、さとうさんの生きる活力につながっていることだろう。それは「貨幣の対極」にあると言える。この純粋な関係を維持するために、関係を阻害する余計なものを客体視しておく必要があり、詩集『貨幣について』はそのために編まれたのではないかと、私は思うのである。

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第66回

西暦2018年皐月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

私は、突然抽選で選ばれて、ある国の王様になってしまったのだが、どう考えても本物の王ではなさそうなので、あんまり嬉しくなかった。5/1

いつも暇で暇でごろごろしている宣伝課なのだが、急にイマイ課長とか、上司のマエ選手あたりがサンザメいて、ブランド立ち上げの機運がみなぎってきたので、私は、仕方なく部下のサカイ君を叩き起こした。5/2

その展示会では、展示物が一定の間隔を置いて、2次元になったり、3次元になったりするので、観客の関心を集めていたが、ほどなくして、飽きられてしまった。5/3

またしても、いつもの駅に来てしまった。これは何という駅で、どこからどこまで走っているのか分からないが、いつもホームも列車も満員なので、乗ったことはない。今日はホームの誰かが「それでも、就職するならやっぱり電通がいいわね」とほざいておった。5/4

彼ら超エリートたちの趣味と言えば、もう珍しい高価な物を買い漁るようなことではなく、手持ちのお札や、住所や、車や、部屋の番号を、1で揃えることだけだった。5/5

ハバラというその男は、「ササキはん、絶対にこっちから値段を言いださないこと。それがブランド買収の秘訣でっせ。よお覚えときなはれ」と、声をひそめて、さももっともらしく教えてくれるのだった。5/6

とっくの昔に現役を引退していた私だったが、駐車場の開閉と集金の仕事を頼まれたので、これも何かの縁だと思い、受けることに決めた。5/7

いつも夢に出てくる場所で途方に暮れていると、「右側に行けばバッハ坂という駅があるよ」と誰かが教えてくれたので、どんどん歩いて行くと、バッハ坂の広場に出た。駅ビルと思しき建物に入ると、そこは九龍城のような迷路になっていたが、なんとアキレタボーイとオリーヴナッツ嬢に再会した。5/8

私はアキレタボーイなんかには目もくれずに、オリーヴナッツ嬢めがけて突き進むと、彼女は迷路の中を逃げるふりをしながら、立ち止まってちょっと腰をかがめ、身につけていた超ミニスカートをぱっと捲くる。それで私が突進すると、彼女は逃げる。立ち止まって捲る。突進するという具合に、昔のように私を挑発するのだった。5/8

いくら「あっちへ行け」と手を振りながら怒鳴っても、追跡を振り切ろうと全力で走っても、シオミ・ヨウイチ君は、いつも私の傍にぴいたりと張り付いて、微動だにしないのだった。5/9

ダラ幹たちは、政権反対の意思表示として、機動隊への投石でお茶を濁していたが、気鋭の怒れる若者たちは、山村深く入り込んで村人たちを武装させ、いつかある日、首都に進撃する日が来るのを待っていた。5/10

ここは熱海か、それともカンヌか。「海岸の傍の映画館で上映されている日本映画は、かなり面白いよ」と、サイトウさんが言うた。5/11

「今回の広告は、シンプルなモノクロームだけで行こうよ。その方が経費もかからないし」というと、ゼンタロウも「いいですね。そうしましょう」と大きく頷いたのだが、結局普通のカラー広告よりも高くついてしまった。513

妹一家は、大船に住んでいるのだが、私たちは、まだ訪れたことはない。ところが、ある日我が家にやってきた見ず知らずの女が、「さあ、これから妹さんのお宅へ一緒に行きましょう」というので、私らは慌てた。5/14

内戦が激化して、死者がどんどん増えてきたので、私たちは、墓地に逃げ込んで、息を潜めていた。5/15

「月曜に西洋医にかかり、水曜日には漢方医にかかって、両方の医者の言う通りにすれば、たいていの病気は治ってしまいますよ」と、その中国人は宣うのだった。5/16

友人に誘われてある会に出たのだが、見知らぬ人ばかりで途方に暮れていると、「さあ、今度はあなたの番ですよ。お題の1句はできましたか?」と、リーダーらしきおっさんが迫る。どうやら吟行句会にまぎれこんでしまったらしい。5/17

毎年5月になると、私は昔取り残した5つか6つの単位を取得しなけねばならないという強迫観念に取りつかれて、仕方なく大学へ行くのだが、その課目は今では存在せず、担当の教師も、とっくに泉下の人となってしまっているのだった。5/18

カウンターの右端にいた小林秀雄が、「このトロを喰うと、ほかのはてんで喰えねえな」とほざくので、私も試してみたが、アブラ身がエグくて吐き気がしたので、二度とその寿司屋には行かなかった。5/19

大阪駅で、長崎に向う在来線の特急を朝早くから待っていたのだが、いよいよ列車が入線するとなると、列があってなきがごとき状態になってしまった。どうも昔から関西は、客の「たち」があんまり良くないらしい。5/20

さる秘密結社の会合に出たら、いきなり「俳句を詠め」といわれたので断って、某社のCMのロケ現場へ駆けつけたのだが、いくらコンテを見ても、何を表現したいのかさっぱり分からないので、帰宅して寝た。5/20

このたび地球に飛来した火星人と対話できるのは、なぜか自閉症児者だけだと判明したので、これまで各方面から白眼視されていた我が家の長男にも、俄かに明るい光が当てられるようになってきた。5/21

うちのコウ君は、複雑な数式を用いて両惑星の岩石構造について対話したり、火星でのthere とafternoonという言葉の両義性、音楽の2重3重4重奏曲におけるポリフォニーの響き方の違いについて、論じあったりしていた。

シェルターの中で、昔の平和な時代の思い出に耽っていると、山の向うのバルザック像が微笑んでいるように見えたが、それもつかの間、私は過酷な第3次世界大戦の現場に引き戻された。5/22

午後8時、横浜駅のタクシー乗り場で待ち合わせ、助っ人の2人と一台の車に乗り込む。目指すは、渡辺組の渡辺兄弟。今日こそ決着をつける運命の日だ。5/23

「あたしはね、誰かさんにデザイナーになってくれと頼まれたから、デザイナーになってやったのよ。そしたら無茶苦茶に売れたので、みんな喜んだじゃないの」と誰かが息巻いている。5/23

バスに乗って、赤いトマトを買いに行こうと思うのだが、いつも超満員なので、乗れない。たまに乗れても、乗客同士の押しくら饅頭に巻き込まれて、精根尽きはてるので、うまく買えたためしがない。5/24

私は、その国に行ったことがあるが、薬品は別として、その他の飲料や食品などは、飲食しても大丈夫だ、と判定していた。

手に持った百円玉を落としてしまったので、拾おうと思ってしゃがんでいると、耳元で「大好きなのよ」という声がしたような気がして、立ち上がると、ミタさんだった。ミタさんは、私が落とした百円玉を拾って、そっと渡してくれた。

山の上には、まったく同じ住居に、姉妹がそれぞれ住んでいるのだが、、航空写真を拡大して見ると、敵は2人の姉妹を捕まえて、首をのこぎりで挽いているようだった。5/25

次の競売品は、古書が入った汚い本箱だった。見習のデッチが処分しようとしたのを、とどめてよく見ると、なにやらいわくありげな巻物が。
これはもしかすると値打ちがあるかもしれない、と、私の心は躍った。5/27

地獄門からの眺望を楽しんでから、私はふと思いついて、いつもの北口ではなく、反対側の南口から降りてみようと思いつき、陸橋を移動していくと、黒人が門扉を開いてくれたが、下は真っ暗で何も見えない。ここを降りても大丈夫なのだろうか?5/28

このビルでは、常務、専務、社長、会長専用のエレベーターが完備され、それぞれ内装や速度などが、彼らの好みによって調整されていた。5/29

すべてのマイスターが準拠すべき規範は、1844年に定められているので、私たち新米職工も、ここから出発せざるを得なかった。5/30

くたばる前に本を出そうと決意し、諸事万端準備を整えて新宿まで出張ったのだが、題名、構成、挿画などのすべてについて自分の考えがバラバラだったことに気づいた私は、タカハシさんに「さよなら」も言わずに、らんか社を飛び出してしまったよ。5/31

 

 

 

また旅だより 02

 

尾仲浩二

 
 

上海で懐かしい人に会った。
カナダ人の彼は仕事でフランスから東京に越してきて、ある日僕の家を訪ねてきた。
僕は英語ができなくて、彼も日本語は話せなかった。それでもとても仲良くなった。
もう十五年も前のことだ。

その後、彼はフランス人の奥さんと別れ、日本の人と結婚し長崎へと越していった。
いまは上海と長崎を行ったり来たりして仕事をしているそうだ。

上海で、僕は少し話せるようになった英語で、彼はカタコトの日本語であの頃の話をした。
今度は僕が長崎に彼を訪ねる約束をして別れた。

2018年9月23日 中国 上海にて

 

 

 

 

ボナールです!

国立新美術館でオルセー美術館企画「ピエール・ボナール展」をみて

 

佐々木 眞

 
 

 

今回のボナールは、「日本かぶれ」とか「ナビ派」とか下らない包装紙に包まれて巴里から六本木までやってきたが、んなもん余計なお世話である。

僕にとってのボナール選手は、その名前のとおり、あのボナーッとしていて、ヌボーっとしたダイダイ色などの暖色が、疲れた心身を穏やかに揉みほぐしてくれるやわらかな存在で、例えばルーベンスとかルオーなんかの重厚長大派とは対照的に、「親和力に富む絵描きはん」、なのである。

作品は静物や風景、室内画、それぞれに良きものがあるが、なんというても愛妻マルタの入浴図にとどめを刺すだろう。

もう半世紀以上も昔の大むかし、丹波の田舎の中学か高校生だった僕は、美術鑑賞の時間に同級生と一緒に、恐らく京都の美術館でボナールの入浴図を見て、その美しさとエロチシズムにしばし陶然となったことがある。

その展覧会は、当時ポピュラーだった印象派を中心とした寄せ集めの「泰西名画展」で、ボナールはおそらく1点か2点しかなかったはずだ。

小一時間の鑑賞を終えて、クラス担任のU先生から、「ササキ君、どうやった? どれが良かった?」と聞かれた僕が即答できずにいると、U先生は、どことなく自信なさげに、でもその自分の感想を、誰かに支えてもらいたそうに、「ボクは、ボナールがええなあ思たけど、君はどう思った?」と尋ねられた。

あろうことか、僕は黙って、うつむいてしまった。
しばらくして顔を上げると、U先生の姿はもうなかった。

僕が「ボナール!」と即答できなかったのには、2つの理由があった。

ひとつは自分もボナールに感動したのだが、その絵があまりにも官能的であったので、教師の問いかけに、つい躊躇ってしまったこと。

もうひとつは、普段は謹厳実直そのもののU先生が、ボナールの裸婦に、僕と同じか、あるいはそれ以上に感動し、先生の顔が、興奮で少し赤らんでさえいることに対して、不遜にもある種の嫌悪感を懐いてしまったからだった。

そんなU先生の顔を、まともに見ることもできず、うんともすんとも返事できなかった自分……。
あの頃、丹波の田舎の教育者が、自分の教え子にエロチックな作品への肯定的評価を伝えるのは、それなりに勇気を必要としたに違いない。

思いきって心を開いてくれたU先生に、率直に応えられずに、あまつさえ不快な思いまでさせてしまった僕は、ほんとに嫌な奴だった。

先生、どうかあの時の無礼をお許しください。
恐らくは在天の先生に、半世紀前に答えるべきであった返事を、遅まきながらいま致します。

「ボナールです! 先生と同じ、ボナールの裸婦です!」

 

 

 

また旅だより 01

 

尾仲浩二

 
 

息を切らしながら考えていた。どうして山に登っているのだろうと。
頂上までたったの45分と言われ、軽い気持ちで歩きはじめすぐに後悔した。
なんとか引き返す言い訳を考えていたが、だんだん頭が回らなくなって、景色を眺める余裕もなくなった。
石でガラガラの足下ばかりを見ながら、なぜ山に登っているのか、いまさら考えても仕方のないことをぐるぐる考えているだけだった。
モンテローザの雪を眺めながらのビールの味は忘れない。
そうして、どうして山を下るのかは考えるまでもなかった。

2018年9月7日 Italy Gressoney にて