また旅だより 06

 

尾仲浩二

 
 

三十年以上も前に新宿で撮った写真を新宿のバーの壁に並べた。
ここではサントリーホワイトと決まっている。
それを新宿の水道水で割って飲む。
旨いとか、これでなければというわけではない。
これを飲んで育ってきたのだから、これからもこれを飲む。
飲めるといい。

2019年1月 新宿ゴールデン街にて

 

 

 

 

ズビズバー パパパヤー

音楽の慰め 第32回

 

佐々木 眞

 
 

 

カツオ「ねえねえ、NHKってまた偽ニュース流したんだって?」

のび太「へええ、ほんとかなあ。誰が言ってるの?」

しずかちゃん「トランプさんよ」

くまモン「でもあのひと、偽大統領なんだよ。知らなかった?」

シャイアン「へえー、そうなんだ」

トト子ちゃん「安倍さんも偽総理大臣なのよ」

おそ松「へえー、そうなんだ。知らなかったなあ」

ワカメ「ISって、偽イスラム国のことでしょ?」

サザエさん「そうよ。満洲国も偽満洲国なのよ」

イクラ「バブー」

イヤミ「ところで、あんた、誰?」

チコちゃん「あらま、わたしのことを知らないの。ボーっと生きてんじゃないよ」

ガチャピン&ムック「こいつ、偽チコちゃんさ」

チコちゃん「平成が終わったら、あんたらは死ぬといい。あんたらの死は近いぞ」

伴淳「アジャパー!」

アチャコ「滅茶苦茶でごじゃりまするがな」

黒柳徹子「チコちゃん、あーた、そんなひどいこと言うと、死んでも『徹子の部屋』で追悼してあげないわよ」

左ト伝「ズビズバー、パパパヤー、やめてケーレ、ゲバゲバ」*

 

 

*『老人と子供のポルカ』

作詞作曲/早川博二 歌/左ト伝とひまわりキティーズ

 

 

 

また旅だより 05

 

尾仲浩二

 
 

吉野は思いのほか遠く冬の陽はすぐに山の陰に隠れてしまった。
どこまで続くのか不安になりながら川沿いの長い商店街を歩く。
人どおりはなく店もほとんど閉まっている。
すっかり凍えてしまったし写真は暗くてもう写らない。
とっぷりと暮れた頃ようやく道は終わりになった。
急ぎ足で駅に戻ると一軒だけ食堂が開いていた。
鍋焼きうどんでビールの年の瀬。

2018年12月25日 奈良県吉野町にて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第68回

西暦2018年文月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

不思議なことだ。あんなに滅茶苦茶に汚れていた部屋が、私がベッドで眠っている間に、塵一つない整然としたピッカピカの部屋に、生まれ変わっていたのだ。7/1

さるアーチストから連絡が入って、開場寸前の展示会の出品商品を、急遽差し替えることになった。差し替え品には、赤いシールを張り付けることになったのだが、すでに全商品に貼ってあるので、どうしていいか分からず、スタッフは大混乱に陥った。7/2

ラフマニノフの8枚組CDの廉価盤が、タワーとHMⅤの両方から出ているのだが、どちらが安いのかが分からないので、どっちに発注しようかと、迷いに迷う愚かなわたし。7/3

私のライバルの辣腕女プロデューサーは、とても陰険な女性で、上司やスポンサーに、私の悪口をさんざん吹き込んだので、最近はさっぱり仕事もなくなった。このままでは、首を斬られてしまうにちがない。7/4

今夜は満月なので、ドビュッシーが「月の光」を弾いたり、「月光の会」の面々が、月に向って、なにやら叫んでいるようだ。7/5

モザールの「フィガロの結婚」の第4幕の演奏中に、突如R.シュトラウスの「薔薇の騎士」の第3幕が乱入してきたので、オペラハウスは大混乱に陥った。7/6

安倍蚤糞が、国民に薬品の売れ残りの在庫を買い上げるよう、町内会を通じて強制割り当てしてきたので、頭にきた一部の民草は、ついに武装蜂起して蚤糞夫妻を血祭りに上げた。7/7

岩波書店から、子規の3面立体漫画が発売された。1点を中心として3方向に展開される絵巻物なので、3人が同時に読めるが、1人の人が、全部を読み終わるのには、時間がかかる。7/8

その時、俄かに美しい旋律が、私の脳内に湧きおこったので、私はこのメロディを伴奏にしながら、キャメラがヴェネチアの浜辺で遊ぶ幼子の上を、アドリア海に向かって前進していく映像を思い浮かべ、恍惚となった。7/8

確かここら辺に、ワーナー映画の新社屋があるはずだと思って、ビルジングの裏表を歩き廻るのだが、第3次世界大戦後の銀座は、すっかり様子が変わってしまったので、なかなか試写室に辿りつけないでいる。7/8

一度語られた文章は、ただちに一枚の平面と化してしまう。それを、私の手を使ってぢかに修正することは無理なので、器具を用いて、周囲から削ったり、付け加えたりすることしかできない。7/9

ローマでは、(私はまだ行ったことがないのだが)、ホテルのレストランの有名シェフに懇意にしてもらったが、別れしなに「今度来るときは、パイオニアの営業マン抜きで、直接私のところに来なさい」と囁いた。7/9

ここ中国だか、アラビアだかのホテルでは、何を頼んでも、3羽の鶏を持ってくる。赤、青、白の鶏たちは、その3色の組み合わせを巧みに利用して、(私らのリクエストに応えたり応えなかったりしながら)、卵や、オムレツや、スープや、卵焼きなどを、産み落とすのだ。7/10

この魔法のホテルでは、お客が困ったときに備えつけの「アラジンランプ」を押すと、ただちにアラジンが出てきて、いかなるリクエストにも応える、というので、世界中にその名を知られていた。7/11

「どっちにしても、ナミさんは、ミチオについて行ったんですよね」と、その小説を読んだ生徒は、短い感想を述べた。7/12

「大声でしゃべると、それだけで爆発するおそれがある」、というので、わたしらは「ダイジョウブ、ダイジョウブ」とささやきながら、人質の全身に巻かれている爆弾爆発誘導ロープを、ゆっくりゆっくり解いていった。7/13

国民は、国の命令で、おおかたのデータを自発的に抹殺したが、ハメ撮りの生動画だけは残して、ひそかに天井や床下に隠匿した者が多かった。7/14

家族共同で制作した、手作り絵本のダミーを、らんか社のタカハシ社長のところへ持参しようか、それともやめようか、と、悩みながらまんじりともしない間に、夏の熱帯夜は明けていった。7/15

真夜中に物音がするので、階下に降りてみると、ケンの友達のタカギ、オオキ、ヒデポンなど数名が、捨て犬ともども、我が家のタタキに寝転んでいた。7/16

百貨店との取引の改善について、一知半解のうろんな言説を唱えたら、大勢の知人から反論が殺到して、冷汗三斗だった。7/17

韓国へ行った時に、赤い壺をお土産にして「これは、日帝が朝鮮半島を侵略したおりの、血染めの壺だよ」と説明したのだが、誰も喜ばなかった。7/18

私は、その超大物ⅤIPの殺害に失敗した。しかし、その後ある女が、そいつを見事に仕留めたのだが、官憲に逮捕され、裁判の結果、ただちに死刑に処されてしまった。7/19

こないだやっつけたはずの男が、まだ生きていて、部落ではたったひとつしかない、泉の水を飲ませろ、というたので、問答無用と、カノン砲で粉砕してやった。7/20

何とかして、その女の気を惹こうと、いろいろ働きかけたり、欲しいというものは何でも買い与えたが、それがすべて逆効果となり、彼女は、若い男の誘いに乗って、どこか遠いところへ逃げて行った。7/21

胸を張って、「私は、常に自分に嘘のない仕事をしてきたつもりです」と語るサクライ氏の背後の塀のブロックには、彼のこれまでの業績が、具体的かつカラフルに、一枚一枚表示してあった。7/22

わいらあ、すべてをみそなわす、在天の法王様の軍隊によって、ギタギタに粉砕されてしもうたんや。7/23

私が、早撃ち王であることを自覚したのは、たまたま出場した、村の早撃ち大会で、優勝してからのことだった。7/25

東京から大阪に出張したら、予想以上の暑さなので、熱中症になってしまい、白昼の太陽がくわっと照るつける御堂筋を、よろよろ歩いている。このままでは、死んでしまうに違いない、と思いつつ、それでも、よろよろ歩いている。7/26

東京駅からスカ線に乗って、鎌倉まで帰ってきた私は、網棚から荷物を降ろそうとしたのだが、同じような紙袋が、ぎっしり横一列に並んでいるので、どれが私のペーパーバッグなのか、てんで分からない。はてさて、困った困った。7/27

オペラハウスに入ると、座付きの管弦楽団が、マーラーの最後の交響曲を演奏していた。ただ私ひとりのために。7/28

世の中がだんだん不景気になってきたので、わが社では、請求書の金額欄を3行にして、1行目は本体価格、2行目は消費税、3行目はカンパ指定金額を書くことにした。7/29

あれから30年、僕はすっかり腐敗堕落したカメラマンになり下がってしまい、顧客がリクエストしたものを、そのとおりに撮影するだけの、ロボットのような存在になってしまった。7/30

あまりにも暑いので、これはもしかすると熱中症で死んでしまうぞ、と思いながら寝ていたら、誰かがエアコンのスイッチを入れたようで、部屋の片隅から涼風が入り込んできたので、一息つくことができた。7/31

 

 

 

東京のまん中にある空虚な場所

音楽の慰め 第31回

 

佐々木 眞

 
 

 

東京のまん中にある空虚な場所が、ようやく民草に返還されたので、長らく皇族だけの特権であった乾門の紅葉などをはじめて見物してから、御成門に廻り、そこからまっすぐ東京駅に向かいました。

駅の上の煉瓦色のホテルが、私ら夫婦の定宿です。
部屋の窓からは、むかしこのホテルの216号室に住んでいた江戸川乱歩のように、8つの干支のレリーフに飾られた天窓付きのドーム、そしてその下に広がる大きなホールを見下ろすことができます。

大勢の人々が旅立ち、あるいは、さんざめきながら、帰ってくる。
私は、彼らがいそいそと改札口を出入りしている姿を、眺めるのが好きなんです。
それ自体が、さながら一幅の絵、あるいは舞台で演じられる無言劇のようにおもわれるのです。

そういえば昔から、このホールではさまざまなコンサートやお芝居、ライヴやパフォーマンスが行われてきました。
今宵はそんなお話でもいたしましょうか。

コンサートの中で特に印象に残っているのは、dip in the pool(ディップ・イン・ザ・プール)という男女2人組の演奏です。
ボーカル担当は、若くて、すんなり痩せた背が高い女性でしたが、その声は繊細で、文字通り“水の中に溶け入るような”あえかな響きでした。

ところが、なんてこった!
彼女が歌っている最中に、心ない罵声が飛んだのです。「これでも音楽か!」というような。一瞬にして氷のように緊張が張りつめたホールに、静かな、けれども凛とした女性の声が響き渡りました。
「すべてのみなさんに、気にいってもらえないかもしれません。でも、これが、私たちの音楽なんです」

するとどうでしょう。
ホールには、たちまち彼女を励まそうとする声が飛び交い、少しは余裕を取り戻したのでしょうか、彼女はかすかに微笑んで、再びプールの中へ、まるでオフィーリアのように、ゆるゆると沈んでいったのでした。

さてそうなると、もっと過激なミュジシャンの、激しい怒りに触れた日のことも、思いださずにはいられません。

青森生まれのそのフォークソング歌手は、彼の得意のギターの弾き語りで「開く夢などあるじゃなし」という怨歌を、強い感情をこめて唄っていました。

しばらくして勤め帰りに一杯やったとおぼしきリーマンたちが、あざけるような笑いを洩らした瞬間、彼は歌うのをやめ、彼らを睨みつけると、青森訛りの押し殺したような低い声を、濡れた雑巾のようにぶつけました。

「俺の歌が気に入らないのは、構わない。しかし俺は、君たちに尋ねたい。君たちに、君たち自身の歌はあるのか?」

たちまちにして凍りついた会場の、一触即発の異様な雰囲気に耐えきれず、リーマンたちはこそこそと退散してしまいましたが、半世紀以上も前に放たれた、「君たちに君たち自身の歌はあるのか?」という彼の問いかけは、その後も不意に蘇って私の胸を刺すのです。

でもその反対に、いま思い出しても胸の中が明るくなるような、楽しいコンサートもありました。アメリカからやってきたNYフィルが、陽光眩しい夏の昼下がりに行った演奏会です。

7月4日はアメリカの独立記念日で、全米各地でパレードやお店のセールやお祭り騒ぎが開催されるのですが、たまたまちょうどその日に演奏旅行をしていたアメリカ・ナンバーワンのオーケストラが、このホールに立ち寄ったというわけです。

本当は人気者のバーンスタイン氏が来日する予定だったのですが、突然キャンセルとなり、ピンチヒッターに立ったエーリッヒ・ラインスドルフという年寄りの、しかし溌剌とした指揮者が、私たち聴衆に向って語りかけました。

「ご来場の紳士淑女の皆さま、本日は私たちの国の独立記念日です。そこで演奏会のはじめに、まずこの曲をお聴きください」
いうやいなや、楽員の方を振り向いて指揮棒を一閃。ホールに洪水のように流れてきた音楽は、スーザの「星条旗よ永遠なれ」でした。

その日のプログラムも、その演奏もすっかり忘れてしまった私ですが、ラインスドルフの颯爽たる指揮ぶり、そしてスーザのマーチの、あの前へ前へと進みゆく重戦車のような咆哮は、いまだに耳の底に残っており、「ああ、これがアメリカの能天気なんだ」と妙に納得させられたことでした。

やはり所もおなじ大広間に、昔懐かしいヒンデンブルグ号が、超低空飛行で飛び込んできた日のことも、忘れられません。

誰彼時ゆえ、上手なかじ取りが、舵を繰りそこなったのでしょうか?
海の外から何カ月もかけて東京にやってきた巨大な飛行船が、何を血迷ったのか、このホールに迷い込んできたのです。

慌てふためいたヒンデンブルグ号は、なんとか出口を探そうと前後左右に身もだえするのですが、そのたびに膨らんだ船体のどこかが壁にぶつかって大きな衝撃を受け、いまにも墜落しそうになります。

やがてようやく体制を立て直した飛行船は、まるでシロナガスクジラが、閉じ込められた内海から逃れるように、よたよたとホールの外へよろめき出ましたが、おそらく船長さんは、自分たちのことをクジラではなく、井伏鱒二の小説に出てくるサンショウウオになってしまうのではないか、と思ったに違いありません。

さて今夜は、いま話題のはあちゅうさんが、AV俳優のご主人に抱かれるかも知れない!という興味津々のライヴがあるようですが、いかがいたしましょうか?
乱歩のように、カーテンの陰から覗くべきか、はた覗かざるべきか、悩ましい選択に迫られそうです。

 

 

 

善の研究

 

佐々木 眞

 
 

その1 「リューとピンとポンとパン」

 

おじいさんは朝から山へ薪を取りに、おばあさんは川で洗濯しておりました。
お昼に家に帰ったふたりは、軒先に置いてあった水盤の中の金魚が1人もいないことに気付いて、薪も洗濯物もその場に抛り投げて、おいおいと泣きだしました。

子供のいない2人は、4人の金魚にそれぞれ名前をつけて、とても可愛がっていたのです。小さな金魚ですが、その中でも一番大きい先輩格のリューは、ピンとポンとパンの小さな3人が入ってきたときには、面白半分に追い回していじめたりしていたのですが、しばらくすると、とても仲良しになりました。

おばあさんが4人の名を呼びながら、水盤のふちをコツコツ叩くと、4人は一斉に水面に飛び出して、餌をせがんだものでした。
リューとピンとポンとパンは、いつも一緒に餌を食べ、夜は一緒に眠り、それはそれは仲良く暮らしていたのです。

それなのに今日、おじいさんとおばあさんが、腰を曲げて、水盤をなんべん覗いても、リューも、ピンも、ポンも、パンもいないのです。
きっとこのへんを夜な夜なうろついているアライグマに、パクリと食べられてしまったに違いありません。

ああ、なんて可哀想なことをしてしまったことよ!
水盤を外に出さず、家の中に縁側に置いておけば、こんなことにはならなかったのに!

そう思うといっそう可哀想で、可哀想で、最愛の4人を喪った悲しみは、歳月が流れ流れてもいつまでも続くようでした。

 
 

その2 「ひとかけらの純なもの」

 

樹木希林が、とうとう本当に死んでしまった。
全身ガンに冒されながら、この人はいつまでも死なないのではないか、と思いはじめていたが、やっぱり不死身ではなかったのだ。

それにしても、と私は思う。
樹木希林と内田裕也の関係は、どんなものだったのだろう?
どうして「あんな」男と、最後の最後まで付き合っていたんだろう?

「どうしてあんな人と、まだ付き合っているの?」
と訝しむ娘也哉子に、樹木希林は、
「だってお父さんには、ひとかけらの純なものがあるのよ」と言って、黙らせたそうだ。

確かに金も、仕事も、ヒット曲もないのに、Love&Peaceを振りかざし、
ロックンロールがビジネスになってしまった時代を憂う、寂しいお父さんの内田裕也には、ひとかけらの純なものがあった。

ロックのためにはエンヤコーラ!
ロックのためにはエンヤコーラ!
ロックのためにはエンヤコーラ!

とつぜん東京都知事選挙に立候補して、プレスリーの「今夜はひとりぼっちかい?」を歌う内田裕也の姿には、ひとかけらどころか、ふたかけら、みかけら以上の、純なるものが輝いていた。

けれども悲しいことに、「ロックの時代」はいつの間にか終わってしまった。
ロックの車輪がロクに回らなくなって、路肩に乗り上げてグルグル空回りしている。
それでも内田裕也は、あなたのために「今夜はひとりぼっちかい?」を歌うだろう。

ヘップ! ヘップ! ヘップ!
ヘップ! ヘップ! ヘップ!
ヘップ! ヘップ! ヘップ!

この国の恐らく最後のモヒカン・ロケンローラー、内田裕也に万歳三唱!!!
君の至純のロック魂を、天上の樹木希林は、いつまでも温かく見守っていることだろう。
Love&Peace! いつまでも!

 
 

その3 「ロタ島のにわか雨」

 

毎日まいにち、暑い日が続いていました。
そんなある日のこと、久しぶりに大学生の次男が帰宅したので、家族4人で小さな食卓を囲みました。

すると、生まれた時から脳に障がいのある長男のコウ君が、
「コウちゃん、いい子? コウちゃん、いい子?」と、何回も私たちに訊ねます。
この問いかけに「ウンウン」と肯定してやると、彼は深く安心するのです。

はじめのうちは「コウちゃん、いい子だよ」と、いちいち答えていた私たちでしたが、
こんな幼稚な問答を切り上げ、はやく食事に取り掛かろうとして、私はほんの軽い気持ちで、「コウちゃん、悪い子だよ」と言ってしまったのです。

「えっ!」と驚いた長男の反応が面白かったので、次男もふざけて「コウちゃん、悪い子だよ」と言いました。
そして妻までもが、「コウちゃん、悪い子」と、笑いながら言ってしまったのです。

長男は、しばらく3人の顔を代わる代わる見つめていましたが、
やがてこれまで見たこともないような真剣な顔つきで、
「コウちゃん、悪い子?」と、おずおず尋ねました。

調子に乗った私たちが、声を揃えて「コウちゃん、悪い子!」と答えたその時でした。
突然彼の両頬から、大粒の涙が、まるでロタ島のにわか雨のように、テーブルクロスの上におびただしく流れ落ちました。

それは、真夏の正午でした。
その時、セミはみな死んでしまった。
私たちは息をのんで、滴り落ちるその涙を見つめていました。

それは、生まれて初めて見た、コウちゃんの涙でした。
そうして私たちは、無知で無神経で傲慢な大人が、ひとつの柔らかな魂を深く傷つけてしまったことを、長く長く後悔したことでした。

 

 

 

また旅だより 04

 

尾仲浩二

 
 

用事はなくなったけれども飛行機のチケットは変えられないのでパリからドイツへ行った。
なんの仕事もなければ約束もない十日間。
適当に電車に乗って終点まで行ってみたり、街中のビアホールで昼から飲んだり、近所の池にガチョウにも会いに行った。
クリスマスマーケットではホットワインを何杯も飲んだ。
ドイツの教会の人たちは、あまりに早い時期からマーケットを開けるのはクリスマスを商売に使っていて、けしからんと怒っているそうだ。日本のクリスマスを教えてあげたい。
新宿では三の酉で飲んでいると友達がつぶやいていた。

2018年11月24日 ドイツ フライブルクにて

 

 

 

 

「夢は第2の人生である」改め「夢は五臓の疲れである」 第67回

西暦2018年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

原宿本社の5階のエレベーターの前に、伊オリベッティ社のタイプライター、レッテラブラックが捨ててあった。持って帰ろうかなとも思ったが、それがアメリカのボビーブルックス社と提携しているルック社の長老の愛機であることを知っていたので、私にはできなかった。6/1

夕方の退社時間に、大手町のビルヂングを訪れると、無数のリーマン諸君が、どういう訳かエレベーターにもエスカレーターにも乗らずに、9階から地上階に通じている階段に殺到しているので、私もその真似をしてみた。6/2

次々にやって来るリーマンたちは、一丸となって、雪崩を打って猛烈な勢いで下へ下へと落下していくのだが、その疾走感と墜落感が混淆して、堪らない恍惚と酩酊を生み出すのである。私らはそれをもう一度体感したくて、もう一度エスカレータで9階に戻り、階段墜落に参加するのだった。6/2

ともかく各ブースの一番乗りを目指していたのだが、すべてのブースの先頭に、同時に存在することはできないので、結局僕たちは、会場のあちこちを懸命に駆けずり回っているにすぎないのだった。6/3

「今日は最大の勝負どころになるので、夜はたぶん野宿することになるぞ」と脅かしたら、若いネエちゃんが、さめざめと泣きだした。6/4

おらっちが病気で休んでいる間に、会社は4名を採用し、うち1人はおらっちが担当していた、サッカーで例えると、ボランチ的な職種を担当しているそうだ。6/5

彼女の誘いに乗って、渋谷からバスに乗って、どこかの駅まで行って、どこかの店に入って、白い布のついた洒落た木造の椅子を見つけた彼女が、「買おうかしら、それとも止めようかしら」と私に相談してくるが、私は別にどうでもよくて、ベランダのところで蕩けるような接吻を交わす。6/5

部下のタカハシが、私に無断でダーバン社に提案したディスプレイ案は、古今東西の女優のブロマイドを服の周りに張り付けるという阿呆らしいものだったので、案の条、常務のワタナベがワンワン噛みついてきた。6/6

僕らのラストアルバムである「そして緑の樹木は燃え」は、まだ2曲しか完成していないので、あと2,3曲追加しなければならないのだが、すぐに出来そうにみえて、なかなかできないので大いに焦っているわけ。6/7

花形スタアはんの雇われ運転手の私だが、スタアはんを待っている間に、およそ20メートル向うに貼ってある、安倍蚤糞のポスターめがけて石を投げたら、みな命中するので、あっという間に人だかりがして、なかには小銭を恵んでくれる人も現れた。6/8

わたしら民草が、浮沈する位置は一定しているのだが、インフレとかデフレになるたびに、5センチから20センチ間隔で上下するので、その都度、元の位置にまで自力で戻らなければならなかった。6/9

その女は、「いつまでにその準備をすればいいのか、教えて下されば、あなたと一からやり直して完成させます」と、堅い決意を披露するのだった。6/10

その庭園内にある中華料理屋は、浅い池の上に建てられていたので、床板の下を覗くと、浮草の間から、白くほとびた麺や、喰いかけの餃子や、錆びた鍋釜などが見えるのである。6/11

セイさんや、カワムラさん、ウジさん、死んだムラクモさんなど、昔の宣伝部の面々が勢ぞろいしているのに、誰もが押し黙ったまま、朝夷奈峠に至る曲がり道を歩いていた。これは誰かの葬列か? 6/12

キャメラは、どんどんブラに向って迫っていき、最大限にアップしたところで、しばらく考え、一転して、今度は猛烈な勢いで引いていった。6/12

暮れの東京駅の大丸の投げ売りフェアで、酔っ払ったヨッサンと一緒に、「家具あれこれ一式5千円セット」を買ったら、これがまあ、どうしようもない、とんでもない代物ばかりで、家族の顰蹙を買ってしまった。6/13

私は五臓六腑が育んでいる言葉を欲していたので、それぞれの臓器を、傍にある墓石に擦りつけながら、臓器が内蔵する言葉を、ムギュギュッと絞り出して、お気に入りの文化学園大学の手帖に記入していった。6/14

この風呂敷の中には、何が入っているのか?と、怪しみながら開いてみると、せごドンの大きな首だった。6/14

「乾坤」という大仰な文字が、立ち上がった飛車角のようにどんどん迫って来るので、私のささやかな夢は、たちまち崩壊してしまった。

その男は、紙つぶてをボールのように扱って、青空に向かって放り投げ、受けとめては、また放り投げていた。6/15

「また一人、優しい人が、死にました」という句を、ゴルゴタの丘に建てると、その5・7・5の区切りを体現するかのように、3人の十字架が現れた。6/15

宣伝部は本社にしかなかったのだが、事業部が遠方に拡散するにつれて不便になったので、急遽事業部内に支部を設けて、それぞれの業務に必要な宣伝販促活動に従事するようになったために、本社の宣伝部は、次第に有名無実の存在になっていった。6/16

リーマンを辞めて、詩人になったサトウ氏と偶会したら、新しい名刺を頂戴したのだが、そこには「Amazon123.comCOE」と大書されていたので、私は「あのアマゾンの!」と、驚くばかりだった。6/17

「きみきみ、あと1週間ほどで宇宙船がやって来る。それまでこの星で待っていれば、一緒に地球へ帰れるよ」と、その男は教えてくれた。6/18

「おい、お前は金なんかないんだから、そんな無暗に高いだけのスーツなんか買う必要はない。もっと節約しないと、年金どころか税金が払えないぞ」と説教したのだが、そいつは柳に風、馬に念仏だ。6/19

私の左隣の青年は、生物工学専攻の学生で、右隣りは高名な人文学の博士だったが、彼らに挟まれて座っている私は、何者でもなかった。6/20

村の議会で、おじさんが、「クリンしてからトゥクリンしてクリンアウトせんけりゃならん」と演説した途端に、檀上に警官が駆け上がって、「弁士中止! 弁士中止!」と絶叫した。6/21

私たち夫婦が住む家に、どこからか若い娘が転がり込んできたので、同居していたのだが、それが大いなる災いをもたらすことになるとは、当時は誰も思わなかった。6/22

私は超満員電車の中で、どういうわけだか、若い女性とがっぷり左四つで抱き合うようなかたちになってしまい、電車の振動と共に激しく揉み合っているうちに、珍しくも下半身が硬くなり始め、あれよあれよという間に、イってしまったああ。6/23

アフリカ人で黒人の私が住む国では、初めての民主的な大統領選挙が行われ、軍部の与党候補者が、私らが推薦する野党の民間人に大敗したので、村は朝から、お祭り騒ぎなのだ。6/24

さる女流評論家に拾われた浮浪児の私は、彼女の膨大な洗濯物をキロいくら、日々のポートレートを1Pいくら、といった具合に請け負うことで、はじめて自活できるようになった。6/26

三食昼寝付きで、ホテル並みの至れり尽くせりのキャンプ地、という触れ込みだったが、いざ現地を訪れてみると、飲み食いできるものは、なにひとつなかったので、私らは、朝から晩まで狩りをするほかなかった。6/27

コピーライターのアオキさんと、海外担当のカナガワ君、そして私の3人で旅をしているのだが、裸馬の大群が、怒涛のごとく疾走している。どうやらここは、アメリカの西部のあらくれの地らしかった。6/28

ジャングルの中では、赤くて丸い実を食べる。私は、それを絵に描いた。6/29

私は自費出版某社のライターだったが、自叙伝の作者と私の間に、変質狂的な編集者が絶えず介在して、取材や執筆の邪魔をするので、頭にきて抛り出したら、それ以来ぷっつり仕事の依頼が来なくなった。6/30

 

 

 

長尾高弘著「抒情詩誌論?」を読みて歌える

 

佐々木 眞

 

 

「抒情詩誌論?」という不思議なタイトルがつけられていますが、著者も腰巻で談じているように、別にいかめしい詩論とか格調高い論考なぞではまったくなくて、あえていうなら、「ただの詩集?!」ですので、良い子の皆さんは、けっして敬したり遠ざけたりしてはなりませぬ。

実態はその逆で、まことに口当たりがよくて読みやすく、これほどノンシャランでとっつきやすい詩集なんて、いまどきどこを探してもないでしょう。

それは著者が、普段通りの話し言葉、ざっかけない日常の言葉で、読者に向って、(というより著者自身に向って、かな)語っているからなのですが、かというて、その語りかけや自問自答の内容がつまらないとか面白くない、なんてことはさらさらないのが、私としては不思議なくらいです。

著者の飾らぬ人柄にも似て、さりげなさの中に人世の信実や知恵がくっきりと浮き彫りにされ、独特の滋味やユーモアが漂うという、そんなまことに味わい深い玄妙な詩集。
あえて言うなら「現代詩」に絶望している人に薦めたい1冊です。

ではいったいどんな詩集なのかと迫られたら、ぜひ「らんか社」のたかはしさんに電話して、実物を取り寄せて読んでみてほしい、と答えるしかないのですが、とりあえず「ものづくし」という定義集のような作品の中から、いちばん短いのをご紹介して、おしまいにしたいと存じます。

「サンドイッチ」
足を伸ばして寝ていたら、
ふとんごと食われてしまった。

さて、久しぶりに素敵な詩集を読んだおかげで、私も久しぶりに抒情詩ができました。
ありがとう、長尾さん。

「パンドラの星」

昔むかしあるところに、1人の詩人がいました。

地上では誰ひとり自分の詩を読んでくれません。
はてさて、どうしたらいいだろう?
いろいろ夜も寝ないで考えていると、突拍子もないアイデアがおもいうかびました。

地球がダメなら宇宙があるさ。
宇宙ロケットで詩集を打ちあげたら、もしかして水星人やら金星人、火星人、木星人たちが読んでくれるのではないだろうか?

そこで詩人は、毎晩毎晩夜なべして、糸川博士にならって超ローコストなペンシルロケット作りに熱中しました。

構想1秒、実践3年。
先端部に「らんか社」から刊行された500部の処女詩集「これでも詩かよ」を搭載した「あこがれ」1号が打ち上げられたのは、西暦2020年、十五夜のお月さまが東の空に皓皓と輝く師走の夜のことでした。

「あこがれ」は、秒速20キロの速度で大気圏を離脱し、長い長い航海に旅立ちましたが、やがて35億光年の彼方に到着しました。

そこでロケットが、あらかじめセットされていた通りに先端部の蓋を開け、500部の詩集を広大な真空地帯にまき散らすと、まっしろな詩集たちは、無明長夜の闇の中を、白鳩のように羽ばたきながら、パンドラ銀河団めがけて舞い降りていきました。

詩人の処女詩集「これでも詩かよ」が、パンドラの箱文学賞を受賞したという第一報が、超長波電磁波に乗って地球に到着したのは、それから間もなくのことでしたが、残念なことには、その地球も、その詩人も、もはやこの世のものではなかったのでした。

 

※らんか社ホームページ
http://www.rankasha.co.jp/index.html

 

 

 

さとう三千魚詩集『貨幣について』―外に出ろ

 

長尾高弘

 

さとう三千魚さんの『貨幣について』をまとめて読んで、叙事詩の一種のような感じがした。
「まとめて読んで」というのは、その前にバラで読んでいるからだ。彼の詩にはすごいリズムがあって、そのリズムだけで何も考えなくてもこれは詩だと思ってしまう。私はちょっとそこのところで壁にぶつかって先に入れてなかったような気がする。

彼の詩は、たぶんまずTwitterやFacebookで断片的に一部が現れ、ひとつのまとまりになったときに改めてTwitterやFacebookに発表され、ほぼ同時に彼が主宰しているネット詩誌の「浜風文庫」に掲載されるのだと思う。私はFacebookで直接かFacebookでの告知によって「浜風文庫」でかといった形で、この本のかなりの部分をすでに読んでいるはずだ(申し訳ないけど、しっかりと追いかけて全部読んでいたわけではなかった)。

そのようにバラで読んでいた『貨幣について』の諸篇(つまり、詩集で番号が付けられている2ページから4ページほどの塊)は、これからいつまでも続くんじゃないだろうかと思っていた前の詩集『浜辺にて』の諸篇が「浜風文庫」からすーっとフェードアウトしてから、当たり前のように、それまでと同じもののように登場していた。少なくとも、ぼんやりしていた私にはそう見えた。

ところが、まとめて読んでみると、『浜辺にて』と『貨幣について』はまったく違っていたのである。単純に言って、『浜辺にて』は一つひとつの塊の独立性が高かったのに対し、『貨幣について』は塊が時間とともに数珠つなぎにつながっている。実際には『浜辺にて』の諸篇もまったくバラバラだったのではなく、時間に沿って間歇的につながっていて複雑な織物をなしており、中身をランダムに並べ替えられるような本ではなかったが、『貨幣について』は、それこそ「貨幣」という言葉を芯として40篇がしっかりとつながっている。うかつにも、私はまとめて読んでみるまで、そのことに気付かなかったのである。

しかし、本当の意味でこの長篇詩の叙事性に気付いたのは、それからさらに何度か読んでからだと思う。もちろん、今でも全部に気付いているわけではないだろうが、少しずつわかるところが増えてきて面白くなってきているところだ。

最初は、「貨幣」というテーマが天から降ってきたかのような印象を与える「どこから/はじめるべきなのか//知らない//どこで終わるべきか/知らない」という5行で始まっている。01から04までは、参考書からの引用なども多く、お金についての観念的な思考で堂々巡りをしているように見える。

05からは、「わたし」が出てきて、生活のなかでのお金との関わりを記録するところから出直している。食事の代金やタクシー代の具体的な数字が生々しくて面白い。当たり前の日常のようでいて、さとう三千魚という個別性をはっきりと感じる。一方で、07、08の文化の日や12の写真展、14の猫との暮らしのエピソードなどで、お金の安定性(01、02の「すべてのものが売れるものになり/すべてのものが買えるものになる」という言明に現れているもの)にちょっとした動揺が起きる。16の休日出勤と差入れはさらに微妙な動揺である。

そして17でついに磯ヒヨドリやカモメを指して「彼らは貨幣を持たない/彼らは貨幣を持たない」という言葉を書きつける。このあたりから、話の展開が一気にスピーディになる。それまでもさんざん酒を飲んでいたさとう氏だが、18ではちょっと度を越してしまう。「新丸子に帰って/スープをあたためた//深夜に目覚めた//スープは焦げていた」というのだから、一歩間違ったら火事になっている。安定性からかなり外れてきた。

そして19では、この焦げたスープから、「貨幣も焦げるんだろう//貨幣も燃やせば燃えるんだろう//貨幣を燃やしたことがない/一度もない」という思考が生まれる。生活のなかで見たものから貨幣についての新しい思考がふつふつと湧いている。だんだん、詩の動きが激しくなっていくように感じるのは、ちょうど半分くらいたったこのあたりでそのような思考が生まれ始め、それ以降、そのような発見が次々に湧いてくるからだろう。何しろ、19の後半では、通過する貨物列車を見ながら、「貨幣は/通過するだろう//貨幣は通過する幻影だろう//消えない/幻影だ」と呟いており、矢継ぎ早に新たな思考が生まれているのだ。こういった思考は、比喩的思考、つまり詩的思考と言えるだろう。

やがて、彼はショウウィンドウの老姉妹(の人形?)を見て、「貨幣は/この老女たちを買うことができるのか?」と言い出す(21)。先ほども引用した冒頭の「すべてのものが…」とは大きな違いだ。そして、日野駅で見た雪を思い出し、「ヒトは/雪を買わないだろう」という確かな考えをつかむ(23)。さらに、ライヒの「Come Out」、つまり「外に出ろ」という曲から、「貨幣に/外はあるのか//世界は自己利益で回っている」という重要な言葉を引き出してくる。貨幣の世界は、生を捨象した堂々巡りだという認識に達したのだと思う。その「生」を「枯れた花」という死にゆくもので表すところが心憎いところだ。

彼の「貨幣」についての思考はここではっきりとした形をつかんだと言えるだろう。そしてなんと「三五年の生を売る/労働を売る」(36、37)生活から離脱し、老姉妹を見て帰った新丸子から引き上げてしまうのである。そして、熱海駅で倒れ、「ぐにゃぐにゃ揺れ」ながら、「世界」が「高速で回る」ところを見る。「脳は正常なのにエラーを起こすのだと医師はいった」(38、39)。これから本当の闘いが始まるというのだろうか。

叙事詩と言っても、これは英雄が活躍する物語ではない。確かに会社を辞めるのはひとりの人間にとって大きな事件だが、この物語はそれが中心になっているわけではない。ポイントは、『貨幣について』が決して『貨幣論』ではないところ、つまり、思考を生み出した焦げたスープや通過する貨物列車を捨象して、得られた思考だけを積み上げていくテキストではないところにあると思う(だから、貨幣についてのすべてを論じ切っていないと本書を評価するのは野暮なことだ)。時間が流れていて、ひとりの人間のなかでぼんやりとしたイメージでしかなかったものがさまざまなものを触媒として具体的な思想を生み出していく過程を描き出しているのである。たとえば、焦げたスープから燃えるお金をイメージして新たな思考をつかむのは、大げさかもしれないがひとつの事件だと思う。そのような事件の積み重ねが物語を形成している。しかも、事件の一つひとつが詩なのである。

しかし、それだけではまだ『貨幣について』の叙事性について言い足りないような気がする。
普通、叙事詩であれ、物語であれ、そういったものは、描かれる前に大体終わっているものだろう。最終的に書かれた細部までは事前に決まっていないだろうが、おおよその展開はあらかじめ作者の頭のなかに入っているはずだ。しかし、先ほども触れたように、冒頭で「どこから/はじめるべきなのか//知らない//どこで終わるべきか/知らない」と言っている本作は、ほぼノープランで始まったのではないかと思う。

ここでちょっとプライベートな話を挟むことをお許しいただきたい。この長篇詩が書かれる直前、2016年の夏にさとうさんに誘われて、西馬音内のお姉様のお宅にお邪魔して、日本三大盆踊りのひとつである西馬音内の盆踊りを見せていただいた。さとうさんとは、2015年の春に亡くなった渡辺洋さん(短かった闘病期間に生命を絞り出すような3篇の詩を「浜風文庫」に書かれた)の葬儀で初めてお会いし、棺を見送ったあとで『貨幣について』の版元である書肆山田の鈴木一民さん、詩人の樋口えみこさんと清澄白河の蕎麦屋さんで酒を酌み交わして故人を偲んだのだが、そのときにさとうさんが冥界から死者が帰ってきて踊る西馬音内盆踊りの人間臭さ(はっきり言えば猥雑性)について話してくれた。それは是非見てみたいと言っていたのが1年後には実現して、鈴木さんと私とで押しかけてしまったのだが、台風で開催が危ぶまれていた盆踊りを奇跡的に見ることができた夜、それぞれの蒲団に入って電気を消したあと、さとうさんから、定年まで会社に残らず、早期に退職するつもりだという話を聞いた。しかし、それは2、3年先にという話だったように記憶している。だから、その後彼が2017年の3月いっぱいで会社を辞めてしまうと言ったのを聞いて、正直なところちょっと驚いてしまった。

下衆の勘繰りだし、本人に否定されてしまえばそれまでだが、ひょっとして、『貨幣について』を書き始めて、「三五年の生を売る/労働を売る」生活の本質が見えてしまったために、そういう生活と早く決別しようという気持ちになったのではないだろうか。まして、熱海駅での昏倒事件は、本作を始めたときには予想もしていなかっただろう。貨幣についての思考によって昏倒するということではないのかもしれないが、あまりにもタイミングがよすぎる(友だちとしては心配だが)。『貨幣について』に書き記された言葉がさとうさんのライフを突き動かしているような気がする。ロミオとジュリエットも言葉が人生を狂わせる物語だが、本書はあらかじめ筋書きが決まっていたわけではないはずだから、言葉がヒトを動かすという意味ではロミオとジュリエットよりも迫真性が高い。ちなみに、『浜辺にて』は「浜風文庫」の初出からかなり手が入れられているが、『貨幣について』は中頃のごく一部が書き換えられているだけだ。

やっぱりこれは一種の叙事詩ではないだろうか。叙事詩だからどうということはないのだけれど。