由良川狂詩曲~連載第12回

第4章 ケンちゃん丹波へ行く~「春の女神」

 

佐々木 眞

 
 

 

翌朝早く、ケンちゃんはホーホケキョの声で眼が覚めました。
ウグイスです。ウグイスは鎌倉でも来る朝ごとに鳴いていますが、ちょっとアクセントもイントネーションも違うようです。綾部のは、

――ホー、ホケキョ、ケキョ、ケキョ、ケキョウ

ほらね、最後のところがちょっと違っているでしょ。
ケンちゃんは顔を洗ってから、窓をからりとあけると、眼の前に寺山という小高い丘のような山が見えました。
町の人々に愛されている高さ200メートルくらいのこの山は、朝晩の散歩やマラソンコースとしても利用されていますが、ケンちゃんにとっては、天然記念物のギフチョウとはじめて出あった山として、生涯忘れることはないでしょう。

それは今から3年前の春、ケンちゃんがはじめて綾部へ行った時のことでした。
その朝、ケンちゃんは、お父さんと一緒に、まだ少し冬の気配もする寺山に登りました。
いちめんの枯れ草の下から、カンサイタンポポ、フキノトウ、キランソウ、シュンラン、ムラサキサギゴケ、イニフグリ、ナズナたちが可憐な花をつけ、新しい季節の到来を心の底から歌っています。
鎌倉のタンポポはセイヨウタンポポに攻め込まれて、日本古来のカントウタンポポが少数派に転落してしまいましたが、綾部では、まだ在来日本種のカンサイタンポポが、優勢を保っているようです。
お昼前のかなり強い日差しが、マツやクリ、ヤマザクラの樹影を透かしてかっと照りつけ、急斜面をあえぎながら登ってゆくふたりの背中に、大粒の汗をしみださせています。
もう一息で頂上、というところで、見晴らしのよい峠のようなところに出ました。
ここから左に行くと寺山、右に曲がれば4つの小さな尾根で構成されている四尾山です。
早春の青空は少し霞がかかり、冷たい風が麓から吹き上げてきて、ケンちゃんのほてった全身を気持ちよく冷ましてくれます。
枝ぶりのよいヤマザクラの木の下に二人は腰をおろし、空を仰ぎました。

風がそよそよと吹く度に、白と桃色の中間の色をしたヤマザクラの花弁が、ときおりケンちゃんの顔や胸にはらはらと降り注ぎます。
ケンちゃんの目の前を、派手な黄と黒のキアゲハが勢いよくやって来て、アザミの花冠にとまりました。
キアゲハは長い口吻をぐんと伸ばして、おしいい蜜を深々と吸い込んでから、急になにかを思い出したように、寺山の山道の方へ飛んで行っていましました。
しばらくすると、越冬して翅がボロボロになった雌のアカタテハが、赤土の少し湿ったところにとまっては飛び立ち、また戻っては飛び立ってひとりでソロを踊っていましたが、ちょうどそこへ1羽のジャコウアゲハの雄がふらりと舞い込んできたので、アカタテハは彼の尻尾のじゃこうの香りに誘われたようにまとわりつき、2羽でグラン・パ・ド・ドウを踊りながら空高く消えていってしまいました。
チョウたちが通行するある定まったコースを蝶道といいますが、ケンちゃんとお父さんのマコトさんはその「蝶道」のど真ん中で休憩していたのですね。

峠のサクラの木の下には、その後もいろんなチョウがやって来ました。
アカタテハと同じタテハ科の仲間で、やはり成虫のままで越冬した、歴戦の「もののふ」のような風格のルリタテハやヒオドシチョウ、モンシロチョウによく似たスジグロシロチョウ、翅の先端に橙色の縁取りレースを施したツマキチョウ、「残された3日のうちに恋人と巡り合わなければ、あたしの人生意味ないわ」と呟きながら大慌てで山道を行きつ戻りつしているナミアゲハ、などなど、みんなケンちゃんが鎌倉でもよくみかけるチョウたちでした。

と、その時、ヤマザクラの花びらが、またしてもケンちゃんの顔めがけて、ふわりと舞い降りてきました。
ところがその花びらは、ケンちゃんの顔すれすれのところでスイッとかすめて、そよ風に吹かれるがままに、ふわふわとあっちの方へ飛んで行ってしまったのです。
――あれは何だ。サクラじゃないぞ。チョウだ、チョウだ。
と気付いたケンちゃんは、ガバと跳ね起きました。
――あれは何チョウだろう。もしやまだ図鑑でしか見たことのないギフチョウかヒメギフチョウでは?
ケンちゃんは目が点になったままで、花弁のようなものの後を追いました。
そのチョウは、うすい黄色の地に黒のダンダラ模様が入り、後ろの翅の下の突端に黒地に赤の斑点があざやかな、これまでに見たこともない小型のアゲハチョウでした。
でもアゲハの仲間の癖に、その飛び方ときたら、とてもゆっくりしていて、ふわりふわりと春風に乗っています。
――まるで「春の妖精」みたいだ。
それが、ケンちゃんの頭に最初に浮かんだ言葉でした。
――学校の教科書に出てきたポッティチェリの「春の女神」みたいだ。
それが、2番目の印象でした。
そのチョウを見ていると、この世の現実のことがすべて忘れ去られ、なぜかケンちゃんは古代ギリシアの、アテナイじゃなくてスパルタの郊外の田園で遊んでいるような錯覚におちいるのでした。
きっと歴史の古い、もしかすると氷河期にまでさかのぼる立派な種属なのでしょう。

「おや、ギフチョウじゃないか。珍しいな」
いつの間にかぐっすり眠りこけていたはずのマコトさんが、ケンちゃんの傍に来て、カタクリの花にぶらさがって無心に蜜をむさぼっているギフチョウを指差していいました。
「学名Luehdorfia Japonica、日本特産の超貴重種だ。ヒメギフチョウと似ているけど、大きさとか色とか、細かい点でずいぶん違う。ヒメギフチョウの原産地は朝鮮、ウスリー地方だしね。それとヒメギフは、北海道と本州の東北と中部地方にしか棲息していない。綾部にいるのはいまのところギフチョウだけなんだ」
春の舞姫のように、鉢かつぎ姫のように優美なギフチョウは、ヤマザクラの木の下から10メートルばかり寺山の方角に登ったところに群生しているカンアオイの方へ、ゆらゆらと風に身をまかせながら、近寄ってゆきました。
あのギフチョウはおそらく雌で、カンアオイの葉の裏側に産卵しに行ったのでしょう。
「よおし、ギフチョウの産卵現場を観察するぞ!」
と叫びながら、ケンちゃんは急いで雌の後をおっかけました。
ところがどうしたことか彼女の姿がどこにも見当たりません。
「おかしいな、ついさっきまでここらでフワリフワリ浮かんでいたのに……」
ケンちゃんは、カンアオイの茂っている付近を、しらみつぶしに探しましたが、やっぱり見当たりません。
そのとき、寺山の頂上の上空をゆっくり漂っている黄色と黒のだんだら模様が、一瞬ケンちゃんの視野に入りました。
「あ、あそこだ!」
ケンちゃんは全速力で、寺山のてっぺんまで、息を切らして駆け上がりました。
しかしギフチョウは、どこへ消えてしまったのやら、右を見ても、左を見ても、影ひとつ見当たりません。
ケンちゃんの目の前に広がっているのは、白い千切れ雲を浮かべた口丹波の青空と、その下を悠々と流れる由良川の白い水の流れだけ。
静かに晴れた空と、音もなく流れる川のあいだに、ギフチョウは、幻のように忽然と姿を消してしまったのでした。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第10回

第3章 ウナギストQの冒険~旅路の果て

 

佐々木 眞

 
 

 

そうやって波のまにまにアップアップしていると、いつの間にか犬吠崎の灯台が近付いてきたの。ケンちゃんも知っていると思うけど、坂東太郎の利根川は、この犬吠崎の手前、銚子で鹿島灘に流れ込んでる。

僕は波にもまれもまれている間に、前にもニシン、後にもニシンの大群にとりかこまれたて、どんどん海の浅いところへ、浅いところへとまるでオミコシでかつがれたように近付いてきて、気がついたら突然利根川の河口に入りこんでた。

本当はもっと南に下がって相模川から内陸部へ侵入する予定だったんだけど、もう全身くたくたに疲れ切ってるし、ひょっとしたらこれが相模川かもしれないし、ええい、ままよ、思い切ってさかのぼってみよう。、あとはなんとかなるだろう、と思って全力を振り絞って上流をめざしたってわけ。

うわお!なんという汚さ、なんとにごりににごったヘドの出るような水なんだ!
僕は長かった海水生活に慣れ親しんだ塩漬けの体が、一挙に淡水に触れたために全身を襲ってきた猛烈なめまいと悪寒と吐き気に必死に耐えながら、怒涛のように押し寄せてくる大河の壁を1センチまた1センチと押し返しながら、上流へ上流へとさかのぼっていったよ。

悪戦苦闘6時間、それでも水は少しづつきれいになってきたし、僕の体もようやく淡水に慣れてきたみたい。途中、悪臭ふんぷんで息もつけない霞ヶ浦に迷い込んで、酸欠で窒息しそうになったりみしたけれど、気を取り直して利根川の本流に戻り、埼玉県の南河原のあたりで南に流れ下がる武蔵水路にうまく乗り換えて荒川に移り、支流から支流を辿ってそこからなんとか多摩川へ移って、多摩川からさらに相模川へ移動できないか、と頑張ってみたんだけど、世の中そんなに甘くないや、結局元のもくあみ、ムチャクチャに汚い荒川に放水路にドドッと放り出されて着いたところが東京湾だった。

ハゼとボラとコノシロに聞いた話だけど、東京湾は年々ますます住みにくくなってるんだって。発ガン性や催奇性がきわめて高い有害化学物質のダイオキシン、そのダイオキシンの中でももっとも毒性の強い「2・3・7・8―TCDD」に汚染された魚がウヨウヨ泳いでいるってことを、ぜひ東京都のみなさんに伝えてほしい、ってメッセージを託されたんだけど、僕だって故郷由良川の仲間たちのことを思って気が気じゃなかった。

ダイオキシンによって0.0014pptの濃度で限りなく汚染された東京湾の海水をできるだけ口に入れないように、エラの奥深くためにためこんだ空気を大切に使いながら、4月27日の真夜中に、ベイブリッジを右手に見みながら浦賀水道を通り過ぎ、三浦半島をぐるっと回りこんで、ようやく潮のみれいな相模灘に出たときは、ほっとしたよ。

真夏を思わせる青空の下を、真面目な入道雲がムクムクと湧き起こるのを呆然と眺め、ああ、いずれ僕たちウナギも由良川の魚も遅かれ早かれ死んでしまうんだな、でも、有機物より無機物の方が寿命で長いのはなぜなんだろう、なんてアホなことをぼんやり考えながら、いつものようにお腹を天日で乾かしていたら、マンボウとヤリマンボウが仲良く波の上で昼寝しながら流れていくのに出会っちゃった。

あ、そうそう、ハナオコゼとイザリウオが大喧嘩して、ハリセンボンがあわてて止めに入っているのも面白かったったし、いちばん素敵なのは、なんといってもリュウグウノツカイとしばらく一緒に泳いだことかな……

苦しいことがあまり多すぎて、たまに楽しいことがあっても、すぐに忘れちゃう。
ケンちゃん、幸福はいつも急いで君の傍を通り過ぎるから、手をのばしてしっかりつかまえないと、一生そいつをとりのがしてしまうかもしれないよ。
エヘン、どう、ウナギストって哲学者でしょ。長い旅をしてるとついついいろんな物思いにふけってしまうのさ……

おっといけねえ、そうこうしてるうちに茅ヶ崎だ。
「サザンの桑田君が砂浜で勝手にシンドバッドしてるのが目印だ」とお父さんが教えてくれた、その茅ヶ崎と大磯の間を貫流している相模川に必死でとりついて、またもや逆行に次ぐ逆行、ようやく寒川町にある取水堰に辿りつき、直径2メートルもある太い真っ暗な水道管の中をうねうねうね15キロもうねったんだ。

よおし、これで最後の旅だと気力を振り絞ってようやく浄水場にもぐりこめたと思ったら、大量の塩素をどっさりあびて消毒されて、ほとんど死にかけたんだけど、ナニクソと頑張りぬいて浄水場の裏口からこっそり忍びこんで、送水ポンプと揚水ポンプをつづけざまにさかさまに、ウナギのぼって、ウナギ下り、送水管をつうじて排水池に入って一日中ゆっくり休んだあとは、鎌倉中の真っ暗な給水管の中をあっちこっち匍匐前進しながら、本日ただいまやっとのことでケンちゃんちの水道まで辿りついたってわけ。
ああくたびれた、くたびれた!

ウナギのQちゃんは、いっきに語り終えると、どっと長旅の疲れが出たようで、水盤の中でぐったりと横になりました。

その間にケンちゃんは、2階の勉強部屋から理科や社会の教科書や地図を持ちだして、Qちゃんの大冒険のあとを辿り、これはもしかして人間でいえばマルコ・ポーロやバスコ・ダ・ガマよりすごい大旅行じゃないだろうか。か細い一匹のウナギストにできることが立派な一人前の少年に出来ないわけはない。
よおし、命懸けの大ツアーを敢行したQちゃんに負けてたまるか。由良川の魚たちを救うために、ボギー、俺も男だ。ムク、お前は僕の愛犬だ。何でもしてやるよ! 何でもやってやるよ!と、固く固く心に誓ったのでした。

 

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由良川狂詩曲~連載第9回

第3章 ウナギストQの冒険~戦う深海魚たち

 

佐々木 眞

 
 

 

ああケンちゃん、僕はもうこれですべてジ・エンドだ。
由良川のウナギストたちには申し訳ないけど、僕は、性格が悪くて腹ペコちゃんりんゆであずきの深海魚たちの手にかかって、よってたかってオルフェオのように八つざきにされて短い一生を終えるんだ。

ああ、魚たちが僕に襲いかかって来た。
急いで急いで辞世の歌をうたわなくっちゃ。
ああ、早くしなくちゃ。
えいくそッ、この非常事態に、いっとう大切な時に何の文句も出てこないとは!
と嘆きつつも、僕は歌ったんだ。

ゆうべえびすで呼ばれて来たのは
鯛の吸い物ございの吸い物
一杯おすすで
スースースー
二杯おすすで
スースースー、
三杯めにさかながないとて
出雲の殿様お腹をたてて
ハテナ ハテナ
ハテ ハテ ハテナ……

するとその時、殺到するタラたちの前に、チョウチンアンコウが、夜目にも美しく輝くあのチョウトンを高々と掲げて、立ちふさがったの。
そして大声で叫んだんだよ。

「待て、このチビウナギをお前たちに独り占めさせておく俺さまだと思ったら、大間違いだぞ。こいつを喰いたきゃ、その前に俺さまを斃してからにしろ!」と。

そこへ、フジクジラとカラスザメも大勢の仲間と一緒に駆けつけ、アバンコウ、ワヌケフウリュウウオ、トリカジカ、それに例の悪漢3人組が入り乱れて、光と闇、蛍火と燐光、正義と邪悪、弱肉と強食、天使と悪魔、髑髏と般若、有鱗と無鱗、花と蝶とが丁々発止の大決戦!

深海魚同士の同志討ち、さらには共喰い騒ぎまでおッぱじまったのをいいことに、雲を霞み、夜を曙、波を帆かけの夜討ち朝駆け、艦長ネモの操縦するノーチラス号を遥かに凌ぐ最大巡航速度25ノットで、深度800メートルから、たちまち500メートル、300メートルまで、ぼく、一気に浮上したの。

そしてヒョーキン者のスナイトマキやキタホンブンブク、チャマガモドキ、クモリソデ、ウチダニチリンヒトデ、トゲヒゲガニ、エゾアイナメにアヤボラ君たちが元気に泳ぐ姿を見たときには、「やれやれこれで助かった」と思わずひと安心したんだ。

ここでケンちゃんは、
「田舎のおっさん
あぜ道通って
蛙をふんで
ギュ
Qちゃん、九死に一生だったんだね」
と、かるーく一発ジョークをかましたのですが、
Qちゃんは全然耳に入らないようで、夢中で話を続けます。

ねえケンちゃん、聞いて、聞いて。
ボク「もう怖いことは、こんりんざいごめんだ、ごめんだ」と泣き叫びながらも、さらにエンジンを全開して、水深わずか50メートルのところを、猛スピードで泳いでいたら、時計回りにぐるぐる回るあたたかな黒潮と、反時計回りでぐるぐる回るつめたい親潮とが入り混じっているところに出くわして、上を下へのぐるぐる巻きに状態になってしまったの。

アジ、サバ、スルメイカ、サンマ、ブリ、カツオ、キハダ、カジキマグロの大群が、おいしいプランクトンを求めて踊り狂う大海原。
ようやっとの思いで水面すれすれ、青空と青い潮のいりまじる境界線にぽっかり顔を突き出したところは、ちょうど鹿島灘の沖合およそ1.5キロの地点でした。

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第8回

第3章 ウナギストQの冒険~日本列島ひと巡り

 

佐々木 眞

 
 

 

ウナギのQちゃんの長話は、まだまだ続きます。

「ちょっと大変だったのは丹後由良の海岸かな。あそこは昔から波が荒くて、海水浴のお客さんも、どっちかいうと波の静かな若狭湾の高浜か和田のほうまで足を伸ばしていたくらいだから……。
でも最近高浜には原発が出来てしまったから、僕らも敬遠して、近寄らないようにしてるんだ。真冬でも暖かいお湯が流れ出ているから、そこに集まる馬鹿な魚たちもいるんだけどね。

由良川の河口が若狭湾、日本海にそそぐところは波がきつくて、塩もからいし、けっこう苦労したけど、いたっん沖に出てしまえばもうこっちのもの。
日本海ってさ、けっきょく対馬、津軽、宗谷、間宮の4つの海峡に取り囲まれた大きな湖みたいなもんなんだ。対馬海流のおかげで冬でもわりと温かいしね。
遠く東シナ海から時速0.04ノットで北上する対馬海流に乗って、能登半島、舳倉島そして佐渡海峡を過ぎたあたりで、ここらへんでよくある嵐がやって来たんで、思い切って水深300メートルくらいまで潜ったんだけど、それでも水温は零度、塩分は34%くらい。オホーツク海や北太平洋や東シナ海とくらべると、この日本海は水に溶け込んでいる酸素の分量がとても多いから、僕たちのとってはとても泳ぎやすいんだ。
アカガレイやヒレグロたちが楽しそうに泳いでいたよ」

 話がとつぜん実践的かつ専門的になったので、ケンちゃんは尊敬のおももちで、Qちゃんを見つめています。

「お父さんにあらかじめ教えられていたんで、男鹿半島を過ぎたあたりでは、うっかりして北海道のほうまで流されないように注意してたんだ。
なぜって対馬海流は、ここで2つにわかれてしまうから。もし僕が白神岬と龍飛岬の間で右折して津軽海峡に入らなければ、もう二度と由良川には戻ってこれないぞ、って厳重に警告されてたからね。

津軽海峡の春景色を眺めながら、下北半島の尻屋崎と亀田半島の恵山崎の間を、僕の巡航速度0.75ノットで通りぬけ、やれやれ、これでようやく無事に太平洋に出られたか、と思ったら、猛烈な勢いで体温が下がって来て、今までとは逆に南へ南へと流されていく。

その原因は、千島列島からやってくる冷たい親潮のせいなんだ。4月とはいっても、まだ北国の春は氷のように冷たいし、僕は南の海生まれだから、もう死ぬかと思ったけれど、みんなの代表として派遣されてきているわけだから、こんなことで文句を言っては罰が当たる、と思いながら、まわりのプランクトンを口当たり次第にパクパク呑みこみながら、朝から晩まで太平洋を南に流されてた。

ところが数日たったところで、突然全身が3メートルはあろうかというキハダマグロ、そしてカツオの大群が何千、何万匹の大集団で僕めがけて高速戦闘機のように襲いかかってきたんだ。

まるでバーチャルリアリティの世界。水も温かいところと冷たいところが交互に入り混じって、気持ち悪いったらありゃしない。
あ、そうだ。この辺が親潮と黒潮、寒流と暖流が激突するので有名な鹿島灘の沖合かなと思ったけど、プランクトンを求めて黒潮の南部水域からまっしぐらに北の海めがけてやってくる索餌北上群の威力のすさまじさがあまりにも物凄くて、僕はあっというまにきりもみ状態。
滝壺に落下した1匹のメダカみたいに激しい水流にぐるぐると巻きこまれてしまってアップアップ。ウナギの癖に水におぼれちゃった。

意識を失ってからどれくらい時間が経ったんだろう。そこは真っ暗のクラ。物音一つしない不気味な暗黒の世界。

ほとんどソヨとも水の流れが感じられない水深千メートル、いやもっと深いかもしれない。砂地のうえで30分くらいじっと横たわっていたら、だんだんまわりがぼんやり見えるようになってきた。
すぐ近くを、のそのそ歩いているトゲズワイガニを見付けたときは、うれしかったよ。それとかミドリモミジボウなんかも、僕のそばでボケーっとしてた。

じょじょに体力も回復してきたし、そろそろ上にのぼってやろうかな、と屈伸運動を行い、日課の腕立て伏せ20回、腹式呼吸20回、それにNHKの第2ラジオ体操を自分で歌いながら自分でやり終わって、ゆっくり真昼の暗黒界を見渡したとたん、僕は思わず腰を抜かしてしまいましたよ、ケンちゃん」

「ど、どうしたの、Qちゃん」

「つまりですね、僕のまわりに、いつのまにやら銀色にキラキラ輝く光源体が、あっちからも、こっちからもETのようにむらがって、初夏の宵の蛍火のように、こっちへ来い、こっちへ来い、って僕を呼ぶんです。

考えてみると深海ってほとんど人の出入りはもちろん、魚の出入りもないもんだから、僕みたいな変なストレンジャーがやってくると、みんな人恋しい、いや魚恋しい魚ばっかりなもんだから、もう珍しがっちゃって、何キロも離れた遠方から、手土産を持ってワレモワレモと押しかけてくるんですね。

まず第7騎兵隊のカスター中佐のように、光り輝く連隊旗を掲げたチョウチンアンコウが、全身真っ黒なオキアンコウと闇の中で鉢合わせ、
「おうおう久しぶり、久しぶり、この前会ったのは、たしか大西洋のはずれのどっかだったなあ、お前、元気?奥さんも元気?」
などと、やたら懐かしがったりしています。

いっぽうこちらで鉢合わせしたのは、全身を美しくライトアップしたフジクジラとカラスザメ。サメ肌をくっつけあって、大きなめんたまをうるませながら、「こんなところで会えるとは!」と涙をポロポロ流してよろこんでる。

そこへやって来たのは、サメ肌コンビよりもっともっと大きな目玉をウノメタカノメ、ウオノメもギョロギョロさせながら、僕に急接近してきた全身棘だらけ、完全武装のトリカジカとワヌケフウリュウウオのふたり。こわいよお!

おっと、そこへまたしても海底リングに乱入してきたのは、やたらめったら怒り狂っているソコクロダラ、カナガタラ、イトヒキダラの極悪3タラトリオ。
これでもう1週間以上口に何も入れていなくって腹ペコのペコ。
「こうなったら目にするもの口に入るものなら、石でも悪魔でもなんでも食ってやるぞ!」と物凄い鼻息をブツブツ辺り一面に吐き散らしながら、こんな歌を唄うのでした。

おちよ、おちよ、
だんだら餅 おちよ
金と銀とにわかれて
わがものよ

 
 
 

由良川狂詩曲~連載第7回

第3章 ウナギストQの冒険~アサラーム・アライクン!

 

佐々木 眞

 
 

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(そういえば、こいつはあの時のウナギにちょいと似てやしないか?)

ケンちゃんは急いで水盤の中で悲しそうに尻尾を巻いてじっとしているウナギの尾ひれを見つめました。
するとそこには、あきらかに独逸ゾーリンゲンの特製ハサミで突起を3本ゾリッとカットした跡があったのです。
「やっぱりこいつは、ウナギのQちゃんだったんだ。去年の夏、綾部の最後の晩に由良川へ逃がしてやったQちゃんだね? あんときボクは、お前に神聖な命名式を行ったあと、ユダヤ式の割礼をドイツ製のハサミで断行し、そのあとで「アサラーム・アライクン! 平安御身にあれ!」と3度唱えてから、夕闇せまる由良川にお前を解放してやったんだ」
ウナギのQちゃんは、ケンちゃんお得意の挨拶「アサラーム・アライクン」を3回耳にするやいなや、反射的にふたたびみたびウナギのぼりのジャンプを試みました。
そして3回目にちょうど目の高さのところまで大きくジャンプしてきたQちゃんを、ケンちゃんは、しっかりとつかまえました。
「ようよう、元気かよ。ちびのQちゃん。どうして最初から名乗りを上げないんだよお」
すると全身をギュッと握りしめられたウナギは目を白黒させて、「そんなこと、ボクのシッポを見ればわかるじゃないですか。でも、あんときは命を助けてくれてありがとう! 本当に本当に助かりました!」
「お礼なんていいってことよ。それよか、あれから1年近く経ったのに、どうしてまだこんなチビちゃんなの? どうして背ビレも尾ひれもこんなにボロボロになっちゃったの? よっぽど苦労したんだね」
「そのとおりなんです。ボクは本当に苦労してきたんです。一口では言えないほど……」
「そうなのか。それより、この物語の最初の話の続きだけど、君たちを襲ってきた怪物って、いったいどんな奴なの?」
「いままで僕たちが見たことも聞いたこともないくら、超ドーモーなやつらでした。こう、気色の悪いどす黒い色ををしていて、まるで殺人鬼のような冷たい目で、こっちをジロリと睨むんです。そして目が合ったが最後、どこどこまでも僕たちを猛スピードで追いかけてくる。その早いのなんのって、アユさんより2倍から3倍のスピードがあるうえ、こおーんなデッカイ口を、ガバーと開いて、その口の中には、ナイフのように鋭い牙がいっぱい。手当たり次第口当たり次第に、なんでもかんでも、その大きな口で、パクリパクリと噛みついたら最後、いっきにムシャムシャむさぼり喰ってしまう。もう僕たちの仲間が、何千何万と喰い殺されてしまいました。これは魚の口から言うのもなんなんですが、皆殺しのジェノサイドです。このままいけばあのギャングどもにみんなやられてしまいます。魚類浄化です。お願いです。ケンさま! 神さま! 仏さま! どうか由良川の魚たちを助けてください!」

Qちゃんの涙ながらの訴えを聞いて、ケンちゃんの気持ちは、ぐらぐらと揺れ動きました。ケンちゃんは今年小学6年生。来年は中学だといういのに、勉強は全然やりません。学校から帰るとカバンを玄関に投げ出して、そのまま遊びに出かけます。
昨日の午後も、学校の帰りにヒロユキ君とタケちゃんの3人で、学校の近くを流れている滑川に入って、夕闇が迫ってくるのも忘れて、素手で夢中でウナギ摑みをしていました。
ところがてっきりウナギだと思ってむんずとつかんだマムシが、ヒロユキ君の右腕にガブリと噛みついたからたまりません。ベルトで止血したり、救急車を呼んだりの大事件を起こしてしまったので、3人とも家族から大目玉をくらい、当分は3人組での活動は絶対禁止、まかりならぬと言い渡されてしまったのです。
いらいお父さん、お母さんからのダブルチェックも入るし、来週からは試験も始まるし、生物クラブの部活も忙しくなる。「僕ウナギの仲間を助けるために綾部へ行って来るよ」などと口走ろうものなら、すぐにも戸塚ヨットスクールか風の子学園に入れられるかもしれません。とても由良川どころではないのです。
首をガックリとうなだれ、小さなエラをひくひく動かして、微かに空気呼吸をしているウナギのQちゃんを見ているうちに、ケンちゃんは、ふとあることに思い当りました。
(Qちゃんは、いったいどうやって鎌倉の僕の家のまでやってくることができたのだろう? )
そこでケンちゃんは、Qちゃんに尋ねました。
「Qちゃん、Qちゃん、お前はどうやって僕のお家までやってきたの?」
するとQちゃんは答えました。
「ケンちゃん、理科の授業で習わなかったの? 僕たちウナギストは世界中どこでも旅行できるってことを」
「君たちが太平洋の遥か彼方、マリアナ海溝の奥深くで産卵してから稚魚となり、次第に成長しながら2000キロも海流に乗って日本にやってくるという話は、理科のクロサカ先生から聞いたけど」
「その通り。でも、それだけじゃありませんよ。僕たちは、海でも川でも自由自在、世界中どこへでも旅行できるんだよ。すべての道がローマに通じているように、僕たちウナギストにとって、すべての水が綾部に通じているのさ」
「うそだあ、そんなわけのわからない話って、はじめて聞いたよ。でもQちゃん、丹波の由良川って、日本海に注いでいるよね。そこからどうやって太平洋までやってこれたの?」
「そんなのオチャノコサイサイさ。まずせんげつ吉日、綾部の由良川で、ほらケンちゃんが去年僕を逃がしてくれた井堰のところで、お父さんとウナギストたちの仲間が、僕の壮行会をやってくれたわけ。それでね、その日のうちに由良川の大きな波に乗って、スメタナの「モルダウ」をBGMにしながら、君美の里をほぼ直角に左折して、下流の大きな街、福知山からは進路を北東にとって、♪長田野こえて、駒を速めて亀山へ、あ、どっこいせ、あ、どっこいせ、どっこい、どっこい、どっこいせ、ちょこちょいに、ちょいのおちょいのちょい、大江山ゆく野の道はとおけれど、まだふみもみず天の橋立、を遥か北北西に遠望しながら、酒呑童子のすむという大江山の麓を、お腹をお天道さまに照らされながら、粛々と通り過ぎ、山椒大夫の屋敷があった丹後由良の浜までは、鼻歌をうたいながら「朝寝して時々起きて昼寝して宵ネするまで居眠りをする」ってな具合で、風のまにまに波まかせ、のんびり、ゆっくり流されて来たっていうわけ」

 

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由良川狂詩曲~連載第6回

第2章 丹波夏虫歌~ウナギのQちゃん

 

佐々木 眞

 
 

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「さあ、真っ黒なウナギのやつが、ヤナの中に入っているかな……」
ケンちゃんは、そばに誰かが立っていたら、絶対に聞こえるんじゃないかと心配になるくらい心臓が強く鼓動を打つのを、全身で感じながら、石ころと早い水流が邪魔になって、きわめて歩きにくい川瀬を、素足のままで、一歩一歩あるいていきます。
息をこうグッとひそめて、仕掛けヤナに近付いていく。
そして1、2、3でヤナを引っ張り出して、思い切ってその中を覗きこむ……
でも、たいていは穴の中は、水にほとびて淡紅色になったテッポウミミズだけ。
雑魚一匹入っていないヤナの中を、ケンちゃんは、顔を水面すれすれにくっつけて、何度も何度もよーく見たのでしたが。
結局ウナギが獲れたのは、その夏綾部に滞在した1週間のうち、たった2回だけでした。

生まれて初めて、ケンちゃんが、まるまると肥った真っ黒なウナギをいけどった日のよろこびを、何にたとえたらよいのでしょうか?
そう、それはケンちゃんが、生まれて初めて国蝶オオムラサキ、学名Sasakia charondaを捕虫網にばさりと入れたときの、まるで飛翔中のツバメをなにかの間違いで捕獲したときのような、息を呑むような充実感としか比べようがありませんでした。
その折に、ケンちゃんが感動のあまり唄った歌は次のようなものでした。

加藤清正
お馬に乗って はいどうどう
あとから 家来が
槍持って はいどうどう

体長2メートル、直径20センチはあろうかという天然ウナギは、おばあちゃんのアイコさんの手でじょうずにさばかれ、特製のタレをまぶして、丹念に焼かれて、その夜おいしいカバヤキにされちまいました。
が、しかし、ケンちゃんはどうしてもそれを食べようという気が起こらず、兄貴のコウちゃんが何倍もお代わりして、まるで子豚のようにムシャムシャ食べるのを見ているだけで、お腹がいっぱいになってしまいました。
ケンチャンは、ほんとうはウナギをカバヤキなんかにしないで、いつまでも自分の手元に置いておきたかったのでした。
バケツの中に入れて、ヌルヌルそしたその感触を楽しみ、魚くさいその臭いをかぎ、愛犬ムクのような顔をしたそいつに、チュッとキスをしてやり、そのあとでまたバケツの中に返してやり、そんな風にして、いついつまでも遊んでいたかったのでした。

だから2回目にヤナにウナギがかかったとき、ケンちゃんは「こいつは絶対にカバヤキにはさせないぞ」、と固く決心したのでした。
でもそのウナギは、カバヤキになってしまった最初の大きなやつと違って、とてもウナギとはいえないくらいちっぽけで、細長いウナギだったのです。
ケンちゃんはこのウナギをはじめて見たとき、ヤツメウナギかちょっと太めのドジョウかと勘違いしたくらいでした。
そのうえこのスリムなウナギときたら、ケンちゃんが両手でむんずとつかまえると、まるでマゾヒストのヤツメウナギのように、哀れな声で「ヒーヒー、キュウキュウ」と悲鳴を上げるのです。
そうしてそのウナギは、絶望と悲哀に満ちたまなざしで、ケンちゃんのつぶらな瞳をじっと覗きこむようにするものですから、なおのことケンちゃんは、このウナギを殺したり、食べたりできなくなってしまったのでした。

「お前はキュウキュウ泣くからQちゃんだよ」
そう命名してから、ケンちゃんは、Qちゃんの小さな口にチュッとくちづけしてやりました。

 

空白空白空白空白空つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第5回

第2章 丹波夏虫歌~君美の里

 

佐々木 眞

 
 

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「健ちゃん、健ちゃん、大丈夫かい。ほれ、ほれ、しっかりしなさい。お母さん、お母さん、健ちゃんにちょっと葡萄酒を飲ませなさい……。
ああ、これで大丈夫だ。気がついたようだ。長旅で着いたばかりなのににぎやかな人ごみで花火を見たり、大売り出しを手伝ったりしたものだから、きっと疲れがでたんだろう。
ほら、早く健ちゃんを休ませておやり……」

翌朝5時、健ちゃんは元気いっぱいで飛び起きました。なんといっても少年時代から野山できたえにきたえたしなやかな体です。
窓の外では、ニイニニゼミにまじってアブラゼミが猛烈な勢いで鳴き叫んでいます。
健ちゃんは自転車を飛ばして、由良川のかなり下流、君美(きみ)の山のクヌギ林までやってきました。わずか10分ほどで到着です。
綾部大橋をくぐった由良川が川幅いっぱいに張り巡らせた巨大な井堰によって急に堰きとめられ、苦し紛れに大蛇のようにもだえながら石の上を匍匐前進すること1・5キロ、やがて次第に元の勢いを取り戻した北近畿1の清流は、川砂利の丘によってふた筋、み筋に切り離されていた流れを大きくひとつに束ね、満々たる清水を豊かに蓄えつつ、倍旧のスピードで強固な岩壁に激突します。
そして、ここで90度方角を捻じ曲げられた由良川は、やむなく下流の福知山盆地へ向かうことになるのですが、このあたり一帯を君美の里というのです。
川の対岸の落葉樹林では、たとえば6月の黄昏時ですと、コナラ、クヌギ、ミズナラ、カシワ、ハンノキ、トチノキなどを食草とするムラサキツバメやアカシジミ、ミドリシジミ、そして時折は天然記念物のスギタニルリシジミたちが、それらの落葉樹林の樹冠の上空を猛スピードで飛び交い、あざやかな深緑や燃え立つような朱、ダイアモンドよりも素晴らしい七彩の光芒をあたりにまきちらしながら、ギリシア神話の妖精のように高ぞらに消えてゆく光景におめにかかれるのですが、ちょっぴり残念なことにいまは夏。

健ちゃんが、君美の林道を両手を離して自転車で走っていますと、クリとクヌギの木々の根元から湧きだすあまい樹液を求めて、あの華麗な国蝶オオムラサキとその子分のコムラサキ、ルソーのように憂鬱な散策者キマダラヒカゲ、ぶんぶんとやたら元気なカナブン、獰猛なスズメバチに混じって、カブトムシとクワガタが群がっているのが見えました。
あいにく何の用意もなかったので健ちゃんは黒光りするカブトムシの雄ばかり5匹をショートパンツの左のポケットに、ミヤマクワガタの大きいやつを右のポケットに7,8匹ぎゅうぎゅうに詰め込み、(ポケットの中では地を血で洗い、しのぎを削り同族相はむ同士討ち)さらに半袖のポロシャツの小さなポケットに、濃い黒と茶がいぶし銀のような光沢を放っている体長10センチはあろうかという巨大なオオクワガタを2匹つっこみ、
♪ミミファソ、ソファミレ、ドドレミ、ミレレ
と喜びの歌をうたいながら、「てらこ」まで全力疾走で帰って来たのでした。
それから夕方になると、健ちゃんは、お父さんのマコトさんと一緒に畑へ行って、湿った土を掘り起こし、できるだけ大きくて元気そうなテッポウミミズを5,6匹捕まえました。
マコトさんは、地面でのたうつテッポウミミズにオシッコをひっかけていましたが、健ちゃんは、それをやるとオチンチンが腫れるという噂を信じ込んでいましたので、軽薄な父親の真似はしませんでした。
それからマコトさんのオシッコのかかっていないテッポウミミズを持って、健ちゃんはおじいさんのセイザブロウさんと一緒に、もう薄暗くなっってしまった由良川へ出かけました。
轟々と地響きをたてて流れる由良川が、川幅全体にわたって井堰によって堰きとめられている一帯を慎重に歩きながら、石と石の間、岩と岩の間にできたほの暗い穴、魚たちのひそんでいそうな隠れ家を見つけ、そこに縄で編んだヤナを仕掛けるのです。
ヤナの奥には針を呑みこんだテッポウミミズがのたうちまわっています。
健ちゃんは、思わず唄い出しました。

♪下駄隠し ちゅうねんぼ
ながしの下の 小ネズミが
ぞうりをくわえて チュッチュクチュ
チュッチュクまんじゅうは 誰が食た
だあれも食わない わしが食た

さあ、これでよし。あしたの朝がたのしみだ。お父さんと一緒に5時に起きて、由良川に戻ろう。健ちゃんは期待に胸を膨らませて、西本町25番地の「てらこ」へ帰りました。

さて翌朝です。
健ちゃんが、お父さんをさそいに行きますと、マコトさんは、ベッドの上で普段の3倍は膨れ上がったオチンチンを押さえて、「痛いよお、痛いよう」と転げ回っていました。
昨日の立ちションのバチがあたったのです。
仕方がないので、健ちゃんはひとりで由良川へ出かけました。

 

空空空空空空空空空つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第4回

第1章 丹波人国記~水無月祭り

 

佐々木 眞

 
 

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「てらこ履物店」のいちばんの上得意は、色街の月見町の芸者さんたちでした。
彼女たちは、上等の着物をきて酒席にはべりますから、当然、その行き帰りにはこれまた上等の草履をはきます。
下駄よりも、ヘップ(オードリー・ヘプバーンが映画の中ではじめてはいたサンダルのことを、いつのまにか下駄業界用語でそう呼ぶようになりました)よりも儲かるのは、当然のことながら高級草履でした。
昼間は神聖な教会の祭壇に額ずき、夜は月見町の芸者たちに御世辞のふたつもみっっつもいいながら、ハンドバッグとセットで2万5千円もする高級草履を売り込むセイザブロウさんとアイコさん。
健ちゃんのお父さんのマコトさんは、そんな父と母が、日ごと夜ごとに繰り返す、表と裏、聖と俗の二重生活というものにたいして、生意気にも、罰あたりにもいまいち得心がいかず、軽い反発すら覚えていたというのですから、ずいぶんとネンネエのおぼっちゃまだったのですね。

さあて昨年の夏ことでしたが、いまは鎌倉に住んでいる健ちゃん一家は、そんな格調高い歴史と伝統を誇る綾部の「てらこ」を訪ねました。
海に近く夏でも涼しい鎌倉から新幹線でやってきた京都は、無茶苦茶に蒸し暑く、もっと暑い綾部に辿りつくには、そこからさらに山陰本線の急行で1時間半かかります。
山陰本線の狭軌も狂気のように、明治ミルクチョコレートのようにぐんにゃり曲がり、運転手さんは懸命にレールを取り替えなければなりません。
そして取り替えられた分だけ列車は進み、とっかえひっかえしながら、健ちゃんたちはようやく懐かしの故郷に辿りついたのですが、到着した綾部盆地は、さらにさらに蒸し暑い。連日35度を超えるうだるような暑さに、アブラゼミは飛びながら鳴き死に、ニイニイイゼミは一声チチと鳴いてから、息を引き取りました。

綾部は水無月祭りの夜でした。
由良川に架かる綾部大橋を埋め尽くした群衆の頭上高く、五色の菊やしだれ柳や紫陽花の大輪、中輪、小輪の夜目にも鮮やかな花々が、中空に何度も何度もはじけました。
光と色がきれいに組み合わさった花模様が、黒い夜空にバチバチとはぜて消えてゆく一瞬、盆地を見おろす四尾山と寺山と三根山のほの青い輪郭が、ほのかに浮かんではすぐに消え、それはどんな夢にも終りがあることを告げているようでした。
しばらくすると、大橋の上流一キロのところから流された灯籠が、あちこち寄り道しながら、ゆらりゆらりとこちらへやってきます。
それを見ながら健ちゃんは、まるで遠い祖先の精霊がざわめいているみたいだ、と思いました。
橋の上から手を合わせ、頭を垂れている人もいます。
灯籠をよく見ると、桐の葉の上に柿の葉を敷いて、さらにその上にナスやキュウリ、ホオズキ、トウモロコシの赤毛などで上手に作った牛や馬が、可愛らしく乗っかっています。
昔の人への供養を念じて、いまの人々の敬虔な真心が流す数百、数千の灯籠は、由良川の川面を埋め尽くし、橋上の善男善女が口々に唱えるご詠歌が最高潮に達したとき、川の左岸では曽我兄弟富士野巻狩仇討の場の仕掛け花火が水火こきまぜて、ドドオーン!と鳴り響きました。
夜空からは菊、桜、柳、山茶花、四花の五尺玉、はては特大の六拾センチ玉の打ち上げ花火が百花繚乱と咲いては散り、得たりや応と一糸乱れぬ乱れ打ちが、盆地全体を轟然と揺るがせます。
地軸も曲げよと吠える天地水、倶梨伽羅紋紋の唐繰り仕掛け、一世一代の大舞台と花火師が腕に撚りを掛けた光と音の饗宴は、さながら真夏の夜の夢まぼろしのように、今宵を先途と蕩尽しつくしました。
綾部の目抜き通りの西本町の老舗履物店「てらこ」では、由良川河畔の並松、上町、東本町、さらに旧城址がある上野、田町あたりから団扇に浴衣掛けでそぞろ歩く人々に向かって、橋から戻った健ちゃんが、黄色いボーイソプラノを投げつけています。
「さあ、いらっしゃい! いらっしゃい! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 品良くて、値段が安くて、持ちが良い。買うならことと、下駄はてらこ。てらこの下駄だよお!さあ、いらっしゃい!いらっしゃい!」
セイザブロウさんとアイコさんは、かわいい孫のあきんどの姿を、目を細くして眺めています。健ちゃんの御蔭で下駄もヘップも少しずつ売れて行くようです。

ちょうどその時、いつの間にやらうら若い二十三、四の月見町の小粋な姐さんが、ひとりでお店に入って来ました。
利休鼠の絽の着物に白、黄、紅、金、緑の斑点を総柄に散らし、三本の山百合を鮮やかに咲かせて。帯は黒地に観世水。雪のように白い肌を思い切りよくぐいと肩まであらわに。裾捌きもなまめかしう。
姐さんは疾風のように「てらこ」に入って来たので、彼女の金口の黒のバッグから一本の口紅がころがり落ちたのを、健ちゃん以外の誰一人気づきませんでした。
健ちゃんは、金色の容器から飛び出した真っ赤な口紅を拾ってすぐにお姐さんに渡そうと思ったのですが、なぜだかそれに触ってはいけないような気がして、どうしても手に取れません。
じっとそいつを見つめているだけで、心臓が早鐘を打ち、額の周りには冷たい汗がじっとりと湧きでてきました。
――ええい、こんちくしょう。口紅がなんだ。こんなもんがつかめなくてどうする!
と、思い切って右手を伸ばしてそいつをつかむと、意外にもズシリと思い手ごたえ。
そおっと鼻で匂いをかいでみると、今まで感じたこともない、未知の、禁断の、大人の、成熟した女の、不潔で、いやらしい匂い!
自分でも思わず知らず、そのきたならしい真っ赤なやつを、地べたのコンクリーの上に力いっぱい塗たくると、これが、いつか公園のトイレの片隅で見つけた薄いゴムの中のぶよぶよ淀んだ青白い液体のように、ぐんにゃりやわらか。どこまでも続く赤い血の流れに乗ってどこかへずるずると引きずられてゆくような怪しい磁力を感じて……
健ちゃんは、魔がさしたように、その口紅をそおっと自分のくちびるに塗ってみました。
舌の端っこでチロリとその赤いやつをなめてみると、急に頭の芯のところでジーンとしびれ、下半身がふあーんと暖かくなり、吐き気がするといえばするような、めまいがするといえばするような、気持ちがいいといえばよく、悪いといえば悪い。要するに、自分で自分が分からなくなってしまったのでした。
……とその時、やたら長い足をあだっぽく組んで竹のストールに腰かけていた姐さんが、今の今まで吸っていたキセルを、はっしと煙草盆に打ちつけました。
おしろいで真っ白に部厚く塗りたくった襟足から、きれいな櫛目をつけて、湯あがりに結いあげたばかりの、漆黒の日本髪が、ぐらありと半回転しました。
そして、健ちゃんのほうを向いたその顔は、いつかどこかで見たことのあるノッペラボーだったのです。

 

空空空空空空空空空つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第3回

第1章 丹波人国記~プロテスタント

 

佐々木 眞

 
 

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さて綾部は、このお話の主人公、健ちゃんのお父さんの故郷でもあります。
お父さんのマコトさんは、大学生になってからは東京に出てしまったために、いまは綾部では健ちゃんのおじいちゃんのセイザブロウさんとおばあちゃんのアイコさんが、西本町で小さな下駄屋さんを開いています。
屋号を「てらこ」というのですが、江戸時代には寺子屋、つまりいまでいう幼稚園か小学校があった場所に、健ちゃんのお父さんのお父さんのお父さんのそのまたお父さんが下駄の商売を始めたのでした。
つまり健ちゃんのひいおじいさんが、明治の終わりごろに開業したのが「てらこ履物店」だったのです。

いまの人は、下駄なんて浴衣を着るときくらいしか履きませんが、健ちゃんのお父さんが子供の頃は、まだ和服を着る人も多く、下駄を履く人と靴を履く人がちょうど半分くらいの割合だったそうです。
あるとき、(それは健ちゃんのお父さんが、いまの健ちゃんくらいの12歳頃のことでしたが)マコトさんが、セイザブロウさんが下駄の鼻緒をすげるのを眺めていたところへ、ひとりのよぼよぼのおじいさんが、傘をついてやってきました。
ちなみに綾部では、ロンドンのようなにわか雨が降るのです。
そのおじいさんは、「てらこ履物店」のある綾部の中心街からバスで1時間半ほど丹波高原の山地へ入った上林村の、さらにいちばん奥地の奥上林村から、半日かけてやってきた80歳くらいの人物で、腰は曲がり、髪は真っ白、顔は白い口ひげとあごひげにおおわれて真っ白、まるで仙人のような、この世離れしたいでたちで、てらこのお店へやってきたのでした。
おじいさんは、左手に碁盤模様の風呂敷包みと古ぼけた傘、右手にはなにやら灰いろにすすけた木のかたまりのような、ボロのような、奇妙な物体をぶらさげていました。
そして、その汚らしい物体をカウンターの上にどさりと置きながら、こういいました。
「ほんま、この下駄は長いこともちよったわ。おおきに、ありがとう。どうぞ新しいやつと取り替えてやってつかあさい」
セイザブロウさんは、なんのことやらさっぱり分かりません。
「取り替える、といいますと?」
「いやあ、てらこはんの下駄は、ほんま丈夫で長持ちしますなあ。しゃあけんど、もうこうなってしもうたら、寿命や。ほんでなあ、これとおんなじやつがあったら、はよ取り替えてやってつかあさい」
「あのお、うちは古い下駄のお取り替えは、やっとらへんのですけどなあ」
そういいながら、セイザブロウさんは、あることに気づいて愕然としました。
人間よりも猪が多い、と冗談のようにいわれる山奥から、腰に弁当を下げ、雨傘をついて、えんやこらどっこい、町の繁華街に出かけてきたこの仙人のようなおじいさんは、昭和の34年にもなるというのに、下駄屋でも、どこの店でも、その都度お金を払って新しい商品を買うのだ、という商習慣が、てんで分かっていないという事実に。
おそらく彼はいまから4、5年前に、今日と同じように、中丹バスに揺られ揺られて、西本町の「てらこ履物店」にやって来て、そのときは間違いなくお金を払って1足の下駄を購ったのでしょう。
しかしその下駄が、ちびて、すり減り、とうとう使い物にならなくなったとき、てっきり、定めし、必ずや、てらこでは、無料で、ただで、ロハで、新しい下駄に丸ごと交換してくれるに違いない、という思い込み、信念、確信が、この奥上林村の仙人の頭の中には、ずっしり、どっしり、はっきり、とありすぎたために、健ちゃんのお父さんのセイザブロウさんも、新しい、まっさら、ピカピカの下駄を、その白髪三千丈のおじんさんのために、あやうく、あわや、ほとんど、カラスケースの中から取り出そうとしたくらいでした。
当時の綾部には、それくらい浮世離れした人々が大勢いましたし、じつは何を隠そう、いまでも素晴らしく浪漫的な人たちが、町のあちこちに住んでいるのです。

「てらこ履物店」の人々、とりわけ健ちゃんのひいおじいさんのコタロウさんは、この町の筋金入りのクリスチャンでした。
表通りは下駄屋でも、裏に回れば玄関のとっつきに「死線を越えて」の著者がこの家を訪ねた折の揮毫が、ついたてにして飾られ、欄間のあちこちに明治の基督者たち、たとえば、海老名弾正や新島襄の筆になる額がかけられていました。
ご存知のようにこの国では、戦時中は信教の自由なんてものはありませんでした。コタロウさんのような熱心なクリスチャンは、「ヤソじゃ、ヤソじゃ」と向こう三軒両隣からもさげすまれて、開戦直後に警察のブタ箱に放り込まれる始末でした。
ようやく戦後になっても、コタロウさんの筋金入りのプロテスタントぶりは痙攣的に発揮され、コタロウさんの孫たちは、神社や寺社仏閣の子供会の早朝参拝や掃除には参加を禁じられていました。
その代わりにコタロウさんが孫たちに強制したのは、日曜日の朝の礼拝への出席でしたが、これは現行憲法が保障する、個人の「信教の自由」の侵害であったといえるでしょう。
そういえばある晩のこと、中学生になっていた健ちゃんのお父さんのマコトさんが、毎週土曜夜の学生礼拝をさぼって、町でただ1軒の映画館「三つ丸劇場」で、ジェームズ・ギャグニー主演のめったやたらに面白いギャング映画を見物している最中に、てらこの特別捜索隊に発見され、泣く泣く教会に連れ戻されたという、聞くも涙、語るも涙の物語もありました。
その際、劇場の切符もぎりのおばさんが、思わず洩らしたひとこと、「せっかく楽しんどってやなのに、親がそこまでやらんでも、ええのにねえ」に、筆者(わたくし)は、いまなお衷心より共感いたすものであります。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空次回へつづく