由良川狂詩曲~連載第7回

第3章 ウナギストQの冒険~アサラーム・アライクン!

 

佐々木 眞

 
 

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(そういえば、こいつはあの時のウナギにちょいと似てやしないか?)

ケンちゃんは急いで水盤の中で悲しそうに尻尾を巻いてじっとしているウナギの尾ひれを見つめました。
するとそこには、あきらかに独逸ゾーリンゲンの特製ハサミで突起を3本ゾリッとカットした跡があったのです。
「やっぱりこいつは、ウナギのQちゃんだったんだ。去年の夏、綾部の最後の晩に由良川へ逃がしてやったQちゃんだね? あんときボクは、お前に神聖な命名式を行ったあと、ユダヤ式の割礼をドイツ製のハサミで断行し、そのあとで「アサラーム・アライクン! 平安御身にあれ!」と3度唱えてから、夕闇せまる由良川にお前を解放してやったんだ」
ウナギのQちゃんは、ケンちゃんお得意の挨拶「アサラーム・アライクン」を3回耳にするやいなや、反射的にふたたびみたびウナギのぼりのジャンプを試みました。
そして3回目にちょうど目の高さのところまで大きくジャンプしてきたQちゃんを、ケンちゃんは、しっかりとつかまえました。
「ようよう、元気かよ。ちびのQちゃん。どうして最初から名乗りを上げないんだよお」
すると全身をギュッと握りしめられたウナギは目を白黒させて、「そんなこと、ボクのシッポを見ればわかるじゃないですか。でも、あんときは命を助けてくれてありがとう! 本当に本当に助かりました!」
「お礼なんていいってことよ。それよか、あれから1年近く経ったのに、どうしてまだこんなチビちゃんなの? どうして背ビレも尾ひれもこんなにボロボロになっちゃったの? よっぽど苦労したんだね」
「そのとおりなんです。ボクは本当に苦労してきたんです。一口では言えないほど……」
「そうなのか。それより、この物語の最初の話の続きだけど、君たちを襲ってきた怪物って、いったいどんな奴なの?」
「いままで僕たちが見たことも聞いたこともないくら、超ドーモーなやつらでした。こう、気色の悪いどす黒い色ををしていて、まるで殺人鬼のような冷たい目で、こっちをジロリと睨むんです。そして目が合ったが最後、どこどこまでも僕たちを猛スピードで追いかけてくる。その早いのなんのって、アユさんより2倍から3倍のスピードがあるうえ、こおーんなデッカイ口を、ガバーと開いて、その口の中には、ナイフのように鋭い牙がいっぱい。手当たり次第口当たり次第に、なんでもかんでも、その大きな口で、パクリパクリと噛みついたら最後、いっきにムシャムシャむさぼり喰ってしまう。もう僕たちの仲間が、何千何万と喰い殺されてしまいました。これは魚の口から言うのもなんなんですが、皆殺しのジェノサイドです。このままいけばあのギャングどもにみんなやられてしまいます。魚類浄化です。お願いです。ケンさま! 神さま! 仏さま! どうか由良川の魚たちを助けてください!」

Qちゃんの涙ながらの訴えを聞いて、ケンちゃんの気持ちは、ぐらぐらと揺れ動きました。ケンちゃんは今年小学6年生。来年は中学だといういのに、勉強は全然やりません。学校から帰るとカバンを玄関に投げ出して、そのまま遊びに出かけます。
昨日の午後も、学校の帰りにヒロユキ君とタケちゃんの3人で、学校の近くを流れている滑川に入って、夕闇が迫ってくるのも忘れて、素手で夢中でウナギ摑みをしていました。
ところがてっきりウナギだと思ってむんずとつかんだマムシが、ヒロユキ君の右腕にガブリと噛みついたからたまりません。ベルトで止血したり、救急車を呼んだりの大事件を起こしてしまったので、3人とも家族から大目玉をくらい、当分は3人組での活動は絶対禁止、まかりならぬと言い渡されてしまったのです。
いらいお父さん、お母さんからのダブルチェックも入るし、来週からは試験も始まるし、生物クラブの部活も忙しくなる。「僕ウナギの仲間を助けるために綾部へ行って来るよ」などと口走ろうものなら、すぐにも戸塚ヨットスクールか風の子学園に入れられるかもしれません。とても由良川どころではないのです。
首をガックリとうなだれ、小さなエラをひくひく動かして、微かに空気呼吸をしているウナギのQちゃんを見ているうちに、ケンちゃんは、ふとあることに思い当りました。
(Qちゃんは、いったいどうやって鎌倉の僕の家のまでやってくることができたのだろう? )
そこでケンちゃんは、Qちゃんに尋ねました。
「Qちゃん、Qちゃん、お前はどうやって僕のお家までやってきたの?」
するとQちゃんは答えました。
「ケンちゃん、理科の授業で習わなかったの? 僕たちウナギストは世界中どこでも旅行できるってことを」
「君たちが太平洋の遥か彼方、マリアナ海溝の奥深くで産卵してから稚魚となり、次第に成長しながら2000キロも海流に乗って日本にやってくるという話は、理科のクロサカ先生から聞いたけど」
「その通り。でも、それだけじゃありませんよ。僕たちは、海でも川でも自由自在、世界中どこへでも旅行できるんだよ。すべての道がローマに通じているように、僕たちウナギストにとって、すべての水が綾部に通じているのさ」
「うそだあ、そんなわけのわからない話って、はじめて聞いたよ。でもQちゃん、丹波の由良川って、日本海に注いでいるよね。そこからどうやって太平洋までやってこれたの?」
「そんなのオチャノコサイサイさ。まずせんげつ吉日、綾部の由良川で、ほらケンちゃんが去年僕を逃がしてくれた井堰のところで、お父さんとウナギストたちの仲間が、僕の壮行会をやってくれたわけ。それでね、その日のうちに由良川の大きな波に乗って、スメタナの「モルダウ」をBGMにしながら、君美の里をほぼ直角に左折して、下流の大きな街、福知山からは進路を北東にとって、♪長田野こえて、駒を速めて亀山へ、あ、どっこいせ、あ、どっこいせ、どっこい、どっこい、どっこいせ、ちょこちょいに、ちょいのおちょいのちょい、大江山ゆく野の道はとおけれど、まだふみもみず天の橋立、を遥か北北西に遠望しながら、酒呑童子のすむという大江山の麓を、お腹をお天道さまに照らされながら、粛々と通り過ぎ、山椒大夫の屋敷があった丹後由良の浜までは、鼻歌をうたいながら「朝寝して時々起きて昼寝して宵ネするまで居眠りをする」ってな具合で、風のまにまに波まかせ、のんびり、ゆっくり流されて来たっていうわけ」

 

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由良川狂詩曲~連載第6回

第2章 丹波夏虫歌~ウナギのQちゃん

 

佐々木 眞

 
 

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「さあ、真っ黒なウナギのやつが、ヤナの中に入っているかな……」
ケンちゃんは、そばに誰かが立っていたら、絶対に聞こえるんじゃないかと心配になるくらい心臓が強く鼓動を打つのを、全身で感じながら、石ころと早い水流が邪魔になって、きわめて歩きにくい川瀬を、素足のままで、一歩一歩あるいていきます。
息をこうグッとひそめて、仕掛けヤナに近付いていく。
そして1、2、3でヤナを引っ張り出して、思い切ってその中を覗きこむ……
でも、たいていは穴の中は、水にほとびて淡紅色になったテッポウミミズだけ。
雑魚一匹入っていないヤナの中を、ケンちゃんは、顔を水面すれすれにくっつけて、何度も何度もよーく見たのでしたが。
結局ウナギが獲れたのは、その夏綾部に滞在した1週間のうち、たった2回だけでした。

生まれて初めて、ケンちゃんが、まるまると肥った真っ黒なウナギをいけどった日のよろこびを、何にたとえたらよいのでしょうか?
そう、それはケンちゃんが、生まれて初めて国蝶オオムラサキ、学名Sasakia charondaを捕虫網にばさりと入れたときの、まるで飛翔中のツバメをなにかの間違いで捕獲したときのような、息を呑むような充実感としか比べようがありませんでした。
その折に、ケンちゃんが感動のあまり唄った歌は次のようなものでした。

加藤清正
お馬に乗って はいどうどう
あとから 家来が
槍持って はいどうどう

体長2メートル、直径20センチはあろうかという天然ウナギは、おばあちゃんのアイコさんの手でじょうずにさばかれ、特製のタレをまぶして、丹念に焼かれて、その夜おいしいカバヤキにされちまいました。
が、しかし、ケンちゃんはどうしてもそれを食べようという気が起こらず、兄貴のコウちゃんが何倍もお代わりして、まるで子豚のようにムシャムシャ食べるのを見ているだけで、お腹がいっぱいになってしまいました。
ケンチャンは、ほんとうはウナギをカバヤキなんかにしないで、いつまでも自分の手元に置いておきたかったのでした。
バケツの中に入れて、ヌルヌルそしたその感触を楽しみ、魚くさいその臭いをかぎ、愛犬ムクのような顔をしたそいつに、チュッとキスをしてやり、そのあとでまたバケツの中に返してやり、そんな風にして、いついつまでも遊んでいたかったのでした。

だから2回目にヤナにウナギがかかったとき、ケンちゃんは「こいつは絶対にカバヤキにはさせないぞ」、と固く決心したのでした。
でもそのウナギは、カバヤキになってしまった最初の大きなやつと違って、とてもウナギとはいえないくらいちっぽけで、細長いウナギだったのです。
ケンちゃんはこのウナギをはじめて見たとき、ヤツメウナギかちょっと太めのドジョウかと勘違いしたくらいでした。
そのうえこのスリムなウナギときたら、ケンちゃんが両手でむんずとつかまえると、まるでマゾヒストのヤツメウナギのように、哀れな声で「ヒーヒー、キュウキュウ」と悲鳴を上げるのです。
そうしてそのウナギは、絶望と悲哀に満ちたまなざしで、ケンちゃんのつぶらな瞳をじっと覗きこむようにするものですから、なおのことケンちゃんは、このウナギを殺したり、食べたりできなくなってしまったのでした。

「お前はキュウキュウ泣くからQちゃんだよ」
そう命名してから、ケンちゃんは、Qちゃんの小さな口にチュッとくちづけしてやりました。

 

空白空白空白空白空つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第5回

第2章 丹波夏虫歌~君美の里

 

佐々木 眞

 
 

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「健ちゃん、健ちゃん、大丈夫かい。ほれ、ほれ、しっかりしなさい。お母さん、お母さん、健ちゃんにちょっと葡萄酒を飲ませなさい……。
ああ、これで大丈夫だ。気がついたようだ。長旅で着いたばかりなのににぎやかな人ごみで花火を見たり、大売り出しを手伝ったりしたものだから、きっと疲れがでたんだろう。
ほら、早く健ちゃんを休ませておやり……」

翌朝5時、健ちゃんは元気いっぱいで飛び起きました。なんといっても少年時代から野山できたえにきたえたしなやかな体です。
窓の外では、ニイニニゼミにまじってアブラゼミが猛烈な勢いで鳴き叫んでいます。
健ちゃんは自転車を飛ばして、由良川のかなり下流、君美(きみ)の山のクヌギ林までやってきました。わずか10分ほどで到着です。
綾部大橋をくぐった由良川が川幅いっぱいに張り巡らせた巨大な井堰によって急に堰きとめられ、苦し紛れに大蛇のようにもだえながら石の上を匍匐前進すること1・5キロ、やがて次第に元の勢いを取り戻した北近畿1の清流は、川砂利の丘によってふた筋、み筋に切り離されていた流れを大きくひとつに束ね、満々たる清水を豊かに蓄えつつ、倍旧のスピードで強固な岩壁に激突します。
そして、ここで90度方角を捻じ曲げられた由良川は、やむなく下流の福知山盆地へ向かうことになるのですが、このあたり一帯を君美の里というのです。
川の対岸の落葉樹林では、たとえば6月の黄昏時ですと、コナラ、クヌギ、ミズナラ、カシワ、ハンノキ、トチノキなどを食草とするムラサキツバメやアカシジミ、ミドリシジミ、そして時折は天然記念物のスギタニルリシジミたちが、それらの落葉樹林の樹冠の上空を猛スピードで飛び交い、あざやかな深緑や燃え立つような朱、ダイアモンドよりも素晴らしい七彩の光芒をあたりにまきちらしながら、ギリシア神話の妖精のように高ぞらに消えてゆく光景におめにかかれるのですが、ちょっぴり残念なことにいまは夏。

健ちゃんが、君美の林道を両手を離して自転車で走っていますと、クリとクヌギの木々の根元から湧きだすあまい樹液を求めて、あの華麗な国蝶オオムラサキとその子分のコムラサキ、ルソーのように憂鬱な散策者キマダラヒカゲ、ぶんぶんとやたら元気なカナブン、獰猛なスズメバチに混じって、カブトムシとクワガタが群がっているのが見えました。
あいにく何の用意もなかったので健ちゃんは黒光りするカブトムシの雄ばかり5匹をショートパンツの左のポケットに、ミヤマクワガタの大きいやつを右のポケットに7,8匹ぎゅうぎゅうに詰め込み、(ポケットの中では地を血で洗い、しのぎを削り同族相はむ同士討ち)さらに半袖のポロシャツの小さなポケットに、濃い黒と茶がいぶし銀のような光沢を放っている体長10センチはあろうかという巨大なオオクワガタを2匹つっこみ、
♪ミミファソ、ソファミレ、ドドレミ、ミレレ
と喜びの歌をうたいながら、「てらこ」まで全力疾走で帰って来たのでした。
それから夕方になると、健ちゃんは、お父さんのマコトさんと一緒に畑へ行って、湿った土を掘り起こし、できるだけ大きくて元気そうなテッポウミミズを5,6匹捕まえました。
マコトさんは、地面でのたうつテッポウミミズにオシッコをひっかけていましたが、健ちゃんは、それをやるとオチンチンが腫れるという噂を信じ込んでいましたので、軽薄な父親の真似はしませんでした。
それからマコトさんのオシッコのかかっていないテッポウミミズを持って、健ちゃんはおじいさんのセイザブロウさんと一緒に、もう薄暗くなっってしまった由良川へ出かけました。
轟々と地響きをたてて流れる由良川が、川幅全体にわたって井堰によって堰きとめられている一帯を慎重に歩きながら、石と石の間、岩と岩の間にできたほの暗い穴、魚たちのひそんでいそうな隠れ家を見つけ、そこに縄で編んだヤナを仕掛けるのです。
ヤナの奥には針を呑みこんだテッポウミミズがのたうちまわっています。
健ちゃんは、思わず唄い出しました。

♪下駄隠し ちゅうねんぼ
ながしの下の 小ネズミが
ぞうりをくわえて チュッチュクチュ
チュッチュクまんじゅうは 誰が食た
だあれも食わない わしが食た

さあ、これでよし。あしたの朝がたのしみだ。お父さんと一緒に5時に起きて、由良川に戻ろう。健ちゃんは期待に胸を膨らませて、西本町25番地の「てらこ」へ帰りました。

さて翌朝です。
健ちゃんが、お父さんをさそいに行きますと、マコトさんは、ベッドの上で普段の3倍は膨れ上がったオチンチンを押さえて、「痛いよお、痛いよう」と転げ回っていました。
昨日の立ちションのバチがあたったのです。
仕方がないので、健ちゃんはひとりで由良川へ出かけました。

 

空空空空空空空空空つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第4回

第1章 丹波人国記~水無月祭り

 

佐々木 眞

 
 

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「てらこ履物店」のいちばんの上得意は、色街の月見町の芸者さんたちでした。
彼女たちは、上等の着物をきて酒席にはべりますから、当然、その行き帰りにはこれまた上等の草履をはきます。
下駄よりも、ヘップ(オードリー・ヘプバーンが映画の中ではじめてはいたサンダルのことを、いつのまにか下駄業界用語でそう呼ぶようになりました)よりも儲かるのは、当然のことながら高級草履でした。
昼間は神聖な教会の祭壇に額ずき、夜は月見町の芸者たちに御世辞のふたつもみっっつもいいながら、ハンドバッグとセットで2万5千円もする高級草履を売り込むセイザブロウさんとアイコさん。
健ちゃんのお父さんのマコトさんは、そんな父と母が、日ごと夜ごとに繰り返す、表と裏、聖と俗の二重生活というものにたいして、生意気にも、罰あたりにもいまいち得心がいかず、軽い反発すら覚えていたというのですから、ずいぶんとネンネエのおぼっちゃまだったのですね。

さあて昨年の夏ことでしたが、いまは鎌倉に住んでいる健ちゃん一家は、そんな格調高い歴史と伝統を誇る綾部の「てらこ」を訪ねました。
海に近く夏でも涼しい鎌倉から新幹線でやってきた京都は、無茶苦茶に蒸し暑く、もっと暑い綾部に辿りつくには、そこからさらに山陰本線の急行で1時間半かかります。
山陰本線の狭軌も狂気のように、明治ミルクチョコレートのようにぐんにゃり曲がり、運転手さんは懸命にレールを取り替えなければなりません。
そして取り替えられた分だけ列車は進み、とっかえひっかえしながら、健ちゃんたちはようやく懐かしの故郷に辿りついたのですが、到着した綾部盆地は、さらにさらに蒸し暑い。連日35度を超えるうだるような暑さに、アブラゼミは飛びながら鳴き死に、ニイニイイゼミは一声チチと鳴いてから、息を引き取りました。

綾部は水無月祭りの夜でした。
由良川に架かる綾部大橋を埋め尽くした群衆の頭上高く、五色の菊やしだれ柳や紫陽花の大輪、中輪、小輪の夜目にも鮮やかな花々が、中空に何度も何度もはじけました。
光と色がきれいに組み合わさった花模様が、黒い夜空にバチバチとはぜて消えてゆく一瞬、盆地を見おろす四尾山と寺山と三根山のほの青い輪郭が、ほのかに浮かんではすぐに消え、それはどんな夢にも終りがあることを告げているようでした。
しばらくすると、大橋の上流一キロのところから流された灯籠が、あちこち寄り道しながら、ゆらりゆらりとこちらへやってきます。
それを見ながら健ちゃんは、まるで遠い祖先の精霊がざわめいているみたいだ、と思いました。
橋の上から手を合わせ、頭を垂れている人もいます。
灯籠をよく見ると、桐の葉の上に柿の葉を敷いて、さらにその上にナスやキュウリ、ホオズキ、トウモロコシの赤毛などで上手に作った牛や馬が、可愛らしく乗っかっています。
昔の人への供養を念じて、いまの人々の敬虔な真心が流す数百、数千の灯籠は、由良川の川面を埋め尽くし、橋上の善男善女が口々に唱えるご詠歌が最高潮に達したとき、川の左岸では曽我兄弟富士野巻狩仇討の場の仕掛け花火が水火こきまぜて、ドドオーン!と鳴り響きました。
夜空からは菊、桜、柳、山茶花、四花の五尺玉、はては特大の六拾センチ玉の打ち上げ花火が百花繚乱と咲いては散り、得たりや応と一糸乱れぬ乱れ打ちが、盆地全体を轟然と揺るがせます。
地軸も曲げよと吠える天地水、倶梨伽羅紋紋の唐繰り仕掛け、一世一代の大舞台と花火師が腕に撚りを掛けた光と音の饗宴は、さながら真夏の夜の夢まぼろしのように、今宵を先途と蕩尽しつくしました。
綾部の目抜き通りの西本町の老舗履物店「てらこ」では、由良川河畔の並松、上町、東本町、さらに旧城址がある上野、田町あたりから団扇に浴衣掛けでそぞろ歩く人々に向かって、橋から戻った健ちゃんが、黄色いボーイソプラノを投げつけています。
「さあ、いらっしゃい! いらっしゃい! 寄ってらっしゃい、見てらっしゃい! 品良くて、値段が安くて、持ちが良い。買うならことと、下駄はてらこ。てらこの下駄だよお!さあ、いらっしゃい!いらっしゃい!」
セイザブロウさんとアイコさんは、かわいい孫のあきんどの姿を、目を細くして眺めています。健ちゃんの御蔭で下駄もヘップも少しずつ売れて行くようです。

ちょうどその時、いつの間にやらうら若い二十三、四の月見町の小粋な姐さんが、ひとりでお店に入って来ました。
利休鼠の絽の着物に白、黄、紅、金、緑の斑点を総柄に散らし、三本の山百合を鮮やかに咲かせて。帯は黒地に観世水。雪のように白い肌を思い切りよくぐいと肩まであらわに。裾捌きもなまめかしう。
姐さんは疾風のように「てらこ」に入って来たので、彼女の金口の黒のバッグから一本の口紅がころがり落ちたのを、健ちゃん以外の誰一人気づきませんでした。
健ちゃんは、金色の容器から飛び出した真っ赤な口紅を拾ってすぐにお姐さんに渡そうと思ったのですが、なぜだかそれに触ってはいけないような気がして、どうしても手に取れません。
じっとそいつを見つめているだけで、心臓が早鐘を打ち、額の周りには冷たい汗がじっとりと湧きでてきました。
――ええい、こんちくしょう。口紅がなんだ。こんなもんがつかめなくてどうする!
と、思い切って右手を伸ばしてそいつをつかむと、意外にもズシリと思い手ごたえ。
そおっと鼻で匂いをかいでみると、今まで感じたこともない、未知の、禁断の、大人の、成熟した女の、不潔で、いやらしい匂い!
自分でも思わず知らず、そのきたならしい真っ赤なやつを、地べたのコンクリーの上に力いっぱい塗たくると、これが、いつか公園のトイレの片隅で見つけた薄いゴムの中のぶよぶよ淀んだ青白い液体のように、ぐんにゃりやわらか。どこまでも続く赤い血の流れに乗ってどこかへずるずると引きずられてゆくような怪しい磁力を感じて……
健ちゃんは、魔がさしたように、その口紅をそおっと自分のくちびるに塗ってみました。
舌の端っこでチロリとその赤いやつをなめてみると、急に頭の芯のところでジーンとしびれ、下半身がふあーんと暖かくなり、吐き気がするといえばするような、めまいがするといえばするような、気持ちがいいといえばよく、悪いといえば悪い。要するに、自分で自分が分からなくなってしまったのでした。
……とその時、やたら長い足をあだっぽく組んで竹のストールに腰かけていた姐さんが、今の今まで吸っていたキセルを、はっしと煙草盆に打ちつけました。
おしろいで真っ白に部厚く塗りたくった襟足から、きれいな櫛目をつけて、湯あがりに結いあげたばかりの、漆黒の日本髪が、ぐらありと半回転しました。
そして、健ちゃんのほうを向いたその顔は、いつかどこかで見たことのあるノッペラボーだったのです。

 

空空空空空空空空空つづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第3回

第1章 丹波人国記~プロテスタント

 

佐々木 眞

 
 

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さて綾部は、このお話の主人公、健ちゃんのお父さんの故郷でもあります。
お父さんのマコトさんは、大学生になってからは東京に出てしまったために、いまは綾部では健ちゃんのおじいちゃんのセイザブロウさんとおばあちゃんのアイコさんが、西本町で小さな下駄屋さんを開いています。
屋号を「てらこ」というのですが、江戸時代には寺子屋、つまりいまでいう幼稚園か小学校があった場所に、健ちゃんのお父さんのお父さんのお父さんのそのまたお父さんが下駄の商売を始めたのでした。
つまり健ちゃんのひいおじいさんが、明治の終わりごろに開業したのが「てらこ履物店」だったのです。

いまの人は、下駄なんて浴衣を着るときくらいしか履きませんが、健ちゃんのお父さんが子供の頃は、まだ和服を着る人も多く、下駄を履く人と靴を履く人がちょうど半分くらいの割合だったそうです。
あるとき、(それは健ちゃんのお父さんが、いまの健ちゃんくらいの12歳頃のことでしたが)マコトさんが、セイザブロウさんが下駄の鼻緒をすげるのを眺めていたところへ、ひとりのよぼよぼのおじいさんが、傘をついてやってきました。
ちなみに綾部では、ロンドンのようなにわか雨が降るのです。
そのおじいさんは、「てらこ履物店」のある綾部の中心街からバスで1時間半ほど丹波高原の山地へ入った上林村の、さらにいちばん奥地の奥上林村から、半日かけてやってきた80歳くらいの人物で、腰は曲がり、髪は真っ白、顔は白い口ひげとあごひげにおおわれて真っ白、まるで仙人のような、この世離れしたいでたちで、てらこのお店へやってきたのでした。
おじいさんは、左手に碁盤模様の風呂敷包みと古ぼけた傘、右手にはなにやら灰いろにすすけた木のかたまりのような、ボロのような、奇妙な物体をぶらさげていました。
そして、その汚らしい物体をカウンターの上にどさりと置きながら、こういいました。
「ほんま、この下駄は長いこともちよったわ。おおきに、ありがとう。どうぞ新しいやつと取り替えてやってつかあさい」
セイザブロウさんは、なんのことやらさっぱり分かりません。
「取り替える、といいますと?」
「いやあ、てらこはんの下駄は、ほんま丈夫で長持ちしますなあ。しゃあけんど、もうこうなってしもうたら、寿命や。ほんでなあ、これとおんなじやつがあったら、はよ取り替えてやってつかあさい」
「あのお、うちは古い下駄のお取り替えは、やっとらへんのですけどなあ」
そういいながら、セイザブロウさんは、あることに気づいて愕然としました。
人間よりも猪が多い、と冗談のようにいわれる山奥から、腰に弁当を下げ、雨傘をついて、えんやこらどっこい、町の繁華街に出かけてきたこの仙人のようなおじいさんは、昭和の34年にもなるというのに、下駄屋でも、どこの店でも、その都度お金を払って新しい商品を買うのだ、という商習慣が、てんで分かっていないという事実に。
おそらく彼はいまから4、5年前に、今日と同じように、中丹バスに揺られ揺られて、西本町の「てらこ履物店」にやって来て、そのときは間違いなくお金を払って1足の下駄を購ったのでしょう。
しかしその下駄が、ちびて、すり減り、とうとう使い物にならなくなったとき、てっきり、定めし、必ずや、てらこでは、無料で、ただで、ロハで、新しい下駄に丸ごと交換してくれるに違いない、という思い込み、信念、確信が、この奥上林村の仙人の頭の中には、ずっしり、どっしり、はっきり、とありすぎたために、健ちゃんのお父さんのセイザブロウさんも、新しい、まっさら、ピカピカの下駄を、その白髪三千丈のおじんさんのために、あやうく、あわや、ほとんど、カラスケースの中から取り出そうとしたくらいでした。
当時の綾部には、それくらい浮世離れした人々が大勢いましたし、じつは何を隠そう、いまでも素晴らしく浪漫的な人たちが、町のあちこちに住んでいるのです。

「てらこ履物店」の人々、とりわけ健ちゃんのひいおじいさんのコタロウさんは、この町の筋金入りのクリスチャンでした。
表通りは下駄屋でも、裏に回れば玄関のとっつきに「死線を越えて」の著者がこの家を訪ねた折の揮毫が、ついたてにして飾られ、欄間のあちこちに明治の基督者たち、たとえば、海老名弾正や新島襄の筆になる額がかけられていました。
ご存知のようにこの国では、戦時中は信教の自由なんてものはありませんでした。コタロウさんのような熱心なクリスチャンは、「ヤソじゃ、ヤソじゃ」と向こう三軒両隣からもさげすまれて、開戦直後に警察のブタ箱に放り込まれる始末でした。
ようやく戦後になっても、コタロウさんの筋金入りのプロテスタントぶりは痙攣的に発揮され、コタロウさんの孫たちは、神社や寺社仏閣の子供会の早朝参拝や掃除には参加を禁じられていました。
その代わりにコタロウさんが孫たちに強制したのは、日曜日の朝の礼拝への出席でしたが、これは現行憲法が保障する、個人の「信教の自由」の侵害であったといえるでしょう。
そういえばある晩のこと、中学生になっていた健ちゃんのお父さんのマコトさんが、毎週土曜夜の学生礼拝をさぼって、町でただ1軒の映画館「三つ丸劇場」で、ジェームズ・ギャグニー主演のめったやたらに面白いギャング映画を見物している最中に、てらこの特別捜索隊に発見され、泣く泣く教会に連れ戻されたという、聞くも涙、語るも涙の物語もありました。
その際、劇場の切符もぎりのおばさんが、思わず洩らしたひとこと、「せっかく楽しんどってやなのに、親がそこまでやらんでも、ええのにねえ」に、筆者(わたくし)は、いまなお衷心より共感いたすものであります。

 

空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空空次回へつづく

 

 

 

由良川狂詩曲~連載第2回

第1章 丹波人国記~性霊のささやき

 

佐々木 眞

 
 

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丹波の国は、いまは京都府と兵庫県に分かれていますが、古くから京の都のすぐ近くにあって、山城、摂津、播磨、但馬、丹後、若狭、近江の7カ国に接し、わが国の分国のなかでも重要な国のひとつでした。
しかし江戸時代のはじめに関祖衛という人が著したといわれている『人国記・新人国記』で紹介されている丹波の人々の印象は、けっして好ましいものではありません。
「この国の風俗は、人の気懦弱にして、めいめい自分勝手、己れを自慢し、他人の非を謗り、他人の素晴らしいところを悪くいい、まるで女の腐ったような心を持っている。百姓は農業だけを専らにしないで商売を兼業し、金もうけしようとする。すべてに勇気を持つこと少なく、やたらに人に諂い、昨日の味方も今日は敵となり、あわれむべき世渡り第一主義といえる。
思うに、この国は四方が山々にとりかこまれ、みな谷間の人家である。冬の雪も北国ほどではないにしても相当なものだ。偏屈で了見が狭いのは、そんな風土からきているのであろう。人の性格が堕弱なのは、この国が都に近く、その乱れた風俗を見るにつけ自然と気持ちがくずれて素朴で飾らない気質を失ってしまったのであろう。
とくにひどいのは婦人のだらしない風俗であって、どうしようもないほどである。しかし能力のある人が生まれてきたならば、気持ちの柔らかな意地で成立している社会であるから、無双の人も出現するだろう。戦乱の世にあってこの国を治めようとすれば、たった5日でおさまってしまうであろう」
と、ほぼ全面的にコテンパンであります。
この女性の風俗の乱れについては相当有名だったようで、おなじ江戸時代の中期に諸国の民謡を集めた『山家鳥虫歌』では、前の著作をなぞるように、
「此の国都に近く其の風を倣ひ、とりわけ婦人の風締りなし。此所に多く蚕を飼ふ」とありますが、「締りなし」と書かれるくらいですから、それ相応の事実がその当時にはあったのでしょう。
ところで丹波の国の綾部というところは、この国のひとつの中心地として大和朝廷と共に栄え、奈良時代に入ると由良川沿いの低地では桑が栽培され、養蚕業が盛んになりました。
養蚕機織を主な生業とする秦氏、漢(あや)氏がこの地に渡来し、大きな勢力を持っていたといわれ、「綾部」という地名も、江戸時代のはじめまでは「漢(あや)部」と記されていたそうです。
時代がさがって明治に入ると、綾部の養蚕業は次第に盛んになり、明治29年には波多野鶴吉という人が、郡是製糸という会社を創設しました。現在の「グンゼ」ですね。
この波多野鶴吉翁の鼻の欠けた立派な銅像が、綾部の市街地を見おろす寺山の麓に立っています。なぜ鼻が欠けているかというと、翁は若き日にさんざん女道楽をして性病に罹ってしまい、鼻はその後遺症だというのです。
いわば身から出た錆で自業自得なのですが、それからが凡庸な私たちとはまったく違います。この不名誉な事件に懲りた翁は一念発起し、この地方有数の養蚕教師となって何鹿(いかるが)郡蚕糸業組合を設立。丹波の綾部の養蚕技術を日本全国にとどろかせたのでありました。
またこの実業家は熱心なキリスト者としても有名で、彼が設立した前述の「郡是」という会社は、単なる製糸会社ではなく、一面では人格の陶冶のための宗教的組織、他の面では地域社会における経済的文化的拠点という要素を兼ね備え、何鹿(いかるが)郡のセンターに屹立していました。
明治という時代の特性を頭においても、この時代のこの国に、これほど浪漫的で理想主義的な企業はそれほど多くはなかったでしょう。
まあそんな次第で、「蚕都」綾部を代表する「無双の人」のこそ、この波多野鶴吉翁に他ならなかったのです。(じつはこの盆地には、あの大本教を立ち上げた出口王仁(わに)三郎というもう一人の「無双の人」がおりましたが、彼についてはまた改めてお話したいと思います。)

ところで、さきほど引用した『山家鳥虫歌』は、丹波の女性の風紀と養蚕を結び付けて奇妙にエロティックな記述をしています。
「前に出でてあるものに感ずるといふ事、不思議なるものなり。蚕は性の霊なるものにて、物に触れ形をなす」
さあ、これはいったいどういう意味なのでしょう。ちょいと飛ばして、次を読んでみましょう。
「中国の漢の時代にある寡婦が、ある夜どうも寝られないので、枕によりかかって自分の家の壁が崩れているところから、お隣の家で蚕を飼っているのをなんとなく眺めていた。その蚕はちょうど繭を作っているところだったが、出来あがった繭を見ると、その女の姿形によく似ていた。目許、眉のかかり具合などははっきりしないが、物思う女の形をしていたのを、琴の名人の蔡中郎(さいちゅうろう)という人が金に糸目をつけずに買い求めてきて、その琴の弦にして弾いたところ、その音はじつに哀れに聴こえた。
その寡婦が蚕になったのではない。ただ蚕の性の霊のせいだ。人間は万物の霊である存在だから、いろいろ奇怪なことを引き起こすと思うかも知れないが、そんなものは表面だけのことであって、いちばん奇怪なるものの正体は、『陰陽二気』だけだという事をしっかり考えるべきべきだ」
読みながら私は、ある夏の日の午後、丹波の綾部の蚕糸試験場の無人の一室に放置された何千何万という蚕たちの純白の群れが、上になり下になり、鈴なりになってムシムシと不気味な音をたてながら、桑の葉をむさぼり食う光景を見て、なぜか心が凍るような戦慄を覚えたことを思い出しました。
このように、蚕に“性霊のささやき”が天与されていて、一種の性的な霊媒の気を持つ怪しい虫であることは、かなり早くから世に知られていたのです。
みなさんの中には今村昌平監督が1963年にメガフォンを取った『にっぽん昆虫記』で、左幸子さんの左肢の内側のところを秘所に向かってゆっくりと這い上ってゆく第五齢の白い蚕の姿を覚えている方がいらっしゃるかもしれません。
あれなんかも、蚕が性の霊なるもので、物に触れ、形をなす、その寸前の怪しい雰囲気をなかなか巧みにとらえていたと思います。
ともあれ、丹波の国に綾部という町があり、その綾部の中心に一匹の巨大な蚕が蠢いていて、その蚕の中心に性霊が渦巻き、その渦巻きの中心にひとりの哀しい女が佇んでいる。
綾部という言葉を耳にすると、私はどうしてもそんなイメージが浮かんでくるのです。

 

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由良川狂詩曲

連載第1回

プロローグ ある晴れた日に

 

佐々木 眞

 
 

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5月のはじめのある晴れた朝、健ちゃんが洗面所の水道の蛇口をひねった途端、長さ10センチ足らずのほっそりしたウナギが、キュウキュウ泣きながら、水盤の底へとまっさかさまに吐き出されてきました。
ウナギは、真っ白な磁器で造られた水盤の上に、朝の光を受けてゆらゆらと揺れ、キラキラと輝く5リットルの水たまりの中を、器の内周に沿って軽やかな身のこなしで、ぐるぐると2回転半。あざやかなストップモーションを決めると、アシカに似た賢そうな頭を水面の上にチョコナンと持ち上げ、健ちゃんを上眼づかいに見上げたのでした。

ドボンと水に飛び込んでから、上眼づかいに見上げるまでのわずか3秒間のあいだに、ウナギの色は真っ黒から薄茶色へと変っています。
<ウナギにしては小さすぎるし、ヤツメウナギにしては眼が2つしかないし、ドジョウにしては背ビレがおっ立ってないし、どっちにしても変なやつ。きっとウナギなんだろうけど、直接本人に聞いてみよう>
そう思いながら、健ちゃんはいいました。
「お前はいったい誰? どこからやって来たの?」
するとウナギは、こう答えました。
「僕、ウナギのQ太。丹波の綾部の由良川からやって来たの」
「な、なに、丹波だって? 綾部だって? 由良川だって?」
健ちゃんは磨きかけの歯ブラシを止めて、口をモグモグさせました。
思わずポッカリあいた健ちゃんの口から、ツバキおよびそれと一体になったソルト・サンスター歯磨の白い泡が、上手に立ち泳ぎしている自称ウナギのQ太の鼻先にぐっちゃりと落下したものですから、Q太はあわを喰って水盤の底の底までもぐりこんで、小さな首をぷるぷると動かしました。
「おう、塩っかれえや」、と呟きながら……。
健ちゃんは、あわてて水面に漂う白い泡を手ですくうと、水盤の奥で依然としてぷるぷる頭をふりふりしているウナギもどきのQ太に向かって、大きな声で話しかけました。
「ごめんね、ウナギのQ太君。ダイジョウブ?」
Q太はしばらく聞こえなかった振りをして、拗ねたように全身をクネクネしていましたが、
「おお、そうだ。僕はなんでこんなとおろでクネクネしていらりょうか。おお、おお、そうだった、ホーレーショ、これはお家の一大事。僕は泣いたり拗ねたりしている暇なんかないんだ。健ちゃんに助けてもらわなければ、僕たちの一族は全滅してしまう!」
と、ぶくぶく独りごと。
その次の瞬間、ウナギのQ太は非常な勢いで、水底およそ4センチの地点から水面めがけて脱兎のごとく躍り上がり、余った力でさらに上空15センチばかり上昇すると、そこでいきなりストップ。
鈍色がかったとてもやわらかなお腹の皮を、子猫のでんぐり返しのように健ちゃんにくまなく見せながら、古舘伊知郎のように一気にしゃべったのでした。
「ケ、ケ、ケンちゃん、タ、タ、タイヘンだーい! 健ちゃんが去年の夏、お父さんやお母さんや耕ちゃんと一緒に遊びに来てくれた近畿地方でいちばん水のきれいな由良川で、いま大変な事件が起こっているんです。いままで見たことも聞いたこともないオッソロシーイ、オッカナーイ怪魚たちがいっぱいあらわれて、僕らの仲間のウナギやドジョウやフナやコイやモロコやハヤを、見境なしに喰い殺しているんです。どうか一刻も早く助けてくださーい! いますぐ由良川にきてくださーい。でないと、僕たちは、ゼ、ゼ、ゼンメツでーす!」
滞空時間がけっこう長かったために、いつの間にか赤紫色に変色してしまったウナギのQ太は、金切り声を張り上げてもういちど「ゼンメツでーす!」と絶叫すると、ふたたび水盤の奥底へとモーレツな勢いで沈んでいきました。
ボッチャーンとはね返った水は、健ちゃんの寝ぼけまなこを直撃したので、健ちゃんはそこではじめて事態の深刻さを、はっきりと悟ったのでした。

丹波の国の綾部の由良川で、いま、なにかとんでもないことが起こっている……

 

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