木々たちのように

 

正山千夏

 
 

サクラ咲く
環八のきわ
ごうごうなるクルマ
ざわざわざわめく
固い心臓
に刺さる小さなとげは
不思議な殻に包まれて眠る
(漫画「ブラック・ジャック」に
空0似たような話があったっけ)

いま、この瞬間
私は大丈夫だ
けれど
この今を積み重ねていけば
私の人生は大丈夫なのか

四つ葉のクローバーの声は聞こえない
私の自転車はゆっくりと走る
動体視力のすぐれたカラスのバクダンは
けれど今回はわずかに早く着弾し
自転車の前カゴへ落ちた
三つ葉のクローバーで拭き取った

華々しく咲くサクラを尻目に
馴れ馴れしくて敬遠していた
サルスベリの木にすがって
見失った目標を探している
夏に咲く花だから
つぼみさえまだ枝のなか

あの大きなモミの木は昔
川沿いの電話ボックスの横にいた
何十年も先の未来への
タイムマシーンではないけれど
あの電話ボックスに入って
受話器を取ってみたら
今の母の声が聞こえた

いま、この瞬間
私は大丈夫だ
木々たちのように
根を張る土壌に
たっぷりの雨がしみこんだ

 

 

 

2月の風鈴

 

正山千夏

 
 

もっとも陽当たりの悪い月が終わる
太陽はよたよたとビル平線のきわをうろつき
私をイライラさせる

どこかで季節外れの風鈴が鳴っている
まるで雪の妖精の魔法のきらめき♡
ロマンティックで迷惑な涼しげ効果

20年前の自分の詩を翻訳する
不思議な運命のめぐりあわせか
それとも根強いカルマか
今の私の心情とまったく変わらないことに
あ然とするとともに
モーレツな共感にふるえる心
ロマンティックで迷惑な涼しげ効果

に耐えられず分厚い布団にくるまって
ひたすら眠ってしまう2月
ほんとうは20年間こうして
眠っていたのだろうかとも思う
そのあいだも忘れ去られた風鈴は
やむことのない風に翻弄されながら
遠くでりりんりりんと鳴っていたのだ

まるで熊
皮下脂肪に貯めた養分も
今ではすっかり消化され痩せ細った熊が
寒さに耐えきれず起き出してきて
また何かをさがしている
2月の風鈴が
遠くでりりんりりんと鳴っている

 

 

 

東京の雪

 

正山千夏

 
 

もしも想いが見えたなら
ガラスのコップに注いで
飲み干そう

それとも
冬のお布団に詰めて寒い朝
ぬくぬくとくるまって

太陽を背にして
思いっきり吹き出せば
虹になるかな

空に昇って冷やされて
落ちてきたら大雪だ
しんしんしんしん積もって

クルマや人に蹴荒らされ
黒くなって溶けたと思ったら
またカチンコチンに凍って

私はその上ですってんころりん

 

 

 

あな

 

正山千夏

 
 

ここに穴がある
泣いてばかりで
いつもそこに
ナミダを落としてばかり
ただそれしか
術を知らなくて

でもさすがに
近ごろ気付いた
落ちたナミダは
穴にたまり
時には溢れ出すことも
あったけど
必ずいつかは干上がり
そして穴は
埋まらないまま
そこにある

穴を埋めたいのなら
崩すしかないのかもしれない
なにを
どうやって
もう、流すナミダも
阿呆らしい
かと言って
一向に枯れないなにかを
持て余しながら

まだ
ナミダでなにかが埋まるものと
幻想を抱くことは
許されますか
穴は穴のままでいることは
許されますか

 

 

 

そうやって正気を保ってる

 

正山千夏

 
 

正気を保っていようとすることすら
あやうい世の中です

朝から晩まで情報の奔流にさらされ
つぶやきは炎上

実はなんでもないことが攻撃とみなされ
失敗は許されない

触れられる世界と
触れられない世界とのはざまに
ロープをかけて首を吊る若いひとたち

世界は手のひらにおさまるのではなく
ほんとうはもっと大きくて広くてわけわかんなくって
まだだれも知らないことに満ちていて
まだまだ会ってない人もたくさんいる

検索しても出てこないことが
存在しないというわけではないという当たり前のことすら
置き去りにされていく加速度のなか
ミチやミライといった手付かずの手放しの領域を
四次元的動物として生きる私たちみんなが
享受できるという自然の摂理を信じて
 

あたしはまだかろうじて
そうやって正気を保ってる

 

 

 

見晴らしのいい場所

 

正山千夏

 

歩いているあいだに
ずいぶんと長い時間が経ち
しばらくぶりに
見晴らしのいい場所へ出た

季節外れの台風が去り
細い月はぴかぴかに洗われた
金木犀は地面に落ちて金に変わり
かぐわしい香りもしなくなった頃のこと

なぜか急に思い出す
まだティーンだった頃、空の青が
好きで好きでしようがなかったこと
胸のあたりにあたたかな感触が
湧きあがる

大好きだった人のこと
どんなふうに愛したのか愛さなかったのか
忘れていたチカラが
ふたたびあたしの中にあるのに気づく
孤独を暗示した強い風
その音さえ甘やかに

あたしはそこから
動き続ける雲を見ている
新しい風が新しい不在を呼び
新しいあたたかな感触がそこに
流れ込んでくるのを

 
朝もやの流れる木立の間から
鹿が耳を立ててこちらを見ている
と思ったら消えた
あたしはゆっくりと
それを追い始める

 

 

 

25年後の忘却セッケン

 

正山千夏

 
 

液体セッケンの時代をへて
オーガニックでひとまわり
ふたたびかたちあるあのセッケンを
手に取る今日この頃です

小さくなったセッケンを
新しいセッケンの背中にくっつける
くりかえしくりかえし
うまくくっついて一体化してくれると
なんだかうれしいのです

思い出すと辛いことも
忘れてしまうとかなしい
けれどご心配なくそういうことは
落とせないひつこい汚れのように

あの頃は
どんな汚れだって落とせるものと
言葉は水のよう蛇口からあふれ
いや、それは熱い湯だったかもしれない

いま頃は
電車の中で腰掛けた腰が重い
人々はスマートフォンにおおいかぶさり
親指はめまぐるしく動いて
乗り換え通路を高速ですり抜けて行く

今日も
小さくなったセッケンを
新しいセッケンの背中にくっつける
くりかえしくりかえす寿命のリセット

やがて
古いセッケンはいつのまにか消え
ぴかぴかのまあたらしい人生が
ふたたび忘却を演出する

いまでは
落ちない汚れがある
のも知っている
セッケンの洗浄力というよりは
いや、それは落としたくないのかもしれない

一体化すると
なんだかうれしいのです
セッケンの白さも脆さも
まるであたしの骨のようで

 

 

 

忘却セッケン

(1993年 詩集「忘却セッケン」より)
 
 

正山千夏

 
 

雑誌で
自分はどこからきて
どこへいくのかということを考えている科学者の話を
読んだ

その時 私は
電車の中で
家へ向かっていた

遠い遠い昔に
忘れ去られたことを再び
憶い出そうとする
その人の顔のところに私の親指があたっていた

家にたどり着いたら
また、私は
忘却セッケンで手を洗ってしまった。

机に向かって
自分はどこからきたのか
憶い出そうとした
(私は、多分、男と女が結合してそして女の人の中からきたみたいだ

けれど、
私の体液の表面張力で(それは、コトバかもしれない)
その細かな水の玉に強引に
くるめてくることができる記憶は
ほんのちょっとです(科学者の言う宇宙のチリより小さいみたい)

その夜 お風呂に入って
また、私は
忘却セッケンで身体を洗ってしまった。

この忘却セッケンが
どんどん小さくなって
しまいになくなるとき
私は終点に着くのだ

 

 

 

完全に不完全

 

正山千夏

 
 

34℃
熱いゼリーの中を泳ぐような
むっとした空気
おもむろに日差しが陰り
夕立をはこぶ雲が
灰色でさらに塗り込めていく夏
そこに閉じ込められた私
この夏は完全だ

ガリガリ君を食べながら思う
だれかが歌うサマー・タイム
空0ある朝、お前は立ち上がって歌う
空0そして羽を広げて飛んでいく
私は今飛んでいるだろうか
あいつは今飛んでいるだろうか
青いソーダ色の空を
あたしは完全に不完全

ハイハットと蝉がセッションする夕暮れ
雷のバスドラムは多分もう間もなく
私はもう、楽しみでしようがない
塗り込められた私が
夏に飛び出していく
土砂降りの夕立も
泥だらけの彷徨も
台風一過の空も

 

 

 

ダイニングテーブル

 

正山千夏

 
 

新しいダイニングテーブルを探す
ふたり用の
小さな真四角のテーブルが
意外にない
テレビをあいだに置いて
向かいあう私たちの距離をはかる
ワイングラスは壊さないように
そおっと洗う

ファミリー用の
長方形のテーブルに
ディスプレイされた食器たち
あちこちに飛びはじめる
スプーンやフォーク
トマトソースをテーブルにぶちまけて
食べながら寝てしまう子ども
の横をしずかに通り過ぎる

店をひとまわりしてくると
また別の
長方形のテーブルで
向かいあう白いあたまはなんと
私たちだ
となりでは
もっと年老いた父と母が
やわらかいものを食べている