木根川橋

 

塔島ひろみ

 
 

ぐらぐら頭がふらついて
座ろうとしたら、体が傾いて滑り落ちた
人が見ている
目立ちたくない、私は焦る
もう一度 座席によじ登ろうとして
後ろに転び頭を打った

私は車内通路に醜く伸びる、
腐敗臭を放出するゴミであった

ガタンガタン、ガタンガタン、電車が鉄橋を渡っている
荒川河川敷でススキが風にそよいでいる

まもなくヤヒロ、ヤヒロ

何も知らない(たぶん)車掌が放送している
窓から西日が差しこんで、倒れている私の顔を照らす
誰かが窓を開け、心地よい空気が入って来た

橋が見えるよ!

声の方に目を向けると、薄汚れた猫が数匹
窓に顔をくっつけて外を見ている

ヤヒロで駅員が2人乗ってきて、車内清掃が始まった
乗客が次々掃き出されるように降りて行く
そしてこのおぞましく邪魔な物体をそのままにして、ドアが閉まった

見ると座席にホーキを立てかけて、駅員たちが気持ちよさそうに目を閉じている
向い側には猫たちが座り、そして私の足元では何ものかが丸くなっている
足に、暖かいものを感じた

行き先のない電車はヤヒロで引き返し、再び鉄橋を渡り始めた

起きているゴミたちはみな顔を上げ、夕日に照らされた木根川橋を見つめていた

 
 

(2018年9月2日、京成押上線車内で)

 

 

 

麦子の絵の具

 

塔島ひろみ

 
 

麦子はピンク色のパンを焼く
ピンクの空に緑色の雲が浮かび
淡い紫の月がかかっている
黄色い風が吹いて、青いものたちが寝そべっていた
大きな 壁のような一枚のパンが麦子の世界だ

これがお子さんの見ている世界ですよ
と、インストラクターの女性は言って、私の顔にメガネをかけた
遠くのものは見えてないです、とも言った
その色鮮やかな世界に、私の知っているものは何も見えず、
娘もいない

鮮やかな食パンの断面にバターを塗り
娘と食べる
ピンクの空の味がする
と言うと、「違うよ」と言われた

パンが小さくなってくると、後ろ側によく晴れた東京の空が見えてきた
安っぽい、ウソくさい、私の大好きな、大切な、真夏の東京の青空だ
焼くことも食べることもできない、
触れないそれ
空っぽのそれ
を横切って、
こんな季節にユリカモメが1羽、飛んでいる

自分の空ではない、北緯35度44分の灼熱の空を
ユリカモメがたった一羽で飛んでいる

麦子は今日もパンを焼く
真紅のクロワッサンを焼いている
バラみたいだね、と言うと、「違うよ」
と言って、パンをちぎっては庭にまき
ドクドクと水色の絵の具をこぼした

鳩、カラス、鳥たちが水色の庭に降りてきた
娘のパンをついばんでいる
カモメもきた
麦子は一心にパンをまく
いつのまにか鳩も、カラスも、カモメも、娘も
口先が真っ赤に染まっている

手を延ばすと鳥たちは バタバタと一斉に飛び立っていく
弧を描きながら、空に向かって飛んで行って、
私の世界から消滅した

視線を戻すと
娘もいなくなっている

 
 

(2018年8月7日 東京視力回復センター船橋で)

 

 

 

恐竜キッチン

 

塔島ひろみ

 
 

チーズの焦げる匂いがした
電子レンジのドアを開けると 中に子どもが入っている
私を見ている

「その子は明日から入院で、人工内耳の手術を受けるんです」
ハウスのスタッフが説明してくれた
バタンとドアを閉めてしまう

病気の子どもとその家族が、
自分の家にいるように自然に、
しかも孤立しないように、工夫をこらして設計されたキッチン
丸く成形されたハンバーグたちが、クッキングヒーターにおいしそうに並び
せっせと焼けながら、パンに挟まるのを待っていた

チリチリチリと終わりに向かってタイマーが動く

「チン」
「チン」
「チン」
あちこちで楽しそうな音たてて、仲間が生まれた

わたしは恐竜図鑑を持ってきてみんなに見せる
ほら、これがニンゲンだって
「優しそうだね」「強そうだね」

私たちはみんな同じクリクリの顔で、 食べられるのを待つ間
レゴでトリケラトプスを作って遊んだ
♪ジュージュージュ~
♪ほかほかほか~
ママの膝に乗っかって、歌を歌った

電子レンジのドアを開けて中を覗く
耳の聞こえない男の子が私を見ている
この子はまもなく人工内耳の手術を受ける
タイマーをセットしてドアを閉める

チリチリチリと終わりに向かってタイマーが動く
まもなくその子は自分が生まれる音を聞く

自分が焼ける音を聞く

 
 

(7月13日 ドナルドマクドナルドハウス東大で)

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

エレベータの鏡に
4匹の豚が映っている
3匹は白く、一つは黒い。黒いのには紐がついている

リハビリ室ではリハビリテーションが盛んだった

車いすから降ろされ、
支えを失って倒れる私を
2人が支えながらマットに寝かせ
残りの1人がその隙に車いすの重さを計る

マットの隣では80歳ぐらいのおとうさんがうつ伏せで
機能回復に取り組んでいる
その隣りでは20歳ぐらいの若者が鉄亜鈴を使って何かしていた

跳び箱とサッカーボールが置いてあった
マイクとタンバリンが置いてあった
トンカチと肉切り包丁が置いてあった

回復する機能のない私にそんな道具は無用であるが
他の豚と平等に私には重さがあり、今日の目的は体重計測なのである

誰かが紐を引っ張った
3人がかりで車いすに戻された私は、車いすごと秤に乗る
体重が出る

任務が終わり、緊張が解けた

私の足が動きだした
(もはや意味のない麻痺した足は、ときどきこうやって勝手に動く)
おーおー、バタバタと動いている
股が上下に波打ち、靴が音を立てて床にあたった

(私はかつて、バンドのドラマーだったのである)

リハビリ室に私の靴音が響き渡った
みんな社会復帰運動を一時停止し、私のすさまじい足の動きを眺めている

白豚たちが私の足を銃撃し
うつぶせていた80代の老人は素早く起き上がって私の頭めがけて砲丸を投げた
ぐいと紐が引かれ、私は大きく傾いて倒れた

ブーブーブー
唇から自然にメロディーが漏れ
私の音楽は止まらない

倒れながら、私の足は痙攣を続けて
紐を引っ張る

部屋中の豚たちが一斉にカスタネットを打ち鳴らした
指揮者は私だ

 
 

(2018年6月19日 東大附属病院リハビリ室で)

 

 

 

ステロイド眼科

 

塔島ひろみ

 
 

ステロイドが診察を待っている
隣りに座った私を見て
素適なロウケツ染めね、と褒めた
ステロイドは涙が止まらない眼病にかかり
すべてがぼんやりしてよく見えない
あなたが誰だかわからない
瞼が腫れた醜い私を、ロウケツ染めだと思ったのだ

瞼が腫れて痛いんです、ステロイドをください
みどり先生はぎゅっと、私の目を押す
ステロイドをください
私の目を潰す

ステロイドが入ってきて、隣りに座った
みどり先生はステロイドの涙に濡れた眼球を押す
ドクドクドクと、生温かい液体が眼窩から漏れ出る

「ほら、ウミだ」

救いながら、踏みつけてつぶす
つぶれたものの顔は
見ちゃいけない

救いたいから、ステロイドは
涙で自らの視力をつぶすのだった

ステロイドが泣いている

ステロイドをください

ステロイドが高原を走っていく
助走をつけて空に突き刺さる

みどり先生はステロイドを床に叩きつけて、私の目を押す
私を押さえつけ、口から、目から、滝のようにステロイドを流し込む
私の紺色のブラウスはドロドロに汚れ、私は裸足で独りぼっちだ

瞼の腫れがひき、涙があふれた
何もかも薄ぼんやりして、あなたが誰だかわからない
鏡を見ると、私は素適なロウケツ染めだ

生温かい海にぷかぷか浮かんで
見上げると空から、ステロイドの合唱

アルトで合わせる

 
 

(2018年5月18日、熊谷眼科にて)

 

 

 

青いカバン

 

塔島ひろみ

 
 

駅員さんは青いカバンを肩から提げて仕事をする
大きなお客さんたちにつぶされて、影のように立っている
「お下がりください!」
駅員さんが叫んでも、誰も下がらない
電車はバリバリと音を立てる
甘いにおいがして、犬が死んでいく
駅員さんは安全を確かめて ホーッと優しい溜息をついた
それから青いカバンを開ける
カバンにはいっぱいのポッキーが入っている
駅員さんはポッキーを食べる

骨が下がっていますね
そう言われた
右も左も上も下も、みんな下がっていますと
歯医者は言った
レントゲン写真を見せてくれる
腐りかかった駅員さんの口が写っている

青いカバンをなくしてしまった
電車が入ってきて 線路に投げ込む
骨が下がり、腐っていった
下がって!と、叫んだ
叫べば叫ぶほど、口の中の骨が下がり
腐っていった

忘れてしまった 私の青いカバンを忘れてしまった
中に何が入っていたかも忘れてしまった
受け付けの横に青いカバンが置いてある
私が忘れたカバンだろうか
手をかけると
「犬の骨が入ってますよ」
と、受付のおばさんが言った
駅員は口を開けて安全を確かめる
犬の骨が入っている
電車が来た
ポッキーを積んで走ってきた
犬たちが身を乗り出し、ホームにあふれる
「下がってください!」
「下がってください!」
「下がりなさい!」
「下がれよ!」

電車は駅員を乗せて発車した
犬たちはホームに取り残され、小さくなっていく電車を見ている
駅員さんが手を降っている
初めて電車に乗った駅員さんが子供のように顔を赤くして、
電車の中でしっかり指さし確認している姿を
私は見た

私の忘れたカバンが受付にあった
私の忘れたカバンです、
と言って受け取る
家に帰って開けてみるとプンと、チョコレートの香りがしみついた

なくしていたドッグフードが見つかった

 
 

2018年4月25日 江橋歯科医院待合室で(私の忘れものかもしれないものを見つけて)

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

今日から主治医が変わるので、新しい下着を着て皮膚科に向かう

階段で掃除男に会う
制服は同じだが、新しい人になっている

4階の皮膚科待合に着く
塩蔵ワカメが寝そべっている

レーザー治療室から子どもが出てくる
ワカメを踏んだ
ギュイ、というイヤな、にがい音がしたが 誰も気に留めない

「植田さん」
と、声をかける
「大丈夫ですか」「ひどいんですか」

ワカメは答えず、薄ら笑いを浮かべている
「痛いですか」「痒いですか」
私は聞きながらボリボリ自分の太股の丘疹を掻いた

「汚いですか、食べられますか」
「まずいですか」
見ると、塩が散らばって私の靴の底も汚れている

もう、食べたくないなと思い、げっぷが出た

呼び出しがないので中受付に行って聞くと
新しい私は新しい主治医の診察が終わり
6番に行った
漢方薬をもらって 喜んだ
と、笑われた
ワカメも一緒に私を笑った

掃除の音が近づいてきた
新しい男が 階段と上階を終えて4階フロアの掃除に入る
ガー、ゴー、ガツン、と、古い男と同じ音で同じリズムで
規則的に掃除機を壁にぶつけ、ゴミを吸い込む
男の後ろには塵ひとつ残らない

近づいてくる

ワカメも、私も
息をのんでこの新しい掃除夫の来着を待った

 
 

(2018.3.27 東京大学附属病院皮膚科外待合で)

 

 

 

鰺フライ

 

塔島ひろみ

 
 

ハサミでアジをさばいていた
生臭いにおいが立ち込めている
頭部を開くと目玉が飛び出る
あー手が痛い
リウマチで日ごと動かなくなっている指を押さえ、Jは言った

栃木から上京し、下町のこの地に美容店を開業した
八百屋、鶏屋、駄菓子屋なども軒を連ね、小さな商店会を作っていた
今は住宅地にJの店だけがポッツリとある
「どうしてもっと早く来なかった」
と、Jは責めるように言い、
バケツに、切り刻まれたアジの死体を放った

今日はマウスピースを受け取りに来た
歯軋りで奥歯が痛むので、型を取ってもらったのだ
ところがうまく嵌まらない
この間に歯列がずれ、歯型が変形しているという
昔の私の口に合ったこのマウスピースは
昔の私以外に合う人はなく
行き場を失くした

Jの強張った手が
私の歯ぐきをグイと持ち、押す
イタタタタ
私でなく、Jが叫ぶ
私の口に突っ込んだ手を押さえ、
Jはその手に
ハサミを持った

ジョキン ジョキン
バサッとまとめて 髪の毛が落ちる
イタイ イタイ イタイ イタイ
リウマチの指は 何度もハサミを取り落としながら、また拾い、
私を、昔の私に戻す努力をする
ジョキン ジョキン、イタイ イタイ
ジョキン ジョキン、イタイ イタイ
生臭いにおいが充満する
切り刻まれた口中にマウスピースが押し込まれ、歯に嵌った

診察室に入ると 老いぼれた私が
アジフライを食っている
バリバリ ボリボリ 歯ぐきを真っ赤に染めながら 旨そうに食っている

 
 

(2018年2月19日、江橋歯科医院待合室で(Jに遇って))

 

 

 

開運金魚

 

塔島ひろみ

 
 

今日は開運金魚を配るという
昨日の大雪から一転青空が晴れ渡り、歯科医院はお客さんでいっぱいだ
とけたかなあ、と声がする
ドヤドヤと窓際に押し寄せ、眺めるけど、ここから外の景色は見えない
とけたかなあ
見えない景色に向かって 口々に言い合う
並んでヒラヒラ 尻尾を振る

とけたかなあ
私たちは少し恥ずかしく 顔を見合って赤くなった
徐々に待合室はすいてきて
(とけたかなあ) 奥歯が痛い口の中で 呟いてみる
もうすぐ私の番が来る

名前を呼ばれて診察室に入り 口をあけた
「もっと大きく」
医者に言われて大きくあける
私のあさましい口をあける
口の中にジャラジャラ ジャラジャラ
ジャラジャラ ジャラジャラジャラジャラ
お金が放り込まれてきて
治療はいつまでもいつまでも続いた

「はい、閉じてください」
お財布がパチンと閉じられ 真っ暗になる

開運金魚
私は欲しいものを手に入れた
幸せを招く
金箔入りの
いつも貴方のお財布にいる
かわいい
金魚
私はなりたい私になって
お財布の中を泳ぎまわる
本当の世界がここにあり、雪解けの庭に咲く桃が見えた

 
 

(2018年1月24日、江橋歯科医院待合室で(開運おみくじを拾って))

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

あなたは2%ぐらいしか、私に見せてくれないのね
と、いつか言った人が 何だか今にも死にそうだ
深夜 窓のない暴走車に乗っている
スピードも落とさずに曲がるたび
母の体が砂のように ザザー ザザーと スライドする

川っぷちに行きますから
同乗する男性がマスク越しにこっそり囁き

まもなく車は ガタンガタンガタンと、何か凸凹の道に入って停まった
エンジン音が止み 静かになった

外に出ると 知らない土手下の荒れ地である
星がキラキラと輝いている
私は母をかき集め
真冬の風にしんみりと守られながら
マスクの男たちに助けられながら ここに 母を捨てた

私の嘘がキラキラと輝いて 母を照らす
母はとてもきれいだった

寝台の上に残っていたと、運転手が私に砂粒を渡してきて
車はあっという間に行ってしまった
数えると 2%ぐらいの母である
一緒に歩いて家まで帰る
まるで昨日までと同じ 母のように
まるで昨日までと同じ 私のように

 

(2017.12.18 江戸川病院救急センター処置室前で)