金魚

 

塔島ひろみ

 
 

日の当たらないアパートの6畳間で細面の女が内職をしている
白い管の両端をジャキン、ジャキンと小さなハサミで切りおとし
次々水槽に放り込む
不良品を作る仕事
だと女は言った
水槽で不良品たちは不格好に丸まって
金魚になった

その空地は
誰のものでもなく家と家、高い塀に囲まれて道から見えない
雑草が生い茂る地面がこんもり塚状になっているのは
その下に不良品がどっさり埋まっているからで彼らは誰にも見つからず掘り返されることもなく
その暗く湿った空地で生き延び密かにに交配を重ねながら土地に根付き
竹になった
周囲をツユクサやマメ科の雑草がおおい彼らを守った

時が経って人は死んだ
壊すため、滅びるために人が作ったさまざまなモノの残骸があちこちに残り
もうそれを片づける人はいない
化学物質、放射能、かつて人が「奥戸」と呼んだ一帯は水に浸かり
カラスもテントウムシもいなくなったが
竹が
所有され損なった空地で育った不良品の末裔が
黒い水面から顔を出し 風に揺れる
誰にも見られず 役に立たないまま
風に揺れる
そのそばで白い金魚がにょろにょろ動いた

 
 

(4月某日、奥戸3丁目「塚」前で)

 

 

 

団地

 

塔島ひろみ

 
 

洗濯物が一斉に干された
雨の予報が出ていたけどこんなに晴れて春の陽気で
シャツやブラウス、帽子に靴下、カバー類
強い南風に歌うようにはためいている
団地の壁は肌色だ
ちふれ33番の肌色だ
ひび割れと落書き
シミ ほくろ 皮疹跡の醜いまだら
毎日 塗り重ねて
塗り重ねて 塗り重ねて
わたしはおばあさんになりました
冷蔵庫に霜がたまっていきます
換気扇に油がたまっていきます
ベランダにかたつむりの死骸がたまっていきます
ちふれ33番 オークル系 自然な肌色
その「自然」を
不自然で汚い顔の皮に塗りたくって出かけます
リュックをしょって 南風にさらされて
吹き溜まりは枯葉と 得体のしれない燃えないゴミ
牛や馬の骨が埋まっていると書いてあった
大昔の人間が使った家畜の骨だと書いてあった
団地はその上に平然と立つ
はげても はげても 塗り足して 
ペンキを滴らせて 立っている
あくまでも肌色で 剥がしても肌色で
掘っても 打ちのめしても 肌色だ
裸のようだ

早く部屋が開かないかなあと待っている
早く死なないかなあと待っている
早くくずれないかなあと待っている
団地になりたい
誰もいないのに洗濯物が干してある
みんな死んだのに開いた牛乳パックが干してある
団地になりたい

フギャーと赤ん坊の泣き声がする
階段を
レジ袋を提げたおやじがのぼっていく
郵便受けを開けて ハガキを手に取る
ハガキを読んでいる
ハガキを読みながら ずうっと読みながら
ゆっくりゆっくり 
どこまでもどこまでもどこまでもどこまでも
階段を上がる
フギャーと赤ん坊の泣き声がする
肌色の割れ目から子どもが生まれた
あちこちの割れ目からこぼれるように 
子どもが生まれた
泣いている 泣いている 泣いている

とても静かだ

 
 

(3月某日、奥戸二丁目アパートで)

 

 

 

工場

 

塔島ひろみ

 
 

工場はいらないものになった
巨大なベルトコンベアも煙突も働く人も働く人が住む社宅もいらなくなり
ラインが止まり人が去った
建物と機械だけ残った
かつてこの会社に莫大な富をもたらし
そして物理的にもとてつもなく大きいそれらは
滅却されなければならなかった
重機を積んだ10トントラックが押し寄せ 壊し始めた
機械が機械を破壊している
すごい音だ
人間が作った機械が 人間が作った機械を破壊している
ものすごい音だ
恐ろしい音だ
おぞましい音だ
悲しい音だ
団地の4階通路からはそれが見える
寝ても覚めても窓の外に立ちはだかり続けた巨大工場が
恐竜のような重機にいとも簡単にやっつけられ
ぐしゃぐしゃにつぶされていくさまが見える
エレベーターが着いた
年寄りが押し車を押しながらゆっくり通路を歩いて
430 そう書いてあるドアの前で止まり鍵を開けて入っていった
向かいの荒れ地で行われている暴虐にまるで目もくれず入っていった
中でコトン、コトンと静かな音がする
まるで冷蔵庫の野菜のように
年寄りが430に収まっている
431も 432も 433も 444も
429も 428も 427も 426も 静かだった
電気がついている部屋とついていない部屋があった
食器用洗剤の形が見える部屋があった
傘が外に立てかけてある部屋があった
窓にひびが入っている部屋があった
冷蔵庫の野菜のように静かだった

団地の中庭は椿が咲き乱れ 落ちた花房がかたまって
血だまりのようになっている
歯が落ちていた
少し茶色がかった人間の 大人の 
こんなところにあっても役に立たない
強くても立派でもフランクフルトも板チョコも人差し指もかみくだけない歯が
椿の赤い花びらの下で静かに春を待っている
轟音がして地面が揺れる
歯も揺れる

リモコンを押すとさっきまで得意げにしゃべっていた華やかな女が
グ とさえ発する暇も苦しむ間もなく
別れも告げず瓦礫も残さず
煙のように消えてしまった
もうどこにもいない

ダンプカーが屍をヘドロのように積んで走り去った

 
 

(2月某日 森永東京工場跡地前で)

 

 

 

やぶ

 

塔島ひろみ

 
 

やぶには怖いものが棲んでいる
タヌキ という人
こじき という人
おばけ という人
私は
「インベーダーの秘密基地かも」
といってみた
かみ終わったガムをそこに捨てた
空缶や石ころを投げたりした
ガサゴソ 音がして
やぶが揺れて
声みたいな声じゃないみたいなのが 聞こえてきた
春には小さな黄色い花が咲き乱れた

鬼を殺して埋めた塚
いらないものはそこに捨てて
やばいものはそこに隠して
邪魔なものはそこに追いたて
やぶは鬼の棲みかとなり
葉が落ちた黒い木々の間で角が揺れる
私の犯罪を捨てた場所
掘り返してはだめな場所

きれいに整地された一丁目公園
サッカーをしている
黄色い花は咲かなくなった
探している
隠れる場所を探している
パパに向かってボールを蹴りながら
一生懸命探している
パパも探している ボールがそれて飛んでいく
しゃがんでいた私の頭にあたり、私はぬっと立ちあがる
子どもがおびえた

もうここに鬼はいない
もっと怖い人間がいるだけ

バウムクーヘン
その地層のような固まりを
薄く剥がしながら食べるのが好き
残酷に 薄く剥がしながら
食べるのが好き

 
 

(1月某日、奥戸一丁目鬼塚公園で)

 

 

 

 

塔島ひろみ

 
 

さまざまな願い事がそこでは叶う
寂しさや悲しみが癒される
家にいたくない 学校や会社に行きたくない人の 逃げ場ともなる
お腹も心も満たされる
今日も大勢の人で賑わうハンバーガー屋に
笑い声が充満する
油の匂いが充満する
肉を焼く匂いが充満する

神社は道を一本隔てた向かいにあった
川を背に構える暗い社殿 その前にわたしは 夏も冬も朝も夜も直立し
両腕で巨大なしめ縄を掲げ持つ
空中高くにどっしりと座すしめ縄はこの神社の顔で 悪魔を払う意味がある
町を守るために
この好きでもない町を守るために
わたしは今日も北風に打たれながら直立する
ハンバーガー屋にお株を取られ 神さまは暇で しめ縄はたいてい眠っていた
平和な町
神より偉いハンバーガー屋から 悲鳴に似た子どもの笑い声が響いてくる
しめ縄より強いハンバーガー屋から 真っ赤なバイクがサンタを乗せてミサイルのように発進する
身構えるが こっちには来ない どうせ来ない
誰も来ない
冬空に高々と聳える悪魔の看板
北風が強い
寒い、寒い、と車から出た人がハンバーガー屋に次々駆け込む
寒い、寒い、とさびしくて お腹がすいた神さまも すき間だらけの社殿から出て店に駆け込む
追いかける北風 その鼻先でドアが閉まる
杭に犬がつながれていた
社殿の正面で 私は巨大なしめ縄を掲げている
鉄の腕で 空高く 重量挙げのように掲げている
それは 悪魔を町に入れないために
北風が来た
行き場を失った北風が ハンバーガー屋の赤と緑と黄色で塗られた屋根を飛び越え 勢いを増して 神社に来た
風と一緒にカモメの一群が飛んできて 神社の裏の川の方へと飛び去っていく
ギャーギャーと汚い声で鳴いている
境内の砂が巻き上がり 立ちつくす私の 腿を汚す
北風は悲しい顔をしていた
犬が外につながれていた
肉を焼くにおいが漂ってきた
風に乗って肉が焼けるおいしそうな匂いが漂ってきた

近くで火事があった
北風が 建てつけの悪い窓のすき間から入り火をあおり 
あっという間に小さな工場が全焼した
神さまはハンバーガー屋の3階の窓から
火を 燃えて行く工場を 他の客や店員といっしょに眺めていた
肉が焼けるにおいが漂ってきた
風が来た
両足に力を入れたが
その風は疲れて 弱く 小さく 消え入りそうで 
しめ縄も気づかないまま私の股をそうっと抜け
神社の軒下に入り込んだ
小さな虫や なまけものや ネコや 捨てられた陶器の破片が
風を迎えた
風は優しい顔になった
うらやましくてならなかった

 
 

(奥戸2丁目 神社前で)

 

 

 

2階

 

塔島ひろみ

 
 

2階には名前がない人が住んでいる
河川敷で忙しくなにかついばんでいるカモの群れが
一斉に飛び立ちすぐ横の川に落下した
と思ったらもう今は 晩秋の水上をずっと前からそうしていたかのように穏やかに
見事な列をなして泳いでいる
土手にあがり 坂をくだり中学校先で坂をのぼり
おしろい花が咲くこんもりした貨物列車の踏切を渡る
ネジ工場の脇道から犬の散歩の一団がやってくる
その道はやめて迂回する
暗渠に出る 遊歩道の切れ間の事故現場にまだ新しい 白と黄色の花が飾られ
その先のゴミ置き場では 無造作に置かれたカラス除けの網の下で
若い男が倒れるように眠っている 
保育園の横を斜めに 都営団地までまっすぐ
緑のテントだけ残る廃業したコーヒー屋 その隣りに小さな青果店
玉ねぎを皿に並べている
5個ずつ 緑色の皿に下に4個、上に1個
200円 という札が出ている
そんなに売れるわけないのに
次々にいくつもいくつも玉ねぎを並べる
顔をあげてこちらを見てきたので視線を逸らし
となりの惣菜屋の先を右に折れ
くねくねした細道を進んでいく
門にオレンジ色のポストがかかり「●●」と大家の名前が書かれている
2階には外階段で行く 2階にもまたポストがある
そのポストには名前がない
廃品回収のチラシがはみ出していた
誰からも呼ばれることがない人がここに住む
名乗ることが決してない人、どこにも記載されない人がここに住む
手すりに 陽があたるいい場所に座布団が2枚干してある えんじ色のカバーがかかりカバーにはフクロウの絵がプリントされている
茶色い木製のドアをノックする
ドアが開き 私は名前のない人の部屋へ消える
しばらくしてまたドアが開き 手すりの座布団がササと取り込まれドアが閉まる

日が暮れて大家は洗濯物を取り込んで雨戸を閉めた
座布団がなくなっていることに気づく
2階には名前がない人が住んでいる
茶色いドアをノックするとドアが開いた 大家は部屋の中へすべりこむ

2階は遅くなっても灯りがつかず
夜の空気の中でしんと静まり返っていた
1階から声が聞こえる 付け放しのテレビの長四角の画面に映った女性が
目を潤ませながらなにかを訴えている
飲み残しのお茶の前で ネズミたちが聞いていて
それからネズミも2階へ行った

2階はときどき 夜の川のさざ波のようにカサカサと揺れた
そこでなにが起きているかは 誰も知らない

 
 

(11月某日 鎌倉1丁目で)

 

 

 

かっぱ

 

塔島ひろみ

 
 

仰向けに寝転ぶと空が動く
ときどきヒヨドリが横切っていく
眠くなる 晴天の川の上で目をつぶる
満潮の水はゆっくり河童の体を上流へと運ぶ
いっしょに木切れとかペットボトル、パンの袋も流れている
ピシャンと音がして目を開ける
ボラたちのジャンプ 河童は体を元に戻し泳ぎ始める
岸や土手を歩いてるヒト、ジョギングするヒトを横目に
流れの力を借りてグングン スイスイ
あっという間に10キロほども上流のそこに河童は着いた
川と同じ色の体が 注意深く柵を乗り越え岸に上がる
秘密の場所に隠している服を着て ヒトに化ける
ヒトに会うため
ヒト社会で汚れ、傷つくために

夜中
そんなわけで傷と汚れにまみれたよたよたの河童が 岸に戻った
服を脱ぎ 靴を脱ぎ 水に入る 油汚れも 血も 合成化学物質も たちどころに夜の川に洗われて
河童はそれらが溶け混じった濁った水の中で生気を取り戻し 颯爽と泳ぐ

河童を踏んだ
土手下の草道 わたしのくたびれたパンプスが
顔の辺りを思い切り踏んだ ぐしゃりといやな感覚があった
寝ていた河童はひっくり返り 苦しそうに咳をして
それから ゆっくり起き上がると 川へ消えた
夕暮れの薄闇の中へ消えていった
大きな 月があった
貨物列車が川を跨ぐ鉄橋をガタンゴトン大きな音を立てて走っていく
暗い川の中で 河童は生きているのか 死んだのか
プカンプカンと 透明のゴミらしきものが浮かんでいた
河童もこの月を見ているだろうか

路地の突きあたりの小さな金属加工所で 顔のつぶれた男が黙々と機械を操作している
ガッチャン、ガッチャン、大きな音が絶え間なく続く
それにかぶせて 表の道で学校帰りの子どもたちの騒がしい声
男は機械を動かしながら 目を細める

10月の空はあっという間に暮れ渡った
大きな月があった
河童の子どもが泳いでいる
音もなく 気持ちよく 
川と同じ色なので 私には見えない
何も見えない

岸には脱ぎ捨てられた子どもの衣服があった
よく見ると いくつもいくつも 大人の服も いっぱい いっぱい そこにも ここにも

川は静かにさざめいていた
私は汚れた岸に汚れた服を着て立っている
大きな月があった
月は なにを見ているだろうか

 
 

(10月某日、新中川で)

 

 

 

向こう

 

塔島ひろみ

 
 

むかしそこに川はなく 向こうとこっちはひとつだった
境がなく 向こう、というものがなかった
橋をかける必要もなかった
そこにどうしてか川ができた
家をどかし畑をどかし 犬をどかし 木を引っこ抜き 大工事をして川ができ
川のこっち側は「こっち」、川の向こう側は「向こう」
つながらない 別の土地になった
団地の4階から川を眺める
川があるから眺めがよく 川があるからなにかと窓から景色を見る
護岸工事が終わり ようやく緑が戻りつつある河川敷
川面には黒っぽい大きな影がうつり 揺れている
それは10階建てぐらいの大きなマンションで 100人以上の人が住んでいそうだ
向こう側の知らない世界が
川に映って蜃気楼みたいに揺れている
ベランダに干した布団が川の上で揺れている
もうずいぶん向こうに行っていない彼は げっそりやせこけた黄色い顔で
川を渡ってきたのかと聞いた
私んちもこっち側だから渡ってないよと言うと
笑って じゃあこれからオレが渡るから
と言うのだった
昔なかった川を渡って 昔なかった向こうへ行く
息が苦しい 口をあける
声が出ない ベッドに体を横たえる
目を閉じる 川を渡るときが来たなと彼は思う
向こうに行くのが少し楽しみになってくる
かつて嫌いだった大きなマンション
その10階建ての どのフロアに どの部屋に住もうかしらと想像する
だから優しい表情で微笑んでいる
泳ぎ始める
どうして川を作ったのか 隔てたのか
昔はいつまでもいつまでも一緒でひとつだったのに
別れたり 泣いたり 手を合せたりしなくてもよかったのに
向こうなんて幻なのに ウソなのに
ないものに向かって彼は泳ぐ
行ってしまった

 
 

(9月某日、細田2丁目アパートで)

 

 

 

水のかたち

 

塔島ひろみ

 
 

橋は鮮やかな水色に塗られている。それは空と雪を混ぜたようなきれいな色だ。その下の川にはおそらく本物の水が流れるがこれは水色とは似ても似つかない淀んだ暗い、夜の戦車のような色をしている。川はたっぷりとそんな水をたたえながらダイナミックにここで曲がり左方向に逸れていく。小刻みに水面が揺れている。
川の生命を感じさせるこの曲線はしかし人工のものでかつて川は男が今立つこの場所の後方に広がる総合グランドの位置にあった。
グランドでは少年の野球チームが練習していて横の児童広場では年寄りが1人備え付けの器具を使って体操をしている。肩から黄色いタオルをぶら下げている。
その脇にかつて土手だった道に沿って神社がある。そこは水神ー水波能売神を祀る水神社で「水は万物生成の根源であり一日片時も欠くことのできないものであると共に、この水を飲むと邪気を払って下さる」と塀に神徳が書かれていたが水は男の手の届かないところにあった。整備された護岸から川は遠く男はこの水色でない物体が果たして本当に水であるか手を差し入れて確かめることもできない。公園の水道の蛇口をひねると他の川で採取・浄水された水が出てくる。透き通っているが生あたたかく男はグランド付近をうろちょろして自販機を探しそこで富士山麓のおいしい水を2本買った。
堤防を兼ねてグランドは高台になっている。急坂を斜めに下りていく。角地に壊された2階屋の残骸があった。HITACHIと書かれたオレンジ色の重機が1台コンクリートをくわえたままのショベルを下に向けてかつて家だった場所に乗っかっている。枯れた木の枝や幹が横倒しになって1か所にまとめられ家財らしきものは残っておらずコンクリート片がいくつか散らばっているだけで荒涼としていた。基礎部のコンクリートがそのままのため土も見えない。
そのすぐ横にトラックが1台停まっている。荷台にはパンパンに膨れたうす茶色の袋がいくつも積まれ今にも落ちそうなのを無理に紐でしばっている。袋は特殊加工のプラスチック製で中には壊された家の天井や壁、屋根板なんかが無造作に詰まる。そのすべてがアスベストを含んでいた。
灰色の作業服を着た男がトラックの運転席にすわりアスベスト袋のミニチュアのような色も形もそっくりな物体を手に持ちむしゃむしゃ食べていた。
川の方から下りてきた男はドアを開けてトラックの助手席に上がり座った。中はエアコンがきいていて涼しい。運転席の男に今買ってきた水を渡し自分もキャップをねじって一口飲み袋からうす茶色の物体を取り出し口に運んだ。中にはぬっちゃりとした少し甘いやわらかいものが入っていた。
運転席の男は先に食べ終わると外に出て「あちーー!」と言いながら小便をした。かつて川べりのヨシ原だった場所かつて2階家が建ってた場所今はコンクリートでおおわれただけのその上にサンサン照りつける太陽の下小便は弱弱しい弧を描いてコンクリートのがれきを濡らしちょろちょろの筋になって低い方低い方へ流れていく。
男は助手席でくちゃくちゃ口を動かしながらそれを見ていた。富士山麓の透き通った冷たい水を飲む。男の粉じんだらけの体内で水はただちに戦車のような色に変わる。
おしっこという声がした。
振り向くと後ろの方の席でMが半ズボンから汚い細長いチンチンを引っ張り出し、と思ったらそこから噴水のように小便が飛び出た。
小便はホームランの打球まがいの見事な弧を描きながら男の席を通り越し、ずっと離れた前から2番目の女子のイスの後ろに着陸した。しぶきを浴びながらも驚きのあまりクラス全員が息をのみ、静まり返った4年2組の教室で普段おとなしくて目立たない、やせて不健康に浅黒いMの股間からほとばしり出る金色の、生きもののような水のワンマンショーを見守った。それは数十秒のことだったかもしれないが男には、おそらくMにもクラス全員にとってももっと全然ながい、永遠の時間のように感じられた。
女子のイスの後ろにはこんもりとした水たまりができた。Mは保健室へ行ったきり戻って来ず誰も手をつけようとしないそれは時間とともにつぶれ板張りの床にしみ込んでいき放課後には床の模様としてその存在を示すのみとなったがそのしみを雑巾で拭くように男は「ボス」から命じられた。
男は床に膝をつき濡れ雑巾でしみを拭いた。しみはまだ生々しい水気を含んでいてバケツで雑巾を洗うとムッとアンモニア臭が鼻をつく。「まだだ、まだだぞ」と笑いながら「ボス」は言った。確かに一度拭いただけでは臭い小便のしみはとれない。「リンチ」が恐いから男はまた四つん這いになって犬のように四つん這いになって豚のように四つん這いになってゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシゴシMの小便がしみ込んだ床を雑巾で拭いた。いびつなしみは拭けば拭くほど大きくなっていくようだった。
下着まで汗びっしょりになった。泣いてしまったので顔を上げられず気づくと「ボス」はいなくなっていた。男はバケツの水を誰もいない暗い廊下の水道に流し雑巾を水道の水でじゃぶじゃぶ洗った。水は低い方へ低い方へ流れていって排水溝に飲みこまれた。Mの小便はどこか男の知らないところMも「ボス」も知らないところへ水やゴミと混じって流れていった。
そんなことを思い出しながら男はトラックを下り、運転席の男の皺だらけのチンポコから出た小便が重機なしでは太刀打ちできない頑強なコンクリートに描いたしみを見に行った。その形を、見たいと思った。

 
 

(奥戸2丁目、水神社近くで)

 

 

 

ふた

 

塔島ひろみ

 
 

ランドセルに入っているのはその日の授業の教科書と筆箱ぐらいでその中身は大体誰も同じだけど
弁当箱に入れるものについては何一つ指示なく先生が決めてくれなかったから
人に見せたくない「自分ち」が まとわりつくようにその箱の中に入っている
重すぎる愛も 貧乏くささも 鼻を突く「自分ち」の独特のにおいも
ぎゅうぎゅうにその箱に詰まっているから 「ふた」をしめる そのふたにはヒーローとかキャラクターとかのさまざまなカッコいい他人が刷られ 中身よりもむしろ気を引く
「ふた」たちは 「多様性」という名の地獄から子らを日々救った
その川近くのゼロメートル地帯にある工場では、アルマイトの弁当箱を年間20万個も30万個も作り飛ぶように売れた
野球選手や大きな目の日本人離れした女の子も地球を救うヒーローも だけど使ううち 洗ううち 少しずつ剥がれ薄まり下水に溶けて流れていき
そのうちどこにもいなくなった

だから娘は 弁当の時間が死ぬほどいやで 見られないよう味も考えずひたすら食べ
家に帰って来てから食べたりもしたそうだ
わたしがつくる弁当は彩りが悪くご飯ばかりやたら多く弁当というより「うち」みたいで「うち」まるみえで
うち以外の友だちの弁当は「うち」ではなくちゃんと「弁当」だそうだ
ヒーローは救ってくれなかった 弁当は進化し「自分ち」を反映させない技を親たちが習得したのか 「自分ち」が進化し重くも臭くもない爽やかな ふたする必要がないものになったのか
わたしをおいて
みんなは先に進んでしまった

コンクリート造りのアルミ工場の建物群
そのほとんどはかつての社宅で今は使われず幽霊屋敷のようになっている
彼女は目がくりくりと大きくまつ毛が長く茶色がかった髪の毛はサラサラで
まるでふたに描かれた少女マンガの子みたいだった
その社宅の一室が彼女の「家」で
彼女は 弁当箱たちとともにアルミ工場の歴史とともに育った人であることをわたしはまるで知らなかった
誰も住まなくなった鼠色の建物を 同じ色のコンクリートブロックが囲っている 彼女はどんな「ふた」をこの「家」にかぶせていたのだろう 
口もとにホクロがあり大人っぽかった 大きな目が射るようだった 
まっすぐな視線が 弱いわたしの心を射るようだった

工場は今もアルマイトの弁当箱を細々とつくる
ヒーローのいない無地のふたの弁当箱はちゃっかり ロフトなんかの店頭に並び
開けようとする人の心をまっすぐ見つめる

なかには優しさが詰まっている 家族への思いが詰まっている
隠すとかごまかすとかではなくて ふたは
それを守り暖かく包むものだと教えるみたいに
開けようとするわたしの心をまっすぐ見つめる
あなたの心をまっすぐ見つめる

 
 

(7月某日 奥戸2、◯◯アルミニウム製造所前で)