『令和1年8月6日 広島』

 

みわ はるか

 
 

8月6日、早朝、わたしは始発の新幹線に眠い目をこすりながら1人飛び乗った。
広島まで自宅からおよそ4時間ほどかかる。
その日は朝からあいにくの雨だった。
濡れた折り畳み傘が隣の人に当たらないように細心の注意をはらってくるくると小さく元の形に戻した。
新幹線の中はよく冷房が効いていた。
リュックからごそごそと持って行こうかぎりぎりまで迷った淡い水色のカーディガンを取り出した。
着てみるとちょうどいいくらいの体温になり、心底持ってきてよかったと感じた。
本当は礼服で行くつもりだったが、雨のこともあり白い控えめなワンピースにした。
窓から見えるあっという間に過ぎ行く景色を見ながら感慨深い気持ちになった。
ずっとずっと行きたかった。
22歳の春に初めて原爆資料館に入館し衝撃を受けたあの時から。
テレビのニュースで灯篭流しの様子を食い入る様に見つめたあの時から。
それが今年やっと叶った。

多くの人がご存じのとおり毎年8月6日、広島では原爆に対する慰霊祭と夜には灯篭流しの行事が催されている。
今年は朝に少し強めの雨が降ったものの、その後は夏らしい入道雲がもくもくと出現し夜まで晴れていた。
時間の都合もあり慰霊祭を見ることはできなかったが、10時くらいに到着するとあふれんばかりの人で埋め尽くされていた。
夏休みということもあり子供から大人まで様々な年齢層の人がいた。
そして、ツアーが組まれているであろう団体や、外国人の数の多さにも圧倒された。
今回の行事のスタッフと思われる首から名札をぶらさげた人も多く見た。
年配の人も多かったけれど、若いおそらく高校生や大学生、社会人の人も多数いた。
なんだかそれにほっとした。
原爆を経験した人が高齢化する中でそれを継承しようとする若者に頭が下がる思いになった。
みんな一生懸命に身振り手振りを交えて説明していた。
わたしもさらっとその団体の最後尾について耳を傾けた。
額から汗を流しながら語る人たちからは今日という日がどれだけ大切な日なのかが伝わってきた。
こんなにも澄み渡った青空の真上から一瞬にして何もかもを吹き飛ばしてしまう鉄の塊が落ちてきたなんてにわかに信じられなかった。
でもそれは今や世界中の人達が知る真実なんだとも思った。

小学校4年生の時、担任の音楽を得意とする女の先生から「はだしのげん」という本を薦められた。
漫画はほとんど読まない性分だったため初めはためらっていたけれど、ぜひという強い一言でとりあえず1巻を手に取った。
それからは早かった。
どんどんその魅力に吸い込まれていって、当時15巻位まであっただろうか。
3日程ですべて読み切った。
そしてそれを間をおいて3回程繰り返し読んだ。
日本にこんな時代があったことに衝撃を受けた。
一瞬でいなくなってしまった家族や友人、吹き飛んでしまった家や学校、皮膚がただれ水を求める人々、タンパク源にイナゴを食べる日々。
その本には戦時中のむごさはもちろん、戦後にどうにかこうにか生き延びた苦悩も描かれている。
あの時、あの本に出会わなければわたしはきっとこんなにも戦争や原爆のことを気にもとめなかったかもしれない。
広島にある原爆資料館でも同じ衝撃を受けた。
本からある程度は想像していたけれど、いざ視覚的に当時の物や写真を見るとぐっと胸にくるものがあった。
8時15分で止まったままの理髪店の皿時計、ボロボロにちぎれた子供の服、眼球が突出したまま歩いている人の写真。
目をそむけたくなるようなものばかりだった。
今年リニューアルされたばかりだという資料館はいかにその当時を再現するかに力を入れたものだったような気がする。
館内にいる人々の顔は驚きや悲しみに思わず眉間にしわをよせてしまうようだった。
資料館を出たときの太陽は驚くほどまぶしかった。

夜、18時から灯篭流しが始まった。
わたしも折り紙のような鮮やかな赤色の和紙を購入しメッセージを書き込んだ。
川に灯篭を流すための長い行列ができていた。
みんな思い思いに色んな色の和紙に様々な言語で文章を書いていた。
最後尾に並んで数十分後、川岸にたどり着いた。
スタッフの人があらかじめ灯篭用に用意してくれていた木でできた囲いにきれいに和紙を張り付けてくれた。
その中にはろうそくが1本たっていてそっと火を灯してくれた。
消えないようにそろそろった川の側まで歩き、ゆっくりと灯篭を流した。
慌ててリュックの中から数珠を取り出して両手を合わせた。
流れが穏やかだったためわたしの灯篭はゆっくりゆくり川下へ流れて行った。
それはとても幻想的でいつまでも見ていたくなるような光景だった。
それからは川岸の階段に座って全体の光景を眺めていた。
夜もふけてくるとさらに美しくなった。
川岸や橋は人でいっぱいでみんなが穏やかな顔をしていた。
たまたまわたしの隣に1人で日本全国を旅行中の60歳のカナダ人のおじさんが腰を下ろした。
カナダでは歴史学の教授をしており、奥さんとはずいぶん前に別れて子供と孫がそれぞれ4人ずついると教えてくれた。
カナダでは離婚率が高いらしい。
そして、こうわたしに柔和な表情で話しかけてくれた。
「北海道から東京、京都、大阪、広島と旅してきた。どこもよかったけれどまさに今この瞬間が最も心に残る。
そして、こうやってあなたと会話できたことも。」
「美しい、本当にこの光景は美しい。」
ずっとそうつぶやいてカメラのシャッターを切り続けていた。
5週間の内残り2日間となった日本滞在。
満足そうな笑みを浮かべて宿泊先だというゲストハウスのある方向へ帰って行った。
去り際わたしにこんな言葉を残して。
「あなたはこんなにも外国人がいることに驚いていると言ったけれど僕はそうは思わない。
ネットやテレビ、ラジオ、雑誌、様々な媒体で報道されている。世界中のみんなが知っている。
逆に今日ここに日本人が少ないことが悲しい。」

8月7日、チェックアウトぎりぎりまで眠っていた。
灯篭流しの帰りにふらっと寄った少し小汚い居酒屋で見た野球中継を思い出しながらベッドから起き上がった。
広島だけあってもちろん広島カープの試合が流れていた。
しかし、その試合の前だろうか、後だろうか、監督をはじめ選手がみんな灯篭を持って黙祷をしていた。
まさにわたしが流した灯篭と同じものだった。
何の銘柄を頼んだかは忘れてしまったけれど、その時の日本酒の味はものすごくおいしかった。

宿泊していたホテルをチェックアウトしたあと最寄りの駅には寄らずもう一度原爆ドームへ足を運んだ。
どうしても見たかったものがあったからだ。
その日は昨日に増して日差しがじりじりと照り付けていて帽子をぐっと深くかぶった。
数十分キャリーケースをゴロゴロと転がして原爆ドーム前の灯篭流しの川に到着した。
見事だった。
あれだけの灯篭が川に流れ、ろうそくの火で燃えたもの、そのまま岸辺にたどり着いたものいろんな形で残っていただろう。
川岸の階段や橋にはギュウギュウ詰めに人がいた。
食べたり飲んだりしている人もいた。
あの暑さだ、ほとんどの人が手や鞄にペットボトルをもっていた。
だけれども、川にも道にも箸にも塵1つ残っていなかった。
首から名札を下げていたあのスタッフの方々が夜遅くまで残って掃除した姿は容易に想像がつく。
日本の美徳だと思った。
昨日のカナダ人のおじさんが途中でぼそっと「この大量の灯篭はどうするのだろうか。」と言っていたけれど、
ぜひ今日この光景を見てほしかった。
彼は何と言っただろうか。
きっと赤く日に焼けた顔でにこっと笑ってくれたのではないだろうか。

また来年も来よう。きっと来よう。
蝉の大合唱の中、生暖かい風がふわっとわたしの首筋を通過した。

 

 

 

訪問者

 

みわ はるか

 
 

ピンポーンと夜の19時頃だっただろうか。
わたしの住むアパートのインターホンが鳴った。
アパートに住んでいると特段約束でもした友人でない限り訪問者なんてこない。
何かの勧誘か、NHKの受信料の請求か(いや、それはもう既にきちんと払っている)、いったい誰だろう。
おそるおそる家の中のホームカメラを覗いてみた。
そこには20代前半と思われる男女のややこわばったような緊張した顔が見えた。
2人とも小柄で男の人は中肉中背、短髪、いかにも好青年といった感じ。
女の人の方は色白で目がくりっとしていて黒髪のロングヘアーだった。
手には何か袋を大事そうに握り締めていた。
玄関の電気をつけ扉を開けた。
そこには当たり前だけれどさっきインターホン越しのカメラで見た若い2人が立っていた。
緊張した顔は変わることなく、
「昨日からここの上に引っ越してきた者です。他県から来たのでご迷惑をかけるかもしれませんがどうぞよろしくお願いします。」
と息つく暇もなく男の人は言い切った。
隣にいた女の人はぐいっと袋をわたしに差し出し、
「あの、これ、全然たいしたものではないんですけど使ってください。」
ものすごくこちらも早口でしゃべりきった。
2人は不安そうに見えた。
この辺にきっと知り合いもいないんだろう。
でもどこか覚悟を決めてここに来た2人はとてもかっこよく見えた。
聞きはしなかったけれどおそらく新婚さんなんだろうなとにぶいわたしでもさすがに気づいた。
わたしはにこっと笑って、わざとじゃなくてこれは本当に本心でそう言ったのだけれど
「わたしはここに8年程住んでいます。地元もこの近くです。分からないことがあったら何でも聞いてください。
こんな風にきちんとあいさつに来てくれる人は初めてです。ありがとうございます。うれしいです。」
その時初めて2人はお互い目を合わせほっとした笑顔になった。
さわやかで、清らかで、美しかった。
このアパートには他にも何部屋かある。
どんな人が住んでるか知らない人も多い。
せっかくあいさつに行っても適当にあしらわれてしまった場面もあったかもしれない。
あぁ、どうかこの町を好きになってくれますように。
きらきらとした楽しい毎日になりますように。
わたしはお姉さんのような気持ちになった。
2人は深くお辞儀をして自分たちの部屋に帰っていった。
その後姿はいつまでも見ていたくなるような羨ましい背中だった。
地に足を一生懸命つけて歩こうとしている歩調だった。

袋の中身は洗濯用洗剤だった。
わたしは非常に好感をもった。
実用的なものは大変嬉しい。
こんなこと言ったらおばさんだと言われるかもしれないけれど嬉しいものは嬉しいのだから仕方ない。
少しルンルンな気分になって洗面台の下のストックボックスにしまった。
今使っている洗剤がなくなってこのストックボックスの扉を開けた時、きっとまた彼らのことをわたしは思い出すだろう。
今はきっと何者でもないであろう彼らはそのころには随分大人になっているんだろうなと思う。
あいさつ程度の付き合いになることは目に見えているけれど、上の階の人達がいい人でよかったなと心が温かくなった。

賃貸住宅が立ち並ぶこの町は外から来る人が圧倒的に多くよそ者の集まりだ。
単身赴任の人、若夫婦、転勤でしばらくの間だけ家族で間借りしている人、学生。
みんなライフステージが進むにつれどんどんこの町を出ていく。
住民の入れ替わりは激しい。
それはたまたまタイミングよく見かける引っ越し業者の車や、駐車場に停めてある車がいつのまにか違っていたりすることから察しが付く。
ほとんどの人は、一時の仮住まいとして利用しているようだ。
そうであるから同じ棟であっても知らない人はたくさんいるし、昔からこの地に住んでいる人たちとの交流も皆無だ。
気楽でいいなと感じることの方が正直多いけれど、なんだか物足りなくつまらないなと思う時もある。
それはなんとなく蝉がミンミン、ギンギンこれでもかと鳴いていた昼間とはうって変わり、
淡いオレンジ色の夕暮れが空一面に広がるなんだか切ない感じと似ている。
人との距離感は難しい。
みんなそれぞれ色んな価値観を持っている。
できあがった組織に入っていくことや、他人と一緒に何かをしようとすることは煩わしいことかもしれない。
それでもやっぱり1人は寂しいな、誰かとつながっていたいなとふと思ったスーパーからの帰り道。
今日は鶏肉が安かったのでたくさん買いすぎてエコバックはいつもより重かった。
その時、空のずーっと奥の方からぽつりぽつりと夏の夕立がやってきた。
わたしは駆け足で家路へ急いだ。

 

 

 

人間として存在するということ

 

みわ はるか

 
 

渋谷のNHKへ行った。
一般の人でも入れる所だ。
毎朝テレビで見ているアナウンサーや気象予報士の人がここにいるのかと思うと不思議な気持ちになった。
建物は想像よりも大きくて、中もとてもきれいだった。

昔からテレビは好きだった。
でも小さいころはNHKがついているとすぐチャンネルを変えるような人間だった。
時は不思議なもので、数年前からは朝は必ずNHKで夜もだいたいNHKのニュースやドキュメンタリー番組を好んで見るようになった。
朝ドラは毎日録画して夜見るのがささやかな楽しみになっている。
バラエティ番組やドラマは今ではほとんど見なくなってしまった。
旬の人たちに疎くなってしまった。
ニュースが始まるときのアナウンサーの顔が好き。
でももっと好きなのは大役を終えて最後に画面に向かってお辞儀をした後、もう一度顔を視聴者の方へ戻した時の顔が好き。
仕事に誇りをもって充実しているあの表情がものすごくかっこいい。
組織の一員として社会に存在していることに充実感を感じている印象が素敵だ。
テレビだからそう写って見えるのかもしれないけれどそれでもいいと勝手に思った。
あの顔や表情の変化を見るとわたしも頑張りたいと思えるから。

人の顔の表情というのは不思議なもので人目見ればなんとなく自分のことを受け入れてくれているのかどうか分かる。
何かを報告しようと思ったり、話したいとこちらが思っていてもなんだか拒絶されたような目や口角を見ると萎縮してしまう。
それでも伝えなければならないときは心の中でえいっと勇気を出して伝える。
それで冷たい反応であったときは自分が何か気に障るようなことをしたのか、それともこの人はこう人なのかとぐるぐる考えを巡らせる。
最終的には疲れてしまうのであまり考えないようにしようと自分を納得させる。
でもどこかで、頭のどこかでそれはずっと残り続けるような気がする。

組織に属している人には色んなライフステージの人がいる。
新卒で初めて社会に出たまだあどけない人、中堅どころでまさに旬な人、子供がいて育児や家事に追われながらも仕事をこなす人。
出身地も性格も環境も趣味もみんなばらばらだ。
だからお互いの理解がきっと必要なんだろうけれど、文字に書いたようにそんな簡単なことではないと感じる。
社会は結構難しい。
もういいやーって思ってしまうこともある。
なーんにも考えなくていい環境に行ってしまいたいと思うこともある。
そんな時は思い出すようにわたしはしていることがある。
わたしは特に高校・大学と先生に恵まれてきたと思っている。
学生時代、唯一社会人の人と毎日接することができた職業だった。
分からない問題に対して嫌な顔せず本当に一生懸命教えてくれた。
将来について迷った時親身になって耳を傾けてくれた。
そんな人たちに卒業まで見守ってもらって、どうして自分だけ社会に貢献せずにいられようか。
そんなことはわたしにはできない。
わたしのこれからの夢は卒業時と変わらず社会に恩を返すこと。
人間として存在している意味を社会に貢献することで見出すこと。
そのために何ができるか、今一生懸命考えている。

心身ともに健康的な状態で、社会に認められるような環境に身をおいた人間にわたしはなりたい。

 

 

 

和紙に綴られた手紙

 

みわ はるか

 
 

5行程の丁寧な手紙をもらった。
肌触りがいい和紙に書かれていた。
きちんとした筆ペンで綴ってあった。
書くことが好きなので手紙を知人に渡すことはたまにあるけれど、もらうのはものすごく久しぶりだった。
人の手で書かれた文章がこんなにもきれいなんだと不思議な気持ちになった。
頬には意図していないのに一筋の涙がつたった。

瀬戸内海には無数の島がある。
今年はGWが10連休ということで友人と島に行くことにした。
友人は少し変わったところがあって、ずいぶん前から少しでも住人が住んでいない島を探していた。
しかし、住人が少ないということは民宿も少ないということなのでそれは大変な作業であったみたいだ。
なんとか宿をおさえたという島は人口はたったの7人。
必要な時に本島から島に人が来るような所。
民宿はたったの2つで、どちらも家族経営をしているようだった。
わたしたちが泊まったのは海の家を連想させるようなたたずまいで、トイレはボットンの和式だった。
年配の老夫婦が切り盛りしていて、休みの日には娘さん2人が本島から手伝いに来ていた。
人があまりいないので海や砂浜はとてつもなくきれいだった。
海はピカピカ光っていたし、魚が飛び跳ねる姿も散見された。
遠くの方では大きな船が行き来していた。
ジェットスキーで海を自由自在に動き回る若者やおじさんたちはとても楽しそうだった。
大きな貝殻もたくさんあった。
見るもの全てが新鮮だった。
夜ご飯は魚がメインで、お刺身も天麩羅も煮物も、どれをとってもとてつもなくおいしかった。
蚊が出てよく眠れなくて寝不足になったのは残念だったけれど、それはわたしにはたいしたことではなかった。

老夫婦のおじいさんが教えてくれた。
この民宿に今までで一番長く滞在したのは1ヶ月のアベック。
アベックという言葉を理解するのに少し時間がかかったけれど若い二人だったんだなと少しして想像できた。
両親に結婚を反対されてここに来たと言っていたそう。
そのアベック、どうしたんだろう、幸せに暮らしているといいなと思った。
報われないのはやっぱり悲しい。

友人は色んなところに歩いて散策に出かけていた。
人がいないことがこの上なくうれしそうだった。
サングラスをかけて、木の棒をもって、まるで東南アジアで見るような現地の人みたいだった。
食べて、飲んで、岩の上でぐうたら寝ていた。
ナマケモノにも見えた。
でも、とても気持ちよさそうだった。
なんだかわたしまで幸せな気分になった。

GWはあっという間にすぎてしまったけれど、その手紙は大学の卒業証書入れの裏に大切に保管することにした。
曲げないように、しわにならないように、大事に大事に。
言葉は素敵だ。
それをつなげた文章はもっと素敵だ。

心のこもった文章をどうもありがとう。

 

 

 

恐怖の下痢

 

みわ はるか

 
 

定期的に通っている定食屋さんで、平日の夜わたしは初めて定食以外のものを注文した。
当然何かご飯ものを頼むだろうと思っていたと思われる肌が雪のように白い店員さんは少し驚いていた。
アップルパイとアイスティーを注文したのだ。
甘いものがそんなに得意ではないけれどあのときのアップルパイは世界一美味しく感じた。
食べられる、美味しく食べられる。
ただただ嬉しかった。
そう、1日前までわたしはポカリスエットしか飲めなかったのだ。
1週間下痢に悩まされていたからだ。
頬はこけ、みるみる体重は落ち、布団から起き上がれなかった。
固形物を食すのがこの世の終わりかと思うくらい怖かった。
結論:下痢は辛い。

熱発や関節痛もあったためしばらく職場を休んだ。
ほとんどの時間を布団の上で過ごしたのだが、気分転換に少し外に出てみた。
そうすると、普段だったら知ることのない音や光景ががたくさん見えてきた。
マンションの上の方から布団を布団たたきでたたいて干す音。
ミニチュアダックスフンドをゆっくりゆっくり散歩させる高齢の夫婦。
何が建つか分からないけれど、まっさらな土地の上で何やら物差しで長さを測り続けている人。
畑をきれいに耕して立派なスナップエンドウを育てている人。
近くにある川はわたしの状況なんか関係なく淀みなく流れていたし、窓から見える中学校からは12時を知らせる
鐘が遠慮なく鳴っていた。

夕方になるとぺちゃくちゃおしゃべりを楽しむ中学生の集団が至るところに見られた。
テニスラケットを背負っている子、剣道の竹刀を担いでいる子、習字道具をぶら下げている子。
みんなケラケラ笑いながら流れる川の上の橋を渡っていた。
一日がこうして終わっていくんだなと思った。
客観的に見る機会は少ない。
これはとても不思議な気持ちで貴重な時間だった。

下痢は本当に本当に辛かったけれど、なんだかな、いいこともあったな。
そんな今回は汚い話。

 

 

 

与謝野晶子になぞらえて、弟へ

 

みわ はるか

 
 

誰も使わなくなった机、ベッド、中身がごっそり抜かれた本棚。
がらんとした8畳ほどの部屋はがらんとしていた。
机の下には持って行き忘れただろうお気に入りだと言っていたボールペンが転がっていた。
ベッドの上には趣味のバイクのパンフレットが置かれたままだ。
窓を開けるとちょうど西日が眩しくて反射的に目を閉じた。
淡いオレンジ色の西空はなんだか余計に心を寂しくさせた。

2019年、3月、弟は4月からの就職のため家を出た。

8年前まだ高校2年生だったあなたから色んなものを奪ってしまって本当に申し訳ないと思ってる。
お詫びと言っても許してもらえないかもしれないけれど、大学進学やその後の悩みには心から対応したつもりです。

8年前、わたしの体調がものすごくすぐれなかったこと、その他もろもろの事情で弟とは別々で暮らすことにした。
弟から母親を奪ってしまった。
遠くではないけれどお弁当とか、話したいこととかきっとたくさんあったはずなのに。
わたしのわがままで一瞬で環境を変えてしまった。
本当にあの時はごめんね。
もっとよく考えるべきだったと後悔ばかりが張り付いている。
戻れるのなら本当に戻りたい。

体調が少しずつよくなったわたしは頻繁に実家に帰るようになった。
弟は外からは分からなかったけど、話すと色々鬱憤がたまっているようだった。
その時わたしは決めた。
弟が社会に貢献する年になるまでわたしは自分のことは考えないようにしよう、いつでも何かできるように身軽でいよう。
それが贖罪だと思った。

そのうちに弟は受験生になった。
数学や物理は教えることはできたけど、ごめん、古典や漢文はお手上げだった。
論理的に考えれば1つの答えにたどりつける類は好きだったけれど、難解な助詞や難しい漢字が次々と出てくる文章は苦手だった。
希望している大学をわたしは勝手に下見に行った。
その日は雪がしんしんと降っていてものすごく寒かった。
バスの窓から大学の門扉が見えたとき無事に到着したことにほっとした。
時計がついた高い塔はモダンでお洒落だった。
なんでだろう、その時計にむかって「無事に合格できますように」とお祈りした。
雪はいつのまにかやんでいた。

着なれないスーツを身にまとったあなたはその時計台の前にいた。
にこにことした朗らかな顔だった。
その横には「入学式」と書かれた色紙台が立てかけてあった。
希望に満ちた新しいスタートだった。
大学院まで進んだあなたにはたくさんの友人ができたと聞いた。
偉そうに言うわけではないけれど、学生時代の友人は生涯の友人になる。
ぜひ、これから先も大切にしてほしい。
同じ時間を同じ場所で過ごした人の間には分かり合えるものがあると思う。
辛い課題もたくさんあったと聞いた。
それは隣に一緒に頑張った友人がいたからではないですか?
きちんとこなしたあなたは本当に偉い。
新しい趣味もいつのまにか見つけていた。
全国各地を巡るキャンプ、骨折もしてしまったけれど風を切って走る心地よさを味わえるバイク(本当はやめてほしいけど)。
色んな事が経験できた6年間は貴重だったね。
自分のやりたいことができる会社に入れてよかったね。
また違う景色を見て色んな事を感じて考えて行動するといいと思うよ。
どうしても嫌になったら帰ってこればいいさ。

鬱陶しい姉だったと思う。
心配性のわたしは長々と色んな用件でメールをした。
「分かった」と返信が来るときはまだいいほうでたいてい既読スル—だった。
それでも事あるごとに送り続けたことはさすがに反省してる。
引っ越しの荷物を積めているとき「お姉ちゃんがいてくれてよかったわ。」とぼそっと言われたことは生涯忘れないと思う。
大切に心の中にしまっておこうと思う。

この4月からは過度に干渉するのは卒業します。
自分の人生を好きなように生きてくれ。
行きたい方向へ羽ばたいてくれ。
人生は有限で意外と短い。

卒業、本当におめでとう。

 

 

 

名古屋-京都-博多 旅行記録

 

みわ はるか

 
 

こんなにもたくさん笑ったのはいつぶりだろう。
保育園のころ、桃色のつばが広い帽子をみんなでかぶって、隣の子と手をつないで桜並木の下を歩いたときと同じ気持ちだったような気がする。
見るものが全て新鮮で、人が優しかった。
大事な人の大事な人が自分にとっても大切にしたいと思えた旅だった。

わたしの大切な友人と、友人の小さいころからの幼馴染に会いに名古屋から博多に行く予定を前々からたてていた。
ひょんなことから、その道中で友人の大学時代の神戸の友人と京都で落ち合うことになった。
この時点でわたしは2日間の旅行のうちに知らない人2人にあってご飯を食べなければいけなくなった。
それは新しい出会いで楽しみでもあったけど、少しだけ、ほんの少しだけ不安でもあった。
「2人ともいい人だよ~。大丈夫。」って言われたけど日が近づくにつれてどきどきしてきた。
その時のことを忘れないうちに、記憶が鮮明なうちにここに記録しておこうと思う。

その日は風は冷たかったけれど青い空が広がっていて気持ちのいい日だった。
京都駅、神戸の人と会う時が来た。
いきなり現れたその人はわたしが想像していた人とは違った。
そんなに背は高くなくて、でもわりと顔は端正で、折り畳み式の自転車を持っていた。
適当に挨拶だけすませて、ご飯を食べに行くことにした。
でもその日は休日の京都駅。
どこも駅中のお店は人ばかりで困ってしまった。
でもその人はいつのまにか京都駅近くのお店をあっという間に予約してくれて連れて行ってくれた。
京都駅からすぐ近くのお店で、あっさりしたものが食べたかったわたしの希望通りのお店だった。
移動しているとき空が見えた。
「空がきれいですね~。飛行機雲もある!」
ちょっと気を遣ってわたしが言ったのにその人は
「本当に!?あの辺雲ばっかりだけど大丈夫?」
もう笑うしかなかった。
変な人~、関西の人はこんな感じなのかなと思い始めたのは多分この時からだったと記憶している。
お店でご飯を食べ終わるとさっとその人は立ち上がってあっという間にお会計を済ませてくれた。
スマートだった。
「まけてもらって50円だったから楽勝だった!」
そんな風にして帰ってきたその人はいい笑顔だった。
改札で別れるとき友人同士は普通に握手をしていた。
わたしも握手をしたかった。
手を差し出してみた。
目を合わせてくれなかった。
ちょっとしたら目を合わさずに、わたしが差し出した右手に対して左手を出してきた。
不満気にわたしがもう一度右手を出したら、今度は少し照れたように目をしっかり合わせて右手を出してくれた。
温かい手だった。
「その持ってきた折り畳み自転車で京都から神戸まで帰るんですよね 笑??」とわたしが言うと
その人は「うるさいわっ 笑」と言い残して去って行った。
3人で京都駅の前で撮った写真は大切な大切な思い出になった。
何度も何度も見返している。
その人は変な人だったけどわたしは結構好きになった。

博多に着いた。
夜ご飯は2人目の知らない人、友人の幼馴染と水炊きを食べることになっていた。
また少し緊張してきた。
ホテルのロビーに現れたその人はわたしよりも小柄でとても人懐っこい笑顔をしていた。
初めて現れたわたしにとても親切にしてくれてずーっとにこにこしていた。
神戸の人とは全然タイプが違う人だった。
連れて行ってくれたお店の水炊きは本当に本当においしかった。
転勤で全国を周っているその人は色んな土地の話をしてくれた。
小さいころの話もたくさんしてくれた。
たらこも、水炊きも、あご出汁も大好きになった。
最後にわたしがどうしても行きたかった中州や天神の屋台へ連れて行ってくれた。
そこまでは少し距離があって歩かなければならなかった。
その途中スマホでわたしたちを撮ってくれることになったのだけれどガラケーを普段使っているその人は操作に苦労していた。
「なんか、自分の顔が写っちゃったよー!」
慌ててスマホを渡されると、そこにはその人のにこにこしたドアップの写真が記録されていた。
3人で大きな声で笑った。夜空に響くくらい笑った。
もちろんその写真は3人各々の携帯に保存されている。
天神の屋台は想像通りいい雰囲気でご飯もおいしかった。
3人で身を寄せ合ってずるずるすすったうどん、3人で分けっこして食べたアツアツの餃子、3人でグラスを突き合わせて飲んだお酒。
いい夜だった。
星がきれいだった。
その人の笑顔はもっときれいだった。

大人になると遠足に行く前の園児の気持ちになるようなことはほとんどない。
何かしら不安がつきまとう。
これからのことを考えると怖い。
でもこんないい時もあるんだなとこの日は思えた。
また会いたいなと思った。
またみんなで空を見たいと思った。

旅に連れ出してくれた大切な友人には心から感謝しています。
ありがとう。

 

 

 

 

みわ はるか

 
 

きれいなものを見た。
ものすごく久しぶりに美しいものを見た。

美容院の帰りに本屋に寄った。
以前より友人から薦められていた本を探すためだ。
わたしの要領が悪いのか、その本はなかなか見つからなかった。
書店員の人はみんな忙しそうに動き回っていたので話しかけるのが憚られたが尋ねることにした。
その少女は高校生くらいだろうか。
既定だと思われる白のブラウスに黒のパンツ、その上から緑色のエプロンをつけていた。
しゃがみこんで段ボールからたくさんの本を出し入れしていた。
黒い長いつやつやした髪をポニーテールできちんと束ねた後姿は清楚な印象だった。
「すいません、○○さんの本がどうしても見つからなくて。探してもらいたいのですが。」
わたしは遠慮がちに声をかけた。
すぐにくるっとわたしの方を振り返った少女はまっすぐにわたしの目を見て、
「はい、お探しいたします。少々お待ちいただけますか?」
はっきりとした口調で、嫌なそぶりも全く見せず快く引き受けてくれた。
その時見た彼女の瞳は本当に本当に美しかった。
こんな目をした人を最後に見たのはどれくらい前だろう。
思い出せなかった。
一生懸命な目だった。
わたしの力になろうとしてくれた心からの瞳だった。
黒くくりっとしていてきらきらしたどこか透き通るようなそんな印象だった。
立ち上がった彼女は思いのほか背が高くすたすたすたと歩きだした。
白のブラウスはきちんとアイロンがかけてあるのだろう。
清潔感があった。
さすが書店員さんである。
ものすごく早くその本は見つかった。
「お待たせしました。お探しの本はこの辺りになります。」
はにかんだ笑顔で案内してくれた。
笑うと人の目は欠けた月のようになるけれど、それはそれで可愛らしかった。
任務を終えた彼女はまたすたすたすたと仕事に戻って行った。
なんて気分のいい瞬間になったことだろう。
寒い雪の降る外出先から家に帰って、温かい紅茶を飲んだ時のような気分だった。

色んな瞳がある。
幸せな瞳、威圧感のある瞳、敵視している瞳、攻撃的な瞳、めんどくさそうな瞳、絶望している瞳。
目は口ほどに物を言うと言うけれど本当だなと感じる。

また彼女のような美しい瞳を持った人に出会いたいなと思う。
自分もそうなれるようになれたらなとも思う。

雪がちらちらと舞っていたそんな昼下がりの話。

 

 

 

ある事故を知って

 

みわ はるか

 
 

坂本九の歌がいいなぁと前から思っていました。
切なくて、前向きで、でもやっぱり悲しくて。
昭和の名曲だなぁとしみじみ思います。
40代で亡くなった理由をつい最近まで知りませんでした。
それがとても大きな事故で、語り継がれるべき話であるのにわたしは知りませんでした。
食い入るようにネットの記事を読み、何度もフライトレコーダーを動画で見ました。
それは、わたしにとって、ひとつひとつがものすごく衝撃的な内容でした。
どんな気持ちで揺れ動く機体の中で時を過ごしたのか。
どんな気持ちで機長はハンドルを握っていたのか。
最後、もうだめだと分かったとき何百人もの人たちは頭の中で何を思い描いたのだろうか。

事故を知った遺族の人たちもまたやりきれない気持ちでいっぱいになったのだと思います。
またすぐ会えると思っていた家族、友人、恋人。
ばいばーいと手を振って別れたばかりだった人ともう二度とは会えなくて。
それはわたしなんかが想像するよりももっともっと辛い感情のどん底に突き落とされた感じなのだと思います。

当時の機長の奥さんのインタビューがテレビで流れていました。
「生前より主人は申しておりました。
絶対に事故はしない。だけれども、もしおこってしまった時にはそれはどんな理由であろうともわたしの責任である。」
と。
それは、仕事に誇りを持った人だけが言える素敵な言葉だと思いました。

この事故に対しては、色んな立場の人が、色んな角度から意見を出しています。
わたしはこの事故の詳細を恥ずかしいことに最近知ったばかりで知らないことの方が多いです。
だから、今、そのことに関して書かれた本を読んでいます。
もっともっと知りたいのです。
日本人として知りたいのです。
そして、その時の人たちの感情を少しでもすくい取ることができたら、今生きている人間として少し認められるような気がするのです。

 

 

 

 

みわ はるか

 
 

鍋の具材をスーパーで見ていた。
ネギ、豆腐、しいたけ、えのき、つくね団子、ウインナー、もやし、お肉・・・・・・・。
ぐつぐつ煮たっている鍋の様子を想像する。
時々ピシャッとつゆが飛んだりする、
時間とともに出汁のいい香りがしてくる。
野菜はしんなりして、お肉の赤身は消える。
みんなが一つの鍋の中で、色んな色で輝いている。
それを友人みんなでのぞきこむ。
ただただ見つめる。
そんな時間が好きです。
そんな風に一緒に時を過ごせる友人は宝物です。
ずーっとこの時間が続けばいいのになと思う。
でもきっとそれは無理なんだろうなとぼーっと鍋の湯気にあたりながら感じる。
みんなそれぞれにライフステージがあって、優先順位が変わってくるから。
何から食べようかなんて考えてなくて、鍋の会が終わった後のことを考えている人がいるかもしれない。
来週末の予定を練っている人もいるかもしれない。
鍋のことだけを考えている人が一体どれくらいいるんだろう。
友人は大切だけれど、もっともっと大事なものがみんなの周りにはたくさんあるような気がする。
煮立ちすぎた鍋は味が濃縮して何度も咳き込んだ。
しめのご飯を投入した鍋はそんなにおいしくなかった。

 
私事ですが、最近調子があまりよくないようです。
短いですがこれだけしか書けません。
でもこれからもずっと書き続けたいと思っていますのでよろしくお願いいたします。