一本足の少女

 

村岡由梨

 
 

透析のクリニックの、やけに白い待合室で
一本足の、灰色の男を見かけた。
私は、全盲のおじいさんの車椅子を押して
待合室に入ったばかりだった。
人たちは皆うつむき加減で
テレビから聴こえてくる笑い声にじっと耐え、
迎えの車が来るのを待っていた。
翌々日も、同じような時間に同じ場所で
その男を見かけた。
その男も車椅子に乗っていた。
迎えが来るのを、待っていた。
私は、男の見えない足を見ていた。
見てはいけないものを、見ていた。
そして、おじいさんの車椅子にブレーキをし、
近くのソファに座ってぼんやり考え事をしていた。
娘たちのこと、夫のこと、猫たちのこと

遅かれ早かれ終わりはやってくるのに、
私たちはなぜ、出会ってしまったんだろう。

そんな悲しい詩の言葉を、
心の中で反芻していた。

やがて、その一本足の男を見かけることは無くなった。

 

ある日、待合室のあまりの沈黙に耐えかねて、
テレビのチャンネルを変えた。
昼のニュース番組だった。
灰色の瓦礫の山の中に、
片足を失った少女が立っていた。
片足だけでなく、親も兄弟も住む家も無くしたという。
泣き腫らした、燃え尽きたように黒い瞳が
怯む私を突き離して、遠くを見ていた。
一本の松葉杖にしか頼る術のない
不安定にグラグラ揺れる世界が、そこにはあった。

決して目を背けてはいけないものから
目を背けて逃げた私は、
真っ赤に燃える荒野にいた。

そこには、右足を失った18歳の眠がいた。
足元には猫のサクラが寄り添って
じっと前を見据えて
死にたい自分と、闘っていた。

荒野には左足を失った16歳の花もいた。
靴も履かずに、花は
割れた手鏡の破片で血を流しながら、
背筋をピンと伸ばして
昔の自分と、闘っていた。

眠は、使い古したクロッキー帳と鉛筆で、
花は、痛みと引き換えに手に入れた
スネークアイズとスネークバイツで武装して、
自分達を食い潰そうとしている世界と必死に闘っていた。
時には一方に無い右足になって、
時には一方に無い左足になって、
グラグラ グラグラ グラグラと
不安定に
沸騰する
世界
世界と少女たちは互いの肉体や精神を食い千切ろうと、
ギリギリの均衡を保って屹立している。
彼女たちの視線の先にいるのは
もはや私なんかじゃない。
彼女たちは叫び、抵抗し、暴れ回る。
彼女たちには叫び続けてほしい。
この世界が壊れるまで。

 

 

 

ランテルディⅢ

 

村岡由梨

 
 

隣に眠る野々歩さんの寝顔を見て、
結婚前、真冬の寒い夜に
二人でよく散歩していたことを思い出す。
有刺鉄線を飛び越えて、夜の公園に忍び込み、
はらはらとこぼれ落ちる枯れ葉に
両手を大きく広げて喜ぶ私を、
縁の黒いGジャンのポケットに両手を突っ込んで
2、3メートル離れた場所から見ていた野々歩さん。
まるで父親のような、父親でないような、
嬉しそうな、でもどこか悲しそうに
何か言いたげな顔をして。
野々歩さん、あの時何を言おうとしていたの?

そして今、私が仕事に疲れてベッドでウトウトしていると、
野々歩さんが私の顔をのぞき込んでいるのがわかる。
しばらくして、私にタオルケットをかけてくれて、
私はそのまま寝落ちしてしまったのだけど、
その日、野々歩さんが遠ざかっていく悲しい夢を見た。

自営業だから、
私が現場へ出ている時以外は、いつも一緒にいる。
最近は作品を作っている時もほとんど一緒で、
寝ても覚めても食事の時もお風呂も一緒だけれど、
決して飽きることはない。
もう少し若い頃は、
野々歩さんが私の頬をひっぱたいたことがあったし、
私が野々歩さんの腕にガブリと噛みついたこともあったけれど、
今はほとんど口喧嘩もしない。
お互い白髪が増えて、
指は節くれ立って太くなって、
せっかく野々歩さんが作ってくれた結婚指輪も
左手の中指に入らなくなった。
長い髪をなびかせる私と、飼っていた犬と、鳥と、
太陽と月が彫られた銀の指輪。
私の自慢の指輪。

二人の娘たちに恵まれて、
いつか離れていってしまう彼女たちを思い、
おそらく私たちより早く亡くなってしまう
かわいい三匹の猫たちのことを思うと、
幸せとは、こんなにも早く過ぎ去るものだったのかと
もう一度家族になるために、
何度でもやり直せると思っていたのに。

人を愛することは、
痛く 辛く 苦しく 儚い。
そして、時に無力だ。
世界の隅っこにこびりついたささやかな幸せでさえ、
いとも簡単に蹂躙されてしまう。
人生何が起こるかわからないけれど、
野々歩さんほど私を愛してくれる人も
私がこれほどまでに愛する人も
この先、絶対に現れない。
いつ伝えられなくなるかわからないから、
伝えたい気持ちを、いま、言葉にしよう。
勇気を持って、言葉にしよう。
世間の大半の人たちからしてみれば、
どうでもいいような、些細な気持ちを「いま」言葉に。

 

たとえ、あなたがヒトではなく、
鳥であっても
椅子の脚であったとしても、
こうしてまた、ひとつに結ばれたい。
たとえ戦火に巻き込まれて
離ればなれになったとしても、
必ず最後はあなたに辿り着く。
だから私を信じて。待っていて。
そして聴かせてください。
あの冬の夜、私に言おうとした言葉を。

 
 

*「ランテルディ」とはフランス語で「禁止」という意味。
* 今から20年前、婚約した時に制作した映像作品『ランテルディⅡ』は下記から御覧になれます。
https://vimeo.com/131768431

 

 

 

汚れた水

 

村岡由梨

 
 

深夜、とあるマンションの屋上から
大量の薬物や、アルコールで
恐怖を紛らわせた少女たちが
手と手を繋ぎ、
「せーの」で後ろ向きに飛び降りた。
大人たちの欲望で
びしょびしょに汚れた体から

解き放たれた。

ドサッ

あともう少し待てば夜が明けるのに
朝焼けの美しさを知らないまま
少女たちは

木からリンゴが落ちるように、
物の理に従って正しく落下した。
固いアスファルトの地面に
地面よりやわらかな頭蓋がぶつかれば
頭蓋が潰れるのは自明のことで

グシャ
水分を含んだ音が飛び散った。
少女たちの時間は永遠に止まった。

自分のこれまでを肯定できない人間に、
未来なんて、ないよ。
意味はたちまち意味を成さなくなり、
これ以上不幸にならない代わりに
幸福にもならないことが保証される。

そして世界は、急速に動き始める。
「女子高生 飛び降り」
「顔」「名前」「自殺配信」
「動画」「拡散」「理由」「YouTuber」「ネグレクト」
「現場写真見たい人、手あげて」
まるで少女たちが死ぬのを
待ち望んでいたかのように。

 

夜、消灯して、
暗闇の中、スマホで何度も再生する。
「こわい」と言って
飛び降りるのを躊躇う少女たちの声を
何度も聞く。
こわい
こわい
こわい

せーの

ドサッ
グシャ
ドサッ
グシャ

17歳の少女たちに、41歳の自分を重ね合わせる。
陸橋の金網越しに、
車が行き交う環状七号線をぼんやりと見つめる私。
少女たちに「死んではダメだ」「未来は明るい」と
言う資格があるだろうか。
彼女たちから唯一の逃げ道を奪う資格が、私に

どこまで行っても噛み合わない、世界と私。
自分を取り巻く
たくさんのこわいものから逃げるために、
いっぱい薬を飲んだ。
死んでしまえと
自分を痛めつけて 痛めつけて
でも死ねなかった。
いっぱい飲んでも死ねなかった。
伝わらなかった。

どうすれば、私の中にある「ほんとう」が
あなたに伝わるの
わかってもらえるの

最後の一滴の気持ちを言葉にできずに、
どしゃぶりの中 自転車を
漕いで 漕いで
濡れた髪が顔にまとわりついて
顔中を掻きむしりたくて
涙は大雨にかき消されて、
「きれい」と「汚い」の狭間で
右往左往する私に
「自分を四捨五入してみたらどう?」と
15歳の花はアドバイスしてくれたけれど、
いつまでも割り切れない気持ちを抱えた私は

「花ちゃんなんか、死ねばいい」
そう私に言われる夢を見たと言って、花が
泣きながら起きてきた。
「そんなこと言うはずがない」
そう言って、花の
細くて柔らかい体を抱きしめた。
「ママが癌で死んじゃう夢を見た」
と言って、泣いてまた目を覚ました花を、
「そんなことない」と言って笑って励ました。
花の両眼から、きれいな水が零れ落ちる。
「どうすれば、わたしの中にある『ほんとう』が
 ママに伝わるの
 わかってもらえるの。
 苦しいのも辛いけれど、
 苦しいのを誰も判ってくれないのは
 もっと辛いんだよ。」

 

夜が明ける
「嘘つき」
朝焼けの美しさ
「嘘つき」

嘘つき
嘘つき
嘘つき

世界はどうしようもなく汚いし、私も汚い。
大量の薬物で汚れきった私の体。
糸を引き、悪臭漂う性欲に
びしょびしょにされた私の心。
耳をつんざくような痛みに、魂が引き裂かれる。
今からでも、私は
再び誰かの喉を潤せるような人間になれますか。
精神科から処方された薬を、
日に何度も飲んで、
消毒されたきれいな水になりますから。

夜が明ける前に、解き放たれたい。
彼女たちみたいに、私も死ねたらいいのにな。

陸橋の上で逡巡する私の「ほんとう」は
いつだって誰かを傷つける。

今日も花は泣いて目を覚ます。
花の両眼から、きれいな水が零れ落ちる。
「もう死なないって約束したじゃん」
「わたしたちを残して逝かないって約束したじゃん」
「ママの嘘つき」
嘘つき
嘘つき

 

 

 

2023年・オーバーハウゼン旅日記

 

村岡由梨

 
 

ドイツのオーバーハウゼンで4月26日〜5月1日(現地時間)に開催された「第69回オーバーハウゼン国際短編映画祭」のインターナショナル・コンペティション部門に、私の新作映像作品『眼球の人』がノミネートされたので、同作に出演してくれた娘たち(眠(ねむ)と花(はな))と一緒に現地へ行ってきました。

「オーバーハウゼン国際短編映画祭」公式サイト
https://www.kurzfilmtage.de/en/
公式サイト内の「Visit」ページに『眼球の人』のスチール(うつっている二人の少女は娘たち)が使われていたのが嬉しかったです。
https://www.kurzfilmtage.de/en/visit/

日本に帰国して自宅に着いたのが、今(5月17日)からおよそ2週間前の5月4日午前1時頃。帰宅して早々、片付けなければならない事務仕事があったので、絶え間なく押し寄せる睡魔に抗いつつ、仕事を片付けながら洗濯機を回すこと3回(!)、明け方ようやく床につきました。まったく現実は容赦ない(涙)。現実に追われて、オーバーハウゼンで過ごした5日間が幻のように消えてしまう前に、覚えていることをここに書きとめておこうと思います。ドイツ滞在中、履き慣れないサンダルで出来た靴擦れも、とうにカサブタになりました。

 
【4月27日、木曜日】
21時50分発の飛行機で成田空港を出発。ポーランドでの乗り継ぎまで14時間50分、機内食のタイミングが思っていた以上に多く、ほとんど寝ているか食べているかのどちらかだった(笑)が、出国前に手に入れた詩誌「La Vague(ラ・ヴァーグ)」を機内で読んだことにはきちんと触れておきたい。「ラ・ヴァーグ」は12名の女性詩人(内、2名は創刊号のゲスト)によって今春産声をあげたばかりの詩誌で、(差別的な意味ではなく)いかにも女性らしい洗練された手法で、1ページ1ページ丁寧に編みこまれた印象を持った。創刊メンバーの一人である紫衣さんは、詩人としてだけではなく、写真家としての顔も持つ類い稀な才能にあふれた方で、互いの作品を通じて一気に意気投合し、今ではかけがえのない親友のような人だ。「ラ・ヴァーグ」を購入したのも、彼女の新しい作品に触れたかったからだ。日本からポーランド(さらにドイツ)に移動する道中、つまり母国語と外国語の狭間で、紫衣さんの紡ぐ美しい純正の日本語に触れたことは、不思議な浮遊感のある体験だった。日本語から離れることへの不安、という名の浮遊感だったかもしれない。いつもにも増して、言葉が美しく感じられた。ただ、内容としては不穏なもので、決して癒えることのない精神的・身体的な痛み、「あなた」と「わたし」の儚く報われない関係を謳いあげたものだった。私は今、今年4月に千葉県松戸市で女子高生2人がマンションから飛び降り自殺をした事件をテーマとした詩を書くのに四苦八苦しており、あまりにも彼女たちに感情移入し過ぎているのもあって、紫衣さんの作品を読んで涙があふれて仕方がなかった。多忙のため、近頃休みがちだった詩の合評会に来月は参加するつもりなので、もう少しジタバタと足掻いてみようと思う。

 
【4月28日、金曜日】
午前5時40分、ポーランドのワルシャワ・フレデリック・ショパン空港到着。朝早いせいか、人影もまばら。手荷物検査でちょっとしたハプニング(!)があり、(Facebookにも記したけれど)ここにも書いておきます。機内に持ち込んだトートバッグをベルトコンベアーに載せて身体チェックを受けようとしたら、スキンヘッドの強面のおじさんが初っ端から何だか怒っていて、どうやら「靴を脱げ!」と言っていたらしいのだけど、よく聞き取れず、“shoes(=靴)”が“shoot(=撃つ)”に聞こえて「やばい、撃たれる…!!!」とオロオロとしていたら、「お前、英語わかんねえのか!」とおっさんがさらに怒り出して、手を上げろ、後ろへ下がれとワーワー言われて、赤いサイレンみたいなのも回り始めて、もう生きた心地がしませんでした…。ちなみに、帰りのドイツのデュッセルドルフ国際空港での手荷物検査もスキンヘッドのおっかなそうなおじさんだったけれど、ものすごく優しい人でした。眠が、何をトチ狂ったのか日本から『火の鳥』全巻を背負って持ってきたので検査に引っかかってしまったんだけど、「何これ、マンガ?」「グッドバイって日本語でなんて言うの?」「サヨナラ!良い旅を!」と手を振って笑顔で見送ってくれて、感激。思わずカッコつけて「ダンケ!」って言ってしまいました。
話を戻します。そんなこんなで午前7時40分ポーランドの空港を発って、2時間後、ドイツのデュッセルドルフ国際空港に到着。無事に各自のスーツケースも回収。(←旅慣れていない私たちなので、こういう些細なことでいちいち感動!花のスーツケースに付いているタコのぬいぐるみキーホルダーをいち早く発見して大盛り上がり)そこから電車でオーバーハウゼンへ。午前中には現地に到着しました。ゲストハウスに寄って、映画祭が用意してくれたホテルのバウチャーなどを受け取った時、映画祭の雑誌『programm』表紙に娘たちの写真が使われているのを発見して大感激!すかさず「これ、私の作品ですよ!」と受付のお姉さんに自慢しました(笑)。記念に複数枚ゲット。日本で待つ野々歩さんへ、いいおみやげになりました。

(このゲストハウスには滞在中、何度も立ち寄ったので、スタッフの人たちとも仲良くなれました。見た目がパンクな人もいたけれど、みんな本当に優しい人たちばかりで、下北のドンキ(笑)で買った抹茶味のキットカットを「皆さんでどうぞ」と言って渡したら、すごく喜んでくれました。)
ホテルのチェックインまで時間があったので、近くのレストランに入って食事。しかし、ここでも事件が…。(詳細はふせますが)娘たちと私、冗談抜きで生きるか死ぬかまで精神的に追い込まれ、ホテルのチェックインの時間を早めてもらい、ベッドにダウンしました。この日はこれでおしまい。私たち家族が抱える問題の深刻さも思い知り、重い旅の始まりになりました…。

 
【4月29日、土曜日】
15時30分から、満員のGloriaにて山城知佳子さんの特集上映(1回目)を観る。
「映画祭『特集上映』ページ」
https://www.kurzfilmtage.de/en/press/detail/69th-festival-five-profile-programmes/?fbclid=PAAaZpolEWmsqJBAQVUlxCKeEP8YWPJqAxA4d9p7KPXEvjPpi1CBtTlroBapw
上映前、(滞在中通訳などで大変お世話になった)中沢あきさん、山城さん、キュレーションを担当された東京都現代美術館の岡村恵子さんと挨拶を交わす。山城さんの特集上映は4月29日(Gloria)と30日(Lichtburg)の2回に渡ってプログラムが組まれており、その両方を拝見した。2日目の感想も合わせてここに記したい。
山城さんは、沖縄県出身・在住の映像作家・美術家で、一貫して沖縄の抱える社会問題を主題とした映像作品や写真作品、インスタレーションなどを制作されている。1回目の上映では、初期のパフォーマンス・アート的な映像作品からほぼ時系列にプログラムが構成されており、作品の規模(恐らく予算的にも)が大きくなるにつれて凄みが増していった山城作品の軌跡を窺い知ることが出来た。山城さんの作品の特徴として、社会問題をそのままドキュメンタリーの形で提示するのではなく、いったん自分の「体験」として咀嚼して、ある種のスペクタクルとして昇華させて観客に提示している点が挙げられると思う。例えば、『土の人』(2017)では、爆弾が炸裂する音と、人々が息を潜める地下壕とのカットバックがボイスパーカッションにのせてリズミカルに展開する場面があり、スペクタクル的なテンポの良さが強く印象に残った。2日目のQ&Aでご本人が「アメリカのポップ・ミュージックに影響を受けている」とおっしゃっていて、妙に腑に落ちた。ちなみに、私の『眼球の人』を観た山城さんが「テンポが良かった」と言って下さって、ブリティッシュ・ロックやポップスに影響を受けている私としては、僭越ながら共通点を見出したような気がして、とても嬉しかった。そして、山城さんの作品の一番の特徴は、観る者の想像力を常に上回る豊かなイメージの数々だろう。『沈む声、紅い息』(2010)で海に沈む「マイクの花束」、『土の人』で白いユリ畑の間に生えるヒトの手・手・手、『肉屋の女』(2016)で次々に現れる同じ服装をした女たち。「安部公房の影響を受けているのか」と質問した人がいたが、御本人はそれをやんわりと否定していた。「不条理」という一言では簡単に言い表すことの出来ない驚きに、思わず溜息が出てしまった私がいた。
現在、山城さんは香川の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で個展「ベラウの花」を開催中。6/4(日)まで。
https://www.mimoca.org/ja/exhibitions/2023/03/21/2652/

山城さんの特集上映の後、いったんホテルに戻り、着替えて、20時からの自分の作品の上映に備えた。花が、私の髪にヘアアイロンをあててセットして、アイラインも引いてくれた。時間になり、花と一緒にホテルを出て、メイン会場のLichtburgへ向かった。劇場前にものすごい人だかりが出来ていて、すごい熱気にとにかく圧倒される。通訳の中沢さんと花と、関係者席に座る。大入り満員の会場を目の当たりにして、感無量。監督の紹介と簡単な挨拶の後、『眼球の人』が「インターナショナル・コンペティション プログラム7」の2番目の作品として上映された。上映後の拍手と口笛を聞いて、ドイツに来て本当に良かったと泣きそうになった。やはり、自分の作品に対する観客の反応は、実際に会場にいないとわからない。不思議と緊張はしなかった。ただただ幸せだった。上映が終わり、劇場の斜向かいの小さなギャラリーでQ&Aセッション。通訳の中沢さんと、記録係をしてくれた花に深く感謝。全て終わったのが23時過ぎ。ヘトヘトになった花とホテルへ帰る。長い一日だった。

 
【4月30日、日曜日】
ホテルで朝食をとっている時、街を歩いている時、様々な年代の人たちに「作品良かったよ」「とても美しかった」「感動した」「おめでとう」と声をかけられる。中には、丁寧な感想をくれた人も。生きていて良かったと心から思えた。眠が「ママさん、すごいね」と言ってくれたのも嬉しかった。
17時から山城さんの特集上映2回目。中沢さんに、劇場〜ホテルの最短距離を教わって、自分の空間認識能力の無さを思い知る。歩いて数分で行けるところを十数分かけて行っていた…。つまり、「→↑↑↑←←」のところを「↑↑↑↑→→→↓↓↓」みたいな。(よくわからないかもしれないけど!)
近くのS U B W A Yへ走って娘たちの夕飯を買いに行ってホテルに届け、夜ひとりで、「インターナショナル・コンペティション プログラム9」を観に行く。ウクライナのチェルノブイリ原発や、カザフスタンの強権的なデモ弾圧など、社会的問題を扱った作品が続き、鉛を飲み込んだように胸が重くなった。ウクライナから来た製作チームが来場していて、日本にいるだけでははかり知れない現実の重さを体感した。(ちなみに、今年の最高賞はこのウクライナの作品に授与された。)どの作品も、このタイミングでスクリーンで観ることが出来て本当に良かったと思うと同時に、こういった「社会的問題を扱った作品」の数々を「コンペティション」という形で優劣をつけなければならない難しさも感じた…という話をしながら、岡村さん中沢さん山城さんとホテルに戻った。岡村さんに「村岡さん、半袖で元気ね!」と言われ、確かに半袖で元気だと思った(笑)。暑がりな上に、滞在中は常に走っていたような気がする…

 
【5月1日、月曜日】
娘たちと、片道5km(往復10km!狂ってる!)歩いて水族館へ行きました。とにかく足が痛かったです。ウルトラスーパー方向音痴なので完全に花にナビゲートされました。(異国でスマホを自在に操るZ世代恐るべし。)水族館の近くに観覧車があることがわかり、「どうか花に連れて行かれませんように」と祈った、ウルトラスーパー高所恐怖症の私。(←行かずに済みました。)水族館で、記念にカワウソとペンギン(大)とペンギン(小)のぬいぐるみを買いました。特にカワウソは、後頭部がクルミ(うちの猫)と似てウリウリとしててかわいかったです。帰り道、まずいタピオカを買いました。(キャラメルラテを頼んだのに、なぜか豆の味。そして紫。)一連の様子は写真でお楽しみください。

ホテルに戻って、17時30分からの「Team Favourites 2023」を観に行きました。会場のGloriaは満席でした。国籍も人種も違う私たちだったけれど、ひとたび暗くなって上映が始まれば、皆同じ人間でした。“Heimatfilm”という作品(多分。カタログを見る限り)が映画愛に溢れていて素晴らしかったです。19時30分からはアワード・セレモニーでした。残念ながら『眼球の人』は受賞ならず、でしたが、現地で映画祭に参加できて本当に良かったと思います。自分がどれだけ映画を愛しているかを思い出し、スクリーンを前にして「自分の居場所はここなんだ」と再認識することが出来ました。牛?カバ?のような映画祭のゆるキャラも発見。次に来た時は、必ず2ショットを撮ってもらおうと思います(笑)。

海外の大切な友人たちと対面で会えたのもとても嬉しかったです。
ギリシャの大切な友人Giorgosと。

ミャンマーの映画制作団体3-ACTのMoeさんと↓。(彼女の作品“The Alter”もインターナショナル・コンペティション部門にノミネートされていました。)

 
【5月2日、火曜日】
12時頃ホテルをチェックアウト。デュッセルドルフ国際空港でスーツケースを預け、市内を観光。おみやげのチョコ買う。クッキー買う。プレッツェル買う。「○◯駅を出発し〜」などと説明できればいいのだけど、ここでもZ世代・花に頼り切りのノンビリ系ふたり(私と眠)なので説明できません(苦笑)。(ちなみに帰国後、花の友達にあげる用のクッキーを食べてしまい、めちゃくちゃ怒られ、その後チョコにも手を出してしまったので家族会議になりました…。ごめんなさい)ウルトラスーパー高所恐怖症なのに、ラインタワーにも上りました。なぜお金を払ってまで高いところへ上らなければならなかったのか…ナビゲートした野々歩さんを恨みます。そして、リトルトーキョーで野菜かき揚げラーメンを食べました。(ドイツは私のような中途半端なベジタリアン(お肉を食べないだけ)にも優しいベジ料理が充実していました。写真は花の頼んだ豚骨ラーメン)そして帰りの飛行機内で、リナ・サワヤマ(好きすぎて今年1月の来日公演行きました)とビリーが聴けて大満足。特にビリーの“Happier Than Ever”は楽曲の構成力が素晴らしいアルバムなのでフルで聴けて良かったです。これまた一連の様子は写真でお楽しみください。

帰国してから今日まで、映画を作る夢ばかり見ています。
もっともっと映画を作りたい。
以上、取り留めないですが、2023年・オーバーハウゼン旅日記でした。
勢い余って
ですます調と、である調が混ざってしまい、ごめんなさい。
こんな長いの、誰が読むの。
未来の私が、読み返すの。

 

 

 

幸せな結末

 

村岡由梨

 
 

仕事に疲れて、
帰宅してベッドに倒れ込んだ。
体の震えが止まらない。
目を閉じて、少し眠ろうとしたけれど、
あの人や
あの人の取り巻きの幻影にうなされて
呼吸が苦しくなる。
朧気な意識の中、
不意に赤ん坊の頃の花を思い出した。
私の腕に抱かれて
お乳を飲んで
私の顔をじっと見つめていた。
両腕にかかる花の重みや温かさ。
ほんのり香る、甘い乳の匂いに包まれて
私たちは幸せだった。

それから15年経って、
家の中から外へ
徐々に軸足を移し、
私に背を向けて離れていく花。
あれは去年の暮れのことだった。
夜22時を過ぎて
雨でびしょ濡れになって
塾から帰ってきた花の、
私の不甲斐なさを射抜くような目。
親としての嘘やごまかしを一切許さない
真っ直ぐな目。

まだ、ママを置いて行かないで。
冷たい言葉で遠ざけないでほしい。

そんな私の自分勝手な気持ちを
全身で振り払うように花は、
私の知らない世界へと
スピードを上げてゆく。

 

2023年3月20日、晴天。
花の中学校の卒業式だった。
受付を済ますと、
生徒一人一人が保護者に宛てて書いた
手紙を渡された。
席に座って、早速封を切った。
そこには、
15歳の激しい怒りと
早すぎる諦念と
精一杯の優しさと
訣別の言葉が、あった。
一度読み、二度読み、
三度目読んだところで涙が止まらなくなり、
読むのをやめた。
親として、
花の孤独や苦しみに
きちんと向き合って来なかったこと。
私には泣く資格も無い。
一度言った / 書いた言葉は簡単に消せない。
一度傷付いた心は簡単に癒えるものじゃない。
けれど花は、深く傷付いてもなお
私たちが「家族」でいることを、諦めなかった。

卒業式から数日経って、
花からの手紙を読み直した。
そこには、
たくさんの花の優しさが、あった。
私たちが置かれている困難な状況を
何とか理解し、
受け入れようと苦しんだ花の姿が、あった。
「幸せになってください」
「200年、生きてください」
「これからまた200年、よろしく」
そう書いてあった。

 

今から約16年前、
産婦人科で
「出産予定日は10月22日ですよ」
と告げられた時、
10月22日生まれのママは、
その狂った頭で
「ついに私が私を殺しにくる」
って勝手に思い込んで、
生まれてくるあなたに恐れ慄いた。
結局その年の10月11日に生まれたのは
かわいい目をした愛くるしいあなたで、
あまりにも可愛かったから
ベビーベッドには寝かせず、
ママのお布団に入れて
寄り添いあって冬の寒さをしのいだ。

それから15年。
ごめん、
ママは、未だ良い母親になれずにいます。

けれど、もし許してくれるのなら、
ひとつお願いしても良いかな。
いつか、「その日」「その時」が来たら
スマホの電源を落として
パパと眠と花に見守られて
静かに旅立ちたい。
陸橋から飛び降りて
車に轢かれて
ぐちゃぐちゃの死体になりたいとは
もう思わない。
最後に思い出すのは、きっと
パパと初めて手を繋いだ
2002年のクリスマスイブのこと。
パパ手作りの銀の結婚指輪をして、
パパとママの二人で
渋谷区役所へ婚姻届を出しに行った時のこと。
そして何より、
生まれたばかりの眠と花を胸に抱いた時のこと。

今日は骨盤がバラバラになって、
ひとりのヒトを産む夢を見たよ。
それは、産まれ直したママ自身かもしれない。

「2023年2月26日日曜日18:10。仕事が終わって空を見たら星が光っていた。自分の現在位置がわからない。いつもそうだ。けれど今日の私は、いま自分が帰るべき場所がどこなのかをはっきりと自覚している。それがどれだけ幸せなことなのかも。あちこちから夕飯の支度をする音が聴こえる。一日の終わり。」

「200年、生きてください」
そうあなたは言った。
200年経っても、
忘れたくない。
忘れてほしくない。
私たちが家族だったこと。

 

 

 

ネグレクトという名の菓子パン

 

村岡由梨

 
 

花の詩を書こうとして、花のことばかり考えている。
花の為なら、両腕を切り落とされてもいい。
命を捧げてもいい。
それなのに、なぜ私
朝早く、起きられない。
普通だったら、他の誰よりも早く起きて、
炊き立てのご飯
具沢山の味噌汁
卵焼き
焼き魚 なんかを食卓に並べて、
食べ終わったら、
「いってらっしゃい」と言って学校へ送り出すのに

できない。
朝早く、起きられない。
大抵の人が普通にこなしていることが、
できない。

「ネグレクト」「だらしない親」

夢うつつに、花が玄関のドアを開く音がして、
慌てて「いってらっしゃい!」
と声を張り上げるのだけど、
私の声は、花の無言に吸い込まれて
あっという間に消えて無くなる。

「これ毎日じゃなくて、多くて週5日の内の2回だね」

けれど、ごく稀に、
花のお友達が家にお泊まりする時は、
花に恥をかかせまいと、
誰よりも早く起きて朝ごはんの用意をする。
サラダ
トースト
スクランブルエッグとベーコンの焼いたの
フルーツ を
ワンプレートにきれいに盛り付ける。
なぜ、こういう時は早く起きられるんだろう。

「自分が恥をかきたくないからでしょ」

たまにお弁当のある日は
早く起きて
お弁当を作る。

「ただし冷食だらけ」

花の中学校では
「早寝・早起き・朝ごはんカード」を書く習慣があった。
ある1週間をピックアップして、
何時に寝たか 何時に起きたか
朝食に何を食べたか、を
記録するという。
各々1週間分記録したところで
保護者からの一言コメントを書く欄がある。
震える手でピンク色の表紙のカードを開く。

×(何も食べていない)
×
いちご蒸しパン
×
コッペパン
×

毎朝無言で家を出る花の後ろ姿を想像して、
「これは何とかしないと」と思って、
フレンチトーストを作ってみたり
炊き立てのごはんと味噌汁にしてみたりもしたけれど…

「ママはどうせ、やっても続かないじゃん」

たまに家族旅行へ行くと、
「旅館で出る朝ごはんがすごく楽しみ」
と花は喜び、
以前、花が起立性調節障害の疑いで検査入院した時は、
「ママ、病院食って、おいしいよね」
と笑顔の花がいた。

ある日「塾があるから、夕飯18時で」
と花に言われたのに、
出来たのが18:15だったことがあった。
「食べてたら遅れるから、いらない」
そう言って花は勢いよく出ていって、
私は、作ったうどんを捨てた。
自分の分も、捨てた。
「花が空腹を堪えて塾へ行ったのに、
 私がのうのうと食べていては、いけないと思った」からだ。

「は? なんでママの分も捨ててんの?
 やっぱママ思考回路とか色々おかしいよ。
 めんどくさ」

 

昼食は、小学校・中学校の給食に助けられ、
いよいよ夕食、私の出番だ。
とにかく野菜をたくさん食べさせたい。

お正月のお餅がたくさん残っていたので、
お雑煮を作った。
鶏肉(脂身はきれいに取る)
にんじん、大根(両方とも皮付きのままイチョウ切り)
ぶなしめじ、ごぼう、ほうれん草
ザンゲの気持ちを込めて、
野菜を ザク ザク ザク と切る。

ブラウンシチューは、
玉ねぎを多めにスライスしてよく炒める。
にんじんは、やはり皮付きのままイチョウ切り。
それにたくさんのキノコ類(エリンギ、ぶなしめじ、エノキ)と
豚肉の薄切り、ブロッコリーを入れる。
1日目は、生協の塩バターパンと一緒に食べ、
2日目は、ご飯にかけて食べる。

他によく作るのがピーマンの肉詰めと
アスパラ(またはインゲン)のベーコン巻き、
タラと玉ねぎとじゃがいもとブロッコリーのホイル焼き など。

それで、たまに見栄えの良い食事が出来上がると、
すかさずスマホで写真を撮って、
Instagramにアップ。

「はい、私きちんとやってますアピールね」

 

こんな母親で、ごめんなさい。
これでも、あなたは私を良い母親だと言いますか?

 

こんな母親でも、花は
「ママ、絶対死んじゃダメだよ」
「ママが死んだら、遺灰食べるからね」
と言って抱きしめてくれます。
疲れ切った私を、あの手この手で笑わせてくれます。

仕事の合間に美味しいケーキを食べると、
真っ先に頭に浮かぶのは、眠と花。
ふたりに食べさせたいと思うのです。

子供が飢えるのは、何よりも辛い。

それなのに、なぜ
なぜ私は、朝早く起きられないの?

 

 

 

RED

 

村岡由梨

 
 

2022年12月14日、水曜日。
眠が可愛がっていたアメリカザリガニのザリ子が亡くなった。
赤いパーカーを着た眠が、
水槽の前でうずくまって泣いていた。
しばらくして野々歩さんが、
ひとしきり泣いた眠を促して
庭のネムノキの根元に、ザリ子を埋めた。
花屋で赤いパンジーを一株買って来て、
ザリ子の亡骸の上に、植えた。
眠は涙を流しながら、
懸命に、シャベルで土をかぶせていた。

12月13日。
下北沢で眠と買い物。
眼鏡屋で眠の眼鏡を直してもらい、
モスバーガーでポテトをテイクアウトした。
帰る途中、小さな雑貨屋に立ち寄って、
手作りのアクセサリーを見る。
赤い小さなバラのイヤリングを買う。
本物のバラを樹脂で固めたものだという。
眠と二人で「かわいいね」と笑いあう。
その後、ドラッグストアへ。
金曜からの入院に備え、必要なものを買う。

12月16日、今日から入院。
出迎えた看護師に、荷物チェックをされる。
ドライヤー、手鏡、ガラス製の容器に入ったヘアオイル
「自殺の恐れがあるため」と返される。
別れ際、施錠されたガラス扉を隔てて、
手と手を合わせた。
さっきまで握っていた手の温もりが
未だ残っていて、急激に切なくなる。

12月17日。
世田谷代田での仕事を終えて、
自転車で病院へ向かった。
16時頃、到着。
本2冊(ピッピシリーズ)
クリスマス柄のチョコウェハース3枚
ベジタブル味のおっとっと
もなか3個
ヘアバンド
スリッパを差し入れる。
二重扉のさらに向こう側にいる眠に手を振ったら、
眠も手を振り返してくれた。
声も届かない。直接触れることも出来ない。
眠をここにひとり残して、
私が帰る姿を見せたくなかった。
けれど、どうすることも出来なくて、
出来るだけ自分の背中を見せないようにして、病棟を後にした。
病院の寂れた敷地内を、ひとりで歩く。
帰り道、眠から着信がある。
さみしい、つらい、と言って、泣いている。
そばにいてあげたい気持ちが募る。

帰宅後、花と野々歩さんと三人で夕食。
夜、久しぶりに自分で髪を洗った。

12月某日。
花が、今朝、眠が亡くなる夢を見て
泣いて目が覚めたという。

12月21日。
午前中、眠から着信がある。
「学校きちんと行けるから、ここから出して」
と言って、泣いていた。
自分のカウンセリングの前に病院に寄り、
もなかとボディシートを差し入れる。
心配したけれど、思ったより元気そうで安心する。
扉の向こうの眠と、メッセンジャーでやり取り。
「もなか持ってきたよ!」
と送ったら、嬉しそうに手を振っていた。
病院を後にして、経堂のクリニックへ。
今後の方針を話し合う。
「入院期間1ヶ月くらい。
クリスマス年末年始も病院で」
夜、眠に電話して伝える。
小さな声で「がんばる」と言ってくれた。
「ねむまろが頑張るんならママも頑張る」
「毎日会いに行くよ」
尖った爪で心が抉られるように、痛かった。

12月22日。
朝、冷たい雨が降る中、陸橋通過。
眠から「帰りたい」「ここから出して」
と泣いて電話。
仕事が終わる頃には、
空がきれいに晴れ上がっていた。
野々歩さんと合流して、病院へ。
扉を隔てて、メッセンジャーでやり取りする。
眠の病室からは、公園や電車が見えるらしい。
「きれいなんだよ」と眠。
「今日は、看護師さんと一緒に散歩したよ。
敷地内にガチョウがいたんだよ」
「寒くなかった??」
「大丈夫。赤のパーカー羽織ってたから」
「赤のパーカー」

 

「赤のパーカー?」
「うん、赤のパーカー。」
「赤。」
「うん、赤。」
「赤。」
「赤。」
眠の涙
赤い涙
何もいない水槽はまだブクブクと音を立てていて

今月18歳になるというのに
余りにも幼すぎる眠の寝顔を見ながら
今、この詩を書いている、私。
2023年3月7日、深夜。

スヌーピーのトレーナーを着て、
ホットケーキが焼けるのを嬉しそうに待っている眠。
猫のサクラが見守る中、
洗い物をしたり、掃除機を掛けたり、
洗濯物をたたむのが上手くなった眠。

この春、徐々に学校での勉強を再開して、
眠の時間がまた動き出す。
私にとって春は苦手な季節だけれど、
3月は、別だ。
なぜって、それは
私の大切な、愛おしい眠が生まれた月だから。
ザリ子は亡くなったけれど、眠はまだまだ生き続ける。
だから元気を出して、
前を向いて、
時には立ち止まっていいから、
休み休みでいいから、
生きて 生きて 生きて

 

 

 

 

村岡由梨

 
 

およそ二週間前に、義父が荼毘に付された。
詩人だった義父の為に、
棺に詩集を何冊か入れた。
そして今、
私は目を閉じて、
火葬炉の中で詩人の身体が焼かれていく様を
心の中で何度も反芻している。

激しい炎は、
詩人の詩集を焼き、詩人の肉も焼いた。
残ったのは、少しの骨と
金属製の人工股関節だけだった。

そんなことを思い出しながら私は、
今日も台所に立っている。
そして、焦がし過ぎないように、肉を焼く。
夕飯に肉が出ると、育ち盛りの娘達は喜ぶ。
娘達が嬉しそうに
食べる姿を見るのは気持ちが良い。
けれども私は肉を食べない。私は
肉を嬉々として食べる女が嫌いなのだ。
それなのに、次女がお腹にいた時、
無性に肉を貪りたくなった。
尖った犬歯で肉を引きちぎり、
滴る肉汁など気にせずに、
幼い頃食べた肉の味やにおいなど
遠い記憶をたぐり寄せ、
心の中で何度も何度も咀嚼したが、
結局実際に口にすることは無かった。
私は、肉を嬉々として食べる若い女が
たまらなく嫌いだったのだ。

昔、直立二足歩行をする犬によって
首に縄をかけられ、
真っ裸で地べたを這いずり回る、
という8ミリ映画を撮った。
肉を食べる・食べさせるという
優越性の転換だ。

 

今日も私は、
目を閉じて、
詩人の身体が燃えていく様を
ゆっくりと味わう。
幼い頃食べた肉の味やにおいを思い出し、
ゆっくりと咀嚼する。

けれどもやはり、
私は肉を食べることが出来ない。
肉は死だ。
死体は、こわい。
私はその死に
責任を持つことなど出来ないのだ。

 

 

 

少女達のエスケーピング

 

村岡由梨

 
 

ある夏の日、娘の眠は、
いつも通り学校へ行くために
新宿行きの電車に乗ろうとして、やめた。
そして何を思ったのか、
新宿とは反対方向の車両に、ひらり
と飛び乗って、多摩川まで行ったと言う。
私は、黒くて長い髪をなびかせて
多摩川沿いを歩く眠の姿を思い浮かべた。
そして、彼女が歩く度に立ち上る草いきれを想像して、
額が汗ばむのを感じた。
それから暫くして、今度は次女の花が、
塾へ行かずに、ひらりと電車に飛び乗って、
家から遠く離れた寒川神社へ行ったと言う。
夕暮れ時の寂れた駅前の歩道橋と、
自転車置き場と、
ひまわりが真っ直ぐに咲く光景を、
スマホで撮って、送ってくれた。
五時を知らせるチグハグな金属音が
誰もいない広場で鳴り響いていた。
矩形に切り取られた、花の孤独だ。

日常から、軽やかに逸脱する。
きれいだから孤独を撮り、
書きとめたい言葉があるから詩を書く。
そんな風に少女時代を生きられたのだったら、
どんなに気持ちが清々しただろう。
けれど私は、歳を取り過ぎた。
汗ばんだ額の生え際に
白髪が目立つようになってきた。

 

夏の終わり、家族で花火をした。
最後の線香花火が燃え尽きるのを見て、
眠がまだ幼かった頃、
パチパチと燃えている線香花火の先っぽを
手掴みしたことを思い出した。
「あまりにも火がきれいだったから、触りたくなったのかな?」
と野々歩さんが言った。

きれいだから、火を掴む。
けれど、今の私たちは、
火が熱いことを知っている。
触るのをためらい、
火傷をしない代わりに、私たちは
美しいものを手掴みする自由を失ったのか。

いや、違う。
私はこの夏、
少女達の眼の奥の奥の方に、
決して消えることのない
美しい炎が燃えているのを見た。
誰からの許可も求めない。
自分たちの意志で
日常のグチャグチャから
ひらりとエスケープする。
そんな風に生きられたら
そんな風に生きられたのなら、
たとえ少女時代をとうに生き過ぎたとしても
私は。

 

 

 

The Eyeball Person

 

村岡由梨

 
 

Whenever grown-ups saw me when I was a young girl,
they told me how “innocent and adorable” I was.
I was always at the end of their loving gaze.

On the train to my violin lesson,
a filthy, ugly man sitting across from me was staring at me.
So I slowly spread my legs under my skirt and stared back at him.
His eyes were glued to my crotch.
He yearned for the “thing” between my legs.
It’s my evil eyeballs in heat.
Eyeballs oozing with vile water.
The man’s vile gaze intertwined with my evil gaze
and I felt a cold dampness on my underwear.

After a while when the train arrived at my station,
I disembarked as if nothing had happened.
I nonchalantly headed to my violin teacher’s house
as my imagination ran wild about doing it
with that man in the station’s public restroom.
My eyeballs were ready to burst.

On the bicycle saddle
In the corner of the stairwell
With all sorts of methods,
I pleasured myself when I was young.
During such acts, what were my hollow eyeballs watching?

And now, after a real physical intercourse,
I lie in bed naked
feeling deeply ashamed of myself.
I’m mortified of getting pregnant with two children
through countless moments of ecstasy.
Many portraits of me are displayed in the room with the bed
where many faces of me stare silently at me.
In the darkness, staring at me are me, me, and me.
Sometimes she says, “You’re beautiful”
and sometimes she says, “You filthy devil” or “Drop dead.”
One of the portraits was drawn by Nemu (first daughter),
which softly calls out, “Mom, Mom.”
When a line is drawn down the center of my face,
half is the face of a kind mother
and the other half is a face of evil.
When Nemu sees my evil face,
will she still believe in my face of a mother?

 

May 31, 2021.
Nemu announced that she’s going to leave us sooner or later.
“Mom, Dad, why are you making me suffer like this?”
I see Nemu in my mind wail loudly with red tears streaming down her face.
A part of her probably wants to flee from me
who suffers in the room enmeshed in gazes
of the mother, in other words, me.
She can flee and if she were to end up in an empty space,
we wouldn’t be there anymore.
She would be free.

I get jealous of Nemu’s youth.
And unexpectedly, I get rattled
by the thought of Nemu leaving me
not so far in the future.

Nemu, who’s so kind, still makes shaved ice
with the shaved-ice machine for the family.
She pours red syrup over it and smiles shyly.
“Here you go.”

The ice melts, and the red tepid syrup sways.
The sharp blades of the shaved-ice machine gleam
and I hesitate to touch them.
When we’re not around,
will somebody warn Nemu?
“Don’t cut your hand on the sharp blades of the machine.”
When we’re not around,
she might cut and hurt herself.
She might bleed red blood.
Who’s going to treat her wound?

The other day, a sunflower bloomed from a seed
that Nemu planted on her 16th birthday.
The sunflower stalk grew taller than me
and in no time at all, it even grew taller than Nonoho (husband).

The sunflower bloomed, seeking sunlight in the continuing cloudy weather.
A big, dry eyeball with yellow eyelashes.
A strong gaze that bravely tries to survive.

I remember the day when I first made eye contact with Nemu.
The newly-born Nemu
wrapped in white swaddling clothes
was in the incubator, silently watching me.
It was definitely me, a mother, at the end of Nemu’s gaze
as she toddled around, calling out for her mommy.
Back then, it was Nemu who was always at the end of my gaze.

Now that I’m older, if I crush the two evil eyeballs
idling in my hand all these years,
a pure, transparent jelly will ooze out.

I look up at the sunflower
and try to convince myself
that I don’t have to be ashamed.
Nemu taught me
what a beautiful desperate flower that a sunflower is.

 
 

Translation:Annie Iwasaki

*眼球の人(日本語版)
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