性のむきだし音楽

音楽の慰め 第24回

 

佐々木 眞

 
 

 

この世の中で、セックス、というより、ずばり「性交という行為そのもの」を表現した音楽は、おそらく星の数ほどたくさんあるでしょう。あるはずです。

経験豊富な皆さんと違って、奥手の私が知っているのはたった3つしかありませんが、今宵は恥をしのんで、それらをご紹介しませう。

そのひとつはあまりにも有名なジェーン・バーキンとゲンスブール(ガンスブールと発音すべきだという御仁もいらっしゃいますが)とが、蝶々睦々ちんちんかもかもとからみあう、超悩ましい「je t’aime… moi non plus」(ジュ・テーム・モア・ノンプリュ)という極め付きの1曲です。

 

#1 バーキン盤

 

もういい加減にしろと言うても、きっとこの調子で朝までエクスタシーが続くのでしょうね。若さの勝利というも愚かなり。

なおこの空前絶後の「アヘアヘあえぎ」は、ゲンスブールのそれまでの恋人だったブリジット・バルドーと録音されていたのですが、バルドーは当時の夫を忖度して発売を拒否したためにお蔵入り。その代打で急遽登場したバーキン盤が世界中で大ヒット。
それが原因でゲンスブールはバルドーと別れたんだそうですが、なんとも羨ましいような話ですなあ。

 

#2 参考までにバルドー盤

 

お次のセックス音楽は、リヒアルト・シュトラウスの有名な「薔薇の騎士」の冒頭の音楽です。

物語の舞台はマリア・テレジア治下のウイーン。まだ開けられない深紅のカーテンの向こう、夫の不在の寝室のベッドで絡み合っているのは、妖艶な元帥夫人と青年貴族オクタビアンです。

いきなり指揮棒が一旋すると、管楽器の不協和音が鳴らされます。
高鳴るホルンの一撃は余りにも早すぎるペニスの勃起であり、次なる弦楽器の強奏は、成熟した年増女の「警告と教育的指導」です。

しばらく血沸き肉踊る猛烈な揉み合いが続いたあとで、全木管金管楽器がぐるぐり悲鳴を上げて咆哮するフォルテッシモは、17歳の若者のあまりにも性急で早すぎた射精であり、そこにすかさず分厚く覆いかぶさる弦楽器は、やむを得ず自分のエクスタシーを早めようとする元帥夫人の怒りを込めた焦り、なんですね。

やがてゆるやかに奏される序曲の終わりは、すなわちセックスの終わりとそれなりの性的満足の表明、なのでしょう。

R.シュトラウスの「バラの騎士」はカルロス・クライバー指揮のウイーン国立歌劇場またはバイエルン歌劇場による演奏。同じくカラヤン指揮のウイーン国立歌劇場またはフィルハーモニア管演奏のできれば映像付の録音がおすすめです。

 

#3

 

最後は、旧ソ連を代表する作曲家、ドミートリー・ショスタコーヴィチ(1906-1975)が、わずか26歳の若さで完成させた自由奔放なオペラ「ムツェンスク郡のマクベス夫人」です。

帝政ロシア時代の地方の富裕な商人(50代)の美貌の後妻、カテリーナは、23歳の若さと性欲をもてあましてもんもんと眠れない夜を過ごしていました。

が、その隙をついて忍び込んだイケメンの下男に犯され、よくある話ですが、あのチャタレイ夫人のように初めて性の燃え上がる喜びを感じて、いわゆるひとつの充たされた生活、を満喫するようになります。良かった、良かった。

しかし好事魔多しとはよくいったもので、2人の仲は義父に知られてしまう。
そこで追い詰められたカテリーナは、義父を毒入りキノコで毒殺し、出張から帰ってきた夫も、恋人と共同で殺してしまいます。(レスコフの原作では、もう一人少年も殺害するのですが、オペラではカットされています。)

やがて晴れて結婚した2人でしたが、「天網恢恢疎にして漏らさず」のたとえ通り、悪事が露見した2人は流刑地に送られ、なおも陰惨な悲劇が続くのですが、それはさておき、ここでの問題は、第1幕第3場における荒々しい性行為の音楽。
すべての弦と管と打楽器が荒れ狂う獣のように咆哮し悲鳴を上げるのです。

私はマリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセツトヘボウ管による2006年6月、アムステルダムはネーデルランドオペラ公演のライヴDⅤDで視聴しましたが、まさに阿鼻叫喚の激烈な強姦音楽です。(45分~47分あたり)

 

#4

 

どうしてこのように野蛮な、セックスむきだしの原始的な音楽が、当時のソ連で大好評をかち得たのか?
おそらくは人間は、昔も今もどんな社会体制にあっても、生きているからにはその性的快楽を全面的に肯定するほかないじゃないか、という原点を、初めて音楽で本気で描いたからではないでしょうか。

しかし残念ながらこの文字通り革命的なオペラも、当時の独裁者スターリンが見物した直後にソ連共産党の機関紙「プラウダ」で「荒唐無稽!」とこてんぱんにやっつけられ、それから20年後にショスタコーヴィチがその行き過ぎた個所をマイルドに削ぎ落とした改訂版を「カテリーナ・イズマイロヴァ」として世に送るまで、音楽史の暗闇に放置されるほかなかったのでした。

 

 

 

ひとつだけ誇らしいと思うのは

 

駿河昌樹

 
 

ひとつだけ
誇らしいと思うのは
徒党を組んで偉がろうとだけは
けっして
しなかったということ

表面だけ取り繕って
認めてもいない者たちを仲間として募って
おたがいに無理に褒めあい
まるで才能ある集団であるかのように
装おうとなどはしなかったこと

たいして認めてもおらず
おもしろくも思っていない年長者を
仰々しく盛りたてて
次の地位に滑り込ませてもらおうとは
一度もしなかったこと

 

 

 

斎告る

 

駿河昌樹

 
 

祈る、とは
「斎(い)告(の)る」の意

広辞苑にはある

斎、とは
忌み清める、身心を清浄に保ち慎む

告、とは
告げる

祈った、
と自認する人は多いだろうが
斎した
という人は
どのくらい居ただろう

どの程度まで

した
という
のだろう

そして
告(の)った内容は

だっただろう

斎告った人が
たとえば
昨年
あるいは
今年の正月
いた
のだろうか
たったの
ひとり
ほどでも

 

 

 

よるべないたましいのだれかさんとして

 

駿河昌樹

 
 

寒い
寒い

天気予報やニュースが言っているほど寒くは感じなくて
家の中でも
まったく暖房を使わないほどだけれど
手の甲や
指の甲が
いつもより乾いて
ちょっとシワシワしてくるのは
やっぱり
寒い
ということなのだろうか

手や指の甲の
そんなシワシワが
ずいぶん
ひさしぶりで
懐かしい
なつかしい
時間

呼び起こされるようだった
呼びよせられるようだった

特に
小学生の頃の冬
外に遊びに出ると
手は
かじかんで
乾いて
よく
白っぽく
シワシワになった

あの頃
それをどうやって
温めただろう
どうやって
元に戻そうとしただろう

手のひらや手の甲を
いつまでも
スリスリして
摩擦し続けて
温めようとしただろうか
ハアハア
息を吹きかけて
いつもの肌に
戻そうとしただろうか

おおい!
まだ生きてるよ!
まだ生きてるんだぜ!

そんなふうに
ぼくは
あの頃の
白く乾いた手の甲に
指の甲に
遠く
ーいや、けっこう近くかな
呼びかける

あの頃の
白く乾いた手の甲や
指の甲を
持っていた少年に
呼びかける

あの子の
やがて
行きついていく先の
あくまで
あくまで
途中経過の
仮の大人の姿をしたものとして
あの子を
がっかりさせ過ぎないで済むような
わずかばかりの
心の
思いの
それらよりも奥底のなにかの
かがやきを
ちょっとばかりは
守り続けている
まったく
ひとりぼっちの
よるべないたましいの
だれかさん
として

 

 

 

大学の恩師の話

 

みわ はるか

 
 

「古希になりました。吹き矢始めました。」
すでに退職された大学の恩師である教授から送られてきた今年の年賀状の一文だ。
大学を卒業して丸5年。
毎年1年に1回葉書でやり取りしている。
去年は「仏料理、中華料理始めました。一度いらしてください。」
その前の年は「町内自治会長に勤しんでいます。そちらはいかがですか!?」
などといった感じた。
筆ペンで書かれた達筆な字はとても美しい。
流れるような字面を何度も読み返す。
元旦の郵便受けはわたしの心をわくわくさせてくれる。

男性にしては小柄で色白、だいたいいつもスーツの上に黄土色の体型より少し大きめのサイズだと思われる上着を着ていた。
話すことが大好きで、いつも学生に柔和な笑顔で接し人気だった。
そんなわたしも教授のことは大好きで友達とよく教授の研究室を訪ねた。
分厚くて埃っぽい本が山積み、学生のレポートが端の方へおいやられ、わずかな隙間にt-falの電気ケトルが置かれていた。
お世辞にもきれいとは言えないけれどなんだか落ち着いた。
訪ねていくといつも歓迎してくれた。
勉強の悩みから、将来への不安。
どんなときもうんうんと包み込むように聞いてくれた。
少年のような遊び心を持った教授は、自分の学生時代の苦悩、教授になってからの留学先での慌ただしさや言語が上手く伝わらないことから生まれたストレス、定年を迎えたあとへの希望をにこにこと話してくれた。
若いのだから何だってできる。
若いということほど強靭な武器はない。
辛いことももちろんあるだろうけど困難は分割して考えていけばいい。
そんなようなことを教えてくれた。
どうしてかと言われるとよくわからないけれど、あの研究室を出るときはいつも清々しい気持ちになった。

わたしが在学中、ご好意に甘えて友達5人程で教授の自宅に遊びに行ったことがあった。
町からは外れに位置しておりほどよい田舎。
子供はすでに自立しており奥さんと仲良く一軒家に住んでいた。
古来から存在する日本家屋できれいにリホームされていた。
奥さんはよく笑い、これまたよく話す人だった。
テーブルにはあふれるほどの料理とお菓子が彩りよく並んでいた。
それが全部手作りと言うから驚きだ。
愛犬2匹とゆっくりゆっくり生活しているのだなと感じた。
それほどまでに穏やかな時間だった。
素敵だった。

帰り際、奥さんがこっそり教えてくれたこと。
「初めてのデートはどこだったと思う!?はははは、なんと山に自然薯掘りだったのよ~。はははは。」
教授らしいなぁと思ってみんなで笑った。

アクティブで前向きな性格にはいつもいつも驚かされる。
そして、案外自分が思っている以上に未来は拓けているのだと感じさせてくれる、そんな恩師の話。

 

 

 

開運金魚

 

塔島ひろみ

 
 

今日は開運金魚を配るという
昨日の大雪から一転青空が晴れ渡り、歯科医院はお客さんでいっぱいだ
とけたかなあ、と声がする
ドヤドヤと窓際に押し寄せ、眺めるけど、ここから外の景色は見えない
とけたかなあ
見えない景色に向かって 口々に言い合う
並んでヒラヒラ 尻尾を振る

とけたかなあ
私たちは少し恥ずかしく 顔を見合って赤くなった
徐々に待合室はすいてきて
(とけたかなあ) 奥歯が痛い口の中で 呟いてみる
もうすぐ私の番が来る

名前を呼ばれて診察室に入り 口をあけた
「もっと大きく」
医者に言われて大きくあける
私のあさましい口をあける
口の中にジャラジャラ ジャラジャラ
ジャラジャラ ジャラジャラジャラジャラ
お金が放り込まれてきて
治療はいつまでもいつまでも続いた

「はい、閉じてください」
お財布がパチンと閉じられ 真っ暗になる

開運金魚
私は欲しいものを手に入れた
幸せを招く
金箔入りの
いつも貴方のお財布にいる
かわいい
金魚
私はなりたい私になって
お財布の中を泳ぎまわる
本当の世界がここにあり、雪解けの庭に咲く桃が見えた

 
 

(2018年1月24日、江橋歯科医院待合室で(開運おみくじを拾って))

 

 

 

多様性

 

長尾高弘

 
 

十一月の半ば頃だったかな、
いつもの散歩コースで
徳生公園の池のところを通ったらさ、
真ん中を除いて干上がっちゃってて驚いたよ。
池を壊しちゃうのかと思った。
でも、なんか工事現場のようなプレハブが作られていて、
そこを囲む壁に貼ってあった説明によると、
外来種の駆除のために池の水を抜いたけど、
丸々抜いたら在来種までやっつけちゃうので、
ちょっと残してある、
ってなことらしい。
テレビの撮影が来たってなことも書いてあった。
この辺はよくテレビドラマの撮影が来るので、
そこのところは驚きはしなかったけど、
ドラマの撮影と外来種の駆除に何の関係があるんだろう?
なんて思ってた。
まあ、さっきの説明、ちゃんと読んでなかったんだけど。
それから数日後、
息子が「池の水ぜんぶ抜く」って番組を見てたので、
いっしょに見たんだけど、
池の水を抜くと、
逃げ場を失った魚や水生動物はつかまえやすくなるわけね。
それで外来種を駆除するんだって言ってた。
外来種だからっていうと、
何やら排外主義めいてるけど、
餌を食べつくしたり、
繁殖力がやたらと強かったりして、
ほかの種類の生き物をやっつけちゃって、
生態系の多様性が失われるんでいけないってことらしい。
なんだか徳生公園の池でやってたのと話が似てる、
って思ってたら、
番組最後の正月特番の予告編で、
見覚えのある池が出てきたので驚いた。
徳生公園に来たテレビってのは、
これのことだったのか。
確かに縁日で売ってるミドリガメが捨てられてるらしく、
よく見かけるもんな。
甲羅干ししてて、
親亀の上に子亀が乗ってるところなんか、
面白いと思って写真に撮ったことがあるよ。
ときどき餌をやってる人がいるけど、
そういうときは獰猛な感じでガツガツ食ってるから、
生態系を破壊する悪者って言われたら納得できるな。
それから一か月ちょっと、
放送されるのを楽しみにしてたんだけど、
実際に放送されたのを見たら、
けっこうあっけない感じだったなあ。
ただ、今まで見たこともないくらい
たくさんの人が集まってたのには驚いたよ。
うちはちょっと離れてるけど、
池がある南山田の町内会では、
テレビが来るからいっしょに池の掃除をしよう、
みたいな回覧が回ったのかもしれない。
あのなかにはきっと、
ミドリガメを捨てちゃった人も混ざってるに違いないね。
で、ミドリガメはもちろん、
鯉(これも外来種なんだってさ)もみんないなくなり、
ブルーギルだ、ソウギョだといった
いかにも悪そうなやつも「駆除」したらしい。
確かに、池を見ても、もう亀も鯉もいなくて、
鴨だけが自由を謳歌してるよ。
亀だけは番組のなかで伊豆の動物園に移された、
って紹介されてて、
なんかちょっとほっとしたんだけど、
鯉は食っちゃったのかな。
十一月の番組では、アメリカザリガニを調理して、
うまいうまいって食べてたもんな。
それにしてもさ、
外来種が餌を食べ尽くして生態系を破壊するって話、
アメリカの圧力で旧大店法が廃止されて、
あちこちの個人商店や商店街が姿を消したのと似てない?
港北ニュータウンでも、
商店街のエリアが作ってあるのは、
みずきが丘みたいに早い時期に開発された地域だけで、
新しく開発された地域にはコンビニしかなかったりするよね。
さらにネット通販がやってきて、
本屋なんかだと大規模なものでもリアル商店は苦しそうだよ。
動物の生態系のことも大切だけど、
こうやって餌を食べつくすような感じで
人の仕事を奪っていくものの方が、
もっと大きな問題じゃないのかなあ。

 

(2018年1月25日~30日、都筑区民文化祭で掲示。亀の写真は文化祭までに見つけられず、水を半分抜いた池の写真だけ使った)