堀江敏幸 『彼女のいる背表紙』のこと

 

加藤 閑

 

 

堀江敏行

 

彼女というのは実在の女性ではない。書物の中の女性である。
最初に置かれた「固さと脆さの成熟」のフランソワーズ・サガンなど、著者である彼女そのものと言えそうに思えるが、実は『私自身のための優しい回想』の中の私=サガンである。網野菊をとりあげた「青蓮院辺りで、足袋を」も私小説なのでともすれば網野菊その人と思いかねないが、もちろん「光子」に他ならない。
48編の短い文章が収められている。女性誌「クロワッサン」の2005年4月25日号~2007年4月10日号まで、2年に渡って連載された。女性誌に堀江敏幸というのが意外の感があったが、文芸誌の相次ぐ廃刊でいま編集者らしい編集者は文芸誌以外の媒体に身を潜めているという話を耳にする。
著者自装だが、いつもながら行き届いた本づくりだ。写真の撮り方から配置、刷り色、文字づかい等、この人はどこでこういうことを身に着けたのだろうと思わせるほど整っている。ほとんど単色と言えるくらい色を抑えているのに、カバーの写真のインクの微妙な色のうつろい。帯や扉に用いた用紙と文字の選択も、この本にはほかに考えようがないと感じさせる。だが、何よりも本文組みのバランスの良さが、どちらかというと控えめな表紙のデザインを助けるように、安定感をもたらしている。

この本を読んでわたしが感じ取るのは、雰囲気というしかないくらいのわずかな感覚なのだが、常に行間にひそんでいるある種の親密さと著者のほのかなエロティシズムである。
親密さはおそらく、堀江敏幸というひとが読書体験から書いた一連の文章が集められているということに起因している。読書を語るということは、自分の精神形成史を語ることであり、そのときどきの境涯や感情をたどりなおすことに他ならない。それにここにある文章は、書評に重なる部分もあるが、書評よりも創作(多分に私小説的な)に近いところも少なくない。
そのうえ、文章のそれぞれに影を落としている(ときには直接登場する)著者の姿や発言、心の動きなどが、書評と言うには物語性を帯びすぎている。たとえば、「いびつな羽」と題されたローリー・ムーアの「ここにはああいう人しかいない」を取り上げた文章にある次のような言葉。「だれかといっしょにいようとしてそれが果たせないからこそ孤独なのであり、その原因が相手にではなく自分にあるとわかっているから、よけいに腹立たしいのだ。」

48編、2年に及ぶ連載だから、さすがに最初のころと後の方では微妙に印象が違う。連載がはじまったばかりの頃の文章がかなり意図的なのに対し、終わりの方は本の作者に寄り添う度合いが強くなっている。文章を読む面白さは前者の方が強いが、取り上げた本を読んでみたいと思わせるのは後者の方だ。
この本で取り上げられている本を2冊買った。安西美佐保『花がたみ…安西冬衛の思い出』(沖積舎)とヴァレリー・ラルボー『幼なごころ』(岩崎力訳、岩波文庫)である。未読であれば網野菊も買っただろうが、去年のはじめに読んでいた。いずれもこの本の後半に出てくる本ばかりだった。

『花がたみ』の著者、安西美佐保は詩人安西冬衛の妻。堀江敏幸が「測候所とマロングラッセ」で触れている、電通広告賞審議会に出席した際の竹中郁とのやりとりは、この本の冒頭の「はじめに」と題されたもっとも短い章にある。そしてここに描かれたエピソードがこの本一冊のすべてを語っていると言っていい。
内容は、原本、引用文どちらを読んでもすぐわかるものなのでここには記さない。この小さなエピソードは、妻美佐保が書こうとした安西冬衛の人となりと二人の互いを想う気持ちを表していて余りない。著者は、失礼ながら文章を書くということに当たってはまったくの素人と思われるが、堀江敏幸も書いているように、そのたどたどしさが彼女の一途な気持ちを具現しているようで胸を打たれる。

『幼なごころ』について書かれた「名前を失った人」の書きだしはとても魅力的だ。
「好きになった人が身につけているものに、そっと触れる。もちろん、だれも見ていないところで。コート、マフラー、帽子、ハンカチ、鞄。あるいは、彼が、彼女が、さっきまで座っていた、まだ少しあたたかい椅子に腰を下ろす。肌と肌が合ったわけでもないのに、モノを通して想いが伝わってくるような気がする。けれど、そんなふうに近くに寄ることもできない場合には、どうしたらいいのだろう?(中略)名前だ。名前をつぶやけばいいのである。その人のすべてが、名前の響きに、意味に、文字のかたちに代弁されているからだ。」
思春期になるかならないかの頃に、こうした悩ましい思いにとらわれなかったひとがいるだろうか。こういうふうに書かれた本をどうして読まずにいられよう。
ラルボーの『幼なごころ』は、『彼女のいる背表紙』に関わりが深い本のように思える。
『彼女のいる背表紙』が表紙に著者自身の撮影になる写真を使っているのに対し、『幼なごころ』は各短編の扉に訳者の撮った写真があしらわれている。そのうえ解説を書いているのが他ならぬ堀江敏幸その人である。

相前後して同じ著者の『ゼラニウム』(中公文庫)を読んだ。異国の女性(多くはフランス人)との出会いを描いた6編の短編が収められていて、主人公はどれも著者を髣髴とさせる。同じ頃の作品である『雪沼とその周辺』とか『いつか王子駅で』(いずれも新潮文庫)に比べると、エッセイや身辺雑記を思わせる部分がないではない。しかし、これらはれっきとした小説である。『彼女のいる背表紙』の文章から受ける印象に近いものを感じることがあるのは、女性誌に連載された短文の多くが小説に擦り寄っているからではないだろうか。わたしにとって『彼女のいる背表紙』は、小説ではないのに作者が小説家であることを強く感じさせる本と言える。

 

 

 

ジョルディ・サバール

加藤 閑

 

 

サント・コロンブ

サント・コロンブⅡ

 

休日の朝は、たいてい最初にどのCDをかけようかと、棚を物色することからはじまる。バッハを選ぶことが多いのだが、きょうは久しぶりにサバールをかけた。ひところよく聴いたサント・コロンブの「2台のヴィオールのための合奏曲集」。ジョルディ・サバールがヴィーラント・クイケンとふたりで演奏している。サント・コロンブは17世紀フランスの作曲家だが、伝記的事実はほとんどわかっていない。ヴィオールの独奏曲と二重奏曲がかなりの数残っているだけだ。録音もそれほど多くはないのだろう。わたしはこの二人の演奏でしか聴いたことがない。(もちろんカタログには何点か他の演奏家の録音がある)
ディスクは2枚あって、1枚は1976年の録音、もう1枚のTomeⅡは1992年の録音である。実に16年の開きがある。前者と後者とでは、二人の演奏家のクレジットの順が入れ替わっている。すなわち、1枚目はヴィーラント・クイケンが上になっているが、2枚目はジョルディ・サバールが上になっている。1970年代といえば、古楽演奏が世界的に注目され始めた時期で、ヴィーラントは二人の弟シギスヴァルト・クイケン(ヴァイオリン)とバルトルト・クイケン(フルート)とともにクイケン兄弟として、グスタフ・レオンハルト、フランス・ブリュッヘン、アンナー・ビスルマらとともにその中心にいた。年齢も3歳ほどサバールより上になる。しかし、2枚目の出た1992年には、サバールはエスぺリオンⅩⅩを率いる新しい古楽演奏の旗手として注目されていた。だからCDの表記もサバールが上になっているのだろう。
当時、プレーヤーに乗せるのは圧倒的にTomeⅡの方が多かった。それを当時は2枚のディスクに収められた曲の違いだろうと思っていた。自分の好みに合った曲想のものが2枚目の方に多く収められているのだろうと。だが、きょうほんとうにしばらくぶりに2枚を続けて聴いてみると、曲の違い以上に演奏の質が異なっていることに気がついた。音楽を表現する音色に艶があって伸びやかだし、演奏の構成がずっと深みのあるものになっている。
わたしは音楽に対する感覚が優れているわけでもないし、ディスクを聴いて二人の演奏を聴き分けられるほどの明敏な耳を持っているわけでもない。だからこれはまったくわたしの想像にすぎないのだけれど、この音楽の深まりは、多くをサバールの演奏家としての成長に負っているような気がする。ヴィーラントもすぐれた演奏家だとは思うし、演奏にも後進の指導にも誠実さを感じさせる。しかし、みずからエスぺリオンⅩⅩという演奏団体を組織して、15世紀の音楽からベートーヴェンまで演奏しようというサバールのような才気には乏しいのではないか。
しかしながら、実を言うとわたしはエスぺリオンⅩⅩをほとんど聴いていない。デュ・コロワのファンタジー集とベートーヴェンの「英雄」くらいだろうか。ベートーヴェンは非常に明るい演奏で面白いと思ったが、記憶にはあまり残らなかった。個人的には、この人はヴィオールの演奏家という印象が強い。さきほど触れた、サント・コロンブの2枚のディスクの間の成長も、ヴィオール演奏家として1978年から83年にわたって録音された、トン・コープマンらと組んだマラン・マレのヴィオール曲集の演奏によるところが大きいのではないかと思う。これは5枚のCDになっていてサバールの代表作になっている。
ただ聴く分には作曲家として成熟しているマレの作品の方が面白い。けれどサント・コロンブ、特に第2集の方は美しい悲しみに満ちている。人は人生のどんな時間も取り返すことはできないということを告げるような悲しみに。
ディスクの価値の判断は、他の演奏にはないものを聴けるという点にある。その意味でいつまでも持っていたいと思うCDと言える。

 

 

 

ミエスチラフ・ホルショフスキのベートーヴェン

 

加藤 閑

 

ホルショフスキ1

ホルショフスキ2

 

「カザルスホール・ライブ」で夙に有名なミエスチラフ・ホルショフスキには、その前の年1986年7月にプラド音楽祭で行なったライブ録音がある。このときホルショフスキは94歳だった。カザルスの伴奏者だった彼は、その後長きにわたって忘れられた存在だったが、1983年のオールドバラ音楽祭に出演したことによって、再評価の気運が高まった。カザルスホールのオープンに招聘され、かつて演奏をともにしたカザルスの名を冠したホールとあって、95歳の高齢にもかかわらず来日した。このとき(12月9日、11日の2日間)の演奏は音楽史に残る名演として語り継がれている。
ホルショフスキは1993年まで生きるが、1991年10月の演奏会が最後の舞台となった。オールドバラ音楽祭の1983年から8年の間に行なわれた演奏会の多くはライブ録音として発売されているし、ノンサッチレーベルに数枚のスタジオ録音を残している。ノンサッチがクラシックを出すのは珍しいが、そのCDはいずれも名演である。

プラド音楽祭のライブは、フランスのリランクス(LYRINX)というレーベルから出ている。収録曲は次の通り。

モーツァルト ピアノ・ソナタ第12番ヘ長調K.332
ドビュッシー 子供の領分
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第15番ニ長調「田園」Op28
ショパン 即興曲Op.38(ママ)

ベートーヴェンの32曲のピアノ・ソナタのうちでわたしが現在もっとも気に入っている曲は、ここに収められている第15番のソナタだ。「田園」という表題がついているが、もちろん作曲家本人がつけたのではないし、交響曲第6番とも関係はない。この曲、ほかのベートーヴェンの曲にありがちな盛り上がりに大いに欠けている。聴き手の気持ちに関係なくぐいぐい引き付けるような強靭なところがない。それがとてもよい。「悲愴」や「熱情」だけがベートーヴェンではないのだ。
15番は、アラウの1980年代、晩年の録音がすばらしい。彼は20年ほど前の1960年代にもベートーヴェンのピアノ・ソナタ全集を録音しているが、そちらの15番とはまったく違う。肩の力が抜けていて、同型のリズムが一定の速度で流れていくようなこの曲にまことに合っている。このアラウの演奏を聴くと、バックハウスもグルダもちょっと考え違いをしているじゃないかと言いたくなってしまう。
しかし、このホルショフスキのプラド音楽祭の録音は別だ。80歳代半ばのアラウよりも10歳ほど上の年齢での演奏なのに、驚くほどみずみずしい。ホルショフスキの魔法のような音楽かもしれない。演奏時間は他の奏者に比べて決して遅くない。高齢になるとふつうは演奏時間は長くなるものだが、これはむしろ短い方だろう。それなのにちっとも速いとは感じない。音楽のことをよくわかった演奏家がゆったりと調べを奏でているという趣がある。聴いてみると随所でルバートをかけているのがわかるが、それがまったく嫌味ではなく、この音楽の最上の解釈はこうだと示されているような気持ちになる。

歳をとるというのはほんとうに難しいものだ。自分が年齢を重ねるに連れて、なおさらそれが実感としてわかるようになってくる。音楽家は歳をとるに連れて味わい深い滋味のある演奏をする人も少なくはないが、ホルショフスキはその中でも音楽演奏家として最良の歳のとり方をしたのではあるまいか。成熟というようなありきたりの言葉では説明できない、もっと複雑である意味神秘的な到達を見せた稀有の例と言える。
同じ盤に収められたモーツァルトもドビュッシーも名演。最後のショパンの即興曲は、第2番なので作品番号は36のはずだが、CDには38と表記されている。フランスやイタリアのCDにはときどきこういうことがある。

 

 

 

 

内田光子

 

加藤 閑

 

 

内田光子モーツァルト20番(旧盤)

内田光子モーツァルト20番(旧盤)

 

内田光子モーツァルト20番(新盤)

内田光子モーツァルト20番(新盤)

 

去年(2013年)の11月21日、京都西本願寺北舞台で演能があった。演目は「清経」で、シテは当代きっての名手、喜多流の友枝昭世。一般公開の舞台ではなかったが、その模様は12月22日にNHK教育テレビで放映された。

能「清経」は、平家の将来をはかなんで入水した平清経(重盛の三男)が、妻の前に現れてその有様を語り修羅道に落ちた苦しみを見せるというもので、世阿弥の真作とされている。筋立ても詞章もしっかりしており、抒情味溢れる人気曲である。

この日友枝昭世は、その抒情的な側面をいっそう際立たせる演技をしてみせた。清経のクセは、入水の様子を詳しく語って聞かせる長大なもの(本格の二段グセ)になっている。その途中、船の舳板に立って横笛を吹く場面に入る前に思い切って長い間をとった。ここは確かに見せどころなので見所(観客)の注目を集めたいところだ。しかし、「清経」は何回か観ているけれど、これほど大きな間ははじめて体験した。当然そのあとの、笛を吹き、今様を歌って身投げに至る動き(心の動きも含めて)は強調されて観る者に迫ってくる。

 

内田光子の弾き振りのモーツァルト(ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466、2010年クリーブランド管弦楽団)を聴いていて、第三楽章の繰り返しのところの間があまりに大きかったので、この「清経」のことを思い出した。内田光子はもっとも日本人らしくない日本人だけれど、その「間」の扱い方をみていると非常に日本的と感じることがあると書いていた人がいるのを覚えている。そのときは面白い見方だと思ったし、今回「清経」を思い出したことを考えると、わたしの中にも内田光子の「間」と能の「間」に近しいものがあるという思いがあるのだろう。

実際、武満徹なども「間」とか「さわり」が日本の音楽に固有の美意識だということをくりかえし発言している。彼の場合は、そこに自分の音楽のアイデンティティーを求めていたという事情もあるように思う。琵琶や尺八をソロ楽器として書いた「ノヴェンバー・ステップス」その他の曲をはじめ、その指向はやがては雅楽を書く方向に向かう。武満徹の雅楽「秋庭歌一具」は一種土着的な雅楽の響きを西洋音楽の語法で洗練させた傑作だと思うが、彼が死の床で聴く最後の音楽が「マタイ受難曲」だったという話は、彼の音楽の根が彼自身の種々の発言以上に西洋音楽の土壌に伸びていたことを窺わせる。

 

そう思うと、内田光子の「間」もどれほど日本的と言ってよいのかと思ってしまう。そもそも「間」というものがそんなに日本固有のものなのか。誰だって何か重要なことを言おうとかしようとかする前は、言葉を飲み込んで息をつめる。それは半ば生理的なものだ。それを「間」といって意識化してきた歴史があるので、日本的な美意識の代表のように言われるのだろう。

もともと、内田光子という人は意識的に音楽をつくり、きわめて恣意的な演奏をする人だという印象が強い。もう十何年前になるが、先ほどのモーツァルト、ピアノ協奏曲第20番ニ短調K466の旧録音(ジェフリー・テイト指揮、イギリス室内管弦楽団、1985年)を初めて聴いたとき、他の誰とも違うモーツァルトという印象が消えなかった。それがテイト指揮のオーケストラと不思議と調和しているように思ったのだ。新録音は内田光子が自らオーケストラの指揮をとっているが、テイト盤にあった調和の心地よさのようなものはあまり感じられない。ふたつの録音を聴くと、別のものが出会うから調和があるのだと気づかされる。

 

やはり何年か前に、クリスティアン・ツィマーマンがピアノもトゥッティも思い通りの音楽にしたいと、みずから団員を集めてオーケストラを組織し、ショパンのふたつの協奏曲を録音して話題になったことがあった。(ショパン、ピアノ協奏曲第1番、第2番、クリスティアン・ツィマーマン、ピアノ・指揮、ポーランド祝祭管弦楽団、2000年)

内田光子も弾き振りをしているが、オーケストラの音楽づくりはものすごく独特というのではない。むしろオーソドックスな解釈と言える。それなのに、例えばシューベルトの「即興曲集」のCDを聴くと、内田光子の演奏はとても恣意的な音楽になっている。これは世評の高い録音だけれど、あまりにも内田光子の主張が全面に出ていて息苦しいほどだ。この曲に関しては、昔からツィマーマンの弾いたディスクが好きだった。さりげないと言ってよいほどの、清潔ささえ感じさせるような自然な音楽の流れ、それでいてツィマーマン以外の誰の演奏でもない。

同じシューベルトの最後のピアノ・ソナタ。(変ロ長調、D960)これも評判のよいディスクだし、わたしも内田光子の最良の録音のひとつかと思う。それでも何がいちばん印象にのこっているかというと、第1楽章の左手のトリルの驚くべき強さなのだった。もちろん美しい部分は多いのだが、このトリルに関してはなにか美しい体の動物に思いもかけず生じた瘤を見たような感覚が後々まで尾を引いた。

内田光子の演奏に対するこだわりは大きい。そのこだわりが曲とマッチすると非常に力のある音楽となるが、もともと個的なこだわりを普遍的な演奏にするために彼女が払う努力は相当なものに違いない。

 

最後にもう一つ、内田光子の素敵なディスクに触れておきたい。シェーンベルクのピアノ協奏曲(作品42、指揮ピエール・ブーレーズ、クリーブランド管弦楽団、2000年)を中心に、新ウィーン楽派のベルクやヴェーベルンのピアノ曲を収めたもの。ヴェーベルンの曲にもっとも惹かれたが、それはきっとわたしの好み。20世紀音楽をほとんど聴かないわたしに、これらの曲や演奏を比較して何かを言う力はない。かつて、クァルテット・イタリアーノがこれらの作曲家たちの弦楽四重奏の作品集を出したことがあったが、そのときもやはりヴェーベルンに惹かれた。ヴェーベルンには深い闇と黎明を暗示する沈黙がある。内田光子の弾くヴェーベルンにも沈黙がある。それがときとしてあの「間」にとても似ていると感じられるのは、沈黙も多く抒情と抒情の間に存在するからだ。しかし、内田光子の演奏は、このふたつは別のものだということを雄弁に語っている。

 

 

 

 

 

ジャン・フォートリエ

加藤 閑

 

フォートリエ林檎1940-41

 

 

7月9日、東京ステーションギャラリーでジャン・フォートリエ展を観た。
フォートリエのことは何も知らないと言っていいほどだったのだが、なぜかこの展覧会の開催を知ったとき、これは見たい、いや見なければという気持ちが湧いた。
これまで図録などで見た何点かの作品の記憶と、誰だったか作者が思い出せないけれど「フォートリエの鳥」という題の詩があったはずだとか、アンフォルメルという今一つ自分の中で明確でない概念を確かめたい等、いくつかの思いが重なっていた。

この展覧会は大々的に宣伝されたものではなかったし、東京ステーションギャラリーもそれほどメジャーな美術館ではないのが幸いして、大きく混雑しているというようなことはない。なによりも、ほんとうにこれを見たいという人が一人(団体でなく)で来ていて、それが会場の雰囲気をよいものにしていたのも有難かった。
しかし、作品の質の高さは群を抜いていて、わたしが今年見た展覧会ではいちばん、もしかするとここ何年かでいちばんかもしれないと思うほどだった。優れた展覧会は会場に一歩足を踏み入れたときに感じるものがある。並んだ作品が醸し出す空気の厚みのようなものがあって自分はそこに入るのだという意識を覚える。かつて横浜美術館で開かれたセザンヌ展(1999)には圧倒的にそれがあった。フォートリエの作品を見ていくうちに、セザンヌ展の会場に立ったときの感覚が甦ってくるのを感じた。
もっと新しいところでは、同じ横浜美術館での松井冬子展(2011)にも少しだけれどそれがあった。というより、意図的にそれをつくろうとしてある程度成功したということだろうか。松井冬子展の最高傑作は池に映る桜の巨木を描いた「この疾患を治癒させるために破壊する」(デュラスの小説のようなタイトル)だが、展覧会を成功させるにあたってさらに重要な役割を果たしたのは、「ただちに穏やかになって眠りにおち」という、沼に沈んでゆく象の絵だった。わたしはそう確信している。これがはじめの方の部屋にあるからこそ、グロテスクな傾向の強いその他の多くの作品が絵画作品として実際よりも一段高められて見える。この絵を描いたこともそうだが、それ以上にここに展示したことに彼女の才能と見識を感じさせられた。

フォートリエ展に話をもどそう。林檎の絵がふたつあった。これがわたしにとって今回の展覧会のピークを成していた。展示としては、有名な「人質」のシリーズが中心なのだろう。会場を一巡すればわたしにもそういう印象がないわけではない。しかし、「人質」についてはレジスタンスとの関連で多くが語られているし、他の美術展に比べれば宣伝が少ないとはいうものの、展覧会の案内などではやはり中心作品として扱われているのは間違いない。するとどうしても、既視感というか、先入観にとらわれて絵の前に立つことになる。情報があるということは、必ずしも幸福な結果をもたらすものではない。

初期(1920年代)の具象から「人質」に至る作品はみなすばらしい。「森の中の男」をはじめとする油絵や、「左を向いて立つ裸婦」などのドローイング、どれも胃の中に石を投げ込まれるような絵だ。会場が静かなのもわかる気がする。目つきの悪い少女を描いた「セットの幼い娘」と題された油絵の前に立ったとき、唐突にルノワールの「ルグラン嬢の肖像」を思い出した。まったく対極にある絵なのに、鮮明に頭の中に画面が開かれた。その絵は2007年のフィラデルフィア美術館展で観たのだった。その愛らしさをわたしは何人かの友人に告げてまわった記憶がある。だが、この「セットの幼い娘」を同じように扱うことはできない。この絵からわたしが受け取っている情報は、わたしの中で極めて個人的に処理されていると思う。別の人が見ればその人なりの、また別の人が見れば別の見方で感得されるような作品なのだ。「ルグラン嬢」のように誰が見ても同じ愛らしさというのでは決してない。

フォートリエの作品は、すべてそのようにわたし一人に語りかけてくる。いや、語りかけるというようななまやさしいものではない。わたしの心の扉をこじ開けてはいってくるようだ。だから彼の絵から受ける感動は、瞬時に人生を生きなおすような衝撃がある。
一連の人物画を経て、果物などを描いた静物画の部屋にはいると、わたしの中につよくこみ上げてくるものがあった。描かれているのは梨や蒲萄、しかも筆致はぞんざいで緻密なものではないのに、わたしの深い感情をざわつかせた。そしてその正面に「林檎」の絵はあった。たまたま同じころ会場に入り、だいたい同じペースで進んできた男性が、この絵の前に立ったときほんとうに深く深く息を吐いたのが印象的だった。ものすごく個的にそれぞれの作品に対峙するような絵なのに、感銘は等しく訪れる。もう一つ、「醸造用の林檎」という、もはや林檎の形象をとどめていない絵があった。この二つの林檎があったからフォートリエは「人質」を描くことができた。それは疑いを容れない。先に二つの林檎がピークだと描いたのにはこの意味も含まれている。奇しくも15年前に訪れて生涯に何度めぐりあえるか分らない最高の展覧会と感じたセザンヌ展で、もっともわたしを捉えたのが「リンゴとオレンジ」という静物画の傑作だったのもなにかの符牒のようだ。

しかし、「人質」以後のフォートリエの作品をなぜアンフォルメルというのかはわからなかった。会場の途中でフォートリエがジャン・ポーランと語る短いビデオが放映されていて、フォートリエ自身が自分の作品を指して何度も「アンフォルメル」と言っているが、なんだか面倒だからそう言っておくかというように見えた。ただ、その中で「抽象は繰り返し繰り返し考えるが自分はそうではない」というようなことを言っていたのが興味深かった。ちょうどこの半月ほど前に東郷青児美術館で「オランダ・ハーグ派展」を見た。モンドリアンが4点来ていたので見に行ったのだが、「ダイフェンドレヒトの農場」という良い作品があった。もっとも、モンドリアンを見に来ようと思ったきっかけは、新聞で「夕暮れの風車」の図が紹介されていて、風車の背景となっている暮れゆく空が美しいと感じたからだ。その美しさは抽象を予感させる美しさだった。モンドリアンは有名な「樹」もそうだけれど、種明かしのように抽象への過程を作品でなぞってみせる。考えたかどうかは知らないが、思索的に見えるのは確かだ。それに比べるとフォートリエの方が直接的だ。樹や雲で抽象への道筋を示唆しようとするモンドリアンよりも、そのまま「林檎」や「人質」に入っていく。フォートリエは晩年の作品を、モンドリアンが「ブロードウェイ・ブギウギ」を描いたようには、描いていない。「アンフォルメル」とみんなが言うから名乗ってみたが、案外最初から最後まで、根は同じところにあったのかもしれない。

 

 

 

ミカラ・ペトリ

加藤 閑

 

 

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ミカラ・ペトリは10代はじめからコンサート活動を行なっている。最初の頃は家族(ハンネ・ペトリのチェンバロ、ダビッド・ペトリのチェロ)でミカラ・ペトリトリオを編成し、コンサートやレコーディングを行なっていた。しかし、突出した才能をかかえた家族が演奏を続けていくのは難しい。やがて多くの演奏家やオーケストラと共演するようになる。
そうした中で、ギター、リュート奏者であるラース・ハンニバルと出会い、1992年からデュオのコンサートを開始する。共演のディスクも発売された。1994年に「Souvenir」(邦題「愛の贈りもの」)を発表し、その3年後には「AIR」(邦題「G線上のアリア」)が出ている。この頃、ペトリとハンニバルは結婚しており、「愛の贈りもの」というタイトルや「AIR」のジャケットデザインにはそれが色濃く反映している。

「AIR」はわたしが買ったミカラ・ペトリの最初のディスクである。それまでにも、彼女が参加しているCDを手にしていることがあったかもしれないが、ミカラ・ペトリがいるということを意識したことはなかった。だが、「AIR」にはリコーダーの演奏家として強い存在感を示す女性がいた。ディスクはサティの「ジムノペディ1番」からはじまる。このCDがどれくらいペトリ自身の意向が入っているのか、ハンニバルの意見が反映されているのか、またプロデューサーや製作スタッフの意図がはたらいているのかはわからない。ただ、最初にサティをもってきた選曲だけを見ても、これまでとは違うリコーダーのディスクをつくろうという意欲が伝わってくる。
「ジムノペディ」は1番、3番、2番の順で使われている。あたかもこのディスクに集めた曲を要所々々で束ねるように最初と真ん中と終わり近くに配されている。このサティの曲がどちらかというと暗い色調を帯びているせいもあって、そのほかの曲の演奏がことのほか明るい。グリーグの「25のノルウェイの民謡と踊り」からの5曲などは当然としても、「悪魔のトリル」として有名なタルティーニのソナタ、ト短調も超絶技巧を極めるデモーニッシュな印象などさらさらなく、ただひたすら軽快で明るい。天衣無縫とはこういうことをいうのだろうか。こうしたところは、もっと以前の録音を聴いても変わらない彼女の特性と言える。

もうひとつ、このディスクの特徴は、全体にみなぎっている幸福感にある。わたしは演奏家の私生活の状態で演奏をとやかく言うのは極力排除したいと思っているが、手をつないで駆け出した二人の写真の白いジャケットも、天稟にさらに磨きをかけた明るいリコーダーの音色も、結婚式のアルバムを開くような香気に満ちている。ペトリはハンニバルに出会って、それまで演奏のことばかり考えて閉ざされていた自分が開放されたというようなことを言っている。ここに収められた曲はことごとくその幸せがあふれているような演奏だ。こう書くと情感に流れそうだけれど、それを引き締めてとどめているのが、3つの「ジムノペディ」とミカラ・ペトリの技術だと思う。正確な音程、揺るぎない運指は誰にも真似できない。バロック演奏の知識のなさや使用楽器の歴史的な曖昧さを指摘する人もいるようだが、無意味なことだ。学問としてオーセンティックな演奏を追求するのが無価値とは言わないが、ミカラ・ペトリはそういうところで音楽をしていない。

リコーダー奏者ミカラ・ペトリについて書けば、当然フランス・ブリュッヘンに触れなければならない。ミカラ・ペトリが登場するまでは、リコーダーといえばブリュッヘンだった。しかし、ミカラ・ペトリがリコーダー演奏の天才だとすれば、ブリュッヘンの才能は音楽そのものを構築していく方向に向かっている。彼は、ニコラウス・アーノンクールやグスタフ・レオンハルトとともに、バロック音楽を中心としたレパートリーの演奏を続けた後、世界中の優秀な古楽演奏家を集めて18世紀オーケストラを結成する。彼らの演奏は、その前に41番までの交響曲を70曲以上として全集を仕上げて当時の音楽界をあっと言わせたクリストファー・ホグウッドのモーツァルトを演奏面で凌駕していく。ブリュッヘンは古楽器や楽譜の検証を重視しながらも、それよりもさらに音のひびきや音楽性の高さに重きを置いた。それは1985年以降、矢継ぎ早に繰り出された録音を聴けば明らかだ。シューベルトのハ長調の大交響曲(D944)など、フルトヴェングラーの次に来る名演だと信じている。

ブリュッヘンとペトリと、録音している曲に重複はたくさんあるが、耳にしたときの心地よさはミカラ・ペトリが圧倒的に勝っている。かつて「リコーダーの妖精」として華々しくデビューし、いまもリコーダーの第一人者として広範なポピュラリティーを獲得しているのも頷ける。しかし、もう一度聴こうということになると、ブリュッヘン盤を選ぶことが少なくない。彼にとって古楽の研究は、そのまま自身の音楽を深めていくことにつながっていたように思える。18世紀オーケストラは毎年世界各国をまわるツアーに出る。最後にオランダに戻ってきて最後の公演を行ない、その録音をディスクにするという活動を繰り返していた。そんな彼らの傑作のひとつにモーツァルトの「レクイエム」の録音がある。
これはオランダではなく、日本各地でコンサートを行なった後、東京の最終公演が録音されたディスクだ。当日のコンサートのままに、「フリーメーソンのための葬送音楽」、「クラリネットとバセット・ホルンのためのアダージョ」そして「レクイエム」の順で納められている。全体に抑制された表現をとっているが、内に秘めた力が伝わってくる演奏になっている。「レクイエム」の間に歌われるグレゴリオ聖歌も典礼の雰囲気を高めていて、ブリュッヘンが常に音楽表現として最高のものを求めながら、古楽演奏を続けているのがわかる気がする。一度聴いたら胸の底の方にいつまでも沈んでいるような音楽になっていて、何度も繰り返し聴けるものではない。

 

 

 

 

クララ・ハスキル

加藤 閑

 

20140518_クララハスキル表    20140518_クララハスキル裏

 

クララ・ハスキルにルートヴィヒスブルク・フェスティバルのライブ録音がある。(CLARA LHASKIL AT THE LUDWIGSBURG FESTIVAL, 11 APRIL 1953、MUSIC & ARTS 1994 )
これは素晴らしいディスクだ。ひとりのピアニストのライブを1枚のディスクに収めたものはたくさんあるけれど、コンサートの雰囲気を伝えつつ、なおかつその音楽から深い感銘を受けるディスクとなるとそう多くはない。ホルショフスキーの「カザルスホール・ライブ」やリヒテルの「ソフィア・ライブ」、リパッティの「ブザンソン告別コンサート」などを思い出す。ハスキルのこの録音はそれほど有名なものではないが、それらに伍して、あるいはそれ以上に強く心に残る。
クララ・ハスキルというと、一般的にはモーツァルト弾きというイメージが強いようだが、わたしは以前からそれには疑問を抱いてきた。この録音にはモーツァルトは1曲も含まれていない。しかし、彼女のモーツァルトの録音を聴いたときよりも印象は深い。土台、「モーツァルト弾き」という称号など、女性のピアニストが目立ってきたときに業界がつける当たり障りのないキャッチフレーズのようなものだ。リリー・クラウス、イングリット・ヘブラー、マリア・ジョアン・ピリス、内田光子等々、いずれもモーツァルト以外にも立派な演奏を残している。

第1曲のバッハ「トッカータ」ホ短調(BWV914)の出だしからしてほとんど尋常ではない。こんなに強いバッハがあるだろうか。とは言っても「トッカータ」の演奏自体が少なく、ピアノ演奏で手元にあるのはグールドの全曲盤くらいのものだ。それとはまったく違う。まったく違うというのをいつもはグールドの演奏について言っているのに、ここでは反対にグールドとはまったく違うと言わなければならない。
次いで、スカルラッティのソナタが3曲入る。バッハから続いて奏されるハ長調(L-457、K-132)も凄い演奏だ。スカルラッティのソナタでこれほど圧倒される音楽は他に知らない。
有名なロ短調のソナタ(L-33、K-87)も弾いているが、これはやや微温的。そのあとに来るベートーヴェン最後のソナタ(ハ短調、Op-111)がまた名演だ。これを聴くと、もしかしたらこの日のハスキルはここへ持ってくるために、バッハもスカルラッティも特別の密度を持って弾いたのかもしれないとさえ思えてくる。
この最後のピアノ・ソナタをベートーヴェンの最高のピアノ曲とする人もいるが、わたしには今ひとつピンと来ないものがあった。なにか聴いているうちに気持ちが他に行ってしまうようなところがあったのだ。しかし、この演奏はわたしを離してくれない。聴いているうちに身体の奥の方が重たくなって身動きがとれなくなるようだ。なんという悲しい音楽なのだろう。クララ・ハスキルの音楽は、わたしに生きること、人としてこの世に存在することの悲しさを教えてくれる。そして同時に、それが必ずしも不幸なことではないということも。

ほんのちょっと前まで、わたしは自分が死ぬということをまったく考えなかった。一つの物体として消滅するのは当然のことだが、こうして考えている自分がなくなることを信じられなかったのだ。しかし、昨年60歳になったことと、3人の友人を相次いで亡くしたことで、死が遠いものではないことを思い知らされた。それがあまりにも素直にわたしのそばにやってきたのには驚かざるを得ない。
クララ・ハスキルのこのディスクが今まで以上にわたしの気持ちの中に染み入ってくるのも、そうした自分の心のありようと無関係ではないのかもしれない。それでは、そのときの精神状態によって音楽に対する評価が変わってしまうと言われるだろう。だがわたしにとって音楽とはそういうものだ。いつも均質な心で音楽を聴いているとしたら、どんな素晴らしい音楽もひとに感銘を与えないだろう。今は、なによりもクララ・ハスキルのこの強い音楽を欲している。

■Clara Haskil at the Ludwigsberg Festival (11 April 1953)
Johann Sebastian Bach : Toccata in e BWV914
Domenico Scarlatti
Sonata in C L457
Sonata in E-flat L142
Sonata in b L33
Ludwig van Beethoven : Piano Sonata No.32 in c Op.111
Robert Schumann : Variations on the name “Abegg”
Claude Debussy : Etudes No.10 No.7
Maurice Ravel : Sonatina

CDは、古いライブ音源などを紹介しているアメリカの「MUSIC & ARTS」から出ているが現在は廃盤らしい。先ごろ、ユニバーサルからクララ・ハスキル・エディションという17枚組のCDボックスが出た。クララ・ハスキル(1890-1965)の没後50周年を記念したアルバムで、彼女の録音を多く出していたPGILIPS(現DECCA)をはじめ、DG(ドイツ・グラモフォン)、WESTMINSTER の録音を網羅しているが、この「ルートヴィヒスブルク・フェスティバル」の録音は含まれていない。

 

 

 

 

五嶋みどり

加藤 閑

 

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何年か前に、五嶋みどりがバッハの無伴奏のCDを出した。ソナタの2番(BWV1003)1曲だけだったけれど、それまでバッハの録音がなかったので結構話題になった。その後、みどりは2012年に全国の教会や寺院で無伴奏ヴァイオリンソナタとパルティータを弾くツアーを行なったことを最近知った。いつかは全曲盤が出るかもしれないが、多分本人はそういうことにあまり積極的ではないのだろう。(実際、知名度に比べて彼女のディスコグラフィーはあまりにも寂しい。)
みどりの無伴奏はゆったりしている。何かを強く訴えるというのではなく、自分の中の音楽をできるだけ自然に音にして行きたいというような演奏だ。バッハの無伴奏と言えばシェリングを思い出すが、あのバッハ演奏の規範となるような隙のない演奏とはまったく違う印象を受ける。これはみどりに限ったことではなく、ヒラリー・ハーンや庄司紗矢香など、最近の女性のバッハの演奏は、ずいぶん風通しの良い自由なものになってきた。

そのうえ、五嶋みどりのバッハは、本人にそういう意図があるのかどうかはわからないけれども、聴く人を慰藉する音楽になっている。そしておそらくは彼女自身をも慰藉しているのではないかと思わせる演奏だ。鬱病や拒食症で苦しんだ時代があったようだが、あるいはそういうことも影響しているのかもしれない。
日本人はなぜか自国の演奏家に辛い。同じように国際的に活躍している者を比べたとき、根拠もなく日本人演奏家を低く見る。それなのに、海外で評価された者を高く買わないというおかしな風潮もある。しかし五嶋みどりはまぎれもなく現代世界最高のヴァイオリニストの一人である。

たとえば、みどり10代のときに録音された、パガニーニの「24のカプリース」全曲はいまでもこの作品の最高の録音だと思う。随所にみなぎる音楽性は比類がない。超絶技巧を要求される無伴奏曲だが、バッハの無伴奏に比べると、精神性や芸術的価値に劣るというのが定説だろう。しかし、五嶋みどりで聴く限りそういう印象はまったくない。冷たい刃物を思わせるような音の線。パールマンにはこういうところはない。ヴァイオリンの録音を聴いて背筋が寒くなったのは後にも先にもこのディスクだけだった。シェリングのバッハにも比肩しうる録音だと思っている。

 

 

 

マリア・ジョアン・ピリス 他

加藤 閑

 

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(一)
このあいだサントリーホールでマリア・ジョアン・ピリスのピアノを聴いた。(3月7日)
この日のプログラムは、シューベルトの「4つの即興曲」D.899、ドビュッシーの「ピアノのために」休憩をはさんで、シューベルト最後のピアノ・ソナタ第21番変ロ長調D.960、アンコールは、シューマンの「予言の鳥」(森の情景から)というもの。
ピリスは、1991年にドイツ・グラモフォンから出たモーツァルトのヴァイオリン・ソナタ集で注目を集めた。それまでにもモーツァルト弾きとしてそれなりの評価はあったようだけれど、わたしはこのディスクではじめて聴いた。モーツァルトのヴァイオリン・ソナタというと、昔からグリュミオーとハスキルの盤が有名で、わたしもレコードの頃からそれを聴いていた。だが、ピリスがオーギュスタン・デュメイと組んで録音した新しいディスクは、清新なうえに気品を備えた演奏で世界的に大変好評だった。以後、この二人はヴァイオリン・ソナタの名曲を次々に録音する。ブラームスはこのデュオの代表盤の一つとなったし、グリーグは演奏のイメージを一新した。ベートーヴェンの全集も出た。チェロのジャン・ワンを加えてトリオの演奏も発表した。相前後して、ショパンの夜想曲全集やシューベルトの即興曲などソロの録音も出たが、いずれも記憶に残る演奏だった。
その後、ここ何年かはいっときほど積極的にピリスを聴かなかったように思う。ピリスに限らず、常に新譜に目を凝らすような関心の持ち方をしなくなってきた。ピリスの演奏で比較的最近買ったのは5年ほど前に出た2枚組のショパンアルバムくらい。おそらく彼女の新譜のリリースも一時ほどではないのだろう。
たまたま新聞で、シューベルトのピアノ・ソナタ第21番を中心としたピアノ・リサイタルの広告を見て、急に聴きたくなった。この曲、ピリスはかなり前にエラートに録音していたが、わたしにはそれほど印象に残るものではなかった。しかし、今回は再録音してのコンサート、しかも新しいディスクは聴いていないので、楽しみにして会場に向かった。
結果は、期待を裏切らないものだった。ドビュッシーは苦手なので何とも言えないけれど、シューベルトは即興曲もソナタも曲のよさを充分に引き出した気持ちの良い演奏だった。演奏家には、曲の趣向や持ち味を生かして最良の演奏をしようという人と、曲趣よりも自分の音楽観や演奏スタイルを優先する人とがあるように思うが、ピリスはどちらかというと前者のタイプ。そのピリスが、即興曲のCDを明らかに後者のタイプと思われるリヒテルに献呈している。
ピリスの『即興曲集』は1998年2枚組で発売された。シューベルトのこの曲は、それぞれ4曲のD899、D935が1枚にカップリングされることが多いが、ピリスはD915「アレグレット」とD946「3つのピアノ曲」(遺作)を加えて2枚にして発表した。(D946はあまり演奏されないけれどなかなか聴き応えのある曲) そうした曲の選択、構成だけでなく、タイトルの付け方やブックレットの内容までピリスの意向が強く反映していると思われる。
このCDには「Le Voyage Magnifique」(素晴らしい旅)というタイトルがあり、表紙を開くとリヒテルへの献辞がある。ピリスはこのディスクを、死んで間もないスヴャトスラフ・リヒテルに捧げているのだ。そして右のページには「私は旅人である」というリヒテル自身の言葉が添えられている。さらにページを繰ると、フランスの作家イヴ・シモンの小説「すばらしい旅人」の引用が断章のように綴られている。
意図的につくられているとは思うが、どれほどの明確な意図があったかはわからない。人生は旅であり、音楽を生きる人も旅人なのだ。あのリヒテルも自分を旅人と言っているし、自分が奏でる音楽も、演奏する自分やそれを聴く聴衆を旅へと誘う力を持っている……。リヒテルとピリスの「旅」は微妙に違う。リヒテルは自分の音楽活動を含めた精神のありようを、さすらう旅人のようだと言っているのだろう。対してピリスは、そのリヒテルや自分にはできない「旅」への憧憬を表そうとしているように思える。
リヒテルはWandererという言葉を使っている。するとやはり、シューベルトのD760「さすらい人幻想曲」(Wandererfantasie)を思い出さざるを得ないし、他ならぬリヒテルの演奏が耳にひびいてくる。ただし、ピリスがそういうことを意識していたかどうかはわからない。
当然ながら、ピリスの弾く「ピアノ・ソナタ第21番」はリヒテルの演奏とはまったく違う。リヒテルの、第一楽章のゆったりしたテンポには、胸の底に降りていくような陰鬱さがつきまとう。それがこの音楽にある凄みを与えている。ピリスにはそうした凄みはない。そのかわり、もっと情感に満ちた日常の充足がある。ここで日常と言ったのは、暗い面も明るい面も(あるいは悲しみも喜びも)人の営みの範囲のなかにあるという意味。自分が依然よりもそうした演奏を好むようになっていると思うし、ピリスのこの日の演奏にはそれゆえの強さも備わってきたという実感があった。

(二)
音楽というのは、他のものに代え難い喜びをもたらすものだと思うけれど、反面人間の精神を支配し、変節させる大きな力を持っている。先日車のラジオからベートーヴェンの第5交響曲ハ短調作品67が流れてきた。ちょうど始まったばかりで、第一楽章の誰もが知っている主題が聞こえた。
いまさら書くことでもないけれど、ベートーヴェンの音楽は聴く者をぐいぐいと引きずり込むような構成になっていて、われわれを否応なく音楽のなかに連れて行く。それに抗うことは難しい。旋律もリズムも揺るぎない力で心身を捕え、最初は違和感を覚えていた者も、やがては音楽に浸る法悦のなかに落ち込んでいくようだ。
途中で車を止めたので、このときの指揮者やオーケストラが誰だったかはわからない。しかし、わたしは1947年5月25日、ティタニアパラストで行われたフルトヴェングラー復帰公演を思い出した。曲はエグモント序曲、交響曲第6番、第5番というオールベートーヴェンプログラム。ナチス協力の嫌疑で演奏活動を禁じられたフルトヴェングラーが、ようやく許されて公演ができるようになった最初のコンサートだった。
聴衆は熱狂的な拍手でこの指揮者を迎えた。拍手、拍手。手が痛くなるほどの拍手を続けるその日の聴衆のなかには、必ずやヒトラーの演説に拍手した人間がいたに違いない。彼らは、いまやナチスを憎む民衆の一人として、音楽を愛する一人としてここに来ている。自分に対する疑いもなく今日の音楽の感動に打ち震えている。熱狂とは何と恐ろしいものかと心底思ってしまう。しかしそれは他ならぬ自分自身かもしれないのだ。
わたしもこの日のライブ録音を何度も聴いた。感動的な素晴らしい演奏だと繰り返し思った。だが感動、エモーションとはいったい何なのだろう。「わたし」を変えてしまうほどの感動、わたしの精神を揺すぶり、わたしの言葉を奪ってしまう感動。
感動に身を任せることの陶酔感はえも言われぬものだ。そしてそれがときには人を前進させる原動力になることもよくわかる。しかしわたしは恐ろしい。この恐怖はどこから来るのだろう。
第5交響曲(いみじくもそれは後世の人のつけた『運命』の名で呼ばれる)の持っている力が恐ろしいのではなく、それを聴いて我を忘れるかもしれない自分を恐れているように思えてならない。人間には多かれ少なかれみなそういう要素があると思うから怖ろしい。

(三)
ちょうどいま(3月16日午後10時15分)、テレビで水戸室内管弦楽団のコンサートの録画を放送している。ベートーヴェンの第4交響曲変ロ長調作品60。指揮をする小澤征爾は歳をとったため、一つの楽章が終わるたびに椅子に腰かけてほんの少しだが休憩をとる。音がなっている間は溌剌とした音楽とそれを指揮する小澤征爾があるのだが、腰をおろす彼の姿が映し出されると一人の抜け殻のような老人の姿となる。演奏は決して悪くない。もう80歳近いのだろうけど、音楽の呼吸は若々しいし彼特有のはなやぎがある。
この公演は、今年1月の水戸室内楽団の定期のはずで、その前の曲(メンデルスゾーンの交響曲第4番「イタリア」)は中年の女性が指揮をした。ナタリー・シュトウッツマンである。メゾ・ソプラノの歌手として一時さかんにコンサートを行ない、オペラにも出演し、たくさんのCDを出していたが、現在は指揮もするらしい。彼女も、シューマンの歌曲集を出していたころは、素晴らしくチャーミングで美しい女性だったが、指揮をする横顔は頬が窪み皺が刻まれている。ベートーヴェンが終わって、今は彼女の昨年のコンサートの模様が映されていて、シューマンの「詩人の恋」が流れている。歌は素敵だし、中年とはいえ歌詞に寄り添う表情は魅力的だ。しかし、15年前のジャケットの写真を知っていると、時の残酷さを思わずにいられない。
クラシックのレコードやCDはたいてい演奏家の顔写真が使われる。音楽ファンは気に入った演奏家の録音を長い期間にわたって聴くことが多いので、演奏家の老いてゆく姿を見続けることになる。白髪を刈り込んだ皺だらけのポリーニの顔なんか見たくなかったのに、こればかりは仕方がないことだ。
今回のピリスのコンサートのポスターを見たときも同じことを感じた。DENONでモーツァルトのソナタの最初の録音を出していたころの、ボーイッシュな少女のような彼女から、あまりにも遠くにきてしまったようだ。もちろん音楽家に、年齢とともに変わる容姿のことをあげつらうのは馬鹿げたこと。老いを云々するなら、まずわたし自身が鏡の前に立つべきだった。
今年も春がやってきた。昔は秋が好きだったのに、歳をとるに連れて春がいいと思うようになった。まわりにもそういう人が多い。じきに桜も咲く。そして、また芭蕉の句を口にする。

さまざまの事おもひ出す桜かな

 

 

 

 

今夜、車のラジオでデュファイのミサ曲を聴いた。

加藤 閑

 

蓮根

 

今夜、車のラジオでデュファイのミサ曲を聴いた。

わたしは仕事の関係上、週の大半を茨城の土浦で暮らしている。土浦は日本一のれんこんの産地だ。この絵のれんこんは、数年前武井農園の奥さんからいただいた。わたしが絵を描いていることを知って、絵になりやすいように葉っぱを一枚つけて掘り出してくれたのだ。その夜のうちに絵を描いた。あの頃の方が今よりよほど早く描けた。まだ少しは若かったのと、あれこれ迷ったりせずに集中できた。

ミサは「キリエ」から「アニュス・デイ」に移っている。

わたしは毎日れんこん畑の中の道を走る。この道はわたしが土浦に来るようになる直前に開通した道だ。最初の年(もう十五年以上も前のことになる)はとても雨が多かった。4月から通勤がはじまったのだが、なんだか来てすぐに梅雨になったような感じだった。この道路もできたばかりで、車の通行も今よりずっと少なかった。毎日のように雨が降っていたので、両側のれんこん畑と道路がほとんど境がないように水浸しになった。そこで不思議なものを見た。

道のあちこちに小ぶりの魚のようなものが横たわっている。白い腹の方を上にして、中にはなまなましく血の赤い色が見えることもある。魚が道路に打ち上げられるほど雨が降ったのだろうか。

雨に煙ってひろがる関東平野に、白い生き物の死骸が点々とある中をわたしは走った。雨が風景からあたう限り色彩を洗い流してしまって、視界はほとんど無彩色と言ってよい。その中に血の色のまじる白い物体の鮮烈さ。

デュファイのミサは、もともと彼が若いときに書いた祝婚歌「目を覚ましなさい」を基にしているらしい。だからこのミサも「目を覚ましなさい」と呼ばれるとのこと。それを聴いていて、なぜか十数年前の水に覆われた陰鬱な光景を思い出していた。

何日かして、あの白い腹を見せて横たわっているのは、実はヒキガエルだということがわかった。道路ができたことなど、蛙の預り知らぬこと。以前は行ったり来たりしていた道路の反対側にちょっと出かけてみるかとばかり道の上に出たところを車にはねられ、あえなき最期を遂げたのだった。

しかし、今夜古風な合奏を伴なうミサを聴いて思い出したあの白い死骸が、どうしても魚に思えてならない。そんなことがあるはずはないことは分っている。分っていながらここは雨の日には魚が道路に打ち上げられる夢の中の町のようで、わたしはいつまでも目的地にたどり着けずにさまよっているのだった。