@141010 音の羽

 

萩原健次郎

 

 

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苦い匂いが立っている。
夕暮れは、麓の家々で魚を焼く。
海の産物が、川風を遡行して、山裾を抱く。
はらわたも、骨も皮も
薄茶色に焦げて、レンジの上
換気扇を通って外気に混ざっていく。
ラジオから漏れている
明るい嬌声も
それもまた、苦い匂いに似ている。

すれ違う、老人の眼も
華奢な愛玩犬の眼も
焼かれ、焙られる魚のようで
覚っているようだ。

小皿には、茹でた青菜
おろした大根
醤油
それらも、卓に並べられているだろう。

生の匂いが、だれかの袖の中に潜んで
懐には、少量の水が流れている。
ざわざわと
笹の葉末が擦れて
住居から、その音に漏れ
苦い音楽になって溢れてきている。

昨日、それから数年前、
それからもっと古いこと
ひと昔、

窒息しそうな悲しい時間が
食卓に並ぶ。

小さな犬の泣く声は、
黄色く鋭利で、
それもまた、夕刻の無残で、
一匹一匹の声が、
音域を鮮明に分けて辻に満ちている。

恋情という匂いかなあと
川面の逆光を舐めて
こちらへ迫ってくる気配。
そちらはもう、ほの暗い夜から
朝になろうとしている。

苦い匂いを懐かしむように
川は、
誰かを、何かを慕う無数の人間を
流してきた。

犬も魚も青菜も、
肉の
器具も。