夢は第2の人生である 第6回

 

佐々木 眞

 

西暦2103年水無月蝶人酔生夢死幾百夜

 

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私は女性の勝気な部下のパワハラにあってろくろく自分が出せず、仕事が出来ないでいたのだが、幸い彼女が別のセクションの課長に抜擢されたのでようやく安堵することが出来たのだった。6/1

肝心の商品はろくろく写っておらず、しかもぐちゃぐちゃに汚れていたので大枚ウン百万円を投入した龍宝部長は怒り狂って「こんなタイアップ広告に金なんか払わない。電通に行って取り戻して来い」と叫んだ。

大和市のファミリーナ宮下に行って息子の入所準備をしている私。しかしテレビのケーブルをつなごうとしても駄目だし、ベッドを動かそうとしても駄目だ。ということはいまここに居る私は実体のない幽霊のような私ということだ。

昔の女が出てきて昔のように付き合おうとするのだが、昔と同じようなところでつっかえてしまい、すらすらと時間が経過してゆかない。「ということは他の女よりも濃密な時間を体験しているわけだから、これは自分にとって大事な意味を持つ女なのだ」と考えてみたのだが、どうも無理があるようだ。

打ち上げられたロケットに白い幅広スカートをつけたマリリン・モンローが乗っかっていて、そのスカートの下からカメラで覗くと、なにやら奇妙な物が写っているようなので、スタッフ一同が眼を皿のようにしてアップして覗きこむのだが、やはりよく分からない。6/8

「こんな時間なのに支店に出張しても大丈夫かい。宿泊とか食事の手配は出来ているのかね」と親切に上司が心配してくれるのだが、私はそんな手配はまったくやっていないにもかかわらず、ともかく現地へ行けばなんとかなるだろうと、たかを括っていた。6/10

若手の校正記者が「もし」という見出しをゴシック体でつけた。見出しの下にキャプションも記事もなく、何枚かの写真があるだけなので、「おい、こんな訳の分からん見出しはやめろ」と怒鳴ったが、新米はどうして私に怒られたのか理解できず不服そうだった。

アンカレッジ経由でパリに飛ぶ双発プロペラ機が墜落し、大勢の犠牲者が出たが、その中には当時の音楽や舞踏、スポーツ、芸能、服飾等の関係者が含まれていた。飛行機会社が営む盛大な葬儀の式中で私の眼を釘付けにしたのは、ある長身の黒衣の美女だった。

町内会が主催する後期高齢者対象の葬儀練習会を覗いてみたら、司会者の指示通りに各自が遺影や位牌やお骨を作法通りに並べてお経を唱えたりしていたが、それにも飽きた彼らが、呑めや歌えやのドンチャン騒ぎをしている間に、遺骨がひっくり返ってごちゃ混ぜになってしまった。6/13

トライするチャンスはまだあと一回は残っているというのに、私は妙な自信と余裕からその最後の機会に試技しないで、腕組みをしながら、他の競技者の様子を窺っているのだった。6/14

新宿の文化学園大学の研究室を訪れて、知り合いのK教授と将棋をしていたら、どんどん負け将棋になり、私の王将は、盤を逃れて北へ北へと逃げのび、気が付いたら北極海の氷の上で「詰めろ」をかけられていたのだった。

NYのJC社の担当者(彼女は東伏見の下宿のオバさんそっくりの容貌をしていた)が、製品カタログの説明をえんえんと繰り返す。私は退屈し切って、目の前でケラケラ笑い転げている2人のギャルと早く遊びに行きたいと願っているのだが、彼女の国際電話は一向に終わらない。

ダサイ自社製品をキシン・シノヤマは文句もいわずにビシバシ撮って、スタイリストは「それなりに見られるような写真が出来上がったとおっしゃっていましたよ」とケータイで請け合ったが、それでも不安に駆られた私は、シノヤマ・カメラマン事務所兼スタジオがある六本木に向かった。6/17

私は日本人で初めてのジバンシーのデザイナーになった。そこで早速開口一番「今シーズンは色は変えるが、基本的なスタイルは変えないでいこう」と主張したのだが、スタッフたち全員がブーと叫ぶのだった。

井上君も大道君もなぜか尻ごみして居なくなったために、独り残された私が、ラジオのDJ役を務めることになってしまった。しかし実際問題としてはどうしたらよいのだろう。私は途方に暮れていつまでもマイクロフォンの前に立っていた。6/19

おんぼろの我が家をゴミ収集に出そうとしているのだが、なかなかうまくいかない。家全体に荒縄をかけ、そいつをごろんごろん引っ張りながら、いつものゴミ置き場までどうやって移動させればいいんだろうと、私はいたく悩んでいた。6/20

いよいよ開戦まであと4日に迫ったので、私は「それまでに家族と一緒に食事をする」、「東京を散歩する」、「遺書を書く」、「妻と心ゆくまで語り明かす」、という4つをやっておこうと思い、すぐに東京行きの電車に乗った。いわばこの世の見おさめである。6/21

都心に近づいたが、灯火管制で、ここが新橋なのか銀座なのか良く分からない。ビルの谷間に莫迦田大学のアホ馬鹿学生が河童のように集まって奇声を上げているのを、涼しい顔をした藤原新という役者が、チャリンコに乗って見物していた。6/21

一晩中だだッぴろいスタジオの中で、若い裸の男がくねくねと踊っている。私が眠ってしまうと、男は踊るのをやめるのだが、ふと眼が覚めると、また踊りだす。そんな調子でいつしか夜明けを迎えてしまった。6/22

戦争が近づいてきたので、政府は資源確保のために各家庭の高級貴金属類を徴収している。熱心な協力者には戸主の徴兵を免除するという特典がついているので、1日3回と決められた受付窓口は、担当者の気を引こうと肌も露わな女たちで大混雑していた。6/23

お菓子の店を出さなければならない。売り場の中心はやはり人気実力ナンバーワンのA社にやらせるほかはないが、私はB社を応援したいので、A社のシルバー版を作ることを勧めていたら、C社の可愛らしい女子がさかんに迫って来た。

いつでも抱こうと思えば抱ける状態になって、その小さく白い娘はすべてを私に委ねたようになって身を寄せてくるが、彼女に性欲をまったく感じられない私は、彼女をそんな無視するように冷たくあしらうほかはなかったが、そんな2人の姿を鋭く見ている男の姿があった。6/25

あまり美しくない、というかほとんど醜い顔をした中年の女が、私の寝床に滑りこんできて、私の背中から両手を伸ばして胸や性器をもてあそぶのであるが、私は今膀胱が満杯で、便所に行きたいと思っていたところだし、そもそも彼女と性交をする体力も気力もないので、なんとかこの苦難から逃げようと身をよじった。6/26

徴兵された人間は思いのほか少数で、兵士の大多数は甲種と乙種に別れている戦闘ロボットたちだった。前者はかなり日本語を理解するが後者はほとんど分からないので、私たちは往生した。こんな連中と一緒では戦争なんてできやしない。6/27

私たちが住む田舎町にやってきたプロデューサーが、私たち仲良し4人組のうちの誰かを映画に出してやるという。タクちゃんが選ばれそうだというので、新しいシャツを買い込んだりしたが、結局最終的にはだれも選ばれず、プロデューサーは町を去った。6/29

大津波に追われた私たちが最後に逃げのびたのは富士山の頂上だった。見渡す限り黄濁した海上に激しく雨が降り注ぎ、生き物の姿はなにも見えない。波立つ海水は足元にまでひたひたと押し寄せた。

ふと気がつくと大勢の人間をぎゅうぎゅう詰めに乗せた小さなボートがこちらに近づいてくる。まるでノアの箱舟のようだ。「おおい、2人ならまだ乗れるぞ」と船長が呼びかけたが、私は首を振った。
水も食料もないボートに乗っても助かる見込みはない。6/30