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ゆき
です

道に足跡がありました

そのヒトの庭にも

降って
いるでしょうか

雪国のゆきを知っています

灰色の空の
下に

生まれたのです
いつまでも

見ていました

なにも
言いませんでした

母は
見ていました

ことばの向こうに
降るものを

 

 

 

坂の上の家

 

スイッチが入った
思ったときから
安全な言葉をえんえんと
書き続けることしかできなくなった初老の詩人

学校や組織の理屈に
さからって生きるのだと
四十年以上逃げまわり続けて
ついに自分というものを持ちえなかったと気づく六十男

フリーのミュージシャンはいい
一人で、二人で、三人で
合わせるわけでもなくそれぞれの即興をぶつけながら
二度と来れない世界を目指していく

となり町の
CDが世界中で細々と売れているという
Aさんにギターを習っている
あわただしすぎないペースで
好きなことを花のように育てていく

かたい弦できれいな音が出るようになるまで
カッティングの練習
最後はビートルズのコピーで声も合わせる
いま死を目の前にしている人がいても
ぼくのエクスタシーはこわれない

坂をのぼっていく

 

 

 

heaven 天国

 

サハリン島の
子守唄を

聴いた

今朝

橋を渡るとき
聴いていた

ブールー
ブールー

ブールーブールー

そう
母は

唄っていた

橋を渡るとき
川崎の街がみえた

たくさんのビルのうえに

灰色の雲と
空が

ひろがっていた
灰色の空が光っていた

 

 

 

world 世界

 

突堤を
見ていた

突堤は

海のなかに佇って
いた

風が渡っていった

岸から

風が渡るのを
見ていた

かもめが
旋回していった

磯ヒヨドリは餌をついばんでいた

この
ひかりのなかで

生きて死ぬんだと
おもった

突堤は波にあらわれていた
突堤は

 

 

 

眉のポチッ

 

辻 和人

 

 

ンルルルン
ンルルルン
この土日は実家に帰る
親の顔を見に
じゃなくて
猫の顔を見に、ね
帰る、帰る、帰る、帰る
ルンルン

祐天寺のオンボロアパートで面倒を見ていた
ノラ猫のファミとレド
ペット禁止なので頭を下げて伊勢原の実家で飼ってもらっているんだけど
年に一度、お正月の時くらいしか帰らないぼくが
ほぼ毎月顔を見せるようになった
引退した父親がトイレの掃除とごはんを担当
母親が寝かしつけを担当
ああ、ホント、ありがとうございます
ぼくがちょくちょく顔を見せるようになったから
両親もちょっと嬉しそうだったりして
というわけで
ファミちゃん、レドちゃんには感謝なのです

ただいまーとドアを開けると
冷蔵庫の上で並んで寝そべっていたファミとレドが
半眼を開け
ぴくっと耳を立て
背中をしならせてノビをしたかと思うと
トトトッと隣の戸棚を器用に利用して降りてきて
タンッと着地
足元にまとわりついてきた
覚えていてくれてるんだなあ
マイペースなファミは挨拶を終えるとすぐに毛づくろいを始めるが
ぼくが荷物を置きに2階に上がるとサーッとついてくる
気の弱いレドはこちらから近づくとビクッと逃げるが
しっぽの付け根を優しく撫でてやるとお尻を高く持ち上げて
撫で続けていると寝そべってコロッとお腹を出す

両親にお土産の和菓子を渡し
じゃあ、家族水入らず、ご飯でも食べましょうか

「和人、婚活はうまくいってるのか?」
鱈の水炊きをつつきながら父親が聞くので
「うん、まあまあ順調だよ」って答えたら(ミヤコさんの話を出すのはまだ早い)
「合唱サークルで知り合った女の人にお前の『真空行動』を貸したら
お嫁さん候補を紹介したいって言ってきたぞ」と
とんでもないことを言う
あ、『真空行動』っていうのはぼくが昨年出した詩集で
ファミやレド他、ノラ猫をかまったことが書いてある
いい歳した男が猫ちゃんに振り回されて
こりゃいかん
こんな人にはしっかりした奥さんがついてなきゃダメだ
その人は思ったんだろうな
すみませんねえ
ご心配おかけして
「お父さん、とりあえず今のままで大丈夫だからさ
その人にはお礼を言っておいてね」
ぐつぐつ煮える鍋の中から豆腐を小皿に取った

ところで、ところで
その鍋を見つめているのは両親とぼくだけじゃないんだよね
レドちゃん
母親の横の空いてる椅子に飛び乗って
真剣にテーブルを眺めている
あーあ、甘やかしたばっかりに
食いしん坊のレドは人間の食べ物に興味を持ってしまった
朝昼夕、人間と一緒に「食卓につく」ことになってしまった
ファミはキャットフードで満足してるってのに
困ったもんだよ

しょっぱいものは猫の体に悪いので
鍋からすくった鱈の身をポン酢にはつけず
ふぅふぅーっ
冷まして掌に載せて口元に持っていってやると
フンフン、匂いを嗅いだかと思うとすごい勢いで
パクッ
満足そうに口を動かした
全く……
おいおい、そう言えば

レドは基本、白猫だが
目の周りと鼻の横としっぽは黒い
特に鼻近くの黒い染みは印象的だ
母親はチャップリンみたい、なんて言ってる
おいしいものを見るとチャップリン風チョビ髭をぴくぴくさせるんだ
そんでもってミヤコさん
左の眉の辺りに
ポチッと
ホクロがある
目立つという程じゃないが
無視することはできない
レドもミヤコさんも
このアクセントの効いた目印に
生まれた時からつきあってきたわけだ

チョビ髭のないレドは考えられない
眉のポチッのないミヤコさんは考えられない

ポチッ
ポチッ
ポチッ
笑ったり
ポチッ
ポチッ
ポチッ
驚いたり

感情が揺れて眉が上下するたびに
ポチッ
小さな自己主張
わがままなレドと折り目正しいミヤコさんは
性格的には一見正反対だけど
隠し持っているものは同じなのかもね

ポチッ
ポチッ
ポチッ
ぴく
ぴく
ぴく
ポチッ
ぴく
ポチッ
ぴく

笑いたい、食べたい、怒りたい、甘えたい

レドは臆病な猫で出会った頃は逃げてばかりいた
ちょっと近づくと
チョビ髭ぴくぴく
でも食いしん坊で甘えん坊で
お皿にミルクを注ぐと
ぴくぴく
しっぽの付け根を撫でてやると
ぴくぴく
今はレドについてはかなりわかってきているけど
ミヤコさんについては
まだまだわからないことが多い
喧嘩したことないから
怒った顔見たことないし
泣いた顔も見たことない
本気で甘えた顔もまだ見たことない

ポチッ
ポチッ
ポチッ
ちょっと覚悟も必要だけどさ
ねえ、レドちゃん
ぼく、ミヤコさんの未知のポチッを
これから幾つも幾つも拝むつもりでいるから
応援しておくれよ、ね?

 

 

 

食べてないのに

 

爽生ハム

 

 

例えば次の子である。

いつも 未来である。
突然に窮屈にもなる。
それらは食べきれないほどに
腹を満たす。

その度に 繰り返す嘔吐だが
それを見ても いつも繰り返す

だいたいの嘔吐は
咄嗟に流れてゆく。

暖房に冷蔵庫。厳格な喋りを覚えた深夜。素晴らしい。落ちる電気。

平等でないのは医者がよく知っている。
平等であるのも医者がよく知っている。

弟が遅めのセックスで出てきた。
感動したセールス。
廃語が産まれた。
これは 涙である。

 

 

 

わたしは今年八十歳、敗戦後七〇年の日本の変わり目だって、アッジャー

 

鈴木志郎康

 

 

二〇一五年今年の五月の誕生日で
わたしは八十歳。
まあ、五月まで生きていたらの話だけどね。
(この詩を書いている今は一月だ。)

元旦に、
麻理には小声で素速くおめでとうを言ったけど、
彼女の難病の進行を思えば、
おめでとうが重い。
正月の会話はどちらが先かしらねだったね。
その先のところを思って、
麻理はすごく活発だ。
家のガレージを改造して、
人が集まる場にして、難病の身で
なんとか楽しく過ごして行こうというのだ。
それを分かち合いたい。
そんなこと思ってもみなかった八十歳の
年の始まりだ。

新聞には、今年が
日本の敗戦後七〇年の節目の年だと書かれていた。
オレって
その七〇年の日本の現実とどう関って来たのか。
どう生きてきたのか。
一九六〇年,七〇年の三十歳代には、
現実の変革ってことも、
ちょっとは意識したけど、
積極的に活動したことはなかった。
オレって、
人のため世のためってのが駄目なんだ。
先ずは何よりも自分に拘って、
ゴリゴリって、
それを表現という、
自己の表現による実現と思い込み、
「極私」っていう
個人の立場を現実に向き合わせる考え方に到ったってわけ。
それは、戦後の復興から、
経済優先の世の中に合わさった
マスメディアの膨張の、
有名人が目白押し世の中で、
どうやったら自分を保つことができるかってことだった。
表現だから自分の名前を目立たせたいが、
ヒロイックな存在になるのイヤだっていう
矛盾を生きてきた。
やっぱり、
素直じゃないね。
兎に角、わたしは
戦後教育を受けて、
競争社会に、まあ投げ込まれたってことから始まる。
教室じゃ、いつもトップとかビリとか決められ、
そこを縦には泳がないで、
勝手に詩を書いたり、
勝手に一人で映画を創ったり、
まあ、それで、
なんとか
自分の椅子を取って、
若い連中と
詩を書く心を共にして、
映像作品を創ろうという心を励まして、
教場では、
連中の一人一人の名前を覚えることに努力した。
で、まあなんとか友人たちに恵まれてきた。
そんなことで、
若い、
と言っても、今では
三〇代から四〇代の
詩人さんや
映像作家さんが
訪ねて来てくれる。
それが、うれしい。
今日だって、
ガレージ改造工事前の片付けに、
今井さんと薦田さんと
辻さんと長田さんが
来てくれて、
本棚を整理してくれて、
脊柱管狭窄の杖老人の
年金生活者のわたしにとって、
大助かりだったんだ。

そうそう、
この「浜風文庫」の
さとう三千魚さんも、
亡くなった中村登さんと
二人が若い時に、
詩について、
ごちゃごちゃ
言い合ったのだった。

大震災が二つあって、
絆、絆と叫ばれた世の中。
亡くなったり
親しい人を亡くした人には、
申し訳ないが、
どうもわたしはその世の中の波に乗れない。
オレって
へそ曲がりなんだなあ。
平和憲法の元で、
オレとしてへそ曲がりを通してきたわたしには、
今更、
「憲法を変えていくのは自然なことだ。私たち自身の手で憲法を書いていくことが新しい時代を切り開くことにつながる」
なんて言ったという安倍晋三首相の言葉には乗れない。
「日本を取り戻す」
なんて止めてくれ。
これが、
敗戦後七〇年日本の変わり目って言うんじゃ、
わたしとしては、
アッジャー、だ、
ゴリゴリって
区切りをつけて、
若い連中と、
詩と、
映像とを
語り合って、
友愛を深めたい、
と思っている八十歳っていうわけざんすね。

ここまで書いてきて、
老人っぽく年齢を語るのは、
やはり、
空しいね。
生まれたばかりの
赤ちゃんにこそ、
そのゼロ歳の年齢を語って欲しい、
ってなものです。

 

 

 

princess 王女

 

このまえ
気づかなかった

お茶の水の

病院の
まえにたっていた

王女よ

悲しい横顔だ

くじらなのかい
くじらだったのかい

きみは
泳いでいた

くらい海の底を泳いでいた

ひかりは
過ぎた

ゴーゴーと鳴っていた

熱海を
過ぎていった