生きる

 

みわ はるか

 
 

沈んでいく太陽を1人でずっと、ずーっと見ていた。
まっすぐにのびた川が流れる河川敷の階段に座って。お尻が痛くなっても目をそらさずに西の空を見続けた。
山にかかった雲は夕日の光を吸い込んだように黄金に輝いていた。
美しいというのはこういうことを言うんだろうと思う。
この日、この時間、ここにいることができたわたしはラッキーだ。
1日の終わりをこうして終えることができたとき、今日は人間らしい生活がおくれたなと感じる。
1人ででも強く生きられたなと安堵する。

「その人」はとても明るい人だった。
たいていの物事はポジティブに捉える人だった。
そして入社したてのわたしを娘のように可愛がってくれた。
誰になんと言われようとも常にわたしの味方になってくれた。
少しめんどくさがりで、ずるいところもあったけれど、「女は愛嬌よ。」といって生きている人だった。
わたしは「その人」のことを心から信頼していたし、ずっとわたしのよき上司として一緒に働いていけるものだと思っていた。

私は元来、常に最悪の場合を想定してしまう癖がある。
どうしよう、どうしよう、どうしよう・・・・・・。
もしも・・・・・・のあとに続く言葉はいつも否定的な内容になりがちだ。
こうやって意味もなく、当てもなく悩んでいるうちに1日はあっという間に終わっていく。
何もたいして解決しないまま。
無駄な時間だとは頭ではわかっていてもこの思考回路をストップさせることができなかった。
だから、「その人」は私に対して救世主だったのだ。
「なーんだそんなこと、気にしなくていいのに!」
「大丈夫大丈夫、もっと楽に考えて。たーいしたこじゃないから。」
「そんなことより新発売のあのチョコレート売店に買いに行こう。」
笑うと八重歯が見え隠れする口を大きく開けてそう悟してくれた。
話を聞いてもらうだけで楽になれた。
平易な言葉だったけれど、「その人」からかけてもらう言葉には魔法がかかったかのように人をリラックスさせる効果があった。
滝のように涙がでた次の日に笑って出社できたのも、「その人」が自分のことのように一緒に悩んでくれたから。

でももう「その人」はいない。
「その人」の「仕事辞めます」という宣告は急だった。
そして本当に次の日から「その人」は来なくなった。
ロッカーもデスクも「その人」のものは何一つ残っていなかった。
毎日コーヒーを飲むために使っていたマグカップだけが忘れられたように食洗器の中に取り残されていた。
辞めたのは家庭の事情だと、あとから上司に聞いた。
嘘か本当か確かなことはわからないけれど・・・・。

「その人」のいない次の日がやってくる。そのまた次の日もやってくる。
時間は規則正しく毎日を動かしている。
人もそれにのっとって動き出す。追いてかれないように。
強くたくましく生きていかなければならない。
「その人」はもういないのだから。

朝、東の空から昇ってくる太陽はわたしには眩しすぎる。
1日の始まりをつきつけられたようで朝日は苦手だ。
それでも、その光を背中に感じながらぐっと前に1歩ふみだす。
それができたら、次は反対の足をそれよりももう少しだけ前に運ぶ。
頑張りすぎずに頑張る。
なんて都合のいい言葉なんだろうと思うけれど、なんていい言葉なんだろうとも思う。
こうして「その人」のいない戦場に向かう。
ゆっくりと、でも着実に。
「その人」を心の支えにして。

 

 

 

どっち

 

長尾高弘

 

 

目を閉じて
口を開けて
おやすみなさい

外から見えるけど
中から見えない現実
中から見えるけど
外から見えない夢

叩き壊してしまえ
とささやく悪魔*
壊したあとは
どうなるの?

目を開けて
口を閉じて
おはようさん

夜と朝
どっちが先に来るの?

 

 

*一九二七年のドイツ映画『メトロポリス』では、悪魔は(映画のなかで)実在する人間そっくりに作られたロボットだった。