湯葉、固ゆでの

 

薦田愛

 

 

生魚と肉を使わないメニューを求める私の日常は
中落ちもしめ鯖も羊肉もトリッパも愛してやまない
イナゴの佃煮やサザエの壺焼きやシャコは苦手だけれど
だからといってあまり困ることはない
刺身やつくね、ハンバーグや焼鳥が苦手なのは母
二〇一五年六月一日現在齢七十九
体脂肪率十八パーセント体重三十八キロの
母は生ものと肉に加えて鰻も好まない
ただし穴子は好む
その差異を咎められても答えられないのが
好き嫌いというものであるから
そういうものだという手本を身近にもつことは悪くない

連れ立って入る店の候補から
鰻や焼鳥、焼き肉の類いはまっ先に外れる
寿司は穴子やかんぴょうという選択肢により
候補に残らないでもないけれど
予算の点で概ね遠い存在にとどまる
(むしろいわゆる中食という形で
デパ地下で太巻や稲荷寿司を選ぶ母
穴子の押し寿司を母にと選ぶ私
目の前に運ばれてくるのではないそれは
寿司といっても生加減の少ない
別様の食べ物だ)

そんな母だからむろん親子丼は食べないし作らない
わが家ではもっぱら玉子丼だったのだけれど
その玉子丼がどんなものかといえば

母は生が苦手つまり半熟も苦手
私は生も大丈夫むしろ大好きで

半熟のうちに私の分を取り分けると母は
残る半分をさらに火にかけ
心おきなく固ゆでにした卵としんなりした玉ねぎとよく馴染んだ薄揚げを
ご飯に乗せて食べるのが流儀で
そこにつゆはかけないのが好みで
半熟の私のほうに鍋のつゆあらかたが注がれ

そんな母の中性脂肪やコレステロール値が
高いという下げなくてはという
薬には頼りたくないけれどと漢方のお医者を訪ね
卵はあまりよくないのだってとため息
魚を焼いたり煮たりするより楽だから
やっぱり卵に傾くよね
でもよくないのなら、それなら、と素人考え
作りもしないくせに私、思いつきだけはね
ほら昔から工作でも完成度はともかく
アイデアはいいねっていわれてたくらい

それなら、それなら
湯葉はどうかな
卵よりだいぶ値は張るけれど
私たちステーキも鰻も食べないし
量だってほんの少しで足りるもの
最近は近所に豆腐屋さんがなくても
京都の湯葉だって手に入りやすくなったしね
そうだねなんて相づちは打たないのもやっぱり
母の流儀

広小路の松坂屋が神戸で作ってる湯葉を置いてたよ
戦利品を見せる母の笑顔
ごめんねアイデアだけで
買ってきて作ってくれる母食べるだけの私
気がついたら亡くなった父のポジションにおさまりかえって
まかせっきりでごめんね

あたたかくふっくり香る豆の乳の
ゆわり広がる表を覆ってゆくさざなみの
いっしゅんをうつす薄様
重なり合う舌ざわりに遅れてやってくる
何ものにも紛れないしたたかな味わい

玉ねぎと薄揚げの仄甘さに湯葉は似合って
卵のように固ゆでにしなくても食べられる
それでもやはり母の丼はつゆが少なく
私の丼ばかりがつゆだくになる

そんな休日
そんな休日

なぁんて思ってたら

鈴木志郎康さんの奥さんの麻理さんが始められた
「うえはらんど3丁目15番地」に伺った週末
辻和人さんと新宿で別れ際までお喋りしていて
「それじゃ、これから買い物ですか」
「そうなんです。小田急ハルクの地下で野菜がいろいろ買えるので」
また、と手を振ってハルクの地下で和歌山の蕪に香川の菜花
沖縄の南瓜まるごと買いながら
「お弁当も買って帰るからね」とメール
ところが

蕪と南瓜で手いっぱい重たいしかさばるし
食べ物を手にするうち急激にお腹が空いてきた
たぶんこのくらいの時間の流れが自然なんだよ
流通ってどれほどくるしいおあずけの連続なんだろう
「お弁当は無理そうなので、湯葉丼お願い」
「了解! すぐ始めるね」
「お願い」
山手線の家族連れ移動中のふたり部活帰りの高校生にまじり
南瓜に蕪に菜花を提げて湯葉丼へといえわが家へと

ところがところが

あと五分の最寄り駅で着信
「たいへん! 湯葉がない!」
「湯葉と思ってたのは豆腐のパックだった」
「申し訳ないけど今から広小路まで買いに行ける?」

南瓜と蕪と菜花を抱えて空腹抱えて
広小路まで
乗り換えて階段上がってダッシュダッシュ
閉店間際の品切れ場面がちらつく頭をふりふり
「春日通り側の入り口から入ってすぐ右の下り階段下りて右へ
壁側にある 豆乳入りを なければ出汁入りでも」
指令は完璧
品切れの場面は再現されず、
豆乳入りも出汁入りも選べる幸せで空腹を紛らせながら
欲ばって三つ買う
ここまで来たら重いしかさばるから二つも三つも同じこと

そんな休日
そんな休日