あっちのあれ

 

長尾高弘

 

 

なにやってんだろう?
絵を描いてんのかな?
画板なんか立てちゃってるぞ。
その割には何描いてんだかわからないなあ。
遠くを見ているふりをしてるけど、
あれは抽象画ってもんじゃないか?
こんにちは。
何をなさってるんですか?
見ればわかるだろう。
何を描いてらっしゃるんですか?
見ればわかるだろう。
あ、いやどこですか?
あっちのあれだよ。
は?
あっちのあれ。
確かに描かれているものと同じようなものがある。
あっちのあれとしか言いようのないものが。
こんなに広い景色を前にして
たったそれだけというくらい小さいものだ。
もっと近くで描けばいいじゃないか、
と思ったけど、口にはしなかった。
でも、あっちのあれにそんな赤いものありましたっけ?
これはな、そっちを歩いている人の生命の炎だ。
そっちって、
あっちのあれとはずいぶん離れてるじゃないか。
それに生命の炎だなんてねえ、
よく恥ずかしげもなく言えたもんだ。
では、そこの緑は?
こっちの木の葉っぱだよ。
青いのは?
海に決まってんだろう。
肌色もありますが。
あの家のなかの裸の人だ。
かなり盛りだくさんらしい。
でも肌色の部分は裸の人には見えなかった。

 

 

 

大人になりかけの途中で

 

みわ はるか

 

 

7年ぶりに会う友人から再会の場所に指定されたのは名古屋のとある地下鉄の駅の地上だった。
夕暮れ時、少し早く到着したわたしはコートに身をすくめ大きなビルの前で彼女の到着を待つことにした。
少し遅れるとのメールを数分前に受け取っていたので、もうしばらくはこの寒さと戦うことを覚悟していた。
名古屋に来るのも数カ月ぶりだった。
名古屋駅周辺や繁華街の栄、大須等は休日でなくとも人であふれているが、少しはずれるとそうでもないことは大学の4年間をここで過ごしたことで学んだ。
毎日のように利用した満員電車の地下鉄。
サラリ ーマン、学生、老人。
あらゆる人に押しつぶされぺたんこの煎餅のようになった。
1限の授業が他大学より少し早く始まる大学に通っていたわたしは、地下鉄の遅延を告げるアナウンスがかかったときには舌打ちをしたい気分になった。
しかし今となっては不思議なことに、あんなにも億劫でうんざりだった地下鉄がものすごく懐かしく感じる。
時がたつと色んなことが美化される、美化してしまう自分がいる。
そうでなかったにも関わらず。

久しく逢った彼女は少し痩せたきがした。
もともと彫が深いはっきりした顔立ちだったが、もっとはっきりしたように感じたからだ。
それを伝えると「そうかな~そうかもしれない ~」と相変わらずの天真爛漫な明るさで答えた。
・・・・・様な気がした。
目をそらしながら放たれたその言葉の裏にはもっともっと深い意味があった。

彼女との初めての出会いは中学生の時だった。
学校は違ったが、それぞれのテニス部に所属しており市大会でよく顔を合わすうちに話すようになったのだ。
彼女はいつもきらきら輝いた笑顔を絶やさなかった。
テニスの選手としても有望でわたしの憧れだった。
そうこうしているうちに同じ高校を目指していることが分かった。
わたしは本当にうれしかった。
高校の入学式で再会できることを約束してわたしたちは最後の試合を終えた。
わたしたち はお互いいい結果を残せず、有終の美は残念ながら飾れなかった。
入学式で彼女を見つけた時胸が高鳴るような気持ちになった。
お互い、希望の高校に合格することができたのだ。
在学中は同じクラスになることもなく、目指す方向も違ったためほとんど話す機会はなかった。
彼女は色んなことに果敢に挑戦するタイプで、部活のマネージャー、生徒会、校外活動等あらゆることに参加していた。
わたしは遠くから羨望のまなざしで見ていた。
なんだか自分のことのように嬉しかった。
彼女のことで悪い噂は聞かなかった。
それに本当にかわいかったからきっと色んな人に言い寄られたんだろうなとも勝手に想像していた。
そんなかんじでわたしたちの高校生活はあっという間に終わった。
楽しい部分ももちろんあったけれど、やっぱり大学受験は大変だったし、つまらない授業をうけるのは辛かった。
可もなく不可もなく。
みんなもそんな感じで結局は卒業式を迎える。
お決まりのように「色々あったけどいい3年間だった」とどこからともなく誰かが叫ぶ。
そういうもんだと信じて疑わなかった。

わたしたちは駅からさほど遠くない韓国料理店に入った。
客はまばらにおり、韓国人の方が経営されているお店だった。
4人掛けの椅子にとおされたわたしたちは料理を3、4品注文した。
彼女がわたしと違ってアルコールに弱いこと、普段 は右利きだが食事の時だけ左利きになることをその時知った。
なにせ、わたしは彼女の大学生活をこれっぽっちも知らない。
食事に行くことも初めて。
考えてみればこうやってゆっくり話すのも中学のテニスの大会以来だ。
変な緊張は全くなかった。
他愛のない話をしばらく続けた。
彼女の口から意外な言葉がでてきたのはそのあとだった。
辛いときがあった、今ももしかしたら自分はその延長線上にあるのかもしれないと。
その予兆は高校生の時からで・・・・。
高校生になって褒められるということが少なくなって、それが生きがいだった自分は不安になった。
ただただ一生懸命に色んなことに挑戦したけれ どそれが埋められることはなく。
いつのころからか自分を構成するねじが少しずつゆるんできたのだと。
誰にも気づいてもらえず、心から相談できる相手もおらず、徐々に自分の中と外の差は開いていった。
誰にも会いたくなくなって、生きることに疑問をいだいて、迷走した。
「今までいいこちゃんすぎたのかな」
彼女は押し出すような声で、わたしの見たこともないような悲しい顔でぼそっとつぶやいた。

そんな面が彼女にあることを微塵も思っていなかったわたしは本当に驚いた。
わたしもどちらかというとネガティブで、朝が非常に辛くて、人にあーだこうだとアドバイスできる立場でもないけれど、わたしが思うこと感じ てきたことを伝えた。
一生懸命にうなずきながら聴いてくれた彼女の顔をわたしは忘れない。
打ち明ける相手にわたしを選んでくれたことが嬉しかった。
20代後半になったばかりのわたしたちの人生は周りからみたらまだまだで実は何も始まっていないと言われてしまうかもしれない。
でもやっぱり何か確かな転換期を迎えていて、それを右にも左にも持っていける自由な期間なんだとも思う。
それにはパワーが必要で、エンジンがかかるまでに長い時間がかかったり、かけきれずに収束してしまったり、かけることを諦めてしまったり。
そんなとき何か心のよりどころ、手を差し伸べてくれる人の存在があったらいいなと思う。

彼女は帰り駅まで送ってくれた。
お互いまた必ず会う約束をして手を振った。
彼女の顔は少しだけ会った時よりもやわらかく緩んでいるような気がした。

地下鉄に揺られながら、そういえば彼女は一度もキムチの皿に箸をつけなかったことをふと思い出した。
次は辛くないお店を探そう、どんなお店がいいかなと頭の中でぐるぐる考えた。