Les Petits Riens ~三十五年もひと昔

蝶人五風十雨録第9回「一月三十日」の巻

 

佐々木 眞

 

 

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1981年1月30日 金曜
夕方サンフランシスコ発JAL001便にて成田着。重い荷物をポーターに運ばせタクシーで鎌倉まで。やれやれと一安心。都合半月の海外旅行なりき。

1982年1月30日 土曜
土曜出勤。ルック雑誌広告。アデンダの大きなポスターをどうやってコピーしていいか分からない。

1983年1月30日 日曜 夜に雨
久しぶりに眠る。自閉症児親の会の会合をキャンセル。相模原の会員のみに電話連絡。たまには休まないと身体がもたない。息子たちと遊ぶ。

1984年1月30日 月曜 はれ
キリンビール訪問。だいたいそんなものよね。ベイヒルゴルフ企画で富士ゼロックスの小林陽太郎氏の出演許可をもらう。

1985年1月30日 水曜
朝パリEHPよりゴダールが撮影を完了したと連絡あり。アニエスbでf500買い物。夜駐在所のスタッフと会食。サル・プレイエルにてラベック姉妹のコンサート。

1986年1月30日 木曜 はれ
三陽商会長谷川氏、博報堂、関谷氏、小学館中川氏、島本氏。夜神谷氏と串花へ。

1987年1月30日 金曜 はれ あたたか
8時半日比谷スカラ座にてデ・ニーロの「ミッション」。86年のカンヌでグランプリだというがやや意外。G.I.Tにて日経矢田氏と「大コクトー展」の打ち合わせ。

1988年1月30日 土曜 はれ
ゆっくり起きてミラノへ発つ高市氏の自宅兼事務所に電話すれど終日繋がらず。「チャネラー」取材後小峰氏と飲む。松竹第2にてベルイマンの「シークレット・オブ・ウーマン」試写。女の生を重厚に描いた傑作。光と影が美しい。

1989年1月30日 月曜
プレス伊藤君と話す。努力家なり。IN秋冬構想会。

1990年1月30日 火曜 くもり
大阪支店にて11時から午後7時まで店長会議。山口課長と新任営業担当のお披露目。京高フェア打ち合わせ。私は「この日、この空、この私」「体と金と男」という話をしたがあんまり説経臭のする演説は良くない。夜神戸のグリーンホテル泊。

1991年1月30日 水曜
オレンジページ田坂さん来社。パスタ・パスタで昼食。「ゼロシティ」「アンポンで何が裁かれたか」をみる。

1992年1月30日 木曜
本日より米国出張。ボストンは古い英国の面影を残す町でJFKの生家や寄宿舎もあった。学生街のカジュアルなショップを見学。夜はウエルカムパーテーがあった。

1993年1月30日 土曜 はれ
会社休みてCD三昧。妻は味噌作りや心身の疲労困憊で臥せっている。

1994年1月30日 日曜 はれ
ボードレールの人生はわずか46年であった。次男東京造形大の1次合格。

1995年1月30日 月曜 晴
第1回の全員宣伝会議。だいぶ人が減った。文春の「マルコポーロ」がアウシュビッツにガス室はなかったという記事で廃刊決定。愚かなり。

1996年1月30日 火曜 はれ
1792年に再建されたべネツィアのラ・フェニーチエ劇場が失火のために全焼。残念なことなり。仏シラク大統領、核実験の終了を声明。

1997年1月30日 木曜 晴
去年より今年の方が仕事は楽になった。次男は自動車免許を取るための合宿に出かける。

1998年1月30日 金曜 曇
会社は出来るだけサボるようにしている。午後新橋TCCにてMIUMIUの出る映画を観た。横浜SSDにてアルゲリッチ、マイスキーのベートーヴェンのチエロソナタ集買う。ムク夜鳴きす。

1999年1月30日 土曜 晴れたり曇ったり 寒
会社休む。妻は余命2、3か月と宣告された鶴見さんに「手当て」しに行く。ムクと神社散歩。米バークシャー社から1万4千円の引き落とし請求書来る。

2000年1月30日 日曜 晴 暖4月のごとし ○
母と4人で宇田さんチ経由図書館。梅はどこかで咲いているに違いない。午後五反野マンションの広告コピーを書いているとようやくフリーになった気分が出てきて嬉しい。

2001年1月30日 火曜 晴 ○
不調。元気なし。妻やや回復すれどパソコン具合悪し。

2002年1月30日 水曜 晴
小泉首相が田中外相と野上次官を更迭。鈴木宗男は議運委員長を辞任。在任9ヶ月、ああいう奴でもいなくなると寂しいなあ。サライを買う。果たしてこれから仕事はあるのだろうか。

2003年1月30日 木曜 はれ
妻と義母、早朝より長野の親戚の葬儀に出かける。余、ようやく床上げ。ベルトリッチの「暗殺の森」みる。ドミニク・サンダは可哀想。トランティニアン良し。

2004年1月30日 金曜 晴 はれ
文化講義3連発。学生の新宿都庁レポートを読むとなかなか面白い。しかしコンテンポラリー講座は今日で最終回となった。困って執行さんに相談すると、織田学園というのを紹介しようといってくれる。まことに有難い恩人である。

2005年1月30日 日曜 はれ 暖
3人で 熊野神社へ行く。長男は岸本歯科で痛がったので、「痛かったら先生に痛いと言いなさい」というと「もう岸本歯科は行きません。チエ先生んちへ行きます」を連発。余波で箱根行きも中止となった。

2006年1月30日 月曜 晴
文化最後から2番目の授業。浪間先生は週3日で7コマ持っていて、今度アンコールワットへ行くそうだ。羨ましい。新橋キムラヤでグルダのベートーヴェン・ソナタ全集。大船ユニクロでジャケットとパンツを買う。5千円なり。

2007年1月30日 火曜 晴
布団干す。果樹園へ行き写真を撮る。文芸社の仕事が来ないので頭にくる。

2008年1月30日 水曜 晴 暖
妻は緑の会で北条時政邸へ行った。ずっとドイツ人が保存していたのに、次に買った日本人が売りに出したという。どこからも仕事の電話なし。

2009年1月30日 金曜 雨
終日雨降る。今日も文芸社は来なかった。やむを得ず山口氏の仕事を下請けでやることにす。孫請けなり。

2010年1月30日 土曜 晴
妻と太刀洗を散歩。お向かいのお嫁さんと会う。息子を中学校に入れるためにまた戻ってきたそうだ。疲れた顔なりき。

2011年1月30日 日曜 晴 初雪降れり
中央公民館の鎌響室内楽演奏会へ行ったが満員札止めのため帰宅し、CDを聴く。ハイドンの五度聴き終わり春の雪

2012年1月30日 月曜 晴れ
文化最終講義。これでたぶん学校は終りになるはず。

2013年1月30日 水曜 晴
妻と味噌を作る。午後ヤマダ電機、図書館。長男の携帯を解約す。安岡章太郎92歳で死す。

2014年1月30日 木曜 曇りのち小雨
ひさしぶりに栄プールで9往復す。25m×2×9=450mなり。妻は350m。

2015年1月30日 金曜 雨
関東は雪になりしが、鎌倉は降らず。

2016年1月30日 土曜 冷雨
「金目」の取り扱いを誤って辞職した甘利経済再生相の後任が、同じ「金目」発言で防災相を去った石原ジュニアとは、自民党も人材払底なり。日銀の窮余の一策「マイナス金利」導入をみても明らかにアベノミクスは破綻している。中国の景気後退と原油安で頼みの株式市況も動揺恆ならず、民草の誰ひとり景気が良くなったとは思っていないのである。内政の不安を北朝鮮のミサイルや中国の海洋攻勢を安保危機にすり替え、憲法破壊をもくろむ安倍政治に明るい未来への展望はないだろう。
ようやく冷雨が上がったようだ。
それにしても、私はいつになったら今井義行さんのような物凄い詩を書けるのだろう? いや、「今井義行さんのような」ではない。今井義行さんのように、自分らしい、自分でなければ書けない詩を、だ。

 

ハスキルのピアノに抱かれる冷雨哉 蝶人

 

 

 

致死

 

爽生ハム

 

 

吐息の旋回はまだまだまだ
帰ってこないよ
長靴に雪がつもってから時間が
たったような、たってない気も
僕のフトモモ
ばらばらになってく銀世界で煙草をくゆらす
カツサンドを食べる彼女のほお紅がほのおに見えて、しょうがない
はさんである雪の弾力に
負けじとお肉が
さいごの息をする
地上と地下のまんなかを溶接してる気分だ
これは机の上の学生に似てる
ペンが白い紙に刺さって机が受けとめて、学生の身体は熱くなる
学生の頬っぺたに肉まんがあっつくペタつく
ここで寝ては死んでしまうよと
棒立ちの木々にすがる
美しいモノの無力化、あまりにも激しい対比
夜食を運んだのは幽霊か
煙草の煙も幽霊か
重たいまなこも幽霊か
燻製のお肉が幽霊のように痕跡をQす、あきらめた長靴は重くなるだけ

 

 

 

きぬかつぎ

 

今井義行

 

 

ひとには うえと したが あると いう
【天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず】*引用
ひとは すべてに 平等ということでなく
学んだか そうでないかで あると いう
けれど揉まれても卒業は無いのではないか
自らの心の持ちよう、っていうことなのか

二色の街の 情景の中に わたしはいました
会社勤務を していたころの はなしです
定収入を漫然と得ていたころのはなしです
ここは夜だ、と 神楽坂下に たたずんで
神楽坂からなだらかにつづく灯りをたどり
(【大日本】印刷が すぐ傍にありました)
ひとりでカウンターにいたことがあります
(【大日本】印刷が すぐ傍にありました)
(【大日本】印刷は 外国人就労者が多く)
(彼ら安く危険な 断裁機を扱わされてた)
ここはどこ、と 神楽坂下から たどって
ひとりでカウンターにいたことがあります

「はい、きぬかつぎ」と
小鉢に はいった つきだしを だされて
わたしは 真冬に ビールを 飲みました
(経済観念が あいまい でしたから・・・)
その大瓶は 結構 高かったんじゃないか

【きぬかつぎは、サトイモの小芋を皮のまま蒸し、その皮を剥いて食べる料理。
サトイモの皮のついた様子を、平安時代の女性の衣装・衣被ぎ(きぬかつぎ)
になぞらえて名付けたもので由来からきぬかづきとも呼ばれたり「絹かつぎ」
と表記される場合もある。】*引用

曲解に曲解を重ねられて
十二単をひきずる人たち
が いきている この世

だれが すくうの なにが すくうの
たとえば 「あ、うううう・・・・・・」
そのように ないてる おんなたちを

おんなにはおんなの鬱憤
が 溜まり 摺った墨汁を

撒き散らし紋様を作るよ
この世の しろい部分に
それは多彩な黒い華紋様

会社を 辞めてから 七年が たちます
わたしは 組織で働くのが ずっと厭で
けれど 賞与で 詩集を 上梓しました
その詩集の中に「わたしは給料泥棒だ」
という一節があり 経営陣が読みました
わたしは 詩を 書きたかっただけの者
でしたので 辞職勧告され 当然でした

24年間 会社に利益をもたらすことは 唯の一度も考えませんでした

勤務時間も 詩を書いていました 「詩」が人生の 目的でしたから
しかし 「給料泥棒」に 本当に 「詩」が書けるわけないでしょう
漫然と盗んできた 者に 本当の 「詩」が書けるわけないでしょう

わたしは いまは無職で 僅かな貯えと福祉等
に依って暮しています 今夜は きぬかつぎを
惣菜としました 平井商店街で安く買えたので
電子レンジで 温めて 一合お米も炊きました

小芋があって そこから 仔芋という娘が垂れ
サトイモの仔芋ではなく 小芋のほうから──
わたしは 夕飯に きぬかつぎを たべました

何気なくたべましたが何処も官能的な丸みです
由来など忘れて 皮を剥かずにたべたのでした

衣被ぎ(きぬかつぎ)で あるというのならば
皮を剥いてたべるのがマナーであったでしょう

小芋には丁寧にあいさつせず いただきますと
皮を剥かずにたべて 大変に失礼いたしました

想像力をめぐらせるべきだったのでしょう──
皮にしみた塩味があまりによい具合だったので

白肌にふれるのが遅くなりましたごめんなさい
娘さんによろしくお伝えくださいごめんなさい

またサトイモの季節がきたら あなたや娘さん
に逢うことでしょう そのときにはきっと・・・・

つるんと皮を剥いて たべることにしましょう
サトイモのぬめりは血を滑らかにするそうです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

勤務時間も 詩を書いていました 「詩」が人生の 目的でしたから

ひとには うえと したが あると いう
それは 仕組や性差、の不協和だけでない

サトイモのぬめりは血を滑らかにするそうです
ここは どこ・・・・と 神楽坂下から たどって
ひとりでカウンターに いた ことがあります

夜に神楽坂から 飯田橋駅まで 靡いていった
くしゃくしゃにされた 一枚の チラシとして
冷たい風に マフラーを 巻いていた わたし

寒気団の 気流の半ばは 端から凍みてきたな

抹茶の香り漂う 甘味処 「紀の善」を過ぎて
流行ったジャズバーは 別のバーになっていた
神楽小路で 艶やかな華芸妓さんが ────

流々としている わたしを 掌でひろってくれた・・・・・・「かぜひくよ、くしゃっん」

老境に達しても 襟足だけは 老いないんだね
楚々と歩き芳香を 仄かに漂わせる華芸妓さん
華芸妓さんも 坂をのぼり飯田橋駅へ漂うのか

華街から次第に 遠ざかって いったのだった
江戸城の 名残り 神田川の ながれ・・・・・・・・
わたしは 突風に吹かれ川面の方へと 翔んだ

きょう一日 蛋白質を 摂らなかったなあ・・・・・・

わたしのからだは 白空間をかたちづくる──蛋白質で出来ています
けれども わたしは きぬかつぎ という 「からだ」を
蛋白質で出来ている きぬかつぎ という 「からだ」を
ぷるぷると纏わりつく 蛋白質を食べたはず というわけなんだ
卵白のように 泡立つ 蛋白質 を・・・・・・

それは 生き物を成す 大きな成分の一つ
生き物を成す 大きな成分の一つ そのような
ものとして ひとをかたちづくっていく 要素なのだ

一昨日の 冬の午後 荒れてきた 毛髪を切りに 出かけた
冷たい ハサミが入り 毛髪が 布に 散りゆくたびに
お肉としての わたしの 眉間が 拡がっていった
蛋白質、としての お肉
年齢なりに膚は渇いてた
散った毛髪に白があった

曲解に曲解を重ねられて
十二単をひきずるあなた

わたしは、散々 唾液を
撒き、散らし、あなたの
「尊厳」という輝きへと
執拗に・・・・ 斬りつけた

あなたにはあなたの鬱憤
が溜まり 摺った墨汁を
撒き散らし前科を作った

いまから 死ぬから、ね
あなたの慟哭は刃を握り

前科女(もの)になった
それは自然な現象であり

美しい前科女(もの)へ
鬱々とした漆黒を吐いた
わたし前科男(もの)が

そのような者に過ぎない
わたし前科男(もの)が
衣被ぎ(きぬかつぎ)を

抱きしめにへやへ帰った
冬の風が 囁いていたよ

西へと歩きなさい 銀杏の舞を見れるでしょう

南へと歩きなさい 熟した花を知れるでしょう

暖房に 温もった寝台に
華の黒紋様の肌着をきた
おんなが横たわっていた

わたしは おんなに かさなり「髪、切りすぎたかな」と訊いた
おんなは ことさらなにも いわなかった

100均の店で購入した
左手に在る 手の鏡は
気遣いを 持っていた

蒸気に 曇りを造らせ
わたしの眉間を精確に
映し出さなかったから

わたしたちには わたしたちの時間があって

水色の空には水色の時間があるが時間の色が

わたしたちにもひろがってそれぞれの時間が

長く短く異なっては連なって輝くのでしょう

わたしは おんなの衣(きぬ)を剥いて しろいからだにしました
わたしも はだかに なりました
脂肪層、という 冬の質が 震えていたよ

ひとには うえと したが あると いう
だから、うえに したに なりあったよ
おんなの衣(きぬ)に隠れていた しろい乳房はゆたかな蛋白質で
ぷるぷると 纏わりつく 弾力があり
わたしは 夢中で しろい乳首を食したのです

はじめてみたとき しろい乳首は粒のようで 窪んでさえいた
けれど 日を重ね 吸いつづけていくと
それは芽をだし 人さし指の 爪ほどの大きさの 真珠にまで育った

「夕飯は、パエリアを作ってみる」
おんなは 衣(きぬ)を被ぐことなく 台所へ向った

おんなの横隔膜の息の奥へと 歩いていったとき ちいさな室の中には
ちいさなおんなの娘がいて ぽろぽろいまに至るまで泣きつづけていた
いままで誰もおんなの娘の涙を拭ってやらなかったのか・・・・ 髪の毛を
撫でてやらなかったのか それ故に泣いているおんなの娘はいじられて
いない紫の原石のようでもあった でもいまこそは救われるべきだった

・・・・・・ やがて、宵闇が 訪れた

サフラン色の葱と鶏のパエリアが
弧を描くように 鉄鍋に広がって
いるその光景は満月のように輝き
檸檬を絞ると 葱は涙滴のように
鶏は動悸のようになり わたしは
心臓を探していた 何処にも無い
おんなも心臓を探していたそれは
どこか哀しい生きていく動機です
月は、まるいなあ大きいなあ・・・・

まるいなあとわたしたちは頷いた
ありがとうね、
ありがとうね、

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

心のなかの 満月は 心のなかの 満月は、

宵闇に灯る おそらく
蒼空 なんだろう 蒼空 なんだろう───

≪詩を、書きつづけていこうよ≫

わたしは ≪カミ≫という 媒体に依らずとも 自由気儘に描く
自由気儘 に 描いて
そうして いつか 「詩集、という、空間」 を 生みだすんだ

 

 

 

H

 

尾内達也

 

 

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空耳か
裸木の空を見上げる
叫びとも悲鳴とも
つかないものの
うねり聲が聞こえてくる
北風を引き裂き 樹々を震わせ
あっけらかんと
明るい虚空なのだが

茶碗に
欅から雪の影が
延びている
他者は 隠されている
秘曲のように

Aは黒
Eは白
Iは赤
Uは緑
Oは青

ランボーはそう歌ったが
母音の秘曲には
H
が隠されている
音のないのHが

Ahhhhhhhhhhhhhhhh
Ehhhhhhhhhhhhhhhh
Ihhhhhhhhhhhhhhhhh
Uhhhhhhhhhhhhhhhh
Ohhhhhhhhhhhhhhhh

すべての母音は色を失い
裸木の
虚空へと
いま落ちてゆく
その微かなうねり-
他者は 隠されている
秘曲のように

空耳か
Hhhhhhhhhhhhhhhhh
風が梢を渡った
わたしはH
ひとりの
他者である

 

 

 

rainbow 虹

 

新丸子の
夜道を

キュアーの
ドリームの歌を聴いて

帰ったのか

歌は
叫びから

うまれた

なぜ
引き裂かれるのか

なぜ
殺すのか

虹をみたことが
ある

あれは橋のようだね
無い橋のようだ

きみは虹を見たことがあるかい

いない
きみがいた