夢は第2の人生である 第35回

西暦2015年神無月蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

佐々木 眞

 

 

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極寒の僻地にあって九死に一生を得た私らは、ようやく郷里に帰還しようと寒村の小さな駅に辿りついたのだが、プラットフォームに立つと、アテルイという名の記された深紅の長い長い貨物列車が、轟音をあげて通り過ぎて行った。10/1

久しぶりに以前訪れたことのある野原の果ての廃墟にやって来た。今回はなぜだかイラストレーターの川村さんや画家の橋本さんなんかと一緒だったが、入口には「隠喩とアナスタシア」と書いてある。いったいどういう意味なんだろう。展覧会でもやってるのか?10/2

戦争が近付いてきたからか、急に井戸掘りを頼まれるようになり、その数なんと1万件に達した。焦った私は、知り合いの伝手やコネを総動員して、全国各地の職人をはじめ学生のアルバイトまでかき集め、朝から晩まで井戸を掘り続けている。10/2

山中でその子の死体を見つけたのは、数日前のことであった。どうしてこのようなものがこんなところにと思ったのだが、私は、そのことを誰にも言わなかった。10/3

しばらく経ってから、私はその場所を目指して山を登って行ったが、山道でイノシシや野兎や猿や熊たちと出会うたびに、私の顔も体も彼らの顔かたちが乗り移って、異様な風体へと変身していくのが分かった。10/3

妻が運転する車に乗って学校へ行ったら、「今日は私も授業があるのよ」というので、驚いて彼女の教室をのぞいてみたら、聴講する学生が鈴なりだったので、また驚いた。私の授業の聴講生ときたら、毎年10名すれすれなのに。10/4

こないだ通販で買ったCDを、同じ業者がさらに安く売っているのを発見して、「こんちくしょう、どうしてそんな酷いことをするンンだ。おいらがなけなしの金をはたいて、清水の舞台から飛び降りるつもりで買ったというのに」と、朝までいきまいていた。10/5

新製品のネーミングにうるさい社長だったので、「では英語やフランス語やイタリア語はやめて、古い日本語でいきましょう。「国定忠治は男でござる」というのはどうですか?」と冗談半分で提案してみると、「おお、いいね、いいね。どうしてもっと早くそれをいわないんだ。それ、それ、それでいこう!」と大喜びするのであった。10/7

「信望愛」のうちでもっとも大いなるものは愛である、とたしか新訳聖書に書いてあったような気がするのだが、信仰も愛もてんで持ち合わせのない私は、一筋の希望さえあれば、なんとか今日も生きていくことができそうに思えた。10/7

ふとしたことで知り合った2人の女性は、いずれも小説家だったが、てんで本が売れないというので、「千円引きでなら、私が買ってあげますよ」と口走ったら、その翌日、段ボールを満載したクロネコヤマトのトラックが玄関に停まった。10/8

広大な原っぱには巨大なテントが張られており、中ではフェリーニのサーカスを思わせる極彩色のファッションと、音楽と演劇を一体化した夢のようなライブイベントが繰り広げられていたので、私は歓声を上げながら、写真を撮りまくっていた。10/10

電話ボックスの中に入ると、なぜだかその中にも薄緑色の植物が生えていた。電話しながらそのやわらかな葉っぱを食べていると、大きなムク犬がボックスに入って来たので、こいつにも葉っぱを食べさせてやった。10/11

新聞社の「市場」についての調査にご協力ください、といって訪れた若い女性が、あまりにも魅力的なので、家に迎え入れて耳を傾けていると、結局は物販の売り込みの話なのであった。10/11

この節は度量衡の規格が次々に変わる。こないだは判子を作り直したばかりだというのに、今度は「持ち船の形式と容量を見直せ」というお達しが出たので、結局造り直さざるを得ないだろうな。10/12

埋立地に出来た見本市会場の件で、若い女性の部下と一緒に現地の担当者を訪ねた。1ヶ月後にその商談が纏まった頃、担当者と部下の連名で、結婚式の招待状が届いた。つまり彼らは、ひと月で2つの商談をまとめたわけだ。10/13

一念発起、酒も女も絶ってひたすら店頭で販売の音頭を取ってみたものの、声を張り上げれば張り上げるだけお客は逃げ出していき、売り上げはさっぱりだった。10/14

3人で町を歩いていたら、チンピラ2人にからまれたので、うちのA子がさっと金的を蹴り上げると、その時は素早く退散したが、今度は私がいない間に、A子ともう一人の若者を誘拐したので、私は正宗のドスを腹に呑んで、敵の本拠地に奪回に向かった。10/15

中国の田舎の空港で降りたら、昔会社で常務だったナベショーという男が、免税店でどんくさいアメカジを売っていたので、懐かしくなってポロシャツを買おうとしたら、大きな鍋で炒め物を調理しながら、「お客さん、ここらへんは、商売さっぱりあきまへんわ」と、情けない声を出した。10/15

眠っている間に地震が襲ってきて、私が乗った地球というメリーゴーランドを揺り動かす。それはヒトコマごとに前進するのだが、ときおり揺り戻しがあって、また元に戻ったりするので、非常に恐ろしかった。10/16

やがて官憲がわが家を違法建築であると決めつけて、取り壊しにやって来たので、私は毒矢で武装し、今度こそ死ぬまで徹底抗戦しようと決意した。10/17

「遊動円木」とか「不労所得」とか「交響楽」という名前の鳥たちが、ひらひらふらふら飛びまわっていた。10/18

次期ノーベル文学賞の受賞が内定した谷崎潤一郎選手の命を狙う悪党がいるというので、私は、警視庁から派遣されて、彼の警護に当たっていた。10/19

「綺麗な呼吸大会」という不思議な大会に出場した私は、あらゆる瞬間において見事な呼吸をしている、という理由でグランプリをもらったが、受賞の意味がてんで分からなかったので、もらったトロフィーをその場に置いて退場した。10/20

今日もいつもと同じ散歩道を歩いた。歩きながらビシバシ写真を撮っていたが、「まてよ、これでは毎日同じ写真ばかりになってしまう。少しはフィルム代を節約しなきゃ」と思って、撮るのを止めてしまった。10/21

コンセプトは「我らの右手」だ。午後9時には子供たちを階下で寝かせ、大人たちだけの製品づくりが始まった。10/23

星まつりの夜に窓の外で2002年の2月に身罷った愛犬ムクが「WANGWANG!」と鳴いているので、外に出ると、衝突した車から飛び出した若い衆が、川の中で白眼を剥いて斃れていた。恐らく、もう死んでいるのだろう。

すると、すぐ近くで悲鳴が聞こえたので飛んで行くと、やはり同じ年頃の、祭りの法被を着た若い衆が、道の真ん中で白い泡を吹いて斃れていたので、驚いた。すぐに救急車を呼ぼうとしたのだが、生憎その番号を思い出せないので、携帯を握りしめて棒立ちしているわたくし。10/24

私らは、大木の枝の上に鳥の巣のような小さな小屋を作って、その中で生活していたが、なにしろ狭くて、ちょっと風が吹いてくると大きく揺れ動くので、不安で仕方なかった。10/26

今夜は豪華な肉料理をフルコースで食べるのだから、お昼は蕎麦にしておこう、と思うのだが、天ざるにしたらエビ天がお腹に残ってさしさわりがありそうなので、店の前でメニューを眺めながらいつまでも迷っていた。10/26

一緒に歌舞伎を見にいったデザイナーが、「あたしはもう仕事が嫌になった。こんな仕事を八十までやるのかしら」と呟いていたが、私は知らん顔していた。10/28

昔からお世話になっていたSURELADYというブランドを担当する佐々木さんを訪ねたら、大病を患っていて、もう長くなさそうだったが、相変わらず優しく頬笑んでいた。10/28

ボスの命令で会社に従業員家族を招くことになり、会場のあちこちに美しい花々を飾り付けたのだが、当日入場した人たちは、誰一人目を留めることもなかった。10/29