サトミ セキ「虹を生むひと」について

 

さとう三千魚

 
 

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サトミ セキさんの「虹を生むひと」という不思議な本を読んだ。

虹にかかわる七つの物語でできている。
しかもこれらの物語はノンフィクションであるという。

1.
カエルくんとわたし
ロドリーゴ、光の桃

2.
アルザス・地球でただ一つの結晶を探す旅
ベルリン・傷跡が虹に変わる街で

3.
花も実もあるウソを書け
ラクリメ

4.
グラストンベリーの虹

わたしにはこれらの物語は著者のサトミ セキさんが「虹」に出会うための旅の記録であると思われた。

「虹」とはなんだろうか?
わたしたちは「虹」を雨上がりの空に偶然に見掛ける。
綺麗だな、と思い、通り過ぎている。

サトミ セキさんはその「虹」を通り過ぎることのできないものとして見ているようだ。

1.
カエルくんとわたし
ロドリーゴ、光の桃

から、一部を引用してみる。

タクシーを呼び、土曜午前三時の首都高速を走る。兄は助手席に座り、わたしは後部座席を占拠して横になる。ふと起き上がると、なんという美しさだろう、と目を瞠った。

高速道路の両脇の光が濡れて滴り流れてゆく。前にも後ろにも一台も走っていない夜の高速道路を、ベルベットのような滑らかな走り心地でタクシーは進んでゆく。首都高速をわたしたちが独り占めしているのだ。

点滅するコンビナートも、夜空に無彩色の煙をもくもくと吐き続ける煙突も、海に浮かぶ船も、からだの中で見知らぬものが暴れている恐怖も、美しい悪夢のようにわたしを通り過ぎていく。おなかが捻れるように痛いが吐き気はなんとかおさまっていて、この美しさが何にもかえがたい貴重なもののように思えてくる。

もうひとつ引用してみる。

立ったまま抱かれている赤ちゃんも、午後の日射しの中で眠っていた。ソーセージのようにくびれのある丸々とした左足は母親の膝に触れていて、靴下を履いていない小さな五本の足指が、ときおり開いては「離さないでね」というように、お母さんの膝のスカートをぎゅっとつかんだ。

おそらくはこのような光景はわたしたちの日常のなかで何度もみている光景だろう。
そして、わたしたちはその光景を忘れ去る。
だが、サトミ セキさんはこれらの光景を忘れがたい光景として見ているのだ。
ここにあるのは自身の死をまじかに体験した者のみる景色だろう。

2.
アルザス・地球でただ一つの結晶を探す旅
ベルリン・傷跡が虹に変わる街で

からも、一部を引用してみる。

一見何の変哲もない平凡な石も、手に取っているうちにその石しか持たない個性や味わいが見えてきて、手から離れなくなってしまう。元素記号も同じ石でも、人間と同じく地球でただ一つしかない。結局、お金を出して手に入れるかどうかは、その石に無条件で惹かれるかどうか、手にしたときに驚きや心地よさがあるかどうかで決まってくる。

・・・・・宝石店ではクラックがある石は傷物としてはねられる。しかし、石の内部に浮かぶ傷は、時に太陽光を七色に分光する虹になって、その石を魅惑的に輝かせる。
虹が浮かんで、このカルサイトはまるで違う石となった。この七色の光は目に見えない世界へとわたしをつなぐ。光が凍りついた結晶のようなこんな美しいものが、現実に存在しているのが不思議だった。

わたしもまた海辺で小石や流木を拾ってきてしまうのだが、
つげ義春の「無能の人」のようにサトミ セキさんもまたヨーロッパの片田舎の町に石を探しにいったのだろう。

ここでもサトミ セキさんは石の中に「虹」を見ようとするわけだ。

石もそうだし、絵もそうだし、音楽もそうだ、ことばだってそうだ。
それがわたしにとってかけがえがなくただ一つのものだったらわたしはそれにお金を支払うだろう。
どこでもいつでも手にはいるものには「虹」がないだろう。

それがわたしにとってかけがえがなくただ一つのものというのは「命」ということだろう。
命というものはなかなかお金で買うことができない。
命と等価のものがかけがえのないものといえるだろう。

それはなかなかこの世ではお目にかかれないものとわたしたちは思ってしまうが、
サトミ セキさんは石の中に「虹」を見ようとするわけだし、カフェにもはいれないほどすっからかんになるまでお金を石に使ってしまうわけだ。

このままだとわたしはサトミ セキさんの本をどんどん引用してしまいそうだ。
それでは、これからの読者たちの体験を奪うことになってしまう。

最後の章、

4.
グラストンベリーの虹

から少しだけ引用してみたい。
ここでサトミ セキさんは実際の「虹」に出会うことになるのだろう。
それがサトミ セキさんが出会ったかけがえがないただ一つの「虹」だろう。

生まれてから死ぬまでを、いっときに眺めることができたとしたら、このような眺めだろうか。虹が出るためには、まず雨が降らなければならなかった。雨が降るためには雲が必要だった。雨雲は黒く、その中では雷は光り、そして、しばらくするとその土地から去ってゆく。太陽の光を浴びている時には雨の世界を想像できず、稲妻が光っている黒雲の下にいるときにはいつ虹がでるのか予想もできない。

かけがえのないものはわたしたち誰にでもあるのだろう。
この世には、かけがえのないものを見る者と見ない者がいるだけだ。

 
 

サトミ セキ
「虹を生むひと」がんと命を巡る7つの旅

株式会社 幻冬社ルネッサンス
ISBN978-4-7790-1119-1