午後

 

萩原健次郎

 
 

 

ぼくはいつもぶらさがっているなにか、姿形が判然としないもの
を遠くから見つめている。眼の端に揺れている黒い塊。生き物な
のかそうでないのか。いや、実在していないものをそこにあるか
のように錯視して、気にしているのかもしれない。生きているも
のであれば、少しは身を動かすのだが、それは、ただ風を受けて
ぶらぶらしているだけなのだ。

近づいていく。惹かれているのでもない。黒い塊とぼくの引力と
か重力だとかの関心の間で、強いられて塊の真下まで歩いていく。

――なああんだ、
と思った瞬間に、ぼくは彼岸の人になっている。

ぼくの生などという代物は、だれかの対象なのであって、ぼくが
なにかを対象にしようなどと思うことはないのだ。

川岸を歩いて、すこし先になびいている桜の古木の下まで行き、
そこを通過していく。

無音。
――ぴーぴーぴー
鳴っている。

音があるのに、それもまた覚ることもなくぼくを通過していく。
鳥もまた、彼岸の生の懸命なのだろうから、ぼくの対象にはなら
ない。

すべての行いを不信に思ったとしても、もう埒外の懸命だろうが
と言いかけて誰にも語らない。

午後と決めた人はだれなのか。

真昼を過ぎたら、枯れていく。ぼくは対象として捨てられる。

――みんないっしょに

季節はずれの、狂院の盆踊り。
いつのまにか、終わっている。

 

空白空白空白空白*西東三鬼に
空白空白空白空白空白空白空狂院をめぐりて暗き盆踊  の句がある。