夢は第2の人生である 第53回

西暦2017年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

若い二人の結婚式で、人世の幸福の秘訣は「A=B、B=C、butC≠A」という公式の解読にあると私がスピーチすると、マエセイゾウが、「そんな馬鹿な話があるものか」と文句をつけたので場内は騒然となったが、新郎新婦をはじめ、彼のすべての部下が立ち上がって反論したので、彼はこそこそ逃げ出した。4/1

私が半生を費やして確立した「A=B、B=C、butC≠A」というこの公式は、22世紀の世界コードとして内外から高く評価され、結婚式場の特別席に「安倍=トランプ、トランプ=プーチン、プーチン≠安倍」という具体例と共にプレートに刻まれていた。

しかし結婚式の出席者たちは、式が終ると全員で鹿狩りに出かけてしまったので、私たち中年の召集兵たちおよそ50名は、谷間の集会所に整列させられ、彼らを追跡して全員逮捕せよと命じられた。

深い谷間の麓から高い山の頂上まで登っていくと巨大な洞穴があったので、めざす連中はその中にいるのかと思ったら、あにはからんや京大史学科卒のヤマグチ先生が、たった一人で下手くそな日本画を描いていた。4/1

また雨だ。いくら洗濯しても乾燥が終らないのでいらいらした私は、日本のどこかに晴れた場所が1か所くらいあるはずだ。今のうちならまだ間に合うと思い、すべての洗濯物を引きずり出して旅立った。4/2

私は、めざとく少年になった白い蝶を発見したので、首根っこを捕まえて、「こんなところでウロウロするな。県道の脇道を辿って山に戻るんだ」と囁きながら、軽くハグして別れた。4/2

ハシモト氏は結構名の売れた作家なのだが、アルバイトでやっているCM企画のほうが金が入るので、止めたくてもなかなか止められないでいるようだ。私ならきっぱり止めてしまうのだが。4/3

清明の日にふさわしい心温まるような凄くいい夢を見たんだが、いくら思いだそうとしてもひとかけらも思い出せない、その悔しさだけが、夢の形見。4/4

私がちょっと留守していた間に、誰かが我が家に忍びこもうとしていたので、私は大声で怒鳴ると、男は気を失ってその場に倒れてしまった。しばらくするとようやく息を吹き返したが、またしても気を失ってしまった。4/5

何度も何年もこの国のこの町を訪れているというのに、定宿のホテルが見つからないので、あちこちをほっつき歩いているうちに、とうとう夜になってしまった。4/5

どうやら私たちは命を狙われているようなので、なんとか殺されないようにしようと、一晩中考えていたが、妙案はなかった。4/6

芝居の出演が終った私がしばらく休憩していると、必ず誰かが茶椀を運んでくるのだが、そのお茶の中には、必ず毒が入っているので油断できない。何日も経つ間に、私はある男がその犯人であることを知った。4/7

いつの間にか私は、その男と親しく口をきくようになったのだが、男は相変わらず私が休憩していると、毒入りのお茶を運んで来るのだった。これには毒なんかまったく入っていませんよ、という顔で。4/7

税関で「アメリカの製品を何点くらい買ったのか?」と聞かれたので「さあ、10点くらいかなあ」と答えたら、肥ったおばはんが、いきなりバッグの中身をその場でぶちまけたので、私はまたしても、「もう二度とこんな国には行かないぞ」と思った。4/8

1980年、その男が神さまだった頃、村人たちは男を全裸にしてから、真っ白な紙で覆ってしまった。彼が時間を元に戻せるようになったのは、その時からだ。4/8

今日から新学期だというのに、朝寝坊してしまった。授業は8時からだというのに、もう7時半だ。教務に連絡しようと思ったが、講師などもうやるはずがないと思って、携帯も捨ててしまったから、どうしようもない。4/9

私は大きく突きだした岩磐の登攀を目指しているうちに、夜になったので、切り立った壁の下で我が身を固定し、ジャコウアゲハの蛹のようにぶら下がったが、到底眠れるものではなかった。4/10

新入社員の私のところに朝日新聞の記者がやって来たので、私は舞い上がって、自分でもよく分からない会社の機密情報をペラペラしゃべりはじめた。するとその記者は、メモを取る手を休めて、まじまじと私の顔を見つめている。4/11

長男と一緒に、手をつないで行列に並んでいた。前の方に嫌な奴がいるので、注意しながら。しばらくすると、行列は猛烈に長くなり、大混乱が起こって、気がついたときには、長男と離れ離れになっていた。焦る。4/12

大混乱の中で私が呆然としていると、その女は、私が持っていたマイクを奪い取り、「あたしこそが人々の苦難を救うのです!」と絶叫するのだった。4/13

久しぶりに神田神保町を訪れ、集英社辺りを歩いていたら、通用口から出てきた見覚えのある男性から、「おや佐々木さんじゃないですか。昼飯でも食いませんか?」と誘われたので「いいですね」と答えて、一緒に歩きはじめたのだが、彼の名前が出てこないので激しく焦っている私。4/15

松林の中で虚無僧生活を送っていた私は、ある人に3人の美女と1日3食の美食付きでスカウトされて、新しいプロ野球チームの主戦投手兼4番バッターに抜擢されたのだが、まもなく引退して、のんちゃんと一緒に雲に乗った。4/16

久しぶりの乱交パーティだったが、なんせ真っ暗闇なので、みんなすぐ傍の相手としか出来なかったので、大いなる不平と不満が残ったようだった。4/17

「よく気をつけないと、鬼さんに呑みこまれてしまうからね」、とあれほど注意したのに、わが新人どもは、次々に凶暴な鬼さんに呑みこまれてしまった。4/18

私は出てくる女たちと、次々に枕を交わしていったが、別にどうということもなかった。そしていまでは、あれは嘘か、それとも真だったのか、すら分からなくなってしまった。4/19

青年と老婆の対話を、なんとか詩にしようと悪戦苦闘していたが、うまくいかない。気がつくと朝になっていた。4/21

木下順二の「夕鶴」の新しい演出を考えていた。運ずと惣どには、背広を着せることに決めたが、肝心の鶴はどうしようかと考えても、考えても、なかなか結論が出ないうちに、朝になってしまった。4/22

いよいよ個展が始まるというのに、まだ1枚も絵が描けない。困った困った、どうしようと苦悶しているうちにも、情け容赦なく時計の針は進むのであった。4/23

マエダさんが、突然「図書館の本の在庫を減らします!」と宣言したので。驚いた私は、反対しようとするのだが、その反対の論拠をどこかに置き忘れてしまったので、周章狼狽している。4/23

もう古稀を過ぎているのに、私は「おらっちはまだ20代だ、ぐあんばれば、まだまだなんとかなるさ」と、自分自身に何度も言い聞かせているのだった。4/24

私は真夜中なのに、例の街角に辿りついた。この道はループしている、と分かった。ようやく自転車屋を見つけたので、欣喜雀躍して、トイレを借りたり、おやじさんにタイヤに空気を入れてもらったり、色を塗り替えてもらったりした。4/24

私は、毎週湘南鎌倉病院の院長から、新着のDVDを送ってもらっていた。それは、この病院が起こした不祥事を反省するために、全患者に寄贈しているもので、最新号はウグイス啼く果樹園をバックに、院長が、お詫びの言葉をぶつぶつ呟いているものだった。4/25

私は自分の会社を人跡稀な森の奥に移転し、そこで受注した製品の製造と販売を始めたのだが、社員がてんで集まらないのには閉口した。4/26

私ら3人は、朝8時からの勤務に出社できず、毎日午後1時から8時ごろまで勝手に働いていたので、真面目な上司の今井さんから解雇されてしまった。4/27

どうやら日本では、戦争になっているらしい。13人いた仲間の大半は帰国し、パリに残っているのは、私とイノウエとヨシカワ、それにオオミチの4人だけで、去就に迷って全員空港の中で途方に暮れていた。4/28

原口組と宮前組の対立で、原口と宮前は一時お互いに宿敵に拉致誘拐されて、尻の穴からビシバシ犯されたのだが、そういう因縁も手伝ってか、双方が和解してからというものは、無二の義兄弟になった。4/29

半年前に、適当にシャツと帽子を作ってしまったのが、拙かった。いよいよショウが始まるというのに、それがネックになって、他のアイテムにも悪影響を及ぼしたので、私は改めてシャツと帽子のデザインをやり直した。4/29

鴈治郎が「気の毒じゃが、おぬし覚悟せい」と刀を引きぬくと、雀右衛門が黄色い悲鳴をあげて、「強欲じゃあ、ごうよくじゃあ」と、叫びながら逃げ出した。4/30