フルトヴェングラーの「ドン・ジョヴァンニ」

音楽の慰め 第20回

 

佐々木 眞

 
 

 

クラシックの再現芸術の世界における代表選手のひとりは、イタリア人のトスカニーニ(1867-1957)、そしてもう一人がドイツ人のフルトヴェングラー(1886-1954)であることは、クラシック音楽の世界ではいわば常識となっています。

この宿命のライヴァル指揮者を巡って、多くの人々が、「おいらはフルヴェン派、いやあたいはトスカニーニ派」と、その応援合戦にしのぎを削って参りました。

前回はトスカニーニをご紹介しましたので、今回の主役はフルトヴェングラーです。

フルトヴェングラーといえば、なんといってもお国物のベートーヴェン、そしてワーグナーの音楽を得意としていましたが、モーツァルトも同じような重厚な演奏を聴かせてくれます。

今宵は1954年8月、フルトヴェングラーが亡くなる直前にザルツブルク音楽祭で上演された歴史的演奏で、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」を聴いてみることにいたしましょう。これはCDでも構わないのですが、パウル・ツィンナー監督の手で収録されたカラー映像を、最新のハイヴィジョン・マスター版で鑑賞することができます。

なんといっても冒頭の序曲を、まるで福禄寿のような顔をしたフルヴェンご本人が指揮する有り難いお姿を拝見出来るのが、この映像の最大の特色です。

右手でリズムを取りながら、時々左手で指示を送るのは、他の指揮者と同じですが、最初の拍の振り出しを「わざと曖昧に」振っているのが印象的。きっとベートーヴェンの「運命」だって、ああいう感じでアバウトに振り下ろすのでしょう。

オーケストラは当然アインザッツ(出だし)が不揃いになるのですが、音楽的にはむしろそのほうが即時的感興に富み、収穫されるべき果実が多い、というのがフルトヴェングラー選手一流の考え方だったのでしょう。

テンポは遅い。というよりも遅すぎるように感ぜられますが、このことがアリアの言葉の意味を際だたせ、普通なら聴き飛ばす箇所に、重い意味を持たせます。

例えばオットー・エーデルマンが歌う有名な「カタログの歌」のリフレインが、これほど意味深く当時の、(そして今の観衆の耳にも)届けられたことはなかったでしょうし、アントン・デルモータが歌うドン・オッターヴィオのアリアにも、それと同じことが言えるでしょう。

しかしこの悠長とも思える遅く、重々しいテンポは、最後の幕のドン・ジョヴァンニの有名な「地獄落ち」の場面で、最高最大の効果を発揮することを、フルトヴェングラーは熟知していました。

不世出のドン・ジョヴァンニ役者チエザーレ・シェピは、「悔い改めよ!」と迫る騎士長に、「ノン、ノン、ノン!」と3度4度と断固拒否を貫くのですが、双方の対決を支援する管弦楽の圧倒的な遅さと、圧倒的な咆哮の兇暴さは、ヘルベルト・グラーフの絶妙な演出とあいまって、前代未聞の凄まじさで、私たちの脳天を震撼します。

モーツアルトのスコアには、この「地獄落ち」で終わる版と、その後で6人が揃って「めでたしめでたし」と終曲を歌うロングバージョンの2種がありますが、フルトヴェングラーは後者を演奏しつつも、このオペラの本質は「地獄落ち」の迫真性そのものにあることを見定め、だからこの遅いテンポをあえて設定したのだということが、オペラの肝心かなめのキーポイントを聴いてはじめて分かるのです。

 

えんやこらしょっとバイロイトに響き渡るウィーンフィルの咆哮 蝶人