山崎方代に捧げる歌 25

 

股ぐらに手をおしあてて極楽の眠りの底にわれ落ちてゆく

 

もう
昨日か

自転車で海まで走った

雨になるのか
灰色の空の下の海をみた

平らだった

帰って
ソファーで2001年宇宙の旅をみた

人間的な宇宙の絵画だった

愛などなかったと
いえない

デイジー
デイジー

君に夢中だ

 

 

 

分かれ 詩人なら

 

駿河昌樹

 
 

ホッと息を
しかし
やさしく
つく

そんな詩が
ほんとうは求められているのに
壮麗な自我の殿堂や
眉間に深く皺を寄せた息苦しさや
欧米語の語源へ遡りさえしない浅薄なナントカ主義擁護などが
数十年ほど幅を利かせていた国

それらが崩れ落ち
あまり見向きもされなくなって
どうやら
なめらかに古典になっていけそうにはない風情なのも
いい眺めではないか
諸行無常の
お得意の風土に
いかにもお似合いで

ホッと息を
しかし
やさしく
つく

それに曳かれるように
導かれるように
だれもが
ホッと息を
しかし
やさしく
つきたいのを

分かれ
詩人なら

 

 

 

文字配列せよ 言語配列せよ

 

駿河昌樹

 
 

意識たちは巻き込まれている
上下もわからない
時間の進行方向も知れないほどの大嵐の中に

すでに何度も記してきたが
そんな中でつかの間であれポジションをとり直すのに
改行の多い言語配列は本当に有効だ
文字配列と呼んでもよい
意味などなくてよい
浮かんだ言葉や文字を連打するだけでもよい
それがあなたを救う
無意味に文字を連打するうちにポジションの回復が起こる

言語配列や文字配列を詩から解放せよ
と何度も言っておく
詩は捨てていい
あらゆる詩は古いオヤジ自我の玩具になり果てる
つき合っているうちに怠惰な自足癖が感染してくる
感傷、嘆き、希望、狭い美意識の開陳、たいして面白くもない口吻
どれも古すぎ
これからいよいよ荒くなる嵐の中を生き延びるのには効かない

詩が貧者の武器であるように
文字と言語は困窮者や遭難者の最後の道具
紙もモニター画面もなくていい
頭の中で数行なら文字を記すことはできる
慣れれば数十行を記すこともできる
そこに強迫症者のように文字を記せ
それがポジションを取り戻させ
バランスをふたたび生む

そんな具体的な道具として使用せよ
文字配列せよ
言語配列せよ

 

 

 

「浜風文庫」詩の合宿 第二回

(鬼子母神にて)2017.12.02

 

 

浜風文庫では2017年12月2日に、
鬼子母神の蕎麦屋、鮨屋にて、小さな忘年会を行い、
その後、鬼子母神から池袋まで歩き、ファミリーレストランで「詩の合宿」を行いました。

協議の末、俳句と即興詩を制作することになりました。

俳句の兼題は「忘年会」で、
即興詩は各自がタイトルを書いた紙をくじ引きしてそのタイトルで15分以内に即興詩を書くことをルールとしました。

参加者は、以下の三名です。

尾内達也
長尾高弘
さとう三千魚

今回は、合宿の一部である俳句と即興詩を公開させていただきます。

なお、
だいぶ酩酊している状態での「詩の合宿」であることを追記しておきます。

(文責 さとう三千魚)

 

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俳句

 
 

忘れてはならぬことばかり忘年会

忘年会言われるまでもなく忘れ  ☆

天心の青に洗はれ年忘れ  ☆

忘年会犬も歩けばたたかれる

あな黒し忘年会の果てるとき

忘年会忘れていいのは何のこと

忘れても思いだすのさ忘年会

酔いまして上司の背中を叩く忘年会

参加せず夜の海を見る忘年会  ☆

 
 
 

即興詩

 
 

「社会」

 

尾内達也

 

愛の実現はむずかしい
気を抜けばたちまち
力関係の中
抑圧が嫌だと言っても、
愛するにはエネルギーが
いるわな
そこが男と女のちがいだね
女は愛されて自由になる
男は愛して自由かな?
社会の わなをくぐり
ぬける
赤インクのペンで、さ

 
 
 

「鬼子母神」

 

長尾高弘

 

他にも食べるものは
あったと思うんですけどね。
なんで自分が生み出したものを
また自分の中に戻しちゃったのか。
完璧を求めていたから?
いや、ただおくびょうだったから?
でも、
子どもを食べるのをやめたとき
ほっとしたんじゃないでしょうか。
いとしいものが見つかるなんて
とても幸せなことだから。
これで安心して死ねるから。

 
 
 

「馬鹿」

 

さとう三千魚

 

東名バスに乗って
鬼子母神までやって
来た
鬼子母神では
達磨の
湯呑みを買った
これで芋焼酎を飲むんだ
馬鹿は
馬と鹿だな
馬鹿は酒を飲んで
馬や
鹿の目玉をもらうのさ

 
 
 

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由良川狂詩曲~連載第19回

第6章 悪魔たちの狂宴~正歴寺の鐘は鳴る

 

佐々木 眞

 
 

 

やがて、朝ケンちゃんが登った寺山には、虹のような琥珀色の後光が射して、西の空が美しい朱色に染まりました。
その朱色が、わずかに暮れ残ったセピア色と溶け合いながら、明暗定かならぬ幻覚を見ているような微妙な色調に、おぼろおぼろに変わる頃、正歴寺の高く澄んだ鐘の音が、綾部の町ぜんたいに子守唄のような晩祷を捧げはじめました。

 

他人おそろし
やみ夜はこわい
おやと月夜はいつもよい

ねんねしなされ
おやすみなされ
朝は早よから
おきなされ おきなされ

ねんねした子に
赤いべべ着せて
つれて参ろよ
外宮さんへ

つれて参いたら
どうしておがむ
この子一代
まめなよに まめなよに

まめで小豆で
のうらくさんで
えんど心で
暮らすよに 暮らすよに

寝た子可愛いや
起きた子にくや
にくてこの子が
つれらりょか つれらりょか

あの子見てやれ
わし見て笑ろた
わしも見てやろ
笑ろうてやろ 笑ろうてやろ

あの子見てやれ
わし見てにらむ
突いてやりたや
目の玉を 目の玉を

 

と、その時、
正歴寺さんの鐘の音が、「突いてやりたや目の玉を、目の玉を」と唄い終わった時、
ケンちゃんは、由良川全域に響き渡るような大声で、

「そうだ!」

と叫びました。

ケンちゃんは、由良川の水際の泥と水を両足でぐちゃぐちゃにかきまぜ、砂利だらけの河原をましらのように走り抜け、さまざまな自然石を足掛かりになるようにコンクリートに埋め込んだ堤防の傾斜面をイノブタのように駆けのぼり、スズメノテッポウやチガヤが生えている堤防の上の一本道に座り込んで、土の上に棒きれでなにやら地図のような見取り図のようなものを一心に描きはじめました。

それからケンちゃんは、なにを思ったのか、もうとっぷり日が暮れて誰一人いない由良川へ、静かに入ってゆきました。
そして大きなストロークで河を15メートルほどさかのぼってから、空気をうんと吸い込んでどこか深い所へ潜ってしまいました。

5分、そして10分近く経っても、ケンちゃんは浮かんできません。
どこかでなにかが、ポチャンとがねるような音がしました。あれはきっとアユかフナが、水面すれすれに飛ぶユスリカに飛びついたのでしょう。
それからさらに30分、1時間と、時はどんどん過ぎてゆきます。

おや、水浸しになった濡れ鼠のケンちゃんが、星いっぱいの夜空に、片腕を元気いっぱい振り回しながら、岸に向って泳いできます。

――やったあ、これでうまくいくぞお! チェストー!

と、ケンちゃんは北斗七星の大熊くんに向かって吠えました。
それからケンちゃんは、由良川の堤防に置いてあった自転車に軽々と飛び乗ると、西本町の「てらこ」までお得意の両手放し乗りで帰ってゆきました。

晩ごはんは、ケンちゃんの大好きなスキヤキでした。
丹波の但馬のいちばんやわらかでおいしい肉を、ケンちゃんのおばあさんがサトウをどっさりかけてお鍋でグツグツ煮込んでいきます。
そこへフとネギを加え、肉と三位一体になった大好物が奏でる香ばしいかおりと絶妙の味わい……
ケンちゃんは、ごはんを3杯もおかわりして、もうお腹がいっぱいになってしまいました。
ごはんの後ケンちゃんは、おじんちゃんに由良川での投げ網の漁のやり方についていろいろ教わってから、大好きないつもの「テレビ探偵団」も見ないでお風呂に入り、8時すぎには、もうぐっすりと眠りこけてしまったのでした。

 
 

つづく

 

 

お正月

 

みわ はるか

 
 

2018年明けましておめでとうございます。

新しい年になりました。
元日は冷たい風やたまに降るしとしとした雨を家の窓から眺めていました。
近くに有名な神社があるためか、朝も早くからぞろぞろと人が同じ方向へ歩いていました。
わたしはというと、あいにく体調をくずしてしまったので、初詣や初売りにも行かず暖かい部屋でぬくぬくと過ごしておりました。
お正月、みなさんはどのように過ごしたのでしょうか。
わたしが思い出すお正月はまだおじいちゃんもおばあちゃんも元気だった頃のお正月。
それを少しここに書き留めておきたいと思います。

父親と祖父は人を呼ぶのが好きでした。
12月の末には必ずお餅つきをしていました。
従兄弟家族はもちろんのこと、その友達、近所の人もたくさん来ていました。
機械ではなく本物の杵と臼でつくのです。
それは想像以上に大変で特に男の人がメインでつきます。
20臼くらいを1日がかりでつくのです。
つきたてのおもちはやわらかく、きな粉、あんこ、大根おろしのいずれかにつけて食べます。
保存用のお餅はお鏡さん用の丸いもの、きれいに角を作った四角のものをそれぞれ上手に作ります。
お餅とお餅がくっつかないように専用の粉を端にはつけます。
それを各家庭で焼き餅やお雑煮にするのですがそのおいしいこと。
市販のものはもう食べられません。

正月三ヶ日のいずれかには従兄弟家族たちと家ですき焼きをしました。
お正月だからと特別に買った少し豪華な牛肉。
ネギや椎茸、豆腐とともにぐつぐつと煮込みます。
キラキラしている溶いた卵につけて口に運ぶまでのどきどきした時間は幸福な瞬間でした。
生卵はあまり好きではなかったけれどすき焼きだけは特別でした。
最後に手伝わされる洗い物でさえもあまり嫌だとは感じなかったのはすき焼きの魔力でしょうか。

今はもうこの行事はなくなってしまいました。
あの頃から考えれば驚くほどみんな年を重ねました。
戦隊ものごっこで遊んでくれた従兄弟のお兄ちゃんは結婚して子供が産まれ家を建てています。
あんなにパワフルだった叔母さんと叔父さんは今では家にある小さな畑で家庭菜園をしながら静かに生きています。
妹は仕事の関係で遠くに住んでいます。
年に2、3回しか帰ってきません。
弟はインターンシップや就職活動でとても忙しそうです。
あのころ飼っていた犬は2代目の犬になりました。
みんなで一緒に食事をするためのあの大きなテーブルは部屋の端で寂しそうに収まっています。
きっともうこのテーブルが活躍する日はないでしょう。
いつかゴミとして処分される日が来るのかもしれません。

みんなあのころよりも随分年を重ねて自由に生きています。
今まで続いていたことがなくなることに違和感は感じたけれど、不思議と寂しさは感じませんでした。
自然と疎遠になること、自然とあったものが消えていくこと、それは悪いことではないような気がします。

今年もどうかいい一年でありますように。

 

 

 

「浜風文庫」詩の合宿 第一回

(蓼科高原にて)2017.11.11〜2017.11.12

 

 

浜風文庫では2017年11月11日〜12日に、
「蓼科高原ペンションサンセット」にて「詩の合宿」を行いました。

さとうの発案で参加者各自にて自身の詩と他者の好きな詩を各1編を持ち寄り、
各自の声で朗読を行うこと、
また、その後に、
各自がタイトルを書いた紙をくじ引きしてそのタイトルで15分以内に即興詩を書くこと、
そのような詩を相対化しつつ再発見するための遊びのような合宿を行いました。

参加者は、以下の4名です。

長田典子
薦田 愛
根石吉久
さとう三千魚

会場は浜風文庫に毎月、写真作品を掲載させていただいている狩野雅之さんの経営されている「蓼科高原ペンションサンセット」でした。

■「蓼科高原ペンションサンセット」

大変に、美味しい料理と自由で快適な空間を提供いただきました。
大変に、ありがとうございました。

今回は、合宿の一部である即興詩を公開させていただきます。

(文責 さとう三千魚)

 

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「平目の骨を数えて」

 

長田典子

尖る麦茶、ビシ、ビシ
尖る蜜柑、ピチ、ピチ
尖る骨、ガラ、ガラ
平目の目は上を向いているからね
だけど骨は尖っているんだ
知らなかったね
平目はおべんちゃら言いながら
ほんとは尖っているんだ
尖れ、尖れ、尖れ
平目よ、尖れ!
おべんちゃら言うな、尖れ!
いや、尖るな。
俺の箸が捌いて骨を数える
骨の数だけ空を突き刺す!
麦茶を突き刺す!
蜜柑を突き刺す!
平目よ、
雨の中に立ってろ!

 

※長田典子さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

長田典子さんの詩「世界の果てでは雨が降っている」
鈴木志郎康さんの詩「パン・バス・老婆」

 

「サルのように、ね」

 

薦田 愛

朝いちばんの光をつかまえるのは俺だ
ぬれやまない岩肌をわずかにあたためる
月の光をつかまえるのは
我先にと走りだす低俗なふるまいなど
しない俺の尻の色をみるがいい
みえないものに価値をおく輩も近ごろ
ふえているときくが
俺はゆるすことができない断じて
そっとふれてくるお前が誰だか知って
はいるがふりかえりはせずに
くらがりの扉をあけにゆく
ひとあしごとに
たちのぼる
くちはてた木の実のにおい
世界はめくれてゆく
俺のてのひらによって
紅あかと腫れあがる
初々しさにみちて

 

※薦田 愛さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

薦田 愛さんの詩「しまなみ、そして川口」
河津聖恵さんの詩「龍神」

 

「ビーナスライン」

 

根石吉久

ビーナスライン
雨の中に
光って
どこへ行ったか
南の空が明るく
西の空は暗かった
雨の中に
立っている女だった
立ってろと
サトウさんが言った

 

※根石吉久さんには即興詩の制作前に以下の詩を朗読されました。

根石吉久さんの詩「ぶー」
石垣りんさんの詩「海とりんごと」

 

「下着のせんたく」

 

さとう三千魚

明け方には
嵐だった

朝になったら晴れてしまった

それから
車のガソリンを満タンにした

52号を走ってきた
八ヶ岳を見た

下着をせんたくした

 

※さとう三千魚は即興詩の制作前に以下の詩を朗読しました。

さとう三千魚の詩「past 過去の」
渡辺 洋さんの詩「生きる」

 

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塔島ひろみ

 
 

あなたは2%ぐらいしか、私に見せてくれないのね
と、いつか言った人が 何だか今にも死にそうだ
深夜 窓のない暴走車に乗っている
スピードも落とさずに曲がるたび
母の体が砂のように ザザー ザザーと スライドする

川っぷちに行きますから
同乗する男性がマスク越しにこっそり囁き

まもなく車は ガタンガタンガタンと、何か凸凹の道に入って停まった
エンジン音が止み 静かになった

外に出ると 知らない土手下の荒れ地である
星がキラキラと輝いている
私は母をかき集め
真冬の風にしんみりと守られながら
マスクの男たちに助けられながら ここに 母を捨てた

私の嘘がキラキラと輝いて 母を照らす
母はとてもきれいだった

寝台の上に残っていたと、運転手が私に砂粒を渡してきて
車はあっという間に行ってしまった
数えると 2%ぐらいの母である
一緒に歩いて家まで帰る
まるで昨日までと同じ 母のように
まるで昨日までと同じ 私のように

 

(2017.12.18 江戸川病院救急センター処置室前で)