学び続ける力

 

みわ はるか

 
 

時々足を運ぶパン屋さんがある。
小さなところなのでお会計をしている人はいつも同じお姉さんだ。
30代前半くらいだろうか。
すらりと背の高いお姉さんは色白で美人だ。
初めて見たときは、髪をきれいな栗色に染めていて、くるくるとパーマがかかった髪をおろしていた。
背中の半分くらいまであったような気がする。
久しぶりにまたパンが食べたくてそこに出向くと、パンを並べるのに忙しそうな同じお姉さんの姿があった。
髪は黒色になっていて、高い位置で1つに結んでまとめられていた。
桜の形をした可愛らしいバレッタで上から留めてあった。
振り向いたお姉さんの顔は前見たときと同じだったけれど、ほんのり頬に添えられたチークは赤色だったのが柔らかいピンク色に変わっていた。
時は人を変えるんだな。
人は何かしら物事に飽きるんだな。
色んなものに触発されるんだな。
何かを吸収したり学んだりすることはとても有意義だと思う。

わたしは山や川に囲まれた、よく言えば大自然に見守られて育った。
コンビニやスーパーは近くにないし、商業施設や娯楽施設もない。
ないないづくしの町だ。
そんな中で母親はよく図書館へ連れていってくれた。
1度に15冊まで借りられたので、絵本や小説、紙芝居、歴史本など目一杯借りていた。
カラフルな絵で書かれた本はわたしをわくわくした気分にしてくれたし、小説の中の世界はわたしに外界の世界を教えてくれた。
でもそれはあくまで本の中の世界だと思っていたので、現実世界にも色んなものがあって色んな体験ができると知るのはまだずっと後の話だ。
東京で長い間暮らしていた父は家で作られたご飯を食べることを好んでいたので家族で外食に行った記憶はほとんどない。
必然的にそういうお店があることを知らなかったし、なんとなくは分かってもそれがどういうものなのか想像するしかなかった。
旅行もあまり好きでなかった父の考えでみんなでどこかへ行って、何か有名なものの前でピースサインをする写真もほぼない。
ただ、ほったらかしにされていたわけでもなくて、学校のイベントや成長した姿の小さい頃の写真はたくさんアルバムに収められている。
人を家に呼ぶのが好きだった父は、よくみんなでバーベーキューをしたり、鍋をつついたりした。
店屋物をよくとっていた記憶がある。
夏にはカブトムシや蛍を見に河原に連れていってくれたし、夏休みのラジオ体操やプールをずる休みしようとするとものすごい勢いで怒られた。

わたし自身の話となると、大人になった今は某有名化粧品が大好きで、服や靴のショッピングも好む。
ただ高校生まではそういうものに一切興味がなくて、朝、顔を洗うのに使うのは水だけだったし、服も制服とジャージがあれば十分だった。
困ったことは高校の修学旅行だった。3泊4日沖縄へ行くことに決まったのだけれど私服でというのが条件だった。ほとんど何もないクローゼットのどこを探しても着ていけるような服は見つからなかった。
その時は幼馴染みでお洒落な高校生活を満喫していた友達に一緒にショッピングモールを巡ってもらい事なきを得たのだけれど、その時間は苦痛だった。
その次の壁は大学入学前の時だった。
さすがに大学生ともなれば女の子は化粧がほぼ当たり前、毎日の生活も私服、鞄や靴も自由。
わたしにとっては大きな大きな環境の変化だった。
このときもあの例の幼馴染みに頭を下げてお願いして服やら靴やら全部助言してもらった。
化粧の仕方も一から教えてもらって感謝はしているが、彼女は少し濃すぎるのでその後自分でアレンジした。
この頃からきちんと洗顔や化粧水、乳液、美容クリームなど基礎的なお手入れを始めた。
美容院でしか売っていない少し高くて髪のキューティクルにいいシャンプーやトリートメントを買い始めたのもこの頃だ。
慣れないわたしの格好や化粧はのちのち人前に出てもまあましだと思われるようになったとは思うけれど、大学入学当初はものすごくださかったと思う。
それを大学の友人に確かめるのは怖いので今でも聞けずにいる。

大学入学後はまさに本の中の世界を見ているような気分だった。
少し都会に位置していたので、食べるところや着るものが売っているお店、お洒落なインテリアショップなど本当に何でもあった。
人の多さに圧倒されたし、女の人はきれいな人が多かった。
焼肉、イタリア料理、ワイン、和食、商業施設と複合してある温泉、髪を奇抜に染めた店員さんで構成される美容院…。
驚きの連続だった。
世界の入り口にやっとたどり着いたような気分だった。
もちろん勉学もそうだけれど多くのことを学んで吸収して取り組んだ時期の1つだった。
こんな田舎から出てきたわたしに懇切丁寧に様々なことを教えてくれた周りの人には感謝している。

何かを学ぶことをやめたらきっと人生はものすごくつまらない。
そんな気がする。