受けとめず流されながらゆくおろおろと

 

ヒヨコブタ

 
 

花ひと鉢買い求め
水をやる
おそるおそる
枯らしてしまうのが得意で
いつもおそるおそる手を伸ばしてきた

あなたの報せは性急なことではないはずで
それなのにあまりの動揺にわたしはわたしに驚く
自然なことに近いといってもいいほど
緩やかな旅立ちを迎えるあなたの

動揺はあらゆる混乱に繋がるから
あえて断つことを決め
腹も決める
それでも泣くだろうか
わたしは
葬儀での笑いというものをあまり信じない
田舎のしきたりの陰口も

それでも泣くだろうか
なににたいして

旅立つとはなんなのだろう
あなたにとって
わたしにとって
誰もそれを避けられぬなら
あなたも避けたいだろうか

傷ついた街にあなたがいる
今夜もこの世界にいる
わたしのことは忘れたのを知っている
それでいい
手を握る誰かの温もりがあなたに
不安の代わりにあればいい

あなたの傍にいたひとが愛した花を
わたしは覚えている
そしてその鉢をわたしは愛するだろう
そのひとがどう生きたかをも考えるだろう

なんのために

生きているからわからない
生きていないと答のようなものすら見えない
ただ息をして明日を待とう
あなたと

 

 

 

ピンナップス

 

今井義行

 
 

 

三畳ほどの わたしの小さな 書斎です
PCとスマホ・タブレットを連動させて
います 何か湧いてきたら詩作をします
フェイスブックの投稿・閲覧もここから

*

今日も早朝覚醒だ 涼しくひと気の無い
早朝散歩の後にはノンアルコールビール
強い抗鬱剤と睡眠導入剤が劇的に効いて
9月の私は生まれ変わったような気分だ

*

今日も早朝覚醒だ 涼しくひと気の無い
早朝散歩の後 朝食 今日の幸いを想う

さまざまな時にさまざまな光と出遭った
さまざまな場でさまざまな光と出遭った

*

Have a nice day! 良い連休を!

*

母のおもいで──・・・・
ゆっくりと 歩きながら、還っていった。

*

東京・下町 平井の街を散歩してみると
たくさんの 青い物が ある街と気づく

*
さとう三千魚 様

詩の原稿を、メールにてお送りいたしました。
よろしくお願いいたします。

今井義行 拝

*

摂食障害(過食症)に、苦しんでいます。
連続飲酒ではなく、連続飲食・・・・・
冷蔵庫にあるものはあればあるだけ食べ
我慢できずに深夜でもスーパーへ向かう。
強い抗うつ剤の副作用か初めての経験だ。

*

内蔵バッテリーが消耗してしまったので、
スマホ機種変更。HUAWEI P20lite。

国産 Android から中華系への乗換えです。
価格は安くなり高性能化の著しさに驚く。
暫く遊べるかと思っていたら遊ばれてる。

*

さとう三千魚 様

詩の原稿を、メールにてお送りいたしました。
よろしくお願いいたします。

今井義行 拝

*

Twitter で、見つけた。その通りだと思う。
≪書けなくても、「書きたい」という気持ちはなくならない。しかし、書けなくなったとき、 何とかして書き続ける方策を求め続けるか、また書かないでそのままになってしまうか、と いうことの間には大きな差がある。≫(鈴木志郎康『現代詩の理解』p46)

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さとう三千魚 様

詩の原稿をお送りいたします。
「ワードファイル」1 点と「画像ファイル」1 点です。
よろしくお願いいたします。

※詩の 1 行が長過ぎる場合の、行の折り返し方については、
さとうさんにお任せいたします。

今井義行 拝

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新しい詩を、公開しました。
お読み頂ければ嬉しいです。

https://1drv.ms/w/s!AuMKztyQPhUJ-GKmDLAWG4spupWH

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«ご案内»

わたしの新詩集『Meeting Of The
Soul (たましい、し、あわせ)』を
自分の在庫分からも販売したいと
思います。
定価 2700 円(税込)を 2000 円(税込)
にて直販したいと思います。

ご希望の方は、ご住所明記の上、
メッセージでお知らせください。

今井義行

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今日も早朝覚醒だ 涼しくひと気の無い
早朝散歩の後 朝食 今日の幸いを想う

さまざまな時にさまざまな光と出遭った
さまざまな場でさまざまな光と出遭った

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関聡美 様

こんにちは。
今日、詩集の代金、確かに受領いたしました。
ご購入くださって、本当にありがとうございました。

取り急ぎ、お報せまで。

今井義行 拝

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概ねが 休暇にちかい わたしは
午前中に 2005年に出した 自分の詩集を
読み返していました
詩集としてどうかという箇所は多かった
が、〈季節はどの花にも責任をもつひつようはなかった〉
という一行を 記録できたのは 良かった

 

 

 

ポロポロ

 

辻 和人

 

出ないより
出た方がいいよね
ずっといいよね
出るぞ
出る
出る

ポロ

ポロポロ

しっぽの付け根の骨が折れて
脊髄やられて
自力でおしっこができなくなったレド
毎朝病院で膀胱に溜まったおしっこを取ってもらってるところだけど
それだけじゃあない
うんちも思うようにはいかない
おしっこと逆
出ないじゃなくて
出ちゃうんだ
お尻の神経の感覚なくなっちゃってるから

週末、実家に飛んで帰る
相変わらずよたよた歩きのレドちゃん
ぼくを見てぴたっと静止
たまにしか帰らないからちょっと警戒心ありのレドちゃんだ
そんな時の秘策
床に膝をついたカッコで
人差し指を揺らすのさ
ほうら、ほら
レドの目も左右に揺れ始める
ヒョコッ、ヒョコタッ
匂いを嗅ぎに近づいてきた
揺れが鉤になって
レドの心を引っかける
揺れ揺れ作戦、成功だ
ようやくぼくを見分けたみたい
甘えた鼻が近づいてくるぞ
丁度その時

ポロ

ポロポロ

床の上にまあるい黒い塊
うんちだよ
いつもは必ず猫砂の上でするのに
ああ、やっぱり排泄する感覚がなくなってるんだ
おしっこが自分でできなくなって
うんちもままならない
何てかわいそうなんだろう

ところがレドの考えは違うようだ
かわいそう、なんておかまいなし
揺れる指先に夢中になって鼻面を擦りつけてくる

抱きかかえて
裏返して
仰向けの状態になったレドをこちょこちょ揺らす
とろりとした半目
鋭い歯が覗くうっとり半開きの口
湾曲したお尻からは
したばかりの匂いが
ぷーん
レドもぼくも匂いも
揺れに揺れてる

おしっこは出ないけど
うんちは出るじゃん
おしっこは出ないけど
うんちは出るじゃん

おしっこは人の手で取らなきゃいけないけど
うんちは勝手に出してくれるんだ
出るべきものがちゃんと出る
それでいいって
レドの揺れる全身が言ってる
ぼくのこちょこちょも
それでいいって
揺らす指全体で
言ってる言ってる

出ないより
出た方がいいよね
ずっといいよね
出るぞ
出る
出る

ポロ

ポロポロ

出ろ
出ろ

 

 

 

新・冒険論 16

 

帰ってきた

ここのところ
歌を

聴いてた
工藤冬里の

徘徊老人を聴いてた
海まで走っていった

それから
Thinking”Bout Youも聴いた

きみはいないが
歌は渡る

歌は
鳥のように渡る

そこに
きみがいる

今日

姉に電話した

留萌から帰ってきたと姉は言った
電話の向こうで笑った

 

 

 

片肺の里水を吸う

 

萩原健次郎

 
 


 

片肺の     空がカラ
急勾配の
修行僧の     色の渦
延着の   沈んだ
素足の      味噌
粗暴の        眉間を切る
藍の  鹿肉
空白空白空白空白空白空白空白空白羽根に舐められる

耐える
絶える       修験
堪える

悶える
白む        石仏
消尽する
去る            後髪
棲む
濁る
空白空白空白空白空白空白空白空白泣き止まない

遊星
六芒
荒神
空白空白空白空白空白空白空白空白発火した池

私に、宣告された
猫の燃える、煙。
川面に、貌を落とす。





空白空白空白空白空白空白空白空白全焼

私が、昭和を一息に飲み干して、それを
尿と糞に溶かして、器に打ち捨てることは
泣く女と無関係で
宗教なんぞは、想念の便なのだ。
風景に、討死する人を見よ。
ちり紙交換の車を運転する人を見よ。

紙は、神で。

魔、多、羅、ららっ
斑に生きる、二足の虫。

混ざり
後退り
看取り

天に往ったり、戻ってきたり。

 

 

 

2018年 夏の歌

 

佐々木 眞

 
 

 
 

夏の歌 Ⅰ 「花と蝶」

 

朝、我が家にやってきた一頭のナガサキアゲハが、
いまを盛りと咲き誇る天青の、 ほぼすべての花弁に、
次々に黒い頭を突っ込んで 、
甘い蜜を、存分に吸っていました。
夕べには息絶えた、朝顔の花々は、
どんなにか、うれしかったことでしょう。

 
 

夏の歌 Ⅱ 「挽歌」

 

眩しい真夏の光の下、
滑川の上流で戯れていた鮎たちは、
海の方へ下っていった。

いたどりの葉っぱの上で、
ひねもす交尾していたゴマダラカミキリは、
どこか遠くへ行ってしまった。

阿弥陀山の中腹で、
なにやら怪しげな呪文を呟いていた不如帰は、
行き合いの空で、行方不明になった。

だが、朝夷奈峠の麓には、
まだわずかばかりのセミたちがいて、
去りゆく夏への挽歌をうたっている。

 
 

夏の歌 Ⅲ 「酔芙蓉」

 

むかしあるところに、おじいさんとおばあさんが、仲良く暮らしておりました。

ある朝、おじいさんとおばあさんが障子を開けると、庭に白い花が咲いておりました。

おじいさんが「ばあさんや、きれいな花だねえ。あれはなんという名前かのお」と尋ねると、おばあさんは、「あれかい、あれは芙蓉というんじゃよ」と、花の名前を教えてくれました。

その日の午後のことです。
山の芝刈りから帰ってきたおじいさんが、芙蓉の花を見ると、なんと白かったはずの花の色が紅くなっておりました。

「これはどうしたことじゃ。ばあさん大変だ。あの芙蓉を見てごらん。朝は白かったのに、いまは紅くなっておる」

針を持ったまま縁側に駆けつけたおばあさんも、あまりのことにびっくりです。

「おやおや、まあまあ、不思議な芙蓉だこと」と、二人揃って紅い芙蓉をまじまじと見つめていますと、突然紅い芙蓉のその色が、またしてもポポッと赤らんだではありませんか。

「おい、ばあさん。いまのを見たかい。芙蓉のやつ、おれたちに見つめられたので恥ずかしくなったんだよ」

と、おじいさんがうれしそうにいうと、おばあさんも「ほんにそのようでしたね」と答え、二人で顔を見合わせて「おほほほほ」と笑ったのでした。

いつのまにやら短い夏の日はとっぷりと暮れ、どこかでコオロギが鳴き始めたようです。