灯台

 

正山千夏

 
 

忘れられない
あの目のひかり
本人さえもたぶん気づいてない
きっと子どもの頃からの
まるで母親を慕うような
さびしげなあの目

暗闇の中に
浮かぶおぼろげな
あの目のひかりを見つけると
私はいつのまにか
風に吹かれる船のよう
灯台へ向かう

いやもしかしたら
私の目もそんなふうに
光っているのかも
背筋をまっすぐに伸ばして
かんがえてみるのです
灯台のように

 

 

 

半分のなにかと

 

ヒヨコブタ

 
 

うつくしいと感じるとき
半分のわたしになる
いつもほんとうはそうかもしれないこと
それを強く感じるだけなのかもしれないけれど

もう半分がなにを感じ
なにを見ているのか掴めない
ぼんやりそんなことを繰り返す

他者が近しい存在であれば
もっとそれ以上の半分が生まれていく
少しずつぼやかしながら
その感覚をぼやかしながら生きているよう

黒い気持ち、負のなにかを嫌悪し続けることをいまもしたくない
少し前に思う日々がずっしり重みのある年単位になって
半分のわたしが処理してきたり理由づけをしてきたのかとも

あえてつくりだした世界を語ったわたしはもう必要ない
反射のような防御だとしても

飛び去るようなはやさも焦燥も落ちつかせるのに
これだけの時間が必要だったのか
いまがほとんどの理想を叶えていなくても
しゅんかんに助けられること
温もりのあるひとやことばであるなら
概ねよかったんだ

あのひとやあのひとと微笑みたい
叶わなくてもあたたかなことは
なんと呼べばいいのかわたしはまだ知らなくて
知らないから明日を待ちたくて

 

 

 

ノラは

 

今朝も
早く目覚めた

曇ってた

それで河口まで走った
ノラたちは

いなかった

いつも
河口沿いのアスファルト道の

柵のうえにいる

黒猫と
白猫と
赤猫と

白黒の子猫と
黒い子猫と

いつも柵のところで

海を背負って
こちらをみている

ノラは
飼われているのではない

誰かたまに
餌をやるのかもしれないが

餌を
あてにしている

わけでもない

ノラは野良のことか
ノラは浮浪のことか

ノラは

雨の日や
晴れた日や
風の日も

みたことがある

しろい雲が青空にポカンと浮かんだ日に

ノラは
砂に埋もれた

テトラのうえにいた

ノラはノラで生きていくだろう
ノラはノラで死んでいくだろう

 

 

 

懐かしくて嫌なもの

 

辻 和人

 

微かなグレーの匂いが
ひょうんひょうん
上下しながら
歩いてる
ここ
喫煙が許された喫茶店
禁煙・分煙の風潮ものともせず
堂々
生き残ってる
備え付けの「ゴルゴ13」読みながら
おいしくもまずくもないブレンド啜ってるぼくは
煙草吸わない派の人間
大学生の時、勧められて1本に火をつけて
吸い込んだ途端、頭くらくらっ
もう煙草なんか吸うもんか
ところが
周りに煙草吸う人だんだんいなくなってきて
ぼくに勧めた奴も禁煙して
飲食店も煙草禁止になってきて
そしたらさ
ちょっと寂しい
煙は嫌いだけど
なくなったら寂しい
と思ってたらこの店見つけた
頭の薄いおじさんが入ってきましたよ
まだ肌寒い春先なのにサンダルつっかけて
入り口近くのどかっと座るなりポケットから四角い箱
カチッ、カチッ、ぷぅー
おじさん、目がうつろ
うっとり
そしてだらしなく開いた口元からグレーのあれが
ひょうんひょうん
歩き出す
歩き出したはいいけど
渦巻く元気はみるみる衰える
ひょ……うんと細い紐のようになって
もう紐の形態を取ることも難しいぞ
ひょ……うん……ひょうん
グレーの微かな匂いだけが
ここまでやっと届いてきました
お疲れ様
ひょうんひょうん、は
嫌いだけど
ちょっと懐かしい匂い
お、もう一人
目をキョロキョロさせて隅っこの席にちょこんと座った20歳過ぎくらいの女の子
花柄バッグを開けるや否や
取り出したのは何とおじさんと同じデザインの四角い箱だ
目細めて
うっとりうっとりうっとり
ひょうんひょうんひょうん
派手なピンクの口紅塗った口からグレーのあれが
元気に歩き出した
微妙に上下しながら
ぼくのところまで来るかな?
ひょ……うん
グレーの匂いの襞の襞みたいのがテーブルの端っこに絡みつきました
嫌いだけど
お疲れ様
嫌いだけど
よく頑張った
開いたページの中では
「俺は依頼主の感傷には興味がない。用件を話してくれ」と言い放ち
おもむろにゴルゴが煙草に火をつける
嫌な奴だけど
連載終わったら寂しい
懐かしくて嫌なものに囲まれてると
ちょっと感傷的になりますね
ひょうんひょうん

 

 

 

新・冒険論 21

 

今朝
早く目覚めた

西の山の上に満月はいた

河口まで
走っていった

海辺で
ノラと会った

黒猫と白黒の子猫だった

テトラには
海鵜たちが佇っていた

歌には
いない父はいらない

酸素も
愛も

いらない

夏の日に砂地に踠いていた
歌は

ひとりで帰ってきた

歌は
渡っていった

満月は
白くひかっていた

 

 

 

届かない

 

きのう
かな

オカモトさんという方のfbで

良寛の
般若心経の書をみた

そこに
風はあった

穢れのないと
いうのか

一瞬の風だった

それから

きのう
ササキマコトさんの

「この世は、時々うつくしい。」という詩を読んだ

美容院で短めのボブにして帰ってきた奥さんを
美しいと思う詩だった

今日は春分の日で
雨の朝

河口まで走ってきた

細野晴臣さんの「ぼくはちょっと」という歌を聴いて
走ってきた

ぼくはちょっと黙るつもりです
という歌だ

小雨のなか海はわずかにうねって
いて

テトラポッドに海鵜が佇っていた

西の山が
群青だった

帰ってから
義母に線香を一本たてた

この歳で気づいた

届かない思いというものがある
届かないことばもある

だから
抱いていく

抱いて

そこへ
持っていく

 

 

 

この世は、時々うつくしい。

―Et nous nous resterons sur la terre Qui est quelquefois si jolie Jacques Prévert「PATER NOSTER」
 

西暦2019年3月の歌

 

佐々木 眞

 
 

 

雨が上がって、風が吹く。
東の空いっぱいに弧を描いて
久しぶりに大きな虹が出ている。
この世は、時々うつくしい。

どこかで、グヮッ、グヮッ、グヮッと声がする。
滑川を覗き込んだら、春の水の上で
六羽のカモたちが、翼を拡げて駆け回っている。
この世は、時々うつくしい。

妻が、美容院から戻ってきた。
すっかり白くなった髪を、短めのボブにして
その姿は映画『ジャイアンツ』のエリザベス・テーラーに、ちょっと似ている。
この世は、時々うつくしい。

ドナルド・キーンやアンドレ・プレヴィン
ブルーノ・ガンツやカール・ラガーフェルドは亡くなったが、
わが鈴木志郎康や岡井隆は生きている。
この世は、時々うつくしい。

三寒四温の温の日。
イヌフグリの花と葉っぱの上で
今年初めて誕生したキチョウが、微かに翅を震わせている。
この世は、時々うつくしい。

白血病の堀江璃花子選手が「私は全力で生きます!」と宣言し、
私の妹も、抗がん剤の激烈な苦しみと闘いながら
「がんばります!」とメールを寄越す。
この世は、時々うつくしい。

東京千駄ヶ谷国立能楽堂の「第18回青翔会」。
能「海人」の後シテ役で、龍女に扮した宝生流の佐野玄宜が
くるりくるりと「早舞」を舞う。
この世は、時々うつくしい。

高木建材の前の小道で、突然ウグイスが鳴き始めた。
二声目を待っているが、なかなか鳴かないので、
私は、道端の煉瓦の上にどっかり腰を下ろし、それを待っている。
この世は、時々うつくしい。