マンモグラヒィ~

 

正山千夏

 
 

今年もマンモグラヒィ〜受けてきた
ただでさえないおっぱいを
下敷きばりに薄っぺらくのばされて
今朝は左右のおっぱいが
思春期のように痛むわたくしです嗚呼

日本人の半数ががんになるこのご時世
ヒトゲノムの解読は進み
がんが不治の病でなくなるのも
あと数十年?
わたくしの生きてるうちにそうなりそう

がん細胞はウィルスや細菌とはちがい
もともと体の中にあった細胞から発生する異常な細胞だと
ふつうの細胞は臓器やら器官やら組織やら
いろいろなモノになるのに
がん細胞は何にもならないんだよと

聞いたわたくしは思った
それって体が死へと向かっていく
最初のプロセスのところなんじゃないか
それをもうすぐ食い止めることができるようになるのだとしたら
人類はとうとう
ひとつの死を克服することに成功するのですね

わたくしは想像する
がんが不治の病でなくなる世界
人類は
今度は何が原因で死ぬのだろう
さらにもっと恐ろしい不治の病が現れるのかな嗚呼

高度な人工知能が仕事のほとんどをこなし
大変便利になった世の中
働き方改革は難航しているけれど
いつかそのうち完成するのでしょう
人類が産業革命以来ずっと追求してきた
豊かな時間のその先で

不死になるわたくしが
したかったことって何
有り余る時間をもって
したいことって何
今朝は左右のおっぱいが
思春期のように痛むわたくしです

 

 

 

ひとすじの

 

ヒヨコブタ

 
 

夢みたものはちいさな幸福で
願ったものはちいさな愛
だった
いつも、いつからか

どこか儚げなのに
このことばはわたしから離れない

独りにしない、独りだとまず思わない
わたしが
というのはここにあるのかもしれない
たとえどう見られようとも

独りを感じるのはとても容易く
とても淋しいものだと
過去のわたしは
いう

いつからかきれいな嘘をつくことになれていた
他者が納得するだろうことを並べて
生き延びるためだとしたら
よくやったともいえるのか

この輪のなかにあんたは入れないと
子どもの遊びにもある残酷さ
入れないという子達の気持ちを想像する
待って
わたしは
入りたくないのといわない
強情に
入りたくないと
いわずに

輪のなかにいないでいるひとが
たくさんいたことに
いつか気がついた
いないと決めたひとの年月も歳もさまざまに
そのひとたちを
ときどき思い出す

懸命に生きていることは変わらない
誰もがそうだろうに
なにかをはじきだすことに
意味を感じられずに
きた

うつくしいと思うことも
そうでないと放つことも
自由なら
わたしは
うつくしいと感じることができるしゅんかんを
切り取っておく
ふりかえるとき
そこに誰がいるか
こころはいつも躍る
ことばもひとも
じぶんに留めて
もうすこしだけ泳いで
夢みたばしょにいつかたどりつけますようにと
今日も
大切なことを切り取って
いる

 

 

 

ある晴れた日に

 

佐々木 眞

 
 

ある晴れた日に
私は遠いところへいくだろう
ギフチョウ タンポポ ホトトギス
滑川のカワセミやウナサブロウに別れを告げて

ある晴れた日に
私は遠いところへいくだろう
大好きな君たちやお世話になったみなさんに
深い感謝を捧げながら

ある晴れた日に
私は遠いところへいくだろう
まだいったことはないけれど
なぜだか懐かしいあの場所へ

ある晴れた日に
私は遠いところへいくだろう
たとえその日が土砂降りだろうと
私の心は青空だ

 

 

 

あなたはフレームだけになった *

 

ゴミ出しに
いった

モコといった

ブーゲンビリアの赤い花が咲いてた

いつも
モコはついてくる

昨日
工藤冬里の

詩の中に

羊がでていた

“羊という字はリスカを想わせる” *

そう
書かれていた

此の世には
リストカットをするヒトも

いる

しないヒトも
いる

“見えない人が見えるようになり” *
“見える人が見えないようになるために” *

とも
書かれていた

たくさんのヒトたちがいま殺されているだろう

どうなんだろうか
イマジン

団塊たち

どうなんだろう
若者たち

今朝は
モコとゴミ出しにいった

帰って

ソファーに
座って

イマジンを聴いた

“あなたはフレームだけになった” *
“あなたはフレームだけになった” *

眼鏡を
外して

いつまでもきみの裸をみていたい

 

* 工藤冬里 詩「めがね屋」より引用

 

 

 

世界で一番美しい光景

 

辻 和人

 
 

2つの丸い目
最初きょとん
次にぐわって感じ

良かった、元気にしてた
帰りの小田急線は空いていて
真っ暗な窓の外は回想に耽るのにもってこい
実家へ様子を見に行ったんだ
大ケガして排尿・排便が困難になったレド
腰はおしめで巻かれてる
肛門の周辺の神経が麻痺してるからウンチを貯められない
作られたウンチはポロポロお尻の穴から零れて床に落ちちゃうから
おしめをすることに決めたんだ
おしめを嫌がったのはたった1日
早くも運命を受け入れた
白い異物が巻きついた新しい体を受け入れた
おしめの布を上手に避けて体を舐め舐め
それがずっと昔からのやり方であるように舐め舐め
取り替える時もじっとしていて
頭を撫でてやると気持ちよさそうに目を細める
細くしなる目尻が、今
電車の窓枠に置いたぼくの左手を
にゅくにゅく這って、消えた、よ

レドと言えば思い出す
2009年11月14日(土)
ちょっと寒い夜
2つの丸い目が光った

祐天寺のアパートでかまっていたノラ猫たちが次々いなくなった
レドもその一匹
猫嫌いの誰かが捕獲機を仕掛けたんだ
ファミは何とか助けて実家の家猫にしたけど
他の猫たちはみんないなくなってしまった
それが2009年の初夏
でね
あきらめきれなくてね
夜な夜な街を彷徨って猫路地を見つけては
いなくなった猫たちを探してた
秋に入る頃は半ば以上諦めてて
探すっていうより
「探す自分」の亡霊みたくなってた
亡霊になるって変な気分
歩いてるのに足の感覚なくって
道路をすーっと漂ってる
亡霊になりきってしまえば
目的喪失して移動だけ
すーっすーっ
そんな気楽さがあって
どうてもうういやって
ちょっと心地よかったな
それがだよ

2009年11月14日(土)
ちょっと寒い夜、駅近くのマンションの駐車場で
目的喪失したいつもの調子で停めてあった車の下を覗き込んだら
2つの丸い目が光った
きょとん
背を丸めて座ってた
きょとん
目が合った
イチ、ニィ、サン、シ、……
ぐわっ
目の光が強い閃光に変化して
ぼくもそいつも凍りついた

レド、レド
レド

閃光の中で
ウググゥー
ウググゥー
走り寄ってきた
強い力で膝にぶつかってきた
さっきまで亡霊だったぼくは
途端、亡霊でなくなった
膝に登ってきたものの頭を撫でて
うーん、人間のぼくの方がだな
衝動的に
うん、なんでかなー
レドの片耳を軽く噛んだんだな
うん、噛んじゃった
耳には三角形のカット
ぼくが受けさせた不妊手術の印だ
汚れた白い毛が舌に残ってぺっと吐き出した
膝に伸びた爪がぐいぐい食い込んで痛かったな
ウググゥー、唸りながら
ぼくの顎に何度も鼻先を強く突きつけてくるから痛かったな
痛いまま
閃光の中で抱き合っていた、な

それからさ
毎晩レドの好きなお刺身かなんかを持って
深夜のマンションの駐車場を訪ねたさ
この地域のエサやりさんの保護を受けていたらしく
レドはエサには困ってなくてむしろ丸々太ってた
エサを巡って他の猫とケンカしたんだろうね
レドの背中には小さな嚙み傷が幾つかあったさ
このままアパートに連れて帰るとまた同じことが起きるから
しばらくここで面倒をみようって思ったさ
だけどそうはいかなかったさ
ある日、帰ろうとするとどこまでもどこまでもついてきたさ
いつもは「帰れ」という怒ったみたいな仕草をするとビクついて駐車場に戻るのに
その日は何度「帰れ」をやってもついてきたさ
帰れ、帰れ
ビクッと立ち止まっても
少しするとトトトッとついてくる
仕方なくアパートに連れてきちゃったさ
そしたら大変さ
部屋に入れろっ部屋入れろって
ガラス戸に体をガンガンぶつけてきたさ
その音のうるさいことうるさいこと
実家にまた助けを求めたさ
「すいません、ファミの他にもう1匹家に置いて欲しい猫がいるんだけど」
そうして連れてきた猫レドが
はい、今は白いおしめ巻いて
人間の横でくつろいでるってさ

もうすぐ登戸だな
南武線に乗り換えだな
府中本町から武蔵野線で西国分寺、中央線に乗り換えて40分
ゴトンゴトン
小田急線はしんとしてて

だから
美しいってどういうことか?
なんてことゴトンゴトン考えてしまう
コンサートに行って名曲を聴いて
春になって桜が咲いて
「ああ、美しいなあ」って感じますよね
大抵の「美しいもの」は
準備がそれなりに整った上でそう感じる
だけど
その最中はどうってことなかったり
或いは無我夢中でわけがわからなかったりしても
後で「ああ、美しい」ってくることがある
いわゆる美化って奴
子供の頃の思い出なんかが代表格
想像力で増幅されるから最強

今、ぼくの頭の中で
ちょっと寒い夜
2つの丸い目が光ってる
最初きょとん
次にぐわって感じ
世界で一番美しい光景
ぼくにとっての
最強の
増幅されてく増幅されてく

 

 

 

めがね屋

 

工藤冬里

 
 

羊という字はリスカを想わせる
白と紫を基調とした挿絵の中の 海鞘色した私達は捲られ
さまざまな色かたちの眼鏡の フレームだけが残された
だから「眼鏡のドクターアイズ 新居浜店」の手持ち無沙汰なあなたは
白と紫を基調とした余白の中で
今はあっても将来なくなるもの を拭いているのだ
あなたはあなたの若さを差し出す
規約より原則に従順な羊として
見えない人が見えるようになり
見える人が見えないようになるために
私達の海鞘色の頁は捲られて
もはや死はなく
あなたは フレームだけになった嘆きと叫びと苦痛を 拭く

 

 

 

エリーゼのために

 

佐々木 眞

 
 

私が住んでいる町では、毎日ゴミを選別して出さなければならない。

毎朝8時20分までに町内のゴミ置き場にゴミを出すのは、
私の仕事である。

月曜日は、燃えるゴミの日。

火曜日は、段ボールや本や新聞や衣類の日。

水曜日は、さまざまな草や木や薪を出す日。ペットボトルもこの日に。

木曜日は、もう一度、燃えるゴミの日。

金曜日はプラスティックや燃えないゴミ、ビンや缶を出す日だが、
最近その分量がどんどん増えてきたために、週に1回だけではパンクしそうだ。

そして土曜日は、子供会が特別にカンを収集する日である。

けれど、日曜日はお休み。誰も、何も、出さない。

そこである日のこと、私はふと思いついた。もはや巨大な粗大ゴミと化した私を、当局には多大な御迷惑をお掛けしてしまう訳ではあるけれど、市の収集車で運んでもらって、思い切りよく処分していただこうではないか。

私は妻にも相談せず、長い時間をかけ、汗みどろになって私の全身に丁寧にヒモを掛け、芋虫のようになった私を、えっちらおっちら和泉橋のたもとの、いつものゴミ捨て場に自力で運んだ。

待つことしばし。風に乗ってどこかから「エリーゼの為に」のメロディが流れてきた。イ長調、ロンド形式のピアノ曲。編曲はいまいちだが、やせてもかれてもルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの原曲だ。

わが家で夢中になって見ていた連続ドラマ「風のガーデン」の主題歌が、わが町の収集車のテーマ音楽にもなっているようだ。

さあ、いよいよやってくるぞ。早く来い。やって来い。
35年間にわたって日本一高いともいわれる市民税を黙って払い続けてきたのだから、
始末に負えない難儀なこの私を、どうぞ捨ててくれ。どっか遠いところに持ってってくれえ。

と、私は願った。ある晴れた日曜日の朝に。