ばっこばっこ、ははは

 

薦田 愛

 

ばっこばっこ
はは、ばっこ。
跋扈する母、闊歩
いっぽ、独歩、
どの
いや
そっぽをむいて
わたし。

長く暮らした東京をはなれ
戻らないと言っていた土地へ戻ったひと
はは
母という
ばっこばっこ
はは ばっこ
その母
蠢動する
うごめくはる
はなれて一年の東京にあらわれた
という噂

「ママとご飯食べたわよ」

ばっこばっこ
はは ばっこ

つきひは一年を
さかのぼる

五月
しらっとして

五月だった
書き置き四行のこし
いなくなった
スッと
ひとひとり
母というひと

紙の上にある文字の主の
部屋から小型キャリーと携帯と充電地が消えていた
ととのえる音だったろうか
聞こえていた
深夜
聞こえるとおもいながら眠りにおちた
ふすま一枚向こうを去っていた
ひとひとり
母という

みひらく目の先の
がらんどう
声のない

翌朝はたらきに出て
夜もどる
しらっとがらんと
閉めきった窓のうち雨の匂い
さがすねがいをだすなら要るかと
プリントアウトしたひとつき前の
旅先で機嫌よくわらった顔
雨だから今夜はよそう

るると鳴ったか
じじとだったか
電話
母というひとの弟すなわち叔父の声
とおい
とおいときいたのはなぜだったか
さぬき言葉だったからか
「お母さん来とるよ。明日帰るから、東京に」
「ここに来るしかないってわかっとるやろ」
なぜ
なぜわかるとおもう
ひとひとりのことを
わかるなどとなぜ
そして
書き置きのこしてなぜ明日
東京に
えっと言ったかああと言ったか
ため息は出たのだったか

メールは
帰るという日の午後
三行だったか四行だったか
叔父すなわちそのひとの弟の
敷いたレールの上を
空白*改めてみると二行
空白空0簡略いなカジュアルな口ぶりで

ばっこばっこ
母ばっこ
八十二歳の母、跋扈
年初の小倉行きの切符は揃えたが
ふるさとさぬきくらい
おちゃのこさいさい

「優しくしてあげてや」
と電話の叔父
なにを言えば
どう話せばいいのか
もうわからないのだった
帰ってくるというひとに
むけよと言われる
笑顔がつくれないのだった

ごっこ
ごっこだったのか
ずっと仲のいい親子に
見えたろう思われたろう
思っていた
うっかり
水をむければ応えるひとを
もてなすのが習いになっていた
おんぶにだっこ
あんたにわるい
言われれば打ち消す
くりかえしだった
あとで悔いる話をよそできくので
もてなしたのだろうか
せっせと

背中合わせの気むずかしさ
いらだつと籠もって
くちをきかずにいる
かたくながひとのかたちになった
朝こじれて夜帰ると
席をたった食卓が
そのまま
冷めきって

そっぽむきたい
むいてもいいと
気づかなかった
ずっと
兄弟姉妹なく父なくなり
「仲よく」「大事に」と
言われた日から三十六年

あかるみにでてしまえばもう
つつみ隠すことは難しい
べつべつのひとひとりずつと申し立て
剥がしてきたうえでなお
うかがっていた
もっとそっと
なだらかに切り分けるナイフを
もたなかった

それでも

三人で暮らそうと
春先の旅も一緒だった
彼が駆けつけ
待った
しらっと
夕方だった
帰ってきた
母のくちから
別に暮らす話
ふるえる声
もの言えぬわたしに代わり
「それがいいです」と
きっぱり

スープのさめない距離と
叔父叔母に言われ
うなずいて帰ったけれど
こわばった顔に
あきらめたらしかった

ばっこばっこ
はは
母というひと
来たレールをまた
ははばっこ
戻らないと言っていた
さぬきに住まいを探しに
ばっこ

ひとつ屋根の
というより
ひとつ扉のなかにはもう
居たたまれず
やっと
逃れ
彼のもとへ

弟や姪やいとこ総出で
助けてくれると逐一メール
あった
いい部屋があったと機嫌よくしていた
ひとへ
年来の痛手うっせきを列挙した
ながくながくながいメールを送った

ややあって返信また返信
わび言のち反論
また反論つきぬ反論
メールボックスにあふれる
母というひとの名と言葉
日に夜に決壊するかんじょうのなみ
ひたすらやりすごす
泣きながら荷物を整理していると繰り言
メールにコールの果て
その月の末、ふるさとへ
母というひと
ばっこ

かくて別居のはじまり
なれど打ち寄せつづけるメールコールのなみあらく
ついに着拒もはや着拒
怒濤くだけるみぎわをいっさんにはなれ
わたし
圏外へ

あつささむさの日月ひとめぐり
ものの噂
ばっこばっこ
ははばっこ
うごめく
母という
ひと
東京へ
(わたしのいない)
重ねて齢八十三の
ばっこばっこ
ははは
ばっこばっこ
ははばっこ
はるか
ははという
ひと
はるか
圏外へ

 

 

 

「夢は第2の人生である」或いは「夢は五臓六腑の疲れである」 第73回

西暦2019年睦月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

 

8時頃に8人前の武器が届くことになっていたが、10時になっても届かないので、私は洞窟から出ていった男の武器を身につけて、完全武装してから彼奴を殺しに出かけた。1/2

彼は自分が見た夢を、抽象絵画に仕上げようと悪戦苦闘していたのだが、いっこうに完成しないし、暮らしに窮するようになってきたので、とりあえずいま流行のリアルな絵を描いて、急場を凌ごうとしていた。1/3

そのオールドタイプの元革命家は、1920年代のロシアの文学書の復刻を目指して悪戦苦闘していたが、反動的政治家たちの妨害に遭って宿願を果たせず、とうとうこの世を去った。1/4

寝た切りの夫を支えるために、彼女はクリル語を習得して、クリルの代表的作家の全集の翻訳を開始した。その作家は、内容は空疎なのだが、やたら細部の描写に凝るので、ページ数が膨大になり、賃労働の効率がよいのである。1/4

ゆっくり寝ようとしていたら、突如A子がベッドに潜り込んできたので、これ幸いと抱きしめたら、B子が飛び込んでいたので、驚いて飛び起きると、C子が傍に立っていたので、私は泡を食って逃げ出した。1/5

「あの子は、ちょと変だ」と思うと、即座にケイサツにチクッって牢屋に入れてしまう「チョット変だ法」が、与党の強行採決で国会を通過したので、私らはその子を、庭に掘ったシェルターに隠した。1/6

ところがやっぱり「隠すよりあらわるるはなし」で、隠し子は、お隣のヒグチさんにばれてしまい、通報されたその子は、警察にしょっ引かれて、強制収容キャンプに入れられることになってしまった。

良く晴れた冬の朝、セイ・ハシモト画伯と一緒に、その子を駅前まで見送りに行ったら、その子は駅前広場をよろよろ歩きながら、時折くず折れたりしていたが、やがて自力で立ち上がると、「ぼくオオヤさん、大好きですお!」と叫んだ。1/6

どういう風の吹きまわしか、私は北朝鮮の幹部になってしまったが、大首領に拝謁する日に着ていく服がないので、もしや、と思って床下を探すと、スーツの代わりに生みたての卵があった。1/7

五条か六条か七条か、京都駅の近くのいつもの建物の中で、ケン君と女の子を連れた私は、飯を食おうとして料理屋を探しているうちに、2人を見失い、必死になってあちこち駆けづり回っているのだが、イシカワサユリ似の女将が、なぜか私の邪魔立てをするのだ。1/8

2006年にスポーツ庁を退いた私は、やたらと尿が近くなってしまったので、尿漏れ吸い取り特別製パンツを、それこそ、肌身離さず身につけていた。1/9

「ハロピン8地点で、ヒラヤマ部隊の全員が姿を消した」という速報が舞い込んできたので、私ら捜索隊は、ただちに出発した。1/10

シガ君は、私が弥仙山で捕まえた巨大なオオヒカゲ亜種の標本を、「しばらく貸してくれや」と頼むので、しぶしぶ了承したのだが、その写真付きのレポートを、権威ある昆虫雑誌に自分の名前で発表しておきながら、私には知らん顔をしていた。1/11

我々は、ベテイーちゃんにえらい世話になって、あまりにも嬉しかったものだから、「日米軍事同盟は、円滑に機能しとりまっさ」などと、と大げさな謝辞を述べたて、やがて彼女は、単身オートバイに跨って走り去っていったのが、誰一人そのベテイーちゃんの正体を知らなかった。1/11

風の噂では、西本町の遊び仲間だったノブイッチャンは、日仏両国でレストランのシェフをやりながら、オーケストラのメンバーとしても活躍している、というので驚いた。1/11

英文科を卒業していた私は、社長のお供でNYに行ったが、ブロードウエイでみた「バックツウザフュウチャア」のあらすじを説明できず、ケネデイ空港の9つのターミナルのどこで乗り換えるのかも分からず、乗り遅れたので、即リストラされてしまった。1/12

灼熱の砂漠の不毛の地で、残虐と奇計の限りを尽くして私は王冠を勝ち得たが、その代わりに、「愛と人間性」という言葉が意味するすべてを失った。1/12

大切な使命を果たすために、長い長い旅に出た私は、そんな私にどこまでも付いてくる、見知らぬ犬を、心を鬼にして山の中で射殺した。1/13

アサダマオ似の娘と知り合いになった私は、彼女の家に入り浸りになったが、そこでアサダマイ似の姉と知り合って夢中になってしまったので、マオから激しく嫉妬されるようになってしまった。1/14

いよいよ会社が倒産して、最後の日を迎えたので、私は営業所を巡って、知り合いに挨拶して廻ったのだが、その途中で、たびたびオオミチ君とヤマサワ君に出会った。1/15

みんなで金沢八景の花火大会に行ったんやけど、オラッチが景気づけにカニ人間に変身したら、周りの人がびっくり仰天して、みな逃げ出したあ。1/16

その頃渋谷駅からは、電車の替わりに巨大な鉄棒が、吉祥寺まで一直線に敷かれていた。その鉄棒の右側に出張っている3人乗りの横棒が、高速で前進するのだが、立ったままの我々のうちの誰かが、横棒から転落すると、おおかた命を落とすのだった。1/16

「これはかっぱえびせんではなく、はっぱえぴせんです」、とササン朝ペルシアからやってきた少女は教えてくれたのだが、そのはっぱえぴせんときたら、いくら食べても袋の中身が減らないのだった。1/17

私の牧場で働いている親友の息子のジョンが、一匹の仔馬を自分のものだと主張しているので、「これはお前のじゃない。私が市場で買った馬だ」というのだが、「これはお父さんが僕に買ってくれたポニーだ」と譲らないので、「そんならお父さんに問い合わせるぞ」というと、黙ってしまった。1/18

死んだタダさんと、千歳烏山の自宅でマージャンをしている。彼のお兄さんも、由緒ある雑誌「昴」の著作権所持者のお母さんも、一緒だ。タダさんが「ほら、通してみろ」といってイーピンを出したので、私は「ロン!」というて牌を倒した。1/18

明日2時からショウが始まる。全社員が集合する朝礼で、社長に集合時間を告げてほしいと頼んだが、黙っているので、仕方なく私が「あしたは12時半に全員集合!」と叫んだら、一斉にブーイングが殺到したので、なんで社長が無言だったのかが分かった。1/19

ヨシダタクロオは、4声のリチュリカーレを奔放に操る振り付けで踊り狂っていたので、私らは今日の宿舎に向かったが、なんと昔の女が傍にいたのでときめいたが、最早お互いに無言のままで海を見下ろすと、赤白の紋様の巨大な肺魚が泳いでいた。1/20

奇麗な海の底には、その他にも数多くの魚たちが泳いでいたので、ヒロシさんたちと写真を撮りながら、鑑賞していたら、突然大きな純白のチャウチャウが、海岸から駆け上がってきて、ヒロシさんの背中に飛び乗って、ワンワン吠えたが、ただ喜んでそうしただけだった。1/20

日向に寝そべっている牛さんの写真を撮っていたら、お腹の中から、突然人間の胎児が出てきたので、非常に驚いた。1/21

里山できれいな水が湧いて出たので、これはもしかすると「聖水」ではないか?と科学者が調査に乗り出したのだが、担当者の私がその「聖水」と比較対照すべき「水道水」とをごっちゃにしてしまったので、この件は、いつしか有耶無耶になってしまった。1/22

ともかく夢の世界なので、ふわふわしてはいるが、自由そのもので、何でもやろうと思えばできそうなので、ははあ、これが無政府状態というやつか、と思うた。1/24

マガジンハウスのO氏も、朝日新聞のA氏も、リーマンをやりながら自分の会社を持っているというので、「よーし、オラッチも!」と意気込んで、会社を立ち上げたのだが、はてさてどういう仕事をしていいのか分からないのだ。1/25

「これでも詩かよ」の原稿を持ち歩いていたら、版元が経営している画廊で、他のアート作品と組み合わせて、なにやら意味ありげに陳列してくれたのだが、素直に喜べない複雑な心境のわたくし。1/27

夜中に、妻の叫び声が聞こえたので、飛び起きると、闇の中に、小人の姿が見えた。そいつは、松明だか、燈明だかを、左手で掲げながら、畳の上を、滑るようにゆっくりと、私に向って歩いてくる。1/28

私とKは偽京大生で、いつも西部講堂に出入りし、学食でランチをとっていたのだが、Kはいつのまにか文化祭の総合プロデューサー役に任じられ、それを見事に成功させて、本物の京大生たちの拍手喝采を浴びていたので、私は激しく嫉妬した。1/29

その作家は、皇居前広場を埋め尽くした人々のど真ん中に突っ立って、昨夜完成したばかりの7つの短編小説を、大きな声で朗読していた。1/30

私は、木造13階建ての集合住宅の最上階に住んでいて、各階の住人たちと仲良く暮らし、朝から晩まで、東西南北全方位の眺めを堪能していたが、風が吹く度に、部屋全体が左右に揺れるので、まるで船酔いのような状態になるのだった。1/30

トレーダーの私の同僚の女性は、夢遊病患者で、仕事中に突然意識を失ってしまうので、私は、別に誰から頼まれた訳でもないが、彼女のピンチヒッターを務めて、時には大儲けさせてやったりしていた。1/31

私は、昔から企画室のデザイナーに憧れていたのだが、ふとしたことから、MDのナガタ氏の部下の女性たちと仲良くなって、毎日のように、会社の近所の原宿のレストランでランチをするようになった。1/31

 
 

西暦2019年如月蝶人酔生夢死幾百夜

 

麻薬、毒物、酒、歌、女……。私の船にはこの世の悪の一切が乗っていたので、たとえ世界が終ろうとも、ノアの箱舟と違って、滅びることなど、けっしてなかった。2/1

オクムラ氏と夜の街を一晩中うろついてから、氏の講演会場に入った。いよいよ高尚な講演が始まったというのに、どこの誰とも知れない婦人が、一心不乱に毛糸を編んでいるので、私は気が気じゃない。2/2

私が夢の中で思いつき、下町ロケットの佃製作所で造ってもらった「全自動自撮りキャメラ&ビデオ機」は、世界中で大ヒットし、特許権と独占販売権所有者の私は、あっというまに阿呆莫迦ゾゾタウンを凌ぐ大金持ちになった。2/3

長い間、東京拘置所に収監されていたコムラ夫妻の無罪放免、それとは別に、何故だかしばらく誘拐されていた家内の無事解放を祝して、我々は祝杯をあげた。2/4

ベートーヴェンの交響曲を演奏するために、イタリアの大富豪の別荘に、往年の偉大なるマエストロとスカラ座フィルの面々が勢揃いしていたが、誰がどの曲を担当するのかで、おおおもめに揉めているようだ。2/5

ようやく発表された結果、3番はクナパーツブッシュ、4番はクライバー、5番はトスカニーニ、6番はワルター、7番はチエリビダッケ、8番はクレンペラー、9番(合唱無し)はフルトヴェングラー、1番と2番は若手のカルロ・マリア・ジュリーニが指揮することに決まった。2/5

戦争が迫ってきたので、企業は即席テントを用意して、社員が寝泊まりできるようにしているのだが、新聞記者の私は、それらの寝心地の快適度を採点するために、もう何か月も家に帰っていない。2/6

日本から泳ぎだした2人の若者が、南洋諸島に辿りつき、2人の女性を恋するようになったとさ。メデタシ、メデタシ。2/7

白鵬が休場したので、「よーし、今場所こそわいが優勝したる!」と意気込んでいたいた平幕のオラッチだったが、全休のはずの横綱が、要所要所で出場するので、すっかり当てが外れてしまったわい。2/8

京の木屋町の路地で、おいらの後をつけてきたチンピラが、いきなり無言で背中にドスをぶちこんできたのだが、さいわいおいらは、脊中にも目があったので、素早くかわして、事なきを得た。2/8

少年ペガサスの右目を抉りとったのは、チュニジア在住のイグチという男だったので、私はその下腹にナイフを深々と刺すと、彼奴は、声もなくゆっくりとくず折れていった。2/9

私が引き籠っているいる図書室に、ドレスを着た1人の女がやってきて、「あたし、ジョンソンよ」という。見上げると、部屋の上空は無数の自転車が密林のように繁茂していて、その葉っぱがキラキラと輝いていたのだが、彼女はじつは男だった。2/9

僕らは、郊外の森の傍に家を建てようとしたが、骨組みを作ったところで、お金が足らなくなってしまったので、仕方なく、外側をガラスで覆った状態のままで、放置せざるを得なかった。2/10

「カウント1-2から、どんな球を投げるのか? 2-2、そして3-2になったらどうするのかを、すべての打者について、具体的にそれぞれの投手に向って教えることができるのが本当のコーチなんだ」と、ゴンドウ氏は語った。2/11

百貨店の中で、着物をきた娘たちが「キャアア!」と悲鳴をあげたので、私はさっと駆け寄り、「大丈夫だよ、おじさんについてきなさい」というて、エレベーターで屋上に連れて行って、アイスクリームを舐めさせた。2/12

パーティにお偉いさんが3人もやって来るというので、私はテーブルの上の和紙に、3名様への挨拶を墨で書いて待機していたのだが、いざ彼らが到着すると、どの挨拶を誰に渡したらいいのかさっぱり分からなくなって、ヘドモドしたのでハシモト課長に怒られた。2/12

朝いちに出かけていったはずのムラタ君が、2階の自室で倒れている。口から泡を吐いて伸ばした右手には濡れたテイッシュを握りしめているので、これはてっきり遺書に違いないと思った私は大声で助けを求めた。2/12

どうしても必要な「サンデー毎日」の記事があったので、京橋まで出かけたが、貸し出しを編集長が言を左右にして許可しないので、広告部のH氏を呼び出し、2人が「あっちむいてホイ」をやっている間に、私は当該の記事を、素早く撮影することに成功したんだ。2/13

当然私が担当すべきブランドのCM製作を、どういう訳か女社長が勝手に差配しているので、どたまに来た私が「勝手にしろ!」とすねていると、彼女は完成したフィルムを持って、私をなだめすかしにやってきた。2/14

小さな会社なので、その夫婦は、お手盛りでどんどん出世競争に励んでいた。夫が専務になれば、妻は常務、夫が社長になれば、妻は副社長になったが、夫が会長になったので、社長になった妻は、夫が名誉会長になっても、社長を辞めようとはしなかった。2/15

クマザワ天皇の私は、今朝も斎戒沐浴して、爪を切ってから玉座にしゃがみ込み、寄る年波もあって、退位と譲位について考えようとしたのだが、そもそも私には、誰一人身寄りなどないのだった。2/16

女社長が私に呉れた新しい仕事は、1)いつも彼女の傍に控えていること。2)朝から晩まで彼女の傍で待機すること。3)彼女の指示には迅速に対応すること。というもので、本来の業務内容とは、まるで無関係だった。2/17

「第3者」というものが苦手な彼女は、なんとかしてすべての「第3者」を「第2者」に変えようと、ありちあらゆる算段を尽くすのだった。2/17

その車は、4種類のガソリンを、4つの保管ゾーンに入れなければならない、という厄介な車種だったが、誰も運転したことがないというので、結局免許も持たない素人の私が、運転する羽目に陥った。2/18

私は、いつもパルジファルと生活を共にしていたので、常に仕合わせでした。2/19

2年前にケツのケバまでそいつに蹂躙された私だったが、ここで会ったが百年目。捲土重来けっして逃がさぬ。テッテ的に復讐して絶対に止めを刺すぞ、と私は固く決意した。2/20

長野の山奥に住んでいる同級生のF君が亡くなった、という知らせを受けて、そんなはずはない、なにかの間違いではないのか、と激しく動揺しているわたくし。2/21

以前はあれほど繁盛していた駅前はすっかりうらぶれ、寂れて、人影ひとつすらなかった。2/22

山形交響楽団のファゴット奏者の即興演奏を録音したら、これが素晴らしかったので、彼に頼んでドボルザークの交響曲第8番なども録画録音し、来日していたシカゴ響のオーナーに聞かせたら感激して、たちまち米国公演が決まってしまった。2/23

広告屋の私は、ワインの盃を上げている半裸の女性の写真を用いて、「一杯の夏」というキャッチフレーズで新聞広告を作ったのだが、「わが社は衣料品を作っているが、アルコールは製造していない」と言われて、却下された。2/24

ヤギのように白い顔をした少女が、こちらに向かって歩いてきたので、私は、ただちに恋に落ちた。私らは、販売チームのコンビとなって、全国津津浦浦まで、カジュアルウエアを売り捌いて回った。2/25

反戦運動をしていた私は、10名ほどの仲間たちと一緒に捕まり、同じ牢屋に入れられたのだが、どういう訳か、私は彼らに毛嫌いされ、口も利いてくれないので、仕方なく牢の隅っこでいじけていた。2/26

あるPR会社からDⅤDが送られてきたので、映画かと思って再生してみたら、さにあらず、野原でピクニックしている美貌の母娘の映像が停止して、「あなたはこの2人のどちらと思いっきり楽しみたいですか?」という問いかけが出て、イエスかノウをクリックせよと迫るのである。2/28

 

 

 

塀 180829,180903,180905,180907.

 

広瀬 勉

 
 


09:180829 東京・渋谷広尾

 


10:180829 東京・渋谷広尾

 


11:180903 東京・新宿南榎町

 


12:180903 東京・新宿矢来町

 


13:180905 神奈川・横須賀池上

 


14:180907 東京・足立千住旭町

 


15:180907 東京・足立千住旭町

 


16:180907 東京・足立千住旭町

 

 

 

想いで売り

 

原田淳子

 

 

洪水の余波
世は
夜は

窓のむこうは 暴風雨

真っ赤な想いで、いらんかね
胸に弾けるようなハンカチーフさ

雲の想いで、いらんかね
鱗雲、羊雲、眼醒めた頰に

窓に映るは who are you

空白ー あの声は誰

A♭の想いで、いらんかね
螺旋の果実
G#にも裏がえり

蜜蝋の手紙
透けた文字は反転し

吊るされた太陽
戻れない単線区間

レモンチェッロの涙
土砂降りのベッド
祝福と名づけた呼吸

空白-誰かが、月の真似して

想いで、いらんかね
いらんかね

空白- 白んでゆく、泡

 

 

 

霧のダブリンで I was sleeping と唄う *

 

夜中に
目が覚めた

起こさないようにベットから
そっと起きた

女は
俯せに寝ていた

本の部屋で
窓をあけたら

西の山の上に月がいた

チェット・ベイカーの最晩年の歌を聴いた
almost blue

若い頃の美しい顔と声は

しわがれて
いた

歯も抜け落ちていただろう

工藤冬里は昨日
詩に

“歌は自然に二部に分かれ その厚みの中で” *
“テカる瓢箪” *

と書いていた

晩年になれば
誰も

二部に分かれその厚みの中でテカるだろう

ふたつに引き裂かれている
ふたつに引き裂かれている

誰もが
晩年には

テカる

almost blue は1982年に
エルヴィス・コステロがチェット・ベイカーに捧げた歌だ

 

* 工藤冬里 詩「私はἐγὼ [egō]」より引用

 

 

 

あきれて物も言えない 01

 

ピコ・大東洋ミランドラ

 
 


作画 ピコ・大東洋ミランドラ画伯

 
 

いい男は信用できない

 

このまえの夜、
高円寺のバー鳥渡で飲んでいたら、
離れた席からピコ・大東洋ミランドラ画伯が隣の席に座って、
わたしの似顔絵を描いてくれた。

なんだか下ぶくれしたメガネをかけたおじさんが描かれている。
わたしなのである。

あきれた。

似顔絵なのにこんなに正直に現在のわたしを描くのであるか!
この画伯には礼儀というものがないのか!
もうちょっとロマンスグレーの素敵おじさんに描いてよと内心では思った。

だが、もう生涯ない。
否、しょうがない。

安い東名高速バスで港町から出かけて来て、
深夜に高円寺の飲み屋でクダを巻いて新宿のカプセルホテルに泊まろうとしている、
ダメダメなおじさんなのだ。
酒を嫌と言うほど飲んで安い焼き鳥を食って知らず知らずに下ぶくれのおじさんになったのだ。

さて、隣に座った画伯は、
なんだかにんまりとしてチャーミングである。

可愛いというのかな、憎めないというのか、
バカな奴というのか、
どこか少年のままというのかな、
そんな画伯なのだとわたしは睨んだのだった。

それでなにか一緒にやろうよとわたし、言った。
セクスとかじゃなくて、
も少し、疲れない、楽しい、なにかを画伯とやろうと思った。

で、
画伯に「あきれて物も言えない」というタイトルで絵を連載で頂戴して、
わたしが絵の解説を書いて、
浜風文庫に連載かなと思いました。

「あきれて物も言えない」という状態にはわたしは日頃あまりならず、
だいたい「ふ〜ん、そう」と思ってしまうタチですが、
「あきれて物も言えない」苦手意識を克服しようと思いました。

ですので、
意外と、
当たり前の当然について「あきれてしまう」ことになってしまうのではないかと心配しています。

最近では、
福島の除染で集めた汚染土を農地造成に再利用するとか、
廃炉に外国人を使うとか、
厚労省の年金運用が昨年の10月、11月、12月の三ヶ月で14.8兆円の運用損を出したとか、
この国の副総理・金融相が都合が悪い審議会指針を受け取らないとか、
その本人が自分の年金の受け取りがどうなっているか知らないとか、
米国の大統領は根拠ないがタンカーを攻撃したのはイランだと決めつけたとか、
普通にあきれてしまうこともたくさん聞こえて来てしまいます。

世の中、狂ってる、と、思います。

狂った大人たちがやってることを子どもたちは見ていると思います。
それで子どもたちも、あきれていると思います。

さて、話をもとに戻します。

昨日の深夜、
荒井くんと長電話したのでした。
荒井くんは、三十年来の、わたしの数少ない友人の一人です。

世間のこととか、美術のこととか、友だちのこと、などを話したのでした。
で、作家の話になり、
小川国夫さんのことに話が至ったときに、
いい男は信用できないと、荒井くんは言いだしました。

静岡だったら小川国夫じゃなくてブ男の藤枝静男だろう!と荒井くんはわたしに言いました。

ほう!
と思いました。

荒井くんは固く信じて言っているのです。
小川国夫ではなく藤枝静男なのだ!
ブ男の藤枝静男を激しく推挙する根拠がどこにあるのだろうか?

わたしは、ほう!と、
絶句し、
あきれたまま別れの言葉もおぼつかなく電話を切ったのでした。

 

作画解説 さとう三千魚

 

 

 

私はἐγὼ [egō]

 

工藤冬里

 
 

自然に二部に分かれた厚みの中で
蛍光燈の映る瓢箪
三年居た町に
書き送る 管理
話しかけられてはいけないことになっている男が座っているのだが
数段上に思える
何人居たかを考えるだけで 地表から深まる理解
霧のダブリンで I was sleeping と唄う
歌は
自然に二部の厚みとなって
蛍光燈の映り込む陽焼けした瓢箪が
三年居た町に
書き送る 管理/家政の運営 οἰκονομίαν [oikonomian]
という言葉
何人居たかを考えるだけで 地面から深まる
低くない 管理
管理 は低くない
地面から深まる
*    *
自然には分かれない合唱の中では
週末の時計は考える以上に終わりを差す
きざしは常に単数形である
戦死者はたった一億人
地震はハイチ22万人の方がひどかったのに
黴が生えたと文句を言う
流行が病で不法
背中のアヒル口の中が黒い
複数系は普通以上に早く溶ける
あと二分の体制
黒を構成するいくつかの減法混合原色が
眼球の周りで分かれ
文字の止め撥ねや頬の曲線の端で顕わにされる

歌は自然に二部に分かれ その厚みの中で
テカる瓢箪
話しかけてはいけない数段上の
スーダン上の
場面は地表から深まり
オイコノミアンの中で言わしめるだろう
私は世を征服したἐγὼ νενίκηκα τὸν κόσμον.
[egō nenikēka ton kosmon]
I conquered the world.
「私は」って「エゴ」っていうんだ
エゴラッピン ていたね
蛍光管が映り込む日に焼けた瓢箪
歌は
自然に二部の厚みとなって

 

 

 

また旅だより 10

 

尾仲浩二

 
 

写真展で韓国に行ってきた。
市場を歩くのは楽しい。
ヨーロッパや東南アジアの市場も楽しいけれど
日本とほんの少し違うこの国の市場を
子供の頃に戻ったような眼で歩いた。

2019年6月7日 韓国 蔚山にて

 

 

尾仲浩二 個展
「Sleeping cat」
6月23日まで
神保町 スーパーラボ東京

 
尾仲浩二 出展グループ展

『韓国ウルサンスナップ展』
6月22.23.29.30日
中野 ギャラリー街道

「平成・東京・スナップLOVE」
6月21日~7月10日
六本木 FUJI FILM SQUARE

 

 

 

包丁

 

長尾高弘

 
 

目の前に包丁があるんだけどさ、
つい今さっき洗ったところなんだけどさ、
昼めしのときに、
キャベツを切るために使ったんだよね、
水を拭いてないから、
水がついててさ、
電球の光を反射して、
キラキラ光っちゃってるけどさ、
落っこってきたら怖いな、
足にブスッと刺さったりして、
いや、
この柄をしっかり握って、
心臓にグサッと刺せば、
おれは今日死んじゃうんだよな、
ここにはほかに誰もいないから、
そんなことするやつは、
おれしかいないけどさ、
おれがここで死んじゃっても、
当分誰も気づかないんだろうな、
おれしかいないんだもんな。