クレプトマニア

 

村岡由梨

 
 

不潔で醜い男たちと交わる夢を見る。
その男たちが私自身だと気付いたのは、
小学校高学年の頃だっただろうか。

あなたと永遠の別れになる前に、
ひとつ告白をさせて下さい。
私は嘘つきな子供でした。
盗んだのは1回だけ、と言ったけれど、
実際は365回でした。

何度も何度も盗んで、
何度も何度も食べました。
そのうち、おでこにたくさんのニキビが出来て
これが神様から与えられた罪の刻印なんだなと思いました。

やがて、その日がやってきて、
私は丸裸で店の奥に連れて行かれました。
涙で視界がぼやけて、
何も見えず、何も聞こえず、息も出来ずに、
暗い水の底を歩いているような時間が
永遠に続くような気がしました。

帰ってきたあなたは、私を麺打ち棒でメッタ打ちにして
それから、泣きながら私の体をきつく抱きしめました。
それ以降、私はパタリと盗みをやめました。

けれど私の外形は醜いまま。
醜い私を愛してくれる人など、いるわけもなく
私は私を愛するしかなかった。
肉体的に交わることによって。

お母さん助けて。
顔がかゆい。かゆくてたまらない。
いっそ顔中をかきむしって、
髪の毛を一本残らず引きちぎってしまいたい。

お母さん、お姉ちゃん、弟、お父さん。友達。
たくさんの人達を傷つけながら生きてきた。
私の生活は今、
たくさんの人達の不幸の上に成り立っている。

「お前たちは育ちが悪い」
「由梨はヤク中」

お父さん、誇れるような人間でなくて、ごめんなさい。

お父さん、私のことが嫌いですか?
私は、私のことが嫌いです。

中学3年生の娘が言いました。
「『嫌い』っていう言葉は人を傷つけるためにある言葉だから、
簡単に口に出してはいけないよ」

でも、私は、私のことが嫌いです。

小学6年生の娘が言いました。
「私が私のお友達になれたらいいのに」

私が、私のお友達になれたらいいのに。
私が、私のお友達になれたらいいのに。

 
 

この詩を一気に書き上げて、
「切れない刃物でメッタ刺しにされているような気分。」
と夫から言葉をもらい、
決して誰かを傷つけるわけではなかったと
中途半端な言い訳をして、
決して虚構を演じているわけではないけれど、
私の中に詩という真実があるのか、
詩の中に私は生きているのか。

「ママさん ママさん」
そう言って、ねむは
はにかみながら私を抱きしめる。
「人ってハグすると、ストレスが3分の1になるらしいよ」
そう言って、はなが
ガバっと覆いかぶさってくる。
幼い頃の大きな渦に飲み込まれたまま
いつしか私は
抱きしめるだけではなく、
抱きしめられる立場に、また、なっていた。

私たち三人は、きつく抱きしめ合って大きな塊になったまま、
その瞬間、
間違いなく詩の中に生きていた。
詩の中に生きていた。

 

 

 

壁 181008, 181010, 181016, 181026.

 

広瀬 勉

 
 


41:181008 東京・中野 中央

 


42:181008 東京・中野 中央

 


43:181008 東京・中野 中央

 


44:181008 東京・中野 中野

 


45:181010 神奈川・逗子 逗子

 


46:181016 東京・武蔵野 西久保

 


47:181026 東京・杉並 成田東

 


48:181026 東京・杉並 阿佐谷南

 

 

 

どこから言葉を出してもいいわけだけれども *

 

先週
金曜日

夕方に

表参道の
スパイラルというところの松田さんの

依頼で
わたし詩について話した

自己に拘泥して60年が過ぎて詩を書いている
というタイトルでした

わたしの来歴を話した

その後
いまの仕事と浜風文庫のこと話した

それから
わたしの好きな詩をみっつ読んだ

西脇順三郎 茄子  **
鈴木志郎康 なつかしい人  ***
谷川俊太郎 おばあちゃん  ****

西脇順三郎の詩は18才のころ
鈴木志郎康の詩は21才のころ

谷川俊太郎の詩は最近に読んだ

どれもわたしには
かなわない

詩とおもえた

それからわたしの詩をよっつ読んでみた
書いたときわたしのなかに不思議な感覚があったのを憶えている

“どこから言葉を出してもいいわけだけれども” *

渦巻くものがある

わたしのなかに
わたしでないものが渦巻いている

 

 

*工藤冬里 詩「EINGANG」からの引用
**西脇順三郎 詩集「宝石の眠り」より
***鈴木志郎康 詩集「わたくしの幽霊」より
****谷川俊太郎 詩集「はだか」より

 

 

 

EINGANG

 

工藤冬里

 
 

どこから言葉を出してもいいわけだけれども
それをしないのは
それがロック史に抵触しないからだ
どの切断面にも洪水の記憶が残っていて
古い地層が衝き上げられている

切断面の中を歩き回るというのは
瑪瑙の中を動く虫のように出口がない
衝き上げる断層の動きを出口と錯覚して
抜け道を探すプロセスを抜け道そのものと錯覚しているだけだ

サウンドスケープ内には
カエルも居れば牛も居る
ミ・レドレミソミー
というメロディーを想い出したが
何の曲かは思い出せなかった

口頭

白く塗れば目立つが
墓は誰にも気付かれない
外側を作った者は内側も作った
内側は

汚れがはっきり見えない

目立たないことで 蹴つまずく

大葉の意義に
コリっと 木琴
嵌るのは六角形
仰け反ると増え過ぎる彩度

溺愛したので 逸れなかった
赤子は渡り廊下のカラス
低音の若造

溺愛

ワーゲンバスに
明確な一線を引く
低音で性を語る

EINGANG 入口

不安を感じる高音

Deaden your body members that on the earth as respects uncontrolled sexual passion

Deaden

サントーム(sinthome)
Sans toi ma mie、

幻想の機能不全。

サタンの妄想

享楽。象徴界から拒絶され、現実界に再出現した真理。ラカンは「白痴的な享楽の染み込んだシニフィアンの断片」をサントームと呼ぶ。

他者はいない。

「サントームを生き抜け」みたいな詩を書くと思ったら大間違いだ

書き込まれる

昔は赤ん坊が沢山いた

味噌汁の椀を覆(カヤ)す

入口が 出口だったのだ

 
 

 

 

 

拝啓 イスタンブールより

 

正山千夏

 
 

母は泣いています
それは嬉しい涙と淋しい涙

あなたはとても心根の優しい
健康でそれでいて繊細で

父 亡き後
よく母を支えてくれました

カモメの飛ぶガラタ橋
サファイア色の海辺

ぽっかりあいた左側
お祈りの時間の呼び声が

一瞬の夕焼けのかなたへ
私を連れていく

さようなら でこぼこの石畳
木陰を吹き抜ける乾いた風に

遅い夕闇のとばりがおり
孤独におびえる私は

ひとり船の甲板で泣くのです
にじむ街の灯り数えて

 

 

 

他者と、生きる日々に

 

ヒヨコブタ

 
 

バケモノだ

何かを区別するこころになにが棲んでいるのだ
おそらく
じぶんがバケモノになることを恐れ
何かをバケモノとすることのほうが
簡単ではないのか
容易いことに流されたさきに
何があるのだ

考える
考え続ける
じぶんと他者との異なるぶぶんが
重なる可能性について
考える
考え続ける
眠る

思考の健全さというものの
それぞれの異なりかたについて
重なるぶぶんは
あるのだと信じてきた
じぶんこそが健全だという主張のなかの脆さは

かなしみにつながっていくときがある
わたしにとって

傍らにいるその誰かは他者だ
よく知っているつもりの
他者だ

耳を傾け全身でききとりたいことが、ある
ひととの関わりに疲れたとき
わたしは眠り続けるだろう
目を覚まし、力が戻れば
また歩きだしききとろうと感じとろうとするだろう
歩みを止めるのは、まだ嫌だと内なる声をききながら

 

 

 

「夢は第2の人生である」あるいは「夢は五臓六腑の疲れである」第74回

西暦2019年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 
 

佐々木 眞

 

 

目を瞑っても瞑っても、天井に歌麿の肉筆浮世絵が迫ってくるので、寝返りを打って前を見れば、暗闇の中に長い長い廊下が下降しているので、どんどん進んでいくと、突き当って右に折れたので、さらに進んでいくと、左右に6畳間が並んでいて、真っ暗闇で男女が戯れていた。3/1

旅館の鶴屋に泊まると、夜中に必ずと言っていいほどギター侍が出てきて、「拙者なんとかかんとか」というのでクレームが殺到する。私は彼の熱烈なファンなので、「これまた一興」とかなんとかいうて誤魔化してきたが、それも限度のようだ。3/2

夜、東京の街中を久しぶりにタクシーで流していたら、12800円も取られてしまった。花粉症の薬が効いて、ついウトウトしていたらしい。3/3

ラ島最後の日、私らは戦艦から総員退去したのだが、果たしてそれが良かったのか、良くなかったのか、艦長以下2等水兵まで当時の乗組員の生き残りの全員が、新橋の中華料理屋に集まって、ああでもない、こうでもないと総括している。3/4

総員退去の命令を、艦の一番底で聞いた私は、仲間の水兵たちと一緒に、ドリルで大きな窓枠を切り開いて、押し寄せる海水と戦いながら、艦の外側に泳ぎ出ることが出来たのだった。3/5

ある夏の朝、無人島で昼寝していたら、突然素っ裸の男女があほだら教を唱え、踊り狂いながらやって来たので、君等は何者かと尋ねたら、わたしらは神である。ここは神である自分たちの神聖な土地であるから、ねんねぐーなんかしてもらっては困る、というのだった。3/6

カール・ラガーフェルドの後任として、シャネルのデザイナーを命じられた3流詩人のわたしだったが、3つのラインのひとつはロゴへの注力、2つめは旧来の踏襲、3つめは青空に浮かぶモコモコの羊毛のイメージで、なんとかかんとか監修することができた。3/7

船橋の上に仁王立ちになって、行く手をみはるかす私の足元には、いつも私にある種の憧れを抱く女性がいたものだが、あれから何十年も経ったいまでは、振り返っても、振り返っても、誰一人いなかった。3/8

太郎は太郎湖、次郎は次郎湖、三郎は三郎湖からやって来たのだが、3人とも、彼らが実の兄弟であるとは、夢にも思いはしなかった。3/9

ようやっと連休が取れたので、第1日だけを歌会にあて、2日目は完全休養しようと思ったのだが、同人たちはそれを許さず、朝から我が家に押し掛けてくるのだった。3/10

その雑誌の編集部には、たった7人のスタッフしかいなかったが、この7人が物凄い連中で、それぞれが政治経済社会芸術芸能文化全般の最高の専門家だったので、編集長の私はなにもする必要がなかった。3/11

「マエ!お前はこの店の運営をどうするつもりなんだ。馬鹿野郎め!」と私は、その無能な店長を怒鳴りつけてやった。3/12

カラヤン全集のおまけについていた、オペラの歌唱部分だけのCDが、道端に落ちていたので、拾って家で聴いてみると、本篇の録音より面白いので、私は夢中で聴きまくった。3/13

「塩飽」というネームの入ったシャツを捨てようと、町内のゴミ捨て場にやって来たのだが、なんとなく捨てがたくなって、そのまま家に持ち帰ってきてしまった。3/14

退職した職人のミシンを返却するためにローカル電車に乗っていたら、いつの間にか隣にD社の社長だったミズノ氏が座っていて、「ササキ君、ええ仕事やねえ」と羨ましそうに語りかけるのだった。3/14

私は、その在任中に、さまざまな思いを全部こめて製作したDⅤDを、「さよならパーティ」のお土産に手渡したのだが、誰ひとり、礼を云うものはいなかった。3/15

8.15の敗戦の日、ガラスが1枚もない焼け焦げの省線電車が通りかかったので、何気なくのぞきこむと、その中で、無数の民草が、真黒な焼死体となっていた。3/16

私は、幾多の労苦と習練の末、夢を3倍速で見る超絶技術を開発したのだが、せっかくの発明も、夢見る時間がすぐに終了してしまう、という欠陥があったので、結局は宝の持ち腐れになってしまった。3/17

長い牢屋暮らしが続いていたが、私は、ついせんだって向いの牢屋に入った、いわくありげな美貌の女囚が、気になって、気になって仕方なかった。もしかすると、いつのまにか心の片隅で、彼女を愛するようになったのかもしれない。3/18

やっと見つけたカフェでエスプレッソを注文したのだが、なかなか出てこない。ようやっと出てきたが、まるで砂糖水。しかも1杯30万リラだというので、私は怒り狂って、そのイタリア人マフィアを刺し殺した。これではセイさんが主宰するクリエイティブ会議に遅れてしまう。3/19

ダーバンのヨシダ君のグラフィック・デザインは、まことに力強く、ファンタジックなものだった。3/19

本当は会長とサシで対決するはずなのに、この部屋にはダリル伯爵のロボットが鎮座していて、私たちのやり取りを、全世界に同時中継しようとしていた。3/20

ここは全米スポーツ選手専用の墓地で、あのイチロー選手の敷地も予約されていたのだが、去年専任マネージャーが退職してしまったために、仕事が行き詰ってしまったようだ。3/21

雑誌1冊丸ごとタイアップという大儲けの企画が着々と進行し、スポンサーもいっぱい付き、ナガタ、イデ両氏も久しぶりの海外出張を、手ぐすねひいて待ち兼ねていたのだが、私の会社が倒産してしまったので、ずべておじゃんになってしまった。3/22

彼奴を後からはがい締めにして、ぶち殺してやろうと思ったが、いざやろうとすると、そうは簡単に、問屋が卸さないことが、分かった。3/23

花屋の経営が傾いてきたので、花の種類を入れ替えようかと悩んでいるのだが、どの花をどの花に変えたら良くなるのかを、テストしているうちにも、売り上げが急落していくので、もう焦ること、焦ること。3/24

あしたLAに旅立って、もう二度と戻ってこないという彼女と私は、タカダノババの近くの友人の留守宅に忍び込んで、その日のうちに2度、翌日のお昼までに2度と、9時間のうちに合計4度も交わってから、別れた。3/26

バスの中で、若い男女の身の上相談に乗っていたのだが、いつのまにやら超満員になってしまい、息子がどこにいるのか分からなくなったので、非常に焦っている私。3/27

「この夏は北朝鮮の沿海リゾートで」という金正恩委員長肝いりの国際キャンペーンは、見事に成功し、トランプ大統領をはじめ、世界中の有名人やセレブが、わんさと押しかけたのであった。3/28

私たちロボットは、もう人間たちのために戦うのをやめてしまった。それは、いくら敵のロボットを殺しても、それが、世界中のロボットたちの幸せにならないことに、やっと気付いたからだ。3/29

眠っていたら、誰だか分からない女が、傍にいたので、もしかして、交合できるかしら、と思って、ペニスを触ったら、いつものように、グニャグニャ、でもなかったので、ひとしきり、やっさもっさ、やってみたが、はかばかしく、なかったので、気がついたら、女は、いなかった。3/30

私のライバルのアカオ君が、画期的なセキ止め薬を発明したので、私はすべてに投げやりになって、自堕落な暮らしに舞い戻ってしまった。3/31

 
 

西暦2019年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

うちの会社は、給料は安いが、仕事はしてもしなくても構わないし、会議はないし、いつ行って、いつ帰っても構わないので、私らは、いつまでも、ここにいるつもりだ。4/1

ルック社+あるふぁぱんち社+○×○×社合同展示会に出かけたら、3社の案内嬢が親切にエスコートしてくれた。3人とも同じような顔で、長い髪を肩まで垂らして、立派な体躯をしている。そこで私らは、一緒にランチをしてから、休憩室に入って寝た。4/2

研究室の主任の部屋に置いてあった手塚治の漫画を、無断で持ち出して、ソファーに寝転がって読んでいたら、突然主任から呼び出しがあって、今すぐ大講堂に持ってきてくれというので、行くと彼は新入生のオリエンにそれを使いたいというのだった。4/3

昨夜京都東映の映画の大道具セットを建前するときに、背景の和紙が破れていたのを、面倒くさいから、そのままにしていたら、朝一番に現場監督から呼び出されて、アルバイトを首になってしまった。4/4

生物の試験は、どの教室で行われるのか分からないので、5階のフロアでうろうろしていると、K君と出くわしたので尋ねると、自分も生物の試験を受けるので教室を探している、というので、エレベーターで1階に降りて事務所で聞くことにした。4/5

「バカたれ」と罵られ、ドタマに来た私は、思わず、カッとなって、懐から小刀を取り出し、彼奴の胸倉に、深々と柄まで貫き通した。4/6

私は、既に功成り名を遂げた画家なのだが、個展を開くたびに、妙な男がやってきて、「これも、これも、全部オラッチの作品の模倣だ!けしからん、どうしてくれる!」と大騒ぎする。私も画廊の関係者も困り果てて、今回はガードマンの派遣を依頼した。4/7

そのガードマンは身の丈2mを超え、雲を衝くような巨人だったが、誰かが彼に武者ぶり付くと、その大男の物凄い重量の頭が超高速で落下し、不審者の脳味噌をドシン、バリバリと打ち砕くのだった。4/7

最後の4つ目の岐阜提灯が、抽選でヒロセさんに当たると、彼は、それを会社のロビーの大天井からぶら下げたので、出入りする人々が、みんな見上げて、「おお奇麗、奇麗!」と歓声を上げたのだった。4/8

「ヨコタカアマゾンフェア」の打ち合わせに、わが社のデザイナーのヤマガタ君と一緒にやってきたのだが、いつまでたっても話がふぁっちょんに辿りつかないので、困っていたが、タイトルをよくめると「ヨコタカアマゾン河フェア」だったので、やっと腑に落ちた。4/9

スペインのレストランで、耕君はケタケタ笑いながら、なんでもかんでもぺたぺたと喰らいついていたが、私がスギヤマ君と商談している間に、食い過ぎたのか、ポッカリ空中に浮かんでしまったので、急いで飛びついて地上に取り込んだ。4/10

コウ君はとてもキーン博士が嫌いだったが、それは、彼がコウ君をダッコしながら、おちんちんをさりげなくさわったりするからで、その都度「お父さん、助けて!と叫んでいたが、博士号を取るために渋々その門下生になった。4/11

どういう訳か世界各地で世界最大の同窓会が開催され、無数の老若男女が普段サッカーやロック・コンサートが開催される各地の会場に詰めかけた。私も久しぶりに会社や学校の古い友人との再会を夢見て最寄りのドームに足を運んだのだが、他の人と同様誰にも会えなかった。

仕方なく私は群衆から遠く離れて砂漠と谷間の入り混じった不毛の地に迷い込んでしまったのだが、そこで見たのは人類の最期の悲惨な光景だった。
男も女も。老いも若きも、人々は無酸素状態の中で大口とか零把とか永久とか2文字の熟語を次々に口にくわえて呼吸できるか試すのだが、なかなかぴたりと適合できないうちに窒息して死んでいった。

最後に残された私は、アジャンターのような広大な洞窟の前で、ナガマルさんと出会った。彼は、「さあどうぞ」と、私を洞窟の中の大広間に導いた。そこでは荘厳な宗教音楽が鳴り渡り、おおぜいの原始人たちが、異教の神への賛歌を口々に歌いながら、次々に死んでいった。4/12

イケダノブオは、やけくそになって、こんな歌を歌いだした。
「ほいさかちゃんこハリセンボン 5月10日は大売り出し 5月10日はヤットセーノセエ」4/12

私は、猛烈なスピードで、高速道路を暴走する、乗用車の跡をつけた。ようやく神所で止まったその車は、八百万神に、榊を供えている。4/13

ヤマハの株主総会に出席するために、高速船でやってきて、会社の裏口に横付けしようとしたら、杭がないので繋留できない。仕方なく、ヨットや大型ボートなどでやってきた大勢の株主たちと一緒に、そこで一日中ブカぶか浮いていた。4/14

死んだタケナカさんが、道端でミシンを売っているので「どうしたんですか、もうスーツは売らないんですか?」と聞くと「あんな婦人用の生地で作った紳士用の背広なんて、いったい誰が買うんだ。作った奴が自分で売ればいいんだ」といってアハハと笑った。4/14

昨日から、なぜか香港ドルの対日本円レートが、100倍に急上昇したので、世界中で大騒ぎしているようだが、私ら下々の者は、知ったことじゃない。4/15

私は、ふとしたことから知り合ったアルト歌手の女性から、コンサートの切符をもらったのだが、彼女が歌うアルバン・ベルクのアルテンベルク歌曲集を聴いているうちに、どんどん彼女に惹かれていくようになりました。4/15

和泉橋の上に橋上女がいた。私はその時、むかしアメリカで撮影したたくさんの写真を持っていた。すると橋上女は私を呼びとめて「その写真を見せておくれな」というた。

それで私が写真を渡すと彼女は物珍しそうに見つめていたが「ほらこの写真をじっと見ていてご覧な」というた。1968年、78年、88年、98年にNYのブルックリン橋を
私がおなじ場所、おなじ角度で撮った4枚のカラー写真だ。

橋上女が、橋の上で1968年の写真をかざすと、しばらくしてブルックリン橋はピンボケになって、しまいには姿も形も見えなくなってしまった。

「ほれこっちもご覧な」と橋上女が 橋の上で1978年、1988年、1998年の写真をかざすと、しばらくしてブルックリン橋はピンボケになってしまいには姿も形も見えなくなってしまった。

私は、橋上女から取り戻した4枚の写真を矯めつ眇めつ何度も何度も見つめたがそのどこにも ブルックリン橋は映っていない。同じようなどろりとした茶色の印画紙が掌から突き出た4枚のトランプのように並んでいるだけだ。

この時遅く、かの時早く、私は気が付いた。1968年と1978年と1988年と1998年に撮影された写真は、なぜか見つめられると粒子が荒れて、映像がとろけ出し、膨れ上がって土の色に戻ることを。

西暦の末尾に8が付く写真は、10年毎に見つめられると、ピンボケになってしまうのだ
それはあたかも、大きな栗の木を輪切りにした時、その年輪が10年ごとに膨れ上がっているようなものなのだ。

ユーレカ! ユーレカ! これぞ世紀の大発見ではないか!
手の舞い足の踏むところを知らなくなった私は、かの橋上女にその驚きを伝えようとしたが 彼女の姿はどこにもない。

橋上女、ことカサンドラは、いつのまにやら姿を消した
さらばさらば、謎の女 カサンドラよ!
お前の灰色に濁った両の眼は誰にも見えない真実を見ていた。
4/16

この会社では社長が「選択と集中」なる経営手法が大嫌いで、本社などもサーカス小屋にして全国を移動し、いつもテキトーにのほほんとやっていたので社員は喜んでいたが売上と利益はさっぱりだった。4/17

うちのプロダクションでは作品を製作者とは違う名前で外部に発表することがある。こないだも後輩の名前でコンペに出た私の作品がグランプリを獲得したが、数年前に私も先輩の作品で同じ賞を取ったことがあった4/18。

小腹が減ったので香林坊のとある蕎麦屋に入って天蕎麦を食うたら、これが高くて不味い。それでもふやけた蕎麦を無理やり押し込んでいるうちにそいつは喉の奥で膨れ上がり、とうとう息が出来なくなってしまった。4/19

この食堂で飯を食えるスペースはたったの5名分しかないので、他の客は立ったままで食べるか、5人のうちの誰かが終わるまで待たなければならなかった。4/20

ロボットの私は殺人ゲームに挑んでいる。1回戦ではあっという間に5人のロボットを叩きのめしたが、2回戦に入るとあんないい奴らをなんで殺さなきゃらなないのだと思い始めて、しばし腕組みして考え込んでいる人間的なロボットの私。4/21

庭園のイメージを○から△に変えようと樹木の根元に「信実」を埋め込んでみたのだが、来年の春にカトウさんちのような見事な枝垂れ桜が咲くだろうか?4/22

S君とサテンに入ったのだが、ここはどうやら活動家、それも社青同解放派のアジトらしくどこかで見たような顔の人々が黙ってコーヒーを飲んでいる。4/23

ちょと好きなんだけど口もきいたことのないデザイナーの隣に席を取って、オーバーとマフラーをおいたまま飲み物を取りに行ってムラクモさんたちとちょっと立ち話をしてから戻ったのだが、彼女はもちろん誰一人いなくなっていた。4/24

色んなメデイアに取材してもらおうと思って、江戸時代の大名がお忍びで町なかを歩いているような格好をして歩いていたら、誰かに「あらもしかして千利休さん?」と声をかけられましてん。4/25

二か所に本拠を置く○○家と二箇所に本拠を置く××家は、同族ながら不倶戴天の敵として、長年にわたって血を血で洗う闘争を続けてきた。しかしてこのたび両家は白黒の決着をつけるべく、大長谷戸で最終決戦の火蓋を切ったのだ。4/26

あたしは刑事。激務に疲れ果てて温泉に入っているうちについ眠り込んでしまい、溺れる寸前に謎の男が私を軽々と抱き上げて部屋まで運んでくれた。嬉しくなったあたしは全身が隈なく透ける黒のレースを身につけて、ホテルのロビーを踊りまくったの。4/27

岡を下って傘を売りに出かけた。傘というても鉄骨だけだが。すると妙齢の婦人が「これはいくらですか?」と尋ねたので「1500円」と答えたら「1000円になりませんか?」と値切ったので「いや1500円です」と頑張って買わせたが、1000円にしても良かったな。4/28

松葉杖のA氏の案内で松竹の映画館に入ると人海戦術で大掃除していた。間もなく試写が始まったが、もうすぐ国立劇場の文楽公演を見るために妻がここにやってくるはずなので、私はおちおち映画なんか楽しめない。4/28

その家庭料理屋では、かつての「青砥」の100倍以上の小粋な日本庭園を有していたので、世界中から鎌倉にやって来た数多くの観光客がここを訪れ、滑川の流れを敷地に取り込んだ山紫水明の景観を、思う存分楽しんでいるようだった。4/29

私は入ってくるお金を右から左に湯水のように使った。いつか誰かが友人と資産は君の最大の味方だ」というていたような気がしたので。4/30

 

 

 

朝の挨拶

 

辻 和人

 
 

頭やった?
頭やって!
そうそう、ウチには
「頭やる」って言葉がある

出勤前の慌ただしい時間
とんとんとん
かずとん、急げ
急げ、急げ
ネクタイ締めながら洗面所に入ると
洗濯機の上で待ってるのはミヤミヤが出してくれたドライヤー
鏡に映ったのは
寝ぐせ全開のぼくの姿
「頭やる」ぞ
指を水で濡らして髪の毛を
もしゃもしゃもしゃ
注意点は
「外からだけじゃなく、
髪の内側からも、まんべんなく、ね」
うねっていた髪は水分になだめられてしんなり
こんなもんか
今度はクルクルドライヤーで濡れた髪を整えながら乾かしていく
ゆっくりゆっくり
えーと、確か
「髪っていうのはね、水分と熱で形を作っていくんだから」
それから櫛の部分を左から右へ、そして右から左へ
「同じ方向ばかりでなく逆方向からもやらないと、
髪のクセは取れないよ」
最後にざっと全体に櫛を入れる
こんなもんかな

いつものようにミヤミヤの前に立ちますよ
ぐるっと回って
はい、裁定は?

「かずとん、ほんとにこれでいいと思ってるの?
左後のここ、まだ立ってるよ。
鏡ちゃんと見てない証拠。
あと、いつも言ってるけど、前髪少し散らさないとカッコ悪いから。
はい、まっすぐ立って。
背筋しゃんとする!」

ぼくより7センチ背が低いミヤミヤ
踵を微かに浮かし
腕いっぱい伸ばし
ぼくの髪を直していく
上目遣いにして上から目線
その尖がった先が
ぼくの頭をツンツン
7センチ下から突き上げる
「まあ、これでいいかな。
かずとん、この歳までよく社会人やってこれたね。
少しはカッコいいと思われたくないの?
もおぅー、あんまりひどいと私が恥ずかしいんだから。
ネクタイも曲がってるよ。
それじゃ、いってらっしゃい、気をつけてね」

これ、ずっと、毎朝
これがない日は落ち着かない
「頭やる」って
頭髪を整えることとは違うんだ
「頭やる」は
7センチ下から
上から目線
「いってらっしゃい」とセットの
朝の欠かせない挨拶
ここには
優位性ってものが働いてる
不平等ってものが働いてる
恥ずかしいから何とかしなきゃっていう
大義名分がしっかり支えてる
だから、ぼくも応えなきゃ
7センチ上から
下から目線
上と下から目と目がぶつかりあう
朝の大事な7センチ
「うん、いってきます。なるべく遅くならないように帰るから」