夢は第2の人生である 第45回

西暦2016年葉月蝶人酔生夢死幾百夜

 

佐々木 眞

 
 

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政権党の横暴を向こうに回して、かよわい女一匹がプッチーニのオペラ「西部の娘」のミニーのように立向かう、という構図に興奮した多くの選挙民たちは、誰かが「こいつはゴリゴリの右翼でファシストだよ」と囁いても、誰一人聞き入れようとはしなかった。8/1

ナス1キロを販売するには1週間分のナス料理のレシピを無償で提供しなければ駄目なんだということを、私はコストコで学んだ。8/1

僕はじつに巧みに全身鉄で出来た敵兵を撃ち殺していたのだが、その決定的瞬間をテレビが中継してくれないので頭に来ていた。8/2

この駅はいつも電車が混雑する上に、乗客が振り回されてよく死人が出るので、十分に注意しなければならない。8/3

わしはバンダル王を2度まで破り、国境線の向こう側に放逐したのだが、彼奴はそのたびに王座に戻ってまたしてもわしの王国に挑んできたので、3度目には首を斬ろうと決意していたにもかかわらずそれをしなかったので、それがわしの命取りになったのじゃ。8/5

短いホットパンツをはいた女がしゃがんでいるので妙に気になった私は、思わず腰を浮かして立ちあがったが、それ以上何もしなかった。後で彼女はこの港町一番の美女だと聞いた私は、もっと積極的にアプローチすればよかったと後悔した。8/6

どんな詩でも、無料でそれなりの詩集にしてくれるというサービスをある出版社が始めたところ、注文が殺到したのはいいけれど、残念なことに、すぐに倒産してしまった。8/7

ばせをの如き俳諧師が我が辞世の句をたちどころに消してみせるというので、「やってみろ」というたら、「枯れ枝にカラスのとまりけり」という句のカラスに水をかけて消してしまった。8/7

去年このホテルで知り合った長尾さんと佐藤さんが、今年も同じ女性を同伴していることに気付いた。長尾さんは女優の卵、佐藤さんは和服が似合う粋筋の美女だったが、2人は私の傍に居る北欧の長身のモデルに気づいて驚愕したようだった。8/8

懇意にしているフランス料理屋の主人が、どうも客の入りがおもわしくない、という。料理などの改善点について尋ねられたが、このせつはフレンチよりイタリアンだから仕方ない、とは言いかねた。8/10

真夜中に蚊に刺されて目を覚ますと、突然アメリカ人の若い女性兵士が寝室に入って来て蚊を叩き殺し、刺された私の手足にキンカンを塗ってから、ウインクして窓の外へと去っていった。8/11

カタログ撮影で南のA島に行くことになり、慌ただしく準備していたら、ナベショーがしゃしゃり出てきて、「B島のほうがいい」というので、かつて両方の島に遠征したことのある私が、その理由を滔々と述べたら、尻尾を巻いて消えてしまった。8/12

環境問題活動家のAさんが、乱暴者に襲われたというので、僕等は急いで病院に駆けつけた。その場に居合わせた電通の岩橋さんの話では、Aさんは釘を打った棒で全身を乱打された、という。8/13

結婚式に招待されたのだが、こびとにはこびと用の椅子と料理が供されたので、さすが塚田家と舌を巻かされた。8/14

私が預かっている女性のうちの、3名までは、すでに傷ついていた。8/15

四条梅小路から自転車で夜道を走っていると、大学の建物が見えた。この学校の一般教養学科の単位がまだいくつか残っているので、まだ卒業できない。早く下宿へ帰って勉強しよう。8/15

「立ち論」という題名らしからぬタイトルでなにか書いとくれ。あんたなら立て板に水だろう、と友達からそそのかされたんで、とりあえず台所に立ってみたが、なんの考えも思い浮かばないので、あっさり投げ出してしまった。8/16

そいつは、ともかく全身がいわば抜き身をひっ下げたように、ぬううとそそり立っていて、余りにも不気味だったから、みなに懼れられたが、そのようにそそりたつことが、真剣白刃取りのように過剰な負担になっていたらしく、若くしてあっさり死んでしまった。8/16

全盛時代のイケダノブオはんは、ポップでシュールなスーパーカジュアルな洋服を発明しては、お店に並べて人気を博してはったけど、いつのまにかブームが廃れて、日本全国何百とあった売り場は、大阪ミナミのすがれた百貨店だけになってしもうた。8/18

しかも今ではその店でも、洋服はもう販売されていない。しかし店長が、「かまへん、かまへん、スーパーカジュアルなウエアの代わりに、スーパーカジュアルなフードを売ったらええがな。ここは食品売り場のとなりやさかい、誰にも分からへんよ」と好意的なので、鍋焼きうどんを売らせてもらっている。8/18

私は、どうしても給料だけでは食べていけなかったので、往年の大女優吉野花子の付き人を志願して、アルバイトに励んだ。彼女は最初は迷惑そうだったが、だんだん協力してくれるようになったので、私の晩年は、それほど悲惨にならずに済んだ。8/19

講談社の新男性誌が創刊され、編集長の原田氏から原稿を依頼されたので、しばらくしてから送稿したところ、「すんまへん、ダブルブッキングで他のライターに書かせてしまいましたあ」というメールが来たので、頭に来て、彼の上司の常務に文句を言うたら、速攻原田選手は解任されちまった。8/20

有名デザイナーのアシスタントをしているヒラヤマ嬢は、毎日赤いポストの貯金箱に硬貨を入れていたが、それがなんと2800円になったと喜んでいる。「何に使うの?」と尋ねたら、「男に誘われていざと云う時」と、頬を赤らめて答えた。8/22

別館でうち合わせしていると、銀ラメのロングドレスを着たワタナベナオミが、「巴里のスギハラさんから電話です」という。出ると「ササキさん、平凡パンチの20ページをサービスしますがどうですか」と、いつものようにまくしたてるので、思わず笑ってしまった。8/24

私は編集者なのだが、いくら思案してもいい企画がてんで出ない。それでも苦心惨憺して野坂昭如の自伝を提案したら、「きみい、あの人はもう故人だよ。そんなことも知らないのか」と罵倒された。その故人に書かせるというのが、私の企画だったのだが。8/26

没企画ばかり出していた編集者の私は、とうとう会社を首になり、まもなく死んで棺桶の中に入ったのだが、なんとそこには、生前ついに出せなかった私の詩集が置かれていた。8/27

惑星間移動ロケット競技で、金賞を貰ったのはうれしかったが、歳月人を待たず、その時すでに私は、100歳になんなんとしていた。8/28

夏の終わりにマラソンをしている時、どういう訳か蚊が襲ってくるので、道端でキンチョーの蚊取り線香をじゃんじゃん燃やしていたら、放火犯と間違えられて、警察に逮捕されちまった。8/29

私らは特攻に出る前に、京都名産の千枚漬けを全身にふりかけ、ねばねばした液体や昆布を擦りこんだ。こうしておけば敵機に撃墜されない、と上官がいうのである。8/30

夏のジャンボ宝籤の抽選で、なんと塩飽寿司なる貴重品が当たった。おそるおそる口にしたが、今まで食べた物の中で最高の味だった。8/31

 

 

以下に「夢百夜」の未掲載分を追加します。

夢は第2の人生である 第28回

西暦2015年弥生蝶人酔生夢死幾百夜

 

時代はますます閉塞し、すべての人民は投獄された。われわれは牢に入れられたまま労働し、生活することになったのだが、権力者たちの圧政と暴力によって完膚なきまでに打ちのめされ、もはや抵抗する気力すら喪っていたために、奴隷のようにいいなりになっていた。3/1

銀座通りのど真ん中で、黄金いろのウンチが湯気を立てていた。3/2

「こんな格差社会だから、最底辺に生きる人を対象にした、親兄弟4人でせんべい布団1枚に寝るような木賃宿を開きなさい」と、隣の玉ちゃんがせっかく勧めてくれたというのに、断ってしまった。地底人の俺たちには、そんな道しか残されていなかったのに。3/3

ロスに旅行した時、3分で万物が合体する奇跡を伝授された私は、そのテーブルにいた5名をたちまちアマルガムのように接着してしまったので、おおいに怨まれた。3/4

僕が駅への階段を降りていたのに、彼奴は「車で送ってやる」と云うてきかない。

最近発見された「佐々木眞侯維新好色日記」は面白い。数多くの同名の別人物をめぐる凸凹譚もくわしく載せられているからだ。3/5

「君は私たちの子ではない。アフリカの奴隷商人がマラケシ島で売っていた父なし児なんだ」と告げると、息子は「そんなはずはありません。私はお父さんとお母さんの子供です」と言いながら、ラアラアと泣くのだった。3/6

「これを新しい会社のロゴマークにすればいいじゃないか」と云いながら、私はどこかのデザイナーが作った奇妙な図像を示すと、広報の前田さんは小首を傾げた。3/6

久しぶりに北鎌倉まで散歩に行って疲れたので、横須賀線で帰ろうとしたのだが、何台待っても来る電車が中国や韓国やモンゴルの人たちで超満員なので、仕方なくあきらめて、また歩いて家まで戻った。3/7

無名の国の無名の村で開催される「なんちゃらフェス」に招待された私は、「なんちゃら航空」機で現地に到着したのだが、小学生のころ郷里の「なんちゃら病院」で手術した左肩が激しく痛んでしまい、とうとう1曲も演奏できずに引き返した。3/8

あたいは大丈夫だよ、もう中国語の芝居のセリフは全部頭に入ってる。でも心配なのは、いま連日公演している日本語の芝居のセリフに、その中国語のセリフが紛れ込まないかということなの。3/8

ヨーカ堂で販売していたワンポイントウエアの商標が使えなくなったので、「ワンポイントウエアからキーポイントウエアへ」という企画書をでっちあげ、鍵のマークのワンポイントウエアを提案したら、意外なことにすんなり受け入れられた。3/8

憲法改定の国民投票の会場に行くと、「改定にイエス」と書かれた自動販売機のような投票機械と、「ノー」と書かれた機械の2種類が並んでいたが、裏に回ってよく観察すると、電線がつながっているのは「イエス」の方だけだった。3/9

「彼女なら銀座の山本ネクタイで働いているはずだよ」という友人の情報を頼りに、その店を訪ねてみると、店長が「先月末に辞めてロスへ行ったよ」と教えてくれた。3/10

広瀬さんチの土地を、地元のヤクザがぶんどろうとしていたので、おいらはそれを止めさせようとしたのだが、だんだんヤクザに対抗するのがしんどくなってきたので、とうとう逃げ出したが、その結果、健さんに対する尊敬の念が一気に高まった。3/11

私が熟睡していると、すぐそばで物凄いイビキが聞こえたので、たちまち目が覚めてあたりを見回したが、誰もいない。イビキの主は、おそらく私だったのだろう。3/11

反乱軍に捕らわれ、鋭い刃に全身を串刺しにされて死んだメソポタミアの王は、彼に逆らった3つの蛮族を呪いながら死んだが、3人の蛮族の長も、王と同じやり方で虐殺された。3/12

私は長い間この街に来たことがなかったが、ふとこの街の大学をまだ卒業していなかったことに気付いた。急いで教務へ行くと、「3つの教科のレポートと卒論を提出すれば、証書を授与する」というので、しばらく当地に滞在して、長年の懸案を果たすことにした。3/12

いよいよレポートすべき国文学講座が始まる日、キャンパスの入り口で「こっち、こっち」と私に手招きする人がいるので、近寄ってよく見ると、今中さんだった。3/13

どうして彼がこんな所にいるのか分からなかったが、今中さんは、「早く、早く。急がないと授業が始まってしまうぞ」と、私の手を取るようにして、坂の隣を上昇しているエスカレーターに乗り移った。

ところが、そのエスカレーターが鈍速なので、焦った2人が3段跳びの駆け足で飛躍してると、到達まぢかなエスカレーターがちょんぎれて、私たちは、まるでだらりの帯のようになった階段の先端に、両手でぶら下がって、ひとの助けを呼ばなければならなかった。

ようやくキャンパスの構内に辿りついたが、今中さんは「今日の授業は最後に漢字の書き取りテストがあるから、どうしてもその参考書が必要だ。僕が一っ走り書店に行って買ってくるから、君はここで待ってて呉れ給え」と云う。

それきり今中さんは、いつまで経っても戻ってこないので、しびれを切らして焦りまくった私は、傍を通りかかった学生に教室の場所を聞くなり、全速力で走りだした。教室に着くと、大勢の人が立錐の余地なく詰めかけて、授業どころの騒ぎではない。

私の目の前には、仏文5年生の怒りのチビ太や、イヤミや、蝶の好きな多田さん、グラン佐々木、それに六つ子なども勢ぞろいしていて、徒党を組んで階段教室を下りながら、全員が黒づくめの犬になってしまって、「なんだ坂、こんな坂」と大声で歌いながら踊り狂うている。

ワン ワン ワン
Wang Wang Wang
ワワン ワワン ワンワンワン

おめえは、なにを舐めてんだ
あんたのお尻を、舐めてんだ
くすぐったいから、やめてけれ

なんだ坂、こんな坂
ワンワン、キャンキャン ワンワンワン
おいらは犬だ あたいは犬だ

秋田犬、津軽犬、岩手犬
阿波犬、越後柴、樺太犬
なんだ犬、こんな犬

紀州犬、高安犬、薩摩犬
四国犬、屋久島犬、縄文犬
お前は、単なる犬に過ぎない

森林狼犬、仙台犬、大東犬
秩父犬、珍島犬、土佐闘犬
そうさ、おいらはただの犬

羽衣之柴、肥後狼犬、豊山犬
前田犬、北海道犬、豆柴犬
犬は犬でも、国産犬

雪甲斐犬、琉球犬、鷹版犬
三河犬、甲斐犬重慶犬、日向犬
そうさ、あたいはMade in Japan

なんだ坂、こんな坂
ワンワン、キャンキャン ワンワンワン
おいらは犬だ あたいは犬だ

すると別の学生の一隊が、「これからは国産ドッグファイトからグローバル・キャット・ファイトの時代じゃあ!」と叫んで、ドラえもんやのび太と一緒に真っ白な衣裳に身を包んで「猫じゃ猫じゃ」と歌いながら、講堂の舞台の上で踊りはじめた。

ミャオ ミャオ ミャオ
Myaw Myaw Myaw
ニャ、ニャ、ニャン ニャン

おめえはなにを舐めてんだ
あんたのお尻を舐めてんだ
くすぐったいからやめてけれ

なんだ坂、こんな坂
ニャー ニャー ニャニャン、ミャー ミャー、ミャー
おいらは猫だ あたいは猫だ

ぶち猫、三毛猫、どらの猫
白猫、黒猫、ヒマラヤン
なんだ猫、こんな猫

さび猫、とらねこ、バーミーズ
赤とら、サバとら、純白猫
お前は、単なる猫に過ぎない

赤猫、灰色猫、斑猫
アビシニアン、オリエンタル、バナナブラウン、
そうさ、おいらはただの猫

ペルシャ、ベンガル、ターキシュ
メインクーン、ロシアンブルー、チェシャ猫
猫は猫でも国際品

キジトラ、トビ三毛、縞三毛
マンクス、ボンベイ、コンラート
そうさ、あたいはMade in the World

なんだ坂、こんな坂
ニャー ニャー ニャニャン、ミャー ミャー、ミャー
おいらは猫だ あたいは猫だ

あまりにも革命的な3次元デザイン短歌が次々に生まれてゆくので、私を拉致した入れ墨の大好きなパオパオ族の酋長も驚きあきれて、部族メンバーの全員一致で釈放されることになった。3/13

会社が経営危機に立ち至ったので、経営者が大幅なリストラを行うと宣言した。全員に残留テストを実施して点数の低い若い社員から順番に馘首するというのだが、私はもうなにもかもが厭になって、自分から退職してしまった。3/14

もはや万事休すだ。最後の戦いに敗れたら潔く死んでいくしかない、と深く心に刻んでいたはずなのに、いざ実際に敗れてしまうと、腹など切らず、草葉の陰に身を隠してでも、おめおめと生き延びていきたい、という思いが募るのだった。3/15

隣の家のおばさんが、また近所をうろついている。彼女は歩きながら、お得意のお仏蘭西語を、般若心経のように高唱するので、すぐに所在が知れるのだ。3/16

こないだ青木君がレッド・ツェッペリンのコンサートの切符を呉れたのだが、今日またやって来て「あの切符を返してくれ」と云うので、涙を呑んで返した。3/16

顔だけは相変わらず猪八戒そっくりの安倍蚤糞だったが、その醜い能面の下に、いつの間にやら別の怪人が入り込んでいるのだった。3/16

講談社のKさんは、鯛のおすましが出てくると「私はね、来月号はカブトムシの形をしたCDを読者にプレゼントしたいんだ。これくらいの大きさのね」と云いながら、吸い物の中に指を突っ込んだので、茫然としていると、上司のSさんが「いい加減にしろ」と怒鳴った。3/17

長年にわたって、生真面目な教員生活を続けていた私だったが、ある日魅力的な人妻に一目ぼれをしてしまい、それからどんどん深入りをしていったのだが、このままではお互いに不幸なことになる、と思っていったん別れたのだが、しばらくすると、またズルズルべったりになってしまった。3/18

我われは行軍する際に、上の歯でチチチと舌打ちしたら前進、下の歯で同じようにしたら後退する、という取り決めをしたのだが、その違いがうまく伝わらなかったので、その作戦は失敗に終わった。3/19

ようやく築地までやって来たので、寿司屋でランチをつまんでいると、隣のおやじが「バブルの頃は、ここでシャンパンを8本も空けたんだけどなあ」と焼酎を飲みながらぼやくのを聞いているうちに、嫌気がさして新宿に行くのをやめた。3/19

いくら有名になったり、大金持ちになったり、権力の絶頂に立ったとしても、無理して体を壊して病に冒されてしまえば、そんなものは屁のツッパリにすらならない。そろそろあんたの生き方を変えたらどうだね、と私はナベショウに説いた。3/20

アフリカの新興国とはいえ、複数の国の大使を兼任するのは難しい。それでも私は、しょっちゅう問題を起こしている隣接する2国を、毎日のように行ったり来たりして、ヘトヘトになっていた。3/20

「さあいよいよ戦争だ、これで思う存分人殺しができるぞ」と、二人の若者が期待に胸を膨らませながら、陛下恩賜の三八銃をピカピカに磨いていたのだが、突然、地面が大きく揺れて亀裂が生じ、二人は、そのまま地底深く呑みこまれてしまった。3/21

俄か成金になった私は、友人から「東京湾の埋め立て地を買わないか」といわれたので、早速現地へ行ってみると、見渡す限り泥水が続く敷地が広がっていた。そのうち便意を催したが、最寄りのバラックまで数キロあると聞かされたので悶絶してしまった。3/22

なんたら芸大の人気教授の客寄せ講演「人類の深くて狭い穴について考える」が始まった。サクラで駆り出されていた私は、「ヨオ、大統領!」と叫んで、陰ながら応援していたのだが、案の定開講5分で女子大生の大半が退席して、閑古鳥が何匹も鳴いていた。3/23

最高級の牛肉をグルメする会に出たら、シェフが「ここは肩肉、これは腹肉」などと解説しているはしから、肉全体が次々に復元され、とうとう一頭の巨大な闘牛が誕生した。3/24

社長が「新ブランドの売り出しに最適の媒体計画を大至急作ってくれ」というので、あれこれ考えているのだが、どの媒体を使えばいいのかてんで分からないので、電通の社員が持っている媒体手帳がどこかに落ちていないか、と自転車に乗って探しに出かけた。3/25

突然壇上に押し上げられた私は、なにを言っていいのかてんで分からず、かろうじて「吾輩のこんにちあるは、ひとえに大恩ある○○先生のおかげでありましてえ」と、なんちゃら社交辞典にあるような言葉を口にしたが、その後が続かず、絶句してしまった。3/26

聖戦十字軍を代表する戦士として、アラブ随一の女戦士と決闘を挑んだ私は、無残にもあっと言う間に武器を奪われて敗北し、屈辱と不名誉のどん底に沈んだのみならず、彼女の奴隷にされてしまった。3/27

夕方、外で涼んでいると、誰かが庭から勝手に俺の家の中に入ってくるので、「なんだなんだ、おめえは誰だ」と誰何すると、「私はあなたと同姓同名なので、ここへやってきました」という。3/28

そいつはプロの殺し屋で、何度も俺に肉薄して来たが、あと一歩と言うところで難を逃れてきた。しかし今日はまずい。いかにもまずい。ポケットに手を突っ込んだが、いつものピストルはなく、一羽の鳩しか出てこなかった。3/29

ずっと若いころエイズに罹ったが、体に良いという井戸水を張った水槽に毎朝全身を浸していると、不思議なことに快癒してしまった。その後私はNYで新進アーティストとして成功し、金も名誉も手に入れたので、「もう思い残すことはない。いつ死んでもいい」と思って、水槽を壊してしまった。3/29

新興住宅街にあるギャラリーを出て、夜の盛り場を彷徨っていると、ベネチアのカーニヴァルで見た顔を白く塗った女たちが、長い列を作って私を待ち構えていたので、その真ん中を通って、屋敷の入口に通じる階段を登ってゆくと、真っ暗な部屋があった。「おおい、誰かいないか?」と尋ねたが、返事はない。誰もいなかった。3/29

私が奥菜恵似の女と仲良くしているのを知った吉高由里子似の女が、「デートしよ」といって私を植物園に誘ったので、2人で植物園に行ったあとで動物園に行ったら、猿どもが白昼公然と性交しまくっていたので「こんな不愉快な所はやめて、もっと愉快な場所へ行こう」と2人でラブホへ行った。3/30

本社から越中島の営業部に異動になったが、営業なんかやったことがなく、名刺すら持っていないので、得意先へ行っても、上司や同僚の背後に隠れてしまう私を見て、みんな呆れ果てていた。

そんなある日、東映から健さんがやって来て、なんとか組の親分役としてわが社の営業を手伝ってくれるというので、興奮した私は1本の包丁を買って来て、晒しに巻いてスーツの中に忍ばせていた。

ある日、みんなで雁首揃えて地方へ出張に行ったら、先を歩いていた健さんが、誰かと喧嘩になったので、すっ飛んで行って、そいつのでかっ腹を正宗の包丁でブスリとやったら、上司が「よくやった。これで邪魔者は消えたから、この地区の売り上げは倍増だ」と大喜びした。3/30

上等兵の一再ならぬ執拗な苛めに耐えながら、「所詮は、これがおいらの人世だったんだ」と思いつつ、黙って歩き続けていると、いつの間にか元居た地点に戻っていた。3/31

前回のロケット到着の際にはおよそ数キロの誤差があったが、今回は私が特製のグローブでキャッチしたので、どんピシャリだった。3/31

 

 

夢は第2の人生である 第29回

西暦2015年卯月蝶人酔生夢死幾百夜

 

前線で戦う兵士たちは全員ワイヤレススピーカーを装着していたので、強力な敵軍に遭遇して奮闘苦戦する現場の状況が、ここ司令塔でも手に取るように分かったが、彼らはけっして「天皇陛下万歳」とか「お母さん!」とか無駄な言葉は口にせず、次々に無言で玉砕していった。4/1

カーマイケル氏は、日本軍占領下の南洋諸島で諜報活動に従事していたそうだが、それがいかに危険で困難を極めた命懸けの業務であったかについて、我が軍に捕えられてからも縷々語り続けるのであった。4/2

久しぶりに展覧会に行ったら、畳10帖敷きくらいの大きさの絵が会場狭しとぶら下がっていたが、不思議なことに私らは、その絵を貫いて歩くことができた。聞けば画用紙に描かれた原画を、最新の4D技術を用いてプロジェクターで投影しているという。4/3

奇妙な人形が現れでたので、そいつをクリックすると「4年間だうもありがたう」と言いながら、深々とお辞儀をして消え去った。4/4

夕方になったが、まだ試合は続いた。12回裏2死満塁。すっかり日が落ち、暗くなった球場で私が放ったライナーは、左翼手のグラブを掠めてなおも空高く舞いあがり、やがて見えなくなった。4/5

W氏にぱったり出くわした。この人は、日本一の広告会社に勤務していたとき、クライアントの営業を担当していたが、なにか不祥事を起こして首になり、傘下の小さな会社に飛ばされたはずだが、ちょっと挨拶しただけで、逃げるように去って行った。4/6

当社のキャンペーン「ライフ・イズ・ビューチフル」が、世界各国のみならず国連の年間共同キャンペンとして採用された、という速報を知った私は、早速社長に報告しようと社内を探し回ったのだが、「1か月前から行方不明になっている」と専務が言うので、唖然としてしまった。4/7

すでに私を含めて2人のカンフーが雇われていたが、ステージ全体がおよそ30mもあり、演者1人が3.5mを動くとすれば、少なくともあと6人の少林寺拳法の名手が必要だった。4/8

私たちは平君の案内で、泉佐野の辺りをのんびり歩いていたのだが、突然、平君が「われ何処に行かん!」と叫んで、大阪支店に向かっていっさんに走り去ってしまったので、クマゼミたちが大声で鳴き喚いた。

それから路に迷ってしまった私たちは、ようやく大阪平野を見渡す峠への獣道を発見して小躍りしたのだが、麓へ下ってゆく路のいたるところに、夥しい黄金いろの雲古がてんこ盛りになっているので、それらを踏まずに歩くのはとても難しかった。4/9

やがて私たちは小汚い大学に辿りついたが、その大学に勤務していたさる外国人非常勤講師は、「おいらはそんな就活指導なんか絶対にやんないぞ。そんなギャラなんかもらってないもんね」と、不平たらたらでキャンパスをのし歩いていた。4/9

異常な金融緩和政策ゆえに、銀行ではどんどん金を貸してくれるのだが、ベンチャービジネスに対しては、例外なく渋い顔をするので、IT企業の若手経営者たちは、美貌で知られているネット銀行の女性CEOに多額の貢物をして、数千万円の融資を受けていた。4/10

彼らは情報交換と称して、その美人CEOが経営し、支配人も兼任している銀座の超高級クラブに、夜な夜な出入りをしていた。その毎月の飲食費ときたら、借金の利子の数十倍に上っていたのだが、そんなことなど忘れたように、毎晩セッセセッセと通いつめていたのだった。4/10

私は水の中の映画館で、2本の映画をみた。1本は馬を殺す映画で、もう1本はありきたりのボーイ・ミーツ・ガール物だったが、スクリーンと座席の間に色とりどりのたくさんの魚が泳いでいるので、くわしい内容は最後まで分からなかった。4/11

松下表具屋の店先を覗き込むと、橋本画伯と表具師の間にいる青白い幽霊のような男が、2人の両肩に手を置いているのが見えたが、この謎の人物は、後ろにぶら下がっている橋本画伯の日本画の中から抜け出してきた若侍だった。4/11

火星社書店でエロ本の立ち読みをしていると、口の中がザワザワする。鏡の前で口を開いてよく調べてみると、大臼歯の詰め物が取れた痕から、1本の鮮やかな緑色の若葉が伸びていたので、私は口を大きく開けたまま暮らそうと決めた。4/11

どんどん記憶が失われてゆく。よほど困ったときには、庭に備え付けてある碾臼に頭を擦りつけながら、ごんごん碾いていると、いつの間にか忘れ去られていたわが親しき思い出が、ハラハラと踊り出てくるのであった。4/12

なぜか村の祭りの余興の審査委員長に指名された私が、12組の演目の中から、かねて思いを寄せていた娘のひな踊りを最優秀賞に選ぶと、村人の大多数が異議を唱え、あまつさえ投石を始めたので、身の危険を感じた私は、娘の手を引いて海辺に走った。

渚にもやってあった小舟に飛び乗って海を漕ぎ出すと、村人たちも2艘の船で後を追ってくる。懸命に櫂を操ったが、さして遠くに行かないうちに追いつかれ、私たちは奇怪なお面を被った村人たちの櫂で散々打たれ、血まみれになって海に投げ出されてしまった。4/12

この野球チームには、1軍と2軍の間に「かみつき屋」と称される連中がいて、試合中も練習中もたえず真剣勝負を挑んでくるので、我われ1軍の選手も、一瞬たりとも息が抜けなかった。4/13

その港には、巨大な張りぼての女たちが三々五々憩うていた。その顔を良く見ると、目や鼻や眉毛はなく、その代わりにカスリーンとかジェーンとかキティとか女性の名前が両目の辺りに大書してあった。ここはなんと台風の基地だったのだ。4/14

彼女と遠距離恋愛をしていたのだが、交通費が莫迦にならないので、超廉価の携帯を買うて来て、なんちゃらかんちゃら話していたら、「これから上京するので、そのまま繋ぎっぱなしにしておいてね」と彼女が言うてきた。4/15

その収容所では1日2回食事が給されたが、弱った病人や老人は、それさえ食べきれず、みんなが食堂から引き上げたあとも、毎回1人や2人は食卓にうつ伏せになったままの者がいた。彼らは、私たち料理人の手で迅速に処理された。4/16

俺が捕虜をわざと逃がしてやったことを、相棒はひどく気にしていたが、俺は「その責任は全部おいらが取るから、お前は心配するな」と何度も言い聞かせた。俺はすでに覚悟を決めていたのだ。4/17

あれから3年、今夜は故郷の町の温泉祭りだ。ムショから出たばかりの俺は、裾までからげた両脚を温水が流れる小川に浸しながら、3年前に俺をチクッて監獄に送った密告野郎がやってくるのを、今か今かと待ち構えていた。4/17

同窓会というものに初めて出かけてみたが、私が誰かも分からないようだし、出席者の名前を聞いても誰ひとり見分けることができないので、焦っているうちに彼らの顔がとろけ出して、まっしろけののっぺらぼうになってゆく。4/19

早朝、長身の若い娘がわが家のポストに何かを入れて立ち去ったので、2階から降りて調べてみると、写植の紙焼きでした。その日の午後、私が筋違橋の辺を歩いていると、その娘が桜映社という看板の写植屋で働いている姿が見えました。4/20

軽く助走してから、ホップ、ステップ、ジャンプの三段跳びをやってみた。すると私の体は、まるでツバメのように軽々と宙に浮き、しばらくは着地しなかったので焦ったが、いったいいつの間にこんな軽業を身につけたのか、と我ながら訝しく思った。4/21

脳の具合が悪くなって入院していた私は、治療のために良いとされるフルメタルジャケットを着せられたたまま、主治医の診察を受けるために、深夜の病院の廊下に並んでいたのだが、その長い長い列は、いつまで経っても縮まらないのだった。4/21

その病院では、だんだん水不足が深刻になってきたが、神明社の階段の下を歩いてきた者だけが、水道のコックを捻ると1杯の水が出ることが分かったので、この参道も、朝から真夜中まで押すな押すなの大行列だった。4/21

けれども、容態が悪化して身動きできなくなってしまった私が、山口君と茂原さんに頼んでコップ2杯の水を枕元に持ってきてもらった直後に、誰が神明社詣でをしても、もはや水道からは一滴の水も出なくなってしまった。4/21

今回の試験は、1平方キロもある広大な原っぱで行われることになった。原っぱのあちらこちらに置いてある回答箱の中に、氏名と番号を書いた問題用紙を入れるのだが、問題の数はあまりに多く、原っぱはあまりにも広大なので、私たちはたちまち汗まみれになってしまった。4/21

7万円のプレーヤーと10万円のアンプで、ジャズやクラシックのLPをかけて、会社の全部のフロアに大音量で流していると、いろいろ文句をいう奴が出て来たので、叩きのめしてやりました。ざまあみろ。4/22

栗の木の林に入ると、大きなカブトムシがちょうど目の高さに止まっていたので、私はこれを耕くんに取らせようか、健ちゃんに取らせようか、それとも卓ちゃんに取らせようか、あるいは亮ちゃんに取らせようか、または陽子ちゃんに取らせようか、ひろくんに取らせようかと、迷いに迷った。4/22

そこへ辿りつくためには、どうしてもこの急な坂を登りつめなければならないのだが、坂道のいたるところに、悪臭を放つ糞尿やら、泥や、雑多な塵が堆く積み重なっているので、私は蝸牛の歩幅ほども前進できない。4/23

「バブルの時に、僕のような者にもちょっとしたお金が入ったので、渋谷の坂の下の地下を走っている道を1本買って、「渋谷日不見」と名付けたんだけど、こないだ渋谷の地下街で迷子になったときに、そのことを思い出したんだ」

「んで、渋谷も大規模再開発で繁盛しているようだから、この道をシブヤヒミズと改名して、僕の専門の音楽CDや、楽譜や、ふぁっちょんや雑貨や飲食などを精選した地下名品街をつくったらいいんじゃないかと思うんだけど、どうかしら?」と、坂本教授が聴きとり難い声で呟いた。4/24

四方八方から打ちだされるひょろひょろミサイルを、毛むくじゃらの両の腕を水車のように振り回しながら、ひとつのこらず叩き落としてやった。なにを隠そう、私はキングコングだ。4/24

どんな気に入らんことがあったのか知らんけーのお、女衆が家の司に刃向かって、全員で首を吊って死んでしまおうとしたらしかが、いざとなると、蛮勇の振るいどころがのうなってしもうたとみえて、けっく泣く泣く元の鞘に戻ったげな。4/26

誰かがすぐ傍で生々しい呼吸をしているので、ハッと飛び起きたら音が消えた。それはどうやら私の呼吸音だったようだ。4/27

夕方そろそろ雨戸を閉めようかと思っていたら、応接間のガラス戸が開かれていて、白い顔がこちらを覗いていたので驚いた。しばらくすると、その顔の持ち主は姿を消したが、どうやら長男と同じ障がいを持つ娘らしい。4/27

教授から中世の宗教曲「ハルレ・ミサ」曲の歌詞を朗読せよ、と命じられた私は、急いで自分のテキストや楽譜を調べたが、どこにもないので、隣の女子学生から借りた教科書を見ながら、らあらあラテン語を呟きはじめたら、教授が「もういい」と制止したけれど、大声で叫び続けた。4/27

この公団での私の仕事は、はっきりいってほとんどなかったので、私は朝9時に出勤すると直ちに自宅にとんぼ返りして、朝寝してから再び出勤し、公団の食堂でランチを食ってから、公園のベンチでたっぷり昼寝して、かっきり午後5時に帰路につくのであった。4/28

てんでお金がないものだから、私は第一詩集「赤と黒のサンバ」を自分のパソコンで編集・印刷して、道行く人に配ろうとしたが、通りすがりの一人のインディアン、もとい、赤黒い顔をした先住民だけが、恭しく一礼をして受け取ってくれた。4/29

巨大な体躯を誇るそのビッグピープルの内部には、無数の賢いリトルピープルが住んでいて、阿呆な大家が莫迦げたことを仕出かさないように、日夜監視しているのだった。4/29

しょんべんをしたくなったので、ある大学に忍び込んだら、古くて狭くて暗い教育学部であった。トイレが見つからなかったので1階に降りると、若々しい女子大生が嬌声をあげて戯れていたので、「もはや自分の青春は終わったのだ」と言い聞かせていると、「お前は胆汁質だな」という野太い声が聴こえた。4/30

 

 

 

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