昨年六月の詩「雑草詩って、俺っちの感想」を書き換える。

 

鈴木志郎康

 
 

俺っち、
自分が去年の六月に書いた詩を、
書き換えたっちゃ。
書いた詩を書き換えるっちゃ、
初めてのこっちゃ。
雑草詩って比喩の
使い方が
気に入らないっちゃ。
印刷された縦書き詩行を、
こりゃ、
雑草だっちゃってね、
決めつけて、
ひとりで盛り上がったのが、
去年のことだっちゃ。
それが失敗だっちゃ。

去年出した新詩集の
「化石詩人は御免だぜ、でも言葉は」の
校正刷りがどさっと届いたっちゃ。
紙の束を開いて、
横に書かいた詩が、
ぜーんぶ、
縦に印刷されてるじゃん。
当たり前っちゃ。

Webの「浜風文庫」に発表した時には、
横書きっちゃ。
詩集にすると、
縦書きっちゃ。
紙の上に、
縦に印刷されてきた
校正刷りを、
二回読んだ感想なん、
日頃のことが書かれた
詩の行が縦に並んでるじゃん、
雑草が、
ひょろひょろ、
ひょろひょろ、
って、生えてる。
こりゃ、
雑草が生えてるん、
ページをめくると、
また、雑草、
また、雑草、
抜いても抜いても生えてくる
雑草じゃん。
俺っちが書く詩は、
雑草詩じゃん。
と、まあ、
俺っちは
盛り上がってしまったっちゃ。
これがまず失敗だっちゃ。
雑草の比喩に、
引っかかっちまったってこっちゃ。

俺っちは、
雑草って呼ばれる草の
ひとつひとつの名前を
ろくに知らないっちゃ。
いい気なもんだっちゃ。
今年になって、
木村迪夫さんの詩を読んだら、
その名前が
ちゃんと書いてあったっちゃ。
蓬、茅萱、薊、芝草、藺草、蒲公英、
びっき草、へびすかな、どんでんがら、ぎしぎしー
見たことない草もあるけど、
俺っちも、子ども頃に、
蓬を摘んで、
草餅食ったこともあったっちゃ。
詩の一行一行も、
書かれた言葉は、
それぞれ違った姿で立ってるんじゃ。
一緒くたにするな、
馬鹿野郎、
俺っちって馬鹿だね。
無名の、
雑草って一絡げしちまってさ。
道端に繁茂する
雑草のイメージに酔っちまってさ。

雑草を、
無用な草、
価値のない草、
その比喩に、
俺っち自身の詩の言葉を乗せちまって、
でも、
生命力が強い存在って、
ことで、
自身の詩を持ちあげちまってね。
この思いつきは、
俺っちにして、すすっ素晴らしいぜ。
なんてね、
盛り上がっちゃったってのが、
またまた、
失敗だっちゃ。
踏まれても、
引き抜かれても、
生えてくる
雑草。
貶されても、
無視されても、
どんどん、
どんどん、
書かれる
雑草詩。
いいじゃん、
じゃん、じゃん
ぽん。
って、
いい気なものでしたってこっちゃ。

雑草って比喩は、
有用な栽培植物に向きあってるってこっちゃ。
有用が片方にあるってこっちゃ。
有用な詩ってなんじゃい。、
評価される詩か、
ケッ、
評価の土俵ってか、
アクチュアルのグランドってか、
まあ、そこから、
なかなか身を引けないねえ。
そんで、もって、
雑草詩って盛り上がっちゃったってわけさ。
俺っち、
雑草詩を書き続けるっちゃ。
無用の詩を書き続けるっちゃ。
格好悪い詩を書き続けるっちゃ。
格好悪いが格好いいっちゃ。
俺っちの
ひとりよがりのヒロイズムじゃん、
いいじゃん、
じゃん、
ぽん。
じやん、
ぽん。

そこでちょっと、
詩を書くって、
ひとりで書くってこっちゃ。
ひとりよがりになりがちだっちゃ。
でもね、
誰かが読んでくれると、
嬉しいじゃん。
共感が欲しいじゃん。
読んだら、
話そうじゃん、
話そうじゃん。
じゃん、
じゃん、
ぽん。

 

昨年の6月に書いて発表した「雑草詩って、俺っちの感想なん」

 

 

 

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