梅雨の晴れ間に

 

みわ はるか

 
 

四角い専用のフライパンで卵焼きを作る。
醤油、みりん、砂糖、塩、だし汁で作るオーソドックスなもの。
いつも茶色く焦げてしまうので今日は弱火にしてみる。
きれいな黄色でくるんと巻けたのを確認すると思わずにんまりと笑みがこぼれる。
フライパン返しで上手にまな板に移す。
研いだばかりの包丁で食べやすい大きさに切っていく。
以前はめんどくさいと箸で雑に切っていたけれどもうそれはやめた。
ストン、ストンと切り終わった卵焼きはとても美しかった。

去年の夏までベランダに吊るしてあった風鈴が悲鳴をあげていた。
雨風にさ らされてボロボロになっていた。
銅製でとでも重厚な音色を聴かせてくれていたけれどもう寿命をとうにこえてしまっていたようだ。
仕方なく処分した。
次は今までのと全然違うものにしようとネットで色々調べて購入した。
なんと、明るいピンク色のフラミンゴの下に細長いステンレスでできた円柱の棒がぶらさがっているタイプのものだ。
4つもぶらさがっているのでお互いがぶつかって「テロテロ~、テロテロ~」とかわった音色がする。
その上にどっしりと乗っているフラミンゴが重そうだけれど。
それだけでは少し物足りなかったので、普通のよく見るタイプの風鈴も買った。
陶器でできたもので、白く塗られた上に朝顔の絵が少し遠慮した ようにちょこんと描かれている。
こちらは少しの風で「チリン、チリン」と慌ただしく鳴り響いている。
2つとも前回同様ベランダに吊るした。
お互いが邪魔をせず、喧嘩することなく上手に共存しているかのようにみえる。
人間の世界もこんな風であればな~と思う。
夜中みんなが寝静まったころ、道行く車がなくなったころ、わたしは一人座椅子に座りながらそんなことを考える。
「テロテロ~、チリンチリン」という音を聴きながら。
うんざりするような日がある。
誰の顔も見たくないと感じる日がある。
一人丸くなって押し入れの隅でじっとしていたいと思う時がある。
だけれども、ものすごくあの人の笑顔が見たいとか、話を 共有したいとか、同じ景色を見たいとか望む自分もいる。
やっぱり社会とはつながっていたいと願う。
贅沢なのだろうか。
どうなのだろうか。
今のわたしには残念ながらよくわからない。

先日、ひょんなことから、生まれて初めて弟と2人で外食をした。
弟の好きなお寿司を食べることにした。
水槽の中で少し窮屈そうに魚が泳いでいた。
出されたお茶は舌がやけどするかと思うくらい熱かった。
慣れないカウンターで思わずキョロキョロしてしまった。
ファミレスで十分なのだけれど、せっかくなので、こんなことも次いつあるかわからなかったので。
弟はわりときれいに食事することを知った。
器用に箸を 使ってわさびの量を調節する。
ネタに醤油をつける。
布巾で口をふく。
赤だし、天婦羅、最後のごまプリンまできちんと丁寧に完食した。
世の男性というのはこんなにもよく食べる生き物なのかと感心した。
弟の話は面白かった。
男のくせによくしゃべる。
弟には夢があるようだ。
わたしはもちろん応援している。
縁あって姉弟になったのだからいつまでも仲良くしていきたいと思う。
仮に色んなことがうまくいかなかったとしてもまた話してほしいなと思う。
その時はまたお寿司を食べに行こうと心の中で姉のわたしは小さく誓った。

 

 

 

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