サウンド・オブ・サイレンス

 

今井義行

 
 

アメリカにはポールサイモンがいた
いまだって いきてるって?
いまだって 在るのは〈 The Sound of Silence 〉です
〈 沈黙の音 〉ですか そんな現代詩の題みたいな曲が
よく全米No 1になったな
1966年の 出来事だった──・・・・・・

わたしは、まだ小学校に入っていなかった

In restless dreams I walked alone
そわそわした夢の中、僕は独りで
歩いていた

Narrow streets of cobblestone
石畳の狭い通りをね

Neath the halo of a street lamp
街灯の明かりの下

I turned my collar to the cold and
damp
僕は街の寒さに襟を立てた

When my eyes were stabbed by
the flash of a neon light
僕の目にネオンの光が飛び込んだ

That split the night And touched
the sound of silence
それは夜を切り裂き、「静寂」に
触れたんだ *ネットより、引用

わたしも「静寂」に触れたその時々に
ガラス細工の鳴るような音を聴いたものだった
〈 The Sound of Silence 〉
来し方を顧みれば
わたしは 3度 結婚を考えたことがあった
そのひとつひとつの出逢いが終わるまぎわに
ガラス細工の鳴るような音を聴いたのだった

月曜日のデイケアは
フリーテーマの ミーティングの日で
その日のわたしは こんな発言をした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

●私事でひと月ほどデイケアを休んでいましたが、今日から
週3回のペースで復帰いたします。また、よろしくお願いいたします。
●このひと月の間、何をしていたかと言いますと、
フィリピンに滞在していました。2016年にFacebookで知り合って、
事実婚状態にあったフィリピン人女性を日本に招くためのビザの申請の為です。
結果は、これで3度目の「不許可」となりました。
●今回、日本語で交渉したいと思い、日本人が経営するエージェンシーに
ビザ申請代行を依頼しました。
彼女がシングルマザーであることは承知していましたが、
提出書類から、彼女が今現在もまだ結婚していることが判りました。
11年間、元夫との結婚の解消手続きが為されていませんでした。
●わたしが無職で生活力がないとうことが「不許可」の原因かもしれません。
本当の所はわかりません。
彼女は大変良い人で、わたしに対して常に優しく接してくれました。
しかし、これでは、将来的に、日本で一緒に暮らすのは無理である、と
判断して、帰国後、関係を清算しました。
これまで、スマホに蓄積されてきた写真など、大量のデータの削除などを
行いました。そんな時、むなしいこと、この上ありませんでした。
わたしは、身寄りも友人も、殆どありませんので、
スマホを携帯していること自体、意味が無くなってしまいました。
●お酒に関する話題に移ります。
フィリピン滞在中から、いま現在に至るまで、
HALT(Hungry,Angry,Lonely,Tired)の4つの条件がすべて揃ってしまう
瞬間に襲われることが、しばしばでした。
しかし、それでも、飲酒欲求は全く湧いてきませんでした。
何故なのかと考えをめぐらせてみますと、「自分は、もうこれ以上、
最低の人間にはなりたくない」という気持ちが強いからだと思い当たります。
●正直なところ、「人間を、もう辞めてしまいたい」という、
烈しい希死念慮にも、しばしば憑りつかれています。
けれど、それを実行してしまって、周りの人達にまた多くの迷惑をかけ、
本当に、最低最悪の人間になるわけにはいきません。
苦しくても、これからのデイケア参加を通じて、
生活の立て直しを図ろうと考えています。
●わたしは55歳になりました。まだまだ、人生は続いていきます。
しかし、何のために生きていくのか、と考えると、何も思い浮かばず、
ただただ、途方に暮れてしまいます。
断酒生活は継続できるかもしれませんが、ただそれだけで、
やがて高齢の障害者となっていき、ひっそりとこの世から消えていくのかと
思うと、本当にさびしい限りです。

何のために生きていくのか
3度目に結婚を考えたその彼女はルソン島ブラカン州のPasayoという
住宅街の持ち家で
朝から褐色の腕に刷毛を持って壁に白いペンキを塗っていた

彼女は自分の褐色の肌を「醜い肌」だと言い
わたしの肌を「白くて綺麗」といつでも言った
そして 家の中も 執拗に白く染め上げていた

何のために生きていくのか
暮らしを白く染め上げていくためではない──・・・・・・
と わたしは思った
さまざまな色の日々を味わいたいとわたしは思った

「扉が真っ白になったわ」と
彼女はソファーに横たわっているわたしを見て微笑った
彼女の褐色の鼻に白いペンキが付いていた
「ミルク色の生活だわ」
彼女は完璧主義のカソリック教徒 そして
日本へ行ってわたしと暮らすことを強く願っていた
そんな彼女がなぜ前婚未解消なのか
わたしには不思議でならなかった
その一方で 健やかなる時も病める時も
手と手とを繋ぎあっていくような 一夫一婦制が
わたしには 足枷にも感じられた
そして 彼女のビザの申請が「不許可」となった時
わたしは、ガラス細工の鳴るような音を聴いたのだった

I want to be free in Japan

帰りの飛行機の中から
遠ざかるフィリピンの島々を眺めながら
わたしは、わたし
つがいには成れないと 思ったのだった
途方に暮れる と しても、ね。

アメリカにはポールサイモンがいた
いまだって いきてるって?
いまだって 在るのは〈 The Sound of Silence 〉です
〈 沈黙の音 〉ですか そんな現代詩の題みたいな曲が
よく全米No 1になったな
1966年の 出来事だった──・・・・・・

わたしは、まだ小学校に入っていなかった

わたしは 3度 結婚を考えたことがあった
そのひとつひとつの出逢いが終わるまぎわに
ガラス細工の鳴るような音を聴いたのだった
と わたしは、記した。

 

 

 

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