谷崎潤一郎著「細雪」を読んで

 

佐々木 眞

 

 

日本が中国を遮二無二侵していた頃に、
そうして手痛いしっぺ返しを喰らうておった頃に、
大阪と芦屋に四人の美しい姉妹が住んでおりました。

一番下のこいさんは、とびっきりのモダンガール。
おっとりと奥ゆかしいお姉ちゃんを尻目に
駆け落ちはするは、男どもを手玉に取るはの小悪魔ぶり。

こいさんが、あまりにも自己ちうやさかい、
中姉さんは、人知れず泣かはった。
幸子はんは、えんえんえんえん、泣かはった。

もしかすると妙子はんの強心臓には、
谷崎選手なんかをカモにするような、
綺麗で邪悪な血が、流れておったのかもしれへん。

案の定、こいさんは、流産しはった。
こいさんは、バーテンダーのその男と、一緒にならはった。
にあんちゃんの婿はんの貞之助はんが、あんじょうやってくれはったんや。

しゃあけんど、そのあとこいさんは、
二人して幸福にならはったんやろうか?
どうもそうは思えんのや。

こいさんは、またぞろ男をひっかけて、
その男も、こいさん自身も
またぞろ酷い目に遭うんやないやろか。

それからこいさんの上の嬢はんの雪子はん。
悪い噂の所為もあって、何度も何度も縁談に失敗してきた無口な雪子はん。
今度こそハッピーエンドになってほしいんやけど、

そううまく、問屋が卸すやろか。
全三巻の「細雪」を、パタンと閉じてしもうてからも、
どうもそうは思えんのや。

「下痢はとう~その日も止まらず、汽車に乗ってからもまだ續いてゐた」
この文豪、谷崎潤一郎はんの超大作は、
そんなあまりにも尾籠な言葉で、突然幕を閉じてしまいよる。

雪子はんは、下痢してはる。雪子はんは、下痢してはる。
雪子嬢はんの下痢は、止まるやろか。
東京の晴れの結婚式までに、止まるんやろか。

どうもそうは思えんのや。
気の毒なことに、可哀想なことに、
雪姉(きあん)ちゃんは、あれからずっと下痢してた。

1941年4月27日の朝、汽車が東京に着いてからも、
晴れの結婚式が終わってからも、新婚旅行が終ってからも、
何年も、何十年間も下痢をしていた。

雪子はんの悲劇は、日本という国の悲劇と重なって
昭和一六年春にこの物語が終ってからも、まだまだ続き、
七四年後の今日までも、延々と続いとるんや。

ああ、極東の暗くて寒い国ニッポンよ。
雪子はんの下痢が、果てしなく続くように、
お前の前庭には、いつも不吉な断片が降り注いでいる。

黒くて細かな雪は、
あんたらの目には、見えへんやろれど、
ひらひら、はらはら、降り続けとるんや。

いまは真夏の八月やけど、
確かに今も、降り続けとるんや。
ひらひら、はらはら、降り続けとるんや。

 

 

 

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